2009年11月
2009年11月18日
アシュミタ

実はアシュミタとの出会いは、僕がネパールで活動を続けようと決心した切っ掛けのひとつとなった。貧しく苦しい現状にも関わらず、前向きに明るく生きるアシュミタの姿に僕は大きな感銘を受け、なんとか力の続く限りアシュミタのように頑張っている子を応援したい、そんな思いを強く抱くようになった。

アシュミタの母親は、長年務めていたパシュミナ工場が閉鎖となり、1年ほど前に失業。その後、アシュミタの勧めで家の軒先で野菜の販売を始めた。アシュミタは僕が出会ったばかりの頃、鉛筆を買うために道端でみかんを売っていた苦労人でもある。その時の経験が今、生かされているのかもしれない。

アシュミタのような素晴らしい奨学生との出会いがあったからこそ、今の自分の活動があるのだと思う。アシュミタとの出会いを振り返りつつ、本当に人に恵まれたんだなぁ、という思いを新たにした。
アシュミタ関連ブログ記事1
アシュミタ関連ブログ記事2
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2009年11月16日
青空教室
11月16日
ティハール祭りが終わると、カトマンズ盆地は一気に冷気を帯びてくる。特に朝夕の冷え込みはかなり厳しくなる。気温が上がる日中でも日向にいれば暖かいのだが、日陰や部屋の中などはかなり寒さを感じる。
ヒマラヤ小学校では毎年、ティハールが明けた頃から寒さ対策のため、教室の外へ出て「青空教室」を開催している。すっかりヒマラヤ小学校の秋から冬にかけての風物詩になっている青空教室。寒さを凌ぐ事が一番の目的だが、こうして教室を飛び出し、澄み渡る青空のもとで輪になって受ける授業は子ども達にとっても楽しいものだ。雑草を抜いたり、投げたり、虫を捕まえたりと、教室の中とは違った授業の楽しみ方があるのだろう。先生達もその辺りを上手く考えながら青空教室を開催しているようだ。
写真:かくれんぼをする児童

ヒマラヤ小学校では毎年、ティハールが明けた頃から寒さ対策のため、教室の外へ出て「青空教室」を開催している。すっかりヒマラヤ小学校の秋から冬にかけての風物詩になっている青空教室。寒さを凌ぐ事が一番の目的だが、こうして教室を飛び出し、澄み渡る青空のもとで輪になって受ける授業は子ども達にとっても楽しいものだ。雑草を抜いたり、投げたり、虫を捕まえたりと、教室の中とは違った授業の楽しみ方があるのだろう。先生達もその辺りを上手く考えながら青空教室を開催しているようだ。

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2009年11月14日
ロシャナ「私たちの国 ネパール」
11月14日
5年生のリタが詩を書いて驚いていると、なんと同級生のロシャナも詩を書いてきた。リタの活躍に刺激を受けたのだろうか、最近、5年生の成長が著しい。
私たちの国 ネパール ロシャナ・マハルジャン
私たちの国 ネパール
なんと素晴らしいヒマール(ヒマラヤ)
田に囲まれた ネパール
なんと素晴らしいネパール
仏陀が生まれ 皆が教育を受けられる
私たちの国 ネパール
緑輝くジャングル
世界中の人々が知っている ネパール
勇敢なゴルカの兄弟よ
君へ感謝の気持ちをささげたい
私たちの勇気を世界に知らしめたことを
私たちの国 ネパール

