2008年07月

2008年07月27日

試験はじまる

27日(日)

試験今日からいよいよ第一学期の期末試験が始まった。今回の試験から「ネパール私立・寄宿舎学校協会」が作成した問題集を使うことになった事もあり、子ども達だけでなく各担当の先生達も同様に緊張した面持ちだった。

試験問題を見てみると、ヒマラヤ小学校の先生達が作った物の方が難しいと思える科目があったり、逆に現状のレベルではとても合格点を取る事は難しいような科目もあったりと、なかなか良い勉強になった。

先生達が一生懸命、問題集に目を通している姿を見ると、こうして外の空気を取り入れた事は良かったように思う。外気を入れることで、ともすれば生ぬるい風が吹きやすい学校の現場に良い緊張感を保ち、先生達が努力の目標を見つける切欠になると思う。将来、努力の成果が少しずつでも出れば、これまで以上に先生達のやる気にだって繋がるのではないだろうか。

さて、当の子ども達の様子はというと正に真剣そのもの。鼻水も気にならない程、試験に真剣に取り組む姿は、見ていて本当に気持ちがいい。試験が終わったらピクニックも予定しているので、子ども達には慌てずに、精いっぱい頑張って欲しいと思う。試験は8月5日まで続く予定。


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2008年07月23日

ブンガマティ村の冒険

23日(水)

夏夏になると子供達がより一層、元気に見えるのは、夏の焼け付くような日差しが子ども達のあり余る元気さと重なるからだろうか。暑さを物ともしない子ども達の元気な姿を見ると、“暑い暑い”と項垂れて、えっちらおっちら歩く自分の姿が本当に情けなく思えてくる。

ネパールに戻ってから時間を見つけては、子ども達の家庭訪問を続けている。家庭訪問の途中には、必ずと言っていいほどヒマラヤ小学校の児童に会う。水汲みや薪運び、小さな妹や弟の世話など家事を一生懸命手伝っている子もいれば、友達と楽しそうに遊んでいる子もいる。

ビジェニ家庭訪問の時には道端で出会った子ども達が一緒に付いてくるのが、いつの間にか出来た習慣だ。迷路のように入り組んだブンガマティ村の町も、子ども達と一緒に歩けば決して迷うこともない。



僕は地図を見入る癖があるせいか、これまで新しい場所を訪ねても道に迷ったことはあまりない。所謂、方向音痴ではないのだが、ブンガマティ村だけは、どうしても道を覚えることが出来ないままだ。毎回、家庭訪問に同行してくれる子ども達が得意になって裏道を使うことが、道を覚えられない原因だと勝手に決め付けている。

家庭訪問時には見知らぬ人家を通り抜けたり、牛糞を踏んづけながら牛小屋を歩いたりする事もある裏道歩きだが、子ども達と一緒にハラハラ、ドキドキしながら冒険しているような感覚が、僕にとっては一番の楽しみでもある。

それにしても、道なき道を歩いて行っても、きちんと目的の場所に着くのだから、子ども達の頭の中には村の事が何から何まで詰っているのだと何時も感心してしまう。

休憩今日は数件の家庭を訪ねたが、何時ものように道中で出合った子ども達が道案内をしてくれた。歩きながら子ども達と話す会話は、学校での話とは一味違ってなかなか楽しい。訪問を終えた後、村の駄菓子屋に寄って子ども達とジュースを飲む一時は、なんともいえない充実感がみなぎってくる。子ども達の案内してやったぞ、という勝ち誇った顔もなかなか美しい。



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2008年07月20日

学校の傍に土地を購入

20日(日)

帰国中、ヒマラヤ小学校隣接地に土地を購入する話が纏まった。全く予想もしていなかった展開だったので、正直、今でも驚きを隠す事が出来ないでいる。

学校ヒマラヤ小学校では開校と同時に天然資源ケナフを使った自立訓練プロジェクトを続けている。活動から4年が過ぎ、いよいよ技術センターの建設を目指す段階に来ているため、昨年末から技術センターの建設用地をヒマラヤ小学校周辺で探していたのだが、折からのインフレの影響で土地価格が高騰し、なかなか用地買収の話を纏める事が出来なかった。

