2012年05月
2012年05月31日
あぁ・・・・・・
5月31日
今日で5月も終わり。雑用に追われて月日のたつのを忘れる毎日だが、忙しいという事は、きっと何かの役に立っているはずだ、と自分に(少し強引に)言い聞かせながら、なんとか日々の活動をこないしている。
新学期に子ども達に配った制服や教科書、学用品などの支払いがほぼ終わり、現在は支援者宛ての報告書の仕上げ作業に追われている。感謝の気持ちは決して筆舌に尽くせるものではないが、少しでも自分たちの気持ちが支援者に伝わるよう、しっかり纏めたい。後は、遅れに遅れている――ブログのトップページで5月第5週に更新予定と宣言している――ヒマラヤ小学校通信4月のニュースを更新しなくては・・・・・・5月の第5週は今日で終わり・・・・・あぁ・・・
ゴメンナサイ
今日で5月も終わり。雑用に追われて月日のたつのを忘れる毎日だが、忙しいという事は、きっと何かの役に立っているはずだ、と自分に(少し強引に)言い聞かせながら、なんとか日々の活動をこないしている。
新学期に子ども達に配った制服や教科書、学用品などの支払いがほぼ終わり、現在は支援者宛ての報告書の仕上げ作業に追われている。感謝の気持ちは決して筆舌に尽くせるものではないが、少しでも自分たちの気持ちが支援者に伝わるよう、しっかり纏めたい。後は、遅れに遅れている――ブログのトップページで5月第5週に更新予定と宣言している――ヒマラヤ小学校通信4月のニュースを更新しなくては・・・・・・5月の第5週は今日で終わり・・・・・あぁ・・・
ゴメンナサイ
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2012年05月30日
皮肉なめぐり合わせ
5月30日
先日、治療活動のため西ネパールの村々を訪ねた。海抜3000メートルを超える高地だったため、夏日が続くカトマンズ盆地に比べ日中もまだ肌寒かった。特に山間を抜ける風は冷たく、とても同じ国の中にいるとは思えなかった。
ネパールは北海道の約1.8倍という小さな国土の中に、高地気候から亜熱帯気候まである。更には他民族、多言語、多宗教と、全ての面で多様性に飛んでいるのが大きな特徴であり、最大の魅力だ。ただ、この多様性が現在のネパール政治と社会の混迷に繋がっている事は皮肉なめぐり合わせだと思う。
大方の予想に反して27日、制憲議会が期限切れの解散となった。暗雲垂れ込める現状をどう乗り切るのか予想すら出来ないが、ネパール流”結果オーライ”で何とか落ち着いて欲しいと思う。
先日、治療活動のため西ネパールの村々を訪ねた。海抜3000メートルを超える高地だったため、夏日が続くカトマンズ盆地に比べ日中もまだ肌寒かった。特に山間を抜ける風は冷たく、とても同じ国の中にいるとは思えなかった。
ネパールは北海道の約1.8倍という小さな国土の中に、高地気候から亜熱帯気候まである。更には他民族、多言語、多宗教と、全ての面で多様性に飛んでいるのが大きな特徴であり、最大の魅力だ。ただ、この多様性が現在のネパール政治と社会の混迷に繋がっている事は皮肉なめぐり合わせだと思う。
大方の予想に反して27日、制憲議会が期限切れの解散となった。暗雲垂れ込める現状をどう乗り切るのか予想すら出来ないが、ネパール流”結果オーライ”で何とか落ち着いて欲しいと思う。
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2012年05月29日
シャボン玉とんだ
5月29日
先日、しゃぼん玉で遊ぶ授業が行われた。しゃぼん玉といえば、おそらく日本人の多くは野口雨情作詞の童謡「しゃぼん玉」が思い浮かぶのではないかと思う。今回のしゃぼん玉で遊ぶ授業は、その「シャボン玉」を2、3年生の子ども達が歌えるようになった事から、一応、シャボン玉とはなんぞや?を学ぶために企画したもの。チューリップ同様(2012年3月30日)、僕たちの意図がきちんと伝わったかどうか少し怪しいところだが、しゃぼん玉で遊んだ子ども達は皆、大喜びだったので良しとしよう。
しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ
先日、しゃぼん玉で遊ぶ授業が行われた。しゃぼん玉といえば、おそらく日本人の多くは野口雨情作詞の童謡「しゃぼん玉」が思い浮かぶのではないかと思う。今回のしゃぼん玉で遊ぶ授業は、その「シャボン玉」を2、3年生の子ども達が歌えるようになった事から、一応、シャボン玉とはなんぞや?を学ぶために企画したもの。チューリップ同様(2012年3月30日)、僕たちの意図がきちんと伝わったかどうか少し怪しいところだが、しゃぼん玉で遊んだ子ども達は皆、大喜びだったので良しとしよう。
しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ
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2012年05月28日
世界禁煙デー
5月28日
今週の木曜日、5月31日は「世界禁煙デー(World No Tobacco Day)」。毎年、ネパールがん協会でも世界禁煙デーに合わせて様々な禁煙推進キャンペーンを行っている。僕もヒマラヤ小学校が開校する前までは、毎年ネパール癌協会が主催する禁煙ラリー等のイベントに参加していたのだが、その後は忙しさに感けてしまい、つい不義理が続いている。
