2010年10月
2010年10月22日
帰国
22日
普段、学校で撮った写真データは外付けのHDDに保存している。子ども達の成長の記録を写真に残そうと思うと、撮る枚数も自然と増えてしまうのだが、子ども達の豊かな表情を写真に収めるのは僕の楽しみのひとつでもある。実は昨日、写真を保存してあった大切なHDDの一つが故障してしまうという、(僕にとって)大事が起こってしまった。ダサイン前までの数ヶ月の写真を保存したもので、ちょうど予備のHDDがなかったためバックアップを一切していないという不運まで重なってしまった。復旧の余地が全くない訳ではないが、支援の実施報告のための大切な写真もあり、気分が滅入ってしまった。これも自分自身への戒めと考え、気持ちを入れ替えるしかない。
さて先日、所用のため一時帰国した。今回は都内での絵画展の他、松山・道後ライオンズクラブの50周年記念式典や国際ソロプチミストの年次大会(松山)への出席。その他にも母校での講演やふるさと愛媛で後援会の設立、という嬉しい行事が沢山ある。HDDの故障なんかで滅入っている場合ではない。気分を奮い立たせ精一杯、帰国の日程をやりぬきたいと思う。
普段、学校で撮った写真データは外付けのHDDに保存している。子ども達の成長の記録を写真に残そうと思うと、撮る枚数も自然と増えてしまうのだが、子ども達の豊かな表情を写真に収めるのは僕の楽しみのひとつでもある。実は昨日、写真を保存してあった大切なHDDの一つが故障してしまうという、(僕にとって)大事が起こってしまった。ダサイン前までの数ヶ月の写真を保存したもので、ちょうど予備のHDDがなかったためバックアップを一切していないという不運まで重なってしまった。復旧の余地が全くない訳ではないが、支援の実施報告のための大切な写真もあり、気分が滅入ってしまった。これも自分自身への戒めと考え、気持ちを入れ替えるしかない。
さて先日、所用のため一時帰国した。今回は都内での絵画展の他、松山・道後ライオンズクラブの50周年記念式典や国際ソロプチミストの年次大会(松山)への出席。その他にも母校での講演やふるさと愛媛で後援会の設立、という嬉しい行事が沢山ある。HDDの故障なんかで滅入っている場合ではない。気分を奮い立たせ精一杯、帰国の日程をやりぬきたいと思う。
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2010年10月20日
夢を育てる教育
20日
ヒマラヤ小学校が未だ建設途中であった2003年、「社会と教育」という雑誌に「夢を育てる教育」と題した拙稿を寄稿した事があった。あの頃、ネパールの教育に必要なのはとにかく夢を育てる教育だ、と必死に訴えていたことを鮮明に覚えている。それから8年あまり、その気持ちは今も変わらぬどころか、今まで以上にその思いを強くしている。
開校当初から先生たちには、子ども達が何かやりたいと手を挙げた時、必ず応援して欲しい、という事だけは強く願いしている。出来ない、無理だ、と決め付けるのではなく、「よし、やってみよう」と子ども達と一緒に夢を共有し、背中を押したり、手を引いたりして、どんなことがあっても応援する姿勢を示すことが子ども達の夢を育てる上で一番大事な事ではないだろうか。
日本をはじめ諸外国の人々との交流活動が活発になり、交流した人々に対して「お兄さん、お姉さんのようになりたい」、あるいは卒業生や在校の上級生に対して大きな夢や憧れ、身近な目標を抱く子が出てきた今、改めて夢を育てる教育について先生達としっかり考えてみたい。夢を応援してくれる先生との出会いが子ども達の人生を決定づけると言っても決して過言ではないはずだ。
ヒマラヤ小学校が未だ建設途中であった2003年、「社会と教育」という雑誌に「夢を育てる教育」と題した拙稿を寄稿した事があった。あの頃、ネパールの教育に必要なのはとにかく夢を育てる教育だ、と必死に訴えていたことを鮮明に覚えている。それから8年あまり、その気持ちは今も変わらぬどころか、今まで以上にその思いを強くしている。
開校当初から先生たちには、子ども達が何かやりたいと手を挙げた時、必ず応援して欲しい、という事だけは強く願いしている。出来ない、無理だ、と決め付けるのではなく、「よし、やってみよう」と子ども達と一緒に夢を共有し、背中を押したり、手を引いたりして、どんなことがあっても応援する姿勢を示すことが子ども達の夢を育てる上で一番大事な事ではないだろうか。
