2008年05月

2008年05月13日

異業種交流

5月13日

児童今日はSAM(フレデリック・W・テイラーが設立した団体。)の例会でヒマラヤ小学校についてお話をさせて頂いた。SAMは会社などの経営に関わる人たちの集まりなので、教育や福祉とは一見、関係がないようにも思われるかもしれないが、ヒマラヤ小学校は開校から4年が過ぎ、いよいよ来年には卒業生を送り出して卒業生の経済的な自立に向けた活動を始める時期に差し当たっているので、これからは教育関係者だけでなく様々な分野で活躍している人達の意見や提案を積極的に取り入れる事が大事だと考えている。

今日は僕の空下手な話をご列席の皆さんに真剣にお聞きいただいた上に、貴重なご意見やご提案を頂き、僕にとって大きな学びの収穫となった。子ども達の未来の可能性を広げるためには、常識に捉われる事無く常に広い視野から物事を判断することが不可欠だ。今後も一人でも多く異業種の人達にヒマラヤ小学校について知って頂き、学校に新しい風を取り入れていきたいと思う。

今回の講演にあたり、きもの鈴乃屋・小泉清子会長、保険ストアシュアティ社長、萩野昭子様、聖徳大学教授・川島光子先生のご推薦を頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。


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2008年05月12日

悲しみを乗り越えて2008

5月12日

ラクシミラクシミのCDに付ける歌詞カードと新しい詩集「ねがい」の作成にあたり、「悲しみを乗り越えて2008」と題して、ラクシミについて纏める事になった。昨年、「美味一服めぐり」で開催した絵画展でチャリティ販売していただいた詩集「希望の光を求めて」の中でも、「悲しみを乗り越えて」と題してラクシミの事を書いたが、実はあの時点ではラクシミに降りかかった様々な困難について全てを書く事が出来なかった。当時、歌唱コンテストで優勝するなど少しずつに立ち直っていたとはいえ、13歳の少女に降りかかった問題の大きさに僕自身未だ動揺していたのかもしれない。

最愛の母を失った上に、否応なしにも父親の悪口を耳にしなければならない苦しみ。村人や親類から容赦なく向けられた蔑みの眼差しは、ラクシミ姉弟を出口のない暗闇へと追い込んでいった。悲しみを必死に耐えようとするラクシミの幼気な姿を見る度に、村社会の厳しさと恐ろしさを痛感する毎日だった。村社会というのは実はおぞましく理不尽な事が多く、心身ともにいやらしい程、強靭でなければ生きていけない社会なのかもしれない。

今回ラクシミCD">「悲しみを乗り越えて2008」として題して、前回の内容に大幅に加筆、修正を行う形で纏めてみた。文章の中で事件についても触れる事が出来たのは、ラクシミの前向きな変化をしっかり確認できたからだ。ラクシミは今、母の面影を忍びながら、逞しく生きている。拙稿ではあるが、ぜひ一人でも多くの方に読んで頂けたらと思う。


ラクシミのCDと詩集はは美味一服めぐりにてチャリティ販売中(1,000円)です。 御協力をよろしくお願いいたします。







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2008年05月07日

CD完成

5月7日(水)

ラクシミラクシミのCDが遂に完成した。開校当初から子ども達には、事あるごとに『何でもいい、何か一つ信じられるものを見付けて欲しい』と言い続けてきたが、たまたま5年生のラクシミは詩と歌に希望を見出し、懸命に夢を追い続けていたところ、今回、オリジナル曲のCD制作という大きなご褒美を頂き、夢を実現する事ができた。本当に夢のような話だ。ラクシミはもちろん、教職員、ヒマラヤ小学校の小さな子ども達まで全員がCDの完成を喜んでいる。ラクシミの活躍によってヒマラヤ小学校みんなの気持ちが一つになった事は、何よりも嬉しいことだ。こんなに幸せな事はない。

CDには全5曲が収められている。当初、頂いた支援金(チャリティ販売されたラクシミの詩集「希望の光を求めて」の売上)の使途については、先生たちの間でもラクシミへの音楽教育という意見が非常に多かったのだが、録音という意見がどうしても捨てきれなかったため、今回の録音で一番お世話になったラマ先生に相談したところ、“録音がいい。今のラクシミの声で録音する事に意義がある”と言われた事で決心が着き、レコーディングの話が一気に盛り上がった。

CDに収められた初々しく可憐なラクシミ歌声を聴くと、“今のラクシミの歌声を録音する事”が出来て本当に良いかったなぁとつくづく思う。

ヒマラヤ小学校の最上級クラスで学ぶラクシミの活躍は、下級生たちにとって大きな希望、そして目標となるだろう。今回、ラクシミの努力が、大きな成果としてひとつの形になった事はとても意義深いと思う。出来ないとあきらめてしまえば、その時点で全ての可能性がなくなってしまう。例え夢のような話でも、“出来るかもしれない”と、希望と信念を持ち続ける事が大事なんだと、ラクシミが僕たちに教えてくれたような気がする。

