2008年08月

2008年08月30日

パウデル博士

8月30日(土)

先日、ネパール語の恩師パラシュ・パウデル先生から突然、「会って話したいことがある」と電話があり、少し不安を覚えながら先生のお宅を訪ねた。子どもの頃のトラウマだろうか、“先生の呼び出し”は幾つになっても不安が付き纏う。

パウデル先生は、僕がネパールで暮らし始めた1998年から1年間、大学の担任として、厳しくネパール語を教えていただいた恩師だ。先生とは長らく無音に打ちすぎてしまい、今日は約6年ぶりの再会となった。

論文心配していた“会って話したいこと”とは、博士論文が完成し、無事、博士課程を修了することが出来たという報告と、これまでの応援に対する謝辞だった。安堵の胸を撫で下ろしつつ、パウデル先生が長年かけて完遂された600ページにも及ぶ論文を手にした時には、感動で胸がいっぱいになった。

パウデル先生が教育省の命を受け博士課程に進まれた時、先生を応援しようと、知人と一緒に(勝手に)応援団を買って出て、当時、ネパールで入手困難だった本を日本の本屋で探したり、担当教授の治療を行なったりした。ある時は担当教授が必要としていた文献を探しに大阪の民博を訪ね、民博の某教授から文献のコピーをご寄贈頂いた事もあった。あの頃、あれだけ夢中になって応援できたのは、やはりパウデル先生の真面目な性格と、血を吐く思いをしながら勉強している姿を間近で目にしていたからだと思う。

グルジ学問は実力と努力の世界。結局、パウデル先生が努力を重ねた末、意に違わず博士課程を終了されたので僕達の応援は殆ど意味を成さなかったのだが、パウデル先生から「応援してくれてありがとう」と言われた時は、正直、とても嬉しかったし、応援活動を通して知り合った素晴らしい人々と出会いは、僕にとって大きな財産となった。特に担当教授の一人で、昨年、不慮の事故で亡くなられたダカール教授には、お目に掛かる度に親しくお声を掛けていただき、ネパールの歴史や文化について楽しいお話を聞かせて頂いた事は、決して忘れることが出来ない。

今日はパウデル先生と懐かしい話に花が咲いたが、ヒマラヤ小学校の建設の話が纏まってからというもの、学校運営に感けてしまい、パウデル先生をはじめお世話になった大勢の方に対して、ずいぶん不義理を重ねてしまった事を今更ながら痛感した。これから時間を見て、不義理をしてしまった人達へ“お詫び行脚”を行ないたい。

パウデル先生から来週の月曜日に大統領官邸で開催されるメダル授与式の招待状をいただいたので、式典には必ず出席して、パウデル先生の晴れ舞台をしっかり見たいと思う。

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2008年08月24日

シュリークリシュナ

8月24日(日)

クリシュナ今日はクリシュナジャンティ(クリシュナ神誕生祭)。クリシュナ神は二大叙事詩の一つ「マハーバータラ」の物語に出てくる知略に富んだ英雄で、ヒンドゥ教の神々の中でも特に人気が高い神だ。幼少時から数々の奇瑞を発揮したクリシュナ神。1万6千人の牧童を妻に娶り、子どもが18万人いたという話も含め、数々の武勇伝が今も語り継がれている。

今日はクリシュナ神の誕生を祝おうと、カトマンズ盆地をはじめ各地から大勢の参拝客がパタン市の旧王宮にあるクリシュナ・マンディールを訪れ、賑やかだった。このクリシュナマンディール、石造の立派な建築物で、外陣には「ラーマーヤナ」の物語、2階と3階には「マハーバータラ」の彫刻がされている。祭りの間、外陣の手摺は参拝客によって献燈が燈されるが、燃え上がる燈火が微風に揺れる様子は風情がある。

ラマ先生今日は夕方からビナヤ・ラマ先生の自宅で御呼ばれに預かった。先日、食事をご一緒した時にお約束頂いたとおり、今日はラマ先生自らダージリン仕込みの手料理を振舞っていただき、食事を終えた後には故ゴパール・ヨンジャンの素敵な歌をご披露いただいた。更にはクリシュナ・ジャンティという事で、「ラーマーヤナ」の中からクリシュナに纏わる物語を1時間半あまり熱唱して下さった。

