2011年03月

2011年03月29日

卒業生

3月29日

第3期卒業生2005年当時20日から3学期期末試験が始まった。来月初旬に行われる成績発表が終わると、今年も5年生がヒマラヤ小学校を卒業し、それぞれの道へと巣立っていく。既述のとおり今年の卒業生は開校当時を知る最後の児童でもある。来年度からは開校当時を知らない子ども達が学校を引っ張っていく事になるが、ぜひ、学校の生い立ちについてしっかり伝えながら、リーダーとしての自覚を引き出したいと思う。しかし、こうして毎年バトンタッチが行われながら学校の歴史や伝統が築かれていくのだなぁと改めて感慨を覚える今日この頃だ。

写真は卒業する5年生の2005年度のクラス写真。当時、幼稚園年長クラスだった。既に学校を退学した子や、中には落第して現在も学校に残る子も・・・・ということは、開校当時を知る児童は未だいるということになるのだが・・・・それはそれでいいとしよう。



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2011年03月24日

教育への理解を深めるために

3月24日

キャンペーン学校周辺の村々での教育普及を目指して始まった教育普及キャンペーン一軒ずつ家を訪ねて教育の必要性を訴えるという地道な活動だが、やはり相手の話(窮状)をしっかり聞き、その上で教育(学校)が果たす役割について話す事が重要だと感じている。

ヒマラヤ小学校では残念ながら毎年5名程度の児童が様々な理由で学校を去っていく。他の村から移住して来た日雇い労働者の家庭が多く、別の村で条件の良い仕事が見つかると再び別の村へ移住するケースが多い。結局、元を辿れば保護者の教育に対する理解、つまり子どもを学校へ行かせる優先順位が低いことが原因だ。

時々、学校関係者の間から「無償教育だから身勝手に学校を辞めていくのだ。早く有償教育に切り替えるべきだ」という声も出てくるが、果たしてそうだろうか。昨年の4月に開催した保護者会では、「私達、家族がブンガマティ村にいるのは、この村にヒマラヤ小学校があるからです」と、涙を零しながら語った保護者がいて胸が熱くなったことを覚えている。厳しい窮状を抱える中で語った保護者のあの力強い言葉に、僕自身どれだけ勇気付けられただろう。

村のこども教育への理解がしっかり深まれば、どんなに苦しくても皆、頑張れるのだ。やはり時間は掛かっても地道な活動を通して保護者の教育に対する理解を深めることの方が大事ではないだろうか。「教育キャンペーン」期間中、一人でも多くの村人としっかり会話を交わしたいと思う。



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2011年03月20日

教育の普及を目指して

3月20日

煉瓦工場今年からヒマラヤ小学校主催による教育キャンペーンを周辺の村々で開催することになった開校してからこれまで主に村内での教育普及に取り組んできたが、村で教育が根付いてきた今、少し範囲を広げ周辺の村々での教育普及に取り組んでいこうというもの。こうした学校の取り組みが少しでも教育の普及、延いては社会貢献に繋がればと思う。

ヒマラヤ小学校の開校から7年、社会の大きな変化もあり(もちろんヒマラヤ小学校が果たした役割もあると自負している)、村の人々の教育に対する関心が確実に高まっていることを実感できるようなった。以前は日中、村のいたるところで学校へ行かずに仕事をしている子ども達を良く見かけたものだが、今では殆ど見かけなくなった。これも村の人たちの教育への関心が高まり、村に教育が根付いてきている証だろう。とても嬉しい変化だ。

工場しかし、村から少し離れた周辺の村々では今も多くの子ども達が未就学のまま労働者として働いている現状だ。点在する煉瓦工場では子ども達が日干し煉瓦を作ったり、乾いた煉瓦を驢馬に乗せ焼き場へ運ぶ姿を目にする。

数年前、煉瓦工場で児童労働の実態調査を行った時、工場で働いていた少年に将来の夢を尋ねると、「夢なんてない。お腹いっぱい食べたいだけ」という答えが返ってきて返す言葉を失った事を鮮明に覚えている。過酷な労働によって手や足にはあかぎれが出来、額から流れる汗が砂埃で真っ白になった顔に何本もの線を作っていた少年。背中に背負った小さな妹を優しい笑顔であやしていたあの少年は今、どんな人生を送っているのだろうか・・・・・・

これから教育の普及活動を行うにあたり、教育環境の充実はもちろんだが並行して職業訓練校の充実が欠かせない。親が職業技術を身につけ収入を得られるようになれば、子ども達の就学は決して夢ではないはずだ。皆で一丸となって取り組むことで教育普及キャンペーンの成果を上げたい。




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2011年03月17日

ブログ更新についてお詫びとお知らせ

長期間に渡りブログの更新が出来ず、申し訳ございませんでした。環境が整いましたので、本日より(ゆっくりではありますが)ブログの更新を再開いたします。(10月14日分より更新いたしました。)どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

尚、ヒマラヤ小学校の子ども達の活躍については、ヒマラヤ青少年育英会HP内の「ヒマラヤ小学校通信」も併せてお目通しいただきましたら望外の喜びです。吉岡 大祐

追記:2010年10月分を更新しました。

7周年

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2011年03月16日

決してうつむいてはいけない

3月16日

resize1174先日、子ども達が配ったチョコレートを食べず、ポケットへしまい込んで家で待つ弟や妹達のために持って帰ることをブログで書いたところ、大きな反響があった。

子ども達の健気な思いやりに涙が毀れた、と感想をくれた年配の方、子ども達の優しさが素晴らしいと絶賛してくれた小学生のお子さんを持つ主婦の方、これからも子ども達の思いやりを大切に頑張って欲しい、と励ましをくれた方や、中には子ども達にチョコレートを贈りたいというお申し出まであり、皆さんのそれぞれの温かい優しさに胸が熱くなった。

