2009年01月

2009年01月31日

恐ろしい日

1月31日

ヒマラヤ小学校で2学期期末試験の成績発表が行われた成績表の受け取りには父兄同伴が義務付けられているせいか、子ども達にとっては年3回ある成績発表の日が一番、恐ろしい日のようだ。先日、翻訳した手紙の中にも成績発表について“恐ろしい”と書いている子が大勢いた。成績が悪いと、もちろん叱られるのだろう。

今回の成績発表では、勉強が苦手な児童3名が一緒に逃亡するという問題?も起きた。結局、3人とも学校傍の空き地で見つかったのだが、勉強が苦手な児童にとって成績発表が恐ろしい日である事は間違いないようだ。当たり前と言えば、当たり前だが。

チョコレートネパールでは嬉しい事があると、当事者が周りにプレゼントを配るという習慣がある。プレゼントといっても様々で、大がかりなものでは当事者が宴会を開いて、友人や知人と喜びを分かち合う事もある。日本とは逆の習慣でなかなか面白い。今日は成績発表で上位にランクした子ども達から、予定通り?次々にチョコレートをプレゼントして貰った。なんだか喜びのお福分けのようで嬉しいものだ。

さて今回の試験で一番良く頑張ったのは、きっと5年生のシャルミラではないだろうか。全体として成績が下がっている中で、1学期の8番から、一気に4番まで成績を上げたのだ。シャルミラは大人しい性格の女の子で、成績は何時も中くらい。あまり学校の中では目立たない存在だ。

シャル今年に入ってからシャルミラが休み時間に教室で勉強している姿をよく見かけるようになった。初めの内は宿題を仕上げているだけかと思っていたのだが、担任のビディヤ先生からも「最近、シャルミラが良く頑張っている」という話をよく聞くようになり、シャルミラがコツコツと勉強を頑張っている事が分った。今回、その努力が実ったのだから、自信に繋がったのではないだろうか。

成績が上がった感想をシャルミラに訊ねると、「嬉しい」と、満面の笑みを浮かべながら、素直な答えが返ってきた。お母さんからはご褒美として学校用の靴を買って貰ったそうだ。片道2時間の道のりも、お母さんから貰った新しい靴ならきっと軽やかだろう。これからのシャルミラの成長が本当に楽しみだ。


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2009年01月24日

押忍!空手大会

1月24日(土)

空手1昨年5月から始まった空手教室は、すっかりヒマラヤ小学校の活動のひとつとして定着している。稽古中の少年カラテカ達の一生懸命な姿を見ると、思いきって空手教室を開催出来て良かったなぁと、つくづく思う。毎週、月曜日と木曜日、放課後の校庭に響き渡る少年カラテカ達の大きな掛け声を聞く事は、僕の楽しみのひとつだ。

ヒマラヤ小学校を開校したばかりの頃、何か子ども達が誇りを持てる、学校として“これだけは”という伝統を創りたい、という話をよくヤッギャ校長としていた。子ども達が自信を持つためには、運動でも芸術でも何でもよいから、彼らの心の支えとなるものが学校に必要だと考え、いつか子ども達の口から、「僕たちの学校は○○が強い学校」「○○だけは絶対に負けない学校だ」なんて言葉が出てくればいいなぁ、なんて事を夢見ていた。もちろん当時は最高学年が1年生だったので、もっと先の話として話題に上がっていたのだが、今、こうして必死に空手の稽古に励む子ども達の姿を見ていると、あの頃の夢が間違いなく実現に向け、一歩ずつ近づいている事を実感する。

今日からヒマラヤ小学校空手部が属している和同会空手の体重別オープントーナメントが始まり、ヒマラヤ小学校から10名の少年カラテカ達が出場した少年カラテカ達にとっては初めての実戦試合。傍にいると胸の鼓動が聞こえてきそうな程、皆、緊張していた。

