2007年06月

2007年06月29日

小さな挑戦者

6月29日(金)

ラクシミ今日は、昨日のブログで紹介した私立学校教育向上協力会(UPSEBEN)主催の作文コンテストが開催され、ヒマラヤ小学校からラクシミ・ナピットとビナ・カドギ(共に4年生)の2人が参加した。


UPSBENに加盟している学校の殆どがラリットプール市(パタン市)の都市部にある私立学校だ。やはり都市部の学校の生徒達だけあって、村の子ども達よりも垢抜けた感じさえする。当初、普段とは異なる雰囲気にビナとラクシミも少し戸惑っている様子だった。これまで村から出たことが殆どない2人だから無理も無い。それでも、いざコンテストが始まると、2人とも用紙に向かい黙々と筆を走らせる姿は、見ていてとても頼もしかった。

持ち時間の半分が過ぎた頃には2人は作文を書き終えた様だったが、2人とも周りをきょろきょろ見渡して落ち着かず、何となく意気阻喪している様にも見えた。どうも周りの子供達が筆を休めることなく、何ページも作文を書き続けている様子を見て二人とも不安になったようだ。

作文は量よりも内容の方が大事だと思うが、与えられた時間や用紙の量を考えると、今回はある程度長い作文が求められている。多分、二人にはこの意味がよく理解出来ていなかったのだと思うが、残念ながらこれが現時点でのヒマラヤ小学校と都市部私立校との実力の差だと思う。都市部の私立校の子ども達なら、過去にもこうしたコンテストに参加した経験もあるだろうし、経験が豊富な分、大体の事はそつなくこなす事が出来る。未だヒマラヤ小学校の子ども達には気持ちの面で余裕がないのだろう。

作文結局、今回、ヒマラヤ小学校から参加した2人とも入賞は出来なかったが、審査員から内容について誉められ、2人ともとても喜んでいた。まだまだ入賞できる実力をつけるまでには時間が掛かると思うが、ヒマラヤ小学校の子ども達には常に挑戦者としての気持ちを忘れず、一つ一つの経験を積み重ねながら自信をつけて欲しいと願っている。ヒマラヤ小学校の子ども達の挑戦は始まったばかりだ!!




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2007年06月28日

他校との連携と慰労会

6月28日(木)

ヒマラヤ小学校が開校したばかりの頃からヤッギャ校長と共に、地域の学校と連携出来ないか話し合ってきた。学校同士がお互いに情報や知識を共有したり、足りない部分を補ったり、イベント等を開催して教師や生徒同士の交流が出来れば、どの学校にとっても意義があるのではないかと考えていた。特にヒマラヤ小学校のような小さな学校は、他校との連携によって得られるものは大きいと思う。

これまで何度か周辺の公立校などに連携を呼びかけて来たが、その度に公立学校独特の屁理屈が返って来て実現できなかった。現場を見た経験からも公立校の抱えている問題は痛いほど理解できるが、それでも“何とかしよう”と努力しないかぎり、問題は解決に向かわないのではないだろうか。

公立学校の重いお尻が上がるのを待つより、“まずは何かやってみよう”という事で、ここ1年間、私立学校との連携を探ってきたが、数ヶ月前から実現に向けた動きが一気に加速し、僕が帰国する前の4月下旬頃にヒマラヤ小学校を含む22校の私立学校が加盟し、私立学校教育向上協力会(UPSEBEN)という連携組織が設立される事になった。*ヒマラヤ小学校は私立学校ではないが公的な助成を受けていない事から加盟が認められた。

近年、カトマンズ市を中心に巨大私立学校が教育界で大きな影響力を持ち、中小の私立学校の存在を脅かしていることから、“中小私立学校が連携して声を挙げよう”という事になり、今回のUPSEBEN設立の運びとなった。時の運にも恵まれ、良い形で連携に加盟することが出来、ヤッギャ校長と一緒になって喜んだ。

UPSEBENでは月に1〜2回程度、さまざまなコンテストや教師、生徒の交流のプログラムが予定されているが、僕の帰国中にも既に『英語のスペリングコンテスト』が開催され大盛況だったそうだ。ヒマラヤ小学校からも5名の児童がコンテストに参加して健闘した。

プログラムは各校が順に企画し、開催することになっているが、7月にはヒマラヤ小学校でもイベントが予定されている。これから本当に楽しみだ。今後、UPSBENの活動に積極的に参加することで、ヒマラヤ小学校として最大限、学びの収穫を得たいと思う。

