2007年10月

2007年10月28日

休み明け

10月28日(日)

休み明け今日から学校が始まり、子供たちが元気な姿を見せてくれた。心配していた退学問題も今のところ大丈夫のようだ。ダサイン休みが長かったせいか、久しぶりに見る子供たちはみんな一回り成長したようにも感じる。休み前まで静かだった子が大声で話すようになったり、逆に騒がしかった子が落ち着いたり、子供たちの小さな変化を見つけることはとても楽しい。特に4月に入学した子供たちは成長が著しい。学校生活にすっかり慣れた証拠だろう。

1週間もすれば、今度はティハール(ディパワリ)祭りで休みとなる。ティハールは吉祥天を招く光の祭り。ヒマラヤ小学校の児童の多くはティハールで新年となる。(ネパールは民族によって新年が異なります。)ティハールが終わるまではどうしても休み気分が抜けないので、しばらく騒がしい毎日が続きそうだ。

アシュ今日は往診治療を終えた後、里親教育基金の奨学生アシュミタから嬉しい連絡があった。今日の定期検査で、担当の医師から心臓病が回復していると告げられたそうだ。3週間に1回の注射を薬の経口投与に切り替え、半年ほど様子を見た上で最終的な診断となるようだが、上手くいけば完治も夢ではないようだ。ヒマラヤ医療基金でアシュミタを応援してから丸8年、3週間に一度の注射が嫌で泣いたり、嘘をついて病院から逃げ出した事も何度かあったが、本当によく頑張ったと思う。油断はできないものの、アシュミタの回復を心から祝いたい。


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2007年10月26日

長期休みの不安

15日間に渡って賑やかに執り行われたダサイン祭りも、今日の満月で終わりとなった。地方に帰省していた人々もカトマンズへ戻り始め、町は元の喧騒が今年のダサイン期間中、10日目の『ビジャヤ・ダサミ』の日以外は音のない静かな環境の中で過ごしたため、集中して仕事に取り組む事が出来た。普段、騒がしい街中で仕事をしていると玩物喪志に終わる事も多いが、静かな環境に身を置くと不思議と集中力も出てくるようだ。

ヒマラヤ小学校の子ども達の中には、カトマンズ盆地以外からブンガマティ村へ移住して来た子が大勢いる。村の外から移住してきた子ども達の殆どはダサイン期間中、保護者の郷里へ帰省しているようだ。28日の始業に合わせ、そろそろブンガマティ村に戻ってくる頃だと思う。

ダサインのような長期休暇になると、どうしても心配になるのが退学問題だ。これまでにも毎年、長期休暇を境に学校を辞めてしまった子が数名出ている。休み中に親の仕事を手伝ったまま学校へ来なくなるケースや、帰省中、保護者がブンガマティ村以外の他の地域で仕事を見つけた場合など、そのまま退学してしまうケースが多い。他にも休み中、兄弟に人身売買された例もあった。ダサインのような大きな祭りは何かと物入りなため、退学に繋がる様々な問題が起こりやすいようだ。

各家庭の窮状を考えれば仕方ない面もあるが、果たして移り住んだ新天地で子ども達はきちんと教育を受けられるのだろうか。おそらく多くの場合は教育を受ける事も無く、働くことになるのだと思う。仮に新天地で学校へ入学する事になっても教科書や学用品を買うことが出来ず、結局、学校をやめるケースもあるかもしれない。ヒマラヤ小学校のように学用品まで無償という学校はネパール国内でもそうない筈だ。

休み明け、子供たちの元気な顔を見られることが今から楽しみな反面、きちんと皆、学校へ来てくれるのか不安な気持ちもある。なんとか全員の笑顔が見られる事を願いたい。



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2007年10月24日

ヒマラヤ小学校絵画展

10月24日(水)

絵この度、東京・上野、きもの鈴乃屋本店にある『美味一服めぐり』の皆さんの温かいご協力により、11月8日(木)から25日(日)までの間、ヒマラヤ小学校絵画展が開催される事となった。(めぐりギャラリー第20回展 ヒマラヤ小学校絵画展 『私たちの村、私たちのヒマラヤ小学校』)

北海道・鹿追町『アートギャラリー福原記念館』での展示に続き、子ども達の描いた絵が日本で展示される機会を得たことは本当に嬉しく、関係者の皆さんへ感謝の気持ちでいっぱいだ。ぜひ今回の絵画展を通して、ヒマラヤ小学校を応援して下さる方々だけでなく、一般の人たちにもネパールの子ども達をより身近に感じて頂く機会になればと願っている。