今回もケナフ技術センター建設用地として持ち上がってきた土地買収の話だったが、予定しているよりも土地が広い事もあって予算が合わず、せめて地権者の方から切り売りをして貰えるなら予算内で最低限必要な土地を購入したかったのだが、地権者の方からは一括購入以外は話し合いに応じないと、頑なに口をつぐまれてしまった。

ケナフ技術センターの用地購入にあたっては、当初、ヤッギャ校長が理事を務める地元のアムラプール農協との共同購入を前提に話し合って来たので、今回の土地についても一応、農協に打診をしたのだが、結局、農協側も予算があわず話は纏まらなかった。

ケナフ活動の予算で購入できる分を差し引いた残りの土地をなんとかして購入する以外に残された道はなく、半ば諦めていた話だった。

そんな時、あるヒマラヤ小学校支援者の方から学校用の土地購入のお申し出を頂き、あれよあれよという間に話が纏まる事になった。結果として学校の土地を購入し、更にケナフ技術センターの建設用地も予算内で購入できる事になり、万事うまくいく結果となった。

今日は朝から土地の地権者とヒマラヤ小学校として購入する土地に関する売買契約を結び、そのまま土地登記の手続きを行った。大きな金額だったので最後の最後まで緊張したが、無事、すべての作業を終える事が出来、ようやく人心地がついた。

新しく購入した土地の使途については今後、支援者の方と話し合い纏める予定だが、現時点では果樹園を予定している。果樹園には付加価値の高い果物を栽培して、子ども達の将来の自立に繋げるつもりだ。果樹園で作られた美味しい果物を口にして、“自分も将来、美味しい果物を作りたい”と思う子が出てくれたら良いなぁと夢を描いている。

それにしても、こうしてヒマラヤ小学校の環境が整備されることは、本当にありがたいことだ。これからも支援者の皆さんの気持ちにしっかり応えていきたいと思う。


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2008年07月19日

山の上の村

19日(土)

村今日は久しぶりに山の上の村々に往診に出かけた。現在、ネパールは雨季の真っ只中。雨季の山道でお馴染みの厄介者は、何処からとなく現れる“蛭”だ。今日も気付かないうちに何箇所も蛭に噛まれていたようで、靴を脱ぐと血を吸ってブクブク太った蛭が何匹か残っていた。

蛭に噛まれても痛みもなく、無理やり引っ張らなければ痒みを起こすこともない。(無理やり引っ張ると、蛭の顎が残り痒みを引き起こすそうです。)余分な血を抜いて貰ったと思えばなんともないのだが・・・・・なんと言って見た目が気持ち悪いので、嫌悪されている。僕も以前までは雨季の間、様々な“蛭対策”を施して来たが、どれも決定的な効果はなく、現在では開き直って“吸いたければ吸え”と思って、雨季の山道を歩いている。それでも5分に1回程度、必ず足元を見てしまうのは、やはり蛭に生き血を吸われる事への消えない恐怖心だろう。

今日の山の上の村での治療は、久しぶりの往診とあって村の人達にも喜んで貰えた。2ヶ月あまり会わないだけで、もう何年間も会っていなかったように感じるのは、それだけ僕の生活にとって、村の人達との関わりが大きいからなのかもしれない。思えばこの村を訪ねるようなってから、既に7年近くが経っている。

ネパールで暮らし始めて10年。本当に人に恵まれたなぁとつくづく思う。


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2008年07月18日

夢を実現させる素晴らしさ!!

18日(金)

「一人前の宇宙飛行士になるようにがんばりたい」
6月1日に打ち上げられたスペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗し、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」に船内実験室を取り付けるという大役を果たした宇宙飛行士、星出彰彦さんが小学4年生のときに書いた作文の一部だ。

帰国中、星出さんのニュースが強く印象に残ったのは、宇宙や開発中の宇宙ステーションに格別、興味や関心があるからではなく、星出さんのこれまでの経緯に大きな共感を覚えたからだ。