日本をはじめ諸外国の人々との交流活動が活発になり、交流した人々に対して「お兄さん、お姉さんのようになりたい」、あるいは卒業生や在校の上級生に対して大きな夢や憧れ、身近な目標を抱く子が出てきた今、改めて夢を育てる教育について先生達としっかり考えてみたい。夢を応援してくれる先生との出会いが子ども達の人生を決定づけると言っても決して過言ではないはずだ。
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2010年10月18日
ダサイン
18日
今年も無事、ダサイン祭りを迎える事が出来た。支援者の皆さんに心から感謝申し上げたい。ダサインは日本でいう正月のようなもので、ダサインを越えられるかどうかというのは、とても重要な意味を持っている。長引く超インフレの影響で運営は依然として厳しい状況が続いているが、改善に向けた協議を繰り返し、少しずつだが考えが纏まりつつある状況だ。支援者の皆さんの負担を増やさず、自助努力によってこの困難を乗り越えられるかどうかが、今後、ヒマラヤ小学校を持続できるかの大きな鍵になると考えている。
それにしても、子ども達の屈託のない笑顔を見ていると、運営問題で深いため息をついている自分が情けなくなってしまう。学校はだれのためにあるか、そのことさえしっかり認識すれば、どんな困難も乗り越えられるはずだ。
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」兎に角、社会の変化にしっかり合わせながら真剣勝負で頑張りたい。
今年も無事、ダサイン祭りを迎える事が出来た。支援者の皆さんに心から感謝申し上げたい。ダサインは日本でいう正月のようなもので、ダサインを越えられるかどうかというのは、とても重要な意味を持っている。長引く超インフレの影響で運営は依然として厳しい状況が続いているが、改善に向けた協議を繰り返し、少しずつだが考えが纏まりつつある状況だ。支援者の皆さんの負担を増やさず、自助努力によってこの困難を乗り越えられるかどうかが、今後、ヒマラヤ小学校を持続できるかの大きな鍵になると考えている。
それにしても、子ども達の屈託のない笑顔を見ていると、運営問題で深いため息をついている自分が情けなくなってしまう。学校はだれのためにあるか、そのことさえしっかり認識すれば、どんな困難も乗り越えられるはずだ。
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」兎に角、社会の変化にしっかり合わせながら真剣勝負で頑張りたい。
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2010年10月17日
メヌカ メヌカ メヌカ
17日
今月9日、ダサイン祭りを記念した空手プログラムがラリットプール郡のパカチョーク村で開かれ、ヒマラヤ小学校から空手部員が出場した。今回のプログラムは試合形式ではなく、ヒマラヤ小学校空手部とネパール和道会空手パカチョーク道場の少年カラテカ達が、形や分解、壷割りなど日頃の稽古の成果を披露するものだった。ヒマラヤ小学校の卒業生で空手部OBのスニールやプロビンらも参加して賑やかだったが、最近、試合で入賞する機会が増えたヒマラヤ小学校空手部員達には、試合のない今日のプログラムは少々、拍子抜けの感があったかもしれない。それにしても村の中心にある小高い丘に設けられた会場からは「押忍!、押忍!」という少年空手家達の威勢の良い掛け声がこだまして耳に心地よかった。
プログラムではヒマラヤ小学校空手部の5人が型分解を披露したり、3年生のサチンがチューブライト割を披露したりして大活躍した。一生懸命、稽古を頑張った成果だろう。すっかり上達した子ども達の姿に思わず胸がいっぱいになった。
プログラムの合間にはパカチョーク村の学生達による歌や踊りが披露され、プログラムに花を添える形で会場を盛り上げたのだが、実はヒマラヤ小学校から応援に駆けつけた3年生の(自他共に認める)踊り姫・メヌカが、村の学生達の踊りを見てライバル心に火がついてしまい、突然、私も躍らせて欲しい、と主催者に直訴するというハプニングが起こった。
