2007年03月

2007年03月28日

がんばれ!サシナ

3月28日(水)

試験中いよいよ今日から期末試験が始まった。子ども達にとっては大事な、大事な進級試験。兎に角、日頃の努力の成果を思いっきり発揮して欲しいと願っている。スラスラと解答用紙を埋めている子を見て安心したり、考え込んでいる子を見て不安になったり、どうも試験というのは見ている方が落ち着かない。特に1,2学期の成績が思わしくなく、進級が危ぶまれている児童を見ると、回答を全部、教えてあげたい気持ちにもなる。そんな気持ちを抑えつつ、先生達と試験の監視を続けた。

2年生のサシナは進級が危ぶまれている児童の1人だ。サシナには軽度の知的障害があるため、授業中はきちんと答えられる質問でも、試験になると少しパニック状態に陥り、回答を書く事が難しいようだ。先日、進級が危ぶまれている子ども達を集め補習授業を行なったが、授業中は先生も驚くほど、出された質問にきちんと答えられていた。今日も少しパニック状態になったため、急遽、ビディヤ先生が隣に座ってサシナを落ち着かせる事にした。

暫くするとサシナも落ち着いたようで回答を書き始めた。サシナのような障害を持った子には、試験は大変だと思う。昨年もサシナを進級させるかどうかで先生達と何度も話し合ったが、結局、留年させて1年間、様子を見ることにした。これまでの試験結果を見ると、昨年よりも成績は上がっているが点数の余裕がなく、進級は期末試験の結果次第となっている。

サシナ僕、個人としては、どのような結果であってもサシナを進級させたいと考えている。学校で勉強してもサシナが一向に変わらない様子に苛立ち、サシナを非常に冷たくあしらっているようだ。もしサシナが留年を繰り返せば、サシナへの愛情は更に薄れ、サシナをどんな扱いにするか不安がある。学校へ通わせる事も止めるかもしれない。ただ、サシナを無条件で合格させた場合、他の児童の保護者から苦情が出る可能性も否めない。障害児への理解が少ない現状では、仕方のない事だと思うが、非常に難しい問題だ。結局はサシナがきちんと合格点を取り、胸を張って進級することが求められている。

今日は大好きなビディヤ先生にずっと傍にいて貰えたので、試験は上手く出来たようだ。ビディヤ先生に明日もサシナの傍にいて欲しいとお願いをすると、快く引き受けてくれた。何とかサシナが進級できるよう、出来る限りの事をしたいと思う。頑張れ!サシナ。







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2007年03月27日

クリシュナさん。

3月27日(火)

クリニックで治療を終えた後、コカナ村へ往診に出かけた。往診の途中、“夢の扉”の中で登場したクリシュナさんを訪ねた。クリシュナさんへの治療は、足の痛みが無くなり日常生活が出来るようになったので、3月中旬頃に終了した。ただ坐骨神経痛は再発の恐れがあるので、クリシュナさんのその後の様子が少し気になっていた。

ロジとクリシュナさん家を訪ねると、クリシュナさんは家の軒先で姪のロジちゃんと一緒に玉葱を縛る作業に汗を流していた。足の状態を尋ねると、その後も痛みは出ておらず、毎日、村の外れの畑まで農作業に出ているという。仕事に復帰して溌剌としたクリシュナさんの表情を見られて、本当に嬉しかった。


“夢の扉”の中でも紹介されたが、クリシュナさんは長年、坐骨神経痛に苦しみ、外出もほとんど出来ないまま、寝たきりの様な生活を過ごしていた。クリシュナさん達はじめネワール族の家の造りは、多くの場合1階を物置として使い、2階〜3、4階の部分を居住部分として使っている。各階の移動には急な階段を昇降しなければならず、足に激痛を抱えているクリシュナさんには、日常生活をする事が困難だった。

ロジ治療を続けて半年、こんなに元気なクリシュナさんの姿を見られるとは、正直、思っていなかった。クリシュナさんは文盲でネパール語を話すことがほとんど出来ない。また僕はクリシュナさんが日常的に使っている“ネワール語”を理解できないため、意思の疎通を図ることがとても難しかった。それでも治療を続けていく内に、クリシュナさんとは不思議と心が通じ合ったような感じがした。もちろん、姪のロジちゃんや甥のアジャイ君が何時も治療を手伝ってくれ、通訳をしてくれたのも大きかった。特に人懐っこいロジちゃんが良く笑わせてくれたお陰で、僕自身も楽しく治療を続ける事が出来た。こうして患者さんや家族との関わりを持ちながら、治療活動をしていると、診療には技術や知識よりも遥かに大切なことがある、という事を教えられる



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2007年03月26日

学びの熱気。

3月26日(月)

ヒマラヤ小学校は今日と明日の2日間、祭日で休校となった。普段、子ども達にとっては嬉しいお祭りも、水曜日から始まる試験の事で今回ばかりはお祭りどころではないかもしれない。

チョーク2今日は往診治療を終えた後、ヒマラヤ小学校へ行き、ヤッギャ校長、モンゴル先生とともに試験会場の準備を行なった。机に受験番号を貼ったり、受験番号と名簿を確認したり、会場準備は面倒な作業が多い。確認作業を5回も念入りに行なったヤッギャ校長には驚いたが、これまで大きな問題もなく試験を開催できたのも、几帳面なヤッギャ校長の影の努力が大きい事を改めて感じた。

