2009年08月

2009年08月29日

押忍!空手大会

8月29日

sunil昨日、今日の2日間に渡り、ラリットプール郡のゴダヴァリで空手大会が開催され、ヒマラヤ小学校空手部から男子5名、女子3名が出場した今回がヒマラヤ小学校空手部にとって3度目の空手大会出場。今年1月に初めて出場した大会では、一部、健闘した児童がいたものの結果は大惨敗。悔しい涙の初戦となった。2度目の東ネパール、ウダヤプール郡で行われた大会では、初回の悔しさをバネに頑張った結果、見事、出場した4名全員が入賞するという快挙を果たした。

さて、今回は強豪ひしめくカトマンズ盆地での大会。かなり厳しい試合になることは予想されたが、前回の大会で入賞して自信を掴んだ子ども達が“勢いに乗って”、ということも夢ではないし、顧問のビジャヤさんは「全員の入賞を目指す」と力強く語っていたので、一体、どんな結果となるのか楽しみだった。いずれにしても子ども達にとっては、日ごろの努力の成果を確かめる上で大切な試合だ。

sunilヒマラヤ小学校に空手部が出来てから1年と数カ月。正直、ここまで子ども達が空手に夢中になるとは想像もしていなかった。ヒマラヤ小学校を開校したばかりの頃、学校を訪問された支援者の方に、「いつか運動部を作って、勝てる学校にしたい」なんて夢話をしていたのだが、今ではその夢話が少し現実味を帯び、入賞を目指せるまでになったのだから、何事も諦めてはいけないものだとつくづく思う。

今回の大会、やはりカトマンズ盆地の大会だけあって、かなりレベルの高い試合が続いた。ヒマラヤ小学校から出場した子ども達の内、空手部キャプテンのプロビンを含む男子4名が次々と1回戦で負けてしまい、なんとなく今回は駄目かなぁと諦めかけていたのだが、なんと5年生のスニールが大健闘。小さい体から繰り出すトラ―スキックが気持ち良く決まり、あれよ、あれよという間に決勝戦まで勝ち進んだ。決勝戦では6ポイントリードを守り切れず、後半に追い抜かれて勝負あり、となったが、それでも2位は立派な成績だ。

続いて行われた女子の部では、3年生のサムジャナが2度の不戦勝という幸運にも恵まれ、たった1度の勝利で準決勝まで勝ち進んだ。残念ながら準決勝で敗れたものの、3位入賞という立派な成績を残した。運も実力の内だと思う。

しま
そして、何と言っても今回の大会で驚いたのは、スニールと同じく2位入賞を果たした3年生のシーマの大活躍だ。今年1月に行われた初めての大会では、声こそ出ていたものの、試合開始1分で2ポイントを取られ、その後は完全に動きが止まってしまい、全く手ができないまま1回戦で敗北となったシーマ。試合の後、シーマが「怖くて動けなかった」と言ったのを鮮明に覚えている。

その後、一生懸命、稽古に励んで来たとはいえ、正直、今回の大会でシーマがこれほど活躍するとは夢にも思っていなかった。それだけにシーマが勇猛果敢に攻める姿は新鮮な驚きだった。いつの間にか自信をつけたのだろう。特に決勝戦では、試合終了直前に相手の突きが決まり1ポイントを奪われて敗れたものの、試合は完全にシーマが押していた。実質、1位と言っても過言ではない。

seemaそれにしてもヒマラヤ小学校空手部の成長は目を見張るものがある。空手に限らず、これまで入賞した工作コンテストや絵画コンテストなどにも共通しているのは、子ども達が敗北を一つのバネにして、次に繋げている事だ。敗北を知っている分、少々の事では参らないのかも知れない。次はだれが化けるのだろう。




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2009年08月26日

「ネパールNGOネットワーク」カトマンズ会議/活動視察

8月26日

みどり昨日から「ネパールNGOネットワーク(4N)」のカトマンズ会議が始まった。2日目の今日は活動の現地視察ということで、会議参加団体によるケナフ活動の視察が行われた。視察の場所となったのは「サマーケナフイベント09」を開催した、バクタプールのエベレスト・イングリッシュスクール。他団体の視察を受けるのは、今回が初めてだったが、やはり別の視点から活動を見て貰う事は、僕たちにとって貴重な学びの収穫となった。写真:ケナフ・みどりの少年団による恒例の歓迎マーチ

