2011年09月

2011年09月30日

困難を乗り切る

9月29日

メヌカ様今年も無事、ダサイン祭りを迎える事が出来た。まずは支援者の皆さんに心から感謝申し上げたい。ダサインは教職員へのボーナス以外にも学校で購入した学用品などの支払を全て済ませる必要があるため1年で最も支出が多い時期だ。毎年、このダサインを乗り切れるかどうかが運営面での正念場でもある。それだけに今は安堵の胸を撫で下ろしている。

今年は例年にも増して運営状況が厳しく、ダサインを乗り越えられるかどうか直前まで微妙だった。今年のダサインを乗り越えられたのは正直、超円高という幸運?に恵まれたからに他ならない。もし現在のような超円高でなかったら恐らくどんなに足掻いてもダサインを乗り越える事は出来なかったと思う。インフレによる物価高騰の影響を受け、数年前から綱渡りのような運営状況が続いているが、一日も早く状況の改善を図り安定運営を実現しなければ、自立を目指して取り組んでいる職業訓練なども頓挫してしまう可能性がある。

暗い話題になってしまったが、いざ学校の中に目を向けてみると明るい話題はかなり多い。先日のクラフトコンテスト優勝もそうだが、最近、子ども達が確実に実力をつけ前へ進んでいる事を実感できるようになった。どんな事にも物怖じしない、精神的な逞しさが子ども達に備わってきた感じだ。先日、1年半ぶりに来校されたメラニーさんは学校環境が多くの点で改善されている事を驚かれ、また、子ども達が以前よりも英語を上手に話せるようになっていると、喜ばれていた。この1年半、学校改善を目標に進めてきたさまざまな取り組みは、少しずつだが芽を出し始めているのかもしれない。

しばらく困難は続くと思うが、明日を信じて明るく生きれば、何時の日か必ず曙光が見えてくるはずだ。諦めずに頑張りたい!


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2011年09月28日

ガタスタパナ

9月28日 

サビナ今日はビクラム暦の第6月「アシュワン月」の白半月の第一日目、ダサイン祭りの初日にあたる「ガタスタパナ」の日だ。ダサインはネパール最大の祭りで15日間に渡って様々な行事が行われ、満月の日に終わりを迎える。ガタスタパナは家の聖所に苗床を設け大麦の種を撒く日で、その後、発芽した大麦はドゥルガプジャの4日目に献花として用いる。

ヒマラヤ小学校も今日のガタスタパナからダサイン休暇に入った。殆どの子ども達はダサイン祭りの間、故郷のママ(母方の叔父)を訪ねるようだ。それぞれ今年のダサインをどのように過ごすのだろうか。ダサインに買ってもらう新しい服を着て、凧揚げをしたり、竹でこしらえた大きなブランコで楽しく遊ぶ姿が目に浮かぶ。どうか穏やかで楽しいダサインであって欲しい。



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2011年09月22日

新しい制服

ファッションショーヒマラヤ小学校に新しい制服が追加された男子は白いシャツに緑のズボン。女子は白いシャツに緑色のワンピース。皆、なかなかお似合いだ。子ども達も新しい制服を喜び、着用が始まった日にはファッションショーまでやったくらいだ。これから新しい制服は、水、木、土曜日の3日間、古い制服は日、月、火曜日に着用することになった。

今回、新しい制服の導入に踏み切ったのは3つの理由がある。1つ目は制服を2種類にすることで衛生状態の徹底を図るため。2種類になった事で一方を着ている間に、もう一方を洗濯することが出来る。これによって子ども達は毎日、綺麗な制服を着て登校する事になる。これまで子ども達には2着ずつ制服を持たせ、必ず1週間に一度、洗濯するように指導してきたが、なかなか徹底できなかった。結果として一部の村の人達から、学校へ行っているのに汚いという批判を受けた事も何度かあった。一度でもそういう声が上がると、村では止め処なく広がって行くため、せっかく手洗いなど衛生教育に力を入れても、子ども達や保護者の間で衛生に対する意識が低下してしまう。今回は洗濯を義務づけ、洗濯していない制服での登校を認めない事にするなど徹底を計ることにした。

2つ目は生地価格の高騰に対応するため。これまでの制服はデザイン自体は良かったのだが、生地自体が手に入りにくく高価である事が難点だった。今回の制服で使った生地は近場でも手に入れることが出来、古い制服に比べて安価だ。また女子の制服をワンピースにした事でベルトを着用する必要がなくなった事も、小さいながら経費を抑えることに繋がっている。

制服新旧3つ目は、ヒマラヤ小学校が新しく生まれ変わろうとしている姿を社会にアピールするため。ヒマラヤ小学校は自立運営を目指すあたり、将来、有償化へ移行する事を視野に入れている。保護者から授業料を徴収するからには、授業料を支払ってでも子どもを通わせたい、と思われる様な学校にならなければならない。そのためには教育の質の向上を図るだけでなく、学校が変わろうとする意気込みを村の人々に感じてもらう事も大事だ。

昨年5月のメラニー先生を皮切りに、これまで10名以上の外国人教員による教員指導が行われ質の向上に取り組んでいるほか、学習発表会の開催、また教室に壁画を描いたのも学校の変化を示す目的が含まれている。

