2011年06月

2011年06月17日

役割を与える

6月17日

清掃ヒマラヤ小学校の3階に出来たフォーレストルームは子ども達の一番のお気に入りの場所のようだ。絶え間なく聞こえてくる子ども達の賑やかな笑い声を聞くと、フォーレストルームが出来て本当に良かったなぁと実感する毎日だ。

フォーレストルームは各クラスが毎日、1時間ずつ使う以外にも昼休みや放課後、子ども達が集まって自由に遊具で遊んだり、図書コーナーで熱心に絵本を読んだりしている。各クラスで使った後は先生達の指導もあってか、きちんと後片付けが出来ているようだが、休み時間や放課後となると後片付けをしない子が多いようで、そろそろルール作りが必要ではないか、と先生達の間で話が出ていた。

フォーレストルームは子ども達のために出来た空間だ。以前のブログでも書いたが、フォーレストルームでは原則、教員が一切口出しをしない事にしている事やフォーレストルームが子ども達にとって常に心地よい空間であって欲しいと願っているので、あまりフォーレストルームについて子ども達に指導をしたり、禁止用語を羅列してネガティブな雰囲気を作り出す事は控えたいと考えていたら、なんと先日から4年生の女の子達(男子も一人)が自主的にフォーレストルームの整理整頓を始めたようだ。えらい!!

4年生が整頓の様子を見てみると、散らかった道具を片付けたり、絨毯を綺麗に掃いたり、図書を順番どおりに綺麗に並べたりと、それぞれに役割分担をして手際よくフォーレストルームを片付けていた。あまりに嬉しかったので冗談半分で子ども達にそれぞれ道具管理委員、清掃委員、図書委員と名付けると、これまで以上に熱心に活動に取り組むようになって、こちらが驚いてしまった。役割を与えられたことが嬉しかったのかもしれない。

図書委員人はきっと何かの役割を与えられる事で責任感ややる気が出て、能力を発揮できるのだろう。逆に与えられないと不安や不満が溜まり、せっかくの能力を発揮できないままで終わってしまうのかもしれない。そう考えるとどんな些細なことでも子ども達の長所を見つけ、どんどん役割を与えていく事が子ども達を成長させる大きな切欠になるのかもしれない。学ぶべきことはまだまだ本当に多い。


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2011年06月15日

医療キャンプ

6月15日

治療先日、11日(土)に山の上の村で小児科と内科、婦人科の医療キャンプを開催した。実は今回の医療キャンプは今年2月に開催を予定していたのだが、僕の一時帰国が続いたため準備が遅れてしまった事や、参加を予定していた医師の日程調整が上手くいなかったため、3ヶ月ほど遅れての開催となってしまった。ただ、開催が延期になった事で計画を練り直す事が出来、結果的にとても意義のあるキャンプになった。これも大勢の方の協力のお陰だ。心から感謝したい。


今回の医療キャンプでは村のヘルスポストの協力を受け、施設を使えたことがとても良かったように思う。決して十分でないもののベッドや一応の医療器具が揃っているヘルスポストを利用できた事で、学校の校舎や寺院などで簡易的に作った治療室よりもスムーズな対応が出来たように思う。また地元の青年団などの協力によって広範囲の地域の人々が参加出来たのも良かった。300人を超える人々がキャンプの恩恵を受けられたのは青年団の協力あっての事。こうした活動に地元の若い人たちが積極的に協力してくれる事は本当に嬉しいことだ。

キャンプ今回は小児科のキャンプということで、ヒマラヤ小学校の子ども達にも参加を呼びかけたところ大勢の児童がキャンプに参加した。4,5年の上級生が下級生の手を引いて山道を歩いて来てくれたのだが、上級生達は単に下級生のお世話だけでなく、順番待ちの人々の整理や受付のお世話など医療キャンプを自主的かつ積極的に手伝ってくれた。本当に心優しい子ども達ばかりで頭が下がる思いだ。次回は少し遠くの村でキャンプを予定している。今回のキャンプの収穫を次に活かして、より良い活動を展開できればと思う。


