2010年09月

2010年09月24日

クイズコンテスト!

9月24日(金)

3人今日はブンガマティ村の公立小学校で「学校対抗のクイズ大会」が行われ、周辺4つの村から10校が参加して熱戦が繰り広げられた。ヒマラヤ小学校は昨年に続いて2度目の参加。昨年の惨敗から1年。これまで上級生達がクイズ大会に向け一丸となって頑張ってきた努力の成果を出す日だ。こういったコンテストは学校全体の志気を上げる上で欠かせない大切な行事でもある。一つの目標に向かって皆で頑張った時間は、きっと子ども達を繋ぐ大きな絆として、心の中に残るはずだ。1年間、みんな本当に良く頑張ったと思う。

大会では、まず5校ずつA、Bの2グループに分かれて予選が行われた。ヒマラヤ小学校から出場したのはインドラ(5年生)、サニラ(5年生)、サムジャナ(4年生)の3人。先日のブログでもご紹介したとおり、3人とも志願しての出場だ。実力はさておき、学校の名前を背負う3人の姿はとても頼もしかった。リーダーのサニラをはじめ皆、意気込みは参加校で一番だったと思う。

Bグループでの予選となったヒマラヤ小学校チームだが、観戦するこちらが驚くほど次々と正解を当てて行き、あれよあれよという間に断トツの1番で予選を通過することになった。子ども達は確実に実力をつけていたのだ。その後、休憩を挟んで行われた決勝では、流石に問題が高度になったせいか、どの学校も予選ほど正解を当てる事が出来ず、ヒマラヤ小学校の子ども達も苦しんでいる様子だった。

↓左端がクラーク記念ヒマラヤ小学校の予選の結果!(クリックで拡大できます。)
予選結果結局、ヒマラヤ小学校は決勝戦で3問正解し、30点を取得。4番という結果になった。3番とは5点差、もう少しで入賞というところだったので惜しかったが、3人とも本当に良くがんばったと思う。帰り際、応援に駆けつけた4,5年生らが、「入賞したチームの参加者は体が大きい人ばかりだった」とか「彼らの問題は全部、簡単だった」と言って、3人を精いっぱい慰めていたのが微笑ましかった。みんな悔しかったのだろう。きっと来年は入賞できるはずだ。この悔しさをバネに頑張って欲しい。

さて、昨年に引き続き、子ども達の自由な発想に基づいた珍答をご期待の方もいらっしゃると思うので、幾つかご紹介したい。

Q、世の中で一番硬い鉱物は何?

サムジャナ:石

*何となく分かる気がする。

Q:ネパール最後の王朝であるシャハ家が、カトマンズ盆地へ侵略した時、初めに陥落した王国名は?

サニラ:インド

*発想が雄大で素晴らしい。

Q:I will do homework today を否定形で答えなさい

サムジャナ:I can not do homework today

*否定形には違いない。少々、素直すぎたか。

Q:「豹」を英語で何というか?

インドラ:Animal

*分類なら正解だったが、、、

子ども達の発想はいつも自由で素晴らしい。


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2010年09月23日

縄跳びの上手な使い方

9月23日(木)

歌ヒマラヤ小学校で縄跳びが流行っている事は既にブログの中で紹介したが、今日は幼稚園クラスで縄跳びの上手な使い方をしている子を見かけたので紹介したい。

幼稚園年中クラスでは縄跳びと同じくらい、歌が流行っている。誰が覚えてくるのか、レパートリーも日毎に増えているようだ。時々、僕や先生達の名前を使った替え歌まで披露され参ってしまう事もある。

今日の昼休み中、幼稚園年中クラスの子ども達の多くは、教室の中で縄跳びをして遊んでいたのだが、縄跳びをしていない別のグループが傍で歌を歌いだすと、我慢できなくなったらしく、縄跳びを止めて一緒に歌を歌い始めたのだが、やはり縄跳びも諦め切れなかったようで、、、、、、結局、縄跳びをマイク代わりに謳うという、一石二鳥案を思いついたようだ。これからも跳んで、歌って、楽しい学校生活を過して欲しい。


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2010年09月22日

厳しい学校運営

9月22日(水)

村学校運営は依然として厳しい状況が続いている。2004年の開校当初、厳しい船出だったヒマラヤ小学校だが、2008年にはスポンサーシップの参加者が100名を超えた事や、大きな支援をいただいた事で開校当初からの負債を一部清算することも出来、運営は少し安定し始めていたのだが、その後、急激なインフレによって教材をはじめとする物価が大幅に上昇したことや、それに伴う教員賃金の値上げで運営状況は再び厳しい状況に陥る事となった。長引くインフレが運営問題に追い討ちを掛けている状況だ。

統計によるとネパールのインフレ率は13.2% (2008/09年中央銀行)。物価は多くの場合、実感として数年前の約3〜5倍に上がっているような感じだ。インフレというよりもスタグフレーションに近いのではないかと思うが、どうなのだろう。最近では2ケタのインフレを考慮して、ネパール政府が生き神様クマリの手当てを25%上げたことが話題になったばかりだ。 

[世] [画像] - ネパールのインフレ率(2000=100)の推移(1980〜2010年)

児童このまま物価上昇が続けば、再度、教員賃金の値上げは避けられないだろうし、既に殆どの教員から賃上げについての要望が出されている。これまでヤッギャ校長を中心に可能な限り経費の削減を試みてきたが、これも限界に近づきつつある現状だ。運営委員会でも常に運営状況の改善ついての議論を続けているのだが、学校校運営を支援に頼り、学校自らが核となる収入源を持ち合わせていない「砂上の楼閣」のような現状では、どんなに議論を尽くしても空しさと不安が残るだけだ。

理事の中にはスポンサーシップの支援額を上げてはどうか、と主張する者もいるが、支援者の気持ちや現状を委員全員が理解しているのかどうか、しっかり確認できるまでは、僕自身は支援者の負担増を安易に賛成したくないと考えているので、先日の委員会で出された提案には拒否をした。委員会のメンバーが“当たり前”という意識を捨て、“自分達の力で”、という意識をしっかり持たない限りは、同じ事のくり返しになってしまうのではないだろうか。自立運営に向けて歩み始めたばかりの今だからこそ、もう一度、立ち止まって考える必要があるだろう。

