2009年05月

2009年05月27日

山の上の村

5月27日

村 こども帰国中は日本での活動に集中するため、出来るだけネパールの事を気にしないように心掛けている。もちろんヤッギャ校長という信頼できるが人がいるので特に心配する必要もないのだが、遠く離れた日本でいくら心配しても問題を解決出来るわけでもないので、仮に何か起こった時にも出来るだけ慌てふためく事だけはしないようにしている。留守中に起こった事は、起こったこととして受け止め、ネパールに戻ってから精いっぱい解決に向けて努力すればいいのだと思う。

とはいえ、やはり子ども達の事や患者さんの事はどうしても気になってしまうものだ。日本滞在中は就寝前に必ずと言っていいほど、子供たちや患者さんの事を思い出し、夢に出てくる事もしばしばあった。子ども達と患者さん、この2つのグループの存在が僕にとってどれだけ大きな存在なのか、遠くにいて改めて強く感じた。

村 患者今日は久しぶりに山の上の村々へ往診に出かけた。ネパールに着いてから珍しく2日間も雨が降り続いたせいで、往診先の村へ向かう山道はかなりぬかるみ、更には蛭の大攻撃まで受けたものの、途中、心地よい夏風に吹かれながら歩いた田舎道は何とも心地よく、心が洗われた思いがした。

今日、治療に訪れたのは、いわゆる被差別階級の人々が多く暮らす地域。貧困や社会資本整備の遅れにより十分な医療を受ける事が難しい典型的な山の上の村だ。こうした村々を訪ね、厳しい現状を目の当たりにすると、自分のやっている治療活動がいかに小さく、現状の改善にほとんど役にたたないものである事を思い知らされる。それでも治療を求めてくれる村の人達に励まされながら、今も何とか活動を続ける事が出来ているのは本当に幸運なことだと思う。自分の目指す理想までまだまだ遠い場所にいるが、少しでも患者さんの気持ちに応えながら、一歩でも近づいていけたらと思う。
村患者 

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2009年05月26日

ラクシミへの期待

5月26日

3月下旬から1か月間、ヤッギャ校長とともに日本を訪問したヒマラヤ小学校の歌姫・ラクシミ(第一期卒業生)の近況についてお伝えしたいと思う。

ラクシミ世話ラクシミは5月中旬にヒマラヤ小学校を卒業し、オープンスクールに入学したオープンスクールでは朝6時から9時まで学び、その後、ヒマラヤ小学校の職業訓練所で編み物の勉強をしている。(オープンスクールは今後、ヒマラヤ小学校内に移転となる予定)昼休みや放課後には在校生達にダンスを指導したり、人手が足りない時には入学したばかりの子ども達のお世話などもしている。来月からはパタン市内の音楽学校でギターの勉強も始める予定だ。

日本での一ヶ月の体験はラクシミの世界を大きく広げ、一回りもふたまわりも成長させたことは周知の事実だが、それ以上に僕が嬉しかった事は、日本での体験を通して、ラクシミが“何かできる”という自信を身につけ、そして学校のため、地域のために“何かしたい”という思いを今まで以上に強く持ってくれたことだ。

僕がネパールで支援活動に関わってきた中で一番、痛感するのは、支援者の想いを受益者に伝える事の難しさだ。よくネパールを含む途上国で支援依存症なんて事を耳にするが、現地の人々に支援者の気持ちがしっかり伝わっていない事が、支援依存症の大きな原因の一つではないだろうか。どんな気持ちで応援しているのか等、支援者の気持ちが正確に伝わらなければ、現地の人々の心の中に、やって貰えるだろう、遣って貰って当たり前、という意識が芽生えてしまい、結果的に支援に依存してしまうのではないかと思う。

今回、受益者であるラクシミが、大勢の支援者の方々と直接、会い、触れ合えた意義は本当に大きいと思う。これまで僕だけでは決して伝えられなかった事が、ラクシミを通して大勢の子ども達や関係者に伝わっていくだろう。僕はラクシミに大きな期待を寄せている。

ヒマラヤ小学校通信5月のニュースを更新しました


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2009年05月25日

卒業生の進路

5月25日(月)

新入生約2か月ぶりにヒマラヤ小学校を訪ねた。日本へ帰国している間に1学年ずつ進級した事もあり、すっかり逞しく成長した子ども達の姿を見て、なんともいえない喜びが込み上げてきた。一クラス進級する毎にお兄さん、お姉さんになるのだから、子ども達の成長の様子を傍で見ているだけで本当に楽しくなる。

