2006年12月

2006年12月26日

コカナ村

12月26日(火)

コカナクリニックでの治療を終えて、コカナ村へ往診に出かけた。コカナ村はいつ訪ねても、昔にタイムスリップしたような感覚を覚えてしまう、不思議な村だ。昔ながらの生活が営まれている事も理由の一つかも知れないが、兎に角、魅力的な村だ。


今日は貧しいお年寄りの患者さん達へセーターをプレゼントした。僕自身、長年に渡り数名の支援者の方から生活面と治療活動へのご支援を受けている。毎年、活動の余剰金の一部から里親教育基金やヒマラヤ小学校を支援させて貰っている。ささやかではあるが、これまで“支援者”としても活動を続けてこられた事には自分なりに満足している。

今年は治療活動で余剰金が例年よりも多く出たので、貧しいお年寄りの患者さんへセーターを配ることに決めた。先日もある村で数名のお年寄りにセーターを配り、とても喜んでもらえた。今日は四肢に麻痺があるお年寄りと、喘息を罹患しているお年寄り姉妹の3人にセーターをプレゼントする事が出来た。寒い冬にはセーターは欠かせない、お年寄りの喜ぶ笑顔に心が和んだ。

治療今日は結局、コカナで4名の患者さんの治療を行なった。ネパールへ到着してから約1ヶ月、治療活動に力を入れてきたが、ようやく感覚を取り戻したような感じだ。やはり臨床を離れてしまうと、感覚を取り戻すのに時間が掛かってしまう。来年は治療活動をもっと充実させるように頑張りたい。



寺子屋治療の後、来年の4月にコカナ村で開校を目指している寺子屋の準備を進めた。まだ準備には時間が掛かるが、ぜひ多くの貧しい子供達が楽しく学べる寺子屋を目指して頑張りたいと思う。

写真は寺子屋の予定地。


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2006年12月25日

クリスマスケーキ、シッディプール村

12月24日(日)

クリスマスケーキ朝、ヒマラヤ小学校へクリスマスケーキを届けた。10キロもある特大ケーキ。子供達にクリスマスを楽しく過ごして欲しいと、支援者の方からのプレゼントだ10キロもあるのでパタン市内のケーキ屋さんからの運搬は大変だったが、何とか形を崩さずに届けることが出来た。

ケーキを見たときの子供達に反応はなかなか面白かった。どの子供達も一瞬、完全に動きが止まったようだった。指を咥えて見つめる子、嬉しさのあまり踊りだす子など様々だった。普段ケーキなど口にすることが出来ない子供達だけに喜びも大きく、興奮した子供達を落ち着かせるのは、なかなか大変だった。

嬉しそうに、美味しそうにケーキを食べる子供達の表情は、なんともいえぬ可愛らしさがあった。試験が終わったばかりの子供達にとって、今日は何よりのプレゼントとなった。

スックルケーキを配った後、急いでシッディープール村へ向かった。今日はロータリークラブの要請を受け、シッディープール村の貧しいお年寄りを治療する日だった。シッディプールはパタン市内から車で30分ほどの長閑な村。日本からも多くの支援活動が行われている。村にはスックルと呼ばれる筵の生産が盛んで、村の女性達の多くは軒先でスックルを織っている。スックルを町で売って僅かながら現金収入があるため、何となく貧しさは感じられなかった。それでも村の中へ入ると、やはり貧しい現状が目に入ってきた。

貧しい人々にとって、大きく降りかかってくる問題の一つは間違いなく医療だ。貧しい家庭の多くは医者にかかれないため病気を放置したままにし、結局、治るはずの病気が手遅れの状態になっている事が今でも多いようだ。今日、治療を行なった患者さんの中にも、そういった状況の人がいた。医療保険など社会福祉の整備は、間違いなくネパールの緊急課題の一つだと思う。

結局5人ほどの治療を行ったが、患者さんの希望で来週も村で治療を行うことになった。少しでも自分の鍼治療が村の人々の役に立てばいいなと願っている。来週も頑張りたい。



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2006年12月23日

12月23日(土)

