2006年04月

2006年04月27日

難しい局面での成功

4月27日(木)

朝、ヤッギャ校長、モンゴル先生、サダナが集まり、釜野先生をお見送りした。この4日間、本当に慌しく緊張の毎日だったが、何もかも信じられないほど上手くいった。乾坤一擲の意気を燃やしてネパールを訪問された釜野先生。どんな状況でも希望を持ち続け、努力を続けたサダナさん、調整役としてサダナさんを小まめに支えたヤッギャ校長、『ケナフ活動を成功させたい』という皆の思いが、成功に繋がったのだと思う。難しい局面での成功だったからこそ、今後の活動に大きな好影響を与えると思う。

釜野先生を空港へお見送りした後、8月12日、13日に予定している『第2回こども環境会議』のパンフレット作りに取り掛かった。何とか5月の第1週にはパンフレットを完成させたい。

ネパールは、ほぼ普段通りの生活を取り戻した感じを受ける。不足していたガソリンや灯油、ガスといった生活必需品も町で見かけるようになり、物価も落ち着きつつあるようだ。人々からは議会の復活に対する希望と不安の両方の声が聞こえてくる。今回の『足して2で割る』解決が後を引きずる結果にならなければ良いと思うが、暫くは紆余曲折が続くと思う。今はネパール人独特の暢気さに大きく期待したい。


hsf at 03:09|Permalink

2006年04月26日

調印式

4月26日(水)

今日はいよいよ念願の調印式。政党側が国王の声明を受け入れゼネストが解除になったとはいえ、何が起るかわからない。民衆が感情的になっている現状では、ささいな事でも問題が起ってしまう。今日一日、何事も無く静かに過ぎて欲しいと心の中で願いつつ、調印式予定時間(午後4時)が来るのを待った。

昼から釜野先生と今後のケナフ活動について、ゆっくりお話することが出来た。ネパールの経済規模や地理的条件などを考えると、将来的に大規模な産業を立ち上げるのは困難だ。それよりも小さくてもネパールならではの活動を展開したいと考えている。例えば、釜野先生が提唱されるユートピア構想のように全ての面で環境に配慮した完全循環型の工場など、世界でネパールにしかない形を構築していければ、将来、そこで働く人たちや地域社会に人々にとっても誇りとなり、発展が期待できるのではないだろうか。世界に誇るネパールの美しい自然とケナフ活動を必ず結び付けたい。

市長
午後4時、カトマンズ市役所で調印式が開催された。カトマンズ市側が十分な準備をしてくれたお蔭でスムーズに式を始める事が出来た。冒頭サダナさんが調印の趣旨を話したが、会場に集まった市長をはじめ区長達、メディア関係者の前でもまったく動じる事の無い、どっしり、しっかりとしたものだった。サダナさんは活動を通して、確実に実力と自信をつけている。


大臣市長との調印は順調に終わり、会場からは大きな拍手が沸き起こった。調印が終わった瞬間、何ともいえない感動を覚えた。市役所で市長自らケナフの苗を植えるなど、素晴らしい調印式となった。その後、急用で参加できなかったプロカシュ・コイララ大臣と自宅でお目にかかり、立会人の区長さんと共に何事も無くサインをして頂いた。これで環境・科学技術省、カトマンズ市、日本ケナフ開発機構、ネパール・ケナフ開発の4者による署名が完了、今後、共同でケナフ活動を進める事が正式に決まった。

2年前、2校の小学校と寺子屋の片隅での種蒔きから始まったケナフ活動は、大勢の人々の理解と協力、そして何よりも子ども達の熱意に推され、想像以上に大きな発展を見せた。これから政府と共により意義ある活動を目指し頑張っていきたい。

夕方からはシャングリラホテルでカトマンズ市主催の夕食パーティに参加。コイララ大臣も参加しての楽しい夕べの一時となった。

今回、一度は諦めていた調印式が開催できたのは、サダナの謙虚さと何事にも前向きな明るさ、そして知恵と個性、そして何よりも、あの混乱時に命がけでネパールへ乗り込んだ釜野先生のケナフに対する情熱と勇気、勝負根性、それに尽きると思う。

『一生懸命頑張れば、何だって出来るんだ〜』と謙虚に囁いたサダナさんから、今後のケナフ活動の発展を確信した。




hsf at 03:25|Permalink

2006年04月24日

表敬訪問

4月24日(月)

