2011年05月
2011年05月31日
山の上の村での教育
5月31日
3月の中頃、山の上の村に往診へ出かけた時、自分自身の不注意から右手中指の付け根の辺りを切ってしまった。下山するまでに時間がかかったものの結局、5針縫うだけで終わったのは不幸中の幸いだった。山の上の村からカトマンズの病院に着くまでの道中、手から血を流している僕の姿を見た村の人たちが水をくれたり、薬草を塗ってくれたり、更には御呪いまでしてくれて、随分助けてもらった。いまさらながら感謝の気持ちでいっぱいだ。暫く指の痛みと微熱で仕事が手につかない日が続いていたにだがようやく手の具合も落ち着き、今は幸運に感謝しながら仕事をこなす毎日だ。
山の上の村へ往診に出かけると、やはり気になるのは村の子ども達の状態だ。以前に比べ良くなったとはいえ、まだ衛生状態など改善しなければならない点が非常に多い。子ども達の様子を見ていると今すぐにでも何かしたい衝動に駆られるが、やはり教育と歩調を合わせていかなければ、どんな努力も実を結ばないだろう。
嬉しいことに今年から山の上の村々で学校をあげての教育普及キャンペーンが始まり、少しずつだが山の上の村々も教育活動の範囲に入れることが出来るようになってきた。まだ始まったばかりだが、これまでの経験を最大限活かせるよう頑張りたい。“慌てず、休まず、諦めず!自分の信条を改めて自分自身に言い聞かせてみる。

山の上の村へ往診に出かけると、やはり気になるのは村の子ども達の状態だ。以前に比べ良くなったとはいえ、まだ衛生状態など改善しなければならない点が非常に多い。子ども達の様子を見ていると今すぐにでも何かしたい衝動に駆られるが、やはり教育と歩調を合わせていかなければ、どんな努力も実を結ばないだろう。

hsf at 17:21|Permalink│
2011年05月23日
卒業だけが全てではない
5月23日
入学した子ども達を「卒業」という形で次の社会へ送り出すのは、僕達の目標の一つだ。無償教育を行っているヒマラヤ小学校なら入学した児童全員が卒業できるのは当たり前ではないか、と思われるかもしれないが、無償教育を提供しても尚、子ども達を取り巻く環境は厳しく、学校を去る子どもは後を絶たないのが現状だ。
開校してから暫くの間、学校を退学する児童が出る度に、全員が卒業できるようになるにはどうすればいいか、という事ばかり考えていたが、ある時から、仮に途中で学校を去ることになったとしてもヒマラヤ在学期間中に一つでも多くの事を学び、そして思い出を作ることが出来たならそれだけも意味があるのでは、と考えるようになった。
もちろん卒業までお世話をできるに越したことはないが、字の読み書きを覚え、手や体を洗うことなど保健衛生の大切ささえ分かれば、なんとか生き抜くことは出来るだろう。それに加えて数字と時計が分かれば生き抜く力は更に高まるはずだ。
基本的知識を身につけ、更に学校で勉強したという体験や、一度でも人の優しさに触れたり、生まれてきた役割を認めて貰えたなら、たとえ苦難に遭遇しても道を切り開く手がかりとなるのではないだろうか。
「卒業」だけが全てではない、そう信じていなくてはこの活動を続けることは決して出来ない気がする。

