2010年03月

2010年03月26日

G.Pコイララ元首相

26日

コイララギリジャ・プラサド・コイララ元首相が死去された。85歳、不屈の精神で激動の時代を駆けた政治家、ネパールにとっては正に宝石のような人だった。21日、カトマンズ市内のスタジアムで行われた告別式では、大勢の国民が最後の別れをつげに集まった。

コイララ元首相は4度、首相を務めた老獪な政治家だ。ネパール政治を読む上でコイララ元首相の言動は欠かすことが出来なかった。コイララが動けば政治が動く、そんな声も良く耳にした。その一方で汚職政治家としてのイメージも強く、首相在職中などはむしろ批判的な意見を耳にすることの方が多かったように思うが、先日の国葬式を見る限り、やはりコイララという政治家は人々に希望と勇気を与え、国民の心の支えだったんだなぁと思う。

僕がコイララ元首相と初めて会ったのは今から10年前の2000年、B.Pコイララ記念がん病院の落成式典での事だった。主賓として式典に出席されたコイララ首相(当時)が、日本人の僕を見て親しく話しかけてくれたのだ。僕が鍼を使って癌患者の鎮痛治療をしている旨を伝えると、『ネパール国民を代表して感謝します。どうか苦しむ人々が安らぐよう頑張って欲しい』という温かい言葉をかけて貰った事を鮮明に覚えている。一国の首相から受けた激励は、僕が治療活動にまい進する大きなきっかけになったことは言うまでも無い。

ネパールの政治は今も深い混迷の中にある。果たしてコイララ元首相が目指していた真の民主主義は達成できるのだろうか。コイララ元首相亡き後のネパール政治をしっかり見つめて行きたい。



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2010年03月23日

アシュミタ せんせい

23日

アシュネパールを訪問中の支援者の方と共にヒマラヤ青少年育英会の里親教育基金の元奨学生(現在も大学就学費用の一部、支援を行っている)で、現在はパタン市内の私立学校で教師として活躍しているアシュミタの授業参観を行った。アシュミタはこのブログでも何度か紹介している通り、僕達が活動を始めてから最初に支援を行った12人の奨学生の一人で、心臓病や貧困に負けることなく逞しく生きている女の子だ。アシュミタの底抜けに明るい笑顔には僕自身、ネパール生活の中で何度も救われてきた。

アシュミタが教師になってから、一度、授業参観をしたいなぁと思いつつ、忙しさにかまけてしまいなかなか実現できないまま状況が続いていた。今日ようやく実現する運びとなり、朝からそわそわ落ち着かない状態だった。授業参観に同行された方は長年、教師として活躍された方で、アシュミタが教師を目指す切欠を与えてくださった恩人の方でもある。アシュミタにとっては今日は晴れ舞台でもあり、貴重な学びの時間だ。

アシュさてアシュミタの授業だが、僕の想像をはるかに超え素晴らしい内容だった。常に笑顔で子ども達と接している点、定位置ではなく教室を回り、一人ひとりの子ども達に気を配りながら授業を進めている点、教室がきちんと整理整頓されている点、常に目線を下げ子ども達と会話をしている点など、数えるときりが無いが、どれも出来るようでなかなか出来ない事ばかりだ。持ち前の明るさと優しさが教師という職業に上手く生かされているのだろう。学校長もアシュミタを高く評価していた。

アシュミタがしゃがんで子ども達と目線を合わせながら話をしている姿を見ていると、12年前、道端でみかんを売っていた当時9歳のアシュミタと話をしているとき、しゃがみこんだ僕に向かって、『自分の方が背が高いよ』と無邪気に喜んでいたアシュミタの笑顔を思い出した。あれから12年、こんなにも素晴らしい教師になっているとは、、、、、、、、アシュミタは本当によく頑張ったんだと思う。