ぜひ、のびのびと歌う14歳のラクシミの可憐な歌声を大勢の人にお楽しみ頂きたい。

CDは美味一服めぐりでチャリティ販売しています。1枚1000円


勉強させて欲しい

作詞・作曲 ラクシミ・ナピット(14歳、ヒマラヤ小学校5年生)

ねぇお父さん 私にも勉強させて欲しい。
ねぁお母さん 私にも字を覚えさせて欲しい。
学校へ向かう友達 私といえば畑仕事へと向かい・・・・・

ねぇお父さん 私にも勉強させて欲しい
ねぁお母さん 私にも字を覚えさせて欲しい。
友達は一緒に学校へ行き 私は薪と飼葉を集めに行く

彼らの手には鉛筆とノート
私の背中には飼葉を入れた籠

ねぇお父さん 私にも勉強させて欲しい
ねぁお母さん 私にも字を覚えさせて欲しい

私も幸せになりたい 夢がある
天まで届くほど 大きな人間になると・・・・
私はなぜ 悲しみの海のような運命を背負っているのだろう

ねぇお父さん 私にも勉強させて欲しい
ねぁお母さん 私にも字を覚えさせて欲しい



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2008年05月04日

評価基準

5月4日(日)

ヒマラヤ小学校の開校当初からの夢の一つに、学級委員長の選出と児童会の設立があった。5年生を開校した暁には必ず実現しようと話し合って来たが、今回、そのささやかな夢が実現することになった。

僕たちが目指している楽しく、夢のある学校作りに子ども達の参加は欠かせない。子ども達の意見を学校運営に積極的に取り入れる事で、これまで以上に学校の活性化が図かれるのではないかと期待もしている。また子ども達が学校への所属意識をしっかり持つ事は、将来、卒業生が学校を支えるという夢の実現にも繋がるのではないだろうか。なによりも学校は子ども達のために在るのだから、どんどん面白い提案や意見を出してほしいと思う。

二ロジ児童会長選挙に先立って行われた各クラスの委員選挙では、勉強の出来というよりも、それぞれ人柄で選ばれた感じを受ける。5年生のラクシミを筆頭にどの委員長も性格の良さが際立っている子ども達だ。僕が特に嬉しかったのは、4年生の学級委員長に二ロージが選ばれた事だ。二ロージは口蓋裂で発声に障害がある事はブログの中でも何度か書いたと思う。入学当初、二ロージの事は先生たちもずいぶん心配していたが、二ロージは持前の明るさと、運動能力で友達から慕われる存在になり、今回は見事、学級委員長に選出されることになった。障害を跳ねのけ、元気に力強く生きている二ロージを見ると、本当に逞しく思える。

児童会長と副会長の選挙では、児童会長に5年生のクマールと、副会長に4年生のプロビンが選ばれた。クマール人気は圧倒的で、会長選挙で2番になったラクシミとは、20票以上の差をつけての大勝利だった。副会長のプロビンはこれまであまり陽の当たる存在ではなかったが、先日、ドッヂボールで大活躍した事を全校児童の前でヤッギャ校長に褒められた事で、すっかり学校の人気者となり、今回、副会長という大役を務める事になった。

勝利誰にでも平等に活躍のチャンスがあることが、ヒマラヤ小学校の一番良いところだと思う。勉強が出来るから・・・ではなく、勉強以外の事を評価や判断の基準にしている事がヒマラヤ小学校の自慢だ。

先日、三浦雄一郎さんを訪問した時の児童の選考基準は、制服が奇麗な事だった勉強は苦手でも、制服を奇麗にすることは誰にでも出来ること。あの訪問以来、制服を奇麗にする子が増えたのは言うまでもないが、誰にでも出来る事を評価や判断基準に取り入れる事は、子ども達に対する強いメッセージでもあり、そうした姿勢は子ども達の意欲を掻き立てる事に繋がるのだと思う。これからも子ども達の特技、長所、褒められる点をどんどん見つけていきたい。







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2008年05月03日

友情

5月3日(土)

4年生のジュンキリが足を骨折して、先日からパタン市内の病院に入院している。春休み中、村の外れにあるレンガ工場で日雇い労働をしている時に足を滑らせてしまい、脛骨を骨折してしまったようだ。幸い事故当日に連絡が入ったので、ヤッギャ校長達とジュンキリを病院へ連れて行く事が出来、その後の手術も無事成功に終わったので、みんなで安堵の胸を撫で下ろした。

ラクジュンちょうどクリニックの傍にジュンキリが入院している病院があるので空き時間を見て見舞いに通っているが、(4月下旬にこのブログでも書いた)ビナの事はジュンキリの耳にも入っていたようで、見舞いに訪れると真っ先にジュンキリから「ビナは学校へ来た?」という質問を受けていた。その後、ビナが学校へ来るようになり、ジュンキリにその事を伝えると、とても喜んでいた。ジュンキリとビナは同じ16歳。クラスこそ違うが、お互いに励まし合いながら頑張っている仲だ。