この日、メヌカは風邪で体調が悪く、口にはマスクを着けていたのだが、主催者がメヌカの踊りを認めると、それまで着けていたマスクを脱ぎ捨て、本気モードでステージに立った。メヌカの小さな体から感じる気概は相当な物で、当初は笑っていた観衆も静まり返り、会場には不思議な緊張感が走った。曲が流れ始めると、朝の体調不良が嘘のように生気溌剌とステージいっぱいに駆け回りながら踊ったメヌカ。決めのポーズではニヤリとする余裕まで見せ、空手大会の主役の座は完全にメヌカが奪うことになった。少年空手家たちもメヌカの逞しさにはかなわかったようだ。
子ども達にはどんなことでも良いからメヌカのように好きなことや、”これだけは”というものを卒業までに一つ、見つけて欲しいと何時も願っている。将来、子ども達が社会に出た時、きっとその自信が貧しさに負けない逞しい精神を育て、未来を切り開く力になるのだと思う。
そんな事を思いながら帰路につくと、川沿いのススキの群れがやさしく揺れ、空を包むうろこ雲は茜色に染まりながらゆっくり流れていた。今年はどんなダサインになるのだろう。
今月9日、ダサイン祭りを記念した空手プログラムがラリットプール郡のパカチョーク村で開かれ、ヒマラヤ小学校から空手部員が出場した。今回のプログラムは試合形式ではなく、ヒマラヤ小学校空手部とネパール和道会空手パカチョーク道場の少年カラテカ達が、形や分解、壷割りなど日頃の稽古の成果を披露するものだった。ヒマラヤ小学校の卒業生で空手部OBのスニールやプロビンらも参加して賑やかだったが、最近、試合で入賞する機会が増えたヒマラヤ小学校空手部員達には、試合のない今日のプログラムは少々、拍子抜けの感があったかもしれない。それにしても村の中心にある小高い丘に設けられた会場からは「押忍!、押忍!」という少年空手家達の威勢の良い掛け声がこだまして耳に心地よかった。
プログラムではヒマラヤ小学校空手部の5人が型分解を披露したり、3年生のサチンがチューブライト割を披露したりして大活躍した。一生懸命、稽古を頑張った成果だろう。すっかり上達した子ども達の姿に思わず胸がいっぱいになった。
プログラムの合間にはパカチョーク村の学生達による歌や踊りが披露され、プログラムに花を添える形で会場を盛り上げたのだが、実はヒマラヤ小学校から応援に駆けつけた3年生の(自他共に認める)踊り姫・メヌカが、村の学生達の踊りを見てライバル心に火がついてしまい、突然、私も躍らせて欲しい、と主催者に直訴するというハプニングが起こった。
この日、メヌカは風邪で体調が悪く、口にはマスクを着けていたのだが、主催者がメヌカの踊りを認めると、それまで着けていたマスクを脱ぎ捨て、本気モードでステージに立った。メヌカの小さな体から感じる気概は相当な物で、当初は笑っていた観衆も静まり返り、会場には不思議な緊張感が走った。曲が流れ始めると、朝の体調不良が嘘のように生気溌剌とステージいっぱいに駆け回りながら踊ったメヌカ。決めのポーズではニヤリとする余裕まで見せ、空手大会の主役の座は完全にメヌカが奪うことになった。少年空手家たちもメヌカの逞しさにはかなわかったようだ。
子ども達にはどんなことでも良いからメヌカのように好きなことや、”これだけは”というものを卒業までに一つ、見つけて欲しいと何時も願っている。将来、子ども達が社会に出た時、きっとその自信が貧しさに負けない逞しい精神を育て、未来を切り開く力になるのだと思う。
そんな事を思いながら帰路につくと、川沿いのススキの群れがやさしく揺れ、空を包むうろこ雲は茜色に染まりながらゆっくり流れていた。今年はどんなダサインになるのだろう。
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2010年10月16日
教員研修
16日
最近、ムヌ先生の頑張りには目を見張るものがある。メラニー先生による教育指導が行われて以降、きっとムヌ先生なりに何かの自信を掴んだのだろう。
ムヌ先生の呼びかけで教室の壁には子ども達の製作した絵や詩、さらには授業に必要な教材の展示が行われるようになり、これまで殺風景だった教室が華やいだ雰囲気になった。教室を訪ねる度に展示された作品を自慢する子ども達を見ていると、その効果を実感することが出来る。
4月7日付けのブログで書いたとおり、これまでの6年間、必ずしも教員研修に十分、力を注ぐ事が出来なかった反省から今後は学校として教員養成に全力を挙げる事になった。メラニー先生による教員指導を皮切りに、これから国内の大手私立学校での研修プログラム参加や外国人教師による教育指導を行うことが決まり、来年の2月からは英国、オランダ、オーストラリアの教師による教育指導が行われる事も既に決まっている。