イベントに参加できない分、往診先では事あるごとに患者や家族に禁煙を呼びかけているのだが、押しが弱いせいか効果の方はどうも芳しくないようだ。写真は山の上の村へ往診に向かう道中で、いつも水パイプ(フーカ)を燻らせながら「バブー(坊や)、お茶飲んだかい?」と訊いて来るお年寄り。
農作業を終えた後、幸せそうに一服するお年寄りを見ると、禁煙を勧めるのを躊躇ってしまう。なかなか難しい・・・・・今年の禁煙デーは、ちょっと勇気を出して禁煙を進めてみようか。
ふぅー
今週の木曜日、5月31日は「世界禁煙デー(World No Tobacco Day)」。毎年、ネパールがん協会でも世界禁煙デーに合わせて様々な禁煙推進キャンペーンを行っている。僕もヒマラヤ小学校が開校する前までは、毎年ネパール癌協会が主催する禁煙ラリー等のイベントに参加していたのだが、その後は忙しさに感けてしまい、つい不義理が続いている。
イベントに参加できない分、往診先では事あるごとに患者や家族に禁煙を呼びかけているのだが、押しが弱いせいか効果の方はどうも芳しくないようだ。写真は山の上の村へ往診に向かう道中で、いつも水パイプ(フーカ)を燻らせながら「バブー(坊や)、お茶飲んだかい?」と訊いて来るお年寄り。
農作業を終えた後、幸せそうに一服するお年寄りを見ると、禁煙を勧めるのを躊躇ってしまう。なかなか難しい・・・・・今年の禁煙デーは、ちょっと勇気を出して禁煙を進めてみようか。
ふぅー
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2012年05月27日
5000キロの彼方から
5月27日
少し前の話になるが、富山県の小学校の子ども達(当時6年生)から優しい手紙が送られてきた。以前、ヒマラヤ小学校を訪問された富山県の小学校の先生が、授業の中でネパールやヒマラヤ小学校の話をされ、その話を聞いた6年生の子ども達がヒマラヤ小学校の子ども達宛てに手紙を書いてくれたのだ。
どの手紙も見知らぬヒマラヤ小学校の友達を思う優しさがあふれていて、翻訳しながら胸がいっぱいになった。日本の子ども達が遠く5000キロ以上も離れた小さな国の、そのまた小さな村にある学校に目を向けてくれた事が、僕は本当にうれしかった。残念ながら手紙を書いてくれた子ども達は小学校を卒業したため、交流を続けることは出来ないのだが、ネパールのヒマラヤ小学校の友達に手紙を書いたという体験が、子ども達の心の片隅にでも残ってくれたらと思う。
少し前の話になるが、富山県の小学校の子ども達(当時6年生)から優しい手紙が送られてきた。以前、ヒマラヤ小学校を訪問された富山県の小学校の先生が、授業の中でネパールやヒマラヤ小学校の話をされ、その話を聞いた6年生の子ども達がヒマラヤ小学校の子ども達宛てに手紙を書いてくれたのだ。
どの手紙も見知らぬヒマラヤ小学校の友達を思う優しさがあふれていて、翻訳しながら胸がいっぱいになった。日本の子ども達が遠く5000キロ以上も離れた小さな国の、そのまた小さな村にある学校に目を向けてくれた事が、僕は本当にうれしかった。残念ながら手紙を書いてくれた子ども達は小学校を卒業したため、交流を続けることは出来ないのだが、ネパールのヒマラヤ小学校の友達に手紙を書いたという体験が、子ども達の心の片隅にでも残ってくれたらと思う。
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2012年05月26日
「希望」という名の女の子
5月26日
山の上の村へ往診に出かけた日の帰り道、何処からか「ダイスケサーン」と呼ぶ声がした。慌てて回りを見渡すと、遠くの畑にある藁山の上に誰かが・・・・目を細めながら近づいてみると、幼稚園年中クラスのアシャだった。楽しそうに藁をかじる姿が美しい。
年中クラスになってから、すっかりお転婆娘として大活躍中のアシャ。アシャとは「希望」という意味。不思議なことだが、アシャの屈託のない笑顔を見ていると、水面に輝く太陽のような明るい希望が生まれてくる。きっとアシャの持って生まれた力なのだろう。名は体をあらわす。そんなことをあれこれ考えていると、なんだかアシャに手を合わせたい気持ちになった。神様、仏様、アシャ様・・・・・・・学校のみんなに良い事がありますように。
山の上の村へ往診に出かけた日の帰り道、何処からか「ダイスケサーン」と呼ぶ声がした。慌てて回りを見渡すと、遠くの畑にある藁山の上に誰かが・・・・目を細めながら近づいてみると、幼稚園年中クラスのアシャだった。楽しそうに藁をかじる姿が美しい。
年中クラスになってから、すっかりお転婆娘として大活躍中のアシャ。アシャとは「希望」という意味。不思議なことだが、アシャの屈託のない笑顔を見ていると、水面に輝く太陽のような明るい希望が生まれてくる。きっとアシャの持って生まれた力なのだろう。名は体をあらわす。そんなことをあれこれ考えていると、なんだかアシャに手を合わせたい気持ちになった。神様、仏様、アシャ様・・・・・・・学校のみんなに良い事がありますように。
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2012年05月25日
ラビナの優しさ
5月25日
ヒマラヤ小学校の子ども達の素晴らしさは、なんといっても他人――特に弱者――を思いやる健気な優しさに尽きると思う。チョコレートを貰った時は、家にいる小さな弟や妹にあげたいとポケットに入れて持って帰ったり、遠い山道を下級生の手を引いて歩いたり、時にはおんぶしてあげたり、弁当を持っていない子には自分のチウラやトウモロコシを分けてあげたりと、子ども達の底なしの優しさに胸を打ち、人間としての優しさについて考えさせられることばかりだ。そんな心優しい子ども達の中でも、最も優しいと(僕が勝手に)思うのは、まちがいなく2年生のラビナだろう。