児童もちろん学校は継続させなければならないので、理想ばかりを語っている余裕もない状況だ。運営の改善のためには、とにかく収入を増やさなければならない。それには、さまざまな案が考えられると思うが、支援者一人ひとりの負担を増やさない、という考えを元に、現在、支援者一人が児童一人を支援している制度を見直し、支援者2人で一人の児童を支援するような制度にする事で、支援者一人ひとりの負担を減らす方法もあるかもしれない。もちろん、実現には支援者の理解が必要だし、その場合、今の体制のままでは事務手続きの問題が発生してしまう事や、支援者と奨学生の関係が希薄になってしまうという事をしっかり考慮しなければならない。

学校運営の悩みは尽きることはないが、途上国での活動というのは、きっとこういうものなのだろう。今はとにかく辛抱が大事だと自分に強く言い聞かせながら、学校運営の改善を目指して、皆で考えをめぐらしているところだ。なんとか辛抱強く、頑張りたい。



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2010年09月21日

手紙

9月21日

期末試験の成績発表や田んぼの草抜きも終わり、後はダサイン祭りが始まるのを待つばかり、というこの時期が、子ども達にとっては一番、心安らぐ時かもしれない。心の安定は子ども達の表情にも表れている。

そういうこともあって、最近、子ども達から支援者宛の手紙を預かる事が多い。絵だけ描いたものから、紙の後面までぎっしり学校への想いを書いたものまで内容も様々だ。既にかなりの量が溜まっているので、ダサインまでに処理しきれるか少し不安もあるが、一日も早く支援者の皆さんへお届けできればと考えている。

3年生毎回、手紙を翻訳しながら思うのだが、低学年の子ども達に比べ、4年生、5年生の子ども達から預かる手紙の量が極端に少ない。スポンサーシップを初めて5年になるが、これまでの子ども達の様子を振り返って見ると、幼稚園クラスの時は「支援者」を意識することはあまりなくて、1年生くらいになって初めて意識が始まるようだ。その後は緩やかな意識の向上が続き、3年生になるとピークに達したかの様に猛烈に意識し始めるようで、手紙の量も自然と多くなる。中には毎日のように手紙を書いてくる児童もいる。先日も3年生の女子児童に囲まれ、自分の支援者がなぜ学校へ来てくれないのか、日本から来る時になぜ一緒に来なかったのか、手紙は届いているのかなど等、長時間に渡り質問攻めにあって大変な思いをしたばかりだ。たまたま帰国中に、支援者の一人のメッセージをビデオレターとして撮っていたので、それを見せてようやく落ち着いたのだが。。。。。それだけ、支援者を意識しているということだろう。

字これが4年生、特に5年生になると、急に“恥かしい”という気持ちが芽生え、書きたくても書けない状況になるようだ。特に男子児童はその傾向が強い。もちろんサッカーや遊びなどに夢中になって手紙どころではなくなる子もいるが、子ども達が一歩ずつ大人になりつつあるという証拠なのかもしれない。

以前、某支援団体の就学支援制度を見学に行ったとき、奨学生に手紙の雛形が配られている事を知り、がっかりした事があった。担当者は「手紙の練習だ」と言っていたが、雛形に沿って手紙を書かせることで事務作業を簡素化していることは明白だった。一体、何のための交流なのかと首を傾げてしまったが、もし資金集めだけを目的にするならば、募金やチャリティ活動など別の方法を取るべきではないだろうか。

ヒマラヤ小学校の運営の殆どはスポンサーシップの支援金で賄われてはいるが、この制度は、あくまでも交流によって子ども達の夢や心を育てる事を目的にしている。手紙に関しても強制ではなく、子ども達の自主性を尊重し、書きたい時に、書きたいだけ書けるようにしている。雛形を作って写させたり、無理に手紙を書かせても、子ども達が学ぶことは一つもないだろう。

スポンサーシップの修正点もまだ沢山あると思うが、やはり子ども達の成長を第一に考えた活動を展開していけたらと思う。


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2010年09月20日

クイズコンテストに向けて

9月20日

校長今週の金曜日、ブンガマティ周辺の4つ村から10校が参加して、学校対抗のクイズコンテストが開催される。ヒマラヤ小学校は昨年の大会に初出場し全問不正解という結果を残した。結果は散々だったが、出場したスニール(第2期卒業生)が一度も「パス」を使わず、堂々と胸を張って答えた事を僕はとても誇りに思った。次は必ず周囲を驚かせるような結果を出してくれると強い確信を持った。天才、スニールの珍答の数々は、ブログの中で紹介しているので、ぜひお目通しいただきたい

実は昨年クイズコンテストで惨敗した後、ヤッギャ校長と問題集を作り、これまで時間を見つけては、上級生を対象にクイズの練習を重ねてきた。場の雰囲気に慣れる事は大事なことだし、練習を重ねるたびに手応えも感じられるようになった。先日、クイズコンテストの招待状を受け取った時には、ついにきたか、と決戦を待つような気持ちにもなった。

さむじゃな今回のクイズコンテストは4年生のサムジャナ、5年生のサニラとインドラが出場することになった。何時もながら“出来る子”ではなく、志願した子を出場させるところに、ヤッギャ校長のブレない教育理念を垣間見た思いがした。

さて、今週の金曜日は一体、どんな結果となるのだろうか。ヒマラヤ小学校のチビッ子選手の奮闘をしっかり見たいと思う。(写真は練習中の様子。本番でも歓喜の雄たけび声をあげる事ができるか・・・・)


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2010年09月19日

卒業後の進路について

9月19日

児童新たにヒマラヤ小学校の事を知った方から、児童の卒業後の進路について訊かれる事が多い。2009年春に送り出した第一期卒業生の進路状況については、このブログの中でもお伝えしている。今、現在の状況ではヒマラヤ小学校の児童の卒業後の進路には、1)公私立中学校への進学 2)オープンスクール(早朝の定時制学校)へ進学 3)ユネスコのコミュニティ学習センター(CLC)とヒマラヤ小学校が共同で開催している職業訓練所で職業技術を学ぶ、という主として3つの選択肢がある。