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2010年03月22日

職業訓練所 見本市へ出展

22日

ドゥープブンガマティ村のアマラプールCLC(コミュニティ学習センター=公民館)と共同で開催している職業訓練も開始からあっという間に1年が過ぎようとしている。HPで紹介している美容トレーニングや木工細工、サリの装飾作業以外にも、椎茸の栽培技術や食品加工、蝋燭つくり、ドゥボコマラと呼ばれる芝草で作った首飾り等、様々なプログラムが行われ、ヒマラヤ小学校の卒業生や村の女性達が自立を目指して一生懸命がんばっている。特にサリの装飾技術はプログラムに参加している女性達の提案で、ネパールの女性が好んで着るクルタスルワールやショールなどへの応用も始まっている。参加する人々がこうして自ら提案し始めたとこからも、1年間で一定の成果があったと言えるのではないだろうか。

刺繍職業訓練プログラムを始めるにあたり実はいろんな不安もあったのだが、既に村で職業訓練プログラムを実施していたユネスコが主宰するブンガマティ村のアマラプールCLC(コミュニティ学習センター)の協力を得られた事で、予想以上に内容を充実させることが出来た事は大きな収穫だった。まだ予算の確保や製品の販売、ヒマラヤ小学校の3階校舎を利用する場合の騒音問題など課題はあるが、今後も受講生の反応をみながら、一歩ずつ充実したプログラムつくりを進めて行きたいと思う。


見本市先日8日、『女性の日』に合わせ、女性が関わるNGOが参加する大規模な見本市が開催され、ヒマラヤ小学校の職業訓練所もCLCと共同で参加することになった今回が職業訓練を始めてから初の見本市参加。一般の人に職業訓練で製作した品物を見てもらい、直接、評価を受ける貴重な機会だ。当初は受講生達から不安の声も聞こえていたが、蓋を開けてみるとブースに人垣が出来るほどの大盛況となった。特に食品加工の技術研修で作ったネパールの代表的保存食のグンドゥルックの売れ行きがよかった事はうれしい誤算だった。元々は貧民の食べ物とされていたグンドゥルックも、カトマンズ周辺での中産階級の人々の健康志向によって見直されているようだ。グンドゥルックは日干し作業を数回繰り返すため、もしかすると街中で作ることが少しずつ難しくなっているのかもしれない。こういう隙間を突いた仕事もこれから伸びる可能性があるだろう。いい勉強になった。

僕が個人的に嬉しかったことは、サリの刺繍をしている受講生が、新しいデザインの参考にしたいと、他のブースに飾ってあるサリの写真を撮って欲しいと言って来た事だ。こうした見本市では他の団体の活動を見て、お互い刺激を受けたり、学んだりすることが出来る。今回の見本市参加は、職業訓練受講生たちにとって大きな刺激になったに違いない。今後の受講生達の変化が楽しみだ。


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2010年03月21日

心の交流

21日

児童昨年の12月、松山とネパールの子ども達による絵画展が終わった後、絵画展の主催者である松山青年会議所の担当者の方から、松山の子ども達が描いた120点の絵の内、松山青年会議所が集めた80点(残り40点は松山ユネスコクラブの協力で集められた)を国際郵便でネパールへ送った旨、連絡をいただいた。

暫く経ったある日の事、松山青年会議所の方から再び連絡があり、実は松山ユネスコクラブを通して絵画展に出展した子どもの一人(6年生の女の子)が、“自分の絵もネパールのお友達に見てもらいたい”と言って事務局に絵を送ってきたので、ネパールに戻るときに持って帰って欲しいとの要請を受けた。

絵画展をただ単に子ども達が描いた絵を展示するという形だけのものではなく、少しでも絵画展を通じて子ども達が世界に目を向けたり、お互いの事を考える切欠になればと考えていたので、自分の絵もネパールのお友達に見て欲しい、と絵を送ってきた6年生の女の子の気持ちは何とも言えずうれしかった。もしかしたら僕達が考えている以上に、絵が海を越え、遠い国で展示されることに関して、子ども達が喜んでくれているのかもしれないと思うと、よけい絵画展への思いが強くなった。