ダヌワール約1ヶ月ぶりに某村を訪ねた。この村は被差別階級の人々が暮らす貧困の村。辺鄙な山郷に肩を寄せ合うように家が集まり、小さな集落を作っている。伝統的なカースト制度の問題から、他のネパール人があまり近づかない村だけに、むしろ僕のような外国人が積極的に活動を行うべきだと考えている。村までは一番近くのバス停から山道を歩いて3時間近くかかるため、頻繁に訪ねることはなかなか難しい場所だが、何とか治療活動の拠点つくりを進めていきたいと考えている。

ネパール社会の問題点を凝縮したような村の様子には、何時も胸が痛くなってしまう。村の抱える問題の深さに直面すると、果たして自分に出来ることはあるのか時々、懐疑的にもなってしまう。幸いにもヤッギャ校長やモンゴル先生のような理解ある人達の協力の下、少しずつだが村の人々との理解も深まりつつある。

この村には数年前、政府の学校が開校した。学校といっても現時点ではその役割をしっかり果たしていないのが現状だ。村の人々の多くは子供達を労働者として扱い、学校へほとんど送っていないようだ。衛生状態をひとつ見ても、この村に教育が根付いていないことがよく分かる。


村老人治療を続けている老人が村の窮状を涙ながらに語っていたが、なかなか僕達だけの活動では解決できない複雑な問題ばかりだ。

未だまったく見えてこない活動の先にある村の将来像を必死に探りながら、今は目先の治療活動に専念するしかないのだろうと思う。




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2006年12月22日

ハンセン病療養所訪問

12月22日(金)

写真家の門谷優さんと共にコカナ村にあるハンセン病療養所を訪ねた。先月、ネパールでハンセン病の国際会議が開催され、優さんも新聞社の依頼で会議の取材に参加したが、そのことが切欠となり、優さんはハンセン病を取材テーマの一つとして、その後、精力的にハンセン病患者の日常を追っている。

僕自身、以前から日本ゲートボール連合の皆さんから、ゲートボールをハンセン病患者の社会復帰に役立てる活動について伺っていたので、一度、コカナの療養所を訪ねてみたいと考えていた。今日は優さんの取材も兼ね、ヒマラヤ小学校にあるゲートボール用具を持って療養所を訪ねることにした。

コカナ村の外れにある鄙びた療養所には、今も100人以上の人々が暮らしている。ハンセン病は治療薬の無料配布もあり、今では完治できる病気になっている。しかしネパールは、未だにハンセン病の撲滅宣言が行われていない世界5カ国の中の一つに挙げられている。これはカースト制度をはじめ纏綿とした社会事情が原因だと思われる。回復者の社会復帰も思うように進んでいない現状があり、ハンセン病患者を取り巻く現状は依然として厳しいようだ。

練習果たしてハンセン病回復者の皆さんがゲートボールを受け入れてくれるのか大きな不安もあったが、そんな不安は回復者に皆さんの笑顔ですぐに払拭された。


早速、ゲートボールについての説明を行ったが、ずいぶん興味を持っていただき、実際にスティックを使ってボールを打ってみる事になった。回復者の中にはスティックをしっかり握れない人もいたが、周りの人たちの協力を受けながら、レンガを2つ並べて作ったゲートに向かい、皆、一生懸命ボールを打っていた。ボールがゲートを通るたびに大きな歓声が沸き起こり、予想以上に盛り上がった。人々の喜ぶ笑顔に、僕達として手応えを感じることが出来た。


療養所ゲートボールの後は、回復者の中で体に痛みを持っている人々を診察した。病気の後遺症で関節の痛みを訴える人が多かったので、今後、鍼を使ったリハビリ治療に取り組んでみようと考えている。出来ることから少しずつ頑張りたいと思う。




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2006年12月21日

教育の大切さ

12月21日(木)