1)の公私立学校への進学については、ようやく保護者が教育への関心を持ち、自力で子ども達を学校へ送るようになったばかりなので、現時点では卒業生への積極的な就学支援は行っていない。どうしても必要な時に(教科書代や学用品、期末試験代など)一部を応援しているのみだ。初めから支援あり気ではなく、自助努力を応援する事に徹底したいと思う。

2)のオープンスクールは日本で言う定時制学校のようなもので、ネパール政府教育相がユネスコなどの協力の下、2009年から各地の公立学校や、ユネスコが主宰しているコミュニティ学習センター(CLC)をベースに開校し、15歳〜40歳までの人を対象に早朝授業を行い、通常よりも短期間で高校までの教育課程を修了させるものだ。

ヒマラヤ小学校でも地元ブンガマティ村のCLC(ヒマラヤ小学校のヤッギャ校長が代表を務めている)がオープンスクールを開校するにあたり、ヒマラヤ小学校への誘致し、朝6時から9時までの3時間、授業を行っていた。現在、資金的な問題などで一時休校状態となっていて、現在、生徒は隣村のオープンスクールで学んでいる。

15歳以上という年齢制限はあるものの、短期間で高校を修了できることと、授業が早朝に行われるので、職業訓練を同時に受けることも可能など、魅力的なシステムだが、まだ定着するまでには時間がかかりそうだ。

児童3)の職業訓練は既に開始から1年半が経過し、さまざまな職業技術のクラスが行われ、実際に現金を得る人も出るようになった。職業訓練所で出来ない技術は、他の職業訓練校へ送るなどの活動も行われている。まだ道半ばではあるが、順調に活動を進める事が出来ている。ただ、公私立学校へ進学した卒業生達が職業訓練に参加するのは、時間の問題でどうしても夏休みなどに限られてしまうので、その辺りを含めて少しずつ改善していけたらと考えている。


お報せ
学校やその他の活動に関する質問など、ぜひ、お寄せください。何事もより多くの方と共有することで、意義ある活動を展開できればと思います。





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2010年09月18日

アシュミタの覚悟

9月18日

アシュミタ「やっぱり教師として、頑張ることにしました」。 
そう言うと、アシュミタは何時も通り屈託のない笑顔を浮かべた。

アシュミタ(21)はヒマラヤ青少年育英会を立ち上げた時、最初に就学支援をした12名の女子の中の一人で現在は早朝の大学で学びながらパタン市内の私立小学校の教師をしている頑張り屋の女の子だ

アシュミタは幼い頃から心臓病を抱えるなど、これまで大変な苦労をしてきた子でもある。また既にブログでも書いたが、母親のメヌカさんは、生んだ子が女児(アシュミタ)だったため、夫の家族からアラチニと呼ばれ、ずいぶん酷い仕打ちを受けたようだ。その後は村を離れ、これまで20年あまりアシュミタと親子2人で肩を寄せ合いながらの生活を続けている。

メヌカ実はアシュミタの父親は軍人だったため、これまで母子ともに軍の病院に限り、医療費の一部免除があったのだが、その期限が今年の4月に切れてしまい、病気がちな母親を心配したアシュミタがやむをえず現在の教師よりも収入の良い仕事を探し始めたようだ。もちろん自身の心臓病への不安もあったのだろうが、教師を続けたい気持ちと現実の狭間でアシュミタなりに相当な葛藤があったようだ。

結局、現在よりも倍近くの給与を得られるという金融会社の入社試験に受かったのだが、どうしても教師を諦め切れなかったようで、この2週間あまり、アシュミタから何度も相談の電話がかかってきた。

ネパールでは教師という職業を、「給料を得られる仕事」として見ている人が結構多い。特に理由もなく「とりあえず教師でもしてみる」という教師を何人も見たことがある。制度上の問題や、需要に対して人材が不足していた事もあり、SLC(10年生卒業後に受ける卒業認定試験)を終了すれば誰でも教師になれるという状況が今も続いている。理由もなく教師になるため、より待遇の良い仕事が見つかると、直ぐに転職してしまうケースが多いようだ。

今回、アシュミタが待遇の良い仕事を見つけながらも、これだけ悩んでいたのは、きっと教師という職業に誇りとやりがいを見出しているからだろう。ただ厳しい現実の問題もあるので、なかなか適切なアドバイスを出すことは出来なかったが、「自分の気持ちに対して素直になればいいのでは」という事だけは伝えた。

長く悩んだ末、結局、アシュミタは教師として頑張る道を選んだ。覚悟を決めた人間は強い。どんな困難に直面しても、今のアシュミタならきっと乗り越えられるだろうし、頑張っていれば必ず誰かが見ている筈だ。僕はそう信じている。頑張れアシュミタ!!




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2010年09月17日

あたらしい職業訓練

9月17日

トルコ石今年6月から7月に掛けて、日本国内で職業訓練所が制作した品々のチャリティ販売が行われ、ほぼ完売という予想外に大きな成果を上げることが出来た。先日、預かった売上金を職業訓練所に届け、その後、職業訓練に参加している生徒、コミュニティ学習センター(CLC)の関係者と一緒に、売上金の使途について話し合いを続けてきた。話し合いはとても建設的で、生徒や関係者の明らかな意識の変化を実感することができた。

話し合いの結果、今回はお香や香水などを入れる金属製の容器にトルコ石で装飾する作業を実施することが決まった。生徒から希望に加え、現在、このトルコ石で装飾した容器はみやげ物として需要が多く、販売業者が製作協力者を探している状態だそうだ。技術を身に付ければ比較的早期に収入を得られる事が実施の決め手になったようだ。

職業訓練のプログラムは、長期的な視点と短期的な視点の両方から考えて作ることが重要だ。長期的な視点というのは時間は掛かるが将来性が期待できる技術。例えばヒマラヤ小学校の果樹園で行っている果物栽培や、個人的に出来ればいいなぁ考えている造園技術や切り花など、将来の需要を見越してのプログラムだ。

