2008年01月

2008年01月31日

家庭訪問

1月31日(木)

教育支援活動を始めて以来、奨学生の『家庭訪問』は最も大事にしている活動の一つだ。支援に関わる以上、家庭の事情をしっかり理解しておくことが大事であり、何よりも奨学生や保護者との信頼関係なくして活動は有り得ないと考えているからだ。また、ともすれば観念的になりがちな活動だからこそ、現実に触れる事は支援活動の在り方を考える上でも大事な事だ。

先日、村での往診の帰りに、ある奨学生の家を訪ねた。電気も通っていない3畳程度の小さな部屋に、親子5人が肩を寄せ合いながら暮らしている。僕が訪問した時には、今にも折れそうな見窄らしい蝋燭の小さな灯りを囲むようにして、3人の子ども達が一生懸命勉強をしていた。病気で寝込んでいる母親も体を起き上がらせ、子供達が教育を受けられることへの感謝の気持ちを伝えてきた。母親の一言一句からは、子ども達の教育に大きな夢を託している様子がひしひしと伝わってきた。

暫くの間、保護者や子ども達と話をしていると、家主がやって来て厳しく家賃の催促をしてきた。日本円で僅か1000円程度の家賃が払えず、既に数ヶ月も滞納しているという。家を持たない貧困家庭ではよくある話だが、小さな子ども達の前で家主に向かってひたすら謝る両親の姿を見ると、痛々しくて言葉に詰ってしまった。

自分のポケットから僅かなお金を置いて家を後にしたが、こういう現状に対して、一体、自分は何をすべきなのか、僕には未だ良く分からない。今現在の僕に出来る事が、結局、これくらいの事しかないと思うと、深い溜息が出てきた。


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2008年01月30日

寺子屋3周年

1月30日(水)

寺子屋1開校から3周年を迎えた「隻手薬師寺子屋」で、ささやかな開校祝いを行なった。早いもので隻手薬師寺子屋が開校してから3年の月日が流れた。既に100名を超える子ども達が寺子屋で読み書きを覚え、それぞれの道へと巣立っていった。『読み書き』という、生きていく上で大切な知識を身につけた喜びは、何とも筆舌には尽せないものがあるだろう。寺子屋の開校によって学校に行けない貧しい子供たちにも、学びの機会を提供できた事は本当に意義があると思う。

寺子屋2寺子屋で基本的な知識を学んだ後、ヒマラヤ小学校に入学した子、他の学校で就学の夢を実現した子、その他、農作業に汗を流している子もいるが、みんな、それぞれの道で頑張っている事は本当に嬉しいことだ。時々、農作業の休憩時間だろうか、畑で本を広げて勉強している(寺子屋の)卒業生の姿を見かける事もある。


寺子屋今日は卒業生達も大勢集まり、在校生と一緒になって3周年を祝った。残念ながら停電のため子ども達の大好きなダンスは出来なかったが、みんなで美味しいオヤツを食べながら大きな声で歌を歌い、本当に楽しい時間を過ごす事が出来た。これからも隻手薬師寺子屋が貧しい子ども達の学びの場、そして心の居場所として発展する事を願っている。



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2008年01月22日

若さの利点

1月22日(火)

ネパールの政情不安の関係で、ボランティアによる交流活動を中止して暫く経つが、今でも頻繁に活動への問い合わせを受ける。飽食の時代に育ち、目的や生きがいを失くしてしまったと言われている若い人たちが、“自分達も何かしたい”と、声を上げてくれる事は本当に嬉しく、そうした声に僕自身も勇気付けられている。

若い人達からは活動に関してだけでなく、“どういう使命を持ってネパールへ渡ったのか? 生活はどうしているのか? どうすれば外国で活動できるのか?長年、活動を続けるコツは何か?等、個人的な質問を受けることも多い若い人達が“何かしたい”と思う中で、同時にいろんな不安を抱えている事が質問の中から垣間見えてくる。