早朝、外出禁止令が発令される前にサダナを迎えに行き、釜野先生の宿泊先を訪ねた。ヤッギャ校長も参加して、8月に予定している第2回こども環境ケナフ会議や今後の活動について打ち合わせを行った。釜野先生とお話をしていると、いろんな方向性が見えてきた。釜野先生の情熱に士気も上がっている今、必ず会議を大成功に収め、更にケナフ活動を盛り上げたいと思う。

コイララその後、外出禁止令の最中、治安部隊の車両を使って環境・科学技術省を訪問。プロカシュ・コイララ大臣を表敬訪問した。ケナフに強い興味をお持ちの大臣からは、個人としてもケナフ活動の成功に全面的に協力したいとお話いただいた。大臣にはケナフに強い関心をお持ちいただき、本当にありがたい。サダナさんが足繁く環境省へ通い、ケナフの話を続けた成果だと思う。

プロカシュ大臣その後、森林土壌防災大臣を訪ね、今後の活動について話をした。ケナフ活動は環境、教育、農業、産業、森林保護など分野が多岐に跨るため、それぞれの省庁で活動の話をしなければならない。森林土壌防災省でも良い手応えを感じた。まずはケナフを知っていただき、各省庁で出来る協力をいただければと考えている。

今日は2人の大臣とお目にかかり、大きな手ごたえを感じた。何とか釜野先生が滞在される26日までに、一度諦めた調印を実行したい。

夕方、外出禁止令が解除されたためサダナを送り、その後、タメルにいらっやるチョラ・チョリの皆さんを訪ねた。いろいろと情報交換を行いながら、デモの随所に見られる『ネパールらしさ』について話していると、楽しくて気持ちがすっきりした。

『明日、明後日には。。。。』なんて話をしていると、深夜、国王が声明をだし、解散したままの下院復活を表明した。政党側は声明を歓迎している様子なので、状況は収束すると考えられる。今回の騒ぎも結局はアジア的な結末に終わった。このまま静かになるとありがたい。



hsf at 02:30|Permalink

2006年04月23日

命がけの活動

4月23日(日)

朝、予定通り外出禁止令発令のニュースが流れた。予定よりも早い時間に外出禁止令が発令となり、急いで空港へ向った。飛行機到着までの5〜6時間、芝生の上に寝転びながら今後の活動についてあれこれ考えていると良案も浮かんできた。

最近、外出禁止令の関係で部屋に篭ることが多いためか、野外にいると自然と嬉しい気持ちになった。

午後1時過ぎ、日本ケナフ開発機構の釜野先生が到着された。政情不安の続く中、ネパールへお越しになられた釜野先生の情熱と信念、そして命がけの行動に、僕達の心も奮い立った。失敗を恐れず、自分の信念で行動することがとても大切である事を強く感じた。

僕達としてこの4日間、出来る限りを尽くして、釜野先生の情熱にお応えしたいと思う。信念を持ち続ける事、本当に貴重な勉強の機会となった。



hsf at 02:39|Permalink

2006年04月22日

デモ

4月22日(土)

朝、サダナさんの家でミーティングを行った。ヤッギャ校長は道路封鎖の影響で残念ながら参加できなかったが、明日、到着される釜野先生の日程について細かい打ち合わせが出来た。やはり直接会って話すと、電話よりも話が纏まりやすい。

帰り際、リングロードとバクタプールへ行く道の交差点(コテショール)で小規模なデモが行われていた。学生と思われる若い人たちがタイヤを燃やしながら、反政府の雄たけび声を上げていた。そっとデモを抜けようとすると、予定通り止められ『ここを通る事は出来ない。従わない場合はバイクを焼却する』とお叱りを受けた。

普段は人懐っこく優しいネパールの人たちも、デモになるとやはり相当感情的になっている。(近づく方が悪いのだが)それでも同じデモに参加している人が回り道を丁寧に教えてくれるなど、ネパール人らしい暢気さも伺えた。この辺が複雑で今後の予測が難しいのかもしれない。

12時から外出禁止令が発令され、家に篭って雑用を片付けた。明日はどうなるだろう。


hsf at 02:19|Permalink

2006年04月21日

ケナフ活動

4月21日(金)

デモ朝、予定通り日中外出禁止令が敷かれる事を知った。その事を受け、サダナ、ヤッギャ校長と協議した結果、25日に開催を予定していた調印式は延期する事にした。自分達の中では実行出来るという信念を持っていても、やはり周囲の人々に心配や迷惑を掛けてまで実施する事は適当でないとの判断からだ。早速、環境省、カトマンズ市、森林土壌防災省へ調印式の延期を連絡した。政府側の担当者からは『なぜ?』というような返事だったが、決まったことは仕方ない。これまで進めてきた事が決して無になるとは思わないが、25日の調印式を目標に頑張ってきただけに、思わず溜息が漏れた。