慰労会今日は夕方からパタン市内のレストランに先生達が集まり慰労会を開催した。帰国中、支援者から、“子ども達のためにより一層、頑張って欲しい“と、慰労会開催のための浄財を頂き、今日の開催となった。リラックスした雰囲気の中で楽しい夕べのひと時となった事はもちろん、子ども達の事、学校の事、社会の事、家庭の事など、普段、職員室ではなかなか話せない事もゆっくり話す事が出来、貴重な時間となった。今回の慰労会は先生同士の理解を深め、協力体制を再構築する意味でも本当に良い機会となった。

慰労会開催の浄財を頂いた皆さんへ、この場をお借りしてお礼を申し上げたい。ありがとうございました。



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2007年06月27日

ある児童の問題

6月25日(水)

僕が日本へ一時帰国している間、ある児童(3人兄妹)の母親が死亡した。父親は不在のため、結果として兄妹3人だけになってしまった。その後、同じ村に暮らす叔母が一番上の姉から順次、3人を引き取ると申し出たそうだが、母親が死亡して間もない頃、突然、その叔母がヒマラヤ小学校を訪ね、一番上の姉は自宅近所の学校に通わせると一方的に話し、児童の退学を申し出たそうだ。

本人の意思を確かめずに退学を受理する訳にはいかないと、ヤッギャ校長は叔母の申し出を保留扱いにして暫く様子を見ることにしたそうだが、どうも実際には叔母の話にはおかしな点が多い事が分かった。1ヶ月近く経っても児童は近所の学校へも行っておらず、毎日、畑仕事をしている事も分かった。更に調べてみると、どうもこの叔母は長女である児童を年内に結婚させ、残りの2人の弟達をカトマンズ北部の工場で働かせるつもりである事を公言している事も分かった。更に3人の兄妹が暮らす小さな家の売却までを進めているという。

ネパールに到着した日にヤッギャ校長からこの一件について報告を受けたが、この時、一番気がかりだったのは、結婚と称した人身売買の恐れだった。人身売買は親類が関わっているケースが多く、この児童のように13歳くらいと未だ幼く、十分な判断能力を持っていない子は人身売買の危険に晒される事が多い。過去にはヒマラヤ小学校の児童が兄弟に人身売買されたケースもある。また親戚が孤児の財産を奪い取るケースも良くある事だ。まずは児童本人の気持ちを確認すべく児童を学校へ呼んで事情を聞くことにした。

児童日曜日、児童は幼い弟達の手を引き、俯いたまま学校へやって来た。目には薄っすら涙を浮かべていた。未だ母親の突然の死を受け入れられていないようだ。お祭りの話などをして児童を落ち着かせながら、ヤッギャ校長とモンゴル先生が現状についてゆっくり訊ねると、ヤッギャ校長の報告通りの事実が確認できた。また学校で勉強を続けたいかを確かめると、『ヒマラヤ小学校で勉強を続けたい』と、はっきりとした答えが返ってきた。こうなれば一刻も早く児童を叔母から引き離し、自分達で生活できる環境を作らなければならない。ヤッギャ校長が児童に、学校が叔母と話をするから、何も心配せず自宅へ戻り、明日から通常通り学校へ来るように告げた。

その後、ヤッギャ校長、モンゴル先生の3人と一緒に児童の叔母宅を訪ね、今回の一件について話をした。ネワール語での会話だったので完全には理解できなかったが、かなり激しい遣り取りが行なわれた。2時間半ほど遣り取りが続いた後、話し合いは終わった。

ヤッギャ校長によると叔母側からは、今回の件に関して余計な介入をするな、など様々な苦情を言われたようだが、結局、児童を自宅に戻すことが決まったそうだ。学校に関してもヒマラヤ小学校への復学が決まった。児童の生活については叔母側に責任を一切求めず、ヒマラヤ小学校の児童福祉基金(毎月、児童から5ルピーずつを徴収し、貧困家庭に子ヤギを与えるなどして救済する基金。救済を受けた家庭は子ヤギを育て、その子ヤギが大きくなって子を産んだときに、子ヤギ一頭を基金へ返却する。卒業時には全額を児童に返金。)で可能な限り救済すること、ヤッギャ校長が理事を勤めている村の農業共同組合の有志と話し合い何らかの救済措置を講じることや、休みを利用した職業訓練を行う事で纏まったそうだ。まずは児童の希望通り、学校への復学が決まって一安心。今後、おそらく困難にも直面すると思うが、なんとか皆で知恵を出し合って児童を支えていきたい。