絵が日本で展示される事で、子供たちの世界が広がり絵を描くことがもっと楽しくなるだろう。今回の絵画展が子ども達の夢を大きく広げ、未来への自信へ繋がる事を確信している。


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2007年10月19日

10月19日(金)

パカハァビデオの編集でお世話になった映像制作会社が製作に関わった「パカハァ(Pakhah)」という映画を観た。「パカハァ」(ネワール語)は日本語で「壁」という意味。「ポデ」(Pode)という不可触カーストの問題について描かれた短編映画だ。

いわれぬ差別に苦しむポデの人々とその生活、貧しさについてリアルに描かれている。ネワール語の映画なので全てを理解する事は出来なかったが、所々、ヤッギャ校長に解説して貰い、社会とポデを隔てる「壁」の高さを改めて痛感した。


ダサイン休暇中、(27日まで)メイルへの対応が遅れる場合があります。ご迷惑をお掛けいたしますが、どうか宜しくお願い申し上げます。

ホームページの「お知らせ」を更新しました。ぜひお目通しください



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2007年10月18日

炊き出し

10月18日(木)

今日はダサイン7日目の「フルパティ」の日。今日から政府機関も8日間の休みに入った。店のシャッターも閉められ、町は日頃の喧騒が嘘のように静まり返っている。カトマンズ市内の広場だけは、軍が礼砲を打ち上げ賑やかだった。

今日はヤッギャ校長、モンゴル先生、優さんと一緒にダサイン期間中に肉を食べられない子ども達のために、鶏を絞めて炊き出しを行なった。

ダサインの9日目に行なわれる「マハ・ナウミ」では、カトマンズの王宮広場をはじめ各家庭で水牛や山羊の屠殺が行なわれ、ドゥルガ神に捧げられる。神に捧げられた後は各家庭で肉料理のご馳走が用意され、集まった家族や親類が一緒に会食を行なうのが習慣だ。ヒマラヤ小学校の子ども達にとっても、年に1度、唯一肉を食べられるのが、この「マハ・ナウミ」の日だが、貧しくて肉料理を食べられない子も多い。

炊き出し今日はそんな子ども達に「マハ・ナウミ」を楽しんでもらおうと、貧困家庭の子ども達を集め、一緒にチキンカレーと焼き鳥を作って食べた。子ども達と一緒に雑談を交えながら、楽しく、美味しい料理を食べることが出来た。年に一度のささやかな炊き出しだが、子ども達にも一足早い「マハ・ナウミ」を喜んで貰えて本当に良かった。最近、雑用に忙殺され、かなり疲労困憊気味だったので、僕にとっても本当に良い息抜きとなった。今年のダサイン休み中は、出来る限り静かに過ごしたいと考えている。

それにしても今日のカレーは、これまで食べた事もないような部位まで入っていて珍味だった。雑食の僕も流石にお代わりを躊躇ってしまった。



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2007年10月14日

相互理解の大切さ。

10月14日(日)

今日は日本財団の笹川陽平会長をお迎えし、コカナ村のハンセン病療養所をご案内した。笹川会長とは5月の帰国の折に本部でお目にかかって以来の再会だった。

ゲートボールの機関紙「ナイスパル」でも書かせて頂いたが、ハンセン病療養所で回復者の人たちと話をすると、必ずといって良いほど日本財団や笹川記念保健財団への感謝の声が聞こえてくる。日本財団の活動によってネパールをはじめ世界中でハンセン病の治療薬が無料で配布され、どれだけの人々が救われたか計り知れないものがある。支援額の大きさ以上に、ハンセン病撲滅活動が人と人の関わりをとても重視している点に、僕は共感を覚える。活動を地域に根付かせる事は容易なことではない。ましてや“真に感謝される活動”というのは、本当に稀ではないだろうか。

支援活動は支援する側と受ける側の両方に、それぞれの都合に合わせた“当たり前”の意識が起こりやすい。支援する側、受ける側がお互いに相手の気持ちを十分理解しないまま活動が行なわれると、結局、最後には責任を押し付け合わなければならない結果になってしまう。しっかりと相互理解を深めるためには、人と人の関わりが不可欠だ。特にネパールのような、人と人の繋がりで成り立っている社会ではなお更だと思う。そういった点でも、日本財団や笹川記念保健財団の活動をしっかり見習わなければならない。

今日は笹川会長に参加していただき、回復者の人たちとのゲートボールが実現した。回復者の人たちの喜びの笑顔から、相互理解の大切さを改めて実感した一日となった。



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2007年10月13日

ハンセン病療養所

10月13日(土)