こども











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2011年06月14日

乙女の祈り

6月14日

現在、パタン市内では雨乞いの祭りマチェンドラナートが賑やかに執り行われている。祭りの間、大小2台の山車がパタンの町を1ヶ月以上掛けてゆっくりと巡行する。今年は西暦の5月4日にマチェンドラナートが始まった。現在、山車は、祭りの最終日に宝飾神衣の披露が行われるジャワケルの手前にあるラガンケルという場所に置かれている。僕のクリニックにも近いラガンケルは、朝から夜遅くまで参拝客で賑やかだ。

乙女の祈り先日、往診の帰りに山車の傍を通りがかかると、一人の少女が熱心に祈りを捧げている姿を目にした。煌々と燃える蝋燭の火が少女の顔を照らし、なんとも幻想的で美しかった。少女はマチェンドラナート神に何を祈ったのだろう、、、、、そんな事を考えていると、空から一滴の雨粒が落ちてきた。もう直ぐネパールは雨季が始まる。雨季が始まればヒマラヤ小学校の子ども達も田植えや草抜き等の農作業で忙しい毎日になる。例年、学校を退学する児童が急増するのはこの時期だ。今年は一人も退学者が出ませんように。豊穣の願いと共に、そんな事をマチェンドラナート神にそっと祈ってみた。


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2011年06月12日

熱い友情2

6月12日

校長ユブ・ラージにSの看病を任せた後、暫くしてフォーレストルームに戻ると、ユブ・ラージがさっきと変わらぬ姿勢で団扇代わりにした絵本を仰ぎながら、熱心にSの看病をしていた。汗も出ていないのにSの額を拭くところなどユブ・ラージらしいが、彼は本当に心優しい男なのだ。

これだけユブ・ラージの献身的な看病を受けるSは果たしてどんな気持ちなのだろう、そんな事を思いながらSの様子を見ていると、Sがときどき薄目を開けてユブ・ラージの様子を伺っている事に気がついた。体調は良くなったもののユブ・ラージがあまりにも一生懸命看病するので、Sは起き上がろうにも起き上がれなくなってしまったのかもしれない。普段から活動的なSだけに、ずっと横になっているのは結構つらいはずだ。それに今日はSが夢中になっている空手の稽古の日。上手くユブ・ラージを納得させないと空手の稽古にも参加できなくなってしまう、そんな不安をSが覚えていたのかどうかはわからないが、ちょっぴり困った様子がSの行動から伝わってきた。

「もう、そろそろ起きられるか?」僕がSに訊くと、Sではなくユブ・ラージが「まだ、駄目です。」と即答した。このままでは埒が明かない。ユブ・ラージの気持ちを尊重しつつ、Sが起き上がるきっかけを作ってやらねばと思案に暮れていたところ、出張から戻ってきたヤッギャ校長がSの様子を見にやって来た。

既にヤッギャ校長には電話でSが失神を起こした事を伝えていたが、改めて事の経緯とユブ・ラージの献身的な看病の事、そしてユブ・ラージが心底Sの事を心配している事を伝えると、ヤッギャ校長は突然ユブ・ラージに錠剤のような物を渡し「これをSに飲ませてやってくれ。これでSは元気になるから。」と言って、ユブ・ラージに井戸から水を汲んでくるように伝えた。

ユブ・ラージが水を汲みに行く間、ヤッギャ校長はSに「薬を飲んだら起きていい。ユブ・ラージには薬が効いた、と言ってあげるんだよ。」と伝えた。ヤッギャ校長がユブ・ラージに手渡したのは実は単なるビタミン剤だったようだ。つまり偽薬をSに飲ませることでユブ・ラージを納得させようという考えのようだ。

水を汲んできたユブラージはSの体を起し、「さぁ、薬だ。苦いがしっかり飲めよ」と言いながら、ゆっくりとSに薬を飲ませた。薬を飲んだ途端、Sは(予定通り)立ち上がり、ユブラージに向かって「薬が効いた!」と一言。なんとも間が悪く不自然だったが、ユブラージは「本当か。それは良かった!」と歓喜の声を上げて大喜び。ユブ・ラージの人の良さを改めて実感した瞬間だった。その後、二人は教室へ戻り、いつもどおり(仲良く)過ごしたようだ。