ネパールで絵画展を開催中、会場を訪れた子ども達に、6年生の女の子の絵について話すと、みんな絵に向かって『サンキュー』と声を掛けていた。ともすれば形にばかり捉われがちの国際交流だが、やはり何よりも大切なのは人と人との心の交流なんだと強く実感した。今回の経験を次回にしっかり生かして行きたい。



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2010年03月19日

松山の子ども達による絵画展 2日目

19日

絵画展昨日からバクタプールのエベレスト学校で始まった松山の子ども達による絵画展『Beauty of Matsuyama through the eyes of Children”』は、今日も朝早くから大勢の人々が会場を訪れた。特に今日はヒマラヤ小学校や加盟しているUPSBENの子ども達も会場も訪れ、前日にも増して賑やかな絵画展となった。

今日は午前中、エベレスト学校の図書室で松山を紹介するイベントを開催した。イベントでは、まず僕が写真を使って絵画展で展示されている絵と関わりのある場所や人物などの説明を行い、その後、2009年に松山を訪問したヒマラヤ小学校のヤッギャ校長が松山訪問の感想を交えながら松山の説明を行った。ヤッギャ校長の松山訪問の感想は個人的に何度か訊ねたことがあったが、今回の話はこれまで以上に興味深い内容だった。特にヤッギャ校長が何度も繰り返し、松山の人々との触れ合いについて話していたことが故郷を松山に持つ一人としてとても嬉しかった。

紹介午前中に松山を紹介するイベントを行ったことで、来場した人々の絵に対する理解はずいぶん深まったように思う。初日、松山を代表するお菓子、坊ちゃん団子やタルトが描かれた絵に対する質問が数多く寄せられたが、今日は坊ちゃん団子やタルトの絵を見た子供たちが『ミタイ、ミタイ(お菓子)』と言って喜んだり、中には食べるふりをする子もいたりした。

今回、ネパールで絵画展を通してふるさと松山について紹介する機会を得たことを本当にうれしく思う。貴重な機会を下さった松山青年会議所の皆さん、また絵画展開催にあたり全面的に協力してくれたエベレスト学校関係者の皆さんに感謝の気持ちをお伝えしたい。また、なによりも参加してくれた松山、そしてネパールの子供たちに心からお礼を言いたいと思う。いつか絵画展に参加した松山とネパールの子ども達がお互いの国を訪ね、出会う日がくるかもしれない。そんな時、今回の絵画展で見た絵を思い出してくれたなら、これほど嬉しいことはない。




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2010年03月18日

松山の子ども達による絵画展

18日

絵画展今日からバクタプールにあるエベレスト学校(幼稚園〜10学年)で、『松山の子ども達による絵画展〜Beauty of Matsuyama through the eyes of children』が始まった。今回の絵画展は昨年12月、松山青年会議所の主催によって愛媛県美術館・南館で開催された松山とネパールの子ども達による絵画展の継続事業として、絵画展に出展した松山の子供たちの絵画120点の中から81点をネパールで展示するものだ。

松山の子ども達が描いた作品は松山城や道後温泉、坊ちゃん列車、みかん畑など、どれも故郷松山を描いたものばかり。昨年の12月に松山で絵画展を開催した時点では、子供たちの絵をネパールへ持ち帰り、展示をして国際交流を図るという単純な意識しか持っていなかったのだが、時間が経つにつれ今回の絵画展が単に国際交流だけでなく、ネパールの人々にふるさと松山を紹介するという極めて重要な役割を担っている事に気がついた。一体、どのようにして”松山”という、ネパールの人々にとっては馴染みの薄い街を紹介すればよいのか、しばらく思案にくれる毎日を過ごした。

坊ちゃん幸い、僕の周りにはヤッギャ校長をはじめ松山を訪問した経験のある人が数名いるので、その人たちに相談をしながら、ネパールの人々、特に子供たちに分かりやすく松山を理解してもらうための様々な仕掛けを(情報ボードやクイズコーナーなど)思いつくことが出来た。