知識や技術というのは、とにかく何でもいいから吸収しておけばいいのだと思う。今、急に使い方が分からないことでも、いつか必ず役立つ日が来るはずだ。学んだ知識や技術が頭の中で繋がった時、先生達は大きな自信とともに最高のパフォーマンスを披露してくれるに違いない。
最近、ムヌ先生の頑張りには目を見張るものがある。メラニー先生による教育指導が行われて以降、きっとムヌ先生なりに何かの自信を掴んだのだろう。
ムヌ先生の呼びかけで教室の壁には子ども達の製作した絵や詩、さらには授業に必要な教材の展示が行われるようになり、これまで殺風景だった教室が華やいだ雰囲気になった。教室を訪ねる度に展示された作品を自慢する子ども達を見ていると、その効果を実感することが出来る。
4月7日付けのブログで書いたとおり、これまでの6年間、必ずしも教員研修に十分、力を注ぐ事が出来なかった反省から今後は学校として教員養成に全力を挙げる事になった。メラニー先生による教員指導を皮切りに、これから国内の大手私立学校での研修プログラム参加や外国人教師による教育指導を行うことが決まり、来年の2月からは英国、オランダ、オーストラリアの教師による教育指導が行われる事も既に決まっている。
知識や技術というのは、とにかく何でもいいから吸収しておけばいいのだと思う。今、急に使い方が分からないことでも、いつか必ず役立つ日が来るはずだ。学んだ知識や技術が頭の中で繋がった時、先生達は大きな自信とともに最高のパフォーマンスを披露してくれるに違いない。
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2010年10月14日
シーマの存在
11月14日
最近、ヒマラヤ小学校空手部の部員が急増している。大会での入賞をはじめ、学習発表会で形や分解を披露するなど、空手部員の活躍の場が増えた事が理由だと思うが、新入部員の殆どが女子という現状を見ると、なんといっても4年生のシーマとビマラ姉妹の存在が大きいのではないだろうか。
シーマ、ビマラ姉妹は2006年の春に入学した児童で、入学当初から何事にも積極的で元気な女の子だ。お転婆という言葉が似合っていた2人も、4年生になってからは急に落ち着き始め、学校のリーダー的な役割を果たしてくれるようになった。特に姉のシーマの成長は著しく、下級生を優しくお世話する優しさと、一を聞いて十を知る聡明さがあいまって僕達がシーマに助けられることも多い。
先月、行われた期末試験の成績発表では、入学以来ずっとクラスで1番の成績だったシーマと、同じくずっと2番だった妹のビマラの順位が入れ替わるという珍事が起こった。試験だから順位の入れ替えが起こることは当たり前の話だが、4年間、ずっと1番を維持してきたシーマは、きっとガッカリしたに違いないと思っていたところ、なんとシーマは友人や先生達に「ビマラが一番になったよ!」と、満面の笑みを浮かべながら自慢して歩いていていたのだ。妹の頑張りを素直に喜ぶシーマを見ていると、性格の良さと共に器の大きさを感じずにはいられなかった。
空手部員としても大会で2番になるなど大活躍しているシーマ。そんなシーマに小さな女の子達は大きな憧れを持っているのだろう。思えば数年前まで第一期卒業生のラクシミをいつも憧れの眼差しで見ていたシーマが、今では下級生から同じように憧れの眼差しで見られる存在になっているのだから感慨深い。こうして子ども達は身近な目標を持ちながら成長していくのだろう。
シーマにはこれから大いに自分を高めて、小さな子ども達をどんどん引っ張っていって欲しい。近い将来、第2、第3のシーマの登場し、その子達を見て、また第4、第5のシーマが育つ、、、そんな学校を作っていけたらいいなぁ、と思う。主役はやはり子ども達だ。
最近、ヒマラヤ小学校空手部の部員が急増している。大会での入賞をはじめ、学習発表会で形や分解を披露するなど、空手部員の活躍の場が増えた事が理由だと思うが、新入部員の殆どが女子という現状を見ると、なんといっても4年生のシーマとビマラ姉妹の存在が大きいのではないだろうか。
シーマ、ビマラ姉妹は2006年の春に入学した児童で、入学当初から何事にも積極的で元気な女の子だ。お転婆という言葉が似合っていた2人も、4年生になってからは急に落ち着き始め、学校のリーダー的な役割を果たしてくれるようになった。特に姉のシーマの成長は著しく、下級生を優しくお世話する優しさと、一を聞いて十を知る聡明さがあいまって僕達がシーマに助けられることも多い。