今日は休校という事で、学校は普段の喧騒が嘘のように静まり返っていたが、準備作業の途中、ふと校庭を覗いてみると、幼稚園年少クラスに通うゴンガとビンドゥマヤの兄妹が来ていた。よく見ると、職員室前のコンクリの通路に向かって、煉瓦の破片で何やら字を書いていた。近づいて見ると、2人とも試験のために覚えたA〜Zのローマ字や、カ、カハ、、、、、といったデーヴァナーガリー文字の『五十音』を書き込んでいたのだ。兄妹に家で勉強しないのか尋ねてみると、学校から配布されたノートを使い切ってしまったので、学校へ来てコンクリに字を書いているという

チョーク感心している僕に向かって、妹のビンデゥマヤが『A、B、C、Dも書けるよ』と、笑顔で話しかけてきた。兄弟の健気さに心打たれ、煉瓦の破片ではあまりにも可愛そうに思えたので、ヤッギャ校長に頼み、小さくなったチョークを兄弟に渡して、兄妹に思う存分、字を書かせる事にした。ヤッギャ校長も2人の兄妹の姿を、微笑ましく見つめていた。貧しさに負けず、頑張っている子どもの姿は、本当に美しいものがある。

子どもの頃、勉強が大嫌いで勉強の目的すら分からなかった僕は、こうした子ども達の学びの熱気や意欲に何時も驚かされる。2人の兄妹が一生懸命コンクリに字を書き込む姿から、“学べる喜び”がひしひしと伝わってきた。今回の試験、何時も以上に期待ができそうだ。


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2007年03月25日

寺子屋の開校にむけて。

3月25日(日)

寺子屋昨年からコカナ村で開校準備を進めて来た新しい寺子屋が、ようやく開校の最終段階に入り、一昨日からオリエンテーションクラスが始まった。これまでコカナ村での往診治療の傍ら、現地調査を行ってきたが、子ども達の寺子屋に対する期待が日毎に膨らむのを肌で感じ、立ち上げに関わる人間として感激の毎日を過ごしてきた。オリエンテーションに参加した子ども達の熱気も凄く、こちらも益々やる気が沸いてくる。

コカナ村はカトマンズの中心から8キロ余りの処にある長閑な農村だ。カトマンズ盆地を中心に暮らしてきた“ネワール族”の村だが、ネワール族の中でも農家のグループが暮らす村として知られている。同じ農家のグループが暮らしている事で、村人同士の結び付きが非常に強く、伝統がしっかりと受け継がれているため、昔ながらの農村の営みが見られる魅力的でとても貴重な村だ。他の民族やグループを寄せつけない事で、大切な文化や習慣が守られてきたのも事実だが、その分、首都圏にある村とは思えないほど多くの面で現代社会から取り残されているのも、この村の特徴の一つだ。

近年、教育への関心の高まりと共に村でも学校の数が増えている。村の人々は田畑を売り、競うように子ども達を学校へ行かせているため、就学率は以前に比べて大幅に上がったようだ。しかし実はその影に隠れ、学校へ行けない貧しい子ども達が沢山いることが、今回の調査の中で明らかになった。特に母子家庭や土地を持たない貧しい農家の子ども達は、完全に取り残されたような形になっている。

今回、日本の支援者の善意の下、そういった子ども達の学び舎として寺子屋を開校する運びとなったが、既に40名を超える子ども達が集まり、開校を心待ちにしている状況だ。ぜひ子ども達一人ひとりの期待に応えられる、楽しい寺子屋を目指して頑張りたいと思う。正式開校は4月中旬の予定。



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2007年03月20日

貧困の中にある心の豊かさ。

3月20日(火)

送別会クリニックを終え、大急ぎでヒマラヤ小学校へ向かった。今日は、先日から国際交流・ボランティア活動に参加しているMさんの交流活動最終日。ヒマラヤ小学校でささやかな送別会を開催した。

この2週間Mさんには持ち前の暖かい優しさで、子ども達を励ましていただいた。鬼ごっこやドッヂボールで遊んだり、綾取りを教えてもらったりと、子ども達も本当に思い出深い楽しい時間を過ごすことが出来たようだ。

ケーキ送別会は子ども達の歌や踊りで盛り上がった。また今日は丁度、Mさんの誕生日だった事もあり、学校としてささやかな誕生日ケーキを用意し、皆でMさんの誕生日を祝った。美味しいケーキも食べることが出来、子ども達には大満足の一日だった。


送別会の後、Mさんと共に、Mさんがスポンサーシップ制度を通して支援している奨学生の家を訪ねた。見るからに貧しさが分かる小さな部屋で、両親と兄、奨学生(1年生)の4人が肩を寄せ合い生活している。Mさんを精一杯もてなそうと、部屋にたった1本だけある電球を、15Wから30Wに換えようとする母親の姿には、思わず涙が毀れそうになった。

溜息が洩れそうな現状でも笑顔を絶やさない家族。貧しさの中には何時も不思議な優しさを感じる。ともすれば笑顔すら忘れてしまいがちの飽食の日本とは、全く正反対の現実を目にしたとき、Mさんは一体どんな気持ちだったのだろう。

高校生のMさんが2週間の交流活動で感じたこと、それは貧困の中にある“心の豊かさ”かもしれない。





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2007年03月17日

言葉

3月17日(土)

サッカーボール先日、大学で心理学の教鞭をとっている方から、子どもとの話し方、叱り方、誉め方など、大変有意義なお話を伺った。学んだからと言って、直ぐに実行出来るものではないと思うが、ヒマラヤ小学校の中にも“先生の一言”で大きく変化した児童が大勢いる事を思うと、やはり言葉の持つ力は大きい。それだけに子ども達に掛ける一言一句を大切にしたいと思う。

