シュリークリシュナファッションショーに向けて

2008年08月30日

パウデル博士

8月30日(土)

先日、ネパール語の恩師パラシュ・パウデル先生から突然、「会って話したいことがある」と電話があり、少し不安を覚えながら先生のお宅を訪ねた。子どもの頃のトラウマだろうか、“先生の呼び出し”は幾つになっても不安が付き纏う。

パウデル先生は、僕がネパールで暮らし始めた1998年から1年間、大学の担任として、厳しくネパール語を教えていただいた恩師だ。先生とは長らく無音に打ちすぎてしまい、今日は約6年ぶりの再会となった。

論文心配していた“会って話したいこと”とは、博士論文が完成し、無事、博士課程を修了することが出来たという報告と、これまでの応援に対する謝辞だった。安堵の胸を撫で下ろしつつ、パウデル先生が長年かけて完遂された600ページにも及ぶ論文を手にした時には、感動で胸がいっぱいになった。

パウデル先生が教育省の命を受け博士課程に進まれた時、先生を応援しようと、知人と一緒に(勝手に)応援団を買って出て、当時、ネパールで入手困難だった本を日本の本屋で探したり、担当教授の治療を行なったりした。ある時は担当教授が必要としていた文献を探しに大阪の民博を訪ね、民博の某教授から文献のコピーをご寄贈頂いた事もあった。あの頃、あれだけ夢中になって応援できたのは、やはりパウデル先生の真面目な性格と、血を吐く思いをしながら勉強している姿を間近で目にしていたからだと思う。

グルジ学問は実力と努力の世界。結局、パウデル先生が努力を重ねた末、意に違わず博士課程を終了されたので僕達の応援は殆ど意味を成さなかったのだが、パウデル先生から「応援してくれてありがとう」と言われた時は、正直、とても嬉しかったし、応援活動を通して知り合った素晴らしい人々と出会いは、僕にとって大きな財産となった。特に担当教授の一人で、昨年、不慮の事故で亡くなられたダカール教授には、お目に掛かる度に親しくお声を掛けていただき、ネパールの歴史や文化について楽しいお話を聞かせて頂いた事は、決して忘れることが出来ない。

今日はパウデル先生と懐かしい話に花が咲いたが、ヒマラヤ小学校の建設の話が纏まってからというもの、学校運営に感けてしまい、パウデル先生をはじめお世話になった大勢の方に対して、ずいぶん不義理を重ねてしまった事を今更ながら痛感した。これから時間を見て、不義理をしてしまった人達へ“お詫び行脚”を行ないたい。

パウデル先生から来週の月曜日に大統領官邸で開催されるメダル授与式の招待状をいただいたので、式典には必ず出席して、パウデル先生の晴れ舞台をしっかり見たいと思う。

ヒマラヤ小学校通信を更新しています。ぜひ、お目通しください。

hsf at 01:56│
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