2010年04月

2010年04月26日

保護者からの要望を受けて

菩提樹先日開催した保護者会では保護者から忌憚のない意見と共に、学校への様々な要望が出された。その中でも特に保護者から要望が多かったものを取り上げ、僕なりに検討してみたい。

1、教員数の増加

現在、ヒマラヤ小学校には幼稚園2クラスと小学校1〜5年の合計7クラスが開校し、(新学期から幼稚園年中クラスを開校し8クラスになる予定。)学校長を含む8名の教員がいるが、教員が病気などで休んだ場合など補助要員がいないため、自習となってしまう事がある。現在、1名の教員が病気休養中のため、年度末に自習となるケースが増えたこともあり、保護者から教員を増やして欲しいとの要望があったようだ。

教員を増やすこと自体は必要なことだと考えているが、どのような教員を、どのような形で雇用するのか等、運営委員会で十分な協議が必要だ。まだ先の話だが、経験者あるいは十分な研修を受けた人を教員として向かえる事で、全体の質の向上につながればと思う。

2、10年生(高校)までの開校

ネパールの学校の多くは幼稚園から10年生までの一貫教育を実施していて、(もしくは8年生までの一貫教育という学校が大半。)ヒマラヤ小学校のように5年生までという学校は稀だ。教育への関心が高まるにつれ、出来れば10年生終了後に行われるSLC(全国統一卒業認定試験)まで子ども達を勉強させたいと考える保護者が増えているようだ。そうした保護者にとって、現状のようにヒマラヤ小学校を卒業した後、6年生から他校へ移るという事にはそれなりに抵抗があるのだろう。

ヒマラヤ小学校建設の話が出たのは2001年の事。当時、これほどまで教育への関心が高まるとは予想もしていなかった。10年ひと昔というが、あれから10年余り、社会の変化と共に人々の価値観や意識も大きく変わって来たという事だろう。

この件に関してはもう少し長期的な視野に立ち、有償化の流れや卒業生の進路状況を見ながら考えていきたいと思う。いずれにしても、保護者の多くが教育への関心を高めている事は素晴らしいことだと思う。


3、教育の質の向上について

教育の質を求める声が毎年高まっている事は、僕自身も肌で感じている。先日もブログの中で取り上げたとおり、新年度は教員への研修、そして教育の質の向上に全力で取り組んでいきたいと考えている。教育の質の向上に関しては読者の方からも問い合わせが多く寄せられたので、後日、改めて考えを纏めてみたいと思う。

4、医療キャンプの定期開催・保健室の設置について

学校が公共的な施設として、村の医療向上に貢献する事はとても大事な事だと思う。出来れば知人の医療関係者とも相談して、定期的な医療キャンプの開催を考えていきたいと思う。また保健室の設置などもこれから検討していく必要があると考えている。

5、給食の開催頻度に関して

ヒマラヤ小学校で実施している栄養摂取プログラムいついては、保護者から感謝の声が聞こえてきた。現状の月一回開催から、月2回の開催にすることを目指して、頑張っていけたらと思う。栄養摂取プログラムについては、ひとつの目標として職業訓練所で制作した品物の売り上げを当ててみてはどうかと考えている。目に見える形で売り上げが役立てば、職業訓練の参加者にとっても、きっと良い影響があるのではないかと思う。




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2010年04月22日

保護者会 〜児童福祉基金について〜


児童4月20日に開催した保護者会では、児童福祉基金の徴収額の増額が満場一致で決まった。児童福祉基金は子ども達の福祉を目的にヒマラヤ小学校の開校と同時に創設されたもので、何度かこのブログでも紹介したことがあるが、子ども達から毎月5ルピーずつを徴収し、卒業時には元本に利子を付けて返金するもの。窮状を抱えた家庭には小ヤギを与え、小ヤギが大きくなって子どもを生んだ時には小ヤギを1匹返してもらったり、また病気の児童の医療費を支援したりする福祉目的での基金だが、それ以外にも児童や保護者に貯金の大切さを身に付けて貰うための大切な取り組みでもある。(ヒマラヤ小学校の児童の保護者の多くは日雇い労働に従事しているが、多くの場合、100ルピーの日給を貰ったら、その日の内に100ルピーを使ってしまい、いざお金が必要となった時に困ってしまう事が多い。)

