2006年04月05日
慌しい一日
4月5日(水)
朝、往診を2件済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。先生達は期末試験の集計に終れて、忙しそうにしていた。子ども達の数が増えた事や、学年が上になるにつれて教科数も増える事で、採点や集計作業も大変だ。
春休みに入り子ども達がいない校舎は、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。感慨深く校舎を見ていると、2年生のソニーが学校へ来た。何でも川へ洗濯に行った帰りらしい。早速、ソニーに学校に関する幾つかの質問をしてみた。ソニーは大人しく物静かな女の子だが、成績も常に上位にいる頑張り屋だ。『学校が楽しい』と話すソニーの笑顔に、雑用に追われる先生達の心も和んだ様子だった。
9日に予定していた成績発表は、ネパールの政情(7政党連合によるゼネスト)により、10日に延期となった。子ども達の家庭に電話など一切ない現状のため、人伝いに成績発表延期を連絡するしかない。村の中心に暮らす子ども達なら何とか伝わるが、2時間掛けて通っている子ども達に伝える事は、なかなか至難の業だ。対策を協議した結果、めぼしい学生を上げ、モンゴル先生と僕が各家庭を回り、成績発表の延期を伝えることとなった。せっかく家庭を回るのだから、ただ単に情報を伝えるだけでなく、春休み中の子ども達の様子や父兄の学校に対する感想などを聞くことにした。
どの家庭を訪ねても、子ども達の多くは仕事に出かけていた。幼稚園クラスの子ども達は何人か見かけたが、他の子ども達の多くは休み中、仕事に追われている現状のようだ。体よりも大きな籠を担ぎ、薪を運んでいる子、汗を流し草刈をしている子、中にはお母さんを手伝って、煉瓦を運んでいる幼稚園児まで見かけた。みんな、貧しさの中で生きている事を改めて感じた。
何件か家庭を回った後、クマールの家で母親と話をした。残念ながらクマールは仕事に出かけて留守だったが、弟のモノージュと近所に暮すディポックと妹のサパナが一緒に遊んでいた。母親にヒマラヤ小学校について尋ねると、『学校が出来たお陰で、子ども達が教育を受けることができ助かっている。子ども達は学校へ通える事をとても喜んでいる』との答えが返ってきた。クマールについては、毎日、蝋燭の灯りの下で勉強をしているという。
クマールの家庭はダリットと呼ばれるアンタッチャブルカーストに属している。村から少し離れた場所に家があるのも、その事が理由らしい。父親は典型的な酒飲みで、よく母親に暴力を振るい、家にもほとんど帰って来ないそうだ。
母親は煉瓦を運んだり、薪を運んだりして、何とか生計を立てている。話の途中、クマールの母親の目から涙が零れだした。『自分は教育を受けていないため、何もすることが出来ない。クマール達にはしっかり勉強をして、私と同じ苦労をして欲しくない』と、涙を流しながら話を続けた。
こうして直接、父兄から話を聞くと、ヒマラヤ小学校が担う衆望と責任の大きさを痛感する。教育は貧困から抜け出す礎となる。その礎を更に強くしっかりとした物とするため、僕達、教職員は努力を続けなければならない。
帰り道、同行したモンゴル先生が日本語で『コドモタチノタメニ、モット、ガンバリマス』と呟いた。 父兄の言葉に、モンゴル先生の気持ちも奮い立ったようだ。
夕方、ヤッギャ校長から、病気になった母親を迎えに行った奥さんが、明日から予定されているゼネストの関係でバスが動かず、シンドゥパルチョーク郡で足止めにされているとの連絡があり、急遽、ヤッギャ校長、モンゴル先生と共に車を借りて、ヤッギャ校長の奥さんと義母さんを迎えに行った。
いろいろあったが、何とか無事、義母さんをカトマンズの病院まで届けることが出来、一安心。
今日は慌しい一日となった。
朝、往診を2件済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。先生達は期末試験の集計に終れて、忙しそうにしていた。子ども達の数が増えた事や、学年が上になるにつれて教科数も増える事で、採点や集計作業も大変だ。
春休みに入り子ども達がいない校舎は、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。感慨深く校舎を見ていると、2年生のソニーが学校へ来た。何でも川へ洗濯に行った帰りらしい。早速、ソニーに学校に関する幾つかの質問をしてみた。ソニーは大人しく物静かな女の子だが、成績も常に上位にいる頑張り屋だ。『学校が楽しい』と話すソニーの笑顔に、雑用に追われる先生達の心も和んだ様子だった。
9日に予定していた成績発表は、ネパールの政情(7政党連合によるゼネスト)により、10日に延期となった。子ども達の家庭に電話など一切ない現状のため、人伝いに成績発表延期を連絡するしかない。村の中心に暮らす子ども達なら何とか伝わるが、2時間掛けて通っている子ども達に伝える事は、なかなか至難の業だ。対策を協議した結果、めぼしい学生を上げ、モンゴル先生と僕が各家庭を回り、成績発表の延期を伝えることとなった。せっかく家庭を回るのだから、ただ単に情報を伝えるだけでなく、春休み中の子ども達の様子や父兄の学校に対する感想などを聞くことにした。
こうして直接、父兄から話を聞くと、ヒマラヤ小学校が担う衆望と責任の大きさを痛感する。教育は貧困から抜け出す礎となる。その礎を更に強くしっかりとした物とするため、僕達、教職員は努力を続けなければならない。
帰り道、同行したモンゴル先生が日本語で『コドモタチノタメニ、モット、ガンバリマス』と呟いた。 父兄の言葉に、モンゴル先生の気持ちも奮い立ったようだ。
夕方、ヤッギャ校長から、病気になった母親を迎えに行った奥さんが、明日から予定されているゼネストの関係でバスが動かず、シンドゥパルチョーク郡で足止めにされているとの連絡があり、急遽、ヤッギャ校長、モンゴル先生と共に車を借りて、ヤッギャ校長の奥さんと義母さんを迎えに行った。
いろいろあったが、何とか無事、義母さんをカトマンズの病院まで届けることが出来、一安心。
今日は慌しい一日となった。
hsf at 02:37│