2009年07月
2009年07月27日
嵐の8月
7月27日
ネパールに戻ってから雑用に忙殺されている。5月下旬にネパールに戻った後、1ヶ月も経たない内に再び日本へ帰国し、図らずも長期滞在になったため、留守中の雑用が貯まった事もあるが、今回は8月に控えているケナフサマーイベントと、子どもケナフ会議、更には8月25日から3日間に渡って開催される予定の日本・ネパールNGOネットワークのカトマンズ会議の中で、ケナフ活動の現地視察が予定されている事もあり、暫くは心落ち着かない毎日が続きそうだ。
今回の一連の会議のため、アメリカからサダナさんが帰国して、助けてくれる事になった。なんとも心強い。サダナさんの成長ぶりについても、ぜひこのブログの中で報告したいと思う。
ネパールに戻ってから雑用に忙殺されている。5月下旬にネパールに戻った後、1ヶ月も経たない内に再び日本へ帰国し、図らずも長期滞在になったため、留守中の雑用が貯まった事もあるが、今回は8月に控えているケナフサマーイベントと、子どもケナフ会議、更には8月25日から3日間に渡って開催される予定の日本・ネパールNGOネットワークのカトマンズ会議の中で、ケナフ活動の現地視察が予定されている事もあり、暫くは心落ち着かない毎日が続きそうだ。
今回の一連の会議のため、アメリカからサダナさんが帰国して、助けてくれる事になった。なんとも心強い。サダナさんの成長ぶりについても、ぜひこのブログの中で報告したいと思う。
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2009年07月22日
外国人記者クラブ
7月19日
外国人記者クラブが発行する雑誌「No1.shimbun」の7月号 にヒマラヤ小学校が紹介された。子ども達の写真もたくさん掲載され、本当にうれしい限りだ。丁度、ラクシミとヤッギャ校長が日本滞在中に取材を受けたのだが、僕のつたない英語でどれだけ学校の事を伝えられたのか多少の不安もあった。でも蓋を開けてみると、自分たちの思いがしっかり書かれていて、とても安心した。
記事の内容は、いつか、かならず実現してみたい!!そんな思いを新たにした。
外国人記者クラブが発行する雑誌「No1.shimbun」の7月号 にヒマラヤ小学校が紹介された。子ども達の写真もたくさん掲載され、本当にうれしい限りだ。丁度、ラクシミとヤッギャ校長が日本滞在中に取材を受けたのだが、僕のつたない英語でどれだけ学校の事を伝えられたのか多少の不安もあった。でも蓋を開けてみると、自分たちの思いがしっかり書かれていて、とても安心した。
記事の内容は、いつか、かならず実現してみたい!!そんな思いを新たにした。
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2009年07月20日
いつの間にか、ヒマラヤ小学校通信5周年
7月20日
ヒマラヤ小学校通信を初めてから、いつの間にか5年が経過していた。HP自体は初めた頃に比べ、少しは見栄えも良くなっていると自負しているのだが、まだまだ修正点も多く、利用者に便利なシステムをいくつか導入しようと検討しながら、まだ実現できていないのが現状だ。
ヒマラヤ小学校通信を5年間も続けてこられたのは、ひとえに「毎回、子どもたちの明るい笑顔を楽しみにしている」という支援者の皆さんの声に支えられたからだ。皆さんの声がなければ、僕みたいなチャランポランで飽きっぽい性格なら、とっくに終わっていたと思う。
現在のところ、このヒマラヤ小学校通信に限っては僕の代役がいないので、仮に僕が引き上げた場合は終了となるだろう。でも、その頃には支援者の方にも安心して学校を見守っていただける状態になっているのかもしれない。そんな日が一日も早く来て欲しいと思いつつ、更新を頑張りたい。