ネパールのケナフ活動の長所は常に子ども達が主役で、主役である子ども達が活動を盛り上げていることだと自負している。外国援助というのは、ともすれば支援する側の一方的な価値観に基づいて行われてしまいがちだ。結果的に活動が根付かず、援助の終わりと共に活動も終わってしまう、というような現状が起こっているのではないだろうか。活動をしっかり地域に根付かせ、継続させるためには、地域の人々の“これで頑張るんだ”という気概や盛り上がり、そして何よりも理解が絶対に欠かせないと思う。

視察ネパールのケナフ活動はその点に一番、力を入れてきたつもりだ。もちろん、それだけ時間は掛ったが、今ではケナフ活動への理解が深まっている事を実感できるまでになった。この理解は、きっと今後の大きな力になってくると信じている。

さて、今日の視察、子ども達がサマーケナフキャンプで学んだ事を精いっぱい披露した事もあり、視察に参加した皆さんからは称賛の声を頂いた。午後からはアプスベン加盟校から100名の子ども達も参加し、エベレスト学校の子ども達から教えて貰いながら紙すきを楽しむなど、賑やかなプログラムとなった。

今日は、とても嬉しいことがあった。子ども達がケナフだけでなく、たまたまケナフに混じって生えていたローゼルからも実験的にパルプを作っていたのだ。学んだ知識をきちんと応用したところに、ケナフ活動の大きな希望が見えた気がした。



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2009年08月24日

Rabbit came to the school

8月24日

びまWhere is Alice?」代表の宮城春菜さんによる人形つくりのワークショップがヒマラヤ小学校で開かれ、ヒマラヤ小学校の子ども達をはじめ、職業訓練に参加している卒業生や村の女性達が初めての人形作りを楽しんだ。

今回のワークショップはHPの「ヒマラヤ小学校通信」でも紹介している通り、宮城さんが代表を務める「Where is Alice?」内のプロジェクト「The Rabbit goes to the world」の一環として行われた。宮城さんはファッションデザインの世界で活躍した後、2001年に「Where is Alice?」を立ち上げ、現在、インドをはじめとした国々の伝統手工芸をソースにデザインした様々な物を発表している。

しま「The Rabbit Goes to the world」 は「Where is Alice?」のプロジェクトとして、木綿の廃材からウサギやバンビーなどの動物型の人形を作り、それを購入者がボタンを付けたり、色を塗ったりして、自由に思い思いの人形を作るというもの。人形は5つ販売されるごとに1つ が途上国の子ども達にプレゼントされるという、なんとも素敵な企画だ。丁度、1年ほど前に知人を通して宮城さんと知り合い、それから「ウサギ」たちがヒマラヤ小学校に入学する(プレゼントされる)事が決定。子ども達はウサギ達の入学を、首を長くして待っていたのだ。

今日のワークショップでは子ども達が次々に面白いウサギを創作し、見ていてとても楽しかった。なんといっても今日のワークショップの良さは、“自由に、好きなように“出来るところだ。子ども達の独創性を引き出すのには、この"自由"というのが、とても大切な気がする。

so今後、宮城さんとの交流を通して、子ども達がデザインの楽しさを感じてくれたらなぁと思う。将来、自立を目指して物つくりをする時、デザイン一つで世界が大きく広がり、物つくりがきっと楽しくなるはずだ。子ども達が夢中になって人形作りに取り組む姿を見ながら、ふと、そんな事を思った。




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2009年08月22日

第3回こども環境ケナフ会議

8月22日

会議今日はパタン市内のヒマラヤホテルで、「第3回こどもケナフ会議」を開催した。会議には主賓の森林・土壌大臣はじめ、政府関係者、国際機関関係者、教育関係者、ケナフみどりの少年団の子ども達などが参加して大いに盛り上がった。今回の会議は2005年の第1回会議、2006年の第2回会議とは少し異なり、構想の具現化のための話し合いの場となるようにセットした。

会議では、まずKDNのサダナ・タパさんから、これまでのネパールでのケナフ活動について報告が行われた。子ども達の将来の自立を目指し、ヒマラヤ小学校の開校と同時に始まったケナフ活動もあっとう間に5年半が過ぎた。サダナさんの報告を聞きながら、失敗も含めた一つ一つの活動の積み重ねが、今につながっているんだなぁと思い、感慨深かった。