僕は空手の経験がないのでルールは良く知らないが、今回はフルコンタクト方式のポイント制。突きが決まれば1ポイント、蹴りは中段が2ポイント、上段が3ポイント、2分間の試合時間内で8ポイントの差がつけば、その時点で試合終了となり、それ以外は取得したポイントの多い方が勝利となる。引き分けの場合は1分間の延長。それでも勝敗がつかない場合は、主審1名、副審3名による判定となるそうだ。

サジャンさて少年カラテカ達の試合だが、当初の予想通り、1回戦で負けるものが殆どだった。中には幸運もあって準決勝まで進んだ者もいたが、準決勝にもなると流石に力の差が歴然としていて、運だけでは勝てない事を思い知らされた。

それでも、打たれても、打たれても前に出る、決して背に箭を立てない姿は、半年間の稽古の大きな成果だと思う。本当にみんな立派に戦った。前向きな敗北は、きっと近い将来の勝利につながるのだろう。

“今日は負けた、でも次は必ず勝つ”、悔しがる少年カラテカ達の表情からは、そんな気概があふれていた。



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2009年01月18日

ユースクラブ

1月18日

ヒマラヤ小学校では今年、卒業生を対象にした「ユースクラブ」の設立を予定している。ヤッギャ校長の考えでは、単なる同窓会とは一味違ったものになるらしい。一体、どのようなクラブになるのか、僕自身もユースクラブの設立を楽しみにしている。

5年ヒマラヤ小学校ではいよいよ今年から、毎年、20名前後の卒業生を送り出す予定だ。卒業生の存在というのは、これからのヒマラヤ小学校になくてはならない、大きな力になると考えている。卒業生が身につけた知識や技術、もちろん体力でも優しさでも、どんな事でもいいから自主的、主体的な形で学校に関わってくれれば、学校はきっと良い方向に進むと思う。「卒業生が支える学校」こそ、僕たちの目指すゴールでもある。

5年生の間では、この「ユースクラブ」の事がかなり話題になっているようだ。先日、アプスベンの運動会の帰り、応援に駆け付けた5年生の児童らとお茶を飲みながら雑談していた時の事だった。ある児童が『ユースクラブが出来たら、職業訓練で作った品を売って学校に椅子を寄贈したい』と言い出すと、他の児童も『図書館に本をプレゼントしたい』や『水のタンクを寄買ってあげたい』なんて嬉しい発言が次々と飛び出した。みんな本当に心優しい子どもたちだ。

面白いので、しばらく子ども達の話に耳を傾けていると、次第に学校運営面にも話が広がり、「制服はただで貰うと大事にしないから、自分たちで買うべきだ」とか「遊びの時間を減らすべきだ」なんて意見が次々と飛び出した。「遊びの時間を減らすべきだ」との意見には、一瞬「?」となったが、なんでも一生懸命、勉強を頑張っているのに、一部の村の人達から「ヒマラヤ小学校は遊びの学校だ」と言われて、悔しい思いをしたそうだ。なるほど。

5年生その他にも、「男の先生も増やすべきだ」という意見や「裸足やサンダルでの登校を禁止すべきだ」という意見もあった。こちらも村の人達から「女の先生がダンスばかり教えている」と言われたり、「ヒマラヤ小学校の児童は農作業に行っているみたいだ」と言われた事が、きっかけになっているようだ。

村の人達の一言一句に敏感に反応するあたり、5年生の若さ溢れる強烈なエネルギーを感じる。思いが多く、感じやすいのは若さの証。この「若さ」こそ、僕たちがユースクラブに期待している点かもしれない。職業訓練所とユースクラブの立ち上げ、今年は忙しい年となりそうだ。







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2009年01月17日

5年生の決意

1月17日

もう直ぐ冬休みが明け、三学期が始まろうとしている。5年生にとっては泣いても、笑っても学校生活、最後の学期だ。悔いが残らないよう、一日一日を充実させて欲しいと願っている。