僕自身、大きな使命感や志を持ってネパールへ渡ったわけでもなく、活動を続けるためのコツなど考えた事もない。僕の本業は鍼灸師だが、これまでも患者を治そうと思う取り組みが、哀れな現実として壁にぶつかったり、それではと始めた、一人でも多くの患者を治療する取り組みも、今、壁にぶつかっている。学校や教育支援も同じで、いつも壁にぶつかっては紆余曲折を繰り返している現状だ。それでも何とか続けて来られたのは、良い仲間に恵まれ、幸運にも全力で頑張りたいと思える環境や居場所を得られたからだと思う。もちろん活動を理解して下さる支援者の協力がなければ、決して続けることは出来なかった。

これまでネパールでの活動が“楽しくて仕方ない”と思えたことは一度もないが、小さな達成感や充実感を得ることが、結果として次の目標を作ったり、頑張ろうと思う原動力になっているのだと思う。

10年近くも活動を続けながら、若い人達に適切なアドバイスを出すことが出来ないのは僕の反省点だが、若い人達には深く考えすぎず、若い情熱を精一杯、さまざまな分野でぶつけてほしいと思う。失敗してもやり直せることが、何と言っても若さの利点なのだから。



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2008年01月19日

思案所

1月19日(土)

サシナブンガマティ村での治療を終えた後、往診のためドゥクチャップ村へ向かっていると、偶然、3年生のサシナと会った。牛の世話をしながら飼い葉を集めに来たのだという。毎日、2頭の牛の世話をすることがサシナの日課のようだ。

サシナは知的障害を持った児童だ。こちらの話を理解することも出来、授業中も教わった内容をクラスの中で一番早く理解できるのだが、いざ、それをノートに書こうとすると全く書くことが出来ない。時々、意味不明の言動もあるが、感情がとても豊かで心優しい性格の持ち主だ。学校が大好きで、毎日、楽しそうに登校してくるサシナを見ると、こちらも嬉しくなってくる。

サシナの保護者は一向に障害が良くならない事に苛立ってか、以前はサシナに対してずいぶん酷い仕打ちをしていた。よく“蹴っ飛ばされた”とか“靴で叩かれた“と、学校に来ては泣いていたサシナだが、ヤッギャ校長や先生達が何度も家に足を運び保護者と話を続けた事で、最近ではそうした問題も起こっていないようだ。母親もサシナの様子を見に学校へ来るようになったので、少しずつだが保護者のサシナや障害に対する理解が深まってきたのかもしれない。

今年は最終学年となる5学年を開校し、来年には初めての卒業生を送り出すという僕達の思案所でもあるためか、最近、子ども達一人ひとりの将来について考える事が多い。3階校舎が完成した後の卒業生への職業訓練には全力を挙げるつもりだが、やはり一人ひとりの持つ能力や個性をしっかり理解しなければ、本末を誤る結果となってしまう。

サシナと別れた後、暫くして後ろを振り返ると、サシナが遠くから一生懸命、手を振っていた。サシナの人一倍豊かな感情と優しさを、一体どのような方向へ導けば良いのだろうか。暫くは思案に暮れる日々が続きそうだ。



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2008年01月18日

報告会

1月18日(金)

鉄筋16日に一旦、始業したヒマラヤ小学校は、3階工事の関係で10日間の臨時休校となった始業を心待ちにしていた子ども達には残念な結果となったが、子ども達の安全を考えれば賢明な判断だといえる。丁度、3階校舎では配筋工事が行なわれている最中で、鉄筋を屋上へ吊り上げる作業が行なわれているため、鉄筋を吊り上げるロープが切れてしまう事や、好奇心旺盛な子ども達が工事現場に近づいて、思わぬ事故を起こしてしまう事も考えられる。子ども達の安全が何より第一だ。