私たちの国 ネパール ロシャナ・マハルジャン
私たちの国 ネパール
なんと素晴らしいヒマール(ヒマラヤ)
田に囲まれた ネパール
なんと素晴らしいネパール
仏陀が生まれ 皆が教育を受けられる
私たちの国 ネパール
緑輝くジャングル
世界中の人々が知っている ネパール
勇敢なゴルカの兄弟よ
君へ感謝の気持ちをささげたい
私たちの勇気を世界に知らしめたことを
私たちの国 ネパール
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2009年11月13日
ヒマラヤ
11月13日
空気が澄み渡るようになり、毎日、雄大なヒマラヤが姿を現している。この季節は旅人のみならず、現地に暮らす僕たちにとっても、一番、楽しい時期だ、何度見てもヒマラヤの大きさ、そして美しさには大きな感動を覚える。今年の春、ヒマラヤ小学校のラクシミが日本を訪ね、初めて海を見た時、感涙の涙を流すほど感激していたが、日本の皆さんが間近で雄大なヒマラヤを見た時にも、きっと同じような感動を覚えるのではないかと思う。僕など二十数年前にはじめてヒマラヤを見た時、その存在感に圧倒され思わず合掌してしまった事を朧げに覚えている。
学校名に「ヒマラヤ」をつけているだけあって、ヒマラヤ小学校からもマナスルやランタンなど美しいヒマラヤの連山を見ることが出来る。時々、子ども達と屋上へ行ってヒマラヤを眺める事もあるが、雄大なヒマラヤを見つめながら子どもたちは一体どんな事を想うのだろうか、心の中を覗いてみたくもなる。
学校や往診へ向かう道中に、時々立ち寄る小高い丘がある。野良牛の鳴き声と風の音しか聞こえない静かなその場所で、ヒマラヤをのんびり眺めていると、ささいな事で悩んだり、小心翼々としている自分に気づかされる。特に最近では運営委員会や理事会、また先生達の間で学校運営の方向性や考え方に相違点が現れたり、じっさいに新旧の考えがぶつかる事もあったりと、なんとなく気忙しい。そんな時、こうして雄大なヒマラヤを眺めていると、不思議と穏やかな気持ちになり、解決に向けた勇気やヒントを与えられるような気がする。

学校名に「ヒマラヤ」をつけているだけあって、ヒマラヤ小学校からもマナスルやランタンなど美しいヒマラヤの連山を見ることが出来る。時々、子ども達と屋上へ行ってヒマラヤを眺める事もあるが、雄大なヒマラヤを見つめながら子どもたちは一体どんな事を想うのだろうか、心の中を覗いてみたくもなる。

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2009年11月12日
すべては現場から始まる
11月12日
支援活動にかかわっていていると、すべては現場にあり、すべては現場から始まるんだ、とういう事を強く感じる。これだけの資金を投入したのに思ったような成果が上がらなかった。あるいは、これだけの事をしたのに現地に引き継いだ途端に活動が終わってしまった、、、、、支援に関わる人ならこのような現状を一度は見聞きした事があるはずだ。上手く行かなかった理由は様々だと思うが、こうした支援の失敗事例を見ると、やはりどこかで“現場”を置き去りにしてしまった所があるように思う。
例えば日本の美しい桜を他国で植えようとしても、なかなか根付いてくれないだろう。現場の土壌や気候に適した植物を植えなければ、木が大きく育ち、森になる事はない。現場が必要としている物は何か、しっかり現場に耳を傾けることが何よりも大事ではないだろうか。もしかするとこれまでの支援活動は、支援する側の一方的な考えや夢、理想に基づいたものが多かったのかもしれない。
もし現場の必要とするものを100分の一、1000分の一でも見つけられたら、現場の人たちからは、きっと活動を喜んで貰えるはずだ。そして、そこには必ず人が集まり、大きな樹となり、森となるのではないだろうか。

例えば日本の美しい桜を他国で植えようとしても、なかなか根付いてくれないだろう。現場の土壌や気候に適した植物を植えなければ、木が大きく育ち、森になる事はない。現場が必要としている物は何か、しっかり現場に耳を傾けることが何よりも大事ではないだろうか。もしかするとこれまでの支援活動は、支援する側の一方的な考えや夢、理想に基づいたものが多かったのかもしれない。