ヒマラヤ小学校通信を5年間も続けてこられたのは、ひとえに「毎回、子どもたちの明るい笑顔を楽しみにしている」という支援者の皆さんの声に支えられたからだ。皆さんの声がなければ、僕みたいなチャランポランで飽きっぽい性格なら、とっくに終わっていたと思う。
現在のところ、このヒマラヤ小学校通信に限っては僕の代役がいないので、仮に僕が引き上げた場合は終了となるだろう。でも、その頃には支援者の方にも安心して学校を見守っていただける状態になっているのかもしれない。そんな日が一日も早く来て欲しいと思いつつ、更新を頑張りたい。
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2009年07月18日
遠くから見る
7月18日
道後・湯の町にある「椿倶楽部」で松山のフリー雑誌BITの取材を受けた。実は昨日、繁華街の喫茶店でBitを読む機会があったのだが、BITは落ち着いた感じのとても素敵な雑誌なので、一体、どんな形でヒマラヤ小学校の子ども達が紹介されるのか、今から本当に楽しみだ。
僕は愛媛県南部の片田舎に生まれ、幼稚園の頃、父の仕事の関係で松山へ移り住んだ。それから18歳で上京するまでの約14年間、僕は少年時代と青春時代を松山で過ごした。松山は以前に比べすっかり街が綺麗になり、海、山、川、街、何でも適当にあって、とても暮らしやすい街だなぁと感じる。高校生の頃はこの適当さがたまらなく嫌で、一日も早く大きな街へ出ていきたいとばかり考えていた。あれから15年近くが過ぎ、遠く離れた国で暮らすようになった今、帰省の度に松山の良さを再発見している。
ネパールもそうだが、現地にばかりいると周りが見えなくなってしまう事がある。時々、立ち止まって、遠くから自分たちの活動を見詰め直す事も大事だと思う。今、こうして遠く離れた日本にいると、普段は気付かないヒマラヤ小学校の良さが、良く見えてくる。
道後・湯の町にある「椿倶楽部」で松山のフリー雑誌BITの取材を受けた。実は昨日、繁華街の喫茶店でBitを読む機会があったのだが、BITは落ち着いた感じのとても素敵な雑誌なので、一体、どんな形でヒマラヤ小学校の子ども達が紹介されるのか、今から本当に楽しみだ。

ネパールもそうだが、現地にばかりいると周りが見えなくなってしまう事がある。時々、立ち止まって、遠くから自分たちの活動を見詰め直す事も大事だと思う。今、こうして遠く離れた日本にいると、普段は気付かないヒマラヤ小学校の良さが、良く見えてくる。
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2009年07月17日
ビタミンN
7月17日
眠い目を擦りながら、始発の飛行機で再び松山へと向かった。松山到着後、昼から南海放送テレビ(日本テレビ系列)のニュース番組の取材と、南海放送ラジオの生放送番組「いよ!Am-igo」でヒマラヤ小学校の活動について報告させていただいた。
その後、FM愛媛に移り、「ビタミンN」という番組の収録を行った。パーソナリティの高橋真実子さんの天使のような優しい声に魅了されつつ、最後まで楽しい収録となった。夕方からは高橋さんが会長を務めている松山商議会の皆さんの会合に参加させて頂いた。松山商議会は「人脈づくりと自己の向上」を目的に集まっている異業種交流会。平均年齢35歳ということで、僕と同世代の人達だ。社会貢献についても関心を持っている方が多く、とても良い勉強の機会となった。
今日、収録を行ったビタミンNは、8月下旬から毎日5分ずつ、2週間に渡って放送される予定。