ベトナムにいらっしゃる釜野先生にも調印式の延期についてメイルでご連絡したが、釜野先生からは『調印式が出来なくてもネパールを訪ね、今後の打ち合わせがしたい。それが大事だ。』という前向きなお返事を頂いた。モヤモヤしていた心の中がすっきりした思いだった。同時に釜野先生のケナフに対する強い熱意と情熱を改めて実感した。上記の通り、関係省庁には延期という事で連絡済みのため、調印式の開催は難しいと思うが、釜野先生には可能な限り意義ある時間を過ごして頂ける様、全力で頑張りたい。



先ほど国王から声明が出された。民政の復活ということだが、これで全ての問題が解決したわけではない。これから山積する諸問題を7政党連合が解決できるのか、険しい道のりが続きそう。


追:大勢の方々から民政復活のニュースについてご連絡を頂きました。
国王が『ほら、やってみろ。どうせ出来ないだろう』と高を括っただけ。これは僕が師事しているK先生のコメントです。今回の動き、このコメントが100%的確だと思います。





hsf at 23:02|Permalink

2006年04月20日

延期か?

4月20日(木)

今日から再び外出禁止令が敷かれた。大規模な反政府デモ開催にあたり政府側が取った緊急措置だ。騒ぎも大きくなりつつあるが、一つひとつの出来事に慌てふためくことなく、冷静に世の中を見つめる訓練をしなければならないと思う。

ネパールの情勢を心配する日本からの声も日毎に増えている。今日は今月25日に環境省、カトマンズ市と予定している調印式について、日本側から問い合わせがあった。こんな現状だから開催延期を選択肢の一つに入れる事は無理もないと思うが、これまで不測の事態に備え細かい準備を進めてきただけに、簡単に延期を決めるのも辛いものがある。

サダナやヤッギャ校長と相談した結果、結局、明日まで事態の推移を見ることになった。周囲の人達に心配をお掛けしてまで調印式を実行する事は本望ではないが、せっかくの貴重な機会を逃すことも避けたい。直面する困難を大きな学びの機会と捉え、3人で知恵を絞って頑張りたい。



hsf at 22:55|Permalink

2006年04月17日

表彰式

4月17日(月)

今日はチョラ・チョリの皆さんをお迎えし、ヒマラヤ小学校で表彰式を開催した朝まで開催できるか不明だったが、今後の情勢が不明な点などを考慮すると、少しでも落ち着いている時に表彰式を実施する事にした。子ども達が年に1回、とても楽しみにしている行事なので、全ての先生達に呼びかけ、公共交通のない中でも何とか集まって貰った。

造成今朝から、学校隣に建設予定の『なかよし子ども公園』の造成作業が始まった。昨年、日本の支援者の方から頂いた浄財でヒマラヤ青少年育英会用地を取得した後、ラリットプール郡開発局へ塀建設の助成金申請を行ったところ、ようやく一部が認められることとなった。完全ではないものの、塀の一部についてネパール政府から助成金を受ける事が出来たのは大きな前進だと思う。村の子供たち皆が楽しめる夢のある学校を目指したい。

表彰公共交通の問題で先生達の集合が遅れたことから、予定時間を少し遅れて成績発表が始まった。今回は『成績優秀者賞』(各クラス上位3名ずつ)、『清潔賞』『皆勤賞』の3つの賞の他に、『チョラ・チョリ賞』と『努力賞』を新たに設け、受賞の機会を増やすことにした。成績だけでなく日頃の何気ない努力を認めることは、とても大事なことだと思う。冒頭、式辞を述べたヤッギャ校長が『みんな本当によく頑張った。ありがとう。』という言葉を何度も繰り返していたのが印象的だった。ヤッギャ校長にとっても、この2年間の子ども達一人ひとりの成長には感慨深いものがあるのだと思う。結局、チョラ・チョリ賞は2年生のビナが、努力賞は1年生のジュンケリが受賞した。2人とも文句なしの受賞だと思う。

制服表彰式の後はチョラ・チョリの皆さんから、第一期生(60名)に新しい制服が配られた子ども達にとって2年ぶりの制服、皆、とても嬉しそうだった。今回は生地を変えたので、前よりはもつのではないかと思う。ヤンチャな子ども達の事を考えると、あまり期待はできない。


その後、昨年から続けている栄養摂取プログラムを実施こちらもチョラ・チョリの皆さんから新規にご支援をいただき、今回からより栄養価の高い献立に変更することが出来た。1年間の継続的な活動を通して、大きな成果を上げたいと思う。