先月、行われた期末試験の成績発表では、入学以来ずっとクラスで1番の成績だったシーマと、同じくずっと2番だった妹のビマラの順位が入れ替わるという珍事が起こった。試験だから順位の入れ替えが起こることは当たり前の話だが、4年間、ずっと1番を維持してきたシーマは、きっとガッカリしたに違いないと思っていたところ、なんとシーマは友人や先生達に「ビマラが一番になったよ!」と、満面の笑みを浮かべながら自慢して歩いていていたのだ。妹の頑張りを素直に喜ぶシーマを見ていると、性格の良さと共に器の大きさを感じずにはいられなかった。
空手部員としても大会で2番になるなど大活躍しているシーマ。そんなシーマに小さな女の子達は大きな憧れを持っているのだろう。思えば数年前まで第一期卒業生のラクシミをいつも憧れの眼差しで見ていたシーマが、今では下級生から同じように憧れの眼差しで見られる存在になっているのだから感慨深い。こうして子ども達は身近な目標を持ちながら成長していくのだろう。
シーマにはこれから大いに自分を高めて、小さな子ども達をどんどん引っ張っていって欲しい。近い将来、第2、第3のシーマの登場し、その子達を見て、また第4、第5のシーマが育つ、、、そんな学校を作っていけたらいいなぁ、と思う。主役はやはり子ども達だ。
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2010年10月12日
ボクが、ワタシが王様だったら。。。。
6日(水)
ヒマラヤ小学校で子ども達の絵の制作が始まった。描いた絵が日本国内の絵画展で発表されるとあって、毎回、参加者が増え続けている。ネパールに戻り絵画展の様子を話したり、写真を見せたりすると、目を輝かせて嬉しそうな表情を浮かべる子ども達。やはり子ども達は““誉めて欲しい”という気持ちがとても強いのだろう。
今年は「ボクが、ワタシが王様だったら」というテーマで絵を描くことになった。これまでの夢や村の風景と違い、今回は少し創造力を膨らませるようなテーマだ。開校から6年半が過ぎ、ようやくこういったテーマにも挑戦できるようになったのは、継続の成果といえるかもしれない。
さて今回の子どもの作品、『ボクが王様になったら。。。。。毎日、お祭りにしたい』という子や、たくさんご飯を食べたい等、ヒマラヤ小学校らしい素直な作品が続々と出ている。ぜひ、大勢の人に子供たちの作品をお楽しみいただけたらと思う。それにしても、子供たちの作品を見ていると本当に子供たちを王様にしてみたい気持ちになる。きっと夢にあふれた楽しい世界になるのだろうな~。
ヒマラヤ小学校絵画展についてのお知らせ
ヒマラヤ小学校で子ども達の絵の制作が始まった。描いた絵が日本国内の絵画展で発表されるとあって、毎回、参加者が増え続けている。ネパールに戻り絵画展の様子を話したり、写真を見せたりすると、目を輝かせて嬉しそうな表情を浮かべる子ども達。やはり子ども達は““誉めて欲しい”という気持ちがとても強いのだろう。
今年は「ボクが、ワタシが王様だったら」というテーマで絵を描くことになった。これまでの夢や村の風景と違い、今回は少し創造力を膨らませるようなテーマだ。開校から6年半が過ぎ、ようやくこういったテーマにも挑戦できるようになったのは、継続の成果といえるかもしれない。
さて今回の子どもの作品、『ボクが王様になったら。。。。。毎日、お祭りにしたい』という子や、たくさんご飯を食べたい等、ヒマラヤ小学校らしい素直な作品が続々と出ている。ぜひ、大勢の人に子供たちの作品をお楽しみいただけたらと思う。それにしても、子供たちの作品を見ていると本当に子供たちを王様にしてみたい気持ちになる。きっと夢にあふれた楽しい世界になるのだろうな~。
ヒマラヤ小学校絵画展についてのお知らせ
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2010年10月08日
スラムでの往診治療
10月8日(金)
本格的なダサイン祭りが始まるのを前に、カトマンズ市内のスラムで往診を行った。前回のスラムでの単身キャンプ以降、隔週で往診を続けているのだが、毎回、往診に行く度にスラムに暮らす人々の苦悩や喜びなどみを知ることが出来、貴重な学びの機会となっている。