基金の創設から6年が経ち、児童福祉基金そして貯金に対する理解はかなり深まったのではないだろうか。今回、徴収額の増額の提案が学校側からではなく保護者側から出され、しかも満場一致で可決された事からも理解がかなり深まっている事を実感できる。この基金、現在はインフレによる高利で上手く運営できているが、ゆくゆくはいろんな方法も検討していく必要があるだろう。



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2010年04月21日

保護者会を開催

4月21日

保護者昨日、ヒマラヤ小学校で保護者会を開催した。学校側から活動の経過報告などが行われた後、参加した保護者一人ひとりから学校に対する意見を聞くことにした。参加した保護者の殆どが女性だったせいか、当初はなかなか声を出せない人も多かったが、みんな緊張しながらも、それぞれの思や考えを忌憚なく話してくれた。保護者から出された提案については後日、改めて纏めてみたいと思う。

今回の保護者会の大きな議題の一つが、学校の一部有償化についてだった。僕の個人的な感覚では、全体の5%くらいの保護者が一部有償化に賛成で、新学期から対応できる状況のような感じだったが、多くの保護者は有償化に理解は示したものの、現状での有償化への協力は難しいとの意見だった。食べるのも必死の状況に加え、昨今、急速なインフレに直面しているのだから無理も無い。

ただ、有償化に断固反対という意見は一切無く、現状では難しいものの将来的には協力したいとの意見だったことは僕達にとって大きな励みとなった。また今回、保護者としっかり向き合って有償化の話が出来たことも大きな一歩だったように思う。まだ時間は掛かると思うが、保護者への職業訓練などを実施しながら、一歩ずつ保護者と協力して有償化の道を歩んでいけたらと思う。

保護者保護者が帰った後、有償化を提案した先生が「現状ではどう考えても無理ですね」と話していたので、出来たら家庭訪問をして各家庭の現状を見てはどうかと提案した。なによりも大切なのは、現場を知ることだと思う。

関連ブログ
2010年4月4日
2010年4月8日

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2010年04月20日

第2回修学旅行 その2


児童ナガルコットへ修学旅行に出かけた5年生一行。突然の予算問題に直面し、そのままナガルコットで泊まり、翌日の昼食を諦めて帰る事にするのか、宿泊地をバクタプールに変え、翌日、昼食を食べ、ゆっくり観光を楽しんで帰るのか、二者択一を迫られたのだが、、、、、、、、、、、、、、子ども達の答えは迷わずバクタプールだった。この日の天候からすれば、このままナガルコットで泊まってもヒマラヤを楽しむことも出来なかっただろうし、なによりも腹ペコで帰るなんて、それだけで修学旅行の楽しさが半減してしまう。

ということで、急遽バクタプールに泊まることになったのだが、当てがあるわけでもなく、バクタプールへ向かう道中で友人知人に電話を掛けながら宿を探し、結局、親しい知人の紹介を受けたバクタプール市内にあるゲストハウスで泊まる事になった。残念ながらゲストハウスには児童、教員が一緒に泊まれるだけの大部屋がないため、各部屋4人から6人ずつに分かれて泊まることになってしまった。修学旅行の夜はとにかく長い。部屋数が増えるというのは、管理する側からすればなかなか厄介な問題だ。

食事ゲストハウスに着いた後、みんなで揃って食堂で夕飯を食べた。ここの食堂、料理がなかなか美味しくて子ども達からも大好評だった。ナガルコットからバクタプールに変えた事で宿泊料金が安くなった分を料理に充てたので、肉料理もあり、料理がなくなるまでお代わり自由となった。子ども達には至福のひと時となったようだ。お腹一杯食べた後の子ども達の満足げな顔を見ていると、バクタプールを選んで良かったとつくづく思った。

夕食の後は予定通り、歌えや、踊れやの大騒ぎ。ゲストハウスオーナーの全面的な協力も得て、夜遅くまで子ども達、先生達が一緒になって歌って踊っての楽しい時間となった。消灯後の騒ぎは皆さんの想像の通り。子ども達の元気さにつくづく驚かされた夜となった。

児童ということで今年も無事、修学旅行を終えることが出来た。卒業生達には修学旅行の思い出を胸に、それぞれの新たな道を歩んで欲しいと思う。卒業生の旅立ちに心からの弥栄を贈りたい。

