2008年12月

2008年12月31日

反省

12月31日

僕は元々、物事にあまり腹を立てたりしない性格だと、自分では思っている。もちろん腹を立てることだってあるのだが、こうして“外国”で暮らしている事もあり、出来るだけ小さな事では腹を立てないように普段から努めているつもりだ。ささいな事だが、外国で生活する上では大切なことだと考えている。

サニ昨日はアプスベン主催の「絵画・工作コンテスト」が行なわれ、ヒマラヤ小学校からビニタ、リナ、サニラ、ラジーヴの4名がシニア(4年生以上)とジュニア(1年生〜3年生まで)部門に分かれてコンテストに参加したみんな今回がコンテスト初参加。自ら手を挙げたり、先生達に背中を押されたりしながら、みんなそれぞれに勇気を持って参加してくれた“コンテスト新人達”だ。社会との接点が少ない子ども達にとって、こうしたコンテストへ参加することがどれだけ勇気のいる事か、決して筆舌に尽くす事はできない。だからこそ参加した子ども達の小さな変化を見逃すまいと、僕は朝からかなり張り切っていた。

参加各校の子ども達が集まり、いよいよコンテストが始まった。2時間の制限時間で技術力と創作力を競い合うというもの。運動競技と異なり、少し地味なコンテストだが、各校からお絵描き自慢や手先の器用な子ども達が集まり、会場は開始直後からかなり緊張感に包まれていた。

丁度、工作コンテストに参加したサニラとビニタの様子を見ていた時だった、ある参加校の引率教員の一人が傍に寄ってきて、サニラとビニタを指差し「あの2人はCompetitiveなのか?」と訊いて来た。どういう意味なのか尋ねると、薄気味悪い笑みを浮かべながら、「あんなチビ達では話にならない。あんなの参加しても意味がないよ」と言って来た。

,ビニ今回の出場した4人は、もちろん全員がきちんとアプスベンの参加基準を満たし、学校としても“できる”という判断のもとで参加させている子ども達だ。その旨を伝えると、その教員は更に、「この2人じゃ、とても入賞出来ないだろう」と、憎たらしい笑みを浮かべながら言ってきたので、流石に堪忍袋の緒が切れてしまい、思わず大声を上げてしまった。

こんな人間が教師をしていること自体、問題だと思う。どんな子どもにも無限の可能性があり、その可能性を引き出すことが教師という役割ではないだろうか。少なくとも僕はそう信じているし、コンテストだって勝負云々よりも参加すること自体に大きな意義があると信じているから、全てのコンテストに子ども達を参加させているのだ。

体こそ小さいものの、ビニタは何事にも動じない肝の据わった性格だし、サニラはあんなに小さな体でも栄養摂取プログラムでは、毎回、3杯も御代わりをする大食漢だ。今回の工作コンテストで作った折り紙だって、ヒマラヤ小学校の他の児童より多くの種類を折る事が出来るのだ。外見だけで子ども達を判断されたことが、とても悔しかった。

結局、アプスベン関係者が中に入り事は治まったのだが、この教員に対しては、もう一言、二言、言いたかったのが正直な気持ちだ。幸い、小さな騒ぎを知ってか知らずか、ビ二タもサニラは次々と立派な折り紙を折りあげていった。他の学校の児童達がおしゃべりをする中、黙々と折り紙を折り続ける姿は本当に立派だったと思う。後で審査委員から、2人の懸命さを褒められた時は胸がすく思いがした。

ラマ先生今日は夕方からはラマ先生のコンサートにヤッギャ校長夫妻はじめヒマラヤ小学校5年生のビナ、その他、友人、知人と一緒に参加した。何時もながらラマ先生の素敵な歌声を聴くと心が和む。

ラマ先生が「大祐に贈る」と言って、ナラヤン・ゴパールの名曲「許して欲しい」を歌ってくれたのは、きっと何かの偶然だろう。しばらくの間、じっくりとネパール、インドの往年の名曲を聴きながら、心行くまで楽しそうに踊るネパールの人達を見ていると、昨日、小さな事に腹を立てた自分がだんだん情けなく思えてきた。暗闇の恥を明るみに出した自分を反省しつつ、2008年はこうして静かに幕を閉じた。

ライブ

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2008年12月29日

スラムを訪ねて

12月29日

今日から暫定的ではあるが、治療活動を再開することが出来た。日本に一時帰国してネパールに戻ってきた今の時期が、僕にとっては一番、忙しく苦しい時期でもある。帰国中に溜まった雑務に加え、日本から持ち帰った用事などもあり、完全に仕事に追われている状態だ。ある程度、優先順位を決めて用事を片づけているのだが、こちらが思うほど順調に事が進まないのが、“ネパール”。ただ、こうして雑務に追われながらも、なんとなく気を落ち着かせていられるのも、やはり“ネパール”が持つ不思議な魅力のひとつだと思う。