栄養摂取普段、子ども達は十分な栄養を摂取していない。貧困の現状では仕方ないことだが、年齢に比べて成長が遅れている様子や、ほぼ全員が鼻水を垂らしている様子からも栄養を十分に摂取できていない事が分かる。

この栄養摂取プログラムは開校以来、いつか実施したいと願っていたプログラムの一つだった。東京の看護婦長さんのご支援で始まったプログラムは少しずつ理解が深まり、今では1年間、十分な活動が出来る目安がついた。本当にありがたい。食事を美味しそうに食べる子ども達を見ていると、栄養摂取プログラムを実施出来て本当に良かったなぁと思う。






hsf at 01:26|Permalink

2006年04月16日

新入生

4月16日(日)

新入生朝早く、徒歩でブンガマティ村を訪ねた。昨日出された国王の声明を受けてか、ブンガマティ村へ向う道中では数箇所でタイヤが焼かれていたり、大きな石が並べられ道路封鎖が行われていた。日頃の閉塞感を打破したいという市民が、更に感情的になっているような気がする。こうなると事態に超然としているのも難しくなってくる。

新入生2ヒマラヤ小学校に着くと、入学を希望する子ども達が長蛇の列を作っていた。小さな子供達が学校で勉強することを夢見て集まってくる様子を見ると、何時も胸が一杯になる。何とかこの子ども達の希望が叶うよう、全力を尽くしたい。

早めにヒマラヤ小学校を後にして、明日、開催を予定している表彰式の賞品を買いに行った。店の多くが閉まっている事もあり、賞品選びは予想以上に難しかった。結局、小さな玩具や学用品などを購入したが、ついつい買い過ぎてしまったような気がする。

その後、里親教育基金の奨学生(姉妹)を訪ねた。ここ最近、政情不安の影響で奨学生を訪ねるのも難しくなっている。どの家庭を訪ねても将来に対する不安の声が聞こえてくる。先日から続く混乱の影響で物価が跳ね上がり、貧しい家庭を直撃している。学校も休校したままの状態が続き、奨学生も心配していた。早く事態が収束に向うことを願わずにはいられない。


hsf at 23:16|Permalink

2006年04月15日

楽観的な国民性

4月15日(土)

朝、大臣公邸で行われたヒマラヤ青少年育英会の理事会に参加した。ヒマラヤ小学校の運営について、教員に対する支援を頂いたことや(ビディヤ先生への支援)、新入生について等ヤッギャ校長から報告があった。

ネパールの人々は何事も慌てないのんびりとした性格で、常に楽観的なところが最大の長所でもあるが、その長所は時に短所にもなる。ビディヤ先生への支援について報告を受けた途端、数名の理事からビデイャ先生の正式雇用の話が出てきた。

厳しい運営の現状を知った支援者の方から善意でお申し出を頂いた教員支援だが、何年も多額の支援金をご負担頂くわけにはいかない。御支援を頂く間に、何とか支援だけに頼らない自立運営の道を目指し努力する事が大切だと思う。もちろんビディヤ先生のような優秀な先生を雇用したいのは山々だが、まだしっかりとした運営能力がない時に正式雇用する事は間違っていると思う。

何事も楽観的に考えるネパールの人たちの国民性だから仕方ないと思いつつ、やはり身内から意識を変えていかなければいけない事を強く感じた。その辺りが、実は一番難しいのかもしれない。

今日から7政党連合によるゼネストが強化されるというニュースがあり、多くの店ではシャッターが閉まり、街中を走る車やバイクも少なかった。暫くは混乱が続く様子。



hsf at 12:01|Permalink

2006年04月14日

新年

4月14日(金)

今日はネパール暦(ビクラム暦)2063年の元旦。

朝、往診を1件済ませた後、帰宅。今日は少し疲れ気味だったので、夕方まで休むことにした。朝、国王から声明が出されたが、今後の事態について、一体どういう展開を見せるのかという話題で、町中がざわめいていた。政治の事は先を読むのが難しい。結局、国民の価値観が変わるまでは、本当の意味での大きな変化は期待できないと思う。兎に角、早く騒ぎが落ち着いて欲しい。

夕方からサダナ、ヤッギャ校長と合流し、25日に予定されている調印式について話し合った。サダナの直向な努力によって、ケナフ活動は更に大きな盛り上がりを見せている。環境大臣もサダナの直向な姿勢に、環境大臣としてケナフ活動の発展を約束して下さった。環境大臣には調印式の後で予定している『ケナフの種蒔き』にも参加してくださるとのこと、本当に嬉しい限りだ。ぜひケナフ活動を成功させ、将来性のある支援のモデルケースを構築したいと思う。これから大事な時期だけに、何とか早い段階で事務局を立ち上げたい。