絵画展緊張したまま開催当日を迎えたが、エベレスト学校はもちろん周辺からも大勢の学生や住民が会場を訪れ、大盛況となった。明日はヒマラヤ小学校とともにアプスベンの子ども達が参加する予定だ。昼からは松山紹介イベントも開催される。ぜひ、絵画展を通して大勢の方に、松山の魅力を楽しんで貰えたらと願っている。



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2010年03月15日

社会の変化

15日

児童今、ネパールは激動の時代の真っ只中にあり、社会が大きく変化しているのが手をとるように分かる。ここ数年の政情だけ観ても歴史の中にすっぽりと包まれるような出来事が何度もあり、その都度、人々の価値観が大きく変化していることを僕自身、強く実感している。

実はここ数年、理事会の中でも意見が衝突するケースがかなり増えている。これも、おそらく社会の変化に伴い、新旧の価値観が強くぶつかっている証拠なんだと思う。人やもの、情報が世界中を行きかうようになった昨今、ネパール国内でも国際社会の常識やルールが浸透しはじめているようだ。これまで通りの何事も“恣意的”で“結果オーライ”というネパールの伝統は少しずつ通用しなくなっているのかもしれない。

児童ネパールの『恣意的』そして『結果オーライ』の伝統には、僕自身、何度も苦しめられてきたが、実は同じくらい励まされたり、救われたりした事もあった。だから、そうした伝統が失われる事に対しては一抹の寂しさや不安もあるが、やはり僕達は社会の変化にしっかりと歩調を合わせて行くべきだと思う。

“時代は常に変わる“僕達はこの言葉をしっかり胸に刻まなければいけない。暫くの間、理事会での意見の相違や衝突も続くと思うが、理解ある仲間と共に信念をもって突き進んで行けたらと思う。

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2010年03月13日

勉強

13日 

切磋琢磨2村での往診治療を終え、開校前の寺子屋を訪ねてみると寺子屋で学んでいる女の子が2人、一生懸命、勉強している姿を見かけた。2人とも教科書に書かれた語句を念仏のように唱えながら敷地内をぐるぐると歩き回ったり、時々、立ち止まって天を仰ぎ見ながら暗記したことを復唱していた。なんとも微笑ましい姿に、時が経つ事すら忘れてしまった。

寺子屋ではもちろん進級試験などないのだが、将来、学校へ入学した時に学校環境に順応しやすいよう年に数回、模擬試験のようなことを実施している。寺子屋を担当しているサンギャさんに尋ねると、来週、模擬試験を実施する予定だという。なるほど、2人の女の子はその模擬試験に向けて一生懸命、勉強していたのだ。

切磋琢磨自分が子供の頃、これほど勉強に夢中になった事が果たして一度でもあっただろうか。飽食の時代に育ち、学校へ行くことなど当たり前。勉強できることへの感謝など一度も感じた事はなかったはずだ。

この2人の姿を日本の子ども達が見たら、何を思うだろうか。一度、訊いて見たい。

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2010年03月12日

校規

12日

スケボー今日の職員会議から先生達が中心になって新たな校規作りが始まったこれまでの校規が社会や学校の現状に合わなくなったため、開校6周年を機会に修正をしようというもの。校規は学校が開校した6年前の2004年、まだ教員が3人だった頃に策定したものだから、現状に合わなくなり、不都合が出るのも無理はない。

今回の校規の改正、実は先生達の声を受けてのことだった。人が増えるとどうしても細かいところまで目が行き届かなくなり、全体の規律がゆるくなってしまうのは古今東西どこも同じことなのだろう。ヒマラヤ小学校でもヤッギャ校長が教育センターやアプスベンの用事で外出する機会が増えた頃から、ごく一部の先生達ではあるが職員室でのお喋りが盛り上がり、授業時間になってもななかな教室に行かなかったり、理由なく遅刻する先生がいたりして、風紀に乱れが出はじめたようだ。

児童僕自身は実際にそういう先生を見たわけではないが、僕が学校に到着するとそそくさと職員室から教室に向かう先生の姿を何度か見かけたことがあったり、また普段の会話の中で子ども達から一部の先生への苦情を受けたこともあったので、恐らく間違いないのだと思う。