冬休みの間、5年生の児童と会って話す機会が何度かあった。意外だったのが5年生の多くが、進路についてあれこれ真剣に考えている事だった。少し前まで「6年生を作って欲しい」とか「作らないと皆で留年する」なんて言っていた子ども達だったが、少しずつ現実を受け入れ始めているようだ。もちろん中には未だ現実を受け入れきれていない子もいるが、周りが変われば、きっとそうした子ども達も変わってくるだろう。

中学校への進学を希望する者、3階の職業訓練所で技術を学びたいという者、早朝の学校で勉強を続けながら、同時に職業訓練を受けたいという者、皆それぞれに考えがあるようだ。

進路については出来るだけ多種多様な選択肢を用意したいと考えている。3階に開設予定の職業訓練所は、これから時間をかけて内容を充実させるつもりなので、卒業した時点で未整備の職業技術については、半年前に訪ねた職業訓練学校で学ぶ事も選択肢のひとつだろう早朝学校で勉強を続けながら、職業訓練を受けるのもいい考えだ。その他、職業訓練を受けながら、ユネスコが主催している地域学習センター(夜間)で学ぶことも一つの選択肢かもしれない。いずれにしても進学か職業訓練かという2つの選択肢ではなく、卒業生それぞれに合った形で進路を決められたらと思う。

子ども達には決して失敗を恐れず、自分達が信じる道を歩んでほしいと思う。努力次第で生かせる能力が無限にあるという事が、なんといっても若さの強みなのだから。


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2009年01月16日

バドミントン大会・アプスベンの成果

1月16日

proアプスベン主催の運動会4日目。今日はパタン市内のエイムスカレッヂで、バトミントン大会が行われた。バドミントンはネパールの子ども達の間で人気があるスポーツだけに激戦が予想され、恐らく入賞は難しいだろうと考えていたのだが、なんと4年生のプロビンがトントン拍子に勝ち進み、見事2位入賞を果たした!!正に嬉しい誤算だった。

敗れこそしたものの、決勝戦では3対19と圧倒的に不利な状況から20対20のジュースまで持ち込む粘りを見せてくれたプロビン。諦めない、挫けない、投げ出さない、という“自立の精神”をプロビンがしっかり身に付けている事を垣間見た思いがした。

ノベル今回のバドミントン大会では、プロビンの2位入賞以外にも嬉しい事があった。実はプロビンと熱戦を繰り広げて男子の部で優勝した児童と、女子の部で優勝した児童は共に「ノベルエデュケーションシステム」というブンガマティよりも更に遠いチャンピ村にある小さな学校の児童だった。ノベルエデュケーションもヒマラヤ小学校とほぼ同じ2005年に開校した新しい学校だ。ヒマラヤ小学校と同じように、アプスベンの主催するほぼ全てのプログラムに参加しているが、これまでなかなか勝利を手にする事が出来なかった。若い学校長をはじめ、一生懸命頑張っているノベルエデュケーションの児童達の姿を見ていると、ぜひ良い結果を得てほしいなぁと思っていた。

今回、男女ともに優勝という快挙を成し遂げたのは、負けても決して諦めず、挑戦し続けた努力の結果だと思う。心から祝福したい。ヒマラヤ小学校がコンテスト入賞によって変わったように、今回のダブル優勝によって、ノベルエデュケーションが良い方向に変化することは間違いないだろう。

kuma

こうして各校がお互いに切磋琢磨することで、アプスベン加盟校全体のレベルも上がっているようだ。ネパールの若い教育者達が自力で学校や教育環境を良くしようという試みは、着実に良い成果を上げているように思う。これからもアプスベンの活動に目が離せない。