今回の制服は将来の有償化に向けた取り組みのひとつとして、僅かばかりだが児童から制服代を徴収した。自立意識を高揚させるきっかけになるのではないかと期待している。



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2011年09月20日

積極的な女子

9月20日

女子ヒマラヤ小学校はご存知の通り、開校以来、女子教育に力を注いでいる。僕自身、ネパールで教育支援活動を始めたのも、女子教育の遅れによって、生きていくために必要な基本的知識を身につけないまま母親となり、その結果、大勢の子ども達が感染症に罹り死んでいく現状を目の当たりにしたことが切欠だった。女性が基本的知識を身につけ子ども達に伝えることさえできれば、もっと多くの命が救われる、その思いは今も変わらず抱いているし、女性が自立して生きられるようになる事が、将来のネパール社会にとって大きな力になると信じている。

先日、ヒマラヤ小学校を訪問中の支援者の方から「女の子達の元気がいいね」と言われた。なるほど男子に比べ確かに女子の方が何事にも積極的だ。男子よりも女子児童の数が多いというネパールではかなり珍しい環境である事も影響しているかもしれないが、これだけ女子が積極的になれたのは先生達の努力の成果ではないだろうか。

女子教育に力を注ぐにあたり、これまでさまざまな批判を浴びた事があった。伝統的なカースト制度の中で女子の地位が低いネパールだから、既存の社会秩序を乱す活動が批判を浴びるのは当然の事かもしれないが、ある時など人身売買を企てているというような噂話まで出された事もあった程だ。批判も沢山浴びたが、こうして今も変わらず女子教育に力を注ぐことが出来ているのは、やはり周りの応援してくれる人達に恵まれたからだと思う。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

女子数年前から、これまで支援をした女子(ヒマラヤ小学校開校前に「里親教育基金」を通して支援をしていた女子)の中から、自立して社会で活躍する子がポツリポツリと出て来てくるようになった。彼女達の成長に、僕自身どれだけ励まされたかとても万言には尽くせない。まだ数こそ少ないものの、いつかその実は大樹となって大地に強い根を張り、四方八方に立派な枝を伸ばしてくれるに違いない。

女性の自立は、何と言っても精神的な面からなされる必要があるだろう。柔軟な思考で旧態依然とした概念から一歩はなれ、精神的な自立を図ることが欠かせない。一人の人間として自分の足で立ち、そして歩く力を確実に身につけさせること、これが僕達の必死の願いだ。





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2011年09月18日

お互いの顔が見える

9月18日

顔が見える支援活動を行う上で最も大切な事は、“お互いの顔が見える”事だと考えている。活動の年数を重ねるつれ、その思いは強くなり、最近では確信を持つようになった。“お互いの顔が見える”というのは、支援を受ける側は、“誰が、どのような気持ちで支援をしているのか”、を実感でき、支援する側は、“支援が誰のために、どのように生かされているか”、を実感できる事ではないだろうか。顔が見えるというのは、つまりお互いに相手の気持ちを理解する(出来る)ことでもある。その環境を作るのは、間に立つ僕達の大切な役割だ。

支援というのは、ともすればお金と物だけの関係に陥りやすい。その結果、受ける側の人達が支援への依存心を高めてしまい、自立とは全く逆の方向へ進んでしまうことがある。残念ながらネパールだけ見ても、支援漬けになったケースを目にすることが沢山ある。ある時、そうした実態に気づき、「今日から自立せよ」と言っても出来るはずもなく、逆に支援を受ける側から非難される、という結果になりかねない。

お互いの顔が見えるようになるには、もちろん一筋縄ではいかず、小さな努力をコツコツと積み重ねて行くこと以外に道はないだろう。例えば、数年前から日本国内で開催しているヒマラヤ小学校絵画展もお互いの顔が見えるようになるための大切な活動の一つだ。絵を通して支援者の皆さんに頑張りを知って貰い、褒めてもらう事で、子ども達と支援者の距離が僅かながらも確実に縮まっていく事を実感している。こうした活動を積み重ねて行くことで、いつかお互いの顔は鮮明に見えるようになるのではないだろうか。その上で支援者の皆さんとの実際の交流が実現すれば、お互いの顔と気持ちはより一層、鮮明に見えるはずだ。

今日から、長年に渡りヒマラヤ小学校を応援してくださっている支援者の方がヒマラヤを訪問される。3日間、交流を通して子ども達や学校の様子を見ていただく予定だ。顔を見て、話をして、一緒に遊んで、様々な時間を共有することで、お互いの顔はどれくらい鮮明に見えるようになるだろうか、この目でしっかり見届けたい。


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2011年09月17日

コップから覗いた世界

9月17日

「おぉ〜みんなの顔が横に広がって見えるよ〜」
水の入った透明のコップから見た不思議の世界に、3年生のプスパが歓声を上げた。

プシュパ今日はヒマラヤ小学校が加盟するアプスベン(ネパール私立学校教育向上協会)主催の「絵画・クラフトコンテスト」が行われ、クラフト部門に出場した5年生のミン・バードル(ラジュ)が優勝するという嬉しい出来事があった。ミンバードルは以前、学校行事で出かけたクラフトの展示会で見た、色紙で作った石楠花の花に心打たれ、それ以来、試行錯誤を繰り返しながらオリジナルの石楠花を完成させたそうだ。今年に入ってからちょくちょく石楠花の花を作っては先生達にプレゼントしていたが、だんだん上手になっていくのが周りから見ても良く分かった。今回は満を持してのクラフトコンテスト出場。周囲の期待にしっかり応え、優勝という快挙を成し遂げたミンバードルを心から祝いたい。