ぬいぐるみただし長期的な視点でばかりに捉われていても駄目で、参加者の意欲を掻き立てるためには短期的な視野に立ち、実利を重んじることも大切だ。現在、続けているサリの刺繍技術など、現金収入を得られるようになった事で参加を希望する生徒はどんどん増えている。今回の金属容器にトルコ石を貼る装飾技術も、正に実利に重きを置いたものだ。(*写真はヤッギャ校長が希望しているぬいぐるみ作り)

さて今回の新しいプログラムだが、チャリティ販売とはいえ自分達が作った品物の売り上げを元に実施することに大きな意義がある。一人ひとりがその事をしっかり意識して取り組めば、想像以上に大きな成果が得られるかもしれない。ぜひ、成功させたい。




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2010年09月16日

夢を追いかけて

9月16日

ビナ今日は、将来の自立を目指し洋裁を学んでいるヒマラヤ小学校の卒業生、ビナ(17)ジュンケリ(18)の2人に、支援者から頂いたミシンを贈呈した。2人ともミシンを手にして、益々、学習意欲に燃えているようだ。

ビナ(16)はヒマラヤ小学校を主席で卒業した聡明な女の子で、将来はヒマラヤ小学校の先生になりたい、という夢を描き、卒業後は一旦、パタン市内の中学校へ進学したのだが、世俗的な問題も含め新しい環境に馴染むことが出来ず中退。その後は1年余り、根無し草のように落ち着かない毎日を過していた。時々、村の中をとぼとぼ歩くビナの姿を見かけては、僕自身、言い知れぬもどかしさを感じていた。

丁度、半年ほど前になるが、入学当時からビナを温かく励ましてくださっているヒマラヤ小学校の支援者の方と再会した時、ビナの将来を心配された支援者の方から今後の進路について訊かれ、ビナは暫く考えた末に「洋裁の勉強がしたい」と言い切った。

ビナビナなりに1年余り悩んだ末に描いた新しい夢だ。途中でまた折れるのではないか、という不安もあったが、とにかくビナが新しい夢を見つけられた事が僕達は嬉しかった。残念ながらヒマラヤ小学校とユネスコのCLCが共同で開催している職業訓練所では、洋裁コースを開くことが出来なかったため、同じく洋裁の勉強を希望していた1学年下で、今年の春にヒマラヤ小学校を卒業したジュンケリの2人をそれぞれの希望する洋裁学校へ送ることになった。

洋裁学校へ通い始めて二ヶ月あまりが過ぎ、2人とも順調に技術を習得しているようだ。「あれが出来るようになった、これが出来る様になった」と、2人ではしゃぐ姿からも充実した学校生活を過している事が伺えた。ビナの話によると、洋裁学校の中に仲の良い友達が出来たそうで、毎日、学校へ行くのが楽しみだ、と喜んでいた。

洋裁学校は後半年ほどつづく。一つの事を達成する事で、きっとビナは一回り大きく成長するのではないだろうか。きっとその頃には、これまでの柔根が嘘の様にビナが逞しい表情を見せてくれると信じている。夢を追いかけて、一歩ずつ頑張れビナ!!



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2010年09月15日

栄養改善プログラム

9月15日

栄養今日はネパールの「子どもの日」。「子どもの日」と言っても特にお祝い事がある訳ではないのだが、せっかくなので少し予定を早め、子ども達が一番楽しみにしている「栄養改善プログラム」を実施することになった。今回は「子どもの日特別メニュー」として、子ども達が大好きな果物をたくさん出すことになった。子ども達にとっては、思いがけず嬉しい「子どもの日」になったようだ。

栄養改善プログラム(旧称:栄養摂取プログラム)を始めて、もう5年以上が経過した。元々、子ども達の栄養状態を良くしたい、との考えから始めた活動で、牛乳と卵を必須の菜とし、出来るだけ栄養価の高いものを出しているが、早く食べ終わってしまった子が寂しそうな表情を浮かべ、周りの友達が食べている様子を見つめる姿や、弟や妹のためにと、ポケットにプログラムで出したヤキ米を詰め込む姿を目にすることがあり、栄養そのものよりも、とにかく子ども達がお腹いっぱい食べられるようにしたい、という考えに変わった。今では“無くなるまでお代わり自由”という制度が、育ち盛りの子ども達に大好評だ。

栄養さて、今日の栄養改善プログラムでは、主菜の他に、近年、ネパールで栽培が行われるようになった日本の梨(豊水)を丸々1個とバナナ2本が配られ、子ども達は天にも昇る心地だったようだ。一時的とはいえ、普段は騒がしいヤンチャ坊主たちが妙に素直だったのは、美味しい果物の効果かもしれない。

今日、栄養改善プログラムで出した梨の豊水は、将来の自立を目指して整備が進められている学校果樹園でも栽培が行われているので、こういう機会に美味しさを体験することは、果樹を育てる楽しみにも繋がるのではないだろうか。


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2010年09月14日

サンゴの森、ヒマラヤ小学校へ

9月14日

サンゴの森現在、めぐりギャラリーでは「栗原里奈 <サンゴの森> 原画展-Jr Diver RINAの海を守る大きな想い-」が大好評開催中だ。(9月16日(木) まで)ぜひ、原画展を通して12歳の少女の想いを大勢の方に知って貰えたらと思う。(会場のめぐりギャラリーで「サンゴの森」も販売中です。)

ブログの中でも紹介した通り、今回、ヒマラヤ小学校の事を知った栗原里奈さんから、「海のないネパールの子ども達のために」と「サンゴの森」を寄贈して頂く事となり、昨日、里奈さんの直筆サイン入りサンゴの森がヒマラヤ小学校に届いた。里奈さんの絵本に子ども達はどんな夢を描くのだろうか、、、、子ども達の反応がとても楽しみだった。

サンゴの森絵本の読み聞かせを行う前に、まず先生達に海やサンゴ、スキューバーダイビング、里奈さんが続けているサンゴを植える活動について説明を行った。海を知らないのは先生達も同じだ。説明の後、先生達から海に関する様々な質問が飛び出して来て面白かった。子ども達の素朴な疑問にもきちんと答える事は僕たち教職員の大事な役目なので、こうした事前準備はとても大事だ。