朝からクリニックの治療で忙殺された。クリニックでは一応、人数制限を設けているが、遠い山の上の村からわざわざ来てくれた患者さんを断ることは、どうしても出来ないため、毎回、予定よりも忙しくなってしまう。クリニックに来る患者さんは貧しく、教育を受けていない人がほとんどだ。今日など、ある患者さんに、患者さんの暮らす村に唯一ある東屋の電話番号を尋ねると、クリニックにある電話の所まで連れて行かれ、『このボタンを1回、このボタンを2回、これを1回押すんだ』といった感じで、電話番号を教えてもらった。そんな事もあってクリニックの正式なルール(人数制限、時間、新規患者の登録等)など、ほとんど知られていないのが現状だ。村で医療キャンプを開催した時など、村人に保健衛生について書かれたパンフレットを配っても、村人の多くが文盲のため、そうしたパンフレットがほとんど役に立たない場合がある。この辺りがネパールでの活動の難しい点の一つだ。こうした経験からも、遠回りしてでも教育を根付かせることが一番大切ではないかと思う。

先日、7年近くクリニックに通っていたお年寄り(女性)が亡くなった。クリニックへ来る度に、村で採れた大根や人参、時には村の祭りで使われる聖水まで、差し入れしてくれる心の優しい人だった。治療が終わると必ず、『あなたに神様のご加護がありますように』と、手を合わせて祈ってくれた。僕にとっては決して忘れることの出来ない患者の1人だ。

その患者さんが毎回、口癖のように『次ぎ生まれたら学校へ行って、字の読み書きと時計の見方を覚えたい。』と言っていた。今振り返ると、とても重い言葉のように思える。ネパールの識字率が先進国並みになるまで、一体、どれくらいの時間が掛かるのだろう?決して簡単ではない問題だが、一歩ずつの歩みがなくては解決には向かわない。ヒマラヤ小学校の一歩ずつの歩みが、将来、国の大きな力になる事を願いつつ、今は一生懸命頑張るしかない。


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2006年12月20日

クマール

12月20日(水)

さっちんヒマラヤ小学校の二学期期末試験も終盤に入った子供達にとっては本当に長い、長い1週間だと思う。兎に角、最後まで頑張って欲しい。それにしても試験中に見せる子供達の真剣な表情は普段とは違い、なかなか新鮮だ。

時間の都合上、今回の試験からは監視員を辞退することになったため、試験の一部始終は分からないが、これまで大きな問題も起こらず順調に進んでいる様で安心した。比較的、試験の出来も良いようだ。



クマール今日は試験の様子を一通り見た後、先に試験の終わった幼稚園クラスの園児と校庭で話をしていると、3年生のクマールが玩具のサングラスを掛け、ニコニコしながら近づいてきた。何でも試験が一番先に終わった事を誉めて欲しいようで、一生懸命、僕に説明をしてきた。

クマールは成績も良く、開校以来クラスの中で大体2番の位置にいるが、時々、成長著しいプジャに2番の位置を奪われ、3番に下がることもある。前回の試験など3番に下がり、かなり落ち込んだ様子で、暫く俯いたままだった。クラスには開校以来、不動の1番のビナがいるため、頭から1番になることは諦めているようだが、少し気を抜いた時などプジャに追い越されてしまい、クマールなりにプライドが傷つけられてしまうようだ。

試験が友達よりも早く終わったのは良いが、ちゃんと出来たのか訊いてみると、『とても良く出来たよ』とサングラス越しにニコリ。こんな調子だから時々、プジャに抜かれてしまうのかもしれない。でも少しずっこけているところが、なんとも憎めないクマールの長所だ。今回の試験結果は果たしてどうなるのだろう。試験会場を覗いてみると、プジャがとても真剣な表情で答案用紙に向かっていた。。。。。成績発表は1月4日の予定。



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2006年12月16日

悩む

12月16日(土)

長年クリニックで治療を続けている患者さんから、知人に病の者がいるので一寸診て欲しいと頼まれ、カトマンズ郊外の村を訪ねた。村の中心にバイクを止めた後、果てしなく続く畦道を歩き、病人の暮らす家に辿り着いた。見るからに貧しさの分かる小さな家。中に入ると、奥にあるベッドには病気を患っているという男性と、その傍には男性の妻と思われる痩せこけた女性がいた。僕に気がつくと女性が人懐っこい笑顔で、『ナマステ』と挨拶をしてくれた。