そんなわけで、見事、優勝を果たしたご褒美に、コンテストに参加した児童らを連れ、会場近くのレストラン?(ファーストフード)へ出かけることになった。コンテストに頻繁に参加するようになった2007年頃から、コンテスト入賞した際は、皆でレストランへ出かけ、勝利のヤキソバを食べる事がいつの間にか出来た習慣、いや伝統となっている。

普段の生活の中で子ども達がレストランで食事をすることはまずないため、こうした機会に子ども達に社会体験をさせる事はとても大事な事だと思う。今日、連れて行った5人の児童も皆、初めてのレストラン体験だった。子ども達にとっては見るもの全てが驚きだったようで、止め処なく浴びせられる質問に引率する僕達も死苦八苦した。

さて、冒頭のプスパの言葉だが、子ども達は普段、コップに水を入れて飲む習慣がない。水を飲む時は水瓶を高く掲げ、口をつけずに落ちてくる水を飲むのが一般的だ。もし家にコップがあるとすれば、チヤ(紅茶)を飲む時に使う耐熱性の小さなコップくらいだろう。だから透明のコップに注がれた水は子ども達には珍しかったようで、更には、コップの水を通して映る友達の顔が太く横に広がる不思議の世界は子ども達にとって強烈な驚きだったのだろう。料理が運ばれてきても目からコップを外さないくらいだから、興奮の様子はお分かりいただけるのではないだろうか。いつか「光の屈折」について習った時、今日の事を思い出してくれたら嬉しいが。。。。。







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2011年09月16日

麦のように

9月16日

クイズコンテスト訓練今週の火曜日、ブンガマティと周辺の村々にある8つの学校の教職員組合主催による「学校対抗クイズ大会」が開かれたヒマラヤ小学校は2009年の初出場から3大会連続出場となる。学校対抗ということで毎年、大きな盛り上がりを見せるクイズ大会だが、今回はなんとヒマラヤ小学校が会場となった。初めてのホームでの大会とあって応援する僕達も自然と力が入ったのは言うまでもない。

クイズ大会は予選、決勝ともに4校ずつで争い、各チーム順番に「優先回答権」が与えられる。持ち時間は1分。間違えるか、時間内に答えられないと次のチームに回答権が渡る。優先回答権のある時に正解を出すと30点、優先回答権がない時は半分の15点が与えられる仕組みとなっていて、問題は全て小学校1〜5年の各教科の教科書から出題される。

このクイズ大会、初出場の2009年は、当時5年生の天才・スニール(2期卒業生)が珍答を繰り返して玉砕全問不正解でビリに終わった。昨年の大会ではサニラ、インドラ(ともに3期卒業生)とサムジャナ(当時4年生)が出場し、結果的には4位に終わったものの、予選を断トツの1位で通過決勝でも強豪校と互角に競り合うなど、前年ビリだったヒマラヤ小学校の快進撃に周囲は驚き、“ヒマラヤ小学校ここにあり”を見せ付けた素晴らしい結果となった。ということで、今年は実力の真価が問われる大会だったのだが、さてさて。

今年の大会に出場したのは5年生のビマラ、ミンバードル(ラジュ)と4年生のラジャンの3人。皆、それぞれクラスで常に成績上位にいる優秀な児童だが、今回はビマラがダンス大会に向けた練習で忙しく、十分な準備が出来ないままの出場となった。クイズ大会は人前で発言する力や瞬間的な閃きが大事だ。それなりに訓練しなくては結果を出すことが難しい。(だからこそ勝つ可能性も十分にあるのだが。)既にHPでも紹介しているので結果をご存知の方もいると思うが、善戦こそしたものの残念ながら今大会は予選敗退という不本意な結果で終わってしまった。

しかし、このままで終わらないのが、ここ数年の子ども達だ。翌日、よほど今回の結果が悔しかったのか、4年生の元気な女子達が「クイズの特訓をして欲しい」と言い出し、来年の大会に向け、毎日15分ずつチームを4つに分けた実践方式の訓練をすることになった。子ども達の目は既に来年を見据えているのだろう。

麦のように踏まれても、踏まれても強くなっていく子ども達を本当に逞しく思う。来年の大会では、きっと今年の雪辱を果たし、満面の笑みを浮かべながら優勝盾を掲げていることだろう。がんばれ、子ども達!!