ネパールは現在、一日6時間の計画停電が行なわれている。コンクリートの打設作業はバイブレーターの使用で電気を使う必要があるため、昼間に停電のない来週の月曜日に実施する事が決まった。今後、停電時間は一日11時間まで延長される予定なので出来るだけ早くコンクリートの打設置作業を終わらせる必要がある。ネパールの工事にこうした諸問題はつき物だが、そうした現状に慣れ、何事にも臨機応変に対応できるネパールの人たちの特殊能力なら大丈夫だと思う。

報告会先日、ヤッギャ校長が子ども達に、東京「めぐりギャラリー」で開催された絵画展や募金活動について報告を行なったヤッギャ校長が上手に話を纏めてくれたお蔭で、支援者の皆さんの気持ちをしっかり子ども達に伝える事が出来たと思う。

報告会を通して支援者の気持ちをしっかり伝え、子ども達の頑張る力に繋げたいとの考えから、この1ヶ月余り、ヤッギャ校長や他の先生達と一緒に何度も話し合ってきた。今回は子ども達の描いた絵の絵画展という事で、子ども達は身近に感じる事が出来、理解もしやすい事から、支援者の皆さんの気持ちを伝える大きなチャンスでもあった。

支援者の気持ちを子ども達へ伝えることはとても大事なことだが、それが観念的であったり、押し付けになってはいけない。その辺りが報告活動の難しい点だ。しっかり伝われば子ども達の大きな励みとなるが、押し付けになってしまえば、かえって悪い影響を与える可能性もある。その辺をしっかり踏まえながら、今後も継続的に報告会を開催していく事が大事だと思う。


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2008年01月17日

問題

1月17日(木)

問題ヒマラヤ小学校で雑用を片付けていると、ある児童の母親が学校へ訪ねてきた。母親はずいぶんと屈託した表情を浮かべていたので、何か起きたに違いないと思い、ヤッギャ校長を呼んで母親の話を聞いてみることにした。

母親によると、どうも1ヶ月ほど前から夫が蒸発してしまい生活に窮乏しているという。夫を探しに故郷も訪ねて見たが、未だに連絡がつかない状態だという。2人の幼い娘を抱え、これからどうやって生活して行けばいいのか母親は途方を失っているようだ。

ネパールの農村では生活に窮すると、男性が家族を捨てて蒸発するケースが今も多い。女性が教育を受ける機会が非常に少ないネパールの現状では、女性だけでは子どもを育てる事が難しい。女性(母親)が文盲ならば尚更だ。女性は農作業や建設現場の日雇い労働で働いても、多くの場合、賃金は男性の半分しか得ることが出来ず、また、一度、嫁いだ女性が郷に戻る事も伝統的な習慣によって難しい場合が多い。これまで僕自身も母子家庭の女子への支援活動に携わって来たので、母子家庭の抱える窮状は何度も見聞きしてきた。それだけに児童の母親の苦しみは痛いほど良く分かる。

母親は暗澹たる思いを、必死になってヤッギャ校長へ打ち明けていたが、何も分からない幼い2人の娘が母親の傍で無邪気に遊んでいる姿を見ると胸が痛かった。結局、「児童福祉基金」を使っての支援について関係者と話し合うことや、母親の職場探しの支援をする事を約束することで、母親は少し落ち着いた様子だったが、今後も母親が自棄を起こさないよう、注意深く見守っていかなくてはいけない。2人の子供を抱え本当に大変だと思うが、何とか母親には頑張って欲しい。僕達も出来る限りにサポートをしたいと思う。

ヒマラヤ小学校通信1月のニュースを更新しました



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2008年01月15日

マーガサングランティ

1月15日(火)

今日はビクラム暦の第10月にあたるマーグ月の初日。『マーガサン・グランティ』と呼ばれるお祭りが行なわれる日だ。『マーガサン・グランティ』は、寒さが明けて春に入る日で、ちょうど日本の『立春』にあたる。ネパール各地で冬の終わりを祝う行事が行なわれる。