その後、FM愛媛に移り、「ビタミンN」という番組の収録を行った。パーソナリティの高橋真実子さんの天使のような優しい声に魅了されつつ、最後まで楽しい収録となった。夕方からは高橋さんが会長を務めている松山商議会の皆さんの会合に参加させて頂いた。松山商議会は「人脈づくりと自己の向上」を目的に集まっている異業種交流会。平均年齢35歳ということで、僕と同世代の人達だ。社会貢献についても関心を持っている方が多く、とても良い勉強の機会となった。
今日、収録を行ったビタミンNは、8月下旬から毎日5分ずつ、2週間に渡って放送される予定。
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2009年07月13日
援助について思う
7月13日
僕のような活動をしていると、「援助」という事について否応なしでも考えさせられる事が多い。「援助」について深く考えようとすればするほど、自分のやっている事が本当に必要な事なのか、ただのお節介や大きなお世話ではないのか、と懐疑的な気持ちになる事もしばしばだ。
以前、「死を招く援助」(ブリギッテ・エルラー著、伊藤明子訳 亜紀書房)という本が話題になったことがあった。元西ドイツの経済協力省に勤務していた筆者が、援助担当官として視察に訪れたバングラデッシュでの援助の実態に大きな疑問を感じ、問題を提起した、かなり衝撃的な本だった。実際、途上国の援助では、現地有力者の酒の肴になったり、あるいは結果として有力者の権力構造をさらに強靭なものにしてしまうようなケースがあるようだ。なんともため息が出てしまう。
支援者の善意がきちんと目的の受益者に届かない事はもちろんだが、僕自身が活動にかかわる中で一番心配しているのは、現地の人々が支援に慣れっ子になってしまい、支援が当たり前になってしまう事だ。上記のような有力者が関わる問題はシステムを変える事で修正は可能だと思うが、一度、受益者の人々の中で援助が当たり前になってしまっては、なかなか修正は難しいと思う。援助を当たり前にさせないための対策も、汚職や不正の防止と同じくらい大事ではないだろうか。
僕のような活動をしていると、「援助」という事について否応なしでも考えさせられる事が多い。「援助」について深く考えようとすればするほど、自分のやっている事が本当に必要な事なのか、ただのお節介や大きなお世話ではないのか、と懐疑的な気持ちになる事もしばしばだ。
以前、「死を招く援助」(ブリギッテ・エルラー著、伊藤明子訳 亜紀書房)という本が話題になったことがあった。元西ドイツの経済協力省に勤務していた筆者が、援助担当官として視察に訪れたバングラデッシュでの援助の実態に大きな疑問を感じ、問題を提起した、かなり衝撃的な本だった。実際、途上国の援助では、現地有力者の酒の肴になったり、あるいは結果として有力者の権力構造をさらに強靭なものにしてしまうようなケースがあるようだ。なんともため息が出てしまう。
支援者の善意がきちんと目的の受益者に届かない事はもちろんだが、僕自身が活動にかかわる中で一番心配しているのは、現地の人々が支援に慣れっ子になってしまい、支援が当たり前になってしまう事だ。上記のような有力者が関わる問題はシステムを変える事で修正は可能だと思うが、一度、受益者の人々の中で援助が当たり前になってしまっては、なかなか修正は難しいと思う。援助を当たり前にさせないための対策も、汚職や不正の防止と同じくらい大事ではないだろうか。
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2009年07月11日
お祝い
7月11日
都内の私立小学校に通う6年生の女の子から、ネパールのストリートチルドレンについて話を聞かせて欲しい、との要望を受け都内の某所を訪ねた。
夏休みの課題かなと思いきや、来春、小学校卒業にあたり卒論を纏めているとのことだった。論文の課題にストリートチルドレンを選んだ理由は、知り合いのカンボジア人からストリートチルドレンの存在について話を聞いたことがきっかけだったそうだ。こんなに小さな女の子がストリートチルドレンに関心を持ち、学んで事は僕にとって嬉しい驚きだった。
これこそ豊かな国・日本の若者だから出来る立派な社会貢献ではないだろうか。物やお金以外に出来る活動はいっぱいあることを、6年生の女の子が教えてくれたような気がする。帰り際、「いつかネパールを訪ねてみたい」と笑顔で語ってくれた女の子の笑顔に、とても大きな希望を感じた。
夕方から「美味一服めぐり」で大勢の支援者の方にお集まりいただき、人間力大賞受賞の盛大なお祝いをしていただいた。めぐり店主・おかどさんの神機妙算な企画で、笑いあり、笑いあり、そして笑いあり、のとても楽しいひと時となった。
会場にお集まりいただいた皆さん一人ひとりのお顔を拝見しながら、改めて大勢の方に支えられていることを実感し、いろんな想いが胸に込み上げてきた。皆さんの変わらぬ温かい応援には、とにかく感謝の気持ちでいっぱいだ。今日ばかりは活動を続けて来て本当によかったなぁ、とつくづく思った。
グランプリと準グランプリの副賞の差額をお気持ちで頂きました!!
都内の私立小学校に通う6年生の女の子から、ネパールのストリートチルドレンについて話を聞かせて欲しい、との要望を受け都内の某所を訪ねた。
夏休みの課題かなと思いきや、来春、小学校卒業にあたり卒論を纏めているとのことだった。論文の課題にストリートチルドレンを選んだ理由は、知り合いのカンボジア人からストリートチルドレンの存在について話を聞いたことがきっかけだったそうだ。こんなに小さな女の子がストリートチルドレンに関心を持ち、学んで事は僕にとって嬉しい驚きだった。
これこそ豊かな国・日本の若者だから出来る立派な社会貢献ではないだろうか。物やお金以外に出来る活動はいっぱいあることを、6年生の女の子が教えてくれたような気がする。帰り際、「いつかネパールを訪ねてみたい」と笑顔で語ってくれた女の子の笑顔に、とても大きな希望を感じた。

