交流活動入学希望

2006年03月13日

ビナ

3月13日(月)

今日は日本帰国中の出来事についてヤッギャ校長から報告を受けた。僕自身、ヤッギャ校長の誠実な人柄と熱心な活動を心から信頼しているので、帰国中も安心して自分の活動に集中することが出来る。ヤッギャ校長の存在は本当に大きい。しかしネパール、特にブンガマティのような村では、僕達の努力だけではどうする事も出来な事が時々起ってしまう。

今日、ヤッギャ校長から受けた報告の中にとても気になる事があった。2年生のビナ(14才)が1ヶ月近く学校へ来ていないとのことだった。ヤッギャ校長の話では、1ヶ月ほど前にビナの祖母が亡くなり、その葬儀のために欠席して以来、ビナは学校へ来ていないらしい。何でも祖母が亡くなった事で、今まで祖母が行っていた仕事(家事をはじめ家の隣にあり屠殺場での仕事)をビナが遣ることとなり、学校へ来られなくなったという。また一部では14才のビナに結婚の話もあると聞いた。

ビナは成績が優秀で開校以来、ずっと1番の成績を収めている利発な女の子だ。昨年、2階校舎が完成したとき、『来年も学校へ来られる』と、誰よりも喜んだのはビナだった。ビナからは『ヒマラヤ小学校に大学まで作って欲しい』などと要請を受けることもあり、初めての学校生活をとても楽しんでいる様子だった。ビナの事を考えると、いたたまれない気持ちになり早速、ヤッギャ校長と共にビナの家を訪ねることにした。

ビナ家に着いて暫くすると、ビナが寂しそうな顔をして出てきた。ビナにいろいろと尋ねてみると、やはり祖母が亡くなったことで仕事をしなければならなくなり、そのため学校へ行けないとの事だった。それも同居する親類から半ば強制的に仕事をさせられている状態である事が分かった。ビナの父親は教育を受けておらず、また人が良いため、よく他人から騙されることが多いそうだ。今回も親類の言いなりになった形でビナを働かせているという。貧しいネパールの社会では家族全員が協力して生活をしなければならない。とても子供たちを学校へ送る余裕などないのが現状だ。ビナの貧しさを見ると、無理やり学校へ来させる事にも少しためららいを覚えてしまう。それでもビナの口から出た『また学校で勉強したい』という言葉を聞いて、何としてもビナを学校へ来られるようにしたいと思った。

ビナ話し合い途中から父親をはじめ親類を集め、ヤッギャ校長、モンゴル先生の粘り強い説得が行われた。学校としても午前中だけ参加の授業や、寺子屋での補習授業などで最大限の協力をすることを提案した。2時間以上にも及ぶ話し合いの結果、何とかビナの復学が決まった。ビナの顔から一瞬、笑顔が零れたが、やはり現実は厳しいのだろう、直ぐに不安な表情を浮かべていた。

学校が出来たからといって、子供達が学校へ通えるわけではない。そこには親また周囲の教育に対する理解、経済的な問題、その他、さまざまな事が複雑に絡んでいる。それらの問題が解決して、はじめて子ども達は就学の夢を実現できるのだ。厳しいネパールの現状を目の当たりにし、何ともいえない空しさを覚えた。村の人たちの教育への理解を深めるために、一体何をすべきなのだろう。もう一度、原点に立って考え直したい。


hsf at 01:13│
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