往診の前は大雨が続いたので、何か問題が起きていないか心配だったのだが、幸い大きな問題も無く、子ども達が元気な笑顔で迎えてくれた。今日は治療を済ませた後、スラムの人々と現状の生活について話をしたが、皆、これから迎える冬について心配している様子だった。隙間だらけの簡易的な部屋では、カトマンズの朝夕の厳しい寒さに堪えるのは大変だ。
治療活動を続けている内、これまでよりも少しスラムの人々と信頼関係を築けているような気がする。まだ自分に出来る事は何か、しっかりと見えてはこないが、活動を続け、信頼関係をしっかりと築きながら、ゆっくり見つけていけたらと思う。ささやかでも何かは出来るはずだ。
本格的なダサイン祭りが始まるのを前に、カトマンズ市内のスラムで往診を行った。前回のスラムでの単身キャンプ以降、隔週で往診を続けているのだが、毎回、往診に行く度にスラムに暮らす人々の苦悩や喜びなどみを知ることが出来、貴重な学びの機会となっている。
往診の前は大雨が続いたので、何か問題が起きていないか心配だったのだが、幸い大きな問題も無く、子ども達が元気な笑顔で迎えてくれた。今日は治療を済ませた後、スラムの人々と現状の生活について話をしたが、皆、これから迎える冬について心配している様子だった。隙間だらけの簡易的な部屋では、カトマンズの朝夕の厳しい寒さに堪えるのは大変だ。
治療活動を続けている内、これまでよりも少しスラムの人々と信頼関係を築けているような気がする。まだ自分に出来る事は何か、しっかりと見えてはこないが、活動を続け、信頼関係をしっかりと築きながら、ゆっくり見つけていけたらと思う。ささやかでも何かは出来るはずだ。
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2010年10月07日
子供同士の喧嘩
10月7日(木)
昼休み中の出来事。幼稚園クラスのスリジャナが、校庭の縁に立っていた同じクラスのニルマラを後ろから押したことが火種となり、友人を巻き込んだ小さな争いが起こった。もちろんスリジャナに悪気は無く、ちょっとニルマラを驚かそうとしただけの事だったのだが、ニルマラが泣き出したため話が思わぬ展開に発展してしまったようだ。当初は強く反論していたスリジャナも、ニルマラの友達から非を責められ、次第に自分のやってしまった事への後悔の念を感じている様子だった。特にニルマラから「二度と口を聞かない」と言われたことが、スリジャナの心に相当、響いたようだ。
子ども達のこうした些細な喧嘩は日常茶飯事だ。ヒマラヤ小学校ではこんな時、出来るだけ子ども達の間で問題を解決させるようにしている。これは“子供同士の問題は、必ず子ども同士で解決できる”というヤッギャ校長の考えに基づくものだ。考えてみれば同じクラスには年齢の離れた同級生もいるし、面倒見の良い上級生もいるのだから、子ども同士で解決できる、とヤッギャ校長が言い切れるのも理解できる。もちろん、“どうしても”、というと時にはヤッギャ校長をはじめ先生達が対応するようにしているので、子ども達も安心できるのかもしれない。
さてスリジャナとニルマラの喧嘩だが、放課後、長縄跳びをして遊んでいた友達が2人を誘って、あっという間に仲直り。2人とも喧嘩したことなんてすっかり忘れてしまった様子。やはり子ども同士の喧嘩は、子ども同士で解決できるのだ。一件落着、よかった。よかった。
昼休み中の出来事。幼稚園クラスのスリジャナが、校庭の縁に立っていた同じクラスのニルマラを後ろから押したことが火種となり、友人を巻き込んだ小さな争いが起こった。もちろんスリジャナに悪気は無く、ちょっとニルマラを驚かそうとしただけの事だったのだが、ニルマラが泣き出したため話が思わぬ展開に発展してしまったようだ。当初は強く反論していたスリジャナも、ニルマラの友達から非を責められ、次第に自分のやってしまった事への後悔の念を感じている様子だった。特にニルマラから「二度と口を聞かない」と言われたことが、スリジャナの心に相当、響いたようだ。
子ども達のこうした些細な喧嘩は日常茶飯事だ。ヒマラヤ小学校ではこんな時、出来るだけ子ども達の間で問題を解決させるようにしている。これは“子供同士の問題は、必ず子ども同士で解決できる”というヤッギャ校長の考えに基づくものだ。考えてみれば同じクラスには年齢の離れた同級生もいるし、面倒見の良い上級生もいるのだから、子ども同士で解決できる、とヤッギャ校長が言い切れるのも理解できる。もちろん、“どうしても”、というと時にはヤッギャ校長をはじめ先生達が対応するようにしているので、子ども達も安心できるのかもしれない。