ラビナは学校から歩いて1時間半ほどの小高い山の上の集落で暮らす穏やかで心優しい女の子だ。これまでラビナが友達と争ったり、不機嫌な顔を見せたりしたところを僕は一度も見た事がない。目が合うと必ずニコリと返してくれる、一言で言えば天使、いやお釈迦様のような女の子だ。
新学期が始まる前の春休み、先生たちとラビナの暮らす集落へ家庭訪問をした。その日、最後の訪問先だったのがラビナ宅。朝から家庭訪問が続き、先生達も皆くたくたになっていたのだが、ラビナの家に着くと、きちんと人数分のゴザがしかれ、さらに飲み水や洗顔用の水まで用意されるなど、とても気持ちよく迎えてくれた。全部、ラビナが準備したそうだ。ラビナの細やかな心遣いのおかげで、皆、疲れが吹っ飛んだ。母親の話では、ラビナは先生達が家に来るのを朝から心待ちにしていたそうで、何度も何度もゴザを敷き直したりしていたそうだ。
家庭訪問が終わり、ラビナの家を後にした帰途の道中、後ろから誰かが駆け寄ってくる足音がした。ふと振り返ると足音の正体はラビナだった。僕達に追いつくとラビナは息を切らせながら僕のそばに寄って、僕の上着のポケットに何かを入れてきた。中を見るとビスケットが2枚。「どうしたの?」とラビナに訊くと、ラビナは「さっきお腹が空いてるって言ってたから・・・・」と言って、はにかんだ。
なんでも家庭訪問を終えラビナの家を出るとき、(万年欠食児の)僕が「あ〜腹減った〜」とひとこと漏らしたそうだ。僕が漏らした一言のために、わざわざ追いかけてビスケットを届けてくれたのだ。その後、大きな夕陽を背に僕達の姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれたラビナ。ラビナの優しさに胸を打たれ、この日は夕日が少し滲んで見えたような気がした。ラビナは本当に優しい女の子だ。
ヒマラヤ小学校の子ども達の素晴らしさは、なんといっても他人――特に弱者――を思いやる健気な優しさに尽きると思う。チョコレートを貰った時は、家にいる小さな弟や妹にあげたいとポケットに入れて持って帰ったり、遠い山道を下級生の手を引いて歩いたり、時にはおんぶしてあげたり、弁当を持っていない子には自分のチウラやトウモロコシを分けてあげたりと、子ども達の底なしの優しさに胸を打ち、人間としての優しさについて考えさせられることばかりだ。そんな心優しい子ども達の中でも、最も優しいと(僕が勝手に)思うのは、まちがいなく2年生のラビナだろう。
ラビナは学校から歩いて1時間半ほどの小高い山の上の集落で暮らす穏やかで心優しい女の子だ。これまでラビナが友達と争ったり、不機嫌な顔を見せたりしたところを僕は一度も見た事がない。目が合うと必ずニコリと返してくれる、一言で言えば天使、いやお釈迦様のような女の子だ。
新学期が始まる前の春休み、先生たちとラビナの暮らす集落へ家庭訪問をした。その日、最後の訪問先だったのがラビナ宅。朝から家庭訪問が続き、先生達も皆くたくたになっていたのだが、ラビナの家に着くと、きちんと人数分のゴザがしかれ、さらに飲み水や洗顔用の水まで用意されるなど、とても気持ちよく迎えてくれた。全部、ラビナが準備したそうだ。ラビナの細やかな心遣いのおかげで、皆、疲れが吹っ飛んだ。母親の話では、ラビナは先生達が家に来るのを朝から心待ちにしていたそうで、何度も何度もゴザを敷き直したりしていたそうだ。
家庭訪問が終わり、ラビナの家を後にした帰途の道中、後ろから誰かが駆け寄ってくる足音がした。ふと振り返ると足音の正体はラビナだった。僕達に追いつくとラビナは息を切らせながら僕のそばに寄って、僕の上着のポケットに何かを入れてきた。中を見るとビスケットが2枚。「どうしたの?」とラビナに訊くと、ラビナは「さっきお腹が空いてるって言ってたから・・・・」と言って、はにかんだ。
なんでも家庭訪問を終えラビナの家を出るとき、(万年欠食児の)僕が「あ〜腹減った〜」とひとこと漏らしたそうだ。僕が漏らした一言のために、わざわざ追いかけてビスケットを届けてくれたのだ。その後、大きな夕陽を背に僕達の姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれたラビナ。ラビナの優しさに胸を打たれ、この日は夕日が少し滲んで見えたような気がした。ラビナは本当に優しい女の子だ。
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2012年05月24日
新学期から1ヶ月
5月24日
新学期が始まってから丁度、1ヶ月が経過した。新体制移行による混乱で小さなごたごたがあったり、また新憲法制定に絡む政情不安によってしばしば学校が休校になる等、社会的にも落ち着かない1ヶ月ではあったが、なんとか最初の一ヶ月を乗り越える事ができ、安堵の胸を撫で下ろしている。(僕自身は所用で留守にしていたため、学校の事は殆ど何もしていないのだが・・・)
1ヶ月だけで全てを評価する事は出来ないが、新体制の下、何とかやっていけるのではないか、という前向きな気持ちを持つことが出来た事は大きい。先行き不透明なネパールの政情が落ち着くことを願いつつ、気を抜かずに頑張りたい。