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2009年11月09日
スポンサーシップ
11月9日
ヒマラヤ小学校は主として児童一人を、一人の支援者が支えるスポンサーシップによって運営している。まだ児童全員をカバーしていないもののスポンサーシップは学校運営の根幹をなし、また子ども達の日々の成長にはなくてはならない大切なプログラムとなっている。現在、中学生の姉妹から80代の年配の方まで、実に幅広い年齢層の人々の善意によって支えられているが、これもスポンサーシップの特徴のひとつだ。(*スポンサーシップでは原則、一人の児童を一人の支援者が支えていますが、中学生の姉妹が半分ずつ支援金を出し合い参加しているなど、複数の支援者が一人の児童を支えるケースもあります。)
僕は子ども達の手紙や支援者から頂いた手紙の翻訳を担当している。手紙の量が増えたこともあり翻訳は時間の掛かる大変な作業ではあるが、手紙の翻訳を通して子ども達の成長や支援者の優しさをうかがい知ることが出来るので、僕にとって翻訳作業は楽しいひと時でもある。
子どもたちが手紙を書く時、原則として教職員は一切手伝いをしないことにしている。もちろんスポンサーシップを始めたばかりの頃は、手紙の書き方が全く分からない子供たちに基本的な書き方教えていたが、何度か手紙を書いている内に慣れはじめ、ある時期を境に、自然と上級生や友達同士で教え合うようになっていった。子どもたちを見ていると何時も思うのだが、常に他人の役に立ちたいと思っているようで、手紙の書き方の分からない子を見ると、じっとしていられないようだ。
という事で、友達や上級生が教える事に関しては大歓迎、自由にしている。時々、同じような内容や文章が混じっていることもあるが、これも子ども達の成長過程なんだと思う。
ある日、放課後のクラスを覗くと、3年生の兄が一生懸命、妹の手をとって手紙の書き方を教えて\いる姿を見かけた。なんとも愛おしい姿に心が洗われる思いがした。こんな時こそ、スポンサーシップをやっていて良かったなぁと思う時でもある。

僕は子ども達の手紙や支援者から頂いた手紙の翻訳を担当している。手紙の量が増えたこともあり翻訳は時間の掛かる大変な作業ではあるが、手紙の翻訳を通して子ども達の成長や支援者の優しさをうかがい知ることが出来るので、僕にとって翻訳作業は楽しいひと時でもある。
子どもたちが手紙を書く時、原則として教職員は一切手伝いをしないことにしている。もちろんスポンサーシップを始めたばかりの頃は、手紙の書き方が全く分からない子供たちに基本的な書き方教えていたが、何度か手紙を書いている内に慣れはじめ、ある時期を境に、自然と上級生や友達同士で教え合うようになっていった。子どもたちを見ていると何時も思うのだが、常に他人の役に立ちたいと思っているようで、手紙の書き方の分からない子を見ると、じっとしていられないようだ。
という事で、友達や上級生が教える事に関しては大歓迎、自由にしている。時々、同じような内容や文章が混じっていることもあるが、これも子ども達の成長過程なんだと思う。

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2009年11月06日
農業繁忙期
11月6日
稲刈りが本格的に始まり、各地で秋の風物詩ともいえる稲籾を風選する姿を見かけるようになった。雑務に追われ、毎日が慌ただしく過ぎていく中で、こうした牧歌的な風景を見ると心が洗われる思いがする。今年は雨が少なかったため不作だと村の人たちから何度か聞いたが、果たしてどうなるのだろうか。豊作を願いたい。
毎年、5月から6月にかけての田植えの時期と10月〜11月頃にかけての稲の刈り取りの時期は、学校を休む子ども達が増える時期でもある。一家総出での田植えや稲刈り等の農作業を、子どもたちが手伝うのは当たり前の事かもしれない。また、こうした農業の繁忙期には地主から昼飯が出されるため、日雇いの農業をしている親などは積極的に子どもたちを現場に連れていき、手伝いをさせているようだ。子供達に昼飯を食べさせるため農作業を手伝わせる、ある意味、納得のいく話でもある。
実はこうして農作業を手伝うため学校を長く休んでいる内に、特別な理由もなく退学してしまうケースが結構多い。ヒマラヤ小学校でも農作業の繁忙期に合わせて長期休暇を設けるなどの対策を講じているが、なかなか思うようにはいかないのが現状だ。やはり保護者の教育に対する理解を深めるまでは、どんな対策も空振りに終わってしまうだろう。活動はまだまだ道半ばだ。