みどりの少年団その後、釜野博士から「釜野式ケナフの無薬品パルプ、紙つくり」についての発表、ディポック森林・土壌大臣のスピーチ、最後に「サマーケナフイベント」に参加した「ケナフ・みどりの少年団」の子ども達の代表が元気よくスピーチをして会議の第1部は終了した。

第2部では、ユネスコと共にネパール各地で「コミュニティ学習センター」を主宰し、各地で識字教育や職業訓練などを行っている「学校外リソースセンター」理事長のタックルマン・シャキャ氏、エベレスト・イングリッシュスクール校長のバクタラージ・ラージバンダリ氏、釜野博士、サダナさんの4者によるパネルディスカッションが行われ、有意義な意見交換となった。

釜野博士今後のケナフ活動については、いろんな道が考えられると思うが、これまで通り学校でのケナフ活動(種まき〜栽培~観察〜収穫〜物つくり)を通してケナフの正しい知識の普及、そして、物つくりによる自立意識の高揚を図りながら、次のステップへ行くことが大事だ。特にネパールで広く使われている楮や三椏のパルプと混ぜることで、新しいネパール紙を作るという発想のもと、枯渇が危惧されているそれらの天然資源を保護すること。同時に政府機関や各団体と協力して、ケナフを自立支援の素材として発展させることが不可欠で、そのためにも近い将来、研修センターの開設が必要になってくると思う。

ゴールまであと一歩のところまで来ている今、もう一度、気を引き締め直して今後の活動を頑張りたいと思う。


*動画で見る第1回、第2回こども環境ケナフ会議

第1回こども環境ケナフ会

第2回こども環境ケナフ会議



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2009年08月21日

「サマーケナフイベント2009」 2日目

8月21日

紙すき昨日に続いて「サマーケナフイベント09」の2日目。今日は「ケナフ・みどりの少年団」の子ども達が、初日のプログラムでケナフから(無薬品で)作ったパルプを使い、紙すきを行った。

何と言ってもケナフ活動の良さは、種まき〜栽培〜観察〜収穫〜物つくりの全てが出来ることだと思う。日本では当たり前のように行われているアサガオの観察など、所謂、体験教育が遅れているネパールでは、種まき〜物つくりまで出来るケナフ活動はとても画期的だったようで、ネパールの教育関係者はじめ子ども達の間で大きな評判となり、この5年余りで活動は予想以上に大きく広がった。

紙完成種を撒き、観察をしながら一生懸命育てたケナフから、水だけでパルプを作り、そして紙を作るのだから、子ども達には何とも言えない充実感や達成感、そして喜びがあるのだろう。子ども達の“楽しい”という声こそが、ネパールにおけるケナフ活動の原動力だと思う。


紙すきさて今日のプログラム、昨日、パルプ作りを行った「みどりの少年団」の子ども達以外に、1年生〜3年生までの下級生も紙すきに参加した。「みどりの少年団」の子ども達が、2日間のプログラムで学んだ知識や技術を小さな下級生達に伝えようとする姿は見ていてとても清々しく、これまでの準備の疲れなど一気に吹っ飛んでしまった。





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2009年08月20日

「サマーケナフイベント 2009」初日

8月20日

サマー今日から「サマーケナフイベント2009」が始まった。会場はバクタプールにあるケナフ活動の拠点校のひとつエベレスト・イングリッシュ・スクール。初日の今日は、日本からお越しになられた日本ケナフ開発機構の釜野徳明博士(神奈川大学名誉教授)による「釜野式ケナフ無薬品全茎パルプ・紙つくり」の指導が行われ、エベレスト・イングリッシュスクールの「ケナフ・みどりの少年団」の代表30名(6、7年生)が、薬品を使わないパルプ作りを学んだ。

