2008年04月27日
ビナの苦しみ
4月27日(日)
今日は長らく学校を休んでいた5年生のビナが元気な姿で登校して来て、ヤッギャ校長、ビディヤ先生らと共に安堵の胸を撫で下ろした。
実はビナには過去に何度か退学の危機があるため、長期休みになると最も気になる児童の一人だ。春休み中、時間を見てはビナをはじめ気になる児童の家を訪ねてみたが、ビナの家では何時も同居する親戚から「ママ(母方の叔父の家)に出かけている」という返事が返って来るだけで、結局、春休み中に一度もビナの姿を見かける事はなかった。気になりながら春休みが明け、20日の新学期の日、学校に着くと真っ先に5年生の教室を覗いてみたが、予想通り教室にビナの姿はなかった。
ネパールでは母方の叔父の事をママ(mama)と呼び、ママは自分の姉妹の子ども(姪や甥、ネパール語でバンジBhanji(姪)、バンジャBhanja(甥)と呼ぶ)を大切にする習慣がある。この習慣については諸説あるが、姉妹の子ども達を大事にする事は、ママにとって神を敬う事と同じ意味があるようだ。特にヒンドゥ教の強い地域ではママがバンジャやバンジ(姉妹の子ども達)の足元に額づいて礼をする習慣まである。それほど、ママにとってバンジャやバンジは大事な存在なのだ。
当然、子ども達は自分を大事にしてくれるママの事が大好きで、ヒマラヤ小学校でも休み前になると“休みの間はママの家に行く”と、嬉しそうな表情を浮かべる子を見かける事も多い。ビナもママから大事にして貰う様で、これまでにも何度か、ビナが嬉しそうにママの事を話している姿を見かけた事があった。
そんな大好きなママの家に行っているのだから、別れが辛くて2日、3日、学校を休む事だってあるだろう。しかし今回は既に3週間以上もママの家に入り浸りで、しかもヒマラヤ小学校に通うビナの従兄弟達から「ビナはもう学校に来ない」という話を耳にしていたので、このままビナが学校に来なくなるのでは、という不安が募っていった。
25日の放課後、丁度、ヤッギャ校長とビナの事を話していると、ビディヤ先生から「ビナと会ったから直ぐに来て欲しい」と電話が掛かってきた。急いでヤッギャ校長と村のバス停に向かうと、ビナが寂しそうな表情を浮かべたまま、ビディヤ先生に肩を抱かれて立っていた。傍にはビナの母親の姿もあった。
ビナは俯いたまま暫く黙り込んでいたが、ビディヤ先生の優しい問いかけに少しずつ口を開き始め、父親の事でとても苦しんでいる事を告白した。
ビナの家族は20人以上の親戚と共に同じ家で暮らしているが、ビナの父親は定職を持っていないため、家の中で肩身が狭い思いをしているという。教育を受けていないため出来る仕事も限られてしまい、また所属カーストの職業でもある精肉の仕事を始めたくても資金を準備できず、なかなか上手くいかないようだ。
元々、大人しい性格の父親だったが、仕事がないことでイライラしてしまい、毎日のように酒を飲むようになったそうだ。酒を飲むと人が変わったように暴力的になり、母親やビナに暴力を振るうようになったという。ビナが特に心を痛めたのは、酔っ払った父親が母親を殴り「お前が呪われているから、娘を産んだのだ。家から出て行け」という罵声を浴びせたことだという。多感な時期を迎えているビナにとって、何よりも辛い言葉だったに違いない。父親の発した言葉によってビナがどれだけ傷ついたのか、容易に想像できる。
夕方からヤッギャ校長の自宅で、両親を交えて話し合いを行なうことにした。いろんな事が話し合われたが、最終的には、ビナの父親が始めたいと考えている精肉の仕事のため、ヤッギャ校長が自ら保証人となって村の農協から資金を融資できるようにする事や、父親は酒を止め真面目に仕事をすること、家族に暴力を振らない事などを約束して、話し合いは終わった。
その後、ヤッギャ校長はビナを自宅へ返さず、「今日はママの家に泊まって、今後の事をゆっくり考えなさい。お父さんの事を信じたいと思うなら、村に帰ってきなさい。学校ではみんなが待っている」とだけ言って、ビナをママの家まで送っていった。