その後、児童は月曜日、火曜日、水曜日と毎日、元気に学校へ通っている。今日は元の底抜けに明るい笑顔も見せてくれた。今回の一件、学校として児童の家庭問題にどれだけ介入すべきなのか正直、僕として考えさせられた。ただ児童を取り巻く環境や、ヒマラヤ小学校が家庭的な教育環境を目指している事を考えると、やはり児童一人ひとりの些細な問題にも誠意をもって対応することが正しいと思う。

今回、叔母側との話し合いの中で、ヤッギャ校長が1人の児童を必死に守ろうとする姿はとても印象に残った。またそれに加えて嬉しかった事は、ビディヤ先生や他の先生たちも児童のことを心配し、何度も児童に会いに叔母宅まで足を運んでいた事だ。先生たちのこうした行動こそが、“ヒマラヤ小学校で勉強を続けたい“という児童の声に繋がっているのではないだろうか。

*この児童は現在も元気に学校で勉強を続けています。


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2007年06月25日

新入生へ制服を配布

6月25日(月)

制服今日は子供達がずっと心待ちにしていた制服が届いた。3年前の6月、開校間もない頃に初めて制服を配った日、真新しい制服を着て自慢げに村を歩く児童を何人も見かけ、思わず笑ってしまった事を憶えている。あの時から毎年、支援者の協力により無償で制服を配布することが出来ている。

これまで運営を心配する支援者から、制服なんていらないのでは?という意見を何度か頂いたことがあった。もちろん制服は高い買い物だし、制服なしでも学校で勉強は出来る。しかし制服というのは子ども達にとって憧れであり、就学を果たしたという誇りでもある。子ども達にとって制服を着ているという喜びは、図り知れないものがあると思う。

時に制服は他民族同士が学ぶ学校内で協調性を保つ道具でもあり、登下校時には子ども達の安全を守ってくれる。またヒマラヤ小学校の子ども達の多くは制服を学校だけでなく、私服としても利用しているのだからその利用価値は非常に高い。中には制服(私服)を貰えるという理由で子供を学校へ送る保護者もいる。教育が根付いていない村で、保護者に教育の大切さを理解して貰うことがどんなに難しいことを考えれば、制服が果たしている役割は本当に大きいと思う。

制服ヤッギャ校長今日は新入生全員へ制服を配ったが、どの子も満面の笑みを浮かべ新しい制服を喜んでいた。ヤッギャ校長に着せて貰った真新しい制服は、数日もすれば間違いなく真っ黒になっていると思うが、どの子も本当に良く似合っていた。制服を着ると正式にヒマラヤ小学校の児童になったように感じる。*サムネイルにしていますので、クリックしていただくと、少しだけ大きな画像になります。


制服を配った後、パタン市内へ移動して来月予定しているB型肝炎予防接種の打合せを行なった。開校以来、子ども達への予防接種を何とか実現したいと考えていたが、その念願が実現する運びとなった。ポリオは無料でワクチンが支給されているので、今回はポリオも同時に実施することにした。児童数が増えている現状もあり、準備には念を入れなければならない。実施は来月初旬を予定している。

打合せを終えた後は往診へ出かけた。まだ雑用に追われているため本格的な再開ではないが、今日から鍼灸治療を暫定的に再開することにした。治療もリズムがあるので、なんとかリズムを維持しながら雑用を済ませ、本格再開を目指したい。

『ヒマラヤ小学校通信』を更新中です。ぜひお目通しください。a>



2007年06月24日

一ヶ月半ぶりの再会

6月24日(日)

早朝、関係者、知人宅を回りネパール到着の挨拶をした。その後、大急ぎでヒマラヤ小学校を訪ね、子ども達と1ヶ月半ぶりの再会を果たした。久しぶりに子ども達の元気な姿を見られて、とても嬉しかった。

集まって来た子ども達から、日本滞在中の事や支援者の事など矢継ぎ早に質問を受けた。中には、日本から持って来たチョコレートは何処?と訊ねてくる子や、僕が不在の間に起こった様々な出来事について息を切らしながら一生懸命、報告してくる子もいた。