ラマ先生の透き通るような歌声と共に「ラーマヤナ」の物語を聴いていると、クリシュナ神がすこぶる人間味あふれた性格の持ち主で、それこそが根強い人気の秘訣であることを改めて実感した。

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2008年08月23日

初めての審査委員

8月23日(土)

キッズメリー1今日はアプスベン加盟校の一つ「キッズメリー小学校」で、児童が作った工作品の展示と表彰式が行なわれ、審査委員として参加する機会に恵まれた。


実は前日まで審査委員長として表彰式に参加する予定だった米国人が急病で参加できなくなってしまい、急遽、“外国人”という理由で僕に白羽の矢が立てられたのだが、アプスベン加盟校でもあり、旧知の学校長のお願いとはいえ、流石に審査委員長というのは荷が重く、明らかに僕では役不足なので、丁度、ネパールを訪問中の日本ケナフ開発機構の釜野徳明博士に審査委委員長就任をお願いしたところ、快くお引き受けくださる事となった。審査委員長の釜野博士の他、カトマンズ大学の講師の方、若い画家の方、そして僕の3人が審査委員を務めることになった。

キッズメリー2展示されてある工作品の中から日本の写生大会のように金、銀、銅賞を選ぶあけの単純な作業だと気楽に考えていたのだが、実際に選考を行なおうとすると、一つひとつの作品から制作した子ども達の思いがひしひしと伝わってきて、予想以上に選考作業は難航した。


キッズメリー3結局、自然素材を上手く活用した3作品が選ばれ、釜野博士から3人の子ども達へ賞状と景品が授与された。今回、初めて審査委員として作品を見たのだが、普段とは違った視線で作品を見ることが出来てなかなか楽しかった。展示作品の中にはヒマラヤ小学校の子ども達が教えた「折り紙」もあり、交流活動の成果も垣間見ることも出来た。



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2008年08月21日

開館式典

8月21日(木)

博物館日本ケナフ開発機構の釜野徳明博士(神奈川大学名誉教授)をお迎えして、バクタプールのエベレスト学校でケナフ博物館の開館式典を開催した

慌しいままの迎えた開館式典だったが、大勢の方のご協力を頂き、意義深い式典を開催することができた。構想から2年、こんなにも早く博物館を開館させる事が出来たのは、エベレスト学校のラージバンダリ校長ご夫妻のご尽力はもとより、多数の貴重な資料や品物を御寄贈いただいた釜野徳明博士のご協力、そして何より開館を心待ちにしていた「みどりの少年団」の子ども達の熱意が大きかったように思う。

ダンス今日の開館式典にはヒマラヤ小学校の5年生も参加。自作の歌や踊りを披露して立派に大役をやってのけた。特にラクシミの歌はエベレスト学校の生徒や教職員の心にもしっかり響いたようで、会場から大きな拍手と共にアンコールが沸き起こった。


博物館についてはまだ改良の余地があるので、関係者と話し合いながら充実を図っていければと思う。ぜひ博物館を通して天然資源としてのケナフ(現地名でナルーまたはパトゥワ)の魅力を伝えていけたらと思う。

ラクシミ写真/万雷の拍手とアンコールを浴びて照れるラクシミ

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2008年08月17日

夏休み最後の日

8月17日(日)

今日は試験後から始まった短い夏休みの最終日。明日から学校は始業となる予定だが、ケナフ博物館の開館式などの準備で暫く学校へ来られないので、支援者から届いた手紙を子ども達に渡すため、手紙が届いている一部の子ども達だけを学校に呼び出すことにした。

ダンス指導朝の往診を終えて、気ぜわしいまま30枚ほどの手紙の翻訳作業を終わらせて学校に着くと、呼んでもいない子ども達まで学校に集まっていた。一瞬、始業日を勘違いしたのかと思ったが、どうも特別に学校を開校する話が口伝いに広がり、「何か面白いことでもあるのでは?」と期待した子ども達を中心に、学校の始業を心待ちにしている子ども達が集まってきたようだ。

というわけで、今日は一日学校を開放して、子ども達に夏休み最後の日を思いっきり楽しんで貰う事にした。ブランコで遊んだり、鬼ごっこをしたり、5年生は先生役となって下級生にダンスを教えたりして、それぞれに楽しい時間を過ごしたようだ。

