2008年02月

2008年02月22日

ブログ3周年

2月22日(金)

サパナこのブログを始めてから今日で丁度3年が経った。毎日、更新することは出来ていないものの、飽き性の僕が3年間も一つの事を続けてこられたことに、自分自身でも驚いている。少しでもネパールの現状や活動への理解を深めて頂けたらと思い始めたブログだが、大勢の人の温かい支えを受けながら3年間、なんとか続けてこられた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

ブログを読んで下さった方から暖かい感想や励ましの言葉、また貴重なアドバイスを頂く事もある。もちろん書いた記事への批判を受ける事だってあるが、読んでくださった方の意見を聞けることは、本当にありがたいことだと思う。


悲子ども達の日常生活は決して嬉しい事や楽しい事ばかりではない。笑顔の裏には辛いことや悲しい現実も沢山ある。そうした子供たちを取り巻く実情にについて、今後も自分なりに発信していけたらと思う。

ブログを書く事は、自分自身の活動を一歩離れて見る良い訓練の場でもある。いつまでブログを続けられるのか多少の不安もあるが、これからも出来る限り続けていきたいと思う。

3年間、本当にありがとうございました。どうか今後ともよろしくお願いいたします。


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2008年02月17日

心の居場所

2月19日(火)

ラクシミ2今日は「民主主義記念日」で学校は休みとなった。先週に引き続き、4年生のラクシミの歌の編曲作業と練習がパタン市内のプモリ小学校で行なわれた。ラクシミの作った歌は指導して頂いているラマ先生の編曲によって、立派な歌に仕上がりつつある。ラクシミも少しずつ編曲作業に慣れ、自分の意見を出せるようになってきたので、歌の完成が本当に待ち遠しい。

歌の練習もレコーディングに向けて熱心に取り組んでいるので、随分、上達しているようだ。レコーディング本番では、録直す度に費用が掛ってしまうため、しっかり練習を重ね自信を持ってから挑まなければならない。出来れば全曲、一発で完成することが望ましいが、ラクシミだけでなく周りも初めてのことだから気が気ではない。

ラクシミ今日はラクシミの練習に同級生のビナも同行した。ラクシミの活躍は周りの子ども達に良い刺激となっているようで、先日、ビナが突然、自分も歌を歌ってみたいと言い出した。今日はヤッギャ校長の許可を得て、ビナもラクシミの練習を見に来ることになったようだ。それにしても子供たちに何か遣りたい事があれば、決して背中を向けないヤッギャ校長の姿勢には本当に感心させられる。

ネパールの学校制度では初等教育は5年制のため、ビナ達は来年、ヒマラヤ小学校を卒業する予定になっている。卒業後の子ども達の進路については未だ確定こそしていないが、基本的に卒業生は3階校舎に開設予定の職業訓練所で洋裁や木工など様々な技術を学ぶ予定だ。

よく支援者の方から、児童全員を進学させるべきではないか、との切言を頂く事があるが、進学してSLCを卒業することが出来ても仕事に就ける保証が全くない現状を考えると、出来るだけ早いうちから手に職をつけ、自立の訓練をすべきだと考えている。職業訓練を受けた後でも、本人の努力次第では自力での進学だって十分可能だ。もちろん成績が著しく優秀で、学問によって将来の道を開く事が可能な児童に関しては、積極的に進学を応援することも必要だと考えている。

ビナビナは成績優秀で、職業訓練よりも進学の方が適切だと考えている児童の一人だ。開校以来、ずっと一番の成績を収めている実績や、将来はヒマラヤ小学校の先生になりたい”というビナの夢を考えれば、やはり進学が望ましいと考えている。

歌の練習を終えた後、ビナとラクシミを連れプモリ学校の傍にある茶屋へ立ち寄り、暫くの間、紅茶を飲みながら卒業後の進学について話していると、ビナから“進学したくない”という意外な返事が返ってきた。詳しく話を聞いてみると、“友達と一緒にいたいので、ヒマラヤ小学校に上のクラスを作って欲しい。そうでなければ友達と一緒に職業訓練を受けたい、別の学校には進学したくない。ずっとヒマラヤ小学校にいたい。“ということだった。

突然の話で少し驚いたが、どうもヒマラヤ小学校の友達と別れるのが辛いようだ。初めて学校に入学して、これまで4年間、一緒に学び、楽しみや喜び、時には悲しみを共有してきた友達はビナにとってかけがえのない存在なのだから、そう思うのも無理はない。

今日の話だけで全てを決める必要はないので、これから卒業までの1年間、ビナ自身がしっかり進路について考えてくれれば良いと思う。それにしても今日はビナのヒマラヤ小学校への思いが分かり、とても嬉しかった。もしかすると子ども達にとってヒマラヤ小学校は、僕たちが考えている以上に大切な心の居場所になっているのかもしれない。僕たちとして子供たちの気持ちにしっかり応えていかなければならないと、改めて思った。