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2011年09月15日

蓮の傘と秋の足音

9月15日

傘雨季も後半に入り長雨が続いている。ネパールでは毎年、5月中旬頃から雨季が始まり、スコール様の雨が5分くらいザーッと降るだけの前半から、時間が経つに連れ少しずつ降雨時間が長くなり、後半には半日以上、雨が降り続く事もある。特にダサイン大祭前の今頃が一番、降雨時間が長く、苦しめられる事もしばしばだ。ある時などバケツをひっくり返したような強い雨に何度も打たれ、雨具を着けていたにもかかわらず一日に4回も着替える羽目に合った。

カトマンズ周辺の人々は雨が降ると、軒下や歩道橋の下などで雨宿りをして雨が止むのを辛抱強く待つのが一般的だ。雨の中を歩いたり、バイクで走ったりする人は極めて少ない。元々、慌てない国民性だから、“止むまで待つ”というやり方が一番、生に合っているのかもしれない。

先日、学校の用事を済ませて家に帰ろうとすると、突然、雨が降り出した。この日は生憎、雨具を持参していなかったので、ネパール人に習い、雨が止むまで職員室前のベンチに座って待つことにした。学校の周りを見渡すと、田んぼの稲も少しずつ首を垂れ始めている事に気がついた。後、1ヶ月もすれば棚田は黄金色に染まり、金風に揺れはじめるだろう。今年はぜひとも豊作であって欲しい。

雨が止むのを待ちながら、ぼけーっと空を眺めていると、学校の近所に住む3年生の女子児童がやって来て、「傘の代わりに使って」と、蓮の葉をプレゼントしてくれた。困っている僕を見て近所の池から取って来てくれたそうだ。残念ながら僕の大きな体にはちょっと合わなかったため「蓮の傘」は使えなかったが、子どもの優しさで、冷えた体はすっかり温まった。

子ども達は何故こんなに優しいのだろう、そんな事を考えていると、いつの間にか雨が止み、大きな太陽が姿を現した。西日を浴びた棚田は無数の光を放って美しく輝いていた。遠くの空にはうっすらと羊雲が広がっている。ダサイン大祭と共に秋は足音を立てて近づいているようだ。



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2011年09月14日

鼻ちょうちん


チョウチン撮ってしまった、というべきか、いや、撮れてしまった、というべきだろうか、、、、、。

先日、何時ものように授業が始まる前の教室で、子ども達の様子を写真に収めていた時の事。幼稚園年長クラスの女児二人が仲良くじゃれ合っていたのでカメラを向けると、一人がこちらを向いて何やらポーズをしてきた。何をしても笑えるのがこの頃の子ども達。隣の女の子のポーズを見てもう一人の女の子が大笑い。その瞬間、鼻から立派な鼻チョウチンが出現したのだ。慌ててシャッターを切り、後でカメラを確認してみると、しっかり立派な鼻チョウチンが映っていた。(写真をクリックすると拡大できます。)

一般的には子ども達が鼻水を垂らしているのは、栄養不足が原因の一つだといわれている。確かに栄養改善プログラムの頻度を上げてから鼻水を垂らす子の数は以前に比べて減ってはいるが、依然として夏場でも鼻水を垂らす子は多い。たかが鼻水だが、栄養不足が関係するとなると、放っておくことは出来ない。

今週は子ども達が楽しみにしている栄養改善プログラムが予定されている。今回も「無くなるまでお代わり自由」にして、子ども達が“お腹いっぱいになる”こと目標にしているが、そろそろ一歩飛び出して本格的に栄養を考えてもいいのかもしれない。

ただし量を減らせば子ども達からの反発は必至だろう。育ち盛りのヤンチャ小僧達が許すはずない。やはり鼻水が出てもお腹いっぱいになる方がいいか。。。。。今週もお腹いっぱい食べた子ども達の幸せな笑顔を見るのが楽しみだ。


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2011年09月13日

ビマラの気持ち

9月13日

ビマラ先日、一時帰国を終え久しぶりに学校を訪ねた時の事。子ども達に夏休み中の出来事について尋ねていると、5年生のビマラが「この前ね、お母さんが病気して入院したけど、家にはお金がないから一日で退院してきたよ」と言ってきた。ビマラは普段と変わらない無邪気な笑顔を浮かべながら話していたが、「お金が無いから1日で退院したよ」という一言が重かった。ビマラの母親は元々、体が弱く、寝込む事が多い。どんな病気に罹ったのかは分からないが、入院するほどだから、きっと大変だったのだろう。

放課後、学校に残っている子ども達を連れ、時々、村の東屋でジュースを飲む事がある。人数が多いときは1,5リットルのジュースを皆で分けたり、人数が少ない時にはパックに入ったマンゴージュースを飲んだりするのだが、ジュースを飲みながら学校の事や家庭の事、将来の事について子ども達と話す時間は、子ども達の心の中を知る貴重な時間だ。

この日はダンスの練習のため学校に残っていた5年生のシーマと妹のビマラ、4年生のソヴァを連れて、お馴染みの東屋でジュースを飲むことになり、東屋で買ったマンゴージュースを手渡すと、ビマラがジュースを頬づりしながら「お医者さんがね、『果物を食べなさい』って言っていたから、お母さんにこのマンゴージュースをプレゼントするの」と言ってきた。本当は自分だってジュースを飲みたいはずなのに・・・・・・

ビマラの無邪気な笑顔の奥は母親を想う気持ちで埋め尽くされているのだろう。ビマラの優しさが僕の胸を強く打った。


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2011年09月12日

スポンサーシップ値上げ・・・・・・

新入生ネパールはインフレ率が10%を超え、物価高騰が止まらない。出稼ぎ労働者による外国送金が銀行の金余りを生み、余ったお金が土地の投機を加速させる、所謂、土地バブルの状態が続いている。カトマンズには次々に巨大なビルが建てられ、雨後の筍のようにショッピングモールが出来ているのも狂気的なバブル経済の象徴だろう。