卒業旅行の実現にあたっては、今年もめぐりの会の皆さんの温かいご支援をいただいた。ここに改めて感謝申し上げたい。



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2010年04月18日

第2回修学旅行

4月18日

児童18日、19日の2日間に渡り、卒業する5年生の子ども達を連れて、ナガルコットとバクタプール周辺へ修学旅行に出かけた。今回は諸事情で実施が遅れたため修学旅行というよりも卒業旅行のような感じとなったが、子ども達にとってそんな事は一切関係なく、友達と遠くへ出かけ一夜を過ごすというだけで、わくわく、どきどきの毎日だったようだ。

昨年1月1日に第一期卒業生を連れて行った修学旅行は予想以上に盛り上がり、今でも卒業生と会う度に修学旅行の思い出話に花を咲かせている。修学旅行を終えてからというものクラスの一体感が一気に増し、子ども達が毎日のように“卒業したくない、6年生を開校して欲しい”と、涙や詩で訴えてこられ手を焼いたことが昨日の事のようだ。修学旅行で共有した全ての思い出は、今でも卒業生と僕達を繋ぐ大切な絆となっている。

さて今回の修学旅行、雑用に忙殺されていた関係で事前準備が殆ど出来ず、結局、宿泊先から行動計画まで全てを現地で決める事にした。まさに風まかせの修学旅行。これで間に合ってしまうところがネパールの凄さだと思う。日本の先生、特に修学旅行を担当している先生が聞いたら、腰を抜かしてしまうかもしれない。

木登りまずはバスに揺られカトマンズの郊外のナガルコットへ出かけた。ナガルコットはネパールの代表的観光地のひとつで、空気が澄み渡る季節には綺麗なヒマラヤを眺めることが出来る夢のような場所だ。今回は残念ながら乾季最後ということもあってヒマラヤは厚い雲に覆われていた。

ナガルコットについた後、展望台の傍の木陰で果物やパンを食べながら、皆で今日の予定について話し合った。キャンプファイヤーをしたい、ダンスを踊りたい、ドッヂボールがしたい等、子ども達の希望も様々だったが、まずは展望台へ登り、その後、皆でナガルコットを散歩しながら宿を探し、宿の状況を見て子ども達の希望を実現することにした。

ナガルコットの展望台は10メートルくらいの鉄塔で、最上段までは梯子で登るように出来ているのだが、元気を持て余している子ども達は梯子を一切使わず、鉄塔の横からスイスイと簡単にかけ登り、周囲の人々を驚かせていた。

展望台からナガルコットの小さなバザールまでは徒歩で約1時間半。皆で歌を歌ったり、世間話をしながらてくてく歩いた。途中、突然の雨に打たれた事も、子ども達にとっては良い思い出となったに違いない。

児童バザールについた後、村めぐりも兼ねて宿探しに出かけた。ナガルコットの宿は競争を避けるためか、最低価格のカルテル協定のようなものが結ばれていて、どの宿を訪ねても値段が同じだった。素泊まりはなく、夕食と朝食付きのプランで泊まった場合、予算オーバーとなってしまい、翌日の昼食や観光地訪問はキャンセルとなってしまう。子ども達にも諸事情を伝え、ナガルコットで泊まるか、翌日訪問予定のバクタプールで泊まるか話し合うことにした。ナガルコットで泊まった場合、翌日の昼食はなし。バクタプールで泊まった場合は昼食あり。子ども達の答えは火を見るよりも明らかだが、、、、、さてどうなるか。


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2010年04月17日

リトルエンジェルズ学校でワークショップ

4月17日

リトル2先月17日、ネパール最大の学校リトルエンジェルズスクールで、ケナフのワークショップを開催した。リトルエンジェルズスクールは初等部だけで児童数12000人という超マンモス校。18ヘクタールの広大な敷地に立派な校舎群が建ち並び、校内へ入るとネパールであることすら忘れてしまう程、素晴らしい教育環境が整備されている。全教室に対応したジェネレーターまで完備されているから、もちろん停電で授業が邪魔されることもない。このように誰もが羨むような環境で学ぶ子ども達だから、もしかしたらケナフ活動よりも、むしろテレビゲーム等の方に興味があるのではないかと、かなり偏見を持って活動を行ったのだが、蓋を開けてみると、リトルエンジェルズ学校の子ども達は皆、興味津々。僕達にとって嬉しい誤算だった。