カトマンズ盆地に暮らすネワール族は主に、ギイ(バター油)、チャク(ゴマと黒蜜で作った飴玉)そしてタルール(山芋)を食べる。また体に油を塗って日光浴をするなどして、冬が明けた事を祝う。前月の第9月にあたるポウシ月は不運を招く月として、宗教行事や結婚、引越しなどが控えられるので、ポウシ月が明けたという喜びも『マーガサングランティ』にはあるようだ。マーグ月に結婚式が多いのもこのためだ。

サーノガウでの往診を終えた後、夕方から「里親教育基金」で就学支援をしているジェニシャとジーナ姉妹の家を訪ねた。姉のジェニシャは今年の4月に12学年を無事卒業することが出来(里親教育支援も無事終了)、現在、就職活動中だ。長年の夢であった小学校教師になるため、毎日、学校関係者を訪ねている。妹のジーナは10年生になり、今年3月には全国統一卒業認定試験SLCを受ける予定だ。

ジェニシャとジーナ姉妹の活動が、後に寺子屋を開校する切欠となった事は、このブログでも既に何度かご紹介していると思う。

6年前、当時、未だ14歳と12歳だったジェニシャとジーナの姉妹が、“私たちも何かしたい”と、近所の学校へ通っていない子ども達のために識字教室を始めてくれた。僕達がジェニシャとジーナへの支援を始めてから丁度、3年目の頃だった。2人の姉妹の行動を知ったときは、感動で胸が押しつぶされそうになった。10年近くネパールで活動を続けてきた中で、一番嬉しかった出来事の一つだと言える。あれから6年、姉妹の“識字教室”は今も続いている。

ギウチャクジェニシャやジーナ姉妹に限らず、支援している子ども達は何時も積極的に僕達の活動を手伝ってくれる。ささやかながらも続けてきた活動だが、支援者の方をはじめ、僕たちの気持ちが奨学生たちにしっかり伝わったことは本当に嬉しいことだ。たとえささやかでも、一人ひとりの子ども達としっかり人間関係を築くことこそ、僕達に出来る支援の形だと思う。支援をお金と物だけの関係には絶対したくない。これは僕達の信念だ。

今日は姉妹の母親が作ってくれたチャクを食べながら、ジェニシャ、ジーナ姉妹との雑談に花が咲いた。たわいない話の中にも姉妹が貧しさに負けず、しっかり目標に向かって歩んでいる姿が伝わって来て本当に嬉しかった。姉妹との楽しい会話と美味しいチャクにすっかり体が温まり、とても良い『マーガサン・グランティ』となった。



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2008年01月12日

3階校舎建設

1月12日(土)

朝、3階校舎の建設作業を撮影するためヒマラヤ小学校を訪ねた工事も順調に進み今日でスラブの型枠工事がほぼ終わった。後は梁とスラブへの配筋作業が終われば来週中にはコンクリートの打設作業が行なわれる予定だ。

ネパールで家を建てる時、壁の工事を先に進めるのが通例だが、今回は煉瓦価格の高騰によって壁の工事は後回しとなり、先にスラブと梁を作る事になったようだ。1月1日に工事の様子を見たときには不思議に思ったが、後で事情を聞いて納得した。

工事現場を覗いて見ると感心させられるが多い。スラブを支えている支保工など、日本で見かけるようなパイプではなく、寄せ集めの木で簡易的に作ったものが使われている。これで間に合うのだから、つくづく感心してしまう。記録撮影のために屋上に登った時など、崩れはしないかと恐ろしくてまともに歩けたものではないが、そこを工夫達が平気な顔をして歩き、立ち竦んでいる僕を見て笑う。なんだか自分の腑抜けぶりが恥ずかしく思えてくる。