今日は久しぶりに戻ってきた遊び相手に興奮したのか、子供達が手にぶらさがってきたり、背中に乗ってきたりと、一日中、揉みくちゃにされ大変だったが、子ども達とのこうした何気ない時間は本当に心が和む。お陰で一時帰国中の疲れが一気に吹き飛んだ。

4月に入学した新入生とは十分な時間がないまま日本へ帰国したため、その後、ちゃんと学校生活に慣れたかどうか少し気になっていた。早速、新入生が入った幼稚園年少、年長、1年生の各クラスを覗いてみたら、どの子もちゃんと席に座わり、行儀よく先生の話を聞いていたので驚いてしまった。特に入学したての頃、泣いてばかりで落ち着かせることに一苦労だった幼稚園年少クラスの子供達が、僅か1ヵ月半の間にすっかり学校の環境に順応していた事には驚いた。小さな子ども達だから慣れるのも早いのだろうが、そこには先生たちの努力や教育の力も大いに関係しているのだと思う。

覚えたての字暫く幼稚園クラスで授業の様子を見ていると、子ども達が集まってきて『これを見て!見て!』と、覚えたばかりの字を書いたノートを一生懸命、見せてきた。される身になって、子ども達をしっかり誉めると、どの子も照れくさそうにして喜んでいた。子供達が学校へ入学して一番嬉しい事は、きっと字を覚えることだろう。字を覚えた喜びは教室の壁に書かれた落書きからも良く分かる。

今日は先生たちとのミーティングなど慌しい日程だったが、子ども達とたっぷり時間を過ごしたので、すっかり鋭気を養うことが出来た。明日からも頑張りたい。

今年度から先生が新たに1名加わりました。先生たちへの質問等も募集中です





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2007年06月23日

ネパール到着。

6月23日(土)

予定より数日遅れてネパールに到着した。何時もながら大量の荷物を持っての移動で危うく持病の腰痛を再発しそうになったが、何とか無事到着し、全ての荷物をネパールまで持ってくる事が出来た。それにしてもネパールは遠い。

今回の一時帰国は会議と研修が主な目的だったため、支援者を訪ねる十分な時間を作ることが出来なかった事が唯一の心残りだ。毎回、帰国中には一人でも多くの支援者とお目にかかり、子ども達の元気な様子を報告したいと考えているが、結局、何時も時間に追われてしまい、なかなか実現できていないのが現状だ。

実は今回の帰国中、長年の念願であったヒマラヤ小学校の日本事務局の立ち上げが支援者有志の方々のご協力により正式に決まった。まだ準備段階だが、これから詳細を少しずつ詰め支援者や関係者が集い、お互いに情報や夢を共有できる楽しい場所として発展させていければと願っている。*日本事務局については、日を改めて皆様へご紹介いたします。

今回の事務局の立ち上げに伴い、もう一つの念願であるヒマラヤ小学校の報告会もぜひ年内に開催したいと考えている。恐らく第1回目は東京だけになると思うが、出来れば門谷優さんの写真展も並行して開催したいと思う。まだ詳細日程は決まっていないが、今年の11月〜12月頃に開催できればと考えている。

普段、なかなかお目にかかれない方、ご支援をいただきながら未だ一度もお目にかかっていない方、その他、ヒマラヤ小学校に興味をお持ちの方に、ぜひ報告会へご参加いただきたい。報告会を通してヒマラヤ小学校の子ども達の元気な様子を伝えるだけでなく、学校としての理念や信念、目指す方向性を少しでもご理解いただければと思う。また参加者から頂いたご意見は今後の活動に必ず活かしていきたいと。多くの方の気持ちや考えをしっかり汲む事が、より意義ある学校運営に繋がると確信している。今年は一気に2つの夢が叶いそうで本当に楽しみだ。精一杯、頑張りたい。*報告会の開催については詳細が決まり次第、報告いたします。

さてネパールに到着して真っ先にした事は、やはりヤッギャ校長への電話だった。僕自身、ヤッギャ校長を心から信頼している事や、日本にいる以上、日本国内でネパールの子ども達のために出来ること、そして遣るべき事に集中したい事が理由で、帰国中はネパールの事を一切、心配しないようにしている。