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2008年02月13日

ケナフ博物館とヤッギャ校長誕生日

2月13日(水)

エベレスト2今日はエベレスト学校の開校25周年記念式典に合わせ、同校内にWWF「世界自然保護基金」の支援によって設置された『自然博物館』の開館式が行なわれた。自然博物館内には「ケナフコーナー」が設けられ、ケナフから作られた紙やバッグ、草木染など様々な製品が展示されることになった。

時間の都合で全ての準備が間に合わず、ケナフコーナーは暫定的な開館となったが、今日は博物館の開館を心待ちにしていた子ども達や地域住民が大勢訪問し、予想以上に大盛況となった。

エベレスト1子ども達の喜ぶ姿を見ていると、やはり暫定的な展示に終わってしまった事がどうしても残念でならない。時間に追われてしまい、一つひとつの活動が中途半端になってしまい自分自身が本当に不甲斐ない。なんとか気持ちをしっかり入れ替えなくては。

夕方からヤッギャ校長と奥さんの誕生会。普段からとても仲の良い夫婦だが、誕生日も一日違いとか。家族に囲まれてとても嬉しそうな夫婦の表情が印象的だった。ヤッギャ校長42歳。これからも学校のため、子ども達のために頑張ってほしい。僕たちも孤軍奮闘するヤッギャ校長をささやかながらもしっかり支えていきたいと思う。


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2008年02月12日

新入生

2月12日(火)

ラジャヒマラヤ小学校の来年度の新入生受け入れが決まった。来年度も例年通り約25名の新入生を受け入れる予定だ。毎年、入学を希望する子供が増え続け、昨年は25名の定員に対し100名を超える子ども達が入学申請に訪れ困難を極めた。すでに児童の中には弟や妹をヒマラヤ小学校に入学させたいと、毎日、幼い兄弟を学校に連れてくる児童も大勢いる。教育への関心が村の中で着実に高まっている現状は嬉しいことだが、毎年、新入生の選考は本当に難しい。

選考には学校としての基準があり、カースト制度で被差別階級に属する子や、母子家庭の子は優先的に入学できるようになっている。その他、保護者の教育に対する理解などを含めた家庭事情が基本的な選考基準だ。過去に1年以上、就学経験がある子は入学が決まった時点で能力試験を受けさせ、能力に応じたクラスへ入学させている。おそらく来年度も15名〜20名が幼稚園クラスに入学し、残りは1〜5年の各クラスへ入学することになると思う。

sanu一人でも多くの子どもに就学機会を与えたいのは僕たちの願いでもあるが、子ども達を取り巻く環境や社会的な立場を考えると、一人一人の児童にしっかり目が行き届く“小さな学校”そして“手作りの学校”であり続けたいと考えている。家庭的な雰囲気を保つ事で、一人一人の抱える問題にもしっかり対応していきたいと思う。

今年4月には最終学年となる5年生が開校する予定だ。今年は基礎作りの集大成として、本当に大事な年となる。それだけに約150名に増える全校児童一人一人を、これまで以上にしっかり支えられるよう教職員が一丸となって頑張らなくてはならない。未来に続く、しっかりとした強い基礎を構築したいと思う。


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2008年02月11日

若い先生たちの熱意

2月11日(月)

研修ヒマラヤ小学校のアヌシャ先生とスニタ先生が9日(土)、幼児教育の研修を受けて来た。2人とも研修では予想以上に大きな学びの収穫があったと、嬉しそうな表情を浮かべながらヤッギャ校長へ報告をしていた。

ヒマラヤ小学校は一部の先生を除き、ほとんどが過去に教壇に立った経験のない新人の先生たちだ。学校として基礎作りの大事な時期だけに経験豊富な教員の存在はとても大事だが、新しい事に積極的に挑戦するには若い人の情熱を積極的に生かしたいと思っている。結果的だが新人教員を雇用する事で経費の抑制にも役立っている。

若い先生たちの熱意や気概を以てすれば、経験の不足はきっとカバーできると思う。今回のように若い先生が“勉強したい”という意気込みをもって、積極的に研修に参加してくれたことは何よりも嬉しいことだ。若い先生達のこうした熱意は必ず子ども達にも伝わり、学校として良い影響が出てくると思う。

先生たちの“やる気”にしっかり応えられるよう、今後も出来る限り研修の機会を用意したいと思う。明日は学校長を対象にした研修が予定されている。



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2008年02月09日

2月9日(土)

デウラリデウラリ村へ往診に出かけた。先週に引き続き、今回が3度目の訪問。今回は将来の医療キャンプ開催に向けた実態調査も兼ねているため、週末を利用して泊りがけでの訪問となった。


