大きな成長夕べの一時

2006年04月12日

ドゥクチャップ村

4月12日(水)

朝、溜まっていた雑用を片付けた後、モンゴル先生と共にドゥクチャップ村を訪ねた。ドゥクチャップ村はカトマンズ中心部から直線距離にして僅か12キロに位置しながら、交通の便が悪く大変貧しい村。この村から現在10名の子ども達が、毎日片道2時間の距離を歩いてヒマラヤ小学校へ通っている。

ファルシ初夏の強い日差しが照りつける中、麦畑の中のあぜ道を縫って歩きながらドゥクチャップ村を目指した。途中、ファルシドール地区に暮らす里親教育基金の奨学生を訪ね、一休み。先日、奨学生の通う学校でも成績発表が行われたようで、3人の奨学生は全員が合格して進学が決まったとのこと。まずは嬉しいニュースに、疲れも吹っ飛んだ。

その後、1時間余り歩いて、目的のドゥクチャップ村に到着した。これまで何度、この村を訪ねただろうか。村を訪ねる度に貧しい現状を目の辺りにして、はたして僕達のやっている活動には切がないのではないか、と懐疑的になってしまう事もあった。天真爛漫な笑顔の子ども達が直面する貧しさ。食べることで精一杯の貧しい家庭に、『教育』の価値や意義が見えにくいのは、当たり前の事かもしれない。

家族ドゥクチャップ村には主としてタマン族が暮らしている。タマン族の人々は教育の遅れ等により、様々な形で搾取されてきた民族だ。何とかドゥクチャップ村の子供達に勉強の機会を創りたいと、1年半前、北海道・深川市役所の皆さんの善意で寺子屋を開設した。農作業を終えた子ども達が村の外れにある麓の寺子屋まで、一生懸命通う姿を見ては、村に教育が少しずつ浸透していることを実感した。結局、寺子屋には40名近い子ども達が集まり、去年、其の内の10名がヒマラヤ小学校に入学することとなった。

村を周っていると、丁度、畑仕事を終えて帰宅した子ども達に会う事が出来た。その後、噂を聞きつけた子供達が一気に集まってきた。父兄が必死になって貧困の窮状を訴える傍で、ニコニコしている無邪気な子ども達を見ると、胸が痛くなった。貧困から抜け出す事は本当に容易なことではない。基礎教育の欠如となれば更に難しいだろう。貧困に喘ぐ現状では教育よりも食べる事の方が優先されてしまい、ドゥクチャップ村のような貧困の村では、教育が普及しないという悪循環が続いているように思う。それでもヒマラヤ小学校に10名もの子ども達が入学できたのは、何といっても寺子屋の影響が大きい。

*モンゴル先生の話では、この村で米を食べている人はいないという。毎日、ディロと呼ばれるトウモロコシの粉を練ったものだけを食べているそうだ。(ディロはタマン族の主食だが、多くの場合、夕食などではご飯を食べている。)実際に今日訪ねた子供たちの家には、お米が一切なかった。*

薪子ども達は春休み中、毎日、薪拾いや農作業を手伝っている様だった。ある子は幼い弟を背負いながら、ある子は体よりも大きな籠を担いで、農作業に汗を流している。幼い子ども達が働く姿を見るのは辛いものがあるが、これは避けられない現実だ。




アリシャ背中に幼い弟を背負いながら農作業に汗を流す2年生のアリシャが、『弟が大きくなったら、ヒマラヤ小学校へ入れてもいいですか?』と訊いてきた。モンゴル先生が『もちろん、大歓迎するよ』と答えると、アリシャはニコリと微笑み喜んでいた。

もしヒマラヤ小学校で学んでいる10名の子ども達から、この村に教育を普及させることが出来たら、どんなに素晴らしいだろうか。時には切がないと、嘆いてしまうほど遠い『教育普及』への道のり。それでも一歩ずつの積み重ねが、何時か大きな結果を導いてくれると信じたい。アリシャ達、未来を担う子ども達が教育を身につけ、貧困の村に大きな希望を与えてくれることを願っている。


hsf at 01:57│
大きな成長夕べの一時