毎年、5月から6月にかけての田植えの時期と10月〜11月頃にかけての稲の刈り取りの時期は、学校を休む子ども達が増える時期でもある。一家総出での田植えや稲刈り等の農作業を、子どもたちが手伝うのは当たり前の事かもしれない。また、こうした農業の繁忙期には地主から昼飯が出されるため、日雇いの農業をしている親などは積極的に子どもたちを現場に連れていき、手伝いをさせているようだ。子供達に昼飯を食べさせるため農作業を手伝わせる、ある意味、納得のいく話でもある。

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2009年11月04日
2つのこと
11月4日
僕が鍼灸師になってから12年が過ぎようとしている。縁あってネパールに渡り、癌をはじめ痛みに苦しむ人々の治療を続けているのだが、患者を治そうと思う様々な取り組みが哀れな現実として壁にぶつかったり、それではと始めた、一人でも多くの患者を治療する取り組みも壁にぶつかったままの状態が続いている。自分の不勉強もあり、なかなか大きな壁を乗り越えることが出来ないままだが、自分なりに続けている事が2つある。
一つは治療前に必ず患者の痛い部分を摩ること。膝が痛い患者なら膝を摩り、手の痛い人なら手を、出来るだけ時間をかけ丁寧に摩る。綺麗な言葉でいえば「手当」に当たるかもしれない。もう一つは必ず患者に「大丈夫!」という言葉をかける事。たとえ虚勢であっても、施術する側が自信を持って強い言葉をかける事はとても大事なことで、「大丈夫」という一言は患者の不安を払拭し、治癒力の増強にも繋がると僕は信じている。
僕がこの2つの事を大切にしているのは、10年ほど前、自分自身が病気を患って長期間入院していた時、担当のお医者さんから同じ事を受けた事がきっかけになっている。入院生活が長引き、かなり不安になっていた時に担当の先生が痛みのある部分をさすりながら、力強く「絶対、大丈夫!!」と言ってくれた事が本当に嬉しくて、闘病の大きな励みとなった。先生には今でも感謝している。
壁を乗り越えるのはまだまだ遠い先の事だと思うが、2つの事を精いっぱい続けていきながら、壁を乗り越えるだけの力を身につけたいと思う。
がんの痛み軽減に鍼灸治療が有効

一つは治療前に必ず患者の痛い部分を摩ること。膝が痛い患者なら膝を摩り、手の痛い人なら手を、出来るだけ時間をかけ丁寧に摩る。綺麗な言葉でいえば「手当」に当たるかもしれない。もう一つは必ず患者に「大丈夫!」という言葉をかける事。たとえ虚勢であっても、施術する側が自信を持って強い言葉をかける事はとても大事なことで、「大丈夫」という一言は患者の不安を払拭し、治癒力の増強にも繋がると僕は信じている。