ダンス競争来月、私立学校教育向上協会主催の「タレントショー」が予定されている。今日はダンスを楽しんでいた子ども達の中から、「タレントショー」への出場を決める非公式の「予備選」を行なう事にした。

「予備選」は、ただ踊るよりも競争したほうが力も入り面白いと考えての思いつきだったのだが、いざ競争を始めると、子ども達の目つきがすっかり変わり、会場は物凄い熱気に包まれた。


ダンスメヌカ特に1年生のメヌカの本気度は群を抜き、他を圧倒していた。結局、今日の優勝者はメヌカとなった。今回の結果を尊重しメヌカが希望した場合には優先的に「タレントショー」へ出場させるつもりだ。

夏休み最後の日は子ども達の熱気と共に終った。


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2008年08月16日

豊穣を祈るお祭り

8月16日(土)

来週21日、日本ケナフ開発機構の釜野徳明先生をお迎えして、バクタプールのエベレスト学校内に設立したケナフ博物館の開館式典を予定している。先日から何度か開館式典の打ち合わせを行ない、既に大まかな内容は決まっているのだが、開館式典に必要な盾や感謝状、パンフレットなどの準備は全く出来ていない状態だ。今日は早朝からヤッギャ校長、サダナさんと集まり、会館式典に必要な物の製作を行なった。

後5日に迫った開館式典までに間に合わせるためには、何としても今日中に作業を終らせなければならない。兎に角、焦らず、“なんとかなる”とお互いに言い聞かせながら、“火事場の糞力”を頼りに手分けして作業を進めた。何事も時間との戦いだと思う。特にネパールの仕事はギリギリが常識なので、慣れたとはいえ、神経を磨り減らしながらの作業となる事が多い。ただ、こうして準備こそ遅れているものの、21日の開館式典は必ず成功すると強い確信を持っている。僕自身が確信を持てるのは、この活動が思いつきや、人の意見に流されたものではなく、ささやかながらも皆で共有した信念をもって取り組んでいるからだと思う。

結局、早朝から夕方まで掛かって全ての作業を終える事が出来、なんとか21日の朝までに全てが揃う事となった。朝からコンピューターに齧り付いてくたくたになったが、終った後は“皆で一緒に出来た”という気持ちの良い達成感で満たされた。

マテヤ田植えを終えて、丁度、1ヶ月半くらいになる今の時期、ネパール暦のスラウン月〜バドラ月にかけて、カトマンズ盆地内では豊穣を祈る様々な祭りが行なわれている。グン月の満月に当たる今日は、「ビャンツァ・ケナグ」と呼ばれる蛙にご馳走を与える行事が行なれる日だ。

その昔、人々を苦しめていた人食い悪魔(ガターマンガル)を退治するために一役買った「カエル」に対するお礼として、カエルご馳走を与える習慣が始まったようだ。(悪魔をからかいながら沼地へと誘き寄せ、悪魔を動けなくしたという神話)その他にも田植えの時に迷惑をかけたお詫びという説もある。残念ながら今日は「ビャンツァ・ケナグ」を見る事はできなかったが、なかなか面白い行事だ。

夕方からはブンガマティ村でマテヤという死者供養のための諸仏塔巡りが行なわれた。月明かりに照らされた村の仏塔を、民族衣装に身を包んだ人々が静かに巡る姿はとても趣があって、僕は毎年、この祭りを楽しみにしている。

ハクパタシ村の中心にあるマチェンドラナート寺院で祭りを見物していると、マテヤに参加しているヒマラヤ小学校の子供達を大勢見かけたが、伝統衣装を着ると急に大人びて見えるため、一緒に見物していた子ども達から教えてもらわないと、なかなか児童を判別することは難しかった。

これからネパールは、一気に秋へと向かう。



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2008年08月14日

ビナヤ・ラマ先生

8月14日(木)

ビナヤ先生ラクシミの録音でお世話になったビナヤ・ラマ先生ご夫妻と夕食をご一緒した。ネパールに着いてから、ラマ先生にお会いして日本国内でのラクシミの歌の評判についてお伝えしたいと思いながら、これまで雑用に忙殺されてしまい、なかなか実現できないままの状態が続いていた。今日はようやくお互いの時間を調整することが出来、ラクシミの話やネパール音楽に関する話で盛り上がった。