ネパールで治療活動をしようと思った時、学校を作ろうと思った時、何かをしようとした時は常に反対意見が襲い掛かり、潰されそうになった。特に学校を作ろうとした時は耳を傾けてくれる人も少なく、『日本にも困っている人はいる。学校はネパール政府がつくればいい』という厳しい意見もあり、社会は常に懐疑的だった。理解してくれるだろう、という僕の勝手な思い込みで訪ねた教育支援NGOでは、素人が余計な事をする必要はない、と言われた事もあった。艱苦に堪えられず、一時は本当に学校建設を諦めようと考えた事もあったが、そんな時、僕を勇気付けてくれたのは、支援者の方の暖かい一言や、学校を心待ちにしていた子ども達の一言だった。

時々、ネパールで活動していて一番嬉しかった事は何か?という質問を受けることがある。僕は迷わず、ある出来事について答えている。

数年前、支援をしていた母子家庭の女子学生(当時14歳)に『学校で勉強できて一番嬉しかった事は?』と尋ねた時、学生から『お母さんを病院へ案内できた事』という答えが返ってきた。

蝋燭詳しく話を聞いて見ると、病気がちの母親は文盲のため、病院へ行っても何処で入場切符を取れば良いか分からず、(他人の助けを借りて)切符を取っても、案内を読む事が出来ないため何処の診察室へ行けば良いのかも分からず、病院へ行くのを恐れていたそうだ。教育を受けた事で、病気で苦しむ母親を病院へ案内し、助けられた事がその学生にとって一番嬉しかった事だという。同じ質問を他の奨学生にも尋ねたが、ほとんどの母子家庭の子ども達からは同様の答えが返ってきた。僕にとっては決して忘れる事の出来ない一言だ。

教育支援は本当に息の長い活動が必要だ。時々、果たして何時まで続ければ良いのか?本当に成果は出るのか?と、溜息が洩れる事もある。そんな時、その言葉を思い出すと、自然とやる気が沸いてくる。それは教育活動の成果が、目に見えないところでしっかり芽を出していることを、その言葉が証明してくれるからだ。





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2007年03月16日

継続の大切さ

3月16日(金)

栄養摂取プログラム1今日は子ども達が楽しみにしている栄養摂取プログラムを開催した。栄養摂取プログラムも開催から1年以上が過ぎ、ヒマラヤ小学校の活動としてすっかり定着してきた。ご支援いただく方も増え、継続活動の道も見えて来た。本当にありがたい。


どの活動にもいえる事だが、やはり“継続”が一番大切だと思う。この栄養摂取プログラムは元々、年齢のわりに体が小さい子ども達を見て、家庭での食事の状況を調べたところ、ほとんどの子ども達が十分な食事(栄養)を摂取出来ていない事が分かり、何とか学校で子ども達の栄養を補えないか、と考えた事が切欠だった。

医師をはじめ各方面の方のアドバイスを受け、出来る限り費用を抑えつつ、子ども達の栄養を補える献立をヤッギャ校長が中心になって考えてきた。まだまだ勉強途中なので、これが最適だ、といえる献立は出来上がっていないが、卵、牛乳、果物の3つは、基本的に献立の中に入れるようにしている。

ビジェニ月に1〜2回の頻度で開催している活動なので、未だ子ども達の栄養を十分補うまでには至っていないのが実情だが、実はこの活動を継続する事で、他の面で良い成果が上がっている。この活動を子ども達が心待ちにしているのはもちろん、実は子ども達の保護者が活動を大変喜んでいる事が分かった。学校に集まった保護者へヒマラヤ小学校の活動について尋ねたところ、栄養摂取プログラムを喜ぶ声や感謝の声が非常に多かった。中には栄養摂取プログラムがあるから、子ども達を学校へ送っている親もいるようだ。

ヒマラヤ小学校があるブンガマティ村周辺では、未だ教育への関心が薄い人たちが多く、子ども達を学校へ行かせる優先順位が低い。以前、ヒマラヤ小学校を辞めた児童の家を訪ねた時、母親から『学校へ行ってどうする?空腹が満たされる訳ではない。』という言葉が返ってきた。その時は返す言葉が見つからなかった。

子どもを労働に従事させている親の中には、働けば現場でご飯を食べられるから、という理由で子ども達を働かせている人もいるようだ。確かに農作業の現場など、多くの場合、手伝いをすれば地主が昼食を出してくれる。

子ども達が教育を受けるためには、親の教育に対する理解が不可欠だ。教育の大切さを理解して貰うためには、やはり継続的な活動が必要だと思う。仮に栄養摂取プログラムを目的に、子どもを学校へ送る親がいても良いと思う。子ども達が継続的に学校で学ぶことが、親に“教育の大切さ”を理解させる一番の近道だと確信している。

“継続は力なり”強堅な目的意識を持って、一生懸命がんばりたい。




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2007年03月14日

研修

3月14日(水)

ビディヤ先生先日からヒマラヤ小学校のビディヤ先生が英語教育の研修を受けている。ビディヤ先生は大学で教育学を専攻した先生でもあり、先生の丁寧で分かりやすい授業は、子ども達から評判だ。僕もよく授業を見学するが、特にビディヤ先生の授業では子ども達の生き生きした表情が見られる。ビディヤ先生は2人の息子の子育て経験もあるからだと思うが、子ども達への指導も行き届き、見ていて安定感がある。今ではヒマラヤ小学校になくてはならい存在だ。*写真:子ども達に囲まれるビディヤ先生