会場にお集まりいただいた皆さん一人ひとりのお顔を拝見しながら、改めて大勢の方に支えられていることを実感し、いろんな想いが胸に込み上げてきた。皆さんの変わらぬ温かい応援には、とにかく感謝の気持ちでいっぱいだ。今日ばかりは活動を続けて来て本当によかったなぁ、とつくづく思った。
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2009年07月10日
無事の知らせ
7月10日
松山での予定を一応終え、最終便で上京した。上京後にヤッギャ校長に電話を掛け、子ども達が皆、元気でいることを確認した。日本にいながら学校の事を心配しても仕方ないと思いつつ、やはり無事の知らせを聞くと安心する。
僕がこうして日本での活動に集中出来るのも、ヤッギャ校長はじめ周りのスタッフの協力あっての事だ。本当に感謝している。今年の春以降は、これまで以上に仕事を分担してもらう事にしたので、帰国の頻度が増えた現状にも対応できるようになった。
学校がいつか援助から離れるためにも、こうして少しずつネパールの人達の手に任せるような状況にしていく事は大事だ。これからは僕が立ち入り過ぎない事も必要だと思う。

僕がこうして日本での活動に集中出来るのも、ヤッギャ校長はじめ周りのスタッフの協力あっての事だ。本当に感謝している。今年の春以降は、これまで以上に仕事を分担してもらう事にしたので、帰国の頻度が増えた現状にも対応できるようになった。
学校がいつか援助から離れるためにも、こうして少しずつネパールの人達の手に任せるような状況にしていく事は大事だ。これからは僕が立ち入り過ぎない事も必要だと思う。
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2009年07月09日
再会
7月9日
昼過ぎに道後公園で地元・あいテレビ(TBS系列)の取材を受けた。3月末に松山に戻った時には桜が満開で、夢のような情景だった道後公園も、すっかり草木が茂り夏の姿になっていた。あれから早くも3か月、時が経つのは本当に早いなぁと感じる今日この頃。
夕方からは春にヤッギャ校長とラクシミが松山を訪問した折り、大変お世話になった支援者の皆さんと夕食をご一緒した。ネパールに戻った後のヤッギャ校長とラクシミの様子など、楽しい話に花が咲いた。
今日の夕食会には姉妹デュオのHI−FUのお二人も出席してくださった。HI−FUのお二人とは、今年3月27日に松山市内で開催されたHI−FUのライブにラクシミが飛び入りで歌わせて頂いて以来のご縁。あの時のライブに参加させて頂いた事も、ラクシミにとっては大きな刺激となったようだ。いつか、またHi-Fuとラクシミが一緒にステージに立つ日が来てほしいと思う。音楽を愛する若者同士、きっとどこかで再会できる日が来るだろう。Hi-Fuのお二人、そしてラクシミ、みんなの今後の活躍が楽しみだ。
Hi-Fuのお二人はご当地ソングとして、松山銘菓タルトの歌を歌っています。とても素敵な歌です。
昼過ぎに道後公園で地元・あいテレビ(TBS系列)の取材を受けた。3月末に松山に戻った時には桜が満開で、夢のような情景だった道後公園も、すっかり草木が茂り夏の姿になっていた。あれから早くも3か月、時が経つのは本当に早いなぁと感じる今日この頃。
夕方からは春にヤッギャ校長とラクシミが松山を訪問した折り、大変お世話になった支援者の皆さんと夕食をご一緒した。ネパールに戻った後のヤッギャ校長とラクシミの様子など、楽しい話に花が咲いた。