その後、サダナ、ヤッギャ校長とささやかな新年会を行った。釜野先生というケナフ研究の第一人者がケナフ活動を応援して下さっていることが、一番の力になっている事は言うまでも無いが、それに加えてヤッギャ校長とサダナ、2人の素晴らしいチームメイトに恵まれた事が、これまでの望外な発展に繋がったのだと思う。今日は2人に感謝の気持ちを伝える事が出来た。ビクラム暦2063年、ヒマラヤ小学校とケナフ活動、2つの活動をしっかりと軌道に乗せたい。



hsf at 01:05|Permalink

2006年04月13日

夕べの一時

夕方、里親教育基金の奨学生2名を連れ、タメルへ。先日からネパールを訪問中のチョラ・チョリの皆さんと夕食をご一緒した。

チョラ・チョリの皆さんとの再会を心待ちにしていた2人、チョラ・チョリの皆さんから励ましの言葉を掛けて頂いたり、努力を褒めていただき、2人とも本当に嬉しそうだった。チョラ・チョリの皆さんにも2人の成長を喜んでいただき、本当に楽しい夕べの一時となった。こうして大勢の皆さんと奨学生の成長を喜べることは、本当に嬉しいことだ。活動を始めて8年、奨学生達がどんどん成長している事は、僕にとって一番の励みとなっている。

チョラ・チョリの皆さんには、子ども達への指導方法などをはじめ、多くの点でご指導をいただき大変助かっている。またその他、様々な情報交換も活動に大いに役立っている。チョラ・チョリの皆さんの活動にも様々な困難があり、一つひとつの問題を解決しながら活動を進めている点など実情の共通点も多く、また村の人々の理解を深めてから活動を進めている点など、僕達にとって勉強になることが多い。

これから3年目の活動がはじまるヒマラヤ小学校、一つひとつ勉強を重ねながら、楽しく、夢のある学校を築いていきたい。


hsf at 11:52|Permalink

2006年04月12日

ドゥクチャップ村

4月12日(水)

朝、溜まっていた雑用を片付けた後、モンゴル先生と共にドゥクチャップ村を訪ねた。ドゥクチャップ村はカトマンズ中心部から直線距離にして僅か12キロに位置しながら、交通の便が悪く大変貧しい村。この村から現在10名の子ども達が、毎日片道2時間の距離を歩いてヒマラヤ小学校へ通っている。

ファルシ初夏の強い日差しが照りつける中、麦畑の中のあぜ道を縫って歩きながらドゥクチャップ村を目指した。途中、ファルシドール地区に暮らす里親教育基金の奨学生を訪ね、一休み。先日、奨学生の通う学校でも成績発表が行われたようで、3人の奨学生は全員が合格して進学が決まったとのこと。まずは嬉しいニュースに、疲れも吹っ飛んだ。

その後、1時間余り歩いて、目的のドゥクチャップ村に到着した。これまで何度、この村を訪ねただろうか。村を訪ねる度に貧しい現状を目の辺りにして、はたして僕達のやっている活動には切がないのではないか、と懐疑的になってしまう事もあった。天真爛漫な笑顔の子ども達が直面する貧しさ。食べることで精一杯の貧しい家庭に、『教育』の価値や意義が見えにくいのは、当たり前の事かもしれない。

家族ドゥクチャップ村には主としてタマン族が暮らしている。タマン族の人々は教育の遅れ等により、様々な形で搾取されてきた民族だ。何とかドゥクチャップ村の子供達に勉強の機会を創りたいと、1年半前、北海道・深川市役所の皆さんの善意で寺子屋を開設した。農作業を終えた子ども達が村の外れにある麓の寺子屋まで、一生懸命通う姿を見ては、村に教育が少しずつ浸透していることを実感した。結局、寺子屋には40名近い子ども達が集まり、去年、其の内の10名がヒマラヤ小学校に入学することとなった。

村を周っていると、丁度、畑仕事を終えて帰宅した子ども達に会う事が出来た。その後、噂を聞きつけた子供達が一気に集まってきた。父兄が必死になって貧困の窮状を訴える傍で、ニコニコしている無邪気な子ども達を見ると、胸が痛くなった。貧困から抜け出す事は本当に容易なことではない。基礎教育の欠如となれば更に難しいだろう。貧困に喘ぐ現状では教育よりも食べる事の方が優先されてしまい、ドゥクチャップ村のような貧困の村では、教育が普及しないという悪循環が続いているように思う。それでもヒマラヤ小学校に10名もの子ども達が入学できたのは、何といっても寺子屋の影響が大きい。