ヒマラヤ小学校の開校時、予算不足の関係で1階校舎のみでのスタートとなったが、1階の屋上には鉄筋を伸ばした柱を作り、2階の校舎の増築に備えていた。その後、開校から1年が過ぎた頃、ご支援を頂き、2階の増築工事が始まったのだが、1年余り露出した鉄筋は風雨に晒され、どうしても一部が錆びてしまった。

通常、鉄筋は錆びると強度がなくなってしまうのに、ネパールではヒマラヤ小学校も含め、錆びた鉄筋をそのまま継ぎ手として使っている。ネパールだって地震のある国なので、時々、不安にもなるが、誰に訊いても“大丈夫、地震は来ないよ”の一言で終わってしまう。これだけ呑気でいられるのは、やはり何事も慌てない国民性なのだろう。日本人が神経質過ぎるのか、それともネパール人が粗雑過ぎるのか、僕には未だに良く分からない。

3階校舎が完成すれば、いよいよ学校基礎作りの最終段階に入る。これまで以上に大事な時期なので気を緩める事無く、全員一丸となってしっかりとした基礎を作っていきたい。



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2008年01月10日

アプスベン

1月10日(木)

ラリットプール市内の小規模私立学校で組織されたネットワーク『私立学校教育向上協力会』、通称UPSBEN(アプスベン)の理事会が開かれ、今後の活動について協議が行なわれた。

UPSBENの活動はHP上でも紹介しているように、昨年は歌唱コンテストやダンスコンテストなど様々なイベントが行なわれ、大いに盛り上がったヒマラヤ小学校も開校以来、初めて“入賞”という貴重な経験をすることが出来、学校としての士気が上がるなど、UPSBENに加盟した効果は計り知れないものがある。

それまで負けの常連校だったヒマラヤ小学校。それでも諦めずに挑戦を続けた子ども達。努力が実ったあの日の喜びは、決して忘れることは出来ないだろう。“失敗しても強くなる”、そんな子ども達の逞しさを発見できたことが、UPSBENに加盟した一番の収穫だったのかもしれない。

今年、UPSBENではコンテストの他、教師の交換プログラムや科目毎の勉強会なども開催する予定だ。特にヒマラヤ小学校のように若い先生が中心の学校では、こうしたプログラムは非常にありがたい。異なる教育現場を見ることは、若い先生達にとって大きな勉強の機会になると思う。少し遠くから学校を見ることで、ヒマラヤ小学校の良長、短所も見えてくるではないだろうか。今年もUPSBENの活動に期待したい。


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2008年01月09日

今の心境を、今の歌声で

1月9日(水)

ラクシミ昨年11月に東京・上野の『めぐりギャラリー』で開催された『ヒマラヤ小学校絵画展では、4年生のラクシミ・ナピットの詩集をラクシミ募金』としてチャリティー販売して頂いた集められた浄財は全額を4年生のラクシミの(音楽教育等の)ために使う事が決まっているが、その細かい使途についてどのようにすべきか、先日からヤッギャ校長らと話し合いを続けている。

子供たちに絵を指導したモンゴル先生の長男ビベックと同じように、ラクシミにも音楽の基礎教育を学ばせ、学んだ知識を他の児童に指導するという案がある一方で、ヤッギャ校長はじめ多くの先生からは、ラクシミが作った歌を録音してみてはどうか、との提案が出された。

ラクシミに音楽教育を学ばせて他の子ども達に教えるという方法は、大きな意義あり、それが最善の方法である事は間違いないが、年齢こそ14歳でも、未だ3年半しか学校教育を受けていないラクシミの現状を考えると、他の子ども達に教えるという事は少し無理があるのかもしれない。

先生たちと相談した結果、昨年8月に開催された歌唱コンテストの前に、ラクシミの歌に楽曲をつけて頂いたり、音楽指導をして頂いたミュージシャンのビナヤ・ラマ氏(プモリ小学校理事長に相談して、意見を聞いてみる事にした。