今日、ビナは学校へ来た。まだ完全に笑顔を取り戻した訳ではないが、ビナなりに父親の事を信じてみようと考えたのだろう。今回の一件を通して、改めて卒業生を送り出す事がいかに難しく、毎日が綱渡りの連続である事を改めて思い知った。それでも、ヤッギャ校長やビディヤ先生のような“本気の先生”がいるかぎり、どんな事があっても必ず全員が卒業できると信じている。
今日は長らく学校を休んでいた5年生のビナが元気な姿で登校して来て、ヤッギャ校長、ビディヤ先生らと共に安堵の胸を撫で下ろした。
実はビナには過去に何度か退学の危機があるため、長期休みになると最も気になる児童の一人だ。春休み中、時間を見てはビナをはじめ気になる児童の家を訪ねてみたが、ビナの家では何時も同居する親戚から「ママ(母方の叔父の家)に出かけている」という返事が返って来るだけで、結局、春休み中に一度もビナの姿を見かける事はなかった。気になりながら春休みが明け、20日の新学期の日、学校に着くと真っ先に5年生の教室を覗いてみたが、予想通り教室にビナの姿はなかった。
ネパールでは母方の叔父の事をママ(mama)と呼び、ママは自分の姉妹の子ども(姪や甥、ネパール語でバンジBhanji(姪)、バンジャBhanja(甥)と呼ぶ)を大切にする習慣がある。この習慣については諸説あるが、姉妹の子ども達を大事にする事は、ママにとって神を敬う事と同じ意味があるようだ。特にヒンドゥ教の強い地域ではママがバンジャやバンジ(姉妹の子ども達)の足元に額づいて礼をする習慣まである。それほど、ママにとってバンジャやバンジは大事な存在なのだ。
当然、子ども達は自分を大事にしてくれるママの事が大好きで、ヒマラヤ小学校でも休み前になると“休みの間はママの家に行く”と、嬉しそうな表情を浮かべる子を見かける事も多い。ビナもママから大事にして貰う様で、これまでにも何度か、ビナが嬉しそうにママの事を話している姿を見かけた事があった。
そんな大好きなママの家に行っているのだから、別れが辛くて2日、3日、学校を休む事だってあるだろう。しかし今回は既に3週間以上もママの家に入り浸りで、しかもヒマラヤ小学校に通うビナの従兄弟達から「ビナはもう学校に来ない」という話を耳にしていたので、このままビナが学校に来なくなるのでは、という不安が募っていった。

ビナは俯いたまま暫く黙り込んでいたが、ビディヤ先生の優しい問いかけに少しずつ口を開き始め、父親の事でとても苦しんでいる事を告白した。

元々、大人しい性格の父親だったが、仕事がないことでイライラしてしまい、毎日のように酒を飲むようになったそうだ。酒を飲むと人が変わったように暴力的になり、母親やビナに暴力を振るうようになったという。ビナが特に心を痛めたのは、酔っ払った父親が母親を殴り「お前が呪われているから、娘を産んだのだ。家から出て行け」という罵声を浴びせたことだという。多感な時期を迎えているビナにとって、何よりも辛い言葉だったに違いない。父親の発した言葉によってビナがどれだけ傷ついたのか、容易に想像できる。
夕方からヤッギャ校長の自宅で、両親を交えて話し合いを行なうことにした。いろんな事が話し合われたが、最終的には、ビナの父親が始めたいと考えている精肉の仕事のため、ヤッギャ校長が自ら保証人となって村の農協から資金を融資できるようにする事や、父親は酒を止め真面目に仕事をすること、家族に暴力を振らない事などを約束して、話し合いは終わった。
その後、ヤッギャ校長はビナを自宅へ返さず、「今日はママの家に泊まって、今後の事をゆっくり考えなさい。お父さんの事を信じたいと思うなら、村に帰ってきなさい。学校ではみんなが待っている」とだけ言って、ビナをママの家まで送っていった。
hsf at 04:21│
この記事へのコメント
1. Posted by 野村です 2008年05月04日 22:20
ビナの気持ちを考えるとどんなに辛かったことでしょうね。言葉につまるおもいです。私も日本の空の下から見守っていることをお伝えください。
ヤッギャ校長先生をはじめヒマラヤ小学校の先生達に感謝いたします。
ヤッギャ校長先生をはじめヒマラヤ小学校の先生達に感謝いたします。
2. Posted by 雷 2008年05月19日 02:29
最近更新遅いね。サボか???