壁を乗り越えるのはまだまだ遠い先の事だと思うが、2つの事を精いっぱい続けていきながら、壁を乗り越えるだけの力を身につけたいと思う。
がんの痛み軽減に鍼灸治療が有効
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2009年11月03日
くるくる回れ
11月3日
ヒマラヤ小学校で子ども達の様子を見ていると、ちょっとした言動が面白くて飽きる事はない。最近、ヒマラヤ小学校の低学年の子ども達の間では、どうもくるくる廻る遊びが流行っているようだ。誰が始めたのかしらないが、休み時間など教室の中でくるくる廻り、目を回わしてへたり込んだり、まっすぐ歩けなくなったりすることを楽しんでいるようだ。大丈夫かなぁと少々心配しながらも、実は見ている僕も結構楽しんでいたのだが、しかし、見て笑っているだけで許して貰えるはずなどない。先日、ついに子ども達から“あんたもやれ”コールが起こり、僕もくるくる回される事になった。こんなの何十年振りだろう。
もともと平衡感覚が弱いせいか、4〜5回、回っただけでフラフラ。結局、ベンチに体を打ち付けへたり込む始末。子ども達には大いに笑われたが、時にはこうして子ども達の世界に入る事も大事な気がした。でも、この遊びだけは2度とやりたくないなぁと思う。



もともと平衡感覚が弱いせいか、4〜5回、回っただけでフラフラ。結局、ベンチに体を打ち付けへたり込む始末。子ども達には大いに笑われたが、時にはこうして子ども達の世界に入る事も大事な気がした。でも、この遊びだけは2度とやりたくないなぁと思う。


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2009年11月01日
アガンコ・プラティバ
11月1日
ネパールの人々が踊り好きである事は周知の事実だ。祭りでも結婚式でも、人さえ集まれば必ずと言っていいほど踊りが始まる。貧しさを吹き飛ばすほどのこの陽気さこそがネパール人の最大の魅力かもしれない。
ネパールのテレビ番組の中でもダンスを取り扱ったものは多く、どれも人気を博しているようだ。各番組に出演している審査委員など、相手が子供だからといって容赦することなく「アイコンタクトが十分でない」やら「ステップが確実でない」など、かなり辛辣で厳しい意見を浴びせる事が多い。けっこう緊迫した雰囲気の中で番組が行われているのだが、会場の人達はというと、そんなことはお構いなしに番組収録中も楽しそうに踊りだしたりしている。そのあたりのギャップがなかなか面白い。
踊り好きなら決して見逃がさないと思われる人気ダンス番組のひとつに国営ネパールテレビ2の「アガンコ プラティバ」がある。日本語に訳すと「才能広場」と言った感じだろうか。毎回、ダンスの好きな子ども達が出場して勝ち抜きで勝者を決める番組だ。実は今回、その番組にヒマラヤ小学校の卒業生、プジャ・マハルジャンが出演する事になった。流石に人気番組だけあって、学校だけでなく、村の中でもプジャのTV出演が大きな話題となっている。
先日、「アガンコ プラティバ」の予選がカトマンズ郊外の某スタジオで行われた。(予選の模様もテレビで放映される)ネパール各地の学校からお踊り自慢の子ども達が集まっているだけに、スタジオ内は物凄い熱気に包まれていたが、プジャはそんな雰囲気に負けることなく、普段通りのびのびとダンスを披露することが出来、無事、予選を通過することが出来た。さて本番ではどうなるか。みんなでプジャを応援したいと思う。がんばれプジャ!!

ネパールのテレビ番組の中でもダンスを取り扱ったものは多く、どれも人気を博しているようだ。各番組に出演している審査委員など、相手が子供だからといって容赦することなく「アイコンタクトが十分でない」やら「ステップが確実でない」など、かなり辛辣で厳しい意見を浴びせる事が多い。けっこう緊迫した雰囲気の中で番組が行われているのだが、会場の人達はというと、そんなことはお構いなしに番組収録中も楽しそうに踊りだしたりしている。そのあたりのギャップがなかなか面白い。
踊り好きなら決して見逃がさないと思われる人気ダンス番組のひとつに国営ネパールテレビ2の「アガンコ プラティバ」がある。日本語に訳すと「才能広場」と言った感じだろうか。毎回、ダンスの好きな子ども達が出場して勝ち抜きで勝者を決める番組だ。実は今回、その番組にヒマラヤ小学校の卒業生、プジャ・マハルジャンが出演する事になった。流石に人気番組だけあって、学校だけでなく、村の中でもプジャのTV出演が大きな話題となっている。

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