開校してから暫くの間、学校を退学する児童が出る度に、全員が卒業できるようになるにはどうすればいいか、という事ばかり考えていたが、ある時から、仮に途中で学校を去ることになったとしてもヒマラヤ在学期間中に一つでも多くの事を学び、そして思い出を作ることが出来たならそれだけも意味があるのでは、と考えるようになった。
もちろん卒業までお世話をできるに越したことはないが、字の読み書きを覚え、手や体を洗うことなど保健衛生の大切ささえ分かれば、なんとか生き抜くことは出来るだろう。それに加えて数字と時計が分かれば生き抜く力は更に高まるはずだ。
基本的知識を身につけ、更に学校で勉強したという体験や、一度でも人の優しさに触れたり、生まれてきた役割を認めて貰えたなら、たとえ苦難に遭遇しても道を切り開く手がかりとなるのではないだろうか。
「卒業」だけが全てではない、そう信じていなくてはこの活動を続けることは決して出来ない気がする。
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2011年05月20日
競争原理
5月20日
自他共に認めるヒマラヤ小学校のダンス女王、メヌカ(4年生)がダンスの猛練習に励んでいる。練習中の表情の厳しさからもメヌカの並々ならぬ本気度が伝わってくる。メヌカを奮い立たせているものは一体何なのだろうか・・・・・
実は、いつもは希望者全員が出場できるUPSBENのダンス大会を、今回は選抜メンバーだけが出場できると話したこところ、メヌカをはじめとする主力ダンサー達の心に一気に火がついたのだ。実は選抜なんて嘘八百だったのだが、時には小さな競争も子ども達の技術や意識向上のために良いのではいかと思うようになった。もちろん定着メンバー以外の児童の参加を促す意味もあってのことだ。というわけで、ほとんど思いつきで決めた選抜制度の導入だったが、これがピタリとはまり、子ども達の間で健全な競争が起こっているようだ。
最近、女王メヌカの存在を脅かすダンサーは増えていて、このブログで紹介したサパナも気の抜けない相手だ。うかうかしていたら女王の座を奪われてしまう、そんな危機感が女王メヌカの心を奮い立たせているのだろう。
そんなわけで次のダンス大会、ヒマラヤ小学校が1〜3位を独占することも夢ではないかもしれない。表彰台に立った3人の美しい笑顔をしっかり写真に収めたい。乞ご期待!!

実は、いつもは希望者全員が出場できるUPSBENのダンス大会を、今回は選抜メンバーだけが出場できると話したこところ、メヌカをはじめとする主力ダンサー達の心に一気に火がついたのだ。実は選抜なんて嘘八百だったのだが、時には小さな競争も子ども達の技術や意識向上のために良いのではいかと思うようになった。もちろん定着メンバー以外の児童の参加を促す意味もあってのことだ。というわけで、ほとんど思いつきで決めた選抜制度の導入だったが、これがピタリとはまり、子ども達の間で健全な競争が起こっているようだ。
最近、女王メヌカの存在を脅かすダンサーは増えていて、このブログで紹介したサパナも気の抜けない相手だ。うかうかしていたら女王の座を奪われてしまう、そんな危機感が女王メヌカの心を奮い立たせているのだろう。

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2011年05月18日
Make Haste slowly
5月18日
今年もヒマラヤ小学校に25人の元気な子ども達が入学した。入学したのは4歳から12歳までの子で、幼稚園年少クラス〜5年生まで4年生を除く各クラスで学ぶことになった。入学から1ヶ月あまり、すっかり学校生活にも慣れ、楽しそうに学んでいる新入生の姿を嬉しく思うと同時に、果たしてどれだけの新入生が卒業まで辿り付けるだろうか、という不安が胸をふさぐ。
ヒマラヤ小学校では残念ながら毎年、10人ほどの児童がさまざまな理由で学校を去っていく。特に近年の急激なインフレによる物価の高騰により、生活苦に陥り夜逃げさながら村を去っていく家庭が多い。直前まで楽しそうに学校で学んでいた児童が突然、経済的な理由で学校へ来られなくなるのは、ただただ胸が痛む現状だ。
先日も学校へやってきたある児童の母親が、「生活が苦しくて、もう駄目かもしれない。なんとか子供だけでも預かってもらえないだろうか」と、涙ながらに窮状を訴えていたが、返す言葉が見つからなかった。「めげずに頑張ってください。」とでも言えば、母親の気持ちを少しは和らげる事が出来ただろうか・・・・・。
こんな現状を前にすると、一刻も早く職業訓練を軌道に乗せなくてはと、気持ちばかり焦るが、やはりここは一歩ずつ着実に活動を進めていく事が大事ではないだろうか。いつか窮状を抱える母親達を救うことが出来る日を信じて頑張りたい“Make haste slowly.”(急がば周れ)