*モンゴル先生の話では、この村で米を食べている人はいないという。毎日、ディロと呼ばれるトウモロコシの粉を練ったものだけを食べているそうだ。(ディロはタマン族の主食だが、多くの場合、夕食などではご飯を食べている。)実際に今日訪ねた子供たちの家には、お米が一切なかった。*

薪子ども達は春休み中、毎日、薪拾いや農作業を手伝っている様だった。ある子は幼い弟を背負いながら、ある子は体よりも大きな籠を担いで、農作業に汗を流している。幼い子ども達が働く姿を見るのは辛いものがあるが、これは避けられない現実だ。




アリシャ背中に幼い弟を背負いながら農作業に汗を流す2年生のアリシャが、『弟が大きくなったら、ヒマラヤ小学校へ入れてもいいですか?』と訊いてきた。モンゴル先生が『もちろん、大歓迎するよ』と答えると、アリシャはニコリと微笑み喜んでいた。

もしヒマラヤ小学校で学んでいる10名の子ども達から、この村に教育を普及させることが出来たら、どんなに素晴らしいだろうか。時には切がないと、嘆いてしまうほど遠い『教育普及』への道のり。それでも一歩ずつの積み重ねが、何時か大きな結果を導いてくれると信じたい。アリシャ達、未来を担う子ども達が教育を身につけ、貧困の村に大きな希望を与えてくれることを願っている。


hsf at 01:57|Permalink

2006年04月11日

大きな成長

4月11日(火)

今日はヒマラヤ小学校で成績発表が行われた。2日遅れの開催となったが、何とか実施できて良かった。子ども達の成績は全体的に上がっている様子。子ども達の夢に向かう努力と熱意意が良い成績に繋がった事は言うまでも無いが、先生達の努力はもちろん、父兄や村の人々の教育に対する理解が少しずつ深まっている事も理由の一つだと思う。兎に角、良い方向に向っている事は嬉しいことだ。

今日はチョラ・チョリの皆さんにも学校を訪問いただき、素晴らしい交流が実現した。何時もながら子ども達を暖かく励ましていただき感謝の気持ちでいっぱいだ。教育に関する様々なアドバイスも大変有難い。ヒマラヤ小学校の先生達もチョラ・チョリの皆さんから本当に良い形で刺激を受けている。

ジュンさて、この2年間、どの子ども達もそれぞれ大きな成長を見せてくれた。本当に嬉しい限りだが、特に大きな成長を見せたのは新学期から2年生になるジュンケリ(16)ではないだろうか。ジュンケリには両親がいないため兄夫婦と小さな家で暮らしている。早朝の乳搾り、牛乳販売の行商から草刈、そして牛の放牧まで、休む間もないほど仕事詰めの毎日だ。そんなジュンケリにとって、学校は唯一、自由と楽しさを感じられる場所だという。

昨年、3日間連続で欠席したジュンケリを心配して、先生達とジュンケリの家を訪ねた事があった。欠席の理由は、放牧に出した牛が行方不明になり、3日間ずっと牛を探し周った事だった。今では笑い話だが、そんな生活を強いられているジュンケリに、掛ける言葉がなかった。

入学当初のジュンケリには若さがほとんど見られず、随分やつれた顔をしていたのを覚えている。成績も入学した幼稚園クラスで後ろから2番目だった。仕事のせいで欠席が多かいことや、幼稚園クラスの小さな同級生達と馴染む事が出来ず、もしかすると続かないかもしれないと、誰もがそういう気持ちでジュンケリを見ていたと思う。

ところがジュンケリは本当に変わった。学校に一生懸命通うようになり、限られた時間の中で勉強を一生懸命頑張るようになった。何より表情が明るくなり、最近では自信を持つようにもなった。今日の試験では6番の成績を収めたジュンケリ。成績が上がった理由を本人に尋ねてみると、『学校が楽しいから』との返事が返ってきた。何とも嬉しい答えだ。

担任のモンゴル先生の話では、日本人のゲストの皆さんとの交流がジュンケリを一番勇気付けているという。交流を通して人々とふれあい、未知の世界を知り、更にゲストの方から『頑張ったね』と褒めて頂くことが、ジュンケリの原動力になっているという。ジュンケリがカースト制度の中で差別階級に属している事を考えると、人との交流がジュンケリの力になっている事は頷ける。