子ども達には何時も「しっかり勉強して世の中の役に立てば、いつかチョコレートを食べられる日が来る」と、話している。子ども達が明日を信じて明るく生きれば、きっと未来を切り開く大きな力になるのではないだろうか。「決してうつむいてはいけない」ヘレン・ケラーの言葉が心に浮かぶ。








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2011年03月13日

集団下校

3月13日

集団下校日本の教育現場では子どもの安全を守ったり、学習意欲を高めるための取り組み、その他にも子どもの成長に役立つ様々な取り組みが行われている。自分自身が子どもの頃、当たり前のように行われていた取り組みも、学校運営に関わるようになり改めて一つひとつの取り組みの意義を考えてみると、なるほどよく出来ているなぁ、と感心するものがとても多く、どれもヒマラヤ小学校で導入したいものばかりだ。

ヒマラヤ小学校で集団下校が始まった集団下校は開校当初から導入したいと考えていた取り組みの一つだったが、なかなか実現できないまま時間だけが過ぎていった。昨年、学校で保護者会を開催した時に保護者から下校時の安全確保に関する要望が数多く寄せられたことから対策を講じることとなり、ようやく集団下校が実現する運びとなった。今回、集団下校がスムーズに導入できたのは、何といってもヤッギャ校長が2009年に日本を訪問し、実際に集団登校の様子を目にした事が大きい。校長自身がその必要性や意義を実感したからこそ集団下校が実現できたのだ。校長の日本訪問の成果はいろんなところで出ている。(*集団登校は今のところ実施の予定はありません。)

集団下校の意義は単に下校時の児童の安全を守るためだけでなく、下級生の面倒を見る上級生達にとっても年長者としての自覚や下級生に対する思いやりの心が育まれるなど、たくさんの利点があるのではないだろうか。

<手段下校また今回導入した集団下校では必ず教職員が児童を見送ることが決まり、教職員が児童に話しかけたり、ハイタッチをするなどして児童とのコミュニケーションを図ることになった。教科担任制になった事で希薄なりがちな教師と児童の関係を改善することも集団下校を導入する目的のひとつだ。

導入から約3ヶ月、すっかり定着したような感がある集団下校。集団下校の定着を足がかりに、他の有意義な取り組みについても導入を目指していきたいと思う。










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2011年03月05日

顔が見える

3月5日

児童「アッハァ〜コスト〜ラムロ〜(あ〜なんて可愛いのかしら)」
ヒマラヤ小学校の小さな女子児童たちがネックレスを首に巻きながら幸せそうに囁いた。

ネックレスはヒマラヤ小学校の卒業生達が職業訓練校で製作した物。この日、職業訓練校で学ぶ数名の卒業生が初めて自分達で作ったアクセサリーを先生や在校生に見せようと、学校へ持って来てくれたのだ。憧れの卒業生達が作ったアクセサリーに胸トキメかせている女子児童達。その表情から「いつか自分も・・・・・」という心の声が聞こえてきた。

物作りの醍醐味は何と言っても人に喜んで貰える事ではないだろうか。アクセサリーを喜ぶ下級生達の姿が、卒業生の頑張る意欲を強く掻き立てたに違いない。すべての活動はやはり、“顔が見える”ことに尽きる気がする。


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2011年03月04日

相互理解

3月4日

子どもヒマラヤ小学校が開校してからもう直ぐ7年が過ぎようとしている。最近では開校当初に比べると、ずいぶん学校らしくなったなぁと実感できる事も多くなった。

これまでの7年の活動は僕にとって、“どんな小さな努力でもコツコツと続けていればいつか力になる事”を学んだ7年でもあった。自分の不勉強や能力の欠如もあって決して楽な道のりではなかったが、どんな状況になっても悲観や絶望をせずに続けてこられたのは人に恵まれ、その都度、周囲に人々に助けられたことと、何よりも主役である子ども達が頑張ってくれたからに他ならない。努力を積み重ねることの大切さを教えてくれたのは子ども達だった。

外国での支援活動の難しさは、お互いの国の文化や習慣に基づいた常識が通用しないところにある。これまで僕達の活動の中で上手くいかなかった事はもちろん、他の支援団体や政府レベルでの援助活動の失敗例も、多くは相互理解の欠如が原因だったのではないかと思う。

お互いが“当たり前”の考えをなくし理解を深めることは容易なことではないが、7年間で学んだことを大切に、コツコツと小さな努力を積み上げながら、次の5年、そして10年の青写真を描いてみたい。




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2011年03月03日

自立を目指して

3月3日

児童ヒマラヤ小学校は“子ども達の将来の自立”を大きな目標の一つに掲げ、様々な活動を行っている。職業訓練校はその主力事業であり、また学校で行われている様々な交流活動も自立の意識を高揚させるための大事な活動だ。

ヒマラヤ小学校は開校以来、誰もが安心して学べるよう無償教育を実施している、いわゆる福祉学校だ。福祉というのは施しや恩恵ではなく、貧しい子ども達が生きる勇気をどう得られるかが肝心な要点だと思う。そのためには時に自分の責任の欠如や性格上の欠点に気づく内省の力を持つことが大切で、いつも世間を嘆いていては本当の勇気は絶対に出てこないと思う。

「自立」を目指す上で福祉を考える場合、必要なのは一律な平等ではなく、チャンスの平等が与えられることではないかと思う。努力や生きがいを失ってしまう一律な結果の平等ではなく、チャンスの平等によって、それぞれの子ども達が知恵と努力と勇気に応じ、それぞれ異なった自立に到達すべきだと僕は考えている。そのために僕達、周囲の人間は子ども達の能力をしっかり理解し、より良い方向へ導く努力を続ける必要があるだろう。



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