ヒマラヤ小学校では残念ながら毎年、10人ほどの児童がさまざまな理由で学校を去っていく。特に近年の急激なインフレによる物価の高騰により、生活苦に陥り夜逃げさながら村を去っていく家庭が多い。直前まで楽しそうに学校で学んでいた児童が突然、経済的な理由で学校へ来られなくなるのは、ただただ胸が痛む現状だ。
先日も学校へやってきたある児童の母親が、「生活が苦しくて、もう駄目かもしれない。なんとか子供だけでも預かってもらえないだろうか」と、涙ながらに窮状を訴えていたが、返す言葉が見つからなかった。「めげずに頑張ってください。」とでも言えば、母親の気持ちを少しは和らげる事が出来ただろうか・・・・・。
こんな現状を前にすると、一刻も早く職業訓練を軌道に乗せなくてはと、気持ちばかり焦るが、やはりここは一歩ずつ着実に活動を進めていく事が大事ではないだろうか。いつか窮状を抱える母親達を救うことが出来る日を信じて頑張りたい“Make haste slowly.”(急がば周れ)
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2011年05月14日
天才画家シュリクリシュナ
5月14日
「俺ね、学校で絵が一番上手いって言われてるんだ。クラスのみんなから毎日、絵を描いてきてくれて頼まれて困っちゃうよ」。
村のお寺で休んでいると、今年ヒマラヤ小学校を卒業したシュリ・クリシュナがやって来て、抜けた前歯を上手に隠しつながら、嬉しそうに話しかけてきた。なんでもシュリクリシュナは進学した公立中学校で先生から絵を褒められて以来、周りから一目を置かれているらしいのだ。
「ほぅ、そりゃすごいな」と答えると、「お寺の絵とかね、あと村の絵とか、結構、難しいものばかり頼んで来るんだよ」と、なんともいえず嬉しそうな表情のシュリクリシュナ。愛嬌のあるくりっとした大きな目玉からは強い自信がみなぎっているようだった。
シュリクリシュナといえば何と言っても「遊び上手」というイメージが強く、絵とは結びつかなかったので少し驚いたが、よく考えてみるとシュリクリシュナはこれまで日本国内で開催した絵画展に全てに参加しているのだ。そういえば絵画展に来た支援者の方が、シュリ・クリシュナの絵が展示されている様子を写真に写し、送ってくれた事があり、シュリ・クリシュナがその写真を嬉しそうに胸で抱きしめていた事があった。なるほどシュリクリシュナはそんな経験の中でいつの間にか絵に自信を持つようになっていたのだ。
子ども達には卒業までに何でもいいから一つ、“これだけは”というものを見つけて欲しいと何時も願っている。そうした自信こそが強靭な生命力を持つ人間の基礎になると僕は信じている。卒業してひと回り逞しくなったシュリクリシュナの横顔を見ていると、将来、彼が自らの力で逞しく生きている姿が浮かんできた。シュリクリシュナなら大丈夫だ!