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2009年07月07日
故郷の応援
7月7日
人間力大賞の報告とお礼のため、松山青年会議所の常任理事会に出席した。松山青年会議所の小泉理事長はじめ皆さんから大きな花束と共に、人間力大賞への温かい祝詞をいただき、改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。
今年3月のテレビ愛媛賞の時もそうだったが、こうしてふるさとの皆さんの温かい応援は本当にありがたく、いつも胸を熱くしている。愛媛県内では女性グループによるチャリティ活動や、母校の松山聖陵高校の生徒会が中心となって、長年にわたり募金活動が開催されるなど、故郷でもヒマラヤ小学校支援の輪が着実に広がっている事が何よりも嬉しいことだ。
常任理事会の後、夕食をご一緒しながら松山青年会議所の機関誌(わかつばき)に掲載するため、小泉理事長と対談させていただいた。対談内容は「わかつばき」7月号に掲載される予定。

今年3月のテレビ愛媛賞の時もそうだったが、こうしてふるさとの皆さんの温かい応援は本当にありがたく、いつも胸を熱くしている。愛媛県内では女性グループによるチャリティ活動や、母校の松山聖陵高校の生徒会が中心となって、長年にわたり募金活動が開催されるなど、故郷でもヒマラヤ小学校支援の輪が着実に広がっている事が何よりも嬉しいことだ。
常任理事会の後、夕食をご一緒しながら松山青年会議所の機関誌(わかつばき)に掲載するため、小泉理事長と対談させていただいた。対談内容は「わかつばき」7月号に掲載される予定。
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2009年07月05日
人間力大賞2009
7月5日
日本青年会議所が主催する「人間力大賞2009」の表彰式典に出席した。先月、13日に行われた最終選考会の結果発表の日。表彰式典に合わせて、あらかじめ受賞の有無を知らされるのかと思いきや、本当に表彰式典の中で結果が発表されるという、珍しい式典だった。結果を待つ身としては心落ち着かない3週間だったが、この間、大勢の方に温かく励まされ、改めて人の優しさを身に沁みて感じた。
今日の式典には、いつも応援して頂いている友人、知人の皆さんをはじめ、推薦して頂いた松山青年会議所からも大勢の方が応援に駆けつけて下さった。応援団の多さでは候補者の中で一番だったようだ。本当にありがたい。
式典ではまず各分野から10名が「人間力大賞」として選ばれ、その中から更に2名が準グランプリ(参議院議長奨励賞、衆議院議長奨励賞)、1名がグランプリ(内閣総理大臣奨励賞)に選ばれるというものだった。
各分野の人間力大賞受賞者が発表されていく中で、自分が関わっているだろうと思う医療や国際協力分野の受賞者の発表が終わり、おそらく受賞はないだろうな、と諦めかけていた矢先、外務大臣奨励賞の項目で自分の名前が呼ばれた。思いがけない受賞に、嬉しいやら、驚くやらで、暫く何が起こったのか分からないような感じだったが、壇上に一緒に上がってくれた応援団の皆さんの笑顔だけは、とても印象に残った。
その後、更に「準グランプリ・参議院議長奨励賞」という栄誉ある賞まで受賞することになり、支援者の皆さん、関係者、子ども達への感謝の気持ちが込み上げてきた。
人生意気を感ず!これからも挫けずに、一歩ずつ頑張りたい。
この度、日本青年会議所が主催する「人間力大賞」(外務大臣奨励賞)ならびに準グランプリ(参議院議長奨励賞)を受賞させて頂きました。みな様の温かいご支援に心から御礼申し上げます。
*写真:松山青年会議所、正岡様、佐古様ご提供