ラクシミのCD制作の事を振り返っても見ると、音楽とは全く無縁の僕達がラクシミを応援したい一心で行なった、ある意味とても無謀な計画だったように思う。そんな無謀な計画もラマ先生はじめ音楽家の方々の全面的な協力をいただき、予想以上に素晴らしい作品を完成させることが出来た。もしラマ先生達の協力がなければ、決してCDは世に出ていなかっただろう。

それにしても、あの時のエネルギーは一体どこから来たのだろうか。ラマ先生もあれだけの短時間で録音が完成できたのは奇跡に近いことだと、仰っていた。めぐりギャラリーで開催した展覧会で、ラクシミの詩集をチャリティー販売した事から始まった小さな活動が、大勢の方の協力によって“CDを作ろう!!”という大きなうねりとなり、信じられないほどのエネルギーが発生させたのだから、今でも驚きを隠せない。もちろん、あのエネルギーの元となったのは、悲しみを乗り越え、必死に生き抜こうとしているラクシミの姿だった事は間違いない。

ゴパールラマ先生は元々、インディアンクラシックの名手として名を馳せ、カトマンズ市内のソルティーホテルなど5つ星ホテルを中心に演奏されていた事は知っていたが、よく話を伺うと、僕が大好きな故ゴパール・ヨンジャン(音楽家、詩人)の愛弟子であることが分かった。ネパールの偉大な歌手、故ナラヤン・ゴパールと共に数々の名曲を世に送り出した事でも知られているゴパール・ヨンジャン。ラマ先生の人懐っこい笑顔を見ていると、ゴパール・ヨンジャンの優しい歌声が脳裏に浮かんできた。(写真右:ゴパール・ヨンジャン 左:ナラヤン・ゴパール /アルバム「Mitjyu」(終生の友)から)

ラマ先生からは次回、ご自宅でゴパール・ヨンジャンの歌を披露する事をお約束頂き、楽しい夕べの一時は幕を閉じた。人生とは出会いなんだと、つくづく感じる今日この頃。



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2008年08月09日

展覧会に向けて

8月9日(土)

お絵かき現在、ヒマラヤ小学校の子ども達の間の流行り事には、ダンス、歌、空手、ブランコ、絵などがある。ダンスと歌は特に女子の間で流行り、男子の間では空手やドッジボール、サッカーなどスポーツの人気が根強い。

上記の流行り事の中でも特に最近、熱が上がっているのは「歌と絵」だ。歌はCDを出したラクシミの活躍が大きく、絵については、昨年、「めぐりギャラリー」で展覧会を開催した事や、一部の絵がポストカードになった事が大きいようだ。今年もぜひ日本で子ども達の展覧会を開催できればと考えているが、先日、希望者を募ったところ幼稚園クラスの子ども達を含め昨年の5倍近くの子ども達が参加に手を挙げている。完全に夢が育った事を実感する。

絵展覧会に向けて絵を描き始めるのは8月下旬頃を予定しているのだが、待ちきれない子ども達の中には黒板やノートに向かって毎日のように絵を練習している子も多い。祭りの絵、牛の絵、家族の絵、学校の絵、今年は一体、どんな絵を描くのだろうか。今から完成した作品を見るのが本当に楽しみだ。個人的には、毎日のように絵をプレゼントしてくれる1年生の女の子の作品に期待している。



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2008年08月07日

楽しいピクニック

8月7日

バス今日は子ども達が楽しみにしていたピクニックの日。試験も終わり、ピクニックを思いっきり楽しむには最高のタイミングだ。今回のピクニックは初めてバスを使っての遠出とあって、子ども達は天にも昇る心地だったようだ。

早朝から学校でヤッギャ校長、モンゴル先生と一緒に野菜を切ったり、食器類や遊具を揃えたりしてピクニックの準備をしていると、呼んでもいないのに子ども達がぞろぞろ集まって来て手伝いをしてくれた。ピクニックの事を考えると、居ても立っても居られなかったのだろう。普段、手抜きで自炊をしている僕でさえ、こうして子ども達がピクニックを楽しみにしている様子を見ると、自然と下準備に力が入った。料理を作る喜びはこうして相手を思う事にあるのだと、身をもって感じた次第だ。

歌今日は子ども達の必死の願いが叶ってか、昼過ぎまではお日さまも顔を出してくれた。途中、一時的に雨も降ったが、子供たちに天候なんて全く関係ないようで、みんな気にせずに遊んでいた。