外での用事が増えたヤッギャ先生の代理として、昨年、モンゴル先生を校長補佐に任命し、校長代理としての権限を持たせることにしたのだが、長年の馴れ合いもあってか、なかなか改善が見られなかったようだ。元来、何事も慌てない国民性もあるから、こういう時はむやみに咎めるのではなく、自浄作用が出ることを辛抱強く待つことも大事だ。僕自身、過去に若い先生を叱って失敗した事が何度かあり、そのたびに辛抱強く待つことの大切さを思い知らされた経験がある。

昨年の秋、職員会議の席で、ある先生から校内の規律が下がっている事に対しての指摘があった。突然の指摘に驚いたが、発言の後、他の先生からも次々と規律が下がっている事を問題視する発言が起こった。みんな“このままではいけない”という思いがきっと心のどこかにあったのだろう。しばらく議論を交わした後、皆で新しい校規を作ろうという提案が行われ、今回、新学期に向けて新しい校規を制定することになった。

もちろん、新たな校規を定めることには僕も大賛成だが、単に校規を作っただけでは糠に釘で、それよりも常に先生達が何でも話し合える、風通しのよい環境を作ることの方が重要ではないかと思う。もしかしたら、これまで必ずしも言いたいことが十分いえる環境で無かったのかもしれない。そうした反省点をしっかり話し合った上で、必要最小限の校規を作ればいいのだと思う。厳しい校規で縛り付けお互いに緊張ばかりしていては、先生達がそれぞれの長所を生かした教育は実現できないだろうし、そんな中では子ども達が自由にのびのびと学べる環境は作れないだろう。ヒマラヤ小学校の長所は“自由”にある、この事をしっかり理解したうえでの校規つくりを願っている。

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2010年03月10日

ライバル

10日 

警戒3月下旬から始まる期末試験に前に、各学級で模擬テストが行われている。義務教育制度が確立されていないネパールでは、毎年、進級審査が行われるため、子ども達にとって期末試験前は気が重い時期だ。特に1,2学期の期末試験で十分な成績を残せなかった子ども達にとって3学期の期末試験は進級を左右する最重要な試験でもある。それだけに校内も試験の話題で持ちきりとなり、ざわめいている。

先日、模擬テストが行われていた1年生のクラスを覘いた時のこと。最前列に座っている2人の女の子がお互いを牽制しながら、ピリピリしたムードで試験を受けている姿を見かけた。お互いに回答を見せまいとノートを立て、少しでも相手に動きがあると警戒心を更に高めていた。

警戒2実はこの2人、普段は一時も離れることがない程とても仲良しなので、僕はテスト中の2人の変貌振りにすっかり驚いてしまった。親友とはいえ、試験になればライバルということだろうか。担任の先生に2人の成績について尋ねてみると、2人とも成績はいつも拮抗していて成績順も常にひとつ違いだそうだ。なるほどテスト中のピリピリした緊張感も頷ける。



仲良し2人とも模擬テストが終わった後は、何事もなかったかのように普段どおりの仲良しに戻り、はしゃいでいた。こうして切磋琢磨できる親友を見つける事は、学校生活の何よりの魅力だと思う。2人にはこれからも良きライバルとしてお互いを高めあって欲しい。



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2010年03月07日

次世代エース サジャン

7日

児童ヒマラヤ小学校で空手部の活動が始まって1年以上が過ぎた。少年空手家達の活躍は既にホームページやブログの中でもお伝えしている通りだ。少年達が学校生活の中で夢中になれる事を見つけられた事が何よりもうれしいことだ。稽古中、そして試合に挑むときの、生き生きとした少年達の表情を見るたびに、空手を始められて良かったなぁという想いがこみ上げてくる。

先日、空手の稽古が始まる前に、空手部員達と雑談をしていた時のこと。夏の大会で大活躍したスニールやシマの事を話していると、突然、3年生のサジャンが後ろから割って出て、”俺が勝てなかったのは、相手が強すぎただけだ“と必死の表情で言い出した。そりゃ、その通りだけど。。。