今日の式典には、いつも応援して頂いている友人、知人の皆さんをはじめ、推薦して頂いた松山青年会議所からも大勢の方が応援に駆けつけて下さった。応援団の多さでは候補者の中で一番だったようだ。本当にありがたい。
式典ではまず各分野から10名が「人間力大賞」として選ばれ、その中から更に2名が準グランプリ(参議院議長奨励賞、衆議院議長奨励賞)、1名がグランプリ(内閣総理大臣奨励賞)に選ばれるというものだった。

その後、更に「準グランプリ・参議院議長奨励賞」という栄誉ある賞まで受賞することになり、支援者の皆さん、関係者、子ども達への感謝の気持ちが込み上げてきた。
人生意気を感ず!これからも挫けずに、一歩ずつ頑張りたい。

*写真:松山青年会議所、正岡様、佐古様ご提供
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2009年07月04日
On ときたま
7月4日
先週から時間を見つけては夜な夜な続けていたコンピューターのHDDの入れ替え作業が終わり、なんとか快適に動くようになった。液晶さえ壊れなければ、後数年は大丈夫かなと思う。PCも元気になったので、これからネパールから大量に送られてきた子ども達の手紙の翻訳作業や、8月に予定している大きな会議の資料作りに励みたいと思う。
今日はいつも大変お世話になっているコミュニケーションアーティストの土岐さんが主催される「On ときたま」の500人参加記念イベントが恵比寿のPOINTで行われ、友人、知人と共に参加した。
土岐さんは4月に開催した「ヒマラヤ小学校開校5周年記念フォーラム〜たびたち〜」の2部で、司会進行を引き受けて下さった方。週に1度、「Tokiのことば」として、読む人が「ハッ」とするような言葉を創作されている。その「Tokiのことば」を読んだ人のコメントをビデオに収めているのが「Onときたま」で、今回、その参加者が500名に達した事を祝ってのイベントだった。ヤッギャ校長やラクシミ、僕も「On ときたま」参加の500人の中に含まれている。
残念ながらカメラを持参していなかったので、イベントの様子をご紹介できないが、会場の展示から食事まで全てにアイデアがびっしり詰まった物凄い内容だった。それにしても、あれだけ多種、多様な分野で活躍している人達が大勢イベントに集まったのは、やはり土岐さんの人徳だろうと思う。土岐さんの今後の益々のご活躍に弥栄をおくりたい。
「On ときたま」には、ラクシミとヤッギャ校長も出演しています!!
先週から時間を見つけては夜な夜な続けていたコンピューターのHDDの入れ替え作業が終わり、なんとか快適に動くようになった。液晶さえ壊れなければ、後数年は大丈夫かなと思う。PCも元気になったので、これからネパールから大量に送られてきた子ども達の手紙の翻訳作業や、8月に予定している大きな会議の資料作りに励みたいと思う。