今回のワークショップの目玉は、なんと言ってもエヴェレスト学校の『ケナフ・みどりの少年団』の子ども達がケナフについて指導したことだ。みどりの少年団の設立当初から天然資源であるケナフに関する適切な知識や活用法の普及のために、“子ども達〜子ども達へ”という流れを作りたいと考え、模索してきたので、今回は本当に大きな一歩となった。

リトルワークショップの後、リトルエンジェルズ学校を見学させて貰ったが、予想以上に質の高い教育が行われていて驚いた。資金的な強さに加え、教師一人ひとりの能力の高さが際立っているように感じた。これまでのようにSLC(10年生終了後に受ける全国統一卒業試験)に合格したら誰でも教師になれるという制度では、もう時代に合わなくなっているのだろう。これからネパール全体の教育の質を高めるためにも、教員資格試験などの制度が必要になってくるのかもしれない。なにかと問題点の多いネパールの教育事情だが、今回、リトルエンジェルズスクールを訪ねたことで、“やる気にさえなれば、ネパールでも出来る“ということがわかり、貴重な学びの時間となった。

帰り際、リトルエンジェルズ学校の巨大な校舎群と数え切れないほどの生徒の群れを目にしていると、ヒマラヤ小学校の子ども達一人ひとりの笑顔が浮んできた。リトルエンジェルズ学校とは正に対極にあるヒマラヤ小学校だが、これからもずっと小さな学校でありつづけたい、そんな思いを新たにした。


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2010年04月16日

残された手紙

4月16日

児童先月末の出来事。早朝、学校を訪ねるとヤッギャ校長から一枚の紙を渡された。紙を渡しながらヤッギャ校長が『S姉妹が母親と一緒に夜逃げをしたようです。』と溜息まじりに伝えてきた。

ノートを契っただけの粗末な紙には、村の風景と共にネパールと日本の国旗が描かれていて、すぐにSが描いた絵であることがわかった。Sは絵が大好きで、毎日のように同じ村の風景と日本とネパールの国旗を描いた絵をプレゼントしてくれた。絵の隅には大きな文字でThank youと書かれてあり、その横には先日、Sに教えたばかりの日本の童謡の歌詞が書かれていた。よほど急いでいたのだろう、何時もはきちんと色を塗っているSの絵は、一部が鉛筆で黒く塗りつぶされているだけだった。

Sは去年、ヒマラヤ小学校の幼稚園年長クラスに入学した12歳の女の子で、同じく幼稚園年少クラスに入学した妹のC(5歳)の世話をしながら、毎日、楽しそうに勉強していた児童だった。Sの家族は災害で家を失い、遠くの村からブンガマティ村へ移住してきた。入学選考の時、『歌や踊りも習えるよ』と話すと、Sが笑顔を浮かべていたことを思い出す。

児童ヤッギャ校長の話によると、昨日、ヤッギャ校長が留守をしている時にSが自宅を訪ねて来たそうで、ヤッギャ校長と僕に手紙を渡してほしいと言って、そのまま帰っていったそうだ。その後、S姉妹は母親と共に誰にも気づかれないように、こっそり村を去ったようだ。夜逃げをした理由は定かではないが、村人の話によるとSの母親は家賃を数ヶ月滞納するなどかなりの窮状を抱え、債鬼にも攻められていたようだ。数ヶ月前に母親が体調を崩し建設現場での仕事が思うように出来なかったと、近所の人が話していた。

昨日、Sが一人でヤッギャ校長の家を訪ねたのは何故だろう。単にお礼を言いたかっただけなのだろうか?もしかすると、Sなりに何らかの助けを求めていたのかもしれない。ヤッギャ校長の不在を知り最後の希望を失ったとしたら、、、、、Sの気持ちを思うと胸が痛み、ヤッギャ校長のついたため息がより一層、重く感じた。

S姉妹がいなくなってもう直ぐ1ヶ月。今頃、何処で何をしているのだろうか。親子3人で路頭に迷うような事がないよう今はただ願うばかりだ。


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2010年04月14日

偉大な母の存在

4月14日

メヌカ僕達の活動は、12名の母子家庭の女子に対する就学支援から始まった。当時、9歳前後だった12名の子ども達は皆、二十歳を超え、現在は臨床検査技師として医療機関で働く者、教師として教育現場で頑張っている者、大きな志を持って大学で勉強を続けている者、国際協力機関で働いている者など、それぞれの道で活躍している。第一期生達の頑張りがあったからこそ、後の奨学生たちが続き、そして僕達は活動を続けることが出来たのだと思う。