ラマ氏に事情を説明すると、“ラクシミの歌を録音すべきだ”との意見が即答が返ってきた。ラクシミのいま現在の歌声を残す事にとても意味があり、特にラクシミの作る歌は、いま現在の心境を歌ったものだから、チャンスがあるなら今のラクシミの歌声で録音して残すべきだ、との意見だった。また、音楽教育を受ける事は後からでも十分間に合うが、声は年齢とともに変化してしまうので、出来るだけ早い方が良いとの切言も頂いた。その上で、ラクシミの作った全ての歌に楽曲をつけてくれる事や、十分な機材を揃えたスタジオで安く録音できるよう交渉する事を約束してくれた。

新曲“ラクシミの今の心境を、今の歌声で残す”とても夢のある素晴らしいことではないだろうか。ラマ氏の意見を聞いたことで僕たちの気持ちはほぼ固まった。後は始業式の日(1月16日)にラクシミの気持ちをしっかり確かめた上で、全総力を挙げて録音に向けた準備を進めたいと思う。


『3階校舎建設の記録』を更新しています。



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2008年01月07日

社会の変化

1月7日(月)

最近、日本のニュース番組の中でネパールの政情についての報道が何件かあったせいか、政情に関する問い合わせや心配のメイルを頂く事が多い。HPの『お知らせ』でも記載している通り、政情や治安状況に関する質問、また個々の奨学生の安否に関する問い合わせには、原則としてお答しない事になっている。僕たちとして治安や政情に関する正確な情報を提供する事は不可能であり、また万が一、奨学生等に何か起きた場合は現地で責任をもって対応策を講じた上で、支援者へ報告する事にしている。もちろん関係機関の協力を得て、僕たちとして十分な安全対策等を構築しているので、支援者の皆さんにはご休心いただきたい。

今、ネパールは歴史の中にすっぽり包まれ、社会が大きく変化している。誰も経験した事のない激動の社会の中で、人々は不安を抱えながら生活しているのが分かる。今後も多くの人を巻き込みながら、社会は留まる事無く変化していくだろう。その間、目や耳を覆いたくなるような出来事も起こるかもしれないが、一つひとつの出来事に慌てふためいたり、騒いだりする事無く、冷静に社会の変化、人の動きを観察することで、自分自身の大きな訓練にしたいと思っている。


ネパールでは今年4月頃に制憲議会選挙が予定されています。選挙前また選挙後には様々な政変や治安問題等が起こることが予想されますが、今後も政情や治安状況、また奨学生の安否に関するお問い合わせには一切お答えできませんので、予めご了承ください。ヒマラヤ青少年育英会として十分な安全対策を講じておりますので、どうかご休心ください。皆様のご理解を宜しくお願い申し上げます。

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2008年01月06日

お楽しみ会

1月6日(日)

灯火雑用を終え、大急ぎでコカナ村の寺子屋を訪ねた。今日は12/20のブログ記事にも書いた“お楽しみ会”の開催日。朝から雑用に追われてしまい、すっかり到着が遅れてしまった。丁度、コカナ村に到着した時には停電の最中で村中が真っ暗だったが、寺子屋の子供たちは蝋燭の小さな灯りの下で健気に勉強に励んでいた。覚えたばかりの数字を読み上げ自慢してくる子、弟や妹の名前が書けたと、ノートを嬉しそうに見せてくる子。小さな寺子屋は今日も子供たちの喜びと夢、そして熱気で溢れていた。子供たちの学びの熱意にはいつも胸が潰されそうな感動を覚える。

お楽しみ会僕の遅刻のせいで、すっかり遅れて始まった“お楽しみ会”だったが、停電にも関わらず大いに盛り上がった。停電で動かないラジカセの代わりに、子供たちがみんなで歌を歌ってダンスを盛り上げたり、暗闇の中での人当てクイズなど、現状に合わせた臨機応変なプログラムで、子供たちの顔から笑顔が絶える事はなかった。その後はみんなで仲良く温かい食事を食べ、お楽しみ会は幕を閉じた。今日は時間の都合でケーキを用意できなかったので、次回はぜひ大きなケーキを用意して子供たちを驚かせてみたい。