今年は17名の子ども達がヒマラヤ小学校へ入学した。まだ最終審査の段階の子もいるので、最終的には例年通り20数名まで増えると思うが、まずは新入学の決まった子ども達を全員で温かく迎えたいと思う。今年の新入生は例年にも増して多才な子が多いようだ。特に女子はダンス好きの子が多く、次回のアプスベン・ダンス大会の出場選考はかなり難しくなりそうだ。

クマール5月中旬にはヒマラヤ小学校から初めての卒業生(18名)を送り出すことが出来た。18名の卒業生の進路も一応決まり、皆、それぞれの夢に向かって頑張っている。卒業生たちはオープンスクールへ入学した5名を除き、13名が地元や他の町の公・私立学校へと進学した。もちろん公、私立学校へ進学した子ども達の多くも、オープンスクールへ入学した子ども達と一緒に、早朝、あるいは放課後、休日を利用して、ヒマラヤ小学校の職業訓練所で勉強する予定だ。その他、空手教室などにも卒業生が継続的に参加する事になっている。ヒマラヤ小学校がいつまでも卒業生の心の居場所として存在できればと思う。

実は日本滞在中、卒業生の進路について何度も質問を受けたのだが、一応、決まったとはいえ、最終的な進路が落ち着くまでには、早くても2〜3ヶ月は掛ると思っている。一度は進学しても、途中、家庭の事情など、さまざまな理由で学校を辞めなければいけなくなる子も出てくるだろう。半年後、煉瓦工場等で働いている子もいるかもしれない。この辺り、日本とネパールの文化や習慣、現実の違いなのかもしれないが、日本のように“確実”なことを言えないのが、ネパール社会なのだと思う。

もちろん卒業生がどんな問題に直面した時でも、ヒマラヤ小学校、一丸となってサポートしたいと思っている。そんな時のためにもオープンスクールや寺小屋での受け入れ態勢をしっかり構築しておきたい。


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2009年05月23日

ネパールに戻りました。

5月23日

2ヶ月余りの帰国日程を終え、無事、ネパールへ戻りました。留守中、心ならずもブログを更新することが出来ず、申し訳ございませんでした。留守中の日記も含め、更新を頑張ります。今後とも「吉岡大祐のヒマラヤ活動日記」を宜しくお願いいたします。

ラクシミ3月22日からヒマラヤ小学校のヤッギャ校長、5年生のラクシミと共に日本を訪ね、小、中学校での交流や教育研修、ヒマラヤ小学校開校5周年の記念フォーラムなど、予想以上に大きな学びの収穫を得ることが出来た。東京をはじめ四国・松山、北海道など滞在中に訊ねた各地では、大勢の方々から温かい歓迎のおもてなしを受け、感謝、感激の毎日を過ごした。本当に夢のように時間が過ぎていった。(*ヤッギャ校長とラクシミは4月21日にネパールへ帰国)

今回の2人の日本訪問は、僕がテレビ愛媛賞29」を受賞させて頂くこととなり、その顕彰式典(3/26)にラクシミをお招き頂いた事がきっかけだった。以前からヤッギャ校長の日本訪問を実現させたいと思っていたところに、ラクシミの同時訪問という、信じられないほど大きな機会に恵まれる事になった。

実はヤッギャ校長とラクシミの日本訪問の話が纏まった時点では、まだラクシミの日本訪問に関して幾つかの不安材料があった。果たして旅券、旅券の発行に必要な国民証、そして日本訪問の査証は取得できるのか?その他にも未成年者の海外渡航ということで、空港の出入国管理局で返されるのではないか等、ラクシミが抱えている諸問題も含めると、幾つもの大きな不安材料があった。

そういう事情もあって、今回の2人の日本訪問の話が一人歩きしないよう、ギリギリまで公表を避けて準備を進める事となった。僕なりのもどかしさを感じつつ、日本に降り立つ瞬間までは本当に気の抜けない毎日だった。

2人の日本での日々の活動については、これからブログの中で少しずつお伝え出来ればと思う。まずは日本訪問中、温かく支えてくださった皆さんに、心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思う。本当にありがとうございました。






hsf at 05:46|Permalink