本人をはじめ先生達の努力、父兄や周囲の人々の理解、そしてゲストの方々との交流と暖かい励ましが上手く絡み合うことで、子ども達は一歩ずつ成長しているのだと思う。ジュンケリは大きくなったら先生になりたい、という夢を持っている。もしジュンケリが先生となって、ヒマラヤ小学校で同じような境遇の小さな子ども達を教えることになれば、これほど嬉しいことはない。何時かそんな日が実現することを願いつつ、3年目の学校運営を頑張りたい。


ビナ今日はビナも良い笑顔を見せてくれました。ビナは新たな気持ちで頑張っています。


hsf at 23:58|Permalink

2006年04月10日

幼稚園年少クラス

4月10日(月)

朝、ヤッギャ校長と電話で打ち合わせを行い、今日開催予定だった成績発表を再度、延期にすることが決まった。ブンガマティ村は平静を保っているものの、先生達が集まることが出来ないことや、不測の事態を避けるためにも延期した方が良いとの判断。

ヤッギャサーその後、ヤッギャ校長がわざわざ家まで来てくれて、延期した理由について詳しく説明してくれた。それにしてもヤッギャ校長の律儀な性格には感心するばかり。本当にネパール人だろうかと、時々、疑いたくなる。写真:ヤッギャ・シャキャ校長

暫くの間、今後の予定などについて話し合った後、ヤッギャ校長と共にヒマラヤ小学校を訪ねた。ブンガマティ村は外出禁止令の規制外地域になっているため、村は何時も通りの静けさだった。子ども達も皆、安全を確保していることが分かり、一安心。

ヒマラヤ小学校では成績発表や表彰式の準備を行った。ゼネストの関係で表彰(各クラス成績上位3名、清潔賞、皆勤賞など)の副賞を購入出来ていないのが少し気がかりだが、出来る限り、夢のある表彰式にしたいと思う。

入学希望その後、ヤッギャ校長、モンゴル先生と学校運営について話し合った。やはり話題になるのは幼稚園クラスの存続について。新年度20人〜25人の入学定員に対し、入学希望者は既に90名を超えている現状だ。年齢はバラバラでも就学経験のない子がほとんどなので、幼稚園年少クラスは必要だ。写真:入学申請に来た親子。入学希望者は毎年、増え続けている。

昨年、残念ながら入学出来なかった子ども達の中にも、今年こそは、という気持ちで既に申請を済ませている子も多い。もし幼稚園年少クラスを開校出来なければ、大勢の子ども達が悲しむ事を考えると、やはり気持ちは揺れる。

今日はネパールの情勢を心配する方々からメイルを頂いた。励ましのお言葉も頂き、胸が熱くなる思いがした。今、ネパールが試練に立たされているのは確かだ。しかし降りかかる様々な問題は、ネパールの未来を築くためには、きっと不可避な事なのだと思う。この時期にネパールにいる事を前向きに捉え、将来、しっかりとした眼力を持って社会の変化を照破する訓練としたい。






hsf at 01:21|Permalink

2006年04月08日

スポンサーシップ制度

4月8日(土)

今朝から日中外出禁止令が発令された。どうも騒ぎが大きくなっている様子。騒ぎを大きくしているのは7政党連合ではなく、日頃の閉塞感を打破したいという群衆のような気がする。騒ぎが続けば、明後日の成績発表に影響が出ないともいえない。早く収束に向って欲しい。

先日、ネパールを訪問されたクラーク記念国際高校の大野先生と相談した結果、これからヒマラヤ小学にスポンサーシップ制度を設ける事になった学校運営委員会でも緊急協議し既に承認を得ている。

ヒマラヤ小学校は開校以来、資金難が続いている。教員の給与の支払いが滞ったり、教科書やノートが配れなかったりという問題も頻発している。もちろん支援者も増えているのだが、規模の拡大に支援が追いついていない現状だ。これまで『児童一人当たり年間、約1万円の費用が掛かるので支援して欲しい』と支援のお願いをしてきたが、これではあまり現実味がなく、支援者の理解を得るのが難しいようだ。素直に反省したい。

子供達と交流を持ちたいという方も多く、ヒマラヤ小学校への理解をより深めるためにも、新しくスポンサーシップ制度を設ける事になった。現在、既に2名の支援者の方から、児童6名分の暖かいご支援を頂いている。これからどんな交流が生まれるか、本当に楽しみだ。いろいろと改善点は出てくると思うが、何とか良い支援と交流の仕組みを構築したいと思う。