2人ともネパール語が話せないため、身振り手振りでの会話となった。ベッドの下から取り出した埃まみれの古いファイルに目を通すと、男性は心臓病、女性は子宮筋腫を患っている事が分かった。どちらも手術で治せる病気だが、手術費用を捻出することが出来ないため長年放置しているようだ。2人の子供もそれぞれ3年生と5年生で学校を辞め、今は生活費を賄うために工場で働いているそうだ。

村



何時もながらこのような苦しい現状を目の当たりにすると、言葉に詰まってしまう。一体、ネパールの人々のために必要な支援とは何なのか?自分たちに出来る事は何なのか、本当に分からなくなってしまう。

女性の方は子宮筋腫以外にも関節リュウマチを患っている様子だったので、来週にも血液検査をしてみようと思う。里親教育基金の奨学生の中に検査技師の勉強をした子が2人いるので、早速、2人に連絡を取り、準備を進める事にした。


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2006年12月15日

手紙

12月15日(金)

先日、ある支援者の方から奨学生の手紙について、『何時もの手紙と異なり、とても素直な内容で、一生懸命書いた様子が伝わってきた。成長が見られて嬉しい。』という内容のメイルを頂いた。子供たちの成長を喜んでいただけた事は、プログラムに関わる者として本当に嬉しい。早速、ヤッギャ校長に連絡したら、とても喜んでいた。子供たちの事を誉めていただく事は、正直、僕たちにとって何よりの励みとなる。

バサンティ


支援者の方のメイルには『これまでの手紙は何か手本を元に書いているような、硬い感じがしていた。』という内容も付け加えられていた。識字率の低いネパールでは、手紙を書く習慣が殆どない。文盲率が高い村では今でも、口伝いに情報が回っている。子供たちの保護者の多くも文盲であるため、“手紙”がどんな物かを知らない子も多い。支援者との交流で初めて手紙を書いた、或いは受け取ったという子が殆どだ。

ラシュミタ
初めの頃、どのようにして手紙を書いて良いのか分からない子供たちは、先生達や既に文通を行っている友達に手紙の書き方を教わりながら書くため、どうしても内容が手本どおりの硬いものとなってしまうようだ。それでも回数を重ねる内に少しずつ慣れ、何回目かには自分の気持ちを素直に書けるようになってくる。翻訳を担当している僕には、この辺りの成長を発見できる事が一つの喜びにもなっている。




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2006年12月13日

二学期期末試験はじまる。

12月13日(水)

朝、何時もより少し早起きをして、溜まっていた翻訳作業を一気に行った。なんとか50枚の翻訳が終えることが出来た。残りは10枚程度。出来るだけ早く奨学生と、支援者の皆さんにお届けしたいと思う。

試験中

今日からヒマラヤ小学校で二学期期末試験が始まった。緊張気味の子、余裕たっぷり自信満々な表情の子など子供たちの表情もいろいろだが、兎に角、焦らずに頑張って欲しいと思う。ただ試験となると、やはり気になる子が各クラスに数名ずついる。いろんな理由で勉強が遅れているのだと思うが、試験によって、これまで学校生活で身につけて来た自信を失くさないで欲しいと強く願っている。

皆、頑張れ!!


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2006年12月11日

歓迎会

12月11日(月)

朝から冷たい雨が降る生憎の天気。冬場でも日中は暖かいカトマンズだが、雨が降ると急激に寒くなる。今日のように一日中、雨が降り続くと尚更寒い。こんな時はカトマンズが海抜1350メートルにあるということを、強く思い知らされる。

今日は冷たい雨が降る中、支援者の方々をヒマラヤ小学校へお迎えした。初めの内は寒さに体を震わせていた子供たちだったが、一生懸命、歌や踊りを披露している内に体も温まったようで、最後には大きな笑顔が見られた。ゲストの皆さんにも子供たちの元気な姿を見ていただき、喜んで頂けたように思う。