サンゴの森その後、各クラスで「サンゴの森」の読み聞かせを行ったが、子ども達は知らない海の世界に興味津々。ページを捲る毎に様々な質問が飛び出してきた。絵本はジュニアダイバーのりなちゃんがカクレクマノミのクーくちゃんとサンゴを植えて、みんなの力でサンゴの森を作るというお話だが、子ども達からは「お魚も話をするの?」とか「何語で話したの?」という素朴な質問が飛び出して、先生達を困らせていた。また絵本の中には、実際にダイビングをしている里奈さんの写真も掲載されてあり、里奈さんが着けている酸素ボンベやら水中眼鏡に興味を示す子も大勢いた。子ども達にとっては不思議の世界だったに違いない。

児童放課後、幼稚園クラスの2人組の女の子が、「里奈さんにあげて」と言って、校庭のハイビスカスを摘んで持ってきた。サンゴのことを先生が”海の中にいる花のような生き物”と説明したからだろう。子ども達の優しさにすっかり心を打たれた。

いつかヒマラヤ小学校の子ども達の中から世界に飛び出し、大きな大海を望む子も出てくるかもしれない。その時に「サンゴの森」の事を思い出してくれたら、どんなに素晴らしいだろうか。。。。きっと、その頃には里奈さんの活動が大きく実を結び、世界中の海に大きなサンゴの森が出来ていることだろう。子ども達と一緒に里奈さんの活動を応援したい。



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2010年09月13日

全員卒業を目指して

9月13日

児童「あなたの息子が暫く学校に来ていないのだが、どうかしましたか」 

先日から登校していない2年生の男子児童(12)の家を訪ねたヤッギャ校長が声を掛けると、母親は「あの子なら先日からカトマンズの食堂で働いていますよ。私は学校に行けと言ったんですがね。。。あの子の叔父がどうしてもって連れて行ったんですよ」と弁明した。もう何度、同じような会話を聞いただろうか。残念ながら今でも、ヒマラヤ小学校を退学する児童は跡を絶たない。
 
ヒマラヤ小学校に限らず、ネパールの学校、特に農村部の公立学校では児童の退学率が非常に高い。退学の理由は、子どもが労働者として生計を支える一役をかっている事や、親の教育への不理解など、突き詰めれば全て貧困が関係しているのだが、今回のケースに関して言えば、貧困に加え、親が教育に希望を託せなかった事が理由ではないだろうか。学校へ行っても子ども達のお腹が満たされるわけではない。親にとっては不確実な未来よりも、「今」が最も大事なのだ。

開校から6年半が経ち、少しずつだが親の教育に対する理解は深まっていることを実感出来るようになってきた。それでも尚、毎年、6、7人の児童がヒマラヤ小学校を辞めている。入学したからには必ず卒業させたい、これが僕達の必死の願いだ。子ども達をきちんと卒業させるためには、今までのように家庭訪問を行い、家庭と学校との信頼関係を深めたり、また親に教育の大切さを知って貰う活動を行ったりすることも大事だが、同時にもっと違った角度から対策を打つ必要があるのではないかと、最近、つよく思う。

例えば、ヒマラヤ小学校5年生を卒業した児童に対して、褒賞金を与えるという考えはどうだろうか。褒賞金の額はヒマラヤ小学校(5年生)を卒業後、10年生終了時に受けるSLC(全国統一卒業認定)試験まで5年間の就学費用を満たすくらいの金額に設定する。卒業まで皆勤した場合は更に報奨金を与えたり、女子児童に対してはプラスαを与えたりする事もいいだろう。

児童また褒賞金の使い道は原則自由がいいと思う。使途が限定されると保護者が褒賞に魅力を感じなくなるかもしれない。あくまでも親の協力を得るための手段として、親にとって魅力ある制度を設けるべきだ。もちろん児童がヒマラヤ小学校を卒業するまでの間(最長8年間)に、保護者の教育に対する理解を深める努力をすることで、褒賞金が出来るだけ児童の進学のために使われるように導く事が大前提となる。また将来的には、3年生以上の児童を対象に職業訓練を必修科目として授業の中に取り入れ、卒業後、進学しない場合など、褒賞金を元に社会へ踏み出すことも出来るようにしたい。

こんな事を書いたら、一体、誰のため、何のために学校があるのか、全てお金で解決しようとしているのかと疑問に思われる方もいるかもしれない。もちろん支援活動はお金や物だけでは決して出来ない。しかし資金があるからこそ、実現できることが多いのもまた事実だ。

今の現状を良くするためには、上記のように奇を衒う活動も絶対に必要だと思う。もちろん実現のためには、何と言っても今の職業訓練を起動に乗せる必要があるだろう。将来、入学した児童全員が卒業できる学校を目指して全身全霊を尽くしたい。




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2010年09月12日

山の上の村へ その2

9月12日

村の少年しばらくすると雨が上がり、再びまぶしい太陽の光が山の上の村を照らし始めた。雨季も後半に入り、一回の降水時間はかなり長くなっている。それでも雨が止んだ後は、それまでの雨が嘘のようにカラッと晴れ上がり、澄み渡る青空がとても気持ちいい。

ネパールで仕事をしていると、ネパールの人たちの「言うことと、やる事の違い」に驚かされたり、ため息をつく事が結構ある。そんな言動不一致が平気で起こるのは、もしかしたら雨が降ったと思ったら急にカラッと晴れ上がるという、ネパール独特の天候が影響しているのではないかと、時々、考えることがある。単なるこじつけに過ぎないのだが、そういう風に考えると少しは大きな心で受け入れられるような気がする。

山の上その後、更に上の村、そしてもう一つの村を訪ねたが、どちらの村からも美しい一面の棚田を望むことが出来た。道は泥濘、蛭にも襲われるが、この景色を見るだけでも雨季に山の上の村へ来る価値は十分あるように思う。一気に心が洗われた。

