シーマの思いだって わたしのお母さんだもん

2012年04月28日

代行授業

4月28日

普段、保健・衛生に関する実習授業以外で、僕が授業をする事は一切ないのだが、新学期が始まってから何かと雑務に追われているマンガル校長に代わり、しばらくの間、マンガル先生が担当するクラスで授業?をする事になった。授業といっても教科を教えるわけでなく、子ども達を退屈させたくない、とのマンガル校長の考えに基づき、何でもいいからやることになった。

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そんな訳で昼休み後の4年生のクラスで授業もどきをやっているのだが、初日は子ども達の希望に沿って音痴な僕が「歌」を教え、2日目、3日目は後日、ご紹介しようと考えている日本のドキュメンタリー作品を鑑賞、4日目は訪米した時に入手したレッド・スケルトンの作品を鑑賞。5日目はネパール語で落語の「豆や」と「花見酒」を話したら、子ども達が大うけしたので、ついでに小話を2つ。これも予想以上にうけた。授業の終わりには「明日も話をしてほしい」と子ども達から要求まで受け、かなり気分を良くしているのだが、まずはネタが尽きない内にマンガル校長にタッチして、来たるべく再登場に備えたいと思う。短い時間だったが子ども達の暇つぶし程度にはなったのではないだろうか。

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この写真は隣のクラス。僕が受け持ったクラスの児童ではありません。いや本当に



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この記事へのコメント

1. Posted by ココア   2012年04月28日 07:21
5 吉岡さん
おはようございます。
吉岡さんの授業、楽しそうです。落語を聞いてヒマラヤ小学校の子ども達も喜んだとのこと、落語の笑いは万国共通ですね。吉岡さんの語りがお上手だったのだろうと想像します。吉岡さんの授業を子ども達と一緒に受けたくなりました。

2. Posted by 吉岡大祐   2012年04月28日 10:32
ココア様
おはようございます。落語といっても小話風に簡単にまとめたものですが、人間の業は世界共通だと改めて実感します。登場人物ををネパール人の名前にすると殆どが神様になってしまいますので、その辺りが話し手としては気が引けますが。


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