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2011年09月11日

タン、マン、ダン

9月11日

ヤッギャ校長ヤッギャ・シャキャ校長の人柄やこれまでの功績についてはブログの中で何度も紹介している事や、2009年に来日した際、接した方ならその素晴らしさは十分伝わっていると思うので、ここで書く必要は無いと思うが、最近になって、これまで以上にヤッギャ校長の存在の大きさを実感するようになった。

ヤッギャ校長との出会いは今から9年前の2002年だった。当時は日本国内で募金活動が行われたり、ネパール国内でも学校建設地の選定作業や村の尼寺で寺子屋の運営が始まるなど、ヒマラヤ小学校の建設に向けた機運が最も熟している頃だった。僕自身、寝ても覚めても学校建設の夢を語る、まるで夢遊病者のような日々だった。

当時の僕には学校建設の経験など全くなかったため、周りに一つずつ教えてもらいながら手探りで建設準備を進めていたのだが、建設が具体化するに連れ、建設業者の選定や運転資金をどうするのかといった課題が山積し、てんやわんやの状態でもあった。そんなある日、当時のパタン市長で、ヒマラヤ青少年育英会の初代会長を務めていたバジュラチャルヤ氏から「ブンガマティ村に誠実な男がいるから、彼に校長を任せようと思う」と言われ、紹介されたのがヤッギャ校長だった。

ヤッギャ校長という秀逸なパートナーを得たことで、僕自身、目の前の視界がぱっと開け、様々な不安が「絶対出来る!」という確信に変わった事を今も鮮明に覚えている。あれから9年あまり、当時と変わらぬヤッギャ校長の情熱と強靭な精神力、そして精励恪勤ぶりには本当に頭が下がる思いだ。

教壇に立つ一人の教師としてヤッギャ校長を見ると、子ども達に対する無償の愛を感じることが出来る。数年前、アメリカの小学校を訪ねた時地元で有名な女性校長が、「悪さをした子は、まず抱きしめてあげるのだ」と話していたのが印象深かったが、ヤッギャ校長も授業中など、必ずといっていいほど子ども達の体に触れている。ヤッギャ校長の大きな手から伝わってくる優しさを受けながら、子ども達は成長しているのだろう。

校長ヤッギャ校長はよく「何事もタン・マン・ダンが重要だ」と話す。直訳すれば「タン」は身体、「マン」は心、「ダン」はお金という意味だが、ヤッギャ校長の言う「タン」には強靭な体はもちろん、全力で取り組む姿勢という意味が含まれる。「マン」は心の他、優しさや屈強な精神力、「ダン」は資金が必要という意味だけでなく、お金を大切にする、大切に慎重に使うという意味で、その他に幸運という意味があるようだ。

これだけ恒心を持ち、誠実に活動を続けられるのもヤッギャ校長が常にタン、マン、ダンを大切にしているからだろう。自立に向けた活動が活発化するにつれ、僕の帰国の頻度も増えた今日、安心して日本国内での活動に集中出来るのも、偏にヤッギャ校長がいるからだと思う。

僕は果たしてタン、マン、ダンをもって活動に取り組むことが出来ているだろうか、、、、、、、一度、立ち止まって自分自身を見つめてみる必要がありそうだ。タン、マン、ダン、タン、マン、ダン。。。。。


hsf at 13:38│
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