ビディヤ先生にこれまでの研修の感想を尋ねると、『毎日、とても楽しい。いい勉強になっている』と、前向きな答えが返ってきた。今回の研修は学校長の予算を使って実現したのだが、今後、研修予算を確保して、できるだけ各先生にも研修の機会を与えられたらと思う。教職員全員が目的を持って学び続けることは、夢のある学校づくりには欠かせない。

鉛筆今日は友人の支援から購入した鉛筆を子ども達に配布した。子ども達全員に鉛筆を配ることが出来、本当に良かった。本来ならばクリスマスの時期か、成績発表に日に配布したいと考えていたが、試験前に新しい鉛筆を使って勉強できる事は、子ども達の“やる気”にも繋がるので、かえって良いタイミングだったと思う。子ども達の喜ぶ笑顔を見て自然と心も和んだ。底抜けに明るい子ども達の笑顔は、毎日の疲れを吹っ飛ばしてくれる。本当に不思議な力を持っている。



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2007年03月13日

頭の痛い春

3月13日(火)

先日からヤッギャ校長と来年度の計画について話し合っている。学校運営は全て学校運営委員会で決まるのだが、僕自身はできる限り、学校長であるヤッギャ先生の意向に沿う形で学校運営を進めていきたいと考えている、そのためにもヤッギャ校長の考えや気持ちを知ることが大事だ。

新入生関係来年度の新入生募集は例年通り25名前後を予定しているが、ヤッギャ校長は出来るだけ女子を優先的に入学させたいとの考えを持っている。女子教育が遅れているネパールの現状と、その現状が引き起こす様々な問題の事を考えても、学校として女子教育の充実を図る事はとても大切な事で、僕としても全く異論はない。

もう一つ、学校運営にとって大事な点である人事について。ヒマラヤ小学校では毎年、新規教員を雇用して来た。政府から教員派遣という形で支援を受ける事は可能だが、こちらで教員を選ぶことも出来ず、また公立学校教員の“怠け癖”の習性などを考えると、派遣教員を受け入れるよりも出来る限り独自に雇用しよう、という事になっていた。ただ独自で雇用すれば、それだけ人件費が嵩み運営が困難になる。昨年は支援者の方の善意で、ボランティア教員だったビディヤ先生を雇用することが出来、大変助かった。しかし現状を考えると、これ以上の独自雇用は容易ではない。僕達にとっても頭の痛い問題だ。

ヤッギャ校長ヤッギャ校長にその点について尋ねてみると、ヤッギャ校長は暫く考え込んだ上で、できれば独自で雇用したいとの返事を返してきた。理由について尋ねて見ると、開校から3年、まだヒマラヤ小学校としての基礎が出来ておらず、仮に政府派遣の所謂“怠け癖”を持った教員が入れば、学校の士気が下がり、子ども達へ悪影響を与えかねないとの理由だった。更に、教員を目指している村の若い人を雇用する事で、雇用にかかる経費を下げると同時に、教員を目指す若者にチャンスを与えたい、との考えがあるようだ。

ヒマラヤ小学校の運営の現状を人一倍理解しているヤッギャ校長の意見。僕としてはヤッギャ校長の意見をそのまま運営委員会で提案したいと思っている。もちろん運営費用を考えれば簡単に判断につく話ではないが、“子ども達のために何が最善か”という考えの下に判断をすることが大事だと思う。新入生を迎える喜びと同時に、頭の痛い春がやってきた。




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2007年03月12日

期末試験

3月12日(月)

試験前ヒマラヤ小学校では今月末から、いよいよ3学期期末試験が始まるネパールには義務教育制度がないため、子ども達は毎年、試験に合格しなくて進級することが出来ない。特に今回の3学期期末試験は進学に大きく関わるため、子ども達の表情からも緊張感が見える。


ヒマラヤ小学校でも残念ながら、進級試験に落ちて留年してしまう子が毎年出ている。児童が進級試験に合格できない理由は、僕たち学校側の問題と共に、子ども達の家庭環境が大きな問題の一つだと考えられる。子ども達の保護者の多くが文盲であることから、子ども達が授業内容を理解できなかったとき、保護者に尋ねることが出来ないことや、家に帰ってからも水汲みや草刈など、様々な家事を手伝わなければならないため、子ども達は学ぶ環境にない現状だ。村で開催している寺子屋などを活用して、放課後の教育指導にも力を入れているが、未だこれまで全児童進学という結果には繋がっていない。

ラムガンガ毎回、試験の度に気になる児童が出てくるが、今回の試験で特に気になっているのは、幼稚園年少クラスのラムとガンガの双子の兄妹だ。既に2度、進級試験に失敗し、二人とも3年間幼稚園年少クラスで学んでいる。もし今回の試験に不合格となれば、学校の規定で退学処分となってしまう可能性もある。ラムもガンガの二人ともに開校当初から学校へ来ている事もあり、何が何でも進級して、卒業まで頑張って欲しいと願っている。*写真:手前がラム。手前から3番目がガンガ。 

当人達に試験について尋ねると“大丈夫”と、笑顔で返事が返ってきた。この余裕は何処からくるのだろう。何とか試験前に“知恵熱”が出ないだろうか。試験まで後2週間、ラムとガンガをはじめ気になる児童たちへ特別補習授業が出来ないか、先生達と話し合ってみたい。



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2007年03月11日

感慨を覚える。

3月11日(日)