早朝、ネパールがん協会のラワット会長に呼び出され、パタン市内の某寺院で90歳の僧侶の治療を行なった。脳梗塞の後遺症で片麻痺の症状が出ているものの、90歳とは思えないほど精悍な顔つきで不思議な存在感を醸し出していた。平均寿命が60歳以下のネパールで珍しい高齢の方。少しでも症状が改善するよう全力で頑張りたい。それにしてもラワット会長は何時もながら驚くほどエネルギッシュだ。あの行動力は一体、どこから来るのだろうか。

クスタその後、コカナ村で3件の往診治療を行なった後、ハンセン病の療養所を訪ねた。ハンセン病の回復者の中には神経痛に苦しんでいる人が多い。鍼治療で鎮痛効果が期待できるので、療養所内で数名のハンセン病回復者への治療を続けている。

何時も感じることだが回復者の人達は本当に明るく気持ちの良い人ばかりだ。底抜けに明るい回復者の人達と話すと、こちらが元気を貰っている気がする。明日は日本財団の笹川陽平会長が療養所へ訪問を予定している。ぜひ、有意義な交流の時間が持てればと思う。

ナイスパルゲートボールの機関紙「ナイスパル」10月号に、「GBが繋ぐ希望の架け橋」と題した投稿文が掲載されました。拙稿ではありますが、ぜひお目通しください。

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2007年10月12日

ビデオ編集作業

10月12日(金)

今日はダサイン初日の「ガタスタパナ」の日。サンスクリット語で「ガタ」は“水壺”、「スタポナ」は“据える”という意味。この日、各家庭で鉢に大麦の種を撒き、水壺の水を掛ける。この日から丁度10日目の「ドゥルガープジャ」の日、芽を出した麦苗を豊作祈願の献花として用いる。女性は大麦の苗を髪飾りにするのもダサインの恒例行事だ。

先日からビデオの編集作業を進めている。映像製作会社のスタジオ(といってもコンピューターにビデオ編集ソフトが入っているだけの簡素な施設)に撮影したテープを持ち込んで編集を行なっているが、日本語フォントなどもちろんないため一緒に編集作業を行っている写真家の優さんが、別のPCで日本語を打ち込み微調整を行ないながら、テキストとして画面に表示させる方法をとっている。そのため文章を一行作るだけでも通常の数倍の時間が掛かってしまい。なかなか根気のいる作業だ。ただ学校が休みに入っているので、作業に集中できるのはありがたい。

ラクシミ・ナピット今日は結局、一日中スタジオに籠って作業を進めた。途中、4年生のラクシミ・ナピットの歌の録音も行なった。ダサインに入ったため楽曲をつける事が出来ず、残念ながらアカペラでの録音となったが、ラクシミが自ら作詞・作曲した「願い」という新しい曲を録音した。ぜひ、ビデオの中で紹介したいと思う。



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2007年10月11日

ダサイン休み

10月11日(木)

凧揚げ明日からダサイン休みに入る。ダサインはネパール最大のお祭りで、ネパールで使われているビクラム暦の第6月、「アソウジュ月」に行なわれる。15日間に渡って様々な祭事が行なわれ、満月の日に最終日を迎える。もちろん子供達が一番、楽しみにしているお祭りだ。特にブンガマティではダサインの期間中、「ヴァイラブ・ジャットラ」という特別なお祭りも開催されるため、子ども達はいても立ってもいられない程、嬉しい時期だ。

中間試験も一日早く終わり、今日は先生と児童が一緒になってダサインの訪れを祝い、笑顔いっぱいの一日となった。子ども達には、ぜひ楽しいダサインを過ごして欲しい。


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2007年10月09日

働く子供

10月9日(火)

バサンティ先日からヒマラヤ小学校の簡単な紹介ビデオを製作するため、写真家の門谷優さんとビデオ撮影を行っている。以前からビデオ製作の計画はあったのだが、一時帰国を終えて6月にネパールに到着してからも雑用に終われる毎日が続き、なかなか実現できないままとなっていた。なんとかダサイン休みまでに完成させたい一心で、治療以外に遣りかけの複数の仕事を中断し、ビデオ作りに集中することにした。

写真館から借りてきた古いカメラを手に、子ども達の家を訪ねる日が続いている。何時もながら子ども達の家庭を訪ねると、それぞれに抱える窮状に胸が痛くなる。各家庭を訪ねる度に、ビデオを通して何を伝えたいのか、また伝えるべきなのか、正直、分からなくなってしまう。