近年、カトマンズ周辺の河川敷や空き地で、所謂、スラム街を見かける事が多くなった。カトマンズとパタンを繋ぐバグマティ橋の周辺などでは、かなり大規模なスラム街が出来上がり、遠くから見た感じでは日毎に規模が拡大しているようにも見える。

スラム1先日、知人宅を訪ねる途中、新しく出来たばかりだと思われる小さなスラム?を見かけた。道路沿いの小さな空き地にテントが3張、そのすぐ傍にはみすぼらしい服を着た小さな子ども達が10名くらい立っていた。まだ5〜6歳くらいの子どもが、小さな弟か妹と思われる幼児を背中におぶって懸命にあやしている姿が目に映った。暫くバイクを止めて子ども達の様子を見ていると、こちらに気づいたようで子ども達が笑顔で手を振ってきた。結局、その時は急ぎの用事があったため、傍まで訪ねる事は出来なかったのだが、あの日以来、子ども達の事がずっと気になっていた。

本格的な冬が始まり、カトマンズは厳しい寒さが続いている。僕の住んでいる鉄筋造りのアパートでも、朝夕の寒さを厳しく感じるのだから、隙間だらけのテントでの生活はかなり厳しいはずだ。そんな事を毎日のように考えていると、じっとしていられなくなり、簡単な食料品と防寒具を買いスラムを訪ねる事にした。こうしたその場凌ぎの善意が、かえってスラムの人達に悪影響を与えるのではないかと、正直、心の葛藤もあった。

テントの傍に近づくと、子ども達が人懐っこい笑顔で近付いてきた。先日、初めて見た時よりも子どもの数が増えているようだ。傍にいた母親と思われる女性達に話を聞いてみる事にした。

母親母親達の話によると、彼らはバルシャ・マレクという南ネパール地域から来たそうで、4家族、19名が暮らしているという。バルシャ・マルクは今年の雨期の大雨で大規模な洪水が起こり、大被害を受けた地域のひとつだ。復旧作業は殆ど進んでおらず、テント生活をしている4家族も洪水で家や家財を全て失い、命からがらカトマンズまで逃げてきたのだという。4家族の内、3家族の夫が洪水で死亡し、もう1家族も連絡が取れない状況が続いているという。現在は子ども達が物乞いなどをして生活しているそうだ。

話をしていると母親の目から涙がこぼれおちた。どうやって生きていけばいいのかわからない、と涙片手に窮状を訴える母親を見ていると、母親が完全に生きる希望を失っているようにも見えた。頼る者がない状況で、生きていくのは本当に厳しいことだ。それでも生きていかなければならない。これが現実の厳しさなんだと思う。

スラム2失望感に苛まされる母親に対して、掛けられる言葉はひとつも見つからなかった。このまま拱手傍観するしかできないのだろうと思うと、自分がとても情けなく思えた。




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2008年12月25日

児童会への期待

12月25日

児童会1ホームページの中でも既にお伝えしてある通り、ヒマラヤ小学校では今年から念願の児童会を組織し、子ども達の意見や希望を学校運営の中で積極的に活かしていく事になった。10月に行われた初の児童会では、児童会の各委員から活発な意見が出された。

児童会の委員選出選挙の時には『宿題の廃止』を公約に掲げる子もいて、一時はどうなる事かと心配もしたが今回の児童会から出された意見は、『手洗い場が高くて、小さな子ども達が手を洗いにくいので一部を、低くしてほしい』や『小さな子ども達が時々、外へ出てしまうので、壁を作ってほしい』、『飲み水とトイレの水が不足しているので、水を確保してほしい』など、どれも小さい子への思いやりから出た真面目なものばかりだった。

児童会2真面目な意見が出るという事は、それだけ子ども達が学校を良くするため真剣に考えているという事の表れだろう。素直に喜びたい。学校は子ども達のためにあるのだから、これからもどんどんいろんな意見を出して欲しいと思う。個人的には真面目な意見も歓迎するが、子供たちにしか出せないような奇想天外な意見も出して欲しいと願っている。特にクマール会長には大いに期待している。楽しくて、夢のある学校こそ、僕たちみんなの目指すところだから。




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2008年12月19日

ザ・カンニング

12月19日(金)