さて治療だが、患者の一人にかなり重い心機能障害を患っているお年寄りの女性がいた。体中に浮腫が出来ていたので、一刻も早く病院で診てもらう必要があるのだが、話しによると夫は既に亡くなり、息子達は皆、出稼ぎに出て村にはいないため、病院へ行けないそうだ。隣村にあるヘルスポストに務める知人に連絡し、後日、村に来てもらうことにしたが、村で生き抜くことは依然として厳しい。

治療山の上での治療を終え、薄暗くなった山道を戻りながらいろんな事を考えた。僕の行っている治療は決して病を治すものではない。患者と話し、体の痛い部分に触れることで、患者が精神的な苦しみから一時的にでも開放されればと思い続けている活動だ。病人は人に優しくされることで励まされ、病気の辛さから脱する事が出来る。僕自身、今から10年ほど前に大病を患い、2ヶ月ほど入院したことがあったが、その時、担当の先生に掛けて貰ったやさしい言葉にどれだけ励まされ、希望を持つことが出来たか。。。。。。今でも感謝している。

村のこども人生の中でたとえ一日だけであっても、人の優しさを感じる事が出来たなら、その人は自分の人生が決してゴミや紙くずのようなものではなかったと確信できるだろう。人にはそれぞれ生まれてきた意味と役割がある。それを実感できるかどうかが、生きていく上で最も大事なことではないだろうか。




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2010年09月11日

山の上の村へ

9月11日

棚田このところ心身ともに健やかなせいか、活動にも自然と身が入っている感じだ。特に治療活動は長い間のスランプが嘘のように、伸び伸びと取り組む事が出来ている。技術的には全く向上していないのだが、意気込みだけは猛烈に盛んで、一人でも多く治療したいと勇躍しているような状態だ。施術者として、これだけ気力が充実しているのは本当に久しぶりのこと。そんなわけで今日は山の上の村へ往診に出かけることにした。

目指した村はヒマラヤ小学校から6〜7キロ先にある山の上の小さな村々。今年は例年よりも雨が多いため、所々で大きながけ崩れが発生していた。長雨による農作物への影響を懸念していたが、幸いなことに稲は順調に生長しているようだ。途中の丘から見た一望千里の棚田は、強い太陽の光が照りつけ、きらきらと煌いていた。これから収穫の時期に向け、棚田は色を深めていく。

川出発して2時間、山の裾野に着くと、子ども達が小川の水を石で堰き止め、水遊びをしていた。首都カトマンズから直線距離だと僅か十数キロ。ここではカトマンズの喧騒や生活が嘘の様に穏やかな生活が営まれている。カトマンズでは近年の狂気的な経済によって、人々は富の拡大を生活の向上と誤認し、生活そのものを失いつつある。そんなこともあってか、余計、子ども達の素朴さが胸を打った。


患者暫く子ども達と遊んだ後、再び山の上の村を目指して山道を歩きだしたのだが、昨夜の大雨の影響で道がかなり抜かるんでいたため、一歩ずつ足元を確かめながら慎重に歩いた。通常なら1時間あまりで着くところ、裾野を出発して2時間近く掛かって、ようやく最初の目的地の村に到着した。

この村は山間に広がる小さな集落で、僕が往診に通い始めてもう10年になる。鍼治療への理解もずいぶん深まっているので、活動しやすい環境だ。村の女性達は総じて働き者で、その分、関節痛などに苦しむ人の割合が多いようだ。今日はこの村で5件ほど往診を行った。治療をしながら今年は雨が多いことや収穫期を迎えたトウモロコシの話、来月のダサイン祭りの事など他愛もない話で盛り上がった。

この村の貧しさは今も変わりはないが、最近、この村がとても美しく、豊かに映るのは、上記の通り、カトマンズを中心にした都市部の人たちが、生活そのものを失いつつあるからだろう。貧しく、厳しい生活の中で人々が支えあい、長年続けてきた生活をしっかり守っているところに、この村の豊かさを感じることが出来る。

少年治療を終えた後、更に上の村へと向かった。道中、どしゃぶりとなったので近くにあった民家で休ませて貰うことになった。家の中では13歳の少年が、集めてきた飼い葉の整理に忙しくしていた。この少年、学校へ行っていないそうだが、将来の夢を尋ねると、「学校の先生」という答えが返ってきた。いつか少年の夢が叶う日は来るのだろうか、そんな事を思いながら、村の変わらない貧しい現状に小さなため息が毀れた。


赤ん坊つづく



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2010年09月10日

プスパの縄跳び教室

9月10日

長縄ヒマラヤ小学校の中ではいろんな流行事があるが、なかでも子ども達が今、一番夢中になっているのは縄跳びだろう。先月、「TOSS体育Yosakoiソーラン学校作り研究会」の先生達がヒマラヤ小学校を訪問された時に、長縄と短縄を教えてもらった事が切欠で子ども達はすっかり縄跳び夢中の様子。授業前や昼休み、そして放課後には、「1、2、3、」と飛んだ数を数える子ども達の元気な声がこだましている。

先日、昼休みに幼稚園クラスの教室を覘いて見ると、1年生のプスパ(10)が小さな子ども達と一緒に縄跳びをして遊んでいた。1本の短縄を上手に使って3人で一緒に飛んだり、子ども達に前を向かせたり、後ろを向かせたり、横を向かせたり、時には片足で飛ばせたりして、小さな子ども達はすっかりプスパの縄跳び教室に夢中になっている様子だった。

プスパ実は「TOSS体育Yosakoiソーラン学校作り研究会」の先生達がヒマラヤ小学校を訪問された時、グループリーダーの根本先生から、子ども達に縄跳びを指導するため、一本の縄を使って2人で飛ぶ方法などを個人的に教えて頂いたのだが、プスパは僕が根本先生から教わった技よりも更に多くの技を自ら考え出し、小さな子ども達に教えていたのだ。次から次へと飛び出すプスパの突飛な発想には、本当に驚くばかりだった。