このブログでも何人かの第一期生を紹介したことがあるが、どの奨学生も人間としての優しさに溢れているのは、きっと母親の存在が大きいのではないかと思う。女性の地位が低いネパールにあって母子家庭という立場は、僕達の想像を超えるほど厳しいものだ。そんな厳しい環境の中で必死に生きる母親の苦労や努力を間近で見てきたからこそ、奨学生達は人間として大きく成長できたのではないだろうか。

特に第一期生のアシュミタの母親であるメヌカさんは、“偉大な母親”とういう言葉が最も似合う人ではないかと思う。メヌカさんの言動に接していると、僕自身いつも心が洗われ、本当に多くの事を教えられる。

メヌカさんはエベレスト街道の入り口、ジリで生まれ育ち、14歳の時に結婚。いわゆる幼児結婚だ。生まれてきた子が女の子(アシュミタ)だったため、家族から「アラチニ(呪われた女)」と言われ、ひどい仕打ちを受けたという。ヒンドゥ教の社会で女は「結婚し、男子を産み、祖霊を守る男子を育てる事」が義務とされているのだ。もちろんダウリ―(持参金制度)の問題もあるのだろう。家族から灯油を掛けられた事もあるというから血も涙もない。メヌカさんの目から流れた涙からも当時の苦労が容易に想像できる。

アシュミタを連れてカトマンズへ逃げて来たメヌカさんは、建設現場や砕石場、ショール工場などで働きながら、これまで女手一つでアシュミタを育ててきた。貧困にも負けず、また途中、何度かの大病を乗り越えたのは、アシュミタを守ろうとするメヌカさんの強い精神力があったからだろう。

先日、アシュミタに授業参観をした後メヌカさんを訪ね、アシュミタがとても頑張っている旨を伝えると、メヌカさんは優しい笑顔を浮かべながら「私は字の読み書きも出来ないからアシュミタがどれだけ上手に教えてられているのか分かりませんが、アシュミタが教師になる時、子供たちを決して大きな声で叱ったり、叩いたりする事だけはしないでおくれ、と話しました。時々、学校の子ども達が『アシュミタ先生のお母さん!』と声を掛けてくれますが、アシュミタがきちんと約束を守っているのだと思うと嬉しくなります」と話していた。

メヌカさんという偉大な母の存在が、アシュミタを人間として大きく成長させたのだと、改めて確信したひと時だった。


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2010年04月12日

誰が治してあげるの?

4月12日

ぷすぱ今年もヒマラヤ小学校で渡辺先生による歯科キャンプが行われた開校以来、子ども達の歯科衛生の向上のために献身的な活動を続けてくださる渡辺先生には筆舌に尽くせないほど感謝の気持ちでいっぱいだ。心からお礼を申し上げたい。6年間の活動の成果は着実に出ているように思う。

歯科キャンプが終わった後、静まり返った教室で雑用をしていると、1年生のプスパ(10)がやって来て、「渡辺先生が病気になったら誰が治してあげるの?」と尋ねて来た。プスパの可愛らしい質問に心を和ませながら「自分で治せないから、先生は痛くて泣くのかもしれないね」と答えると、プスパは「大きくなったらね、私がお医者さんになって渡辺先生を治してあげる。」と言って無邪気に微笑んだ。


児童プスパの屈託の無い笑顔を見ながら、やはり人との交流こそが子どもの夢を育て、未来に向かう大きな力になるのだと改めて実感した。



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2010年04月08日

努力や変化を感じて貰う

4月8日(木)

児童先日から先生達と共に学校の一部有償化についての話し合いを続けている。僕自身は時期尚早との考えから、現時点での一部有償化には反対の立場であるが、将来的な有償化を目指す上で、こうして議論を重ねる事はとても良い事だと思っている。有償化によって学校へ通えなくなるような事がないよう、その辺りの対応策についても、今からしっかり考えておくことは大事な事だ。