バドミントンやサッカー、ハンカチ取りゲームで遊んで、腹ペコになった子ども達の食欲は“凄まじい”の一言に尽きる。支援者の皆さんも子ども達の底なしの食欲には驚かれていたが、お腹いっぱい食べた後の子ども達の笑顔は見ていて本当に気持ちが良かった。

遠足踊り昼食を終えた後、子ども達を連れ「ドゥンゲダラ」という水が湧き出している場所まで散歩に出かけた。ドゥンゲダラにはニジマスや鯉などの魚が飼われていて、普段、あまり魚を目にする事がない子ども達は大きな歓声を上げて喜んでいた。

子ども達の様子をカメラに収めている途中、靴の中に蛭がいるような嫌な感触があったので靴を脱いで中を見ようしたところ、誤って靴を池の中に落としてしまった。幸い心優しい二4年生の二ロージが池の中まで入って靴を拾ってくれて助かったが、子ども達には相当、笑われた。この出来事はヒマラヤ小学校の中で、しばらく笑い話として受け継がれるのかもしれない。

ピクニックの後はみんなでゴミ拾い競争をしたり、帰りのバスの中では大きな声で歌を歌ったりして、楽しいピクニックは終わった。帰りのバスの中では、僕の横に座っていた2年生の男の子が涎を垂らしながら、気持ち良さそうに眠っていた。どんな夢を見ていたのだろうか。また、いつか子ども達を連れてピクニックに行きたい。



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2008年08月06日

歓迎会

8月6日

歓迎会準備昨日からネパールを訪問されているヒマラヤ小学校支援者の方々をお迎えして、ささやかな歓迎会を開催した。子ども達にとっては歌や踊りを披露できる絶好のチャンスとあって、朝から校内はざわめいていた。

今回、ヒマラヤ小学校を訪問された4名の支援者の方からは、計10名の子供達がスポンサーシップ支援を受けている。4名の支援者の内、2名の方は既にヒマラヤ小学校を訪問されているので、今回は残り2名の方から支援を受けている4名の子ども達が、支援者との始めての対面を果たすことになった。初めての対面を前に奨学生達はそれぞれ期待と不安に胸を躍らせている様子だった。

歓迎会今回の歓迎会プログラムは前回に引き続き、子ども達自身で考えたもの。1時間以内という時間制限以外は特に注文をつけず、全て子ども達の自主性に任せることにした。プログラム作りの途中には、ダンスを披露したい子ども達の間で順番や出演?回数の事でもめた事も何度かあったようだが、誰が取り纏めたのか、最後には皆が納得できる形で上手く纏まったようだ。自分の気持ちを主張したり、人の意見に反論したり、妥協したり・・・・・・、歓迎会のプログラム作りも子ども達にとっては大事な社会勉強の一つだと思う。

歓迎会は子ども達の努力の甲斐もあって、大いに盛り上がった。特に歌や踊りを披露できた子ども達は大満足の様子だった。それにしても今日のMVPは三度もお色直しをして、歌に踊りにと大活躍したラクシミだろう。ラクシミの生き生きとした表情を見ると、本当に嬉しくなる。

苗歓迎会の後は、支援者の皆さんと一緒に、新しく購入した土地(果樹園)にアボカドやリンゴの苗を植えた。これから子ども達が一生懸命育て、数年後の収穫の時には皆で今日の日の事を思い出しながら、美味しい果物を食べたいと思う。今からその日が待ち遠しい。



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2008年08月03日

職業訓練

8月3日(日)

案内早朝の往診治療を終え、大急ぎでカトマンズでの雑用を終えた後、ヤッギャ校長と米国から一時帰国しているサダナさんらと共に、ティミにある職業訓練所(サーノティミ・テクニカル・スクール(STTS))を訪ねた。

サーノティミ・テクニカル・スクールは約30年前から貧困家庭の子ども達に対して様々な職業訓練を行っている民間職業訓練学校だ。ヒマラヤ小学校でもいよいよ来年から卒業生を対象とした職業訓練を実施する予定だが、開設を前にひとつでも多く職業訓練に関する情報を集めることが急務の状況だ。