村のお寺で休んでいると、今年ヒマラヤ小学校を卒業したシュリ・クリシュナがやって来て、抜けた前歯を上手に隠しつながら、嬉しそうに話しかけてきた。なんでもシュリクリシュナは進学した公立中学校で先生から絵を褒められて以来、周りから一目を置かれているらしいのだ。
「ほぅ、そりゃすごいな」と答えると、「お寺の絵とかね、あと村の絵とか、結構、難しいものばかり頼んで来るんだよ」と、なんともいえず嬉しそうな表情のシュリクリシュナ。愛嬌のあるくりっとした大きな目玉からは強い自信がみなぎっているようだった。
シュリクリシュナといえば何と言っても「遊び上手」というイメージが強く、絵とは結びつかなかったので少し驚いたが、よく考えてみるとシュリクリシュナはこれまで日本国内で開催した絵画展に全てに参加しているのだ。そういえば絵画展に来た支援者の方が、シュリ・クリシュナの絵が展示されている様子を写真に写し、送ってくれた事があり、シュリ・クリシュナがその写真を嬉しそうに胸で抱きしめていた事があった。なるほどシュリクリシュナはそんな経験の中でいつの間にか絵に自信を持つようになっていたのだ。
子ども達には卒業までに何でもいいから一つ、“これだけは”というものを見つけて欲しいと何時も願っている。そうした自信こそが強靭な生命力を持つ人間の基礎になると僕は信じている。卒業してひと回り逞しくなったシュリクリシュナの横顔を見ていると、将来、彼が自らの力で逞しく生きている姿が浮かんできた。シュリクリシュナなら大丈夫だ!
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2011年05月12日
築かれる伝統
5月12日
新4年生のソヴァが自主的に下級生にダンスを教え始めた。優しい眼差しを注ぎながら、手取り足取り丁寧に下級生を指導する様子を見ていると、数年前、当時5年生のラクシミから一生懸命ダンスを教わっていたソヴァの姿を思い出した。
ラクシミに大きな憧れを抱きながら無我夢中でダンスの練習に打ち込んでいたソヴァが、今こうしてその意志を引き継ぎ、下級生を指導している。学校に“伝統”が生まれるというのは、きっとこういうことなのだろう。子ども達というのは周りがあれこれ言わなくても、自然に何でも出来るようになるのだから本当に立派だと思う。
今、ソヴァからダンスを学んでいる子ども達が近い将来、下級生に教える日もやって来るのだろう。子ども達が築く伝統をしっかり見守っていきたい。


ラクシミに大きな憧れを抱きながら無我夢中でダンスの練習に打ち込んでいたソヴァが、今こうしてその意志を引き継ぎ、下級生を指導している。学校に“伝統”が生まれるというのは、きっとこういうことなのだろう。子ども達というのは周りがあれこれ言わなくても、自然に何でも出来るようになるのだから本当に立派だと思う。
今、ソヴァからダンスを学んでいる子ども達が近い将来、下級生に教える日もやって来るのだろう。子ども達が築く伝統をしっかり見守っていきたい。

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2011年05月10日
子ども達の急激な成長
5月10日
子ども達はひとつ学年が上がっただけで急に成長するから不思議だ。3月末の期末試験まで物静かだった子が、新学期が始まると同時に急に快弁になったり、何事にも積極的になったりして驚かされる事が多い。学年が上がり下級生がたくさん出来ることで上級生としての自覚が萌芽するのだろうか。
特に急激な成長を見せてくれるのは3年生で、支援者の事を強烈に意識し始めるのも、また学校への愛着や帰属意識を持ち始めるのも丁度この頃のようだ。実際、3年生まで勉強すれば、ほとんどの子が卒業まで辿りつけるのは、きっと保護者も児童の成長を実感できるからだろう。なにはともあれ、子ども達の成長を実感できる今の時期が僕達教職員にとっては一番楽しい時である。
さて新3年生、例年以上に元気な女子が多いのが特徴だ。先日など日本から戻り、久しぶりに学校を訪ねると新3年生達が囲んできて、「なんで黙って日本へ帰ったの」と詰め寄られた挙句、「もう口聞かない」という意味の「コッティ」を連呼され参ってしまった。その後、ポケットから取り出したスモモをプレゼントされたのだが、飴と鞭を使い分けられるようになるのも3年生からなのかもしれない。
そんなこともあって今年は賑やかな年になりそうだ。子ども達の元気さに負けないよう、僕も心身ともに鍛えねば。押忍!!