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2009年01月15日

ティカ先生

1月15日

クマール今日はアプスベン主催の運動会3日目。パタン市内の広場でサッカー大会が行われ、ヒマラヤ小学校からは補欠を含め12名の自然児が出場する事になった。当初、サッカー大会は学校対抗戦を予定していたのだが、時間の都合上、今回は各校数名ずつが加わった混合チームを作って試合をすることになった。すばしっこい児童が多い事もあって、サッカー大会では入賞の可能性も十分有り得ると考えていたので、混合チームでの試合には少し拍子抜けした。子ども達も「必ず優勝杯をヒマラヤ小学校に持ち帰る」なんて意気込んでいただけに打ち萎れてしまうかと思ったが、そんな事は全く気にもせず、大きなコートで思う存分、大好きなサッカーを楽しめる事を喜んでいた。

混合チームということで、当初はどうなる事かと心配していたが、意外と纏まりも良く、なかなかの好ゲームが続いた。試合を重ねる度にチーム内の友情が深まったようで、裸足で出場していたヒマラヤ小学校の児童に、補欠に回ったチームメイトが靴を貸してくれる姿なども見られた。時にはこうして混合チームを作り、お互いの友情を深める事も悪くないなぁと思う。ヒマラヤ小学校の児童はそれぞれのチームで大活躍。アプスベン加盟校の先生達からもヒマラヤ小学校の児童の活躍を称える声が起こった。

ニロージュヒマラヤ青少年育英会の「里親教育支援」(新規募集を終了)を通して就学支援をしていた子ども達の中には、既に高校を卒業するなどして社会で活躍している子も多い。特に教育支援活動を始めて1番初めに就学支援を行った12名の子ども達は、大学へ進学した1名以外は、皆、就職してそれぞれの分野で頑張っている。今日はアプスベン加盟校の一つ、ニュートンウエーブ学校に昨年から英語の教師として就職したティカが、引率教員としてサッカー会場に来ていた。

ティカと会ったのは彼女がニュートンウエーブ校に就職して以来だから、約半年ぶりだった。半年会わないうちに、ティカがすっかり先生らしくなっている姿を見て本当に驚いた。就職のお世話をした時、粘り強さが少し足りないティカに「何があっても1年間は続けること」と、約束したのが昨日の事のようだ。慣れない環境のなかで一生懸命頑張ったのだろう。今日はティカがとても凛々しく見えた。

ティカ1僕たちが就学支援を始めた頃、ティカは未だ9歳くらいだったと思う。その頃から将来は先生になりたいと夢を語っていたティカ。あれから10年、描いた夢を叶えて先生となり、精一杯頑張っている姿を見られることは本当に嬉しいことだ。ティカは今後、教員を続けながら早朝の大学にも進学する予定だという。素晴らしい奨学生に恵まれた事が、僕の原動力なのだと改めて思った。

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ティカ2



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2009年01月14日

ネパールに学ぶ

1月14日

先日から停電時間が1日16時間になり、人々からは大きな溜息が洩れている。成るべくしてなったのだから、今更、嘆いたり、騒いだりしても仕方がないのだが、これだけの長時間停電にもなると、僕の小さな仕事でさえ影響が出ている。それでも溜息の傍で「その内、24時間停電になるぞ!」なんて笑っているネパールの人達を見ると、小さな感動すら覚える。日本で起きたら、一体どんな事になるだろう。

残念ながら現状のネパールの社会システムでは、大事が起こる前に対応策を考え、備える事が難しい。のんびりとした国民性もあるのだと思うが、通常、問題が起きてから初めて重い腰を上げるようなケースが多いようだ。今回、1日の3分の1が停電という大問題に直面したことは、関係者はじめ国民が目を覚まし、本気になるための良い機会だと前向きに考えたい。こうして失敗を繰り返しながら、社会は少しずつ良くなるのだと思う。

“何とかなるだろう”、こんな時こそネパール的発想で対応したい。ネパールは本当に多くの事を教えてくれる気がする。


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2009年01月12日

マラソン大会

1月12日

ヒマラヤ小学校では今回の冬休みから、一部の行事を除いてアプスベンが定めた年間予定表に合わせて行動することになった。アプスベンでは冬休みなど長期休暇の日程を全加盟校で統一することによって、普段はなかなか実現が難しい規模の大きなプログラムを実施しようという考えのようだ。今回の冬休みはその第1弾として、アプスベン主催の合同運動会を開催することになった。