お世話寺子屋でもヒマラヤ小学校と同じように少し年齢の高い子供たちが、率先して活動を手伝ってくれたり、小さい子供たちの面倒を見てくれる。

ヒマラヤ小学校3階校舎建設の記録』を更新しています



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2008年01月05日

二ロージュ

1月5日(土)

二ロージュ1ヒマラヤ小学校の児童の中には、勉強よりも体を動かすことの方が得意、という児童が複数いる。こちらが一々言わなくても自ら率先して学校の手伝いをしてくれる、とっても頼りになる連中だ。校庭で何かの準備をしようとしていると、教室の窓から身を乗り出して、“出番ですか?”と言って来たり、重たい荷物を手にして学校の階段を上っていると、教室を飛び出して手伝ってくれる事もよくある。そんな頼り者の中の一人が、3年生の二ロージュ(13)だ。

二ロージュは口唇口蓋列を患っているため発声に障害がある。口唇口蓋裂は幼少期に手術を受ける必要があるそうで、既に13歳のニロージュは手術による治療を受ける事が難しいようだ。ただ入学当初に比べ、ニロージュの発声は明らかに改善しているように感じる。ニロージュは真面目で心優しい性格なので友達も多い。学校に入学した事で話しをする機会が増えたことや、友達とみんなで大きな声を出して遊ぶ事がニロージュにとって良かったのかもしれない。

今日は昼からチャンピ村へ往診治療に出かけた。途中、バイクの調子が悪くなったので、知人の家にバイクを止め、村に通じる森の中を通って近道をしていると、森の木陰から僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。恐る恐る近づいてみると、其処には斧を持ち、顔を汗でびっしょり濡らした二ロージュが立っていた。話を聞いてみると、体調不良で寝込んでいる父親の代わりに薪割りに来たのだという。こんなに遠くまで薪を割りに来るのかと驚きつつ、暫くの間、ニロージュの仕事を見ることにした。

二ロージニロージュは斧を振る手つきも良く、慣れた様子で次々に薪を割っていった。体を動かす事が大好きなニロージュらしく、上手く薪が割れた時など実に生き生きとした表情をしていた。休憩中に彼の掌を見て見ると何個もタコの潰れた跡があり、正に仕事をしている人間の逞しい掌だった。僕も一寸だけ薪割りを遣らせて貰ったが、4、5回、斧を振っただけで、すっかりへたってしまった。

途中、ニロージュは寒がっている僕のために火を起こし、一生懸命割った薪までくべてくれた。その上、近くの木によじ登り木の実を採ってご馳走してくれた。ニロージュは本当に心優しく、逞しい男の子だ。ニロージュ達と接していると、学校の教育以外にも大切な事が沢山ある事を教えられる。

ヒマラヤ小学校では開校以来、卒業生の自立を目標に様々な活動を行ってきた。現在、建設中の3階校舎には卒業生を対象にした職業訓練所の開設も予定している。未だ詳細を纏めている段階だが、将来、ニロージュのような子供たちが学校で学んだ基礎知識を生かし手に職を持つ事が出来れば、彼らの経済的な自立は決して夢ではないと思う。その事が結果的には学校の継続にも繋がると僕たちは信じている。焚き火を囲みながらニロージュと話したひと時、子供たちの自立への想いを新たにした。



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2008年01月03日

尼寺で脳血管疾患の治療

1月3日(木)