新学期が始まってから丁度、1ヶ月が経過した。新体制移行による混乱で小さなごたごたがあったり、また新憲法制定に絡む政情不安によってしばしば学校が休校になる等、社会的にも落ち着かない1ヶ月ではあったが、なんとか最初の一ヶ月を乗り越える事ができ、安堵の胸を撫で下ろしている。(僕自身は所用で留守にしていたため、学校の事は殆ど何もしていないのだが・・・)
1ヶ月だけで全てを評価する事は出来ないが、新体制の下、何とかやっていけるのではないか、という前向きな気持ちを持つことが出来た事は大きい。先行き不透明なネパールの政情が落ち着くことを願いつつ、気を抜かずに頑張りたい。
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2012年05月23日
気づき
5月23日
先日、暫くぶりに学校を訪ねると、幼稚園クラスの園児がハトが豆鉄砲を食らったような表情で迎えてくれた。暫く――といっても数週間だが――会わない内にすっかり成長した子ども達。子ども達の笑顔こそが僕を元気づけてくれる活力源なのだと、しみじみ思う今日この頃だ。離れていると、いろんな事に気がつく。
先日、暫くぶりに学校を訪ねると、幼稚園クラスの園児がハトが豆鉄砲を食らったような表情で迎えてくれた。暫く――といっても数週間だが――会わない内にすっかり成長した子ども達。子ども達の笑顔こそが僕を元気づけてくれる活力源なのだと、しみじみ思う今日この頃だ。離れていると、いろんな事に気がつく。
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2012年05月22日
農繁期
5月22日
4月25日から始まった雨乞いの祭り「マチェンドラナート」は、いよいよ今月29日に行われる「宝飾神衣」の披露をもって終了となる。祭りの間、大小2台の山車がパタン市内を巡行するが、巡行途中に山車が倒れると国家に災いが起こるといわれている。今年は問題なく巡行しているようだが、あと1週間、無事終わることを願うばかりだ。
祭りが終わるとカトマンズ盆地は本格的な雨季が始まり、馬の背を分けるような雨が毎日、降るようになる。雨季の訪れは農繁期を意味する。農繁期には子ども達も農作業にかりだされ、そのまま学校へ来なくなるというパターンが今も多い。今年こそはなんとしても農繁期の退学者を一人も出さないようにしたい。僕たちのささやかな祈りがマチェンドラナート神に届きますように。
4月25日から始まった雨乞いの祭り「マチェンドラナート」は、いよいよ今月29日に行われる「宝飾神衣」の披露をもって終了となる。祭りの間、大小2台の山車がパタン市内を巡行するが、巡行途中に山車が倒れると国家に災いが起こるといわれている。今年は問題なく巡行しているようだが、あと1週間、無事終わることを願うばかりだ。
祭りが終わるとカトマンズ盆地は本格的な雨季が始まり、馬の背を分けるような雨が毎日、降るようになる。雨季の訪れは農繁期を意味する。農繁期には子ども達も農作業にかりだされ、そのまま学校へ来なくなるというパターンが今も多い。今年こそはなんとしても農繁期の退学者を一人も出さないようにしたい。僕たちのささやかな祈りがマチェンドラナート神に届きますように。
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2012年05月21日
ごろんごろん
5月21日
幼稚園年中クラスの整備が完了した。剥き出しのコンクリートの床から絨毯敷きになったことで、寝転がったり、飛んだり跳ねたり、子ども達が自由に遊ぶことができるようになった。何よりも教室が温かい感じになった事が嬉しい。
こうして支援者の温かいご協力をいただき、年を追うごとに教育環境が整備される事、本当にありがたく感謝の気持ちでいっぱいだ。子ども達には新しくなった教室で思う存分、ごろんごろんと遊学に励んでほしいと思う。
幼稚園年中クラスの整備が完了した。剥き出しのコンクリートの床から絨毯敷きになったことで、寝転がったり、飛んだり跳ねたり、子ども達が自由に遊ぶことができるようになった。何よりも教室が温かい感じになった事が嬉しい。
こうして支援者の温かいご協力をいただき、年を追うごとに教育環境が整備される事、本当にありがたく感謝の気持ちでいっぱいだ。子ども達には新しくなった教室で思う存分、ごろんごろんと遊学に励んでほしいと思う。
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2012年05月20日
不誠実
5月20日
久しぶりにヒマラヤ小学校を訪ねた時のこと。放課後、職員室で雑務をしていると、幼稚園年中クラスのヒマールとアシャがやってきた。2人とも空手部に属している姉の稽古が終わるのを待っているようだ。
「おう、元気だった?」と、ヒマールに尋ねると、「元気ですけど・・・・あの〜」と、なにやらモジモジ。「どうしたの?」と尋ねてもモジモジ。何の事か分からないまま時間が過ぎていったのだが、その後、ヒマールとアシャの総攻撃を受けるなどして、ようやく2人の狙いがチョコレートである事が分かった。どうも年中クラスに進級したらチョコレートをあげると約束したまま不履行の状態だったようだ。ごめんなさい。今度からは約束はきちんと守ります。
「あの〜例の件ですけど・・・・」
「え、何の事かわからない?あなた古典派ですね」
「あれですよ、あれ」
「あなたも人が悪いな〜」
「あなた、いいかげんにしなさい!あの事です!」
「そろそろ限界なんすけど〜」