7月下旬にネパールに戻ってから今日までの約1か月間は、まさに時間との戦いだった。一時は本当にイベントを開催できるのか不安に駆られる事もあったが、ヤッギャ校長と、今回のイベントのために急きょ留学先の米国から帰国したサダナさんが、僕の帰国中もしっかり準備を進めてくれたお陰で、無事、開催に漕ぎ着けることが出来きた。2人には本当に感謝している。

pulpさて今回、子ども達が学んだ「釜野式ケナフの無薬品全茎パルプ・紙づくり」は、名前の通り日本ケナフ開発機構の釜野博士が発明された苛性ソーダーなどの薬品を一切使わず、水だけでケナフの全茎からパルプ、そして紙を作る方法だ。紙すきの糊はオクラから作るなど、環境負荷を減らすため細かい点まで配慮しているのも特徴のひとつだ。

kenafケナフはアオイ科の1年草で、木に最も近い草と言われている。これまでケナフから紙をはじめバイオプラスティクやボードなど様々な製品が作られてきたが、それらの殆どは靭皮と呼ばれる3ミリほどの皮の繊維部分を使ったもので、靭皮以外の木質部(芯)などは使われずに廃棄されるケースが殆どだった。もちろん製品を作るためには化学薬品が使われている。ちなみに靭皮はケナフ全体の約30%しかないので、無薬品以外にも全茎が利用できる釜野式のメリットは大きい。

サマー今回のイベントを通して、ぜひ釜野式のメリットとケナフに関する正しい知識を広くネパールの人々に紹介できればと思う。何よりイベントに参加する子ども達には、自分たちが種を撒き、育てたケナフを使って、パルプと紙を作る作業を思いっきり楽しんでほしい。



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2009年08月16日

歯科キャンプ

8月16日

頑張った1年生昨日から始まった歯科医師の渡辺先生によるデンタルキャンプの2日目。今日は染めだし液を使った歯磨き指導が行われた。渡辺先生にはヒマラヤ小学校の開校以来、毎年、こうして学校までお越し頂き、歯科衛生面で温かいご尽力を頂いている。言葉には尽くせないほど感謝の気持ちでいっぱいだ。歯科キャンプはヒマラヤ小学校の恒例行事としてすっかり定着しているが、これも長年の継続があってのこと。「継続」の大切さを実感する

しーみんなで一生懸命、歯を磨いた後、渡辺先生から、1年生の女の子が治療の間、泣かずに良く頑張ったということで全校児童の前で褒めて頂いた。こうして全校児童の前で褒められる事は嬉しいだけじゃなく、”頑張ろう”という気持ちに繋がるのではないだろうか。更に渡辺先生から他の皆も一生懸命頑張ったご褒美として、美味しいロールケーキをプレセントして頂くこととなった。子ども達から歓声が上がった事は言うまでもない。

ご褒美のケーキが配られる前、少し騒がしくなったためヤッギャ校長が「静かにしないと、ケーキをあげないよ」と言うと、2年生のある児童が誰に言われることなく、人指し指を口元に置いて「シー」というポーズを取り、その後、ヤッギャ校長が話しをしている間もずっと同じポーズを取り続けていた。早く食べたくて仕方なかったのだろう。今にも涎が垂れてきそうな勢いだった。

ロールケーキは美味いケーキが配られた後は、、、、、、写真の通り。みんな物凄い勢いで美味しいケーキを食べていた。子ども達にとってはちょっぴり怖い歯科治療も、こうして美味しいケーキを食べれば、嬉しい、嬉しい行事となったに違いない。


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2009年08月12日

突飛な発想

8月12日

足型今年2月に行われたアプスベン主催の合同運動会。その中のメインイベントだったサッカー大会の決勝戦で、見事、決勝ゴールを決めたソロージュ(当時5年生)についてご記憶の方も多いと思う。既にサッカー大会の様子はブログやヒマラヤ小学校通信でも掲載したが、なんといってもソロージュが初めて見せた“意地”が嬉しくて、試合の後、僕はソロージュにサッカーシューズをプレゼントする約束をした。

ソロージュを励ますためにも早くプレゼントしたいと思っていたのだが、僕の日本帰国などが重なったため、約束はなかなか果たせないままでいた。先日、村でソロージュを見かけた時、彼に足のサイズを訊ねると、「知らない」との返事だったので、きちんとサイズを測って知らせるように話した。

暫くするとソロージュが学校にやって来て、なんと、自分の足型をなぞったと思われる紙を出して「これが僕の足のサイズです」と言ってきた。なんでも家に定規がなくて上手く足のサイズを測れなかったそうだ。なんとも突飛なアイデアに驚いたが、ソロージュなりに考えた末での結果だろう。こういう発想が出来る事が、ソロージュの才能だと思う。素晴らしい。