毎週、短距離やマラソンなどの陸上競技の他、卓球、クリケット、サッカーなどの各種目を学校対抗で競う予定。学校対抗の運動会となれば盛り上がるのは必至で、各校の運動好きや目立ちたがり屋の子ども達には絶好の活躍の機会になるだろう。ヒマラヤ小学校でも勉強よりも体を動かす事の方が好きな児童らが、体をうずうずさせているようだ。

今日は運動会2日目。パタン市内のキッズマリー小学校でマラソン大会が行われ、ヒマラヤ小学校から5名の男子児童が出場した。みんな体力自慢の子ども達だが、マラソン経験者は一人もいない3キロと5キロの距離を走るとなると、それなりにペース配分も必要なので、もしかしたら初っ端から飛ばし過ぎてしまうのでは、との不安もあったが、それはそれで良いとと思い、子ども達には特に助言をしなかった。勝ったら一緒に喜び、負けたら一緒に悔しがる、僕の役目はこれだけで十分だと思う。

クマールさて本番では、ジュニア部門に出場したサジャンが、金魚のように口をパクパクさせながら最後までペースを落とさない快走を見せ、見事、4位入賞を果たした。続いて行われたシニア部門では、5年生のクマールがスタート地点から全速で走り、300メートル付近までは断トツの1位で通過。その後は当初の予想通り、途中で力尽きてしまい11位に終わったが、5年のジャナックと4年生のプロビンが、初めての参加とは思えない走りでトップ集団を形成。2位と3位でゴールした。最後、コースを間違えるハプニングがなければ、、、、、、と少し溜息が洩れたが、2位と3位という結果は本当に立派だ。その他、学校の皮靴で走って僕たちを驚かせたビシュヌは、頑張って9位でゴールした。

結果も大事だが、何よりも最後まで全員が完走した事がうれしかった。大会の後は皆で餃子を食べながら、勝鬨を上げた。これからも、がんばれヒマラヤ小学校の自然児達!!







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2009年01月09日

若者の力

1月9日(金)

そうじ今日は冬休み中の登校日。久しぶりに子ども達の元気な顔を見る事が出来た。明日からヒマラヤ小学校を訪問予定の東京中央ロータアクトクラブの皆さんをお迎えするため、子ども達は教室を掃除したり、ダンスの練習をしたりして過ごした。明日のゲストの事がとても気になるようで、子ども達から「明日はどんなお兄さんとお姉さんが来るの?」という質問を何度も受けた。

東京ロータアクトクラブの皆さんと知り合ったのは、丁度、半年ほど前のこと。お世話になっている知人を通してクラブの例会にお招きいただき、ヒマラヤ小学校についてお話をさせて頂いたのが初めだった。

レンガロータアクトクラブはご存じのとおり、各ロータリ―クラブの提唱を受けた奉仕団体で、30歳以下の若いメンバーで構成されている。常々、若い人たちにこそ、この活動に関わって欲しいと考えているので、社会のために何かしたいという思いを持って集まった僕とほぼ同世代の人達との出会いは、正に巡り合わせのような気がした。(写真:ロータアクトの皆さんとドッジボールをするために、全員で協力して運動場の煉瓦を片付けけているところ)

初めてお会いしたときメンバーの皆さんが、「若いメンバーなので金銭的な支援は難しいが、体力と知恵を使って協力したい」と言ってくれたのが、僕はとても嬉しかった。支援活動への関わりは人それぞれ千差万別。若い人たちには資金的な支援よりも、むしろ体力や行動力、斬新なアイデアをもって活動に関わって貰えたらと思っている。お金や物はもちろん大切だが、それだけでは決して満たされない部分を補う事が出来るのは、若い人たちの力だと思う。