サジャン2サジャンは夏の大会で残念ながら1回戦で負けてしまい、悔し涙を流した児童だ。サジャンは決してスニールやシマの活躍を妬んでいる訳ではなく、自分も勝つ気はあったのだが、結果が伴わなかったのだと、要するに自分の熱意を認めてほしかったのだろう。サジャンが人一倍、空手に夢中になり稽古に励んでいることを知っているだけにサジャンの必死の思いを、微笑ましく思った。

世の中には、どんなに頑張ってもなかなか上手くいかない事だってたくさんあるはずだ。その事を知ることもとても大切なことだと思う。でも、頑張ったという事実は必ずその人の中で血となり、肉となって、生き続けるはずだから、僕はサジャンの大きな成長を確信している。これから次世代のエース、サジャンから目が話せない日々が続きそうだ。頑張れサジャン!

*サジャンが『ときたま1993-2010 コトバノチカラ』に作品を出展します



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2010年03月05日

問題を抱えたオープンスクール

5日

昨年5月にネパール政府のパイロット事業として始まったオープンスクール(日本の定時制学校に近い)は、ネパール各地の公立学校やユネスコ・アジア太平洋文化センターとネパール学校外リソースセンターが主宰するCLC(コミュニティ学習センター/公民館)で開校され、人々に大きな希望を与えている。

オープンスクールは様々な理由で教育を受けられなかった15歳〜45歳までの人々を対象に、通常10年間の教育課程を終えた者に与えられるSLC(全国統一卒業認定試験)の受験資格を、8年生まで終了した者には1年間、初等教育5年生まで終了した者には3年間、初等教育を終了していないものには7年間と、通常の教育課程よりも短期間で与える新しい制度だ。

オープンヒマラヤ小学校のあるブンガマティ村でもオープンスクール事業の開始と共に、村内のCLC(アマラプールCLC)にオープンスクールが開校し、学校名も『ヒマラヤ・オープンスクール』と決まった。現在、ヒマラヤ小学校の卒業生を含め、20人の生徒が毎朝6時から9時までの3時間、SLC(全国統一卒業認定試験)合格を目指して頑張っている。ヒマラヤ小学校から初めて卒業生を送り出すのと同じ年にオープンスクールの制度が始まったのは、アマラプールCLCの代表も務めるヤッギャ校長の努力もさることながら、勉強を続けたいという卒業生達の強い思いが届いたからだと思う。

何もかも順調に進んでいるよう思えたオープンスクールだが、実はここにきて運営面で大きな問題に直面している事が分かった。ヒマラヤ・オープンスクールは開校以来、月曜日から金曜日まで週5日間開校し、アマラプールCLCは現状に応じて週5日開校で教育省に予算請求(約10万円)を行ったそうだが、ネパール政府はオープンスクールの開校日数を年間53日間と定め、その分の予算しか出さないとのこと。後は自習によって合格を目指すか、オープンスクールを運営する公立学校やCLCが自ら資金を捻出して運営せよとの事だった。年間53日開校ということは、週に1日から2日だけ開校ということだ。ただでさえ日々の生活に追われ学校で勉強できなかった人々の中に、自習だけでSLC合格を目指す精神力や幸運を持ち合わせた人がどれだけいるだろうか。これではきっと多くの人が途中で挫折してしまうのではないだろうか。やはりお互いに励まし合い、助け合ってこそ、“鉄の門”とも呼ばれるSLC合格を目指すことが出来るのではないかと思う。

オープン先日、アマラプールCLCのメンバーをはじめ、ヒマラヤ・オープンスクールの教師、生徒が集まり、今後の運営についての話し合いが行われた。生徒達は何とか現状のまま週5日間、開校してほしい、と涙ながらに訴えてきた。せっかく目標に向かって皆で頑張っている時に、突然の政策変更は大きなショックだったに違いない。