デウラリ村は標高約2300メートル、山のほぼ頂にある静かな村。村には約40世帯が暮らし、電気もない原始的で静かな生活が営まれている。この村へ往診に出かけるようになったのは、ちょうど半年ほど前のこと。デウラリ村の隣村からクリニックへ通っていた患者から、デウラリ村に80歳を超えるお年寄りが膝の痛みに苦しんでいるが、(道路もなく、交通手段がないため)、クリニックまで連れて来ることが出来ないので何とかならないか、と相談を受けたことが切欠だった。以前、デウラリ村の傍まで訪ねた事があったので、デウラリ村からクリニックのあるパタン市まで通うことが、どれだけ難しいのかは容易に想像する事が出来た。

その後、お年寄りの治療のため実際に村を訪ねてみると、荒涼とした風景の中にある素朴な人々の暮らしに何とも言えない感動を覚え、すっかり村の虜になってしまった。特にカトマンズ盆地にありながら、雑音の全くない静かな世界は、普段、カトマンズの喧騒の中で生活している身には何とも新鮮で、今ではこの村を訪ねる事が僕の楽しみの一つにもなっている。

ディーゼルの不足で、途中の集落まで行く乗り合いのダンプカーが運行を休止していたため、結局、家から全行程を歩いて行くことになった。のどかな菜の花畑を横目にしながら歩くあぜ道はなかなか心地良かった。まだ厳しい寒さは残るものの、着実に春が近づいていることを実感する。

道中デウラリ村までは途中の集落まで砂利道ながらも一応道路があり、通常、朝夕の2回、小型ダンプカーを使った乗合バス?が運行されている。集落の人々はこのダンプカーを使い、朝、搾った牛乳をパタンやカトマンズで売っているそうだ。東屋で一緒になったお年寄りは、道路が出来た事で暮らしがずいぶん便利になったと喜んでいた。

時々、僕を含めた外国人は、ネパールの農村が開発されていく姿を身勝手に嘆いてしまう事がある。道路が出来、電気が通れば村の暮らしは一変する。村人の生活が楽になる一方で、素朴な営みや文化といった貴重なものが失われていく姿を目の当たりにするのは、本当に胸が痛くなる現実だ。

堆肥道路が通っている場所と、通ってない場所では生活に大きな差が出ている現状を考えると、村人が道路に夢や希望を抱く気持ちは良くわかる。個人的には村が無秩序に開発されていく姿は慨嘆にたえない気持ちもあるが、やはりこれも社会の流れと思って受け入れるしかないのだと思う。これからデウラリ村もきっと大きく変わっていくのだろう。僕として変わりゆく村の景色をしっかり見つめていきたいと思う。


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2008年02月05日

がんばれネパール人

2月5日(火)

ラクシミ編曲昨年11月に東京「めぐりギャラリー」で開催されたヒマラヤ小学校絵画展で、4年生のラクシミ・ナピットの詩集を「ラクシミ募金」として販売していただいた。今回、その売り上げを元にラクシミのオリジナル曲を録音する事が決まった。今日は録音を前に音楽家による(ラクシミの)オリジナル曲の編曲作業が行なわれた。
今回、録音を予定しているのは、「勉強したかったけど」「ねがい」「がんばれネパール人」「わたし達の村」「勉強させて欲しい」のオリジナル全5曲。「勉強したかったけど」は、2007年8月の歌唱コンテストで優勝した思い出深い歌。「ねがい」は、ヒマラヤ小学校の紹介ビデオにも録音したので、耳にされた方も多いと思う。その他の新曲3曲も、なかなか良い出来だ。どの曲も14歳のラクシミが精いっぱい作った初々しさが感じられる。まだまだ未完成の部分もあるが、これから多くの人や芸術とのふれあいを重ねる中で、ラクシミの歌はきっと磨かれていくのだと思う。

ねがい熱唱今回、ラクシミの歌を録音するにあたり、他の子供たちや保護者から“特別扱い”と受け取られないか一抹の不安もあったが、子ども達からは、“いつ完成するのか”、“はやく聴きたい”など、録音の完成を心待ちにしている声が聞こえてくる。中には筆箱に輪ゴムを巻いて作った「特製ギター」で、『ねがい』を毎日のように熱唱する児童もいる。みんな、同じ学校の友達、お姉さんの活躍を心から喜んでいることが、僕たちにとって何よりも嬉しいことだ。