と、こんなやり取りが続き、ようやくチョコレートの事を思い出したしだい。チョコレートをあげると、2人とも快く僕の不誠実を許してくれたのだった。
わかればいいのです・・・・
久しぶりにヒマラヤ小学校を訪ねた時のこと。放課後、職員室で雑務をしていると、幼稚園年中クラスのヒマールとアシャがやってきた。2人とも空手部に属している姉の稽古が終わるのを待っているようだ。
「おう、元気だった?」と、ヒマールに尋ねると、「元気ですけど・・・・あの〜」と、なにやらモジモジ。「どうしたの?」と尋ねてもモジモジ。何の事か分からないまま時間が過ぎていったのだが、その後、ヒマールとアシャの総攻撃を受けるなどして、ようやく2人の狙いがチョコレートである事が分かった。どうも年中クラスに進級したらチョコレートをあげると約束したまま不履行の状態だったようだ。ごめんなさい。今度からは約束はきちんと守ります。
「あの〜例の件ですけど・・・・」
「え、何の事かわからない?あなた古典派ですね」
「あれですよ、あれ」
「あなたも人が悪いな〜」
「あなた、いいかげんにしなさい!あの事です!」
「そろそろ限界なんすけど〜」
と、こんなやり取りが続き、ようやくチョコレートの事を思い出したしだい。チョコレートをあげると、2人とも快く僕の不誠実を許してくれたのだった。
わかればいいのです・・・・
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2012年05月19日
やはり趣か・・・・
5月19日
ヒマラヤ小学校の元校長で、現在は職業訓練の拡充に力を注いでいるヤッギャ先生から、「新しい職業訓練を始めました」との連絡があったので、早速、見せてもらう事にした。
新しい職業訓練は「毛糸を使った人形つくり」。どんな物かサンプルを見せてもらうと、毛糸で出来たキリン?と犬?と、もうひとつ正体不明の人形があった。可愛らしいといえば可愛らしいが、まだ荒削りといえば荒削り・・・・・正直、僕にはあまりよくわからないのだが、実はこれまで職業訓練で作られたフェルト人形のチャリティ販売などでは、こうした荒削りなものや、正体不明の物の方が人気が高く、毎回、それを楽しみにしてくれている人も結構多い。
蘊奥を究める、という考えが殆どないネパールでは、洗練された物作りを行う事が難しい。逆に洗練されすぎると、ネパールならではの趣が失われてしまい味気ないものになってしまうので、このあたりがネパールにおける物作りの難しいところだと思うが、まずは敬愛する「Where is Alice?」、デザイナーの春菜さんに見て貰う事にしよう。思えば春菜さんの一言にいつも勇気づけられている気がする。 ウラもオモテも楽しい「where is alice?」のブログはこちらから。まずはウラからどうぞ。
マクロで撮ってみると、なんだか愛しく思えてきた。
ヒマラヤ小学校の元校長で、現在は職業訓練の拡充に力を注いでいるヤッギャ先生から、「新しい職業訓練を始めました」との連絡があったので、早速、見せてもらう事にした。
新しい職業訓練は「毛糸を使った人形つくり」。どんな物かサンプルを見せてもらうと、毛糸で出来たキリン?と犬?と、もうひとつ正体不明の人形があった。可愛らしいといえば可愛らしいが、まだ荒削りといえば荒削り・・・・・正直、僕にはあまりよくわからないのだが、実はこれまで職業訓練で作られたフェルト人形のチャリティ販売などでは、こうした荒削りなものや、正体不明の物の方が人気が高く、毎回、それを楽しみにしてくれている人も結構多い。
蘊奥を究める、という考えが殆どないネパールでは、洗練された物作りを行う事が難しい。逆に洗練されすぎると、ネパールならではの趣が失われてしまい味気ないものになってしまうので、このあたりがネパールにおける物作りの難しいところだと思うが、まずは敬愛する「Where is Alice?」、デザイナーの春菜さんに見て貰う事にしよう。思えば春菜さんの一言にいつも勇気づけられている気がする。 ウラもオモテも楽しい「where is alice?」のブログはこちらから。まずはウラからどうぞ。
マクロで撮ってみると、なんだか愛しく思えてきた。
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2012年05月18日
守・破・離の実践
5月18日
ヒマラヤ小学校の教育が充実してきたのは、専門家を含む外国人ボランティアとの交流と、そこで学んだ知識と技術を活かそうとする先生達の努力の賜物だと思う。先生達が懸命に自己陶冶を目指す姿を見ていると、少し大げさかもしれないが「守破離」の思想を実践しているように思えることがある。
「守破離」というのは修行の段階をあらわす教えで、指導者から何かを学び始めてから、ひとり立ちしていくまで、守・破・離という順に段階を進んでいくというもの。知識の伝承、教育の原点でもある。
先日、ギャニ先生がエロイセさんから教わった単語探しゲーム(5月12日)を授業の中で応用している姿を見かけた。幼稚園児用に文字を絵にしたり、少し走らせてみたりと、ギャニ先生なりのさまざまな創意工夫が見られた。すでに「守破離」の「破」の域に達しているようだ。
すべては真似から始まり、そこに創意工夫を取り込むことで、自分なりの形というものができてくる。数年前に比べ遥かに頼もしくなった先生達。これからも守・破・離の段階を着実に歩むことで、大いに自己陶冶を果たしてほしい。
「単語さがしゲーム」ホワイトボードに向かってダッシュ!