ルぺ子どもの頃、「ザ・カンニング」というフランスのコメディ映画を何度か観た事がある。予備校生達が様々なカンニング手段を用いて、試験に合格するという内容だったと思うが、その中で外部の人間と同じように手が動くマシン(外部の人間が動かした通りに、内部にいるマシンを着けた受験生の手が動く仕掛け。外部の人間が教科書を見ながら回答を書き、内部の受験生の手は外部に合わせて勝手に動き、試験を仕上げる。)を見た時は、こんな機会が本当に出来ればなぁと、子どもながらに羨ましく思った事をよく覚えている。

現在、ヒマラヤ小学校は2学期期末試験の真っ只中にある。毎日、答案用紙と睨めっこしている子ども達を見ていると、可哀そうに思ったり、精いっぱい考えた末に答えを見つけ出し嬉しそうに回答を書く姿を見ると、実に笑ましく思う。

ヒマラヤ小学校の試験ではカンニング防止策として、同じベンチには必ず別の学年の児童が座るようにしている。もちろん先生達も不正が行われていないか、各クラスで監視の目を光らせている。それでも先生達の隙をついて、前や後ろに座っている同級生の答えを覗いたり、中には進んで勉強の遅れている同級生に答えを教えている子もいるようだ。試験の後、誰だれに3番と5番の答えをに教えてあげた、と嬉しそうに報告してくる子もいるくらいだから、可愛いものだと思う。

決してカンニングを容認している訳ではないが、子供たちなりに知恵の限りをつくしてやっていることだから、運よく見つからなければ子ども達の勝ちという事だろう。これはネパール、日本、どこでも同じ事だと思う。

先日、試験会場を見て回っていると、普段は底抜けに明るい4年生のNが困惑した表情を浮かべていた。心配してNの傍に行くと、周りの児童が「NのカンニングペーパーがY先生に見つかって取り上げられた」と教えてくれた。なるほど、カンニングペーパーが見つかってしまった罪悪感と、頼りのペーパーを取り上げられてしまった事で、Nは普段決して見せない表情を浮かべていたのだ。

Y先生に訊ねると、「Nがこんな紙を持ち込んでカンニングしていた」と、少し興奮した表情を浮かべながら、Nが隠し持っていたというカンニングペーパーを見せてくれた。少々、カンニングくらい・・・という気持ちもあるが、この場合、不正を許さない、という若い先生の熱意も評価したいと思う。

Nは勉強が苦手で、勉強よりも体を動かす事の方が好きな児童だ。Nの勉強が遅れている理由はいろいろあるが、多分、まだその気になっていないだけのことだと思う。運動の時は全校児童を素早く纏め、気転の利く優等生に変わるのだから、やれば出来る事は確かだ。

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Nが作ったカンニングペーパーはかなり良く纏まっていて、Nなりに精一杯がんばって纏めた跡がうかがえた。纏めた内容を暗記することが出来ず、試験に受かりたい一心でその紙を持ち込んでしまったのかもしれない。カンニングペーパーの出来があまりにも良いので、ヤッギャ校長に見せてみると、ヤッギャ校長も『Nが作ったの?』と驚いていた。

試験が終わった後、ヤッギャ校長に呼びだされたN。気まずそうな表情のNに対してヤッギャ校長は、「この紙、よく纏まっているじゃないか。後は覚えるだけだ。これだけ纏められたら、試験に合格できるぞ、頑張れ!!」と笑顔でNを励ましていた。叱られると思って来たNは、思いがけず励ましの言葉をかけられ驚いたようだ。ヤッギャ校長は「Nが試験のために、紙1枚に試験内容を纏めただけでも大成長ですよ。」と嬉しそうな表情を浮かべていた。

翌日、Nの様子を見てみると、なんだか自信満々な表情を浮かべていた。ヤッギャ校長の一言が効いたのかと思いきや、彼の答案用紙を見てみると、
1,Smell=(Eye) 2,Look=(ear) 3,hear=(Mouth) 4,eat=(  )・・・・・・・・と、一つずつ回答がずれていた。Nの席の前には成績優秀なSがいる。もしかするとSの回答を写したのかもしれない。でも、写し間違えに全く気付いていないところが、Nの憎めないところだ。

Nにもきっと何時か”知恵熱”の出る日が来るだろう。その日がそう遠くない事を願いつつ、今日も先生達と試験の監視を続けている。

ヒマラヤ小学校通信を更新しています。ぜひ、お目通しください

*掲載写真は記事に出てく児童Nではありません。






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2008年12月17日

夢と憧れ

12月17日(水)