今日の歓迎会では1年生のディポック君が歓迎の挨拶を行った。予想外の配役に少し驚いたが、ディポック君は初めてとは思えないほど上手に挨拶をすることが出来た。子供たち全員に必ず活躍のチャンスを作るヤッギャ校長の姿勢には、何時もながら感心する。後で知った話だが、今回の挨拶の文面は、これまで歓迎会で挨拶を行っていた2年生のジュンキリちゃん(16)がディポック君を指導して作成したという。こうした子供たちの小さな成長が何よりも嬉しい。
ディポック


夕方からはゲストの皆さんに長年ご支援頂いている村の寺子屋をご訪問いただき、子供たちと楽しい交流の時間となった。途中から停電となり、残念ながら子供たちが練習を重ねてきたダンスを披露することは出来なかったが、子供たちとって思い出深い夕べのひと時になった。



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2006年12月10日

慌しい1週間

12月10日(日)

日本一時帰国を終えネパールへ到着してから、あっという間に1週間が経った。息つく暇もないほど慌しい毎日だったため、旅行鞄の整理もまったく終わっていない現状だ。留守中の仕事の引継ぎなどに加え、日本滞在中に支援者から預かった手紙や、1週間の間に子供たちから新たに預かった手紙の翻訳作業にも追われている。なかなか落ち着かない毎日だが、支援者の皆さんと子供達の気持ちの橋渡し役として、しっかり頑張りたいと思う。

今日、ネパールを発たれた渡辺先生を宿泊先でお見送りした後、2名の患者さんへの往診治療を行った。少し症状に改善が見られたため、患者さんと家族の方から随分、喜んでいただいた。こんな時は鍼灸師としての遣り甲斐を一番強く感じる時だ。

往診を終えた後、先日からネパールを訪問中の支援者の方とカトマンズ市内でお目にかかり、明日のヒマラヤ小学校訪問について打合せを行った。皆さん、エベレスト方面(ソルクンブ)へのトレッキングを終えられたばかりだったので、山の様子などを伺うことが出来、楽しい時間を過ごす事が出来た。今回、皆さんからヒマラヤ小学校に楽器をご寄贈いただくこととなり、早速、購入の準備に取り掛かった。

楽器といっても様々だが、出来るだけ子供たち皆が楽しめるタンバリンやカスタネットなどを購入できればと考えている。今、ヒマラヤ小学校にあるピアニカと合わせれば、なかなか面白い楽隊が出来そうだ。ぜひ音楽活動からも子供たちの才能を引き出したいと思う。

夜は里親教育基金の奨学生宅を訪問。みんな元気に頑張っている様子で安心した。


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2006年12月09日

医療キャンプ

12月9日(土)

村
今日はヌワコット郡カーガティ村で開催された医療キャンプに参加した。カーガティ村はカトマンズから車で1時間半ほどの小さな村。丘の南斜面に並ぶ家々が、独特の美しい町並みを作っている。以前は辺鄙な村だったようだが、近くに首都圏のゴミ処分所が出来たことでカトマンズと道路で繋がり、村の様子は急変したようだ。

数年前に日本の援助で建てられた立派なヘルスポストが、今回のキャンプ地だった。ジェネレーターまで完備された立派な施設だが、どうも十分に活用されていないようだった。管理が悪いせいか電球なども壊れたままで、何となく宝の持ち腐れといった感じがした。

鍼治療
今日の医療キャンプでは腹痛、喘息、心臓病、変形性膝関節炎、関節リウマチ、多発性神経炎など、実に様々な症状の患者さんが訪れた。特に貧しいお年寄りが必死になってリウマチの苦しみを訴える姿には、胸が締めつけられる思いがした。

キャンプの間、自分として出来る限りの治療をしたつもりだが、治療法に行き詰っていることもあり、なかなか満足のいく治療は出来なかった。それでも治療を喜んでくれた患者さんの笑顔には、救われる思いがした。今後、気概をもって一生懸命取り組むことで、少しずつ良い成果を出していきたいと思う。

写真はフォトグラファー門谷優さん提供。



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2006年12月07日

ドッジ

12月7日(木)