喜びの3点倒立をする勝者と、膝を折って悔しがる敗者
ヒマラヤ小学校の教育が充実してきたのは、専門家を含む外国人ボランティアとの交流と、そこで学んだ知識と技術を活かそうとする先生達の努力の賜物だと思う。先生達が懸命に自己陶冶を目指す姿を見ていると、少し大げさかもしれないが「守破離」の思想を実践しているように思えることがある。
「守破離」というのは修行の段階をあらわす教えで、指導者から何かを学び始めてから、ひとり立ちしていくまで、守・破・離という順に段階を進んでいくというもの。知識の伝承、教育の原点でもある。
先日、ギャニ先生がエロイセさんから教わった単語探しゲーム(5月12日)を授業の中で応用している姿を見かけた。幼稚園児用に文字を絵にしたり、少し走らせてみたりと、ギャニ先生なりのさまざまな創意工夫が見られた。すでに「守破離」の「破」の域に達しているようだ。
すべては真似から始まり、そこに創意工夫を取り込むことで、自分なりの形というものができてくる。数年前に比べ遥かに頼もしくなった先生達。これからも守・破・離の段階を着実に歩むことで、大いに自己陶冶を果たしてほしい。
「単語さがしゲーム」ホワイトボードに向かってダッシュ!
喜びの3点倒立をする勝者と、膝を折って悔しがる敗者
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2012年05月17日
スポンサーシップの在り方
5月17日
子ども達が楽しみにしているイベントのひとつが支援者の訪問だ。支援者を迎える時は、子ども達が心をおどらせ、早鐘をつくように胸が高鳴っている様子が良くわかる。どんな人だろう?という小さな不安と、早く歌や踊りを披露したい、褒めて貰いたい、という期待が入り混じった気持ちなのだろう。
昨日のブログで、
スポンサーシップの在り方について現実的なものから理想的なものまでゴールはいろいろあるが、 ”お互いの顔が見える”という基本を忘れることなく、そのための努力をきちんと続けていれば、理想に拘る必要はないのかもしれない。子ども達の笑顔を見ていると、そんなことをふと思った。
子ども達が楽しみにしているイベントのひとつが支援者の訪問だ。支援者を迎える時は、子ども達が心をおどらせ、早鐘をつくように胸が高鳴っている様子が良くわかる。どんな人だろう?という小さな不安と、早く歌や踊りを披露したい、褒めて貰いたい、という期待が入り混じった気持ちなのだろう。
昨日のブログで、
手紙をもらえない子に対して一定の配慮が必要との考えから、支援者から手紙を頂いた時は、出来るだけ同じクラスの全員の前で手紙を読み聞かせるなどして、特定の児童の支援者というよりも”みんなのOOさん”となるようにしていると書いたが、その結果として、スポンサーシップの支援者が訪問した時には、子ども達全員で盛り上がることが出来る、という良い側面もある。下の写真は先月末に支援者を迎えた時のもの。写真に写っている児童の支援者が来たわけではないのだが、みんなこの喜びよう。みんなのOOさんを大歓迎した。
スポンサーシップの在り方について現実的なものから理想的なものまでゴールはいろいろあるが、 ”お互いの顔が見える”という基本を忘れることなく、そのための努力をきちんと続けていれば、理想に拘る必要はないのかもしれない。子ども達の笑顔を見ていると、そんなことをふと思った。
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2012年05月16日
交流の活発化を目指して
ヒマラヤ小学校のスポンサーシップ・プログラムは基本的に支援者一人が児童一人を支える形をとり、児童と支援者の間で手紙のやり取りなどの交流が行われている。
交流活動については、原則として支援者と児童の自主性に委ねているため、頻繁に手紙を貰う子がいる反面、一度も手紙をもらえないまま卒業する子もいて、どうしても交流活動の活発さの度合いには差が出てしまう。
自主性に委ねているとはいえ、手紙をもらえない子に対して一定の配慮が必要との考えから、支援者から手紙を頂いた時は、出来るだけ同じクラスの全員の前で手紙を読み聞かせるなどして、特定の児童の支援者というよりも”みんなのOOさん”となるようにしている。1対1の交流が深まることがベストである事は間違いないが、中には「影から応援したい」という方もいるので、なかなか難しいところだ。
今年度はこれまでの反省点も踏まえ、もっと支援者と奨学生の間で交流が活発に行われるよう、さまざまな新しい試みを実行する予定だ。英文手紙もそのひとつで、既にジェニーさんにお願いして、英文手紙の書き方を指導して貰っている。少したどたどしいかもしれないが、ネパール語を日本語に訳した手紙よりも英文手紙の方が奨学生の気持ちがストレートに伝わるのではないかと思う。もっと簡単に、もっと楽しい交流の実現を目指してがんばりたい。