ということで、笑わせて貰ったお礼も兼ね、来週、ソロージュと一緒にシューズを買いに行くことにした。



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2009年08月08日

少年カメラマン

8月8日

山卒業生と一緒に山の上の村々を訪ねた。今日、訪ねたのはデウラリ村とその周辺の村。デウラリ村は山の頂にある小さな集落で、僕も時々、往診に行く村だ。今回は新しく開通した道を通り、途中までバスで行くことにした。久しぶりに通った道だが舗装道路が延長され、ずいぶん周辺の景色も様変わりしていたのに驚いた。便利さの代償として、日毎に村の美しい景観が壊されていく現状には胸が痛くなるが、これも社会の流れなのだろう。

それでも、しばらく山道を歩いていると目の前に千里一望の棚田が広がり、心が和んだ。太陽の光を浴びて輝きを増す棚田。永い年月を掛け作られたカトマンズ盆地の棚田の美しさは、世界に誇るものだと思う。ぜひ、このままの姿で残して貰いたいものだ。

ソニ実は今回、同行した卒業生たちにカメラを預けて、自由に写真を撮らせてみることにした。子ども達の目線で撮る写真は、一体、どんなものになるのかとても興味があった。結果は近くHPかWeb-Photoアルバムで紹介したいと思うが、思春期の女の子らしく、とても可愛らしかった。

子ども達にカメラを渡して自由に写真を撮らせるという企画は、富士フイルムやキャノンにもあったと思うが、最近だとドキュメンタリー映画の未来を写した子ども達」(ロス・カウフマン監督という映画が記録に新しい。 この映画、なかなか面白い作品だった。

二人昨年も、卒業を目前に控えた子ども達に自由に写真を撮らせてみようと考えていたのだが、時間と機材の問題で残念ながら実現できなかった。今年は機材を譲って貰ったり、中古で買ったりして3台ほどコンパクトデジカメを準備したので、ぜひ実現してみたいと思う。一体、どんな世界が撮れるのだろう。今から本当に楽しみだ。



写真

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2009年08月06日

ガイジャトラ

8月6日

ガイジャトラカトマンズの東、約15キロにあるバクタプールで、死者の魂を冥界に送る行事「ガイジャトラ」が開催された。ガイジャトラはヒンドゥー教徒の祭りで、日本のお盆に当たる。1年間に近親者を失った人々が仮装して行列を組み、太鼓や笛を鳴らしながら町をねり歩く。なかなか壮快な祭りだ。

ガイジャトラ毎年、このガイジャトラの日は雨が降る事で知られていて、今日もバクタプールの町は大雨となったが、人々の熱気は冷めることなく、死者の冥福を祈る祭りは遅くまで続いた。

カトマンズ盆地はこれからダサイン、ティハールにかけて祭一色となる。


ガイジャトラ


ガイジャトラ




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2009年08月05日

マテヤ

8月5日

歓迎会今日は日本から来られたゲストの方をお迎えして、ささやかな歓迎会を開催した。今回も新5年生が中心となって全ての企画と準備を行った。6月の歓迎会に続いて今回が新体制になってから2度目の歓迎会という事もあり、うまく纏められたのではないかと思う。こうして見ていると、だんだん上手になっているのが良く分かる。

今日、子ども達が披露したダンスは全て卒業生のラクシミが創作し、指導したものだ。何時もながら、良くこれだけのダンスを創作できるなぁと感心してしまう。ラクシミ達、卒業生に教えて貰うのは、それはそれでとても良い事だと思うが、出来れば5年生にも下手でもいいから、一度、自分たちの力だけでダンスを創作して欲しいなぁと思う。その辺りが、今の5年生に一番望んでいる部分かもしれない。

マテヤ歓迎会の後は、ブンガマティ村で行われた死者供養の諸仏塔巡り「マテヤ」を見に行った。煌々と照らす月明かりの中を、民族衣装に身を包んだ人々が仏塔を静かに巡る姿はなんとも趣があり、「マテヤ」は僕が一番楽しみにしている行事の一つだ。今年は別の用事があったので残念ながら夜までマテヤを見られなかったが、行列の中にヒマラヤ小学校の児童や寺子屋で学ぶ子供たちを見つける度になんだか嬉しくなった。秋は一歩ずつ近づいている。