クリニックで治療を終えた後、ブンガマティ村へ向かった。ヒマラヤ小学校を少し覗いた後、村の尼寺を借りて片麻痺患者を対象にした治療を行なった。

04寺子屋この尼寺はヒマラヤ小学校開校前の1年間、寺子屋としてヒマラヤ小学校へ入学予定の子ども達を集め識字教育を行なっていた、僕にとって思い出深い場所だ。今日は治療前に尼さんたちと当時の話しに花が咲き、深い感慨を覚えた。*写真は尼寺で寺子屋を開催していた頃。2年生のインドウ(中央)と妹の1年生ビンデゥ(左)


建設中当時、念願の学校建設が決まり、期待で胸を膨らませながら毎日を過ごしていた事を覚えている。そわそわした気持ちを抑えることが出来ないまま、毎日のように建設現場へ通い、ゆっくり進むネパールの建設作業をじっと眺めていた。その他にも、蛭に何度も噛まれながらヤッギャ校長やモンゴル先生と土地の測量をしたり、入学児童の選考のため家庭訪問を行ったり、教科書や制服を選んだりと、慌しくても毎日が楽しくて仕方ない、そんな感じだった。


04寺子屋建設地を選ぶときは、自分のわがままを通し、周囲の反対を押し切る形で今の場所に決めて貰った。日本から視察に来た人達からは、当時、棚田だった予定地を見て、こんな場所に学校が建つの?と、首を傾げられた事もあった。今、振り返ると、当時は本当に周りが見えていなかったのだと思う。あれから4年、ヒマラヤ小学校は2階建ての立派な校舎が建ち、少しずつだが小さな子ども達の間に教育の芽が育っている。一度、子ども達の成長について、先生達とゆっくり話してみたい。


尼寺治療尼寺での治療活動は予定していた7名を超え、最終的に15名の患者さんが集まった。慌しいままの治療だったが、なんとか全員の治療を終えることが出来た。今回、1人でも多くの患者さんを治療することと、部屋に篭りきりになりがちな患者さんに外出して貰う事で、筋肉の萎縮を防ぐこと、そして気分をリフレッシュして貰う事を目的に、尼寺での治療を試みた。

各家庭を回る往診よりも効率が良い事は確かだが、それ以上に患者さん同士が積極的に自身の闘病経験などを話し合い、積極的に意見が交わされていた事が良かったように思う。旧知の友人、知人と話をすることは、精神的にも良いことだと思う。その他、治療疾患を統一することで、僕自身も治療がとてもやり易かった。

尼寺まで来るには家族や友人の協力が必要であり、まだ課題も多いが、今後もできるだけこのような形で治療を進められたらと思う。


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2007年03月09日

現実問題

3月9日(金)

日本から一通の手紙が届いた。長年に渡り僕の治療活動と生活面をご支援頂いている支援者の方からだった。手紙には先日のテレビ放映の感想と共に、いつも謙虚であること、苦しい時も歯を食いしばり、コツコツと小さな努力を積み上げるようにと、激励の言葉が書き綴られてあった。既に80歳を超えたご高齢の方だが、しっかりとした文字からは暖かい優しさが滲み出ていた。

僕がネパールで生活しながら、無料の治療活動を続けられるのは、僕、個人を応援してくださる、こうした支援者の方がいるからだ。もし支援者の方の理解がなければ、恐らく9年間も活動を続けて来られなかったと思う。理解ある支援者の方々と出会えたことが、僕の大きな幸運のひとつだった。

テレビ放映の後、若い人達から大きな反響があった。日本の若者がネパールの現状に驚きながらも、“何かしたい”と、声を上げてくれた事は本当に嬉しく、若者が夢や優しさを持っていることを強く実感した。実際にネパールで一緒に活動したいと申し出てくれた若者も何名かいたが、途上国とはいえ、生活をしながら活動を行なうためには、資金面の問題をクリアしなければ難しい。これはどうしても避けて通れない現実問題だ。

若い人たちが経済的な理由だけで活動を諦めざるを得ない現状は、とても残念な事だ。青年海外協力隊という道もあるが、若い人の情熱や能力を小さなNGOレベルで活かす事が出来れば、もっと意義があるように思える。若者がどんどん活動に参加し、存分に活躍できる支援システムを構築できないだろうか。将来、そういった活動を展開できればと思う。

今日はクリニックでの治療を終えた後、明日、参加を予定している医療キャンプの準備に追われた。開催地が山奥であること以外、どんな場所かわからないため、可能な限りの荷物を詰め込んだ。明日も全力で頑張りたい。



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2007年03月08日

交流活動

3月8日(木)

歓迎会今日から高校生のMさんがヒマラヤ小学校の国際交流活動に参加し、子ども達との交流が始まった。若いながらスポンサーシップ制度の支援者でもあるMさん(17歳)。アルバイトで一生懸命お金を貯め、奨学生に会いに来てくれたのだ。教職員および関係者そして児童全員で、Mさんの訪問を心から歓迎したい。短い交流期間だが、ぜひ若い情熱を思いっきりぶつけて、子ども達と有意義な時間を過ごして欲しいと願っている。


今日はMさんの歓迎会を開催した。支援を受けている奨学生が児童を代表して歓迎の挨拶を行なったが、子どもながらに緊張している姿が、とても可愛らしかった。Mさんと実際に会って、奨学生達はどんな気持ちだろう。嬉しいだけではない、きっと大きな感激や感動が子ども達の心の中にもあるのだと思う。人との関わりが、子ども達を大きく成長させるのだと確信している。交流を通して、子ども達にどんな成長が見られるのか、本当に楽しみだ。