治療2朝、がん協会のラヲット会長に連れられ、パタン市内の寺院で僧侶の治療をした後、ブンガマティ村にある尼寺で『脳血管疾患CVD』の患者を対象にした治療を行なった。治療活動の効率化と共に、同一の疾患を持つ患者が集まる事で互いに励ましあったり、情報交換できる場が作れたらとの考えから始めた、同一疾患の患者を集めた治療も今回で4回目の開催となった。毎回、僕にとって大きな勉強の機会となっているが、昨今、自分なりの治療法を見つける事に少々悩んでいることもあり、治療事態は少し不完全燃焼気味だ。こうした施術者の心の迷いが治療効果に顕著に現れるから、鍼灸治療は本当に不思議だと思う。

今日はネパールを訪問中の日本人鍼灸師の方にも治療にご参加いただいたが、呼吸法や運動などを取り入れた治療法は、僕にとってとても新鮮だった。やはり他の鍼灸師の方の治療に間近で触れることは良い刺激となる。これまで“1人でも多くの患者を治療したい”という気持ちばかりが先立ってしまい、一人ひとりの症状を良く見るという東洋医学の長所であり、治療の基本の部分が疎かになっていた点を、僕は猛省しなければいけない。

治療1結局、今日は8名の患者全員を通常の約2倍の時間を掛け、じっくり治療していただいた。患者の顔にも何時もより満足感が漂っていた。夕方からはコカナ村で往診治療。先日、痛みが再発したクリシュナさんの状態が少し改善していた。まだまだ寒い日が続くので、気を抜かないようしっかり治療を続けたい。


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2008年01月02日

新年会

1月2日(水)

朝、ジョルクー地区で治療。先日、手袋を紛失してしまったためバイクでの移動が辛い。早朝の冷風に晒され村に着いた頃には手の感覚が殆どなくなっていた。人の体に触れる仕事なので常に手を温ためる事を心掛けているが、このような状況では治療にも影響が出てしまう。早いうちに登山用品店へ厚手の手袋を買いに行こうと思う。

昼からは遅れているケナフニュースレターの取材に奔走した。活動も3年半が過ぎ、関わっている人の数も増えている。約束をすっぽかされる事など日常茶事のネパールだが、今日も予定通り?約束をすっぽかされ、大事なな写真撮影とインタビューが実現できなかった。“何事も慌てない”これこそネパールなのだから、へこたれずに頑張るしかない。

夕方からはタメル地区で新年会に出席、気の合う“日ネ混合の変り種”の人たちと、楽しい夕べの一時を過ごした。



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2008年01月01日

新年を祝う。

1月1日(火)

ケーキ今日は冬休み中の特別登校日。集まった子ども達と大きなケーキを食べて、新年を祝ったネパールでは通常、ビクラム暦と呼ばれる太陰・太陽暦が使われているため、西暦の新年を祝う習慣は殆どない。ただ今年は、グルン族やタマン族の新年行事『ロサール』(今年からロサールも国民の休日となった。)が西暦の12月31日だったこともあり、お祝いをするのに良いタイミングだったのかもしれない。ともあれ、子ども達は美味しいケーキに大満足の様子。ケーキを食べた後はドッヂボールで盛り上がり、楽しい新年となった。また来年もケーキを用意してみんなで新年を祝いたいと思う。

午後からはヒマラヤ小学校開校時からの恒例行事でもある、渡辺先生による歯科治療が行なわれた毎回、設備の充実が図られ、今では市内の歯科医院に優るとも劣らない治療環境が整っている。職員室があっという間に治療室へと変化するのだから、何時もながら本当に感心してしまう。正に渡辺先生の知恵と努力の結晶だ。

歯科渡辺先生の治療も今回で8回目。子ども達の中には渡辺先生に憧れを抱き、“将来、渡辺先生のような歯医者さんになりたい”と、夢を膨らませている子が大勢いる。身近に目標となる人がいることは、本当に素晴らしいことだ。今年もいろんな人との交流によって、ぜひ子ども達の夢を大きく広げて行きたい。

ヒマラヤ小学校3階校舎の建設が始まりました





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新年、おめでとうございます。

1月1日(火)

トリ謹んで新春のお慶びを申し上げます。新年、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。


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