先日、昨年読んだ「インドの衝撃」(NHKスペシャル取材班編著、文春文庫)という本を読み返えしてみたが、狂気的な経済によって富の拡大を生活の向上と誤認し、生活そのものを失いつつある現状はインドもネパールも同じではないだろうか。ネパールはこの先、一体どういう方向へ向かうのだろうか、、、、バブルの崩壊か、国民の不満の爆発か、いずれにしても厳しい現実が待ち受けている様な気がしてならない。

インフレによる物価高騰がヒマラヤ小学校の運営を直撃し、大きな重荷としてのしかかっている事はブログでも書いたとおりで、物価は軒並み3〜4倍に高騰し、教科書やノートをはじめとする学用品も例外なく値上がりしている。物価の高騰に伴い、昨年、先生達の賃金を上げた事も学校運営に追い打ちをかけた格好だが、既に更なる賃上げをしなくては、先生達も生活できないくらいの状況になっている。

国内の工場などでは賃金の値上げを求める労働者と経営者の対立が深まり、さまざまな問題が生じているようだ。教員組合も既に賃上げの要求を行い、政府が特別委員会を設置して対応しているが、委員会では既に賃上げを認め、それに伴い授業料を42%上げる事を示唆したようだ。

[世] ネパールの消費者物価指数の推移(1980〜2011年)


ヒマラヤ小学校もこうした現状を無視する事は出来ず、土曜日に緊急の学校運営委員会を開いた。このままでは学校の存続が危ぶまれる状況に陥っている事は全員が認識を共有しているが、今の厳しい現状をどう乗り切るかという問題に対しては、これまでのところ適切な案が出ないままだ。現在、多くの方の協力を受け、日本国内で実施している職業訓練所の製品のチャリティ販売も未だ職業訓練所を動かすことで手いっぱいの状況で、残念ながら学校運営を支えるだけの力を持っていない。もちろん出来るだけ早い時期に学校の収入源として成り立つよう頑張りたいところだが、ようやく方向性が見え始めたばかりで、まだ時間が掛かりそうだ。

昨年、一部の運営委員からスポンサーシップの支援金の値上げの声が上がった時は、なんとか踏ん張って自力で頑張ろうという声の方がまだ多かったのだが、今回は流石にスポンサーシップの値上げをすべきだ、という声の方が圧倒的に多く、悔しくて、歯がゆくて、自分の非力が情けないばかりだが、、、、、、スポンサーシップの値上げをする事に決まった。こんな時だからこそ、自力に拘って頑張りたいという思いは今も強いが、理想ばかりを語っていられない、待ったなしの状況にある事は間違いない。

ただし、スポンサーシップの値上げを検討するにあたり、今後、繰り返しの値上げがないよう、例えば今後5年間は一切値上げを行わないという確約をしたり、今後の具体的な方針(何時くらいまでに職業訓練を軌道に乗せ、運営費用の何パーセントを補う等の経営方針)を支援者の皆さんにしっかり示す必要がある。それらを運営委員会が自ら纏める事で、“支援が当たり前”という空気を絶対に発生させないようすることも重要だ。

その他、前回のブログでも書いた通り、今後、支援者の皆さんの実質的な負担を増やさない方法として、一人の児童を2人の支援者で支援する制度の導入についても具体的に検討したいと考えている。もちろん一人で支援したい、という支援者の方の気持ちにも添う形で制度を作る必要があるだろうし、事務的な問題もしっかり改善しなければならない。

また、これまで支援者毎に支援者開始に合わせた更新月を定めていたものを(諸問題が起こっていた)、年度極めに変え、毎年、3月に全支援者から次年度の支援金を徴収する事も実現できればと思う。これによって為替の影響を受けず、年間計画が立てられるようになり、また支援者の皆さんにとっても制度の明瞭化は望ましい事だと思う。

土曜日の運営委員会では、まず制度改正の内容を取りまとめ、10月中に支援者の皆さんへ報告することが決まった。今回の改正は一から出直す覚悟で挑み、必ずや支援者の皆さんに“参加できてよかった”、と思える制度へと改善したい。


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2011年09月11日

タン、マン、ダン

9月11日

ヤッギャ校長ヤッギャ・シャキャ校長の人柄やこれまでの功績についてはブログの中で何度も紹介している事や、2009年に来日した際、接した方ならその素晴らしさは十分伝わっていると思うので、ここで書く必要は無いと思うが、最近になって、これまで以上にヤッギャ校長の存在の大きさを実感するようになった。

ヤッギャ校長との出会いは今から9年前の2002年だった。当時は日本国内で募金活動が行われたり、ネパール国内でも学校建設地の選定作業や村の尼寺で寺子屋の運営が始まるなど、ヒマラヤ小学校の建設に向けた機運が最も熟している頃だった。僕自身、寝ても覚めても学校建設の夢を語る、まるで夢遊病者のような日々だった。