僕が特に感心したのは、上手く飛べない子も楽しめるよう、地面を蛇が這うように縄を動かして、そこを跨がせるように飛ばせたり、それが出来るようになると、次は片足や、駆け足で飛ばせたりするなど様々な工夫を凝らしていた事だ。それでも上手に飛べない子には、更に動きを小さく、遅くするという配慮まで見られた。

プスパプスパは10人兄妹の6番目。下には小さな弟や妹が3人いる。小さい頃から弟や妹の世話をしているので、お姉さん役がしっかり身についているのだろう。今日、プスパが繰り出した技は全て、プスパの小さな子ども達に対する思いやりから出てきたアイデアではないだろうか。

その後、2年生や3年生も縄跳びに加わったが、跳びたがる上級生を抑え、小さな子ども達を優先的に飛ばせるところに、プスパの優しさを更に確信した気がした。




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2010年09月09日

「国際識字の日」のイベントに職業訓練所が出店

9月9日

見本市昨日、カトマンズ市内で行われた「国際識字の日」のイベントに職業訓練所が出店した。今回が3月の見本市に続いて2度目の出店。今回は前回の見本市とは異なり、活動の紹介を目的にしていたため販売量自体は多くなかったが、直接、客と接することで生徒や関係者には大きな学びの時間となったようだ。

丁度、僕が会場を訪ねた時はメインイベントが始まる前とあって、会場は大勢の人で賑わっていた。職業訓練所のブースにも小さな人垣が出来、店頭に立った関係者や生徒達も忙しそうにしていた。人垣に混ざり、こっそり客とのやり取りを覘いて見ると、接客に当たった生徒や関係者が客から商品を誉められた時に、満面の笑みを浮かべて喜ぶ姿があった。

ショール実は日本で開催したチャリティ販売の時、商品を購入してくださった方の写真を撮らせてもらった。先日、その写真を職業訓練所で紹介すると、生徒達は写真を胸に抱きしめたりして、いたく感激していた様子だった。(この様子はビデオにも収めたので、いつか皆さんに紹介したいと思う。)やはり“顔が見える“という事が、僕達の活動では何よりも大事なのだと思う。

clc僕達の活動はまだ道半ば。今は丁度、登山道の入り口付近にいるのだと思う。富士登山で言えば五合目。これから6合目、七合目に向かう途中では、いろんな困難もあるだろうが、時々、喜んでもらったり、誉められたりすることが頂を目指す強烈な後押しとなるのだろう。遥か遠くの頂を目指し、皆で一歩ずつ頑張りたい。





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2010年09月08日

失敗から学ぶ

9月8日(水)

ショールヒマラヤ小学校 2010年・夏のイベントの中で行われた職業訓練所の製品のチャリティ販売は大勢の方のご協力を頂き、ほぼ完売することが出来た。予想外の良い結果に随喜すると共に安堵の胸をなでおろした。

今回のチャリティ販売の目玉商品のひとつに刺繍を施したパシュミナショールがあった。刺繍作業は職業訓練所で最も力を入れてきた活動の一つだ。元々、サリの刺繍作業から始まった活動は、生徒たち自らのアイデアでサリ以外のクルタスルワールやハンカチ、マフラーへの応用が行われるようになり、今回は日本でのチャリティ販売に合わせ、やはり生徒たち自らの考えでパシュミナのショールに刺繍を施すことになった。

サリを着る習慣がない日本で、サリに変わる物としてパシュミナのショールを選んだことは、僕達からすれば当たり前の発想かもしれないが、村から出る機会の殆どない職業訓練所の生徒たちが自ら考え、実行したことに一つの大きな意義があると考えている。

失敗チャリティ販売ではパシュミナショールの人気も高く、15枚のうち13枚が売れる良い結果となったのだが、実は売れ残った2枚は、洗濯の時に出たと思われるシミで、正直、商品として店頭に出せないような代物だった。中には制作した生徒の熱意を買いたいと、購入を申し出てくださった方もいたのだが、やはり問題を皆で共有し、今後の活動に少しでも活かしたいとの考えから、売れ残った2枚をネパールへ持ち帰り、皆で話し合うことにした。

実は職業訓練を始めるにあたり、僕が一番心配していたのは「品質」に対する考えだった。日本と違い、“蘊奥を究める”という習慣が殆どないネパールでは、「品質」に対する考えが残念ながら甘い。ネパールの国民性なのだと思うが、例えば職業訓練所で販売している蝋燭など、明らかに曲がった物も堂々と売られている。もちろん使い方次第で問題なく使える物だからネパールでは通用するだろうが、いくらチャリティとはいえネパールの考えをそのまま外国に押し付ける訳にはいかない。それに少々回り道をしてでも、きちとした物を作り出していけば、将来、必ず生徒達の自信や誇りとして返ってくると僕は信じている。「品質」に対する考えをいかに植えつけていくか、その辺りが活動の発展の鍵になるのではないかと思う。

汚れ先日、チャリティ販売に関する報告会を行った時、売れ残った2枚のショールを見せ、刺繍作業に関わる生徒や関係者が話し合った。暫くすると刺繍の周りにあるシミに気がついたようで、皆、合点がいった様子だった。作業を行った生徒の話によると、刺繍に使った糸が統一されておらず、洗濯した時に安価な糸から色が染み出たのではないかとの結論だった。その後、皆で解決策についても検討することとなり、今後は使用する材料を全て統一することや、チェック項目を表にして、袋詰めの前に最終確認作業を行うことなどが決まった。

「失敗の最たるものは、失敗したことを自覚しないことである」と英国人評論家のトーマス・カーライルは言っている。今回、生徒や関係者が自らの失敗を自覚し、品質について真剣に話し合ったことは大きな成果であり、今後に大きな希望を持つことが出来るのではないだろうか。失敗から多くを学び、漸進して欲しい。



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2010年09月07日

スラムで単独医療キャンプ

スラムカトマンズにあるスラムで単独医療キャンプを行った。無我夢中で治療を施しながら、自分なりに大いに考えさせられる時間となった。

カトマンズ周辺には5〜6年前から次々とスラムが出来はじめ、その数や規模はかなり大きくなっている。僕がスラムに関心を持ったのは今から2年ほど前、カトマンズ郊外の幹線道路の傍に出来た小さなスラムを訪ねた事がきっかけだった。何度か通う内にスラムで暮らす人々の実情を具に知ることが出来たのだが、結局、自分に何が出来るのか問い続けながらも、何も出来ず逡巡したままだった。