歓迎ダンスその後、子ども達が練習を重ねてきた踊りや歌を披露し、歓迎会は大いに盛り上がった。心から歓迎したい、という子ども達の気持ちが伝わったのか、途中、Mさんの目から涙が毀れた。いろんな思いが込み上げてきたのだろう。感涙にむせぶMさんの姿がとても印象的だった。若いという事は、本当に素晴らしいことだと思う。Mさんの涙を不思議そうに見つめていた子ども達も、大きくなったらきっとMさんの涙の理由が分かる日がくるだろう。これからも子ども達の成長をしっかり見守っていきたい。


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2007年03月06日

新しい取り組み。

3月6日(火)

ヒマラヤ小学校での様々な活動の多くは、支援者の皆さんから頂く意見や提案を元に開催している。支援者の方の知識や経験を活かす事は、開校から3年と学校自体が新しい上に、経験の少ない若い先生が多い環境の中で、とても大きな力になっている。特に日本の教育技術は、常に子ども達の立場から考えられた素晴らしいものが多い。実践した時には“なるほど”と、感心することばかりだ。

スモン先日、ヒマラヤ小学校で初めてとなる運動会が開催された。予想を超える大きな盛り上がりとなった運動会だが、今回、支援者の方のアイデアを元に、『運動会はOOOOだから、楽しかった。』という風な形で、子ども達に運動会の感想を書いて答えて貰う事にした。

普通、ネパールの学生に感想を尋ねると、多くの場合『楽しかった。』『嬉しかった』という単純な答えが返ってくる。なにが、どうして、という大切な理由の部分がなかなか見えてこない。今回は予め紙に“楽しかった”“嬉しかった”“疲れた”“つまらなかった”などの語尾をつけ、その前の理由の部分を子ども達が埋めるようにした。

当初は回答に戸惑っていた子ども達だったが、暫くすると“友達と一緒に参加できて”“先生と一緒に遊べて”“皆で協力して勝てて”“目隠し競争で1番になれて”など、素直な感想を書き始めた。中には“美味しいご飯を食べられて”と書いた、3年生のお調子者(Oマール)もいたが、ほとんどの子ども達が素直な感想を書いてくれた。

運動会を単に楽しいだけの活動ではなく、子ども達が様々な事を学ぶ活動として意義を持たせるためにも、今回の取り組みはとても良かったと思う。これからも支援者の方の意見を取り入れながら、子ども達の一歩ずつの成長を応援していきたい。ぜひヒマラヤ小学校のこうした取り組みを、他の学校へも広めていきたいと思う。

*メイル、コメントへのお礼

沢山のメイルやコメントを頂きありがとうございました。アドレスが分かる方については、お返事を書かせていただいておりますが、一部、アドレスが分からず返信できておりません。お返事をブログの中で書かせていただきます。

〜3月5日のコメントへの返答〜

こづか様
ご感想をお寄せいただき、ありがとうございました。健康でなければ活動も出来ません。お互いに体に気をつけて、頑張りましょう。今後とも宜しくお願いします。

akemi様
ご感想、ありがとうございました。ぜひ今後とも当ブログやホームページをお目通し頂き、活動へのご感想やご意見など頂きましたら幸いです。どうか宜しくお願いいたします。

みゆき様
暖かいご感想をお寄せいただき、ありがとうございました。お気持ちに少しでもお応えできますよう、一生懸命頑張ります。ありがとうございました。

とも様
鍼灸師を目指して勉強をされているとの事。大変嬉しく思います。鍼治療には大きな可能性があると実感しています。ぜひ今後、情報交換をしていけたらと思います。学業、大変な時期だと思いますが、頑張ってください。ぜひ一緒に“鍼灸”を盛り上げていきましょう。

まいぺーす様
応援メッセージ、本当にありがとうございます。皆さんのお気持ちをしっかり受け止め、今後の活動を一生懸命、頑張りたいと思います。今後とも暖かい応援を宜しくお願いいたします。


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2007年03月05日

教育の必要性

3月5日(月)

今日も“夢の扉”の視聴者の方から沢山のメイルを頂いた。いろいろなご意見やご感想を頂き、読んでいて考えさせられる事が多かった。特に国際支援活動に興味を持っている若者が多い事には驚いた。若い人達がどんどん世界に目を向ける事は、素晴らしい事だと思う。自分として何か役立つことがあれば協力したいと思う。

メイルの中には“勇気を貰った”という意見も何件か頂いた。自分のささやかな活動が、少しでも人を勇気付けられたのなら、これに優る喜びはない。本当に嬉しい。

今日は往診治療のためコカナ村とシッディプール村を訪ねた。往診治療では主に麻痺等で歩行障害があり、クリニックへ来られない患者さんの治療を行なっている。ネパールでは基本的知識の不足、あるいは情報の不足などで、家庭内でのリハビリや適切なケアが出来ていないのが現状だ。よく、床ずれやジュクソウ(床ずれが悪化したもの)を起こしていたり、麻痺で使えなくなった筋肉が萎縮している様子を眼にすることがある。特に脳卒中後の片麻痺では家庭内での簡単なリハビリでも、ある程度の回復が期待できるだけに、家族への積極的な情報提供の必要性を痛感している。

今日は村人の紹介で片麻痺に苦しむ新規の患者さんを訪ねたが、既に床ずれが起き、ジュクソウを起こしそうな状態になっていた。家族に1時間に1回程度、患者さんの姿勢を変えるように伝えたが、家族からは『そんな事をしても、病気は治らないのでは。』との、返事が返ってきた。