ヒマラヤ小学校卒業〜オープンスクール〜職業訓練〜という大きな流れを、ここで止めてはいけない。課題は多いが、なんとか週5日開校維持を目指して皆で知恵を絞りたい。


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2010年03月04日

理事会

4日

児童今日は先生達も参加してのヒマラヤ小学校運営理事会を開催した。今回、先生達にも理事会に参加して貰ったのは、これまで以上に学校運営に先生達の意見や考えを反映させる狙いと、一部の先生達から出ている給与や学校運営に関する不満の声を直接、理事会の席で伝えてもらい改善に向けた話し合いを進めることが目的だった。ヒマラヤ小学校も開校から6年が経過し活動が順調に進む陰で、やはりそれなりに修正点が出てきているように思う。まずは問題点を皆で共有することで、解決に向けた一歩を踏み出せたらと思う。

今日の理事会では経費の削減についても話し合いが行われた。近年の物価上昇によってヒマラヤ小学校の運営にも大きな影響が出ている。なんとか支援者の皆さんに負担を増やす事無く、これまで通りの活動を続けるためには更なる経費の削減を考えなければならない。もちろん几帳面なヤッギャ校長の努力で、かなり経費は切り詰めているものの、皆で一丸となって努力すれば、未だ経費の削減は出来ると思う。

児童2ただ少し心配なのは、理事会の中に何の根拠も無く大丈夫だと思い込んでいる人がいる事だ。残念ながら支援が当たり前になっているのかもしれない。やはり身内からしっかり考えを正していかなければ、どんな努力も無駄になってしまうだろう。まだまだ遣るべきことは山積している。



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2010年03月02日

子ども達からの報告

メダル長い帰国日程を終え、2月上旬にネパールに到着して以来、なにかと慌ただしい毎日が続いている。いつもながら帰国前と帰国中、心ならずもブログを更新する事が出来ず、10月22日から更新が止まったままの状態が続いていた。一応、ほぼ毎日、日記は書きためているのだが、停電などもあってなかなか更新作業が思うように進んでいない現状だ。

先週末にようやく11月14日分まで更新することが出来たが、気がつくと3月に入ってしまった。ということで、これから現在と過去の日記を同時に更新していこうと思う。ぜひ、ブログを通して帰国中の活動についてもお伝えできればと思う。よろしくお願いします。


さて、ネパールに戻ってからほぼ毎日のようにヒマラヤ小学校を訪ねているが、子ども達は皆、元気に充実した毎日を過ごしているようだ。留守中に背が伸びた子、縄跳びが上手になった子など、子ども達からもいろんな報告があって賑やかだ。唾をまき散らしながら必死になって報告してくる子ども達の姿は、いつもながら微笑ましい。

メダル先日、ネパールに着いて初めてヒマラヤ小学校を訪ねた日の事。学校へ着くと空手部員達が駆け寄ってきて「押忍!!」と挨拶をした後、首からぶら下げたメダルを見せながら、「おれは金を取った」「おれは銅」「わたしは銀」と自慢げに報告してきた。嬉しい話ではあるが、一体、何が起こったのか分からなかったので、ヤッギャ校長に詳細を訪ねてみると、実は今年1月に開催されたアプスベンの合同運動会の中で空手も競技種目に選ばれ、空手をやっているヒマラヤ小学校と、2カ月ほど前から空手を始めたばかりのキッズマリー小学校の2校が参加して、空手競技を行ったそうだ。体重別に各校2人ずつ、合計4人がトーナメント形式で対戦。この試合、なんと3番と4番は同一3位になるそうで、つまり勝っても負けてもメダルが貰える仕組みになっていたようだ。さらに相手は2か月前に空手を始めたばかりという事もあって、ヒマラヤ小学校の空手部員の多くが金、銀、一部、銅メダルもいたが、全員がメダルを取得したようだ。なるほど。
 
部員子ども達は勝ち負けよりもメダルを貰う事が嬉しいのだから、これも“良し”だろう。空手部員達が胸元のメダルを揺らしながら、自慢げにある歩く姿はなかなか立派で、凛々しいものがある。兎にも角にも、子ども達がこうして元気に充実した毎日を送っている事が何よりも嬉しい事だ。子ども達、全員に金メダルをあげたい。



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