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2012年05月15日
教科書の統一
5月15日
今年度から教科書を刷新し、ヒマラヤ小学校が加盟しているアプスベン(ネパール私立学校教育向上協力会)指定の教科書を使う事になった。アプスベンでは子ども達の学力の向上を目的に、加盟校内で教科書を統一させ、教員の相互交流や試験問題の統一化を図っている。
実はヒマラヤ小学校でも数年前にアプスベンと全面的に歩調を合わせる動きがあり、一度、アプスベンが作成した試験問題を使って試験を実施したこともあったのだが、その時は一部の先生から反対意見が出され、結局、一度きりで断念する事になった。他校と試験問題を統一化すれば子ども達の実力が露呈され、ひいては先生たちの実力(指導力)不足を指摘される事を一部の先生達が恐れたようだ。当時、先生たちは研修すらまともに受けていなかったのだから、指導力に自信がないのも無理はない。今、振り返ると、教員育成を疎かにしながら学力の向上を目指そうとした事には相当、無理があったように思うし、僕自身、今以上にその辺りが見えていなかったのだと思う。
今回、先生たちが試験問題の統一化に賛成してくれた事はとても嬉しかった。ここ数年、教員研修に力を入れた事で、先生たちが自信を持ち始めた現われなのかもしれない。何事もやって無駄はないのだとつくづく思う。
ただ成績というのは能力の評価であって人格の評価ではない。能力が評価されてはじめて子どもも先生たちも自らの適正を知ることが出来るのだから、ぜひとも結果を恐れず挑戦してほしいと思う。挑戦を続けていれば、いつかいい結果も得られるはずだ。
今年度から教科書を刷新し、ヒマラヤ小学校が加盟しているアプスベン(ネパール私立学校教育向上協力会)指定の教科書を使う事になった。アプスベンでは子ども達の学力の向上を目的に、加盟校内で教科書を統一させ、教員の相互交流や試験問題の統一化を図っている。
実はヒマラヤ小学校でも数年前にアプスベンと全面的に歩調を合わせる動きがあり、一度、アプスベンが作成した試験問題を使って試験を実施したこともあったのだが、その時は一部の先生から反対意見が出され、結局、一度きりで断念する事になった。他校と試験問題を統一化すれば子ども達の実力が露呈され、ひいては先生たちの実力(指導力)不足を指摘される事を一部の先生達が恐れたようだ。当時、先生たちは研修すらまともに受けていなかったのだから、指導力に自信がないのも無理はない。今、振り返ると、教員育成を疎かにしながら学力の向上を目指そうとした事には相当、無理があったように思うし、僕自身、今以上にその辺りが見えていなかったのだと思う。
今回、先生たちが試験問題の統一化に賛成してくれた事はとても嬉しかった。ここ数年、教員研修に力を入れた事で、先生たちが自信を持ち始めた現われなのかもしれない。何事もやって無駄はないのだとつくづく思う。
ただ成績というのは能力の評価であって人格の評価ではない。能力が評価されてはじめて子どもも先生たちも自らの適正を知ることが出来るのだから、ぜひとも結果を恐れず挑戦してほしいと思う。挑戦を続けていれば、いつかいい結果も得られるはずだ。
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2012年05月14日
自由奔放
5月14日
山の上の村から入学した子ども達は野性味豊かな自然児たちばかりだ。木登りが上手で、どこに木の実があり、どれが食べられるものか全て知っている。虫を捕まえるのも滅法上手い。休み時間にもなれば飛んだり、跳ねたり、とにかく体をよく動かし、じっとしている事は殆どない。
自然の中で育ったからだろう、僕たちよりも遥かに生きていく知恵や逞しさを身につけている子ども達。彼らの自由奔放な姿を見ていると、教育が果たす役割はいったい何なのか、見失ってしまいそうになる。
どこでも寝られる自然児のたくましさ
山の上の村から入学した子ども達は野性味豊かな自然児たちばかりだ。木登りが上手で、どこに木の実があり、どれが食べられるものか全て知っている。虫を捕まえるのも滅法上手い。休み時間にもなれば飛んだり、跳ねたり、とにかく体をよく動かし、じっとしている事は殆どない。
自然の中で育ったからだろう、僕たちよりも遥かに生きていく知恵や逞しさを身につけている子ども達。彼らの自由奔放な姿を見ていると、教育が果たす役割はいったい何なのか、見失ってしまいそうになる。
どこでも寝られる自然児のたくましさ
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2012年05月13日
あれから14年
5月13日