ネパールでは現在、約260万人の子供達が児童労働に従事していると報告されている。統計によるとネパールの総人口の半分は子供というから、子供の数は単純に計算しても500~600万人になる。其の内の260万人が児童労働に従事しているから、その数は実に子供人口の半数に及ぶ。

インドゥヒマラヤ小学校の児童の多くは入学する前、煉瓦工場やカーペット工場、パン工場など働いていた子ども達だ。もちろん学校へ通う今でも、家に帰れば農作業や家事の手伝いなど子ども達の一日は忙しい。放課後に村の中を回っていると、働いているヒマラヤ小学校の子ども達をよく見かける。体よりも大きな籠で薪を運んだり、幼い弟や妹をおぶい大人顔負けに仕事をする子ども達の姿を見ると、いたたまれない気分になる。

素人作りの簡単なビデオだが、ぜひ今回のビデオを通して、1人でも多くの方にヒマラヤ小学校の活動や子ども達の現状を知っていただけたらと思う。暫くは忙しい日が続きそうだ。




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2007年10月07日

刑務所訪問

10月7日(日)

現在、刑務所に服役している、ある児童の保護者と面会するためパタン市郊外のナックー刑務所を訪ねた。児童の父親が刑務所に服役してから数ヶ月。児童の様子にも変化が起こっている。

実はこの1ヶ月余り、この児童は学校へ来ていない。何度か先生達と家を訪ねたが、留守で連絡がつかない状態が続いていた。近所の人たちから「大人に混じって昼間から博打を打っている」や「母親もおらず、父親も刑務所に服役中なので、生活に困って盗みをしている」等、児童についての様々な噂話を耳にした。中には「犯罪者の息子」と平気で言う村人までいる。

困難に陥った時の村社会の“優しさ”と“冷たさ”は、それなりに理解しているつもりだが、村人の噂話を聞くたびに不愉快な気持ちになった。児童の屈託のない笑顔を思い出すと胸が痛くなる。どうしてこういう時に、1人の少年を慰撫することすら出来ないのだろうか。

先日、往診で訪ねた隣村からブンガマティ村に向かう道中で偶然、児童と会った。一瞬、気まずそうな表情をしていた児童だが、普段どおりに接すると何時もの屈託のない笑顔を見せてくれた。その後、ヤッギャ校長も交え児童とゆっくり話をしていると、児童が刑務所に服役中の父親と会いたがっていている事が分かった。11歳の多感な時期、父親の不在でとても寂しい想いをしていたようだ。村人の陰口にも心を痛めていた事は容易に想像できる。ヤッギャ校長と相談した結果、児童を連れて刑務所を訪ねることなった。

今日、ようやく刑務所訪問が実現できたが、面会した父親が涙を流しながら「子ども達の事を頼む」と、何度も繰り返しヤッギャ校長にお願いしていたのが印象的だった。父親に会えたことで児童も気持ちが少し落ち着いたようで、明日から学校に来る事を約束してくれた。

暫くいろんな困難が続くと思うが、児童にはなんとか困難に打ち克って欲しい。僕達も出来る限りのサポートをするつもりだ。


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2007年10月05日

トレーニングセンター

10月5日(金)

子ども達の将来の経済的な自立を目指し、開校以来、天然資源“ケナフ”を使った活動を続けているが、現在、トレーニングセンター(仮名)の建設に向けた話し合いが進められている。まだまだ実現に向け課題は山積している状態だが、子ども達の経済的な自立とヒマラヤ小学校の自主運営のためにも、なんとしても実現したいと考えている。

ケナフトレーニング今日は昼休み中の子ども達にも手伝って貰い、学校近くの候補地を訪ねた。稲穂が実る美しい棚田の中に入り、完成したトレーニングセンターで卒業生が一生懸命、職業訓練を受けている様子を想像して見ると、実現させたいという気持ちが心の中で高ぶってきた。今後もいろんな困難はあると思うが、関係者一人ひとりが高い意識を持って取り組めば必ず実現できると信じている。もちろん子ども達の自立意識の高揚をしっかり図ることがトレーニングセンターの成功には欠かせない。将来、モデルケースとなれるような活動を展開するためにも、全力で頑張りたい。




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2007年10月04日

シラミ退治

10月4日(木)

シラミ退治今日は治療活動を早めに切り上げ、ヒマラヤ小学校で幼稚園児を対象にシラミ退治を行なったここのところ暫く悪天候が続いたため、なかなかシラミ退治が実施できなかったが、今日は久しぶりに晴天に恵まれ、子ども達は思いっきり水遊びが出来て嬉しそうだった。まだ幼稚園の園児にシラミ退治に理解させることは難しいので、これまでの経験上、初めは水遊びから入る方が良いと思う。