当時の僕には学校建設の経験など全くなかったため、周りに一つずつ教えてもらいながら手探りで建設準備を進めていたのだが、建設が具体化するに連れ、建設業者の選定や運転資金をどうするのかといった課題が山積し、てんやわんやの状態でもあった。そんなある日、当時のパタン市長で、ヒマラヤ青少年育英会の初代会長を務めていたバジュラチャルヤ氏から「ブンガマティ村に誠実な男がいるから、彼に校長を任せようと思う」と言われ、紹介されたのがヤッギャ校長だった。

ヤッギャ校長という秀逸なパートナーを得たことで、僕自身、目の前の視界がぱっと開け、様々な不安が「絶対出来る!」という確信に変わった事を今も鮮明に覚えている。あれから9年あまり、当時と変わらぬヤッギャ校長の情熱と強靭な精神力、そして精励恪勤ぶりには本当に頭が下がる思いだ。

教壇に立つ一人の教師としてヤッギャ校長を見ると、子ども達に対する無償の愛を感じることが出来る。数年前、アメリカの小学校を訪ねた時地元で有名な女性校長が、「悪さをした子は、まず抱きしめてあげるのだ」と話していたのが印象深かったが、ヤッギャ校長も授業中など、必ずといっていいほど子ども達の体に触れている。ヤッギャ校長の大きな手から伝わってくる優しさを受けながら、子ども達は成長しているのだろう。

校長ヤッギャ校長はよく「何事もタン・マン・ダンが重要だ」と話す。直訳すれば「タン」は身体、「マン」は心、「ダン」はお金という意味だが、ヤッギャ校長の言う「タン」には強靭な体はもちろん、全力で取り組む姿勢という意味が含まれる。「マン」は心の他、優しさや屈強な精神力、「ダン」は資金が必要という意味だけでなく、お金を大切にする、大切に慎重に使うという意味で、その他に幸運という意味があるようだ。

これだけ恒心を持ち、誠実に活動を続けられるのもヤッギャ校長が常にタン、マン、ダンを大切にしているからだろう。自立に向けた活動が活発化するにつれ、僕の帰国の頻度も増えた今日、安心して日本国内での活動に集中出来るのも、偏にヤッギャ校長がいるからだと思う。

僕は果たしてタン、マン、ダンをもって活動に取り組むことが出来ているだろうか、、、、、、、一度、立ち止まって自分自身を見つめてみる必要がありそうだ。タン、マン、ダン、タン、マン、ダン。。。。。


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2011年09月10日

金沢文庫芸術祭に出展します!!

9月10日

アニ来週の日曜日(9月18日)、横浜の海の公園で開催される「第12回金沢文庫芸術祭」1DAYイベントにヒマラヤ小学校も出展することになり、現在、日本国内の支援者の皆さんのご協力の下、出展の準備が進められている。

金沢文庫芸術祭は「アートを通じて次世代に何かを伝えたい」という願いのもと、1999年に始まったイベントで、毎年、大勢の参加者で賑わっているそうだ。これまでのイベント写真を見ても、その楽しさがひしひしと伝わってくる。今回、縁あって金沢文庫芸術際に出展させて頂く事になったが、ぜひ、イベントを通して大勢の方に学校や子ども達が精いっぱい生きている姿をお伝えできればと思う。会場ではヒマラヤ小学校の子ども達の写真や絵が展示される他、職業訓練所で卒業生と保護者が作ったフェルトやビーズアイテム等が販売される予定だ。楽しいイベントになること必至なので、ぜひ、大勢の方にお運びいただけたらと思う。

またヒマラヤ小学校ブースのお隣はいつもお世話になっているネパール紙のオーグさんが出展予定。おそらくネパール紙を使ったワークショップが行われると思うので、ぜひ、そちらもお立ち寄り頂ければと思う。

金沢文庫芸術祭


金沢文庫芸術祭1DAY イベント

日時:2011年9月18日(日) 10:00〜

会場:横浜市 金沢区 海の公園 先住民族広場

概要:大空の下、大勢のアーティストと来場者が一体となって楽しめる華やかなイベントです。


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2011年09月09日

失敗を恐れず

9月9日

シュシュ今日は日本人ボランティアによる交流活動の最終日。女性が髪留めやブレスレットとして使うシュシュ作りがヒマラヤ小学校と職業訓練所の2箇所で行われた。学校で行われたシュシュ作りでは、やはり女子児童の関心が高かったようで出来も良かった。職業訓練所では参加者に返し縫等、ある程度の洋裁技術が身についていたので、思ったよりも早く上手に出来たようだ。

職業訓練所も開設から2年半が過ぎ、少しずつだが今後の方向性が見え始めたところだ。これまで日本国内での販売など数々の貴重な機会に恵まれ、大きな学びの収穫を得ることが出来た。またネパール国内でも出来る限り展示会などに出展し勉強を重ねているところだ。

実は先日もネパール国内のイベントに出展したのだが、残念ながらひとつも売れなかったそうだ。よほどガッカリしたのだろう、イベントに参加した受講生からはため息が漏れていたが、でもそんな事で落ち込む必要なんてまったくない。今は基礎技術の向上に向けた研鑽をしっかり積みながら、どんな事にでも挑戦する事の方が大事ではないだろうか。「トライ&エラー」を繰り返しながら、半歩ずつでも目標に向かって進んでいく事がとっても重要だと思う。失敗の積み重ねがあるからこそ、きっとその先に成功があるのだ。