星出さんは4,5歳の頃にケネディ宇宙センターを訪れて以来、宇宙飛行士になるという大きな夢を募らせたという。大学卒業後はNASDA(宇宙航空研究開発機構)に勤め、宇宙飛行士への道を歩み始めるが、NASDAに務めてから2度も宇宙飛行士への挑戦に失敗したという。失敗の度に恩師や友人から「現実を見つめろ」「宇宙飛行士になるなんて宝くじを当てるより難しい」と言われたそうだが、それでも夢を諦める事なく努力を続けた結果、3度目の挑戦で見事、憧れの宇宙飛行士の座を射止めた。

少年の頃から描き続けていた夢をかなえ、歴史的な大役を果たした星出さんの今の心境は一体、どんなものだろう。星出さんの栄光の陰には、血の滲むような努力の積み重ねがあった事は容易に想像できる。でも夢があったから途中で挫けること無く、努力を続けられたのではないだろうか。

ぜひヒマラヤ小学校の子ども達にも星出さんの話を紹介したいと思う。描いた夢が未来の大きな力になる事を子ども達には知ってほしい。



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2008年07月17日

誉める!!

17日(木)

モノージヒマラヤ小学校では何かに興味を示した子ども達を、学校として積極的に「褒める」ことを心がけている。子どもというのは不思議で、「褒める」と本当に一生懸命になり、どんどん成長していくようだ。勉強や歌、踊り、サッカー、縄跳び、その他にも逆立ちや側転など変わったものも含め、「褒める」ことで大きく成長した子ども達も多い。

僕自身も学校にいる時は、子ども達の特技や興味を見つける事を心掛けているが、これはなかなか楽しいことでもある。先日、幼稚園年長クラスのモノージが教室の外で、自慢げに股割をしている姿を偶然、見かけたので、早速、「凄い!!」と褒めてみると、嬉しそうに何度も股割をして見せてくれた。

モノージナマステその後、学校でカメラを向ける度にモノ―ジは股割を見せてくれるようになったが、先日はモノージが近づいてきて、「股割をした状態で“ナマステ”が出来るようになった」と自慢げに言ってきた。1週間あまりモノージなりに精いっぱい努力したのだろう。それはそれは見事な股割だった。



モノージ教室モノージの股割はクラス内でも広く感染していて、友達も一緒になって股割を楽しんでいるようだ。子ども達には何でもいいから特技や興味のあることを、学校生活の中で一つでも見つけてくれたらと思っている。

モノージが制服を貰うのは来年の予定。来年の春までズボンが破れない事を願いつつ、今日もモノ―ジの股割を応援している。がんばれモノージ!!

モノージ4





モノージブランコ






モノージ5

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2008年07月15日

赤い帽子

15日(火)

スモンスモンはヒマラヤ小学校の5年生。ガキ大将のクマールと仲良く連んでいる一人だ。悪ふざけが過ぎて先生から叱られる事もあるが、根はとても優しくて素直。小柄ですばしっこく、学校で手伝いが必要な時など、こちらが呼んでもいないのに教室から飛び出して手伝ってくれる、「頼りになる奴」でもある。

今日は例の如く、クマールたちと何か企てていたようだが、あえ無く作戦は中止。中止を知らされていなかったスモンだけが、知らずに作戦を実行してしまったようだ。約束の時間になっても現れない仲間に業を煮やしていたところ、クマール達が学校に行った事を知ったらしい。

「学校に行きたいけど、今更いけない」。そんな心の葛藤があったかどうかは分からないが、スモンが学校の傍で隠れているという報告を受け、屋上からこっそり見てみると、スモンが学校近くの木の傍で、見えるように隠れていた。赤い帽子まで被っているところがスモンらしくて、僕はとても嬉しくなった。

スモンの傍に行き、「大丈夫、大丈夫」と宥めながら学校の中へ連れて行った。先生達に冷やかされ顔を赤らめたスモンが5年生の教室に入った時、クマール達の如何にもばつが悪そうな顔が面白かった。今回の失敗に懲りるのか、それとも挑戦は続くのか・・・・・。今後も目が離せない可愛いズッコケ連中だ。



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2008年07月14日

統一試験に向けた一歩

7月14日(月)