ダンス練習行動が常に早いのも若さの証。“まずは現状を知ろう“ということで、今回、短い休みを利用してヒマラヤ小学校を訪問してくれる事になった。たった2日間という短い滞在日程だが、ぜひ有意義な時間を過ごして欲しいと思う。






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2009年01月03日

ナレシュの夢

1月3日

運転席実は修学旅行の前に先生達と話し合い、バスでの移動中は出来るだけ児童の隣に座る事に決めていた。子ども達との何気ない会話の中から、卒業後の進路についてのヒントを少しでも見つけようとの考えからだ。もしかすると学校では決して出てこないような話も聞けるかもしれないという期待も少々あった。いずれにしても、こうした機会を有効に利用する事も大事だと思う。

僕はたまたま先頭にいたナレシュの隣に座ることにした。ナレシュはヒマラヤ小学校の中でも1位2位を争うお調子者。歌と運動が大好きで、休み時間中は常に歌を歌っている元気な児童だ。ナレシュについては過去にこのブログの中でも紹介しているが、彼はヒマラヤ小学校の児童の中で大きな成長を見せてくれた児童の一人だ。ナレシュを見ていると、彼が学校生活を心底楽しんでいる事が良く分かる。気の合う仲間、支援者、先生達、、、、、自分を認めて貰える人々の存在がナレシュを大きく成長させたのだと思う。

鏡車内でのナレシュは、いつも以上に気分が高まっていたようで、窓越しに映る景色を見ては、日本にも畑はあるのか、日本でも米をつくるのか、ロボットが作るのか、日本の人たちはどんな家に住んでいるのか、停電はあるのか等、ひっきりなしに日本に関する質問を浴びせてきた。ナレシュがこんなにも日本に関心を持っていたなんて初めて知った。更には「大きくなったらお金持ちになって、日本に行くんだ。」なんて真顔で話していたので、本当に興味があるのだろう。

日本に関しての問答が暫く続いた後、ナレシュはすっと立ち上がって運転席の後ろに立ち、運転手の様子を真剣な表情で見つめ始めた。バネパからパナウティへ行く時も、パナウティからバネパへ戻る時も、やはり同じような調子で運転の様子を見ていたので、席に戻って来たナレシュに運転に興味があるのか訪ねてみると、ナレシュは「バスの運転手になりたい」と答えた。

ナレシュ自転車1そういえば僕のバイクに跨っているナレシュの姿を何度も見かける事があるし、以前、村で雨宿りをしているとき、雨に濡れながら30分15ルピーのレンタル自転車を夢中になって乗り回している姿を見かけた事もあった。あの時は、あまりにも嬉しそうに自転車に乗るナレシュを見て、ポケットから15ルピーを払い使用時間を30分延長したのだが、ナレシュは飛び跳ねるように喜び、何度も感謝の気持ちを伝えてきた。

自転車2「まず車掌になって、仕事をしながら運転を覚え運転手になる。そのうちお金を貯めて自分のバスを買うんだ。」と目を輝かせながら力強く語っていたナレシュ。これまで進路の事を聞いても、分からない、分からないと言い続けてきたナレシュが、はじめて進路について、そして夢について語った瞬間だった。いつかナレシュの運転する「快速ナレシュ号」で修学旅行に出かける日も来るかもしれない。本当にそうなったらいいなぁと思う。ナレシュの気持ちをしっかり先生達に伝え、僕たちが出来る形でナレシュの夢をサポートしたいと思う。














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2009年01月02日

修学旅行2日目

1月2日

1泊2日の修学旅行を終え、全員、無事に帰宅した。ヒマラヤ小学校として初めての修学旅行が大成功に終わり、人心地がついた思いだ。何が良かったといっても、子ども達が修学旅行を思う存分楽しんでくれたことが、僕たちにとっては一番うれしいことだ。