シラミ退治後それにしてもシラミを完全に退治するのは本当に難しい。薬品をつけて殺虫しても、髪に産み付けられた卵はなかなか取ることが出来ない。薬品を洗い流し、シャンプーをした上で、目の細い櫛に糸を巻きつけ、更に櫛を熱湯に浸した上で髪を梳くと、かなりの量のシラミが取れるが、それでも髪の中を覗いてみる相当量のシラミと卵が残っている。

頭や体を洗うことと共に各家庭での筵や布団の日干しを習慣付けなければ、いくらシラミを退治しても同じ事の繰り返しとなってしまうが、まずは子ども達に体を洗う事の大切さを理解させることが重要だと思う。こう考えると、シラミ退治一つにしても本当に息の長い活動が必要だ。今後も諦める事無く、継続的に活動を続けていきたい。

シラミ退治2シラミ退治の途中、ふと後ろを振り向くと、児童の1人が用務員のハリさんの頭をチェックしていた。子ども達のシラミへの意識も少しずつ高まっているのかもしれない。


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2007年10月03日

支援者としての立場から

10月3日(水)

制服パタン市内にあるシュリバール小学校で、今年度入学した新入生に制服をプレゼントした。シュリバール小学校は貧しい家庭の子供達が通う公立学校。近年、NGOによる教育支援活動が農村部に集中しているようで、逆に町の中心にある学校は見落とされがちの傾向にあるようだ。


ヒマラヤ青少年育英会では02年から水道の整備や校舎の増築支援の他、毎年、制服と学用品の支援を続けてきたが、残念ながら2005年の制服支援を最後にシュリバール小学校への支援を打ち切ることになった。

制服2会としての支援は打ち切ったものの、支援開始当初から携わっていたので僕自身の思い入れも強かったことから、その後も個人としてささやかな支援を続けている。僕自身、長年に渡り、僕個人を応援してくださる方々の善意のご支援を頂きながらネパールでの生活と医療活動を続けているが、毎年、支援者の方から頂いた支援金の余剰分と、新聞や雑誌でネパールについて書かせて頂いた原稿料を元に、シュリバール小学校やヒマラヤ小学校へのささやかな支援を行っている。

支援活動に関わる以上、支援者と受益者の両方の立場を理解することが欠かせない。こうして自分自身が時々、支援者の立場になる事は他の支援者の皆さんの気持ちを理解する上でとても大事だと思う。

今年も制服を心待ちにしていた子ども達に、きちんと届けることが出来て安心した。制服は子ども達にとって憧れでもあり、”学校で勉強している”と実感できる身近なもの。僕のささやかな支援が少しでも子供達の励みとなれば嬉しい。



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2007年10月01日

上級生への憧れ。

10月1日(月)

久しぶりにヒマラヤ小学校を訪問した。一部の子ども達とは金曜と土曜のコンテストで会っていたが、やはり学校を訪ね大勢の子ども達の笑顔を見ると自然と心が和む。暫くの間、コンテストや博物館の準備等で気が張っていたこともあり尚更、子ども達の純粋な笑顔はありがたい。

学校へ着くと、幼稚園年長クラスからアビンが飛び出してきて「賞状を貰った!!」と、喜悦した様子で報告してきた。金曜日に幼稚園児を対象に開催された「ぬり絵コンテスト」で、3位に入賞したという。思いがけない吉報を受け、早速アビンの写真撮影をすることにした。

アビン賞状を持っての写真撮影が嬉しかったのか、アビンは撮影が終わってもなかなか立ち去ろうとしない。不思議に思っていると、アビンが「お兄さん達みたいにしたい」と、言い出した。何のことか分からなかったが、どうもクマール達がコンテストに入賞した時にやるように賞状を頭上に掲げて皆に見せたいらしい。本人はかなり本気のようだったので、休み時間に全児童を集めアビンの入賞の報告会を開催した。全校児童から大きな拍手を浴び暫し夢見心地のアビン。満足げな表情がとても微笑ましかった。

下級生達はクマールたち上級生の活躍を見て、「お兄さん、お姉さんのようになりたい」と大きな憧れを描き、感奮興起しているようだ。身近に目標となる人がいることは、今後、子ども達の大きな力になると思う。こうしてみても上級生たちの活躍は、学校全体にとても良い影響を与えているのが分かる。

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