アムリット昨年からヒマラヤ小学校はラリットプール郡内にある小規模私立学校と共に、「ネパール私立学校教育向上協会」(通称:UPSBEN/アプスベンという教育ネットワークを立ち上げ、コンテストや教育研修など様々な交流活動を通して教育の向上に取り組んでいる。アプスベンの設立から丁度1年あまりが過ぎ、これまで予想以上に良い効果を上げる事が出来たのは、加盟する学校の校長達が知恵を絞り、勇気を持って必死になって行動を起こしたからに他ならない。

アプスベンではコンテストや教育研修以外にも、設立当初から試験問題の統一や加盟校統一試験の実施などを検討してきた。今回、その第一段階として今月末に予定されている期末試験から、ヒマラヤ小学校を含む15のアプスベン加盟校が参加して、「私立・寄宿舎学校協会(PUBSON)」が作成した同じ試験問題を利用することになった。

統一試験制度の導入については現場の先生達から未だ反対意見や戸惑いの声が多いため、今回は同じ試験問題を利用するだけに止め、試験会場や採点作業もこれまで通り各学校が独自に行う事になった。少し物足りなさも感じるが、統一試験制度導入に向けた第一歩として評価したい。急激な変化で現場に混乱を招くより、先生達の意見を取り入れながら段階的に変えて行く方が、結果的にはしっかりした制度を構築できると思う。

統一試験制度の導入に関しては、実はヒマラヤ小学校の先生たちからも戸惑いの声が多かった。将来、本格的に統一試験制度を導入し、試験会場や採点作業を他校または第三者機関で行う事になれば、他の教育重視の私立学校との学力の差があからさまになり、子ども達が自信を失くすのではという意見や試験編重になるのでは、というのが多くの先生たちの意見だった。

まだ開校から4年余りしか経っていないため、子ども達の学力がしっかり身についていないのは事実で、先生たちが子ども達の学力に対して不安を持つことも無理はないだろうし、子ども達の成績を元に指導能力が評価されるのではと、若い先生達が試験の結果を心配する気持ちも良く分かる。

もし今、統一試験を受ければ、ヒマラヤ小学校の子ども達の成績はどん尻かもしれない。でも、どん尻を恥じる理由なんて何もないし、むしろどん尻からスタートする事で、大きな目標や目的を見出す事が出来るのではないだろうか。もちろん試験の結果を元に先生達の指導能力を問うつもりも全くない。

大事な事は、結果を元に先生達そして学校が現状の問題点をどれだけ共有し、改善に向けてどのような行動を起こすかだと思う。その辺りをしっかり先生達に伝えていけば、きっと理解は得られると思っている。

多少の問題はあるにしても、統一試験制度の導入はヒマラヤ小学校やアプスベン全体にとって必ず良い結果を齎すと僕は大きな期待を寄せている。先生達には統一試験制度導入をひとつのチャンスと捉え、勇気をもって頑張ってほしい。



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2008年07月13日

制服について

13日(日) 

児童今日、子ども達に制服を支給した。4月に計測を行なって以来、子ども達は今日の日が来るのを心待ちにしていたようだ新入生にとっては初めての、在校生にとっては2年ぶりの制服という事で、子ども達の喜びはとても筆舌には尽くせないものだった。制服を貰う時の喜びは、恐らく教科書を貰う時と同じくらいの嬉しさではないかと思う。そばに寄って来て、真新しい制服を自慢げに見せびらかす子ども達の姿を見ていると、こちらも嬉しくなってくる。

制服支援については今でも“必要ないのでは”という意見を頂く事がある。制服には一人当たり約1500円の費用が掛かり、これは1年生一人当たりの教科書代とほぼ同じ金額なので、正直、学校としての出費も大きい。しかし制服は金額以上に子ども達の安全や勉強に対する意識を高める上で大きな役割があるので、開校以来、継続的に制服支給を行っている。

今でも人身売買や人攫いとった類の事件が多いネパールでは、登下校時の子ども達の安全を確保しなければならない。ヒマラヤ小学校には2時間以上かけて山の上の村から通学して来る子ども達が大勢いるが、登下校の道中、もし仮に何か起こったとしても制服を着ていれば「ヒマラヤ小学校の子どもが・・・・・」というように、必ず人伝いに情報が入ってくる。小さな村ならではの“誰かが見てくれている”という安心感は、どんな安全対策よりも心強い。