職業訓練所今回、学んだシュシュもサリやクルタ・スルワールなどネパール独特の生地を使えば面白い物が出来、大勢の人に喜んでもらえるはずだ。

「これでいい」と安心した時に、停滞が始まるのだと思う。これからも失敗を恐れず、もちろん成功に奢らず、挑戦を続けていきたい。

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2011年09月08日

圧倒的な知識と技術

9月8日

昨日から交流活動をしているボランティアの方と、もう一人、日本から学校を訪問された支援者をお迎えして、ささやかな歓迎会を開催した。歓迎会は日ごろの努力の成果を披露できる場とあって歓迎会が始まる前から子ども達はかなり興奮気味だった。“たくさん褒めて貰いたい”、子ども達の表情からはそんな心の声が聞こえてくるようだった。

今日の歓迎会は残念ながら停電に当たってしまい、急遽、内容を大幅に変更する事になった。ダンスを披露する予定だった4,5年生にとってはちょっと残念な結果になってしまったが、その分、各クラスの子ども達が歌を披露するなどして終始、賑やかな歓迎会となった。

今日の歓迎会では嬉しいことがあった。実は昨日のブログで紹介したアニスがノートを破った紙で、昨日習った折り紙の名札を折って来て、ゲストの方にプレゼントをしたのだ。名札にはちゃんとゲストの方の名前が書かれてあった。なかなか粋な計らいを見せたアニシュ。昨日の事がよほど嬉しかったのだろう。今日はアニシュが何時もより苦味走ったいい男に見えたのは僕だけじゃないはずだ。

蛙さて歓迎会の後は、昨日に引き続き日本人ボランティアによる交流活動が行われた。今日は幼稚園クラスと1,2年生の子ども達を対象に音楽(キーボードの演奏)に合わせてウサギと蛙の真似をする遊びが行われた小さな子ども達には、やはり単純なリズムと大きな動きという組み合わせが良いようだ。みんな殆ど休みなくウサギや蛙の真似をして飛び跳ね、本当に楽しそうだった。ある園児などかなりツボにはまったようで、笑いすぎて涙を流していた。

ご指導いただいたボランティアの方はこの遊びに関する研修を受けられたそうで、蛙の真似など跳躍力があって本当に上手く、見本を見せて貰った時など子ども達は圧倒され、興趣が尽きない様子だった。教える側の人間というのは、何事も子どもを圧倒するだけの技術や知識を持つことが大事なのだろう。圧倒するだけの知識や技術を持ってはじめて、子ども達は安心して教師について行く事が出来、更には憧れや目標を持つのではないだろうか。さてヒマラヤ小学校の先生達にはどう映っただろうか。




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2011年09月07日

成長の兆し

9月7日

アニシュ今日から日本人ボランティアによる交流が始まった。これから3日間の日程でさまざまな活動が行われる予定だ。毎回、交流によって子ども達の成長はもちろん、一人ひとりの意外な一面を発見することも多いので、僕たち教職員も交流を楽しみにしている。

初日の今日は2年生から5年生までの各クラスで折り紙の授業が行われた。折り紙はヒマラヤ小学校で活発に行われている活動のひとつで、過去にクラフトコンテストで優勝したり、(ブログ記事)またエベレスト学校で折り紙を指導したこともあるそのせいか今日は、折り紙をするよ、と伝えた瞬間に何とも自慢げな表情を浮かべる子がいて面白かった。それだけ自信を持っているという事だろう。

折り紙今回、子ども達が挑戦した折り紙は名札。(本当はコースターなのだが、せっかくなのでコースターの真ん中に児童の名前を書いて名札にすることになった。)大、小2枚の折り紙を重ねて作る、少し難度の高い折り紙だが、流石、折り紙が盛んに行われているだけあって子ども達は吞み込みが早く、思ったよりも上手に折っていた。それにしても一人ひとりの児童が折り紙を折る様子を観察すると、それぞれの性格や現時点での能力が良く見える。

さて、今日の折り紙の授業で印象に残った事があった。ヒマラヤ小学校のヤンチャ大将こと4年生のアニシュ(アニール)の変化だ。アニシュは勉強よりも体を動かすことが好きで、ヒマラヤ小学校の初代ガキ大将のクマールに負けず劣らずのヤンチャぶりを発揮している元気な児童だ。子ども達の間の何か問題が起こると、必ずと言っていい程アニシュが絡んでいて、授業中は女子に消しゴムを投げつけたり、前に座った児童の背中に鉛筆で落書きをしたりと、アニシュが静かに机に座って勉強するなんて事はほとんどない。若い先生などアニシュのヤンチャぶりに手こずり、お手上げの状態になる事も多い。

アニールそんなアニシュが、今日の折り紙の授業ではこれまでに見たこともない程、真剣な表情で取り組み僕達を驚かせた。どうも同級生より少し早く、そして上手に折れた事をボランティアの方から褒められた事がとても嬉しかったようだ。しかも何時もは敵対関係にある女子グループからも「アニシュ、教えて」と頼まれ、かなり気分を良くしているのが分かった。普段の授業では同級生の後を追いかけているアニシュが今日は同級生たちを引っ張り、さらに何時もは悪戯をして困らせている女子を丁寧に優しく教えているのだから、人間、変わるときは変わるものだ。