医療キャンプ地で女性を対象にした保健・衛生教育を行なうことがある。しかし村の女性の多くが文盲のために、こちらが作成したパンフレットを読むことが出来ず知識の普及はなかなか難しい。時々、もどかしさを感じる事もある。

女性が教育を受けていないため、将来、母親になった時、子ども達に基本的な知識を伝えることが難しく、そのことが感染症を蔓延させる原因の一つだといわれている。保健・衛生指導の中で、ある看護師の方が、水は沸かしてから飲むように伝えると、村の女性からは『これまで沸かしてない水を飲んでいるが、問題は起きていない!』と言われたがあった。“教育”という基礎がなくては、医療の普及は不可能だと実感した出来事だった。

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メヌカコカナ村での治療を終えた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた新たに数名の方からスポンサーシップ制度へのご支援のお申し込みを頂いたので、早速、ヤッギャ校長へ伝えた。スポンサーシップ制度を始めて1年。これまで50名近い子ども達が支援を受け、一生懸命勉強を続けている子ども達にとっても支援者の方との交流は楽しく、大きな励みになっているようだ。

まずはスポンサーシップの充実を図り、子ども達が安心して学べる環境を作ること。そして職業訓練所設置による卒業生の自立活動を経て、将来は卒業生による自主運営を実現すること。これが僕達の必死の願いであり、夢だ。

“ホリプジャ祭り”を終え、ネパールは暖かくなってきた。今年もそろそろケナフの種を撒く日が近づいてきたようだ。今年も子ども達の自立に向けた活動を頑張りたい。


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本当にありがとうございました。

3月4日(日)

今日、“夢の扉”が放映された。僕自身、未だ番組を観ていないので詳しい内容は分からないが、大勢の方から感想や暖かい励ましのお言葉を頂き、驚いている。知人や友人をはじめ、番組を観た小学生、年配の方、医療関係者の方、更には日本で暮らすネパール人の方まで、皆さんから本当に心温まるメッセージを頂き、胸が締め付けられる思いだった。このブログにも沢山の暖かいコメントを頂き、感謝の気持ちでいっぱいだ。

今回、テレビ放映を通して、これだけ大勢の方との“繋がり”が持てた事が、最大の収穫だったように思う。同業種、異業種を問わず、いろんな方の意見やアイデアを今後の活動に活かす事で、より良い支援活動を目指したいと思う。*ぜひ活動への感想やアイデアなどあれば、送ってください。頂いたメイルやお手紙には必ず返事を出します。どうか宜しくお願いします。宛先:G.P.O.Box:8975,EPC:2025,Kathamndu, Nepal E-mail: himalayaikuei@yahoo.co.jp

振り返るとこの9年間、兎に角、無我夢中で走って来た様に思う。これまで、ささやかながらもネパールで活動を続けて来られたのは、ご協力を頂く支援者の皆さんのお陰だ。もちろん患者さんや現地で協力してくれる仲間との出会いがなければ、今の僕はありえない。全力で打ち込める“居場所”を見つけられた事が、僕の幸運だったように思う。

実はテレビ取材のお話を頂いた時、お断りすることを考えていた。テレビの前でお見せできる知識や技術もなく、また全ての活動が未だ勉強途中という事もあり、とてもお引き受けできるような状況にはなかった。それでもプロデューサーのMさんの番組への情熱と、きめ細かなお心遣いで、僕の中にあった不安は払拭され、少しでもネパールの現状をお伝えできるなら、という気持ちになれた。今では、撮影に参加できて本当に良かったと思っている。

今回の撮影では取材スタッフの皆さんにも大変お世話になった。また緊張する僕を勇気付けてくださったドリーム・ナビケーターで女優の映美くららさんにも感謝の気持ちを伝えたい。恐らく大変だったであろう医療キャンプの道中も、何一つ不平や不満を漏らさず体当たりで撮影に挑む映美さんの姿は、僕にとって大きな学びの収穫となった。(*映美くららさんは、オフィス設計のCMでもご活躍中です毎週土曜:17:30〜テレビ朝日系列”ANNスーパーJチャンネル”、毎週日曜:07:30〜フジテレビ系列”報道2001”)

今後、僕として誠実に、そして一生懸命頑張ることで、応援してくださる皆さんの気持ちにお応えしたいと思う。今後も一つずつ勉強が重ねながら頑張っていきたい。

    〜お礼〜

暖かい励ましのメッセージそしてコメントを頂きました皆様、本当にありがとうございました。僕として今後とも一生懸命、全力で頑張る決意です。どうか今後とも宜しくお願い申し上げます。本当にありがとうございました。

一部、物資によるご支援をご希望の方がいらっしゃいましたが、関税等の問題から原則としてお断りしている現状です。また他のご支援に関しましてはホームページをお目通し頂き、ご理解を頂いた上でご協力いただきましたら幸いです。ありがとうございました。


吉岡大祐

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2007年03月04日

お報せ

〜お報せ〜

本日、3月4日(日)全国TBS系”夢の扉・Next Door”(18:30〜19:00)にて、これまでネパールで続けて参りました”医療活動”をご紹介頂く事になりました。番組を通して少しでもネパールの現状や鍼灸治療についてお伝えできればと願っております。ぜひご覧ください。




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2007年03月03日

地域の変化

3月3日(土)