さらに制服は未就学の子ども達にとっては憧れであり、学校に入学した子ども達に初めて“学校で勉強している”という意識を持つ大切な道具でもある。

その他にも制服の持つ役割はいろいろあると思う。これからも時間をかけて、制服支給についての理解を深めて行きたい。



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2008年07月12日

モンゴル先生「日本学発表会」3位入賞

7月12日(土)

昨日から腰の状態が悪化してしまい休んでいる。疲労性、肥満性に加え、今回はいつも以上に無理をして溜まっている支援物資を手荷物で運ぼうとしたことや、帰国中、体を冷やしすぎたのも腰痛再発の一因だったように思う。とにかく自己管理が出来なかった事を猛省したい。

モンゴル組そういうわけで昨日の午後から大人しく休んでいたのだが、今日はモンゴル先生はじめ大学で日本語を学んでいる学生による日本学発表会の日。昨日、一応、モンゴル先生には体調が優れないので、発表会には参加できない旨を連絡していたのだが、朝から30分おきに掛ってくる電話にモンゴル先生の並々ならぬ熱意を感じ、歯を食いしばりながら会場の日本大使館へと向かい、モンゴル先生の晴れ舞台を見てきた。

日本学発表会は今回が3回目の開催。国立トリブバン大学の語学キャンパス日本語学科で勉強している学生が「日本」をテーマに歴史や文化・習慣などについて勉強した事を発表するもの。モンゴル先生は友人と2人で「俳句」について発表した。松尾芭蕉や小林一茶の名句を紹介しながら、俳句の素晴らしさや面白さを説明。途中、モンゴル先生自作の句「月の夜や 蛍と遊ぶ 子ども達」を披露すると、会場から拍手が沸き起こった。

腰の状態が悪かったので発表会の途中で退席したが、後でモンゴル先生から電話があり、モンゴル組が見事、3位に選ばれた事を知った時は、思わず腰痛の事を忘れて飛び上がってしまった。子ども達の活躍に刺激を受けたように、先生達も活躍している。5年目の今年、本当に良い形で学校が回り始めている事を強く実感している。近いうちに、ささやかなモンゴル先生3位入賞祝賀会を開催したいと思う。今日は無理をしてでも参加して良かった。


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2008年07月10日

精神的な自立

7月10日(木)

3人帰国中は“子ども達の自立“を一番のテーマにして活動を行った。スポンサーシップや各地で開催して頂いている募金活動のお蔭で、ヒマラヤ小学校の運営は少しずつ(数年前に比べたら大分)軌道に乗り始めているのだが、いまだに支援者の善意の支援に頼って運営している現状に変わりはない。

援助はいつか終わるだろうし、終わらせなければならない。いつまでも援助に頼るのではなく、自分たちで少しずつでも運営する力をつけていかなくては、本当の意味で子ども達が安心して学べる学校とは言えないと思う。

昨年から子ども達が作った様々な作品をチャリティ販売させていただき、少しずつ自主運営の訓練をしているところだが、将来、貧困や途上国といったブランドから脱却し、本当に良いもの、喜ばれるものを作っていけたら、どんなに素晴らしいだろうか。

「自立」というと、ネパールの支援活動に関わっている人の中には「自立なんて無理だ、不可能だ」と考えている人も多い。確かにさまざまな問題を目の当たりにすれば、悲観的になるのも無理はない事だと思う。

ヒマラヤ小学校で来年から始まる卒業生を対象にした自立支援活動(職業訓練)だって、成功する保証は全くない。今、現在の僕たちの考えだけでは成功の見込みはゼロにちかいだろう。でも成功しない保証だってないのなら、失敗を恐れずに挑戦したいと思っている。本気で挑戦すれば必ず一歩ずつでも成功に近づく事も出来るだろうし、続けていれば必ずチャンスだって巡ってくるのではないだろうか。