児童3名ヒマラヤ小学校では子ども達の将来の自立を大きな目標の一つに掲げている。今般、国際ソロプチキスト東京・新宿クラブの皆さんのご支援を受け、完成したばかりの3階校舎に卒業生を対象にした「職業訓練施設」を開設する事も決まり、自立を目指した活動の気運は高まっている。目下、職業訓練のプログラム作りなど、立ち上げ準備に追われているところだ。

子ども達の自立を実現させるためには知識や技術はもちろんだが、それ以上に子ども達の情操をしっかり養う事が大事だと考えている。情操を養い、自立に対する意識を高揚させなければ、せっかく身につけた技術や知識も宝の持ち腐れに終わってしまうのではないだろうか。夢や目標を持ち、努力すれば必ず認められるという事をしっかり身につけさせる事で、自立は必ず達成できるものだと信じている。そういう意味でも、支援者の皆さんとの交流によって子ども達の夢を育てる事が、今後、益々重要になってくるだろう。

今年、日本人科学者3名がノーベル賞を同時受賞するという快挙が大きな話題となり、日本中を賑わせた。僕自身、ノーベル賞の話題に夢中になった一人だが、受賞式の前に行われた記者会見の中で、ノーベル賞を生む秘訣について訊かれた益川教授が、『若者が育つ原動力は憧れ。これがあれば、言わなくてももの凄くも努力する』と答えていたのが、とても印象に残った。さらに益川教授は『若者が面白いと興味を持つ『種』を広く蒔く事が重要だ』とも語っていた。正にその通りだと思う。

子ども達が将来、自らの力で生き抜いていくためには、「夢」や「憧れ」が何よりも大事だ。これから僕たちは、子ども達が「これで頑張りたい!」と思えるような『夢と憧れの種』を、しっかり蒔いていかなければならない。どれだけ種を蒔けたかで、結果も大きく変わってくるだろう。頑張りたい。



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2008年12月16日

卒業・・・・・

12月16日(火)

鼻水試験
今日からヒマラヤ小学校で第2学期期末試験が始まった早いもので、あっという間に2学期が終わってしまった。もう、あと数カ月もすれば、5年生が卒業するのだと思うと、なんとも複雑な気持ちになる。

これまで『卒業生を出すまでは」という一心で活動を続けてきたので、卒業生を送り出せる事はとても嬉しいことなのだが、5年間、傍で成長を見続けてきた子ども達だけに、このまま6年、7年も、ヒマラヤ小学校の中で彼らの成長を見続けていたいという思いもかなり強い。

今の5年生の殆どは開校の時、1年生として入学した子ども達だ。(開校時、幼稚園2クラス、1年生の3クラスからスタート。5年生の一部児童は、中途入学。)開校と同時に最上級生として入学し、身近な目標となる上級生がいないまま学校生活を続けてきたのだから、大変な事も多かったと思う。きっと下級生よりも叱られた回数も多いだろうし、いつも“上級生なのだから”という言葉ついて回り、彼らには辛い思いをさせたのではないかと、今更ながら反省している。

5年生今の5年生の一生懸命な頑張りは、僕たちにとって大きな原動力の一つだった事は間違いない。いろんな意味で夢と希望を与え続けてくれた5年生には、本当に感謝している。(写真:5年生が下級生に勉強を教えているところ。下級生にとって優しい5年生は、大きな憧れの存在)

当の5年生達だが、やはり本人達も卒業は辛いようで、目が合う度に“6年生を作らないの”と訊いてくる。これまでにも詩を書いて6学年開校を訴えてきたり、最近では『卒業試験に落ちて学校に残る』と言い出す子までいて、僕たちを悩ませている。でも、子ども達がこんなにも学校を好きになってくれた事は、本当に嬉しいことだ。子ども達一人ひとりにしっかり目を行き届かせる、という僕たちの思いが、少しでも子ども達に伝わったのだと思うと、喜びも一入だ。

これから卒業生の存在は、将来のヒマラヤ小学校の大きな力になるだろう。来年からは、卒業生も一緒になってヒマラヤ小学校を築いていけたらと思う。





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2008年12月15日

絵画展で

12月15日

リナ今回の絵画展開催中、一番嬉しかった事は、何と言っても4年生のリナの絵が褒められた事だろう。

めぐりギャラリーでの絵画展が終わった11月30日の夕方、絵の入れ替え作業で、翌日から同ギャラリーで個展を開催される画家の田鎖幹夫さんとご一緒した時の事だった。子ども達が描いた絵を一通りご覧になった田鎖さんから、「この絵はとても良く描けているよ」と、リナの描いた絵に対する予想外の嬉しいコメントを頂いたのだ。僕のような素人目からだと分からないが、田鎖さんのお話ではリナの絵は線がしっかり描けているそうだ。