特に急激な成長を見せてくれるのは3年生で、支援者の事を強烈に意識し始めるのも、また学校への愛着や帰属意識を持ち始めるのも丁度この頃のようだ。実際、3年生まで勉強すれば、ほとんどの子が卒業まで辿りつけるのは、きっと保護者も児童の成長を実感できるからだろう。なにはともあれ、子ども達の成長を実感できる今の時期が僕達教職員にとっては一番楽しい時である。

そんなこともあって今年は賑やかな年になりそうだ。子ども達の元気さに負けないよう、僕も心身ともに鍛えねば。押忍!!
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2011年05月08日
継続の大切さ
5月8日
新学期から上級学年(3年〜5年生)の子ども達による花の栽培が始まった。児童一人が一つの植木鉢を担当して季節ごとに様々な花の栽培を行うもの。学校の美化はもとより、子ども達の情操を大いに涵養するものと期待している。
日本の小学校では朝顔の栽培・観察活動などが活発に行われているが、ネパールでは未だそういった活動は一部の私立学校を除いて行われていないのが現状だ。ヒマラヤ小学校では幸いにもNPO法人日本ケナフ開発機構の釜野徳明博士(神奈川大学名誉教授)の協力を受け、開校と同時にケナフ活動(子ども達が種まき〜栽培〜観察〜収穫〜パルプづくり〜紙漉き)が行われているのだが、実はこの活動、子ども達にはたいへん人気が高い反面、先生達の認識や盛り上がりはいまひとつといった感じだった。
これまで殆どの先生が教育研修を受けないまま教師となり、全て自分達の経験に基づいて指導が行われていたため、未経験の活動の意義を理解するのは少々難しかったようだ。植物なんて勝手に育つもの、という意識なのかもしれない。今、考えると、そんな状態で活動の意義を説き伏せようとしていたこと自体、無理があったのだと思う。
それでもケナフ活動を7年間続けてきたのだが、実は今回、学校の美化を進める事が決まった時、先生達から「ケナフ活動のように子ども達が花を栽培してはどうか?」という声が上がったのだ。思いがけない先生達の声に驚いたが、これは本当に嬉しい誤算だった。7年という長い時間が掛かったものの、諦めずに活動を続けた事で、先生達の活動に対する理解が少しずつ深まっていったのだろう。これも子ども達が熱心にケナフ活動を続けて来た成果だと思う。
支援活動に合理性や功利性を持ち込む事は出来ない。「これだけ時間と労力を支払って尽くしたのだから、相手も当然それだけの事は返してくれるべきだ」などと見返りを求めていては何時までたっても活動を定着させることは不可能だ。何事も相手を説得するのではなく、相手が“納得”するまで粘り強く続ける事が大切なんだと思う。”やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。”そんな言葉を思い出しつつ、花の開花を待ち遠しく思う今日この頃だ。