先日、ジュンキリに何か欲しいものはないかと尋ねると、「友達に逢いたい」という返事が返ってきたので、会いたい友達を2〜3人の絞るように言うと、ビナとラクシミ、そしてクマールに逢いたいという返事が返ってきた。

今日はそんなジュンキリの気持ちに応えるべく、ラクシミとビナを連れて病院へお見舞いに行った。思いがけない友達の見舞いをジュンキリはとても驚き、喜んでいた。3人共、積もる話に時間が経つのも忘れたようだった。

ビナ友達との再会はジュンキリを勇気づけ、ケガに打ち勝つための気持ちを奮い立たせたのではないだろうか。“友達がたくさんいる学校へ早く戻りたい”、ジュンキリの心の叫びが聞こえた気がした。

ジュンキリは5月5日に無事、退院しました。





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2008年05月02日

空手はじまる

5月2日

空手今日から空手(体験)教室が始まった空手教室はクマール達、男子児童の長年の夢だった。あの手此の手を使い空手教室の実現のために勤苦したクマール達の熱意にヤッギャ先生が根負けした形だ。諦めず頑張ったクマールの勝利を心から祝福したい。ただし空手教室を開催するだけの予算の確保という大きな課題が残っているため、まずは師範の試用期間も兼ねて1ヶ月の無料体験教室を開催することにした。

ネパールで空手は1,2位を争う人気スポーツだ。4年に一度開催される南アジア大会でネパール選手がメダルを獲得できる数少ないスポーツの一つという事もあってか、子ども達の間でも人気が高い。インド人を蹴っ飛ばせるからという、ブラックジョークを耳にした事があるが、まんざら嘘でもない気がする。

僕がネパールに暮らし始めた98年にネパールで開催された南アジア大会では、空手の試合をテレビで見ようと、下宿先の傍にあった東屋にたくさんの少年達が集まり、瞳を輝かせながらネパール人選手を応援していた事を今も鮮明に覚えている。顔はテレビの画面に釘づけになりながら、体からは突きや蹴りが飛び出していた少年たち。彼らの願いが叶ってか、その年の南アジア大会ではネパール選手が空手で大活躍し、一躍子ども達のヒーローとなった。

手足今日の初稽古には女子児童も大勢参加したのは驚きだったが、空手を通して子ども達がどのように成長するのか、本当に楽しみだ。

「押忍、押忍!」と大きな声を出しながら、“突き”や“蹴り”を繰り出す子ども達。中には同じ側の手と足が同時に出ている子もいて、ぎこちない姿がなかなか面白かった。




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2008年05月01日

ピーピング

5月1日

新入生今年度、ヒマラヤ小学校には26名の新入生が入学し、全校児童は137名になった。開校当時(68名)に比べ、丁度、倍の児童数になった。当たり前のことだが、児童数が増えた分、学校はずいぶんと賑やかになった。毎年、新入生の名前と顔を覚えるのは一苦労だが、今年は腕白な子どもが多いせいか全く苦労する事無く、新入生の顔と名前を覚えることが出来た。名前と顔を覚える事は一人ひとりの子どもたちをしっかり支えるためにも欠かせない。

現在、建設中の3階校舎が完成するまでの間、幼稚園2クラスは一つの教室で一緒に勉強しているため、担任のアヌシャ先生は大変だと思う。昨年、新人教員として幼稚園クラスを受け持ったアヌシャ先生。当初は声が小さく、果たして子どもたちを纏められるか心配していたが、今ではヒマラヤ小学校1位、2位を争うほど大きな声が出るようになった。1年間、必死に頑張ってきた成果だと思う。

アヌシャ普段、学校を訪ねた時には、教室に入って子ども達の写真を撮る事もあるが、出来るだけ授業の邪魔にならないよう教室の外から窓越しに授業の様子を見ている。授業の様子を見ているといっても、先生の教え方などを細かく観察するわけではなく、単に授業中の子ども達の様子を見るのが楽しいから見ているのだ。

とはいえ、僕が教師だったら授業の様子を毎日のように覗かれることを鬱陶しく思うだろう。そんな事もあって、先生たちには申し訳ないなぁと思いつつ続けているのだが、実はこのピーピングが先生たちの良い刺激になっているそうだ。先日の職員会議の中で、僕の帰国中に授業の様子を見てくれる人がいないと張り合いがなくってしまう、という意見が先生たちから出されてとても驚いた。

実際、どれだけ役に立っているのかは分からないが、少しでも先生たちの張りあいになるのなら、これからも積極的に続けていこうと思う。先生たちが張り合いを持って頑張ってくれたら、子どもたちにも必ず良い影響があると思う。




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