帰り際、ヤッギャ校長が「明日の朝礼でユブ・ラージを褒めてあげましょう」と話していたが、彼の人柄を再確認すると同時に、ヤッギャ校長という大人が傍にいるからこそ子ども達は何事にも精いっぱい頑張ることが出来るんだと思った。理解ある大人の存在が子ども達を成長させるのだ。



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2011年06月11日

熱い友情

6月11日

ユブ「た、たいへんだ。Sが気を失って倒れた〜」
3年生のユブ・ラージが大声をあげながら職員室へ駆け込んできた。なんでも同じクラスのSが突然、倒れてしまったらしい。

今にも泣きそうな顔を浮かべながら、「はやく、はやく」と焦るユブ・ラージに引っ張られて3年生の教室へ行ってみた。教室には既に人垣が出来ていたので、そっと掻き分けて中に入ると、Sが苦しそうな表情を浮かべながら寝転んでいた。実はSが倒れたのは、これが3度目だった。Sは2時間以上かけて学校へ通う児童の一人で、朝ごはんを食べずに登校することが多いようだ。一概にはいえないが十分な朝食を摂らず、炎天下の山道を歩いてきた事が悪かったのかもしれない。Sの呼吸を確認し、嘔吐や転倒時の外傷もないことが分かったので、これまでと同じように失神だろうと判断し、とりあえず3階のフォーレストルームでSを休ませる事にした。

なにはともあれ大事に至らず良かったと胸をなでおろした後、フォーレストルームまで付き添ってくれたユブラージに教室へ戻るよう指示したのだが、ユブラージは「嫌だ」と言って、首を斜めに傾けない。(*ネパールではOKの意思表示の際、首を斜めに傾ける習慣がある)更には「自分が傍にいてやらないとSは大変な事になってしまう」と言い張る始末。失神くらいで、と僕は呆れていたのだが、よく見るとユブ・ラージは目にうっすら涙をにじませていた。ユブラージはSの事が本当に心配なようだ。こんな時、無理に引き離すのも良くないと思い、とりあえずSが起き上がれるようになるまでユブ・ラージを付き添わせる事にした。

ユブとSはこれまで何度も喧嘩をした事があり、僕自身が2人の喧嘩に割って入ったことも何度かあった。学校に一台だけあるスケボーの順番を巡って喧嘩になったり、ある時は授業中にSがふざけて投げた消しゴムがユブ・ラージ当たった事がきっかけになったりと、何時ももささいな事で喧嘩が絶えない2人だけに今日のユブ・ラージの必死の姿には正直、驚いた。喧嘩するほど仲がいい、という事なのだろうか。

つづく



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2011年06月09日

”出来る”という自信

6月9日

児童昨年度の子ども達の成績を見ていると、全体としてかなり成績が上がっている事に驚かされる。全体の成績が上がったほか、これまでクラスの成績で下位の常連だった所謂、勉強嫌いの児童が一気に成績を上げて上位に食い込むなど、驚くような変化もたくさん見られる。

子ども達の成績が上がった理由を考えてみると、まず外国人教員による教員養成プログラムによって先生達の技術と知識が向上し、授業内容が良くなったことが挙げられるだろう。最近、教室を回っていても、これまでは殆ど行われていなかった教材を使った授業や遊びを取り入れたた授業が各クラスで行われていて、子ども達が楽しそうに授業を受けている事が分かる。授業そのものが楽しく、分かりやすくなった事で子ども達の理解度が上がり、特に暗記という形での勉強が苦手だった子どもにはとても良い影響があったのではないだろうか。

もう一つ、栄養改善プログラムの開催頻度が上がったことも成績に好影響を与えたのではないかと思う。空腹の状態は頭の働きが鈍くなり、記憶力も集中力も思考力も低下すると聞いた事がある。腹を空かしていては、やる気だってなくなってしまうだろう。考えてみれば朝食も摂らずに山道を2時間近くかけて学校へ通う子ども達がいるのだから、栄養改善プログラムによって空腹を満たしたことは成績に限らず、様々な面で良い影響を及ぼしていると思う。