今年もカトマンズ盆地の各地でジャカランダが美しい紫色の花を咲かせ始めた。毎年、5月になり街にジャガランダが咲き始めると大きな感慨を覚えるのは、ネパールで暮らし始めた時、ちょうど今と同じようにジャガランダの花が咲いていたからだ。僕がネパールへ渡り、ちょうど14年が過ぎた。
あれから14年。街は目まぐるしく姿を変え、人々の価値観も社会も大きく変わった。歴史の中にすっぽり包まれるような大事件が起こる度に、人々は翻弄され、小船が風波に揺れる様に希望と失望を繰り返す、そんな激動の14年だったように思う。
ネパールは今、歴史の大きな転換点に立っている。社会のすべてが複雑化する中で、これまでのような「カミサマ イルカラ ダイジョウブ」では、通用しなくなって来るだろう。急ぎ始めた社会を見るにつけ、ネパールの未来に小さな不安を覚える今日この頃だ。
今年もカトマンズ盆地の各地でジャカランダが美しい紫色の花を咲かせ始めた。毎年、5月になり街にジャガランダが咲き始めると大きな感慨を覚えるのは、ネパールで暮らし始めた時、ちょうど今と同じようにジャガランダの花が咲いていたからだ。僕がネパールへ渡り、ちょうど14年が過ぎた。
あれから14年。街は目まぐるしく姿を変え、人々の価値観も社会も大きく変わった。歴史の中にすっぽり包まれるような大事件が起こる度に、人々は翻弄され、小船が風波に揺れる様に希望と失望を繰り返す、そんな激動の14年だったように思う。
ネパールは今、歴史の大きな転換点に立っている。社会のすべてが複雑化する中で、これまでのような「カミサマ イルカラ ダイジョウブ」では、通用しなくなって来るだろう。急ぎ始めた社会を見るにつけ、ネパールの未来に小さな不安を覚える今日この頃だ。
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2012年05月12日
男子よ、奮い立てい!
5月12日
ヒマラヤ小学校は開校以来、女子教育に力を注いでいる。僕自身、ネパールで教育支援活動を始めたのも、伝統的なカースト制度で女子が教育を受けることができず、生きるために必要な基本知識を身につけないまま母親になるため、多くの子ども達が感染症で苦しんでいる現状を目の当たりにした事が切欠だった。ネパール社会の中で殆ど眠ったままの状態にある女子の能力をフルに生かす事ができれば、国はきっと発展できるのではないだろうか。そのためにも女子教育の充実を図る必要があるのだと思う。
そんな訳でヒマラヤ小学校では女子教育に力を注いでいるのだが、いつの間にか児童数の割合でも女子の数が男子をかなり上回るようになり、実は今年度、1年生のクラスには男子が一人しかおらず、幼稚園年長クラスに至っては男子ゼロという状況だ。
女子教育に力を注いでいる上に、数でも男子を圧倒しているせいか、ヒマラヤ小学校では何事も女子が強く、元気がいい。先日、外国人ボランティアのエロイセさんの授業(3年生)で、チームを男女に分け、黒板にランダムに書かれた英単語を読み上げ、それを早くタッチした方が勝ち、という「単語探しゲーム」を行ったのだが、何度やっても女子が圧勝。男子は女子に不正があった、と負け犬の遠吠えを繰り返すばかり・・・・・・このままではいかん。男子よ!奮い立て。ますらおのことなれ!!
よーい
ほれ! 女子の勝利
ほれ! 女子の勝利
相手にならないわ
つ、つぎは見とれぃ
ヒマラヤ小学校は開校以来、女子教育に力を注いでいる。僕自身、ネパールで教育支援活動を始めたのも、伝統的なカースト制度で女子が教育を受けることができず、生きるために必要な基本知識を身につけないまま母親になるため、多くの子ども達が感染症で苦しんでいる現状を目の当たりにした事が切欠だった。ネパール社会の中で殆ど眠ったままの状態にある女子の能力をフルに生かす事ができれば、国はきっと発展できるのではないだろうか。そのためにも女子教育の充実を図る必要があるのだと思う。
そんな訳でヒマラヤ小学校では女子教育に力を注いでいるのだが、いつの間にか児童数の割合でも女子の数が男子をかなり上回るようになり、実は今年度、1年生のクラスには男子が一人しかおらず、幼稚園年長クラスに至っては男子ゼロという状況だ。
女子教育に力を注いでいる上に、数でも男子を圧倒しているせいか、ヒマラヤ小学校では何事も女子が強く、元気がいい。先日、外国人ボランティアのエロイセさんの授業(3年生)で、チームを男女に分け、黒板にランダムに書かれた英単語を読み上げ、それを早くタッチした方が勝ち、という「単語探しゲーム」を行ったのだが、何度やっても女子が圧勝。男子は女子に不正があった、と負け犬の遠吠えを繰り返すばかり・・・・・・このままではいかん。男子よ!奮い立て。ますらおのことなれ!!
よーい
ほれ! 女子の勝利
ほれ! 女子の勝利
相手にならないわ
つ、つぎは見とれぃ
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