ヒマラヤ小学校では来週、13日(水曜日)から二学期期末試験が始まる。試験の準備で先生達も忙しそうだ。義務教育のないネパールでは、毎年、進級試験が行われる。小さな内から試験に追われる事は傍から見ていても決して良い気はしないが、5年生で受ける郡レベルの卒業試験の事を考えれば、仕方ないようにも思える。子供たちには普段の努力の成果を存分に発揮して欲しいと思う。

試験の準備に忙しい先生達に代わり、今日は子供たちとドッヂボールをして遊んだ。渡辺先生、優さんも参加しての賑やかなドッヂボールとなったが、久しぶりの運動で良い汗をかく事が出来た。試合中の子供たちの様子を見ていると、見事なまでに性格が良く分かる。のんびりしている子、すばしっこい子、抜け目のない子、改めて学校が小さな社会である事を認識した。

結局、5試合ほど行ったが普段の運動不足もありくたくたに疲れた。それでもドッジボールを通して、子供たちが勝った時の喜び、負けた時の悔しさをチームメイトと分かち合えた事は、すばらしい事だと思う。近い将来、ぜひ学校内のドッヂボール大会を開催したいと考えている。

夕方からは往診に出かけた。久しぶりの治療活動だったが、再開を待っていてくれた患者さんの暖かい言葉に心が和んだ。

先日、愛媛新聞の『ぐるっと地球』にジュムラ訪問に関する記事が掲載されたが、大勢の方から暖かいメッセージをいただいた。愛媛新聞に僕の拙稿を掲載頂いて2年半。ネパールについて発信できる数少ない機会だけに、少しでもネパールへの理解が高まるよう一生懸命、頑張りたいと思う。暖かいメッセージをお送りいただいた皆様、本当に有難うございました。




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2006年12月06日

歯磨き粉

12月6日

メヌカ
昨日まで開催された歯科治療の中で、(幼稚園クラスの)メヌカの顎の傷に歯磨き粉が塗られてある事が判った。数日前に怪我をした後、薬の代わりとして、母親が塗ったものらしい。歯磨き粉のスースーする感じがエタンノールなどの消毒薬と似ているからだと思うが、村ではメヌカと同じように傷口に歯磨きをつけるケースをよく見かける。貧しい家庭で消毒薬を常備していることは、ないに等しいと思う。怪我をしたからといって消毒薬を買う余裕もなく、自宅か近所にあった歯磨き粉を薬代わりに使うことは、貧しい家庭では普通の事のようだ。

はっきりとした事は判らないが、傷口に歯磨き粉が固形化すれば、感染症を引き起こす原因にもなると思う。消毒薬はなくても傷口を水で洗い、乾燥させた方がきっと安全ではないかと思う。

僕自身、村を訪ねた時など、怪我をした村人の傷口に消毒液を塗ることが時々ある。もちろん消毒液を塗ること自体は間違っていないが、村の人々に消毒に関する知識を伝えないままでは、“傷口にスースーするものだけ塗れば治る“という間違った認識を与えかねない。これまでの自分の行動を反省しなければならない。

泣きつくメヌカを押さえながら歯磨き粉を拭き取り、傷口に化膿止めを塗って何とか対処することが出来た。ネパールでは人々が教育を受けていないという前提で活動する必要があることを、今更ながら強く感じた。



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2006年12月05日

人間としての優しさ。

12月5日(火)

ルンチェ昨日に引き続き、今日も渡辺先生による歯科治療が行われた。新入生にとっては初めての歯科治療ということもあり、やはり泣き出す子もいた。どうやら治療機材から出る大きな音が恐ろしいようだ。その辺りは日本の子供もネパールの子供もちっとも変わらない。上級生になると流石に泣き出す子も減り、治療はスムーズに進んだようだ。