職業訓練1STTSコーディネーターのスワール氏から学校について説明を受けた後、校内を案内してもらった。STTSではヒマラヤ小学校で計画している洋裁や木工の他、電気機器の修理、板金技術、印刷技術、自動車やバイクの整備まで、実に様々な技術指導が行われていた。特に印象深かったのは、大勢の女子が一生懸命勉強していた事だった。女生徒に「勉強している理由」について尋ねてみると、「将来、自立したいから」と、目を輝かせながら答える姿が印象的だった。

STTSでは寄宿舎も整備されていて、僻地の子ども達も参加できるようなプログラムになっている。技術によって就学期間も費用も異なるが、卒業生の就職率は80%を超えているとのこと。ヒマラヤ小学校内での実施が難しい技術に関しては、ぜひ卒業生をSTTSに送る事も視野に入れたいと思う。

職業訓練2STTSの後はバクタプールのエベレスト学校を訪ね、今月、正式な開館を予定しているケナフ博物館の打ち合わせを行った。その後、7日に予定しているピクニックの開催地視察や果樹園に植える梨(幸水)を見に、ゴダワリ、チャパガウン村を訪ねた。大雨にも遭い、帰宅した時にはへとへとになったが、とても充実した一日を過ごす事が出来た。

職業訓練3

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2008年08月02日

ジュンケリ

8月2日

ジュン先日、4年生のジュンケリを訪ねた。ジュンケリは春休み中、工場で煉瓦を運んでいる途中に転倒して、けい骨を骨折してしまった。入院先の病院での手術も無事終わり、5月上旬には退院することが出来たのだが、担当の医師から暫く自宅でのリハビリが必要と言われ、退院してからも学校を休学したままの状態が続いている。

子ども達の中で「お姉さん役」を務めているジュンケリの元にはヒマラヤ小学校の友達が頻繁に訪れるようで、僕が剃刀負けで最近まで顎の下にカットバンを付けていた事まで学校の事なら何でも知っていて、大いに驚かされた。

「家から学校の事は何でも見えるの」と、笑顔で冗談を言うジュンケリの姿を、4年半前の開校当時、誰が想像できただろう。開校当時、「学校を辞めなければいけないかも・・・」と、しょっちゅう屈託顔浮かべていたジュンケリが、ここまで明るくなったのは友達や先生達、支援者との関わりが本当に大きかったのではないだろうか。

マンゴー僕が嬉しかった事は、家を訪ねた友達がジュンケリに勉強を教えてくれていいたことだ。入院中に届けた新しい教科書には、ちゃんと赤線などが引かれていて、ジュンケリの向学心を垣間見た思いだった。

英単語の意味を教えてほしいと言われ、暫くの間、教えていると、姪子のサパナ(ヒマラヤ小学校1年生)が寄って来て、お見舞いにあげたマンゴーを上手に鎌で切ってくれた。


ジュンサパ現在は松葉杖なしでも歩けるまでに回復していたものの、上り下りの多い学校までの道のりを、片足を引き吊りながら登校するのは難しいだろう。8月17日から復学を希望しているようだが、とにかく無理をせずにしっかり治して欲しいと思う。










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2008年08月01日

暗記教育

8月1日

試験期末試験も中盤を迎えた。今のところ大きな問題もなく試験は順調に進んでいる頭を掻いたり、鉛筆を咥えたり、時にはぶ然とした表情を見せたりしながら健気に試験問題に向かう子ども達の姿を見ると、それだけで“合格”と言ってあげたくなるのは、僕だけではないはずだ。

ネパールの教育は今でも暗記が中心だ。10年生を終了時に受けるSLC試験(全国統一の卒業認定国家試験)が暗記中心の出題であるため、試験に合格するためにどうしても暗記中心の授業になってしまうようだ。

暗記中心の授業や試験には以前から賛否両論あるが、最近ではどちらかというと暗記教育に対する否定の声を良く聴くようになった。一部の私立学校では外国の教材やシステムを積極に取り入れ、創造性を高める教育を実施している学校も増えているようだ。

今回の期末試験からは「ネパール私立・寄宿舎学校」が作成した問題集を使ったが、暗記よりもむしろ創造力を必要とする問題が多かった事には正直、新しい発見だった。暗記問題に慣れているヒマラヤ小学校の先生達にとっても、新鮮な驚きだったに違いない。

これから暗記教育に対する議論は益々、活発に行なわれると思うが、今回の問題集から、ヒマラヤ小学校の先生が何かを感じ、授業の進め方や指導方法にいい影響が出ればと思っている。

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