リナはヒマラヤ小学校の中で最年長の22歳。小人症を患っている女の子だ。障害があるため、ヒマラヤ小学校へ入学するまでは、ほぼ家に籠りきりの生活をしていたようだ。

普段から物静かで、ほとんど自分の意思を伝える事がないリナだが、そんなリナが絵本をよく読むようになったり、頻繁に絵本に描いてある絵を写生すようになったのは、丁度2年くらい前からだったと思う。リナが何かに関心や興味を持ってくれた事は、僕たちにとってもとても嬉しい事だった。以来、障害もあって勉強が遅れがちのリナには、『勉強の事は心配しなくていいから、毎日、学校に来て絵を描くように』と勧めてきた。

昨年は絵画展への参加を躊躇ったリナが、今回は自ら手を挙げて参加してくれた事だけでも、僕たちは嬉しかったのに、画家の田鎖さんに褒めて貰うというご褒美まで頂き、本当に感激でいっぱいだ。天にも昇るような思いとは、正にこの事だと思う。

今日、リナに田鎖さんから褒められた事を伝えると、にこりと微笑んだ。言葉にこそ出なかったが、きっと胸が締め付けられるほど嬉しかったに違いない。リナはこれからきっと大きく成長するだろう。リナの笑顔を見て、僕は大きな確信を持った。


田鎖幹夫さんの個展は『めぐりギャラリー』で、12月1日〜12月25日までの日程で開催されています。






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2008年12月14日

人は石垣、人は城・・・・・

12月14日(土)

1ヵ月半あまりの一時帰国を終え、ネパールに戻ってきた。当初の予定を延長しての長期滞在となったが、大勢の方のご協力をいただき、とても充実した毎日を過ごす事が出来た。

ビシュヌ今回は東京都内3か所で子ども達の絵画展と、小学校と高校の2校で写真展を開催し、大勢の方に子ども達の成長や天真爛漫な笑顔をお楽しみ頂く事が出来た。実は今回の写真展では、5月の時とは違い、僕が普段、撮っている写真を展示させて頂いた。子ども達の日常の様子を知って頂くための写真だから、決して大上段に構える必要はないと思うので、拙作ではあるが、これからも機会ある毎に写真を展示して、子ども達をより身近に感じて頂ければと願っている。

今回は母校の松山聖陵高校の文化祭と目黒区立の向原小学校の全校集会でヒマラヤ小学校に関してお話をさせて頂いたが、小学生や高校生がしっかり話に耳を傾けてくれたことは、とても嬉しかった。貧しさを知らない日本の学生達に、貧困の厳しさや、窮状を抱えながらも、ひたむきに生きる現地の子ども達の姿をお伝えする事は、大きな意義があると思う。普段、支援を受ける一方のヒマラヤ小学校だが、こうした現状を伝える活動を通して、何か社会に貢献できればと何時も考えている。ぜひ、今後も機会があれば教育機関でお話を続けていきたい。現状をお伝えする事で、若い人たちが世界に目を向けるきっかけとなるならば、望外の喜びだ。

報告会その他、小石川ロータリークラブでの卓話や、絵画展と同時に行われた「めぐり」での報告会では、予想を超える人にお集まり頂き、感謝、感激のひと時となった。ヒマラヤ小学校に関心を持ってくださる方が一人でも増える事は、何よりも心強いことだ。大勢の方の英知を集結することで、必ず理想の学校を築く事が出来ると信じている。(写真:春日さん提供)

今回、各地で報告会を行ったり、支援者の方々を訪ねたりして、子ども達の様子をお話ししていると、「良く頑張ったね」と、温かいお言葉を頂く事があったが、子ども達が5年間の学校生活の中で大きく成長したのは、決して僕の力ではない。なんといっても先生達の日々の努力によるものが大きい。皆さんから温かいお言葉を頂くたびに、ヤッギャ校長はじめ頑張っている先生達の顔を思い出した。良い先生がいれば、子ども達は自然に成長していくのだと思う。人は石垣、人は城・・・・・全ては人なんだと、改めて思った。

滞在中は大勢の方々から暖かい善意を頂きました。お礼申し上げます。また滞在中、“命の食”を通して、食心両面で支えて頂いた美味一服めぐりの皆様に心から感謝申し上げます。

心ならずも、長期間に渡りブログを更新することが出来ませんでした。心よりお詫び申し上げます。

めぐり


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