1.2元気すぎる子ども達と丸2日あまり一緒に過ごしたのだから流石に疲労困憊したが、学校で解散した後、子ども達から『ありがとう』と言われた時は、嬉しくて旅の疲れなど一気に吹っ飛んだ。子ども達の感謝の気持ちはそのまま、ご支援いただいた「めぐりの会」の皆さんにお届したい。

修学旅行2日目の朝は冷たい風と子ども達の騒ぎ声で起こされる事となった。ネパールは毎日、十数時間の停電が行われていて、昨夜、床に着く時も丁度、停電の最中だった。もしかすると夜中にトイレに行く子もいるかもしれないと思い、一応、電気のスイッチを全てONにしたまま寝る事にしたのだが、その中の一つに天井に備え付けられている扇風機のボタンも入っていたようで、停電終了と同時に扇風機が回り始めたらしい。扇風機の直下で、持参した寝袋から顔だけ出して寝ていた僕は、顔面だけが風を受ける結果となり、なんだか冷たいなと思って目を開けた時には、扇風機が轟音を立てて回っていて驚いた。なんとか寒さを押し切って電気を消し、もう一度、寝袋に入った途端、今度は別の部屋で寝ていた数名の男子が部屋の窓を叩き、騒ぎ始めた。時計を見ると未だ午前4時を過ぎたばかり。流石に叱る気力もなく、大人しく起きる事にした。就寝してから1時間半、まさかこんな形で起こされてしまうとは。。。子ども達の元気さにはつくづく驚かされる。

修学旅行2日目の様子はHPをご覧ください





2009年01月01日

修学旅行

1月1日

日の出新年、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。




今日は5年生が心待ちにしていた修学旅行の日一人も遅れず集合時間に集まったのは、子ども達が修学旅行を心から楽しみにしている証拠だろう。『今日の修学旅行は中止』なんて冗談を言ったら、子ども達からかなり責められてしまった。

村のバスを借り切り、一路、30キロほど離れたバネパという町へ向かった。先日、ヤッギャ校長と半日かけてコースの下見に行ったので、子ども達に楽しんでもらえる自信はあったが、政治や社会事情で何時、何が起こるか分からないネパールだけに、せめて修学旅行が終わるまでは何も起こらない事を切に願いつつ、目的地へと向かった。

修学旅行道中のバスの中は賑やかだったのも束の間、車での長距離移動に慣れてないせいか、大勢の子ども達が車酔いをして大変だった。『引き返そうか?』と尋ねると、『もう治った』と言ってくるあたり、子ども達の修学旅行に対する意地を垣間見た思いだ。修学旅行についての詳細はHPで紹介したいと思う

修学旅行の楽しみは何と言っても夜だろう。夜通し気の合う友達と一緒なのだから、子ども達が騒がない筈はない。夕食を終えてから、ヤッギャ校長が『今日は先生を先生と思わず、思いっきり自由に楽しむこと!!』と宣言したのが良かったのか。。。。子ども達は有り余るエネルギーをフルにぶつけて騒ぎ始めた。

念のため宿の主人には“騒ぎ”の了解を得ていたのだが、12時ころには寝付くだろうという僕たちの予想は全くの的外れに終わってしまった。子ども達は予想以上にしぶとく、1時になっても1時半になっても一向に寝ようとしない。『今日は絶対に寝ない!!』などと言い出す子も大勢いて、かなり大変だった。それでも午前2時を過ぎた頃には流石に疲れ果てたのか、一人、二人と布団に入っていきスヤスヤと寝息を立て始めた。最後まで粘った児童も「目を瞑るだけ、絶対に寝ない」と言いながら、静かに眠りについた。

修学旅行2ようやく3時ころ、子ども達全員の就寝を確認して、僕たち引率の教職員もようやく眠る事が出来た。すっかり疲れ果て、自分がどのように眠ったのかも覚えていないが、それから約1時半後、子ども達に叩き起こされるとは夢にも考えていなかった。

つづく


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