月末の保護者会で一部有償化についての話し合いが行われる予定だが、先生達には、運営費が不足しているから、あるいはインフレで物価が上昇して大変だから等といった消極的な理由を闇雲に並べて、保護者に協力を求めるのではなく、より良い学校を作るため、教育の質を上げるためといった前向きな理由をしっかり提示し、それらの実現に向けた学校としての努力や変化を保護者にしっかり感じ取ってもらう事に注力して欲しいとお願いした。学校がより良い方向に向かうのであれば、保護者や地域から僕達が考えている以上の協力を得る事だって可能だと思う。

ヒマラヤ小学校通信2010年4月を更新中です。ぜひ、お目通しください

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2010年04月07日

教員育成

4月7日

ジャカランダ今年もカトマンズ盆地のあちこちでジャカランダが美しい紫色の花を咲かせ始めた。今から丁度12年前、僕がネパールで暮らし始めた頃、このジャカランダが満開だった事もあって、ジャカランダは僕にとって最も思い出深い花であり、毎年、花を咲かせる度に、立ち止まって自分自身の生活を振り返る切欠を与えてくれる大切な花でもある。12年という月日はネパール社会を大きく変えたが、ジャカランダは今年も変わらず美しい紫色の花を咲かせている。今年はジャカランダの花を見ながら自分自身を振り返り、一体、何が見えてくるだろうか。

ヒマラヤ小学校では開校以来、政府の支援を受けず独自で教員を雇用している。政府に申請をすれば一定数の教員を派遣して貰う事も可能だが、公立学校教員の状況を見る限り、どうしても積極的に申請する気持ちになれないのが実情だ。(もちろん熱心に頑張っている先生もいるのだろうが。。。。。)ただし教員を学校独自で雇用はしてはいるものの、運営面の問題もあり、これまで経験豊富な教員を積極的に雇用することが難しく、雇用の際には教員としての経験を一切問わずに“若くて熱意のある人”を判断基準として、3名の経験者の下、新人教員の養成も同時に進めていく方針だった。しかし残念ながら開校からこれまでの6年間、必ずしも教員養成に十分、力を注ぐ事が出来なかったように思う。先日、職員会議を開いた際、多くの先生達から『教え方に自信がない』という声が出たが、これも職員養成が十分に出来ていない結果だと思う。

児童教員養成の方法として各種教育研修への派遣があると思う。おそらく研修をしっかり受けることで、先生達も自信を持つことが出来るのではないだろうか。『教え方に自信がない』と言った先生達の多くが、アプスベンなどのプログラムにあまり積極的に参加していないところを見ると、先生達に自信を持ってもらうことが、今一番と重要な事なのかもしれない。

丁度、保護者をはじめ村の人々から“教育の質”に対する要望も高まっているので、新年度からは出来る限り研修の機会を作り、教員養成に力を注いでいけたらと考えている。幸い4月下旬から、米国の小学校や日本のモンテソリ等で教師として活躍されたフランス国籍の方が、長期間にわたりヒマラヤ小学校で様々な指導をしてくださる予定になっているので、これを絶好の機会として先生達の意識をしっかり高めながら、教育の質向上に向けて取り組んでみたいと思う。ヒマラヤ小学校は今、大きな変化の時を迎えているようだ。


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2010年04月04日

有償教育化

4月4日

児童先日、教職員職も参加して行われた理事会の中で、一部の先生達からヒマラヤ小学校の無償教育を一部有償にしてはどうかとの提案が出された。ヒマラヤ小学校は開校以来、大勢の方の善意の支援を受け完全無償教育を続けている。また開校以来、支援に頼らない学校作り(学校の自立運営)を目指して様々な活動に取り組んでいる。その一つは職業訓練であり、また交流活動や様々なプログラムへの参加も子ども達や保護者の自立意識を高揚させるための大切な活動だと考えている。

僕達の基本的な考えは、学校として卒業生が職業訓練所で製作した品物を販売することで学校を運営するのではなく、卒業生や村の人々が職業訓練で学んだ技術を生かして収入を得られるようになることで、少しずつ学校を有償化させ学校の自立を果たしたいとの考えだ。もちろん暫くは学校として物品を販売することも必要だろうし、販売することで卒業生や村人の自立意識を高揚させる事も大切な活動だと思っている。