さてスリジャナとニルマラの喧嘩だが、放課後、長縄跳びをして遊んでいた友達が2人を誘って、あっという間に仲直り。2人とも喧嘩したことなんてすっかり忘れてしまった様子。やはり子ども同士の喧嘩は、子ども同士で解決できるのだ。一件落着、よかった。よかった。
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2010年10月05日
学校運営
1月5日(火)
ヒマラヤ小学校では現在、運営委員会の入れ替えによる新体制づくりが行われている。運営面をはじめ様々な問題を抱えた今だからこそ、困難を乗り越えるだけの強力なチーム作りが欠かせない。今回、理事長の推薦で新しい委員を迎えることになり、先日の理事会で顔合わせがあった。新しく理事に加わったのは国際支援分野での知識、経験ともに豊富な人なので、これまで組織の中で欠けていた部分を補ってもらえるのではないかと期待している。特に嬉しかった事は、支援者の気持ちを大切にしたい、という活動の理念や波長が合ったことだ。孤軍奮闘するヤッギャ校長にとって心強いのではないだろうか。
ネパールは今、急速な勢いで社会が変化している。社会の変化をしっかり見極め、先の5年、10年にきちんと対応できる学校つくりを着実に築いていかなければならない。問題山積の現状をどう解決するのかは、全て自分達へのチャレンジだ。
ヒマラヤ小学校では現在、運営委員会の入れ替えによる新体制づくりが行われている。運営面をはじめ様々な問題を抱えた今だからこそ、困難を乗り越えるだけの強力なチーム作りが欠かせない。今回、理事長の推薦で新しい委員を迎えることになり、先日の理事会で顔合わせがあった。新しく理事に加わったのは国際支援分野での知識、経験ともに豊富な人なので、これまで組織の中で欠けていた部分を補ってもらえるのではないかと期待している。特に嬉しかった事は、支援者の気持ちを大切にしたい、という活動の理念や波長が合ったことだ。孤軍奮闘するヤッギャ校長にとって心強いのではないだろうか。
ネパールは今、急速な勢いで社会が変化している。社会の変化をしっかり見極め、先の5年、10年にきちんと対応できる学校つくりを着実に築いていかなければならない。問題山積の現状をどう解決するのかは、全て自分達へのチャレンジだ。
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2010年10月02日
サニラの成長
10月2日(土)
クイズ大会で大活躍したヒマラヤ小学校チーム。3人の活躍は学校に大きな希望をもたらす結果となったが、僕自身はチームリーダーを務めた5年生のサニラの前向きな変化を実感できた事が何よりも嬉しかった。
サニラは2004年のヒマラヤ小学校開校と同時に(幼稚園年少クラスへ)入学した児童で、ヒマラヤ小学校開校時を知る最後の児童のひとりでもある。入学当初から明るく、おてんばぶりを発揮した元気な女の子だった。
そんなサニラに変化が起こったのは1、2年くらい前の事だったと思う。頻繁にお腹や頭が痛いと言い出したり、昼休みに教室の片隅で寂しそうな表情を浮かべる姿を見かけるようになったり、それまで積極的に参加していた活動にも消極的になるなど、奇矯が目立つようになった。
サニラの心の変化について調べて見ると、実は4年前の妹に続き、2年前、弟が生まれたことで、母親の愛情を独占できなくなったことが原因だと分かった。お腹が痛いとか、ワガママを言ったりしたのも、きっと“こっちを向いて欲しい”というサニラからの暗示だったのだろう。
これだけなら日本でもよくあるケースだと思うが、僕たちが最も心配したのは、「結婚し、祖霊を祭り、次代に祖霊を祭るべき男子をもうける」というヒンドゥ教の三大義務に基づき、サニラの保護者が念願の長男である弟を溺愛するあまり、サニラや妹に対する愛情が完全に薄れ、ビンドゥのような問題が起きるのではないかということだった。幸い両親共にサニラの事をとても大事にしていることを確認でき、安堵の胸をなでおろしたが、二度とビンドゥのような悲しい出来事を起こさないためにも、今後も学校として注意深く、見守っていく必要があるだろう。
今回、サニラが見せてくれた前向きな変化の理由については、正直、まだ分からないが、サニラが長年の苦しみから一歩抜け出し、しっかりと大人の坂道を上っている事を確認できたことは大きな収穫だった。これからも、しっかりとサニラの成長を見つめていきたいと思う。