よく知人や友人に『帰国の間、学校や子ども達の事が心配じゃないか?』と、訊かれる事があるが『特に心配はしていません』と、答えている。もちろん、毎晩のように子ども達の写真を見ては元気を貰っているので、まったく気にしない事はないが、心配をしないように心掛けている。それに現時点でも資金面の問題を除けば、ヤッギャ校長や現地のスタッフで十分、学校運営が出来るようになっているし、本来、現地の人間が考えて運営する事が大切だと思っている。ヤッギャ校長との電話では僕の帰国中、一部の児童の家庭事情を除いて特別大きな問題もなく、子ども達は元気に勉強しているとの事だった。まずは一安心。

これから日本滞在中よりも遥かに慌しい毎日になると思うが、健康に留意しながら全ての活動を一生懸命頑張りたい。まずは帰国中に夜な夜な書き続けながらも未完成のままとなっている日本ケナフ開発機構ニュースレター『ネパール特集』の60ページ分と、某機関紙の原稿を仕上げたい。あとHPの更新を頑張りたいと思う。


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2007年06月16日

帰国報告

暫くの間、ブログの更新が出来ず申し訳ありませんでした。25日頃から本格的に再開する予定です。どうかよろしくお願いいたします。


5月中旬に一時帰国して、あっという間に1ヶ月余りが過ぎた。帰国の主要な目的であった外務省連携会議への参加や、ネパールNGOネットワークのセミナーでの講演、その他、研修など、慌しくも大きな学びの収穫を得る事が出来、大変充実した時間を過ごすことが出来た。

外務省会議特に初めて参加した外務省の連携会議は、僕にとってとても新鮮な体験だった。これまで外務省やODAに対する批判の声を何度か耳にした事もあるが、こうして外務省が積極的にNGOを活用し、より良い援助活動を展開しようとする姿勢は大いに評価できると思う。外務省とNGOが全てを共有し、協力して活動を進めていく事は大変意義があると思う。まだ模索の段階だと思うが、これまでの問題点を政府とNGOが共に謙虚に反省し、新しい協力体制が構築されることを熱望している。今後、国際的に活躍できる人材の育成も行われる予定なので楽しみだ。外務省には活動に役立つ、とても貴重な情報が集まっている。こうした情報を得るだけでも僕にとっては貴重な体験となった。また、ぜひ参加してみたいと思う。

6月2日、3日にJICA(国際協力機構)で開催されたNGOネットワークのセミナーでは、『子供たちに夢を与え、実現させたい』 と題して、これまでのケナフ活動についてお話をさせていただいた。活動をはじめて3年、ネパールでのケナフ活動がどのように始まり、そして活動が子供たちの間で燎原の火の如く広がった経緯について、写真を使い、途中にはビデオを上映しながら報告した。至らぬ点もあったと思うが、ご来場の皆さんには、ある程度ネパールでのケナフ活動についてご理解いただけたのではないかと思う

僕の前には特別講演として、脚本家の小山内江美子さんがお話をされたが、とても素晴らしい内容だった。社会的な評価の高い活動をしていらっしゃるだけに、お話からは活動に向かう姿勢や理念、信念の大切さを学ばせていただいたように思う。

その他、今回の帰国中はTBS『夢の扉』でお世話になった女優の映美くららさんや撮影スタッフの皆さんと再会し、楽しい夕べのひと時を過ごす事が出来た。くららさんやスタッフの皆さんにはネパール、そしてヒマラヤ小学校の事をとても好きになって頂き、本当に嬉しい。途中、ヒマラヤ小学校での思い出話にも花が咲いたが、何だか子供達が褒められているようでとても嬉しかった。

それにしても映美くららさんは実にたおやかで“立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花”という言葉が良く似合う素敵な方だ。ヒマラヤ小学校の子供たちの事を可愛がって頂き、また温かい優しさで見守ってくださる事、感謝の気持でいっぱいだ。撮影の時、忙しい合間を縫ってヒマラヤ小学校を訪問していただいたが、子供達、特に女の子は、くららさんの優しさに感激し、大きな憧れを抱いている。子供たちにとってくららさんの活躍は本当に大きな励みとなる。ぜひ、これからもどんどんご活躍いただきたい。映美くららさんは現在、NHKラジオのドラマやコンタクトレンズのCM等でもご活躍中とのこと。くららさんの魅力が詰まったファンサイトもあるので、ぜひご覧ください。

其の他にも、今回の一時帰国では嬉しい成果も沢山あったので、別の機会にゆっくり報告したいと思う。


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