姉妹『がんばれネパール人』
作詞・作曲 ラクシミ・ナピット





がんばれネパール人 この国に平和を築こう
兄妹みんなで美しい国を築こう

どんなに苦しくても どんなに悲しくても 前を向いて歩こう
たとえ険しい道でも歩き続けよう 夢の叶う場所へ

がんばれネパール人 この国に平和を築こう
兄妹みんなで美しい国を築こう

沈んだ太陽もまた昇るだろう
枯れた花もまた咲くだろう
折れた枝も、また芽を出すだろう
香りを失くしたくちなしの花も、また香るだろう

がんばれネパール人 この国に平和を築こう
兄妹みんなで美しい国を築こう




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2008年02月04日

夢中になれること

2月4日(月)

勉強3学期が始まってから、校内は何となく試験前の緊張感のようなものが漂っている。3学期の期末試験は進級に関わる大事な試験だから無理もない。特に1、2学期の試験で思うような結果を残せなかった子は気が抜けない毎日だと思う。

今年度入学した子供たちも初めての進級試験に向けて頑張っている。新入生に限らず、鼻水を垂らしながら一生懸命勉強している子ども達を見ると、ぜひ、全員合格して楽しい新学期を迎えて欲しいと思う。

僕自身は子供の頃から勉強が大嫌いで、テスト前も遊んでばかりいたので、毎年、進級試験を受けなければならないネパールの子ども達が可愛そうに思えてならない。個人的には子ども達が勉強している姿より、楽しそうに遊んでいる姿の方が好きだ。


ヘディング先日、3年生の二ロージュが、放課後の校庭で一人、サッカーの練習をしていた。来月、村の友達とサッカーの試合をするそうで、二ロージュはヘディングの練習に余念がない。サッカーボールの代わりに大きなバスケットボールを使って練習をしていたので、痛くないのか訊いて見ると、“バスケットボールの方が良く跳ねるので調子が良い“との答えが返ってきた。

汗でびっしょりになりながら、夢中になってボールを追いかけるに二ロージュの姿を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。勉強はもちろん大切だが、ヒマラヤ小学校に入学したことで、夢中になれる事を見つけてくれた事が一番嬉しい。
ジャンプ




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2008年02月03日

ネパール特集

2月3日(日)

ネパールでのケナフ活動について、NPO法人日本ケナフ開発機構のニュースレターで、“ネパール特集”として纏める事が決まり、執筆を担当することになった。全体的な内容の組み立て作業から校正に至るまでの難役を、果たしてこなすことが出来るのか不安でいっぱいだったが、大勢の方の協力によって何とか纏めることが出来た。

実はネパール特集のお話を頂いたのは昨年前半の事で、結局、脱稿するまでに1年以上も掛かってしまった。自分自身の能力不足に加え、執筆と同時に活動もどんどん進行していくため、とても自分の手には負えなくなってしまい、作業が大幅に遅れてしまった。途中、何度か諦めようと考えた事もあったが、それでも関係者の皆さんに励ましていただいたり、辛抱強く待って頂いたことで、何とかネパール特集を完成させる事が出来た。今は感謝の気持ちでいっぱいだ。

脱稿直前の1月下旬は、ほぼ毎日、徹夜での執筆作業となった。苦しい毎日だったが、達成感というよりも、今は何とか完成させることが出来、ホッとしているところだ。性格上、校正面に大きな不安は残るが、全体的に写真を多く使ったので、現地の盛り上がりが伝わりやすいのではないかと思う。今年の春頃には完成する予定なので機会があれば、ぜひご覧いただきたいと思う。



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2008年02月01日

クマール

2月1日(金)

クマール入賞今日は私立学校教育向上協力会(UPSBEN)主催の「弁論大会」が開かれ、ヒマラヤ小学校から参加した4年生のクマールが見事、3位入賞を果たした「母なる大地」という題について、堂々と自分の意見を発表したクマールの姿は本当に立派なものだった。僕個人の評価では1位になっても決しておかしくない、しっかりした内容だったと思う。実際、審査委員の採点でも1位〜3位まで、僅か1点の差しかなかったようだ。まずはクマールの健闘を称えたい。


クマール1クマールはヒマラヤ小学校一、お調子者で目立ちたがり屋の児童だ。お調子が過ぎて先生に叱られたり、授業中、女子に悪戯をして泣かせ、怒った女子達から頭を叩かれる事など日常茶飯事だ。それでも毎日、懲りずに何かを仕出かすあたり、本当に憎めない性格だ。


成績も優秀で正にヒマラヤ小学校のリーダー的存在のクマール。これからクマールがどのように成長するのか本当に楽しみだ。目立ちたがりやの性格を上手く活かせば、どんどん化ける可能性もあるはずだ。

クマール2今日の弁論大会では3位という順位に納得がいかなかったのか、1位、2位の発表のとき、クマールはとても悔しそうな表情をしていた。“次こそ1番になってやる”僕にはクマールがそう囁いているように見えた。


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