現在、そのスラムはなくなり、跡地には小さな工場が建てられている。当時、暮らしていた人々は恐らく別のスラムへ移住したのだと思うが、スラムで出会った人々が見せる笑顔や涙を思い出す度に、何か大きな宿題を忘れているようで、心にモヤモヤしたものがずっと残っていた。

今年に入ってから思うところがあり、治療を目的にカトマンズにある幾つかのスラムを訪ねて見ることにした。想像していた通り、スラムの人々は社会からの疎外感からか、外の人間に対して不信感を持っているようで、なかなか話しを聞いてくれず、ある時など興奮した住民から“帰れコール”を受けたこともあった。知人にスラム訪問の事を話すと、「彼らは政府から土地を貰うためにあそこに住んでいるだけだ」という否定的な声が多く聞こえて来た。何か一般市民とスラムの人々の間には、見えない大きな壁が立ちふさがっているようにも感じた。

何度も断られながらも足しげくスラムに通う内に、一人、二人と話をしてくれるようになり、少しずつ奥の方にも入っていけるようになった。4月の中旬頃だったと思うが、膝の痛みを訴える女性を治療した事が切欠で、周りから治療を求める声が出始め、今回、ようやく小規模ではあるが1日のキャンプで、23名に治療を施すことが出来た。

まだスラムの人々が完全に心を開いてくれた訳ではないが、少しずつ信頼関係を築きながら、スラムの人々の実情に学んでいけたらと思う。スラムで暮らす人々の生活から、変わり行くネパール社会をしっかり見つめていきたい。


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2010年09月06日

制服

9月6日

児童「ダサイン祭りにね、お母さんが制服を買ってくれるの」
1年生のサンジュ(9)が、照れ笑いを浮かべながら僕にこっそり伝えてきた。日頃から保護者に制服の自己調達を呼びかけている事もあって、なんとも嬉しい報告だった。

制服は支援者の善意の支援の下、開校以来、原則として2年に一度、子ども達へ支給している。もちろん制服が無くても勉強は出来るのだが、制服は入学する子ども達にとっては憧れであり、また子ども達が学校の一員としての連帯感や自覚を持つ切欠になる。その他、制服には登下校の際に子ども達が犯罪に巻き込まれることを防ぐ狙いもある。今でも人身売買等が起こっているネパールでは、登下校時の子ども達の安全を守る事は何よりも大事だ。“必ず誰かが見ている”という村の利点を生かすためには、どこからでも一目で分かる制服の着用が必要不可欠だと考えている。

ただ、成長著しい子ども達に2年に一度の制服支給では間に合わないのが実情だ。中には遊びが過ぎ、半ズボンになったり、スリーブレスになったりして制服の原型を留めないような子もいる。衛生面の事を考えても、出来れば毎年1セットずつ支給して、常時2セット持てるような状態になればいいと思うのだが、100人を超える子ども達に毎年、制服を支給することは困難だ。

そんな事もあって、数年前から保護者会など折を見て学校に頼るだけでなく、出来るだけ制服を自己調達して欲しいと保護者に呼びかけている。特に毎年、秋に開催されるダサイン祭りでは、親が子どもに新しい服を買い与える習慣があるので、その時には、ぜひ制服を買って欲しいと呼びかけを続けている。

虱退治当初は保護者からの反発もあったのだが、2年ほど前からポツリ、ポツリと自ら制服を購入する保護者が現れ、今では4分の一程度の児童が学校で支給した制服と保護者に買ってもらった制服の2セットを持つようになった。(2セットあれば水曜日と土曜日に洗濯することが出来、常時、清潔な制服を着てくる事が出来る。)詳しく調べてみると、子ども達からダサイン祭りの時、洋服の代わりに制服を買って欲しいと保護者にお願いするケースが多いようだ。これまで続けてきた洗濯や虱退治、その他、さまざまな保健・衛生の活動が身を結んだと結果と言えるのかもしれない。*写真は体の洗い方を学んだ上級生が下級生の体を洗っているところ

制服ところどころ制服が破れているが子もいるが、開校当時に比べれば全体的にかなり綺麗になった印象だ。今回、サンジュの保護者が制服購入を決めてくれたことも、ささやかではあるが、一つの前進と捉えていいのではないだろうか。たかが制服、されど制服、目立たないところで着実に教育の成果は現れているのだと信じたい。(写真は2006年の児童)






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2010年09月05日

職業訓練所が見本市に出展!!

9月5日(日)

職業訓練所ヒマラヤ小学校とアマラプール・コミュニティ学習センター(Amarapur community Learning Center )が共同で運営している職業訓練所が、今月8日にカトマンズで開催される見本市に出展することになった。現在、職業訓練所は袋詰めの作業など出展に向けた最終準備で忙しい。

今回が職業訓練所として2度目の見本市出展。品物など前回の見本市と大きな違いはないが、今回は職業訓練に参加し始めたばかりのヒマラヤ小学校の保護者らも店頭に立つことが一番の違いといえるだろう。前回の見本市の時点では、保護者の参加が全くなかった職業訓練に、今では6人の保護者が参加するようになった。あまり目立たない点だが、学校の自立に向けたとても大きな一歩だと考えている。

見本市前回の見本市では卒業生や村の女性達が店頭に立ち接客を行ったが、自分達が作った物を客に喜んでもらったり、客からの様々な要望を聞いたりする事は生徒にとって大きな励みとなったようだ。こうした自立支援活動では、自ら「知ること」と、他人(ひと)に「知って貰うこと」の2つが最も大事な事だと思う。

今回の見本市、果たしてどのような成果が上がるだろうか。応援かたがた会場に駆けつけ、保護者をはじめ関係者の奮闘ぶりをこの目でしっかり見たいと思う。会場はネパールアカデミーホール(旧ロイヤルアカデミーホール)開場は午前10時から。


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