今日はホリ・プジャの日。朝から楽しそうに水や色粉を掛け合う人々の姿を多く見かけた。丁度、気温も上がり、ホリ・プジャを祝うには最適の日となったようだ。

ブンゲ今日はコカナ村で開校を予定している寺子屋の準備作業の合間を縫って、ブンガマティ村の中にある被差別階級の人々が暮らす地域を訪ねた。ヒマラヤ小学校の児童も多く暮らす地域だが、実は1年ほど前、ヤッギャ校長はじめとした村の青年有志が村開発局の協力の下に、この地域の美化活動を行い、その一環として路面に石を張る工事を行なった。被差別階級の人々が暮らす地域だからか、これまで行政的な整備がほとんど行なわれず、またこの地域に暮らす人々の多くが教育を受けていない事もあり清掃が行き届かず、一般の人が立ち寄りがたい地域だった。美化活動がこの地域にどのような影響を与えるのか個人的にも興味がある。今日は久しぶりにこの地域を訪ねて見る事にした。

路面の改修工事が完成して数ヶ月が経過したが、ところどころ損傷はあったものの思った以上に状態は良かった。白石を貼った事もあり、全体的に明るい感じがして以前のような暗さや恐ろしさは感じられなかった。綺麗になった事で、この地域を通る村人も増えたように感じる。もちろん地域を綺麗にしただけで、これまでの差別問題が解決する程、問題は簡単ではない。ただ、この活動が解決に向けた着実な一歩となることは間違いないと思う。

ビナ2途中、ヒマラヤ小学校のビナ、アスマ、シュリクリスナをはじめ、児童の家を訪ねた。子ども達に色粉や水を掛けられ流石に参ってしまったが、皆、“ホリ・プジャ”を楽しんでいる様子で嬉しく思った。




ビナ今日、家を訪ねた児童の1人ビナは、3年生で学ぶ聡明な女の子だ。成績は常に1番で今後の成長がとても楽しみな児童の1人だ。1年ほど前、ビナは退学の危機に直面していた。あれから1年、支援者の方やヤッギャ校長、モンゴル先生らの暖かい励ましを受けながら、ビナは本当によく頑張っている。村の人の話では、これまでビナの暮らす地域から高等教育を卒業した女子はいないそうだ。それだけにビナには頑張って欲しいと思う。


新入生ビナ達と話をしていると、1組の親子が近づいてきた。どうも息子をヒマラヤ小学校へ入学させたいそうだ。そろそろ新入生の受け入れを始める時期になった。来年度は一体、どんな子ども達が集まるのだろうか。今から本当に楽しみだ。



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2007年03月02日

春の訪れ。

3月2日(金)

モノージュ春を告げる祭り“ホリ・プジャ”(色粉掛け祭り)を目前に控え、ヒマラヤ小学校では祭りを待ちかねた子ども達が早くも顔を赤や緑の色に染めて賑やかだ。



ホリ・プジャの間、人々は春の訪れを祝うように水や色粉を掛け合って遊ぶ。祭りの由来についてはこれまでいろんな説を聞いてきたが、結局のところ、水を掛け合うことで日ごろの閉塞感などを開放させる事が大きな目的のように思える。この期間、道を歩く若い女性は、男性からお構いなしに水を掛けられ、なかなか大変だ。

ヒマラヤ小学校でも今日は、クマールを筆頭にした悪ガキ達が水風船を持って大暴れ。女子児童を何人も泣かしていた。時々、気の強い女の子から仕返しを受けることもあり、見ていてなかなか面白かった。今日だけは無礼講。モンゴル先生をはじめ先生達もびしょ濡れになりながら、子ども達と春の訪れを喜んでいた。

栄養摂取午後から小川寺子屋で栄養摂取プログラムを開催した。プログラムが始まって半年が過ぎ、すっかり恒例行事として子ども達の間で定着してきた感がある。今回からはサンギャさんのアイデアを元に、仕事の関係で来られない子ども達のために3時と6時の2部制にして開催することにしたが、少人数での開催になるため、これまでよりもスムーズに準備を行なう事が出来た。若い人のアイデアをどんどん活用することで、より良い活動を展開していきたい。

バナナバナナを貰って喜ぶ寺子屋の子ども。



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2007年03月01日

ブログ開設から2年

3月1日(木)

朝からクリニックで治療。昨日のゼネストの影響もあり今日は何時も以上に忙しかったが、先日から週に1回の特別治療日を設けた事で、気分的にはずいぶん楽になった。今日は糖尿病患者の血液検査の結果が出たが、順調に血糖値が下がっていて安心した。治療を続ける事で患者さんの意識が変わり、生活をコントロールできるようになった事が良い結果を招いているようだ。血圧も少し下がっていて、患者さんがとても喜んでいたので嬉しかった。

このブログを初めて何と2年が過ぎた。何事にも飽きっぽく面倒くさがりやの僕が2年間も日記を書き続け来られた事には、自分でも驚いている。ブログを始めた理由は、まず活動について知っていただくため。そして出来れば活動を通してネパールの事を知って頂きたいと思ったからだ。インターネットを通して参加された支援者の方が多いことや、僕自身がネパールで暮らしているため、なかなか支援者の方と直接会ってお話する機会がなく、支援者の方に現状をお伝えすることや活動の意義や経緯について説明するのが難しく、大きな悩みの種だった。

時々、友人や知人、時には国際交流に関心を持っている中、高生からも『楽しみに読んでいる』と、暖かい励ましのお便りを頂く事がある。2年間も続けられたのは、こうして僕の拙稿を読んでくださる人の声があるからだ。本当に感謝している。これからも自分のペースで書き続け、一人でも多くの人に活動、そしてネパールの現状を知って頂ければと願っている。


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