マテヤ 去年のブログ「マテヤ」に関する記事




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2009年08月03日

コツコツと努力を積み重ねる大切さ

8月2日

日本に帰る前日、元奨学生のジェニシャから「どうしても家に来てほしい」と電話があったので、家を訪ねることにした。

ジェニシャは里親教育基金から就学支援をしていた元奨学生で、ヒマラヤ青少年育英会を立ち上げた時、最初に支援をした12名の中の一人だ。支援を始めて数年後のある日、ジェニシャが、同じく就学支援を受けていた妹のジーナと共に、「私たちも何かしたい」と近所の学校へ通っていない子ども達を集め、字の読み書きを教えてくれたことが、後の寺子屋つくりのきっかけになった事はこのブログの中でもお伝えしていると思う。

じぇにしゃその後、2人とも一生懸命勉強に励み、一昨年、ジェニシャは無事12年生を卒業し、僕たちの支援も終了となった。卒業後は「学校の先生になりたい」という幼いころからの夢を叶えるべく、毎日のように学校を訪ね歩く就職活動の日々が続いていた。丁度、そんな頃、ヒマラヤ小学校が加盟しているUPSBENの学校のひとつが新人教員を募集しているという知らせを受け、ヤッギャ校長と一緒にジェニシャを熱烈推薦したところ、幼稚園クラスと小学校低学年の算数の仮教員という形で教鞭をとる事がきまった。

あれから約1年、コツコツと一生懸命頑張った事が評価され、今年度からはジェニシャは正式に教員として雇用される事が決まった。丁度、正規雇用が決まってから1ヶ月後の初給料日には、ジェニシャからコーラを御馳走して貰ったが、あの時は本当にうれしかった。ジェニシャが務める学校の校長によると、ジェニシャは他のどの先生よりも早く学校に来て、一番遅くまで仕事をしているそうだ。また、算数の以外にも率先して子ども達にダンスを指導するなど、学校として本当に助かっているとの事だった。ジェニシャの真面目な性格が評価され、うれしい限りだ。何事も一生懸命コツコツやっていれば、いつか必ず評価される時が来る、そんな事をジェニシャが身をもって教えてくれたような気がした。

ジェニシャさて、今回のジェニシャの呼び出し、正規雇用になった事で職服がクルタスルワールからサリに変わったそうで、そのサリを見てほしいとの事だった。隣にいた、やはり教師を目指している妹のジーナが憧れの眼差しで姉のジェニシャを見ていたのが微笑ましかった。活動を初めて10年、少しずつだが確実に成果が出ているようだ。



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2009年08月01日

学校を去る子ども達

8月1日

「わたしはね、大きくなったらヒマラヤ小学校の先生になるの」。

1年生のサジャナ(9)はいつも屈託のない笑顔でそう話していた。

サジャナが学校へ来なくなって2ヶ月あまりが過ぎた。母親と弟の3人で肩を寄せ合いながら暮らしていた、カーペット工場そばの窓のない小さな部屋はひっそりと静まり返っている。

さカーペット工場の従業員の話では、サジャナの家族は同じ職場で働く複数の従業員からお金を借りたまま、夜逃げ同然で蒸発したのだという。連絡が取れなくなってから既に2ヶ月が過ぎ、サジャナの退学処分も決まっているのだが、僕は今でもサジャナが笑顔を浮かがら、学校へ戻ってくるような気がしてならない。

サジャナの家族はカトマンズ盆地の東、シンドゥパルチョーク郡から移住してきた。父親は窮状から逃れるために蒸発。母親が2人の子を養うために上京し、人づてにカーペット工場の存在を知り、ブンガマティ村の工場で働くようになったそうだ。

さサジャナはヒマラヤ小学校に入学するまで学校で勉強した事がなかったため、半年間、村の寺子屋で勉強した後、昨年の4月にヒマラヤ小学校の幼稚園年長クラスに入学した。利発で物覚えが早く、1学期から3学期の期末試験すべて1番という優秀な成績を収め、5月からは1年生に進学した。5月に僕がネパールに戻ったときには、1番で合格出来たことを嬉しそうに報告してきて、成績優秀者の表彰では「大きなカバンをプレゼントして欲しい」と言って来た。大きなカバンにたくさん教科書を入れて勉強するのだと。。。。。。その後、サジャナは突然、学校へ来なくなった。


さヒマラヤ小学校が開校して5年半。これまで何十人の子が学校を去っていたっただろうか。無償の学校が出来ても尚、貧しい子ども達にとって継続がいかに難しい事か思い知らされる毎日だ。


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