また、空手部の子ども達の成績が上がっているところも面白い点だ。空手を通して体力や精神力、それに集中力を養った事が良かったのだろうか。運動自体に記憶力や想像力を高めるに効果がある事も確かだろう。

決して成績が全てではない。大事な事は子ども達が“出来る”という自信を持つことだと思う。どんな事に挑戦していても途中で「できない、わからない」と思った途端に、夢や希望が持てなくなってしまう。子ども達が将来、社会に出て様々な壁にぶつかった時、自分の力で考えて、その壁を乗り越える能力を学校生活の中で養うことが必要で、そのためには子ども達に分かる、自分は出来るんだ、ということを繰り返し体験させていく事が重要ではないだろうか。

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2011年06月05日

変わったピースサイン

6月5日

ピース!今年は山の上の村々で教育普及キャンペーンを開催したことで、例年よりも多くの子ども達が山の上の村からヒマラヤ小学校へ入学した。山の上の村の子ども達はブンガマティ村の子ども達よりも更に純朴で、いい意味で俗世間の影響を受けていないため、”ピュア”そのものだ。彼らにとって学校生活は毎日が驚きと発見の連続で、学校生活を通して彼らの世界がどんどん広がっている事を実感する。

先日、1年生の教室で授業の様子を撮影していた時の事。山の上の村から通う新入生の女の子がカメラの方を向いて自信満々の表情で「ピース」と言ってきた。ピースと言いつつも人差し指と中指を立てた通常のピースサインではなく、なんと小指を立てた特殊かつ変形型のピースサインだった。暫く理解できずにいたのだが、実はこの児童、最近になってクラスの友達からピースサインを教わったようで、覚えたばかりのピースサインを披露しようとしたところ、間違って小指を立ててしまったようだ。

その後、間違っている事に気づいた周りの友達が、「そうじゃなくて、こうでしょ」と、これまた自慢げに児童の指を直している姿が愛らしかった。教える方も、教わる方も学校生活は本当に学びでいっぱいなのだ。

教育の果たす役割や意義は沢山あると思うが、何よりも大事なことは子ども達の世界を広げる事にあるのではないだろうか。教育を受けることで世界が広がり、夢もチャンスも広がっていくのだろう。そう思うとピースサインだって大事な学びのひとつなんだと思う。





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2011年06月03日

フォーレストルーム

6月3日

あぱ昨年、フランス人教師のメラニーさんによる教員養成プログラムが行われて以来、様々な面で先生達の意欲や意識が高まった事を実感出来るようになった。今年に入ってからは既に5名の外国人教師による養成プログラムが行われた他、今月半ばからはオーストラリアの教員2名によるプログラムも予定され、遅れていた教員養成はここに来てにわかに活気付いてきた。

外国人教員の皆さんには単に技術指導にとどまらず、より良い教育環境を整備するための案を出して欲しいとお願いした。特にこれまで有効に使われていなかった施設や道具の活用方法に至るまで細かい指導をお願いしたところ、職業訓練所兼多目的ホールとして使っている3階教室の活用についての提案を受けた。提案はホールを「フォーレストルーム」と名づけ(おそらく知識の森という意味で)、子ども達が自由に遊べる環境を創設するもので、パズルなどの遊び道具を置く他、図書室も併設して、本を読みたい子は本を読み、遊びたい子は遊ぶ、昼寝をしたい子は昼寝をするという面白い内容だった。更に各学級が一日1限、必ずフォーレストルームを使い、教員は原則としてフォーレストルームでは一切口出しをしないルールとなっている。つまりフォーレストルームは子ども達が主役で、全てが自由ということのようだ。

フォーレストルームネパールではあまり馴染みのないものだけに先生達の反応は未だまちまちだが、自由な環境の中で子ども達がのびのびと学び、大きく成長することで、きっと合点がいくのではないだろうか。貴重な提案をいただき外国人教師の皆さんには感謝している。今後、フォーレストルームの整備に全力をあげたい。



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