5年もちろん挑戦の途中には様々な困難に突き当たる事だってあるだろう。そんな時、決して知識や技術だけでは乗り越える事は出来ない。知識や技術よりも“何事にも挫けない強い精神”=自立の精神をしっかり身につける事が欠かせないのではないだろうか。もしかすると、“精神的な自立”こそ、本当の意味での“自立”なのかもしれない。その自立をささえるのは、きっと夢なんだと思う。





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2008年07月09日

子ども達との再会

7月9日(水)

児童今日は学校を訪ね、2か月ぶりに子ども達と再会した。2か月の間にすっかり逞しく成長した子ども達の姿を見て、何とも言えない大きな喜びが込み上げてきた。5年生が最上級生らしく落ち着いて来た事はもちろんだが、これまで騒がしいだけだった2年生や3年生のクラスにも纏まりが出ていた。ヒマラヤ小学校がいつの間にか、こんなにも“学校らしく”なっていた事に気付いのは、おそらく2か月という長期に渡って学校を離れていたからだろう。とっても新鮮な気持ちで学校を見ることが出来、得した気分だ。

これから日本から持ち帰った宿題やネパールで溜まった雑務を一つずつ片付けなくては・・・暫くは慌しい毎日が続きそうだが、精いっぱい頑張りたい。


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2008年07月08日

2ヶ月あまりの帰国を終えて

7月8日(火)

人形2か月余りの日本帰国を終えて、ネパールに戻ってきた。これほど長期の日本滞在は、2001年に病気で長期入院して以来、初めての事だったので少し不安もあったが、帰国中はヤッギャ校長が中心となり先生たちが一丸なって運営を行ってくれたお陰で、安心して国内での活動に専念することが出来た。各種の支援活動も滞りなく実施でき、いろんな意味で自信に繋がった。結果的に長期間、学校を離れた事は、お互いにとって良い訓練の機会になったように思う。

これから卒業生の経済的、精神的な自立を達成するためには、より多くの人にヒマラヤ小学校の事や僕たちが描いている学校の青写真について知って頂く事がとても重要だ。そのためには、これまで以上に頻繁な帰国や長期滞在の必要性も出てくるだろう。今後も先生達としっかり役割を分担して、一丸となって大きな目標に向かって進んでいきたいと思う。

さて帰国中は大勢の方に支えられ、感謝、感激の毎日となった。ロータリークラブや経営者団体等でお話させて頂いたことは、とても新鮮で大きな学びの収穫を得る事が出来た。また、2回の報告会やシンポジウムの開催、イベント参加を通して、ネパールやヒマラヤ小学校について思う存分、支援者の皆さんと意見を交わせた事は、僕にとって貴重な時間となった。

深川市山下市長その他、2年ぶりに北海道の深川市を訪ね、山下市長はじめ深川市民の皆さんにご挨拶かたがたヒマラヤ小学校の現状について報告することも出来た。突然の訪問にも関わらず深川市の皆さんに温かい歓迎のもてなしを受け、感謝の気持ちでいっぱいだ。深川の町並みを何時も優しく見守っている音江山のように、人々の心もとても温かい。深川は本当に素敵な町だと思う。

今回の帰国中は、様々な分野で活躍する75〜76年生まれの僕と同年齢の人達と知り合う機会も多く、僕にとって本当に良い刺激となった。同年齢の人達の活躍は本当に勇気づけられる。

帰国中、ラクシミの歌が世田谷FMやNHKFMで放送されるという幸運に恵まれたが、ラジオから流れるラクシミの可憐な歌声を聴いた時には、ラクシミの土俵入りを見ているようで本当に嬉しかった。母親の面影を忍びながら、前向きに生きようと頑張っているラクシミの姿が、大勢の人から大きな支持を受けた事が、帰国中、何よりも嬉しい事だった。

めぐりいのちのごはん2か月余り体調を崩すこと無く精いっぱい頑張れたのは支援者の皆さんの温かい励まし、そして毎日、「命の食事」を作ってくださった美味一服めぐりの皆さんのおかげだ。この場をお借りして、お礼を申し上げたい。ありがとうございました。

帰国中、心ならずもブログを更新する事が出来ませんでした。お詫び申し上げます。

HP「ヒマラヤ小学校通信」を更新しました。ぜひお目通しください。





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