治療2

渡辺先生には2日間に渡り全児童の歯科検診と治療をして頂き、万言に尽くせない感謝の気持ちでいっぱいだ。子供たちには渡辺先生が献身的に治療を施される姿から、多くの事を学んで欲しいと願っている。これから子供たちが大きくなるにつれ、渡辺先生のように歯医者さんになりたいという子や、他人のために尽くしたい、という子も出てくるだろう。人間としての優しさや思いやりを肌で感じ、学ぶことは子供たちにとって何よりの財産になると思う。そのことは、“将来、卒業生が学校を支える“という僕たちの目標にとっても、大きな力になると思う。*下の治療写真は門谷優さん提供



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2006年12月04日

歯科治療と栄養摂取プログラム

12月4日(月)

治療
今日はヒマラヤ小学校で歯科医師の渡辺先生による、恒例の歯科検診が行われた。渡辺先生には開校以来、年に2度、子供たちへの歯科検診と治療を施して頂いている。保険制度もなく医療費が高いネパールでは、貧しい家庭の子供たちが歯科治療を受けることは非常に難しい現状だ。日本から重い機材をお持ちになり、献身的かつ継続的な活動を続けてくださる渡辺先生には感謝の気持ちでいっぱいだ。渡辺先生の活動と合わせて、ぜひ子供たちの虫歯予防にも努めていきたい。

栄養
今日は栄養摂取プログラムをご支援頂いている支援者の方をヒマラヤ小学校へお迎えし、実際に栄養摂取プログラムを見ていただいた。栄養摂取プログラムも始めてから既に1年が経過した。手探りで始めた活動だが、今では子供たちが一番楽しみにしている行事となった。ご支援いただく方も増え、何とか年間活動として定着できそうな状態になりつつある。子供たちが嬉しそうにご飯を食べる姿を見ていると、栄養摂取プログラムの意義を改めて実感する。

今週の土曜日には医療キャンプに参加する予定だ。暫く慌しい毎日が続きそうだが、一つひとつの仕事を一生懸命進めていきたい。





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2006年12月03日

一時帰国

12月3日(日)

日本滞在中の全日程を終え、3日、無事ネパールへ到着した。今回の一時帰国は滞在期間が短かっただけに慌しい日程となったが、同行のサダナさんともども大きな学びの収穫を得ることが出来た。

『21世紀若者賞』の表彰式典では、サダナさんが物怖じすることなく、しっかりと壇上で表彰を受ける姿に、こみ上げてくるものがあった。サダナさんと出会ってから約5年、当時と変わらない情熱と若さあふれる行動力には、頭が下がる思いだ。臨席された常陸宮殿下・妃殿下からも親しくお声を掛けていただき、サダナさんにとって一生忘れることの出来ない晴れ舞台となった。サダナさんには今回の受賞を機に自らを更に高め、他の若者の憧れの存在として大きく飛躍して欲しいと願っている。

海
表彰式典以外でも滞在中は大勢の人々から暖かい歓迎のもてなしを受け、感謝・感激の毎日だった。福島県海洋科学博物館では館長さん自らがご案内いただき、海洋生物について学ぶ事が出来た。またご案内いただいたいわき市の岬公園から太平洋の荒波を間近で見ることが出来、海のないネパールに暮らすサダナさんにとって何よりのプレゼントとなった。その他にも国際ソロプチミスト東京・新宿クラブの例会、目黒区内の小学校での交流、またケナフ活動の報告会に参加するなど慌しいながらも本当に充実した毎日を過ごすことが出来た。


学校
僕自身も今回の一時帰国では新たな目標を持つことが出来た。特に鍼治療では著名な先生とお目にかかり直接ご指導をいただくなど、勉強の機会に恵まれた。ここ数年、治療方法に思い悩んでいただけに、目の前の視界が広がった思いだ。ただ、今回も時間の都合で支援者の方々とゆっくりお話しする事が出来なかった。報告したい事が山ほどあっただけに、その点は非常に残念だった。次回こそ、じっくり時間を掛けて支援者の皆さんを回りたいと思う。

お詫びとお礼

一時帰国の連絡が出来ず、支援者をはじめ大勢の皆様にご心配とご迷惑をおかけいたしました事、お詫び申し上げます。滞在中は大勢の方々に暖かいご声援を頂きました事、改めてお礼申し上げます。本当に有難うございました。






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