児童今回、一部の先生から出された有償化の提案は、僕達の考えや将来的なビジョンに沿ったものであり、少しずつ保護者に責任を持って貰う事も大事なことだと思う。また近年の急激なインフレによって学校運営が厳しさを増す中で、支援者の皆さんに更なる負担を強いることなく安定運営を維持させるためには一部有償化は大事なステップだと思うのだが、僕自身は正直、時期尚早のような気がしている。今は何事もゆっくり時間を掛けて進めていく事が大事はないだろうか。

とはいえ、まずは保護者に学校としての考えを伝え意見を集めてみる必要がある。今月下旬には保護者会を開催する予定だ。果たしてどのような形で話が纏まるのだろうか。



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2010年04月03日

全てを含めて教育

児童『今日ね、OOとXXに3問も答えを教えてあげたの』

試験を終えた3年生の女の子が自慢げな表情で僕に伝えてきた。教員でない僕にだから言えたのだろうが、この素直さこそがヒマラヤ小学校の子ども達の長所だ。周りに先生がいない事を確認した上で、『よくやった!!』と3年生の女の子を誉めると、『明日はね、算数だから、私が教えてもらうつもりなの』と笑顔で答えていた。試験中の不正は良くない事かもしれないが、こうして助けたり、助けられたりすることで学ぶことも沢山あるのではないだろうか。全てを含めて“教育”なんだと思う。

さて期末試験も終わりに近づきつつある。来週、期末試験の成績発表が終われば、5年生は晴れて卒業となる。卒業を迎える5年生達には当初、地味な印象を持っていたが、そんな印象を覆す程、最上級生としての1年間を元気よく頑張ってくれた。5年生達には本当に感謝している。試験が終わった後は修学(卒業)旅行が予定されている。5年生達にとって最後の活動。沢山の思い出を作ってお互いの絆を深め合って欲しいと思う。


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2010年04月01日

卒業後の就学支援


試験ヒマラヤ小学校は現在、3学期期末試験の真っ只中。毎年、進級審査の行われるネパールでは3学期期末試験は進級に関わる重要な試験だ。特に1,2学期の試験結果が思わしくなかった子ども達にとっては、3学期の期末試験は最後のチャンスでもある。それだけに子ども達にとっては憂鬱な時間だろう。試験中の子ども達の苦しむ姿を見るのは忍びないので、僕は試験中、なるべく別の用事をすることにしているが、何人か気になる児童がいるので、なんとなく落ち着かない毎日だ。

現在、ネパール国内の学校ではヒマラヤ小学校と同じように期末試験が行われていたり、既に期末試験が終了して春休みに入っているところも多いようだ。今年は春休みを利用して、昨年ヒマラヤ小学校を卒業した子ども達の中で、中学校へ進学したためなかなか職業訓練を受けられない子ども達のために特別プログラムを開催することにした。プログラムを受けた人々が講師役になって指導するので不十分な点もあるかと思うが、卒業生たちには職業訓練プログラムの楽しさを感じて貰えたらと思っている。

先日、特別プログラムに参加している卒業生の一人、ラクシミ・シェルパが教室の前で憂鬱な表情を浮かべて立っている姿を見かけた。傍に寄って尋ねてみてもなかなか言い出せない様なので、ラクシミの親友である同じ卒業生のスニタを呼んで少し落ち着いてからゆっくり話を聞くことにした。

ラクシミラクシミはヒマラヤ小学校卒業後、教育に熱心な母親の勧めもあってパタン市内の私立学校に進学した。窮状を知った学校側の配慮で一部、授業料の免除などを受けながら勉強を続け来たようだ。しかし学費の免除があるとはいえ、砕石場で日雇いの仕事をしている母親の力だけでは学校で勉強を続けるのが難しくなったそうだ。“もしかしたら学校を辞めなければならないかもしれない”、そんな不安がラクシミの表情を暗くしていたのだ。母親は元々、病気がちであるため、ラクシミが母親の代わりに砕石場で仕事をすることも良くあるという。ラクシミの右手に出来た複数のタコが痛々しかった。

僕達は現時点で卒業生への積極的な就学支援は行っていない。卒業生の進路として早朝のオープンスクールや職業訓練プログラムを用意している事もあるが、卒業後も支援を続けることは僕達の団体の規模では難しいのが現状だ。もちろん保護者が教育の大切さに気づき自力で就学させている状況を邪魔してはいけないという思いもあってのことだが、これから少しずつ対応策を考えていかなければと思う。まだまだ課題は多い。



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