考えてみればアニシュも既に4年生。そろそろ上級生としての自覚を持ち始める頃かもしれない。今日の授業で褒められた、役に立った、という経験は、きっと今後のアニシュの心の糧となり、アニシュを大きく成長させるのだろう。アニシュの成長のマグマは見えないところで力を蓄えているに違いない。爆発が本当に楽しみだ。


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2011年09月06日

ダンス大会に向けて

9月6日

ダンス今週の土曜日に村の広場でダンス大会が開催される。ヒマラヤ小学校の子ども達も満を持して出場予定だ。開催日が近づくにつれ子ども達のダンス大会に掛ける熱意は高まり、昼休みや放課後には汗にまみれながら真剣な表情で練習に励む子ども達の姿が見られる。子ども達が夢中になってダンスの練習に取り組む姿を見ると、何事も目標を持つことが大切なんだ、と実感する。

今回のダンス大会は個人とグループの部に分かれていて、ヒマラヤ小学校からは個人の部に一人と団体の部にペア1組が出場予定だ。特に団体の部に出場する5年生のシーマと4年生のソバのペアはここに来てかなり息が合いはじめた。2人とも今年に入ってからかなり身長が伸び、踊りに迫力が出てきたので入賞が期待できそうだ。もちろんヒマラヤ小学校のダンス女王メヌカの活躍も見逃せない。

考えてみると、子ども達はいつの間にかこうしたイベントで入賞を狙えるようになり、僕達も子ども達の実力を信じられるようになっているのだから本当に不思議だ。ここ数年、ヒマラヤ小学校が以前よりも学校らしくなった事を実感できるようになったのは、子ども達があらゆる面で実力を身につけてきたからに違いない。子ども達は本当に立派だ!

ペア当日は子ども達と一緒に熱烈応援をしようと思う。ダサイン前、子ども達の大きな活躍をしっかり見届けたい。



お詫び: 諸事情によりダンス大会への参加は中止となりました。

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2011年09月05日

Seven Month left

9月5日

菩提樹休日、村の往診先に向かっていると、後ろから「ナマステ〜」という元気な声が聞こえてきた。が、振り向くと誰もいない。なるほど児童の誰かが僕を驚かせようと企んでいるに違いないと思い警戒していると、5年生の女の子達が笑いながら木陰から顔を出して来た。どうやら警戒する僕の姿が滑稽だったらしく、驚かす前に笑ってしまったようだ。

子ども達は牛の乳搾りや飼葉集め、水汲みなど朝の手伝いを終え、村のお寺に集まって話をしていたところ、歩いている僕を見かけ、後ろからこっそりついて来たようだ。最近ではすっかりお姉さん役が様に成っている5年生だが、実際はまだまだお転婆盛りの子ども達。何をしても大笑いできてしまうのも、無邪気な年頃の特権なのかもしれない。

立ち止まって子ども達と他愛のない話をしていると、ある児童が「チャシコットの木の登ろうよ」と言い出した。チャシコットはブンガマティ村を一望できる小高い丘で、時々、映画や歌のPVなどの撮影に使われる人気の場所だ。チャシコットには大きな菩提樹のチョータラがあるのだが、どうもその菩提樹に登ろうという事らしい。子ども達の誘いには滅法弱い僕は、往診を一休みして子ども達と一緒にチャシコットへ出かけることになった。チャシコットに着くと、子ども達は一目散に菩提樹の木に登り始めた。流石、普段から自然と仲良しだけあって、みんな枝を上手く使いながらスイスイと軽やかに上へ上へと登って行った。子ども達を見上げながら感心していると、下にいる僕の方を見て子ども達が手招いている。医療器具が入ったカバンを2つ持っていたので少しためらったのだが、せっかくなので僕も登ってみることにした。

子ども達に助けられながら何とか登りきると、上からは何時もよりも村の景色が広く見えた。なるほど子ども達が木に登る理由はこれなのだ。暫く太い枝に腰掛けて子ども達と他愛のない話を続けた。学校のこと、友達のこと、家族のこと、将来のこと。子ども達の尽きない話題に頷きながら耳を傾けていると、児童の一人がふと、「Seven month Left (あと7ヶ月か〜)」と言って、小さなため息をついた。思えば5年生も来年の春にはヒマラヤ小学校を卒業し、みんなバラバラになってしまうのだ。8年間も学校生活を共にし、思春期を迎えた今頃が子ども達にとって一番楽しくて充実した時期なのかもしれない。それだけに友達と離れ離れになってしまう事やヒマラヤ小学校という居場所から離れて行く事に寂しさや不安を覚えるのだろう。俯き加減の子ども達の横顔から明日への小さな不安が伝わってきた。

あと7ヶ月、子ども達には兎に角、後悔のない充実した学校生活を過ごしてほしい。それだけが僕達の必死の願いだ。卒業後、たとえ離れ離れになったとしても、8年間一緒に過ごした時間は必ず思い出の絆として、みんなを繋ぎ続けてくれるはずだ。僕はそう信じている。




hsf at 12:20|Permalink