土岐さんは4月に開催した「ヒマラヤ小学校開校5周年記念フォーラム〜たびたち〜」の2部で、司会進行を引き受けて下さった方。週に1度、「Tokiのことば」として、読む人が「ハッ」とするような言葉を創作されている。その「Tokiのことば」を読んだ人のコメントをビデオに収めているのが「Onときたま」で、今回、その参加者が500名に達した事を祝ってのイベントだった。ヤッギャ校長やラクシミ、僕も「On ときたま」参加の500人の中に含まれている。
残念ながらカメラを持参していなかったので、イベントの様子をご紹介できないが、会場の展示から食事まで全てにアイデアがびっしり詰まった物凄い内容だった。それにしても、あれだけ多種、多様な分野で活躍している人達が大勢イベントに集まったのは、やはり土岐さんの人徳だろうと思う。土岐さんの今後の益々のご活躍に弥栄をおくりたい。
「On ときたま」には、ラクシミとヤッギャ校長も出演しています!!
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2009年07月03日
キノコ狩ルチャ
7月3日
支援者を訪問した後、夕方から、お世話になっている飯沢耕太郎さんの「キノコ狩ルチャ」Vol3を聞きに、渋谷のUPLINKに出かけた。飯沢さんは言わずと知れた写真評論家の方で、写真関係の雑誌や書籍でも大活躍されている方だが、最近ではキノコに関する書籍を出版されるなど、キノコの魅力にとりつかれていらっしゃるようだ。
今回は飯沢さん作詞によるキノコの歌の披露もあり、前回よりも更にパワーアップした、笑い、驚き、どよめきありの素晴らしい内容だった。それにしてもキノコひとつから、あれだけの世界感を創造できるのは、やはり尽きない好奇心と才能のなせる技だろう。
次回もまた参加してみたい。

今回は飯沢さん作詞によるキノコの歌の披露もあり、前回よりも更にパワーアップした、笑い、驚き、どよめきありの素晴らしい内容だった。それにしてもキノコひとつから、あれだけの世界感を創造できるのは、やはり尽きない好奇心と才能のなせる技だろう。
次回もまた参加してみたい。
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2009年07月02日
ラジオ日経「チャンネルアジア」
7月2日
アジアの政治・経済、各民族の文化・歴史など、アジアの諸相を伝える、ラジオ日経の「チャンネルアジア」に出演し、ヒマラヤ小学校についてお話をさせていただいた。
「チャンネルアジア」は、毎回、各分野からコメンテーターを迎え、アジアからの留学生、日本人学生等とともに番組を進める面白い番組だ。今回は番組のパーソナリティーを務めている山野さんからお誘いを受けての出演となったが、今回の収録には中国とインドネシアの留学生(ともに女性)が参加してくれて、とても楽しい時間を過ごすことが出来た。
番組は7月3日放送です。

「チャンネルアジア」は、毎回、各分野からコメンテーターを迎え、アジアからの留学生、日本人学生等とともに番組を進める面白い番組だ。今回は番組のパーソナリティーを務めている山野さんからお誘いを受けての出演となったが、今回の収録には中国とインドネシアの留学生(ともに女性)が参加してくれて、とても楽しい時間を過ごすことが出来た。

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2009年07月01日
ラクシミの歌、再び世界へ!!
7月1日
今日から再び日本航空(JAL)の国際線でラクシミの歌が紹介される事となった。今回は2007年の歌唱コンテストの優勝曲で、ラクシミが生まれて初めて作った自作曲「遠くからナマステ」が採用された。ぜひ、JAL国際線を利用される全ての人にラクシミの可憐な歌声を楽しんで貰えたらと思う。JALの機内誌にも曲目と共にラクシミの写真が大きく掲載されていて、何度見ても嬉しさが込み上げてくる。
昨年の11月から12月末までの2ヶ月間、紹介されたプログラムは、日本航空から録音したCDを頂いたので、ラクシミはじめ子ども達も一緒に聞いたのだが、もちろん飛行機に乗った事なんて一度もない子ども達だから、あまり実感として湧かなかったようだ。幸い3月にラクシミが日本を訪問する折、機上で(JALではないが)音楽プログラムを聴く機会に恵まれ、ラクシミは初めて事の大きさに気が付いたようだ。あの時、嬉しさのあまりラクシミが感涙を零した事が、昨日の事のようだ。
ラクシミには、大勢の方の善意に支えられ貴重な機会に恵まれた事をしっかり受け止め、今後の活動に邁進して欲しい。



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