(写真:決勝戦の前、一人黙々と予習に励むサニラ)
クイズ大会で大活躍したヒマラヤ小学校チーム。3人の活躍は学校に大きな希望をもたらす結果となったが、僕自身はチームリーダーを務めた5年生のサニラの前向きな変化を実感できた事が何よりも嬉しかった。
サニラは2004年のヒマラヤ小学校開校と同時に(幼稚園年少クラスへ)入学した児童で、ヒマラヤ小学校開校時を知る最後の児童のひとりでもある。入学当初から明るく、おてんばぶりを発揮した元気な女の子だった。
そんなサニラに変化が起こったのは1、2年くらい前の事だったと思う。頻繁にお腹や頭が痛いと言い出したり、昼休みに教室の片隅で寂しそうな表情を浮かべる姿を見かけるようになったり、それまで積極的に参加していた活動にも消極的になるなど、奇矯が目立つようになった。
サニラの心の変化について調べて見ると、実は4年前の妹に続き、2年前、弟が生まれたことで、母親の愛情を独占できなくなったことが原因だと分かった。お腹が痛いとか、ワガママを言ったりしたのも、きっと“こっちを向いて欲しい”というサニラからの暗示だったのだろう。
これだけなら日本でもよくあるケースだと思うが、僕たちが最も心配したのは、「結婚し、祖霊を祭り、次代に祖霊を祭るべき男子をもうける」というヒンドゥ教の三大義務に基づき、サニラの保護者が念願の長男である弟を溺愛するあまり、サニラや妹に対する愛情が完全に薄れ、ビンドゥのような問題が起きるのではないかということだった。幸い両親共にサニラの事をとても大事にしていることを確認でき、安堵の胸をなでおろしたが、二度とビンドゥのような悲しい出来事を起こさないためにも、今後も学校として注意深く、見守っていく必要があるだろう。
今回、サニラが見せてくれた前向きな変化の理由については、正直、まだ分からないが、サニラが長年の苦しみから一歩抜け出し、しっかりと大人の坂道を上っている事を確認できたことは大きな収穫だった。これからも、しっかりとサニラの成長を見つめていきたいと思う。
(写真:決勝戦の前、一人黙々と予習に励むサニラ)
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2010年10月01日
児童の父親の死
10月1日(金)
先日、ヒマラヤ小学校の4年生と幼稚園クラスで学ぶ兄妹の父親が亡くなった。数年前から腎臓病を患っていたが医療費の問題で病院へ通うことが出来ず、亡くなるまで持病を放置したままの状態だったようだ。「この先、どのようにして生きていけば良いか分からない」と、涙を流す母親に掛ける言葉が見つからなかった。
ネパール社会で母子家庭がどれだけ大変なのかは、これまでの活動からも痛感している。児童の母親は文盲という事もあり、現状では日雇いの農作業くらいしか生活の手立てが無い状況だから尚更だ。母親が今、絶望的な状況におかれている事は想像に難くない。
母親には職業訓練所で学ぶよう勧めてみたが、このような場合、結果的に児童が学校を辞め、働いて家計を支えるというケースが多いので、なんとか母親にはがんばってもらいたいと願うばかりだ。将来、同じような問題を繰り返さないためにも、やはり学校と職業訓練所の充実が何よりも大切だと改めて思った。
先日、ヒマラヤ小学校の4年生と幼稚園クラスで学ぶ兄妹の父親が亡くなった。数年前から腎臓病を患っていたが医療費の問題で病院へ通うことが出来ず、亡くなるまで持病を放置したままの状態だったようだ。「この先、どのようにして生きていけば良いか分からない」と、涙を流す母親に掛ける言葉が見つからなかった。
ネパール社会で母子家庭がどれだけ大変なのかは、これまでの活動からも痛感している。児童の母親は文盲という事もあり、現状では日雇いの農作業くらいしか生活の手立てが無い状況だから尚更だ。母親が今、絶望的な状況におかれている事は想像に難くない。
母親には職業訓練所で学ぶよう勧めてみたが、このような場合、結果的に児童が学校を辞め、働いて家計を支えるというケースが多いので、なんとか母親にはがんばってもらいたいと願うばかりだ。将来、同じような問題を繰り返さないためにも、やはり学校と職業訓練所の充実が何よりも大切だと改めて思った。
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