日本の小学校では朝顔の栽培・観察活動などが活発に行われているが、ネパールでは未だそういった活動は一部の私立学校を除いて行われていないのが現状だ。ヒマラヤ小学校では幸いにもNPO法人日本ケナフ開発機構の釜野徳明博士(神奈川大学名誉教授)の協力を受け、開校と同時にケナフ活動(子ども達が種まき〜栽培〜観察〜収穫〜パルプづくり〜紙漉き)が行われているのだが、実はこの活動、子ども達にはたいへん人気が高い反面、先生達の認識や盛り上がりはいまひとつといった感じだった。
これまで殆どの先生が教育研修を受けないまま教師となり、全て自分達の経験に基づいて指導が行われていたため、未経験の活動の意義を理解するのは少々難しかったようだ。植物なんて勝手に育つもの、という意識なのかもしれない。今、考えると、そんな状態で活動の意義を説き伏せようとしていたこと自体、無理があったのだと思う。
それでもケナフ活動を7年間続けてきたのだが、実は今回、学校の美化を進める事が決まった時、先生達から「ケナフ活動のように子ども達が花を栽培してはどうか?」という声が上がったのだ。思いがけない先生達の声に驚いたが、これは本当に嬉しい誤算だった。7年という長い時間が掛かったものの、諦めずに活動を続けた事で、先生達の活動に対する理解が少しずつ深まっていったのだろう。これも子ども達が熱心にケナフ活動を続けて来た成果だと思う。
支援活動に合理性や功利性を持ち込む事は出来ない。「これだけ時間と労力を支払って尽くしたのだから、相手も当然それだけの事は返してくれるべきだ」などと見返りを求めていては何時までたっても活動を定着させることは不可能だ。何事も相手を説得するのではなく、相手が“納得”するまで粘り強く続ける事が大切なんだと思う。”やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。”そんな言葉を思い出しつつ、花の開花を待ち遠しく思う今日この頃だ。
hsf at 11:24|Permalink│
2011年05月05日
職業訓練を学校のカリキュラムに
ユネスコや国際ソロプチミスト新宿クラブの協力の元、ヒマラヤ小学校の卒業生や村の女性達を対象に行っている職業訓練も早いもので3年目に入った。大勢の方のご協力を頂き、これまでのところある程度、順調に進んではいるものの、正直、このままではいけない、という強い危機感を持っている。
職業訓練所はヒマラヤ小学校を卒業した児童の自立を目指して始まった活動だが、最近、卒業生という枠に囚われず、もう少し早い時期から職業訓練にかかわった方がいいのではないかと考えるようになった。できれば現在のような学校と職業訓練所を分けて運営するのではなく、この際、学校のカリキュラムの中に職業訓練を取り入れて、授業の中で職業技術を学ぶという形に出来ないかと本気で考えている。たとえば1時間目から4時間目までは通常の授業を行い、昼休みを挟んで5時間目、6時間目は職業技術を学ぶという形はどうだろうか。もちろん宿題は一切無し。これによって子ども達は卒業時までに何らかの職業技術を身につける事が出来るようになる。技術というのは長い期間にわたる基本の訓練と修行が不可欠だ。だからこそ小さい内から技術に慣れ親しみ、修行を積んでいくことがとても重要ではないだろうか。生産したものは販売して、その利益を学校運営に充てたり、もちろん一部は児童福祉基金として子ども達にも支払う事も出来るだろう。そうすれば教科書やノートを自分達で購入することも出来るようになるので自立意識の高揚にも繋がるはずだ。
もちろん実現には様々な困難もあるだろうが、これまでの考えを根本から改め、新しい方向に進んでいきたいと思う。これから支援者の皆さんとも相談しながら構想をしっかり煮詰めていきたい。

もちろん実現には様々な困難もあるだろうが、これまでの考えを根本から改め、新しい方向に進んでいきたいと思う。これから支援者の皆さんとも相談しながら構想をしっかり煮詰めていきたい。
hsf at 04:29|Permalink│
2011年05月01日
なんとかなる
5月1日
本格的な雨季が始まろうとしている今の時期、どんよりとした雲が空を覆い、なんとなく気分も重い。これから日ごとに雨の降る時間が長くなり、雨季が明ける10月下旬頃までは毎日が雨との戦いになる。乾季の間は頻繁に姿を現したヒマラヤも雨季の間は滅多に見ることがないのだが、それでも大雨が降った後などに時々、雲の合間から美しい姿を見せてくれることがある。僕は雨季に見えるヒマラヤがけっこう好きだ。重い雲を跳ね除ける力強さになんとなく惹かれるのかもしれない。
今、ヒマラヤ小学校は開校以来、一番厳しい運営状況にある。先行きの不透明感が増す中で、いかに運営状況を立て直していくか千思万考、試練の日々が続いている。それでもこうして雲間から覗いた雄大ヒマラヤを見ていると、些細なことに捉われ必死になっている自分が馬鹿馬鹿しく滑稽に思えてくる。こんな時こそネパールの人々の“なんとかなる”という前向きな習慣を見習わなくては。
雨季が明ければ澄み渡る青空の下に美しいヒマラヤが堂々と姿を現す。ヒマラヤ小学校も何時かそんな日を迎えるはずだ。明日を信じて頑張りたい。

今、ヒマラヤ小学校は開校以来、一番厳しい運営状況にある。先行きの不透明感が増す中で、いかに運営状況を立て直していくか千思万考、試練の日々が続いている。それでもこうして雲間から覗いた雄大ヒマラヤを見ていると、些細なことに捉われ必死になっている自分が馬鹿馬鹿しく滑稽に思えてくる。こんな時こそネパールの人々の“なんとかなる”という前向きな習慣を見習わなくては。

hsf at 10:34|Permalink│