今日はホームページの修正作業に追われた。1ページ直すと、他のページを直す必要があり、予想以上に時間が掛かってしまった。昔のページもいずれ修正したいと考えているが何時になるかは未定。せめて1人、日本人スタッフがいればなぁ、と思う今日この頃。

追:
スポンサーシップ制度への皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします

hsf at 03:02|Permalink

2006年04月07日

忘れられない出来事

4月7日

ゼネスト2日目。昨日に引き続き今日も部屋に篭り、環境省、森林土壌保全省、そしてカトマンズ市に提出するケナフ活動の計画書を作成した。ゼネストのお陰?で、ゆっくり時間を掛けて纏める事が出来た。今後、サダナが最終的な計画書を纏める事になっているが、昨年の反省点も踏まえ、よりネパールにあった計画を立てたいと思っている。

計画書の後は、愛媛新聞で連載させて頂いている『ぐるっと地球』の原稿を仕上げた。今回は、昨年、惜しまれながら亡くなった郷土の偉人、岩村昇博士の功績について書いてみた。今回が8回目となる企画。ネパールの事を知って頂く数少ない機会だけに、いろいろな分野の事についても書いてみたいと思う。

その後、溜まっていたヒマラヤ小学校の写真を整理していると、子ども達一人ひとりの2年間の変化が分かり、なかなか面白かった。長いようで短かった、開校からの2年間の月日を振り返ると、本当に感慨深いものがある。

写真を見ていると、ある出来事を思い出した。ブログ記事2005年3月3日にも書いているので、ぜひお目通し頂きたい。(新たに写真を加えました。)ジバン、リタ、シタの3人兄妹は後日、不可解な理由で退学した。ヒマラヤ小学校開校前の寺子屋の頃から一番気になっていた兄妹だけに、彼らが学校を辞めた事は僕の中で一番辛い出来事だった。3兄妹が学校へ来なくなる度に、先生達と彼らの家を何度も訪ねた去年の今頃。結局、その努力は報われなかった。

入学学校を建てている頃、ブンガマティ村のお寺に開設した寺子屋で勉強している子ども達を見ては、学校さえ出来ればみんな学校で勉強出来る、と思い込んでいた自分が本当に恥かしい。開校してから嬉しいことも山ほどあったが、上手くいかない事はそれ以上に多かった。

今年も新入生の選考が近づいている。1人でも多く、入学した子どもをきちんと卒業させて送り出したい。決してなおざりな事はしたくない。

写真:ヒマラヤ小学校開校前、寺子屋に集まった子ども達。



hsf at 22:38|Permalink

2006年04月06日

ゼネスト

4月6日(木)

ネパールの政情は混迷を深めている。今日から7政党連合による4日間の反政府ゼネストが始まった。8日には大規模な反政府デモが予定されているという。朝、急用が出来、バイクに乗って外出したものの、道中ではほとんど車やバイクを見かけなかった。

ネパールは今、歴史の中にすっぽりと包まれ、社会が大きく動こうとしている。今のネパールのように暗雲に包まれている社会では、耳や目を覆いたくなるような出来事も頻繁に起こるが、一つひとつの出来事に慌てふためき、騒ぐ事だけは避けたいと思う。

何れにしても失政の影響を受けるのは、常に弱い立場の子ども達であることは間違いない。事態が完全に収束するまでには数年、いや十年近く掛かるかもしれないが、一日も早くネパールが安定することを願わずにはいられない。


hsf at 22:20|Permalink

2006年04月05日

慌しい一日

4月5日(水)

朝、往診を2件済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。先生達は期末試験の集計に終れて、忙しそうにしていた。子ども達の数が増えた事や、学年が上になるにつれて教科数も増える事で、採点や集計作業も大変だ。

春休みに入り子ども達がいない校舎は、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。感慨深く校舎を見ていると、2年生のソニーが学校へ来た。何でも川へ洗濯に行った帰りらしい。早速、ソニーに学校に関する幾つかの質問をしてみた。ソニーは大人しく物静かな女の子だが、成績も常に上位にいる頑張り屋だ。『学校が楽しい』と話すソニーの笑顔に、雑用に追われる先生達の心も和んだ様子だった。

9日に予定していた成績発表は、ネパールの政情(7政党連合によるゼネスト)により、10日に延期となった。子ども達の家庭に電話など一切ない現状のため、人伝いに成績発表延期を連絡するしかない。村の中心に暮らす子ども達なら何とか伝わるが、2時間掛けて通っている子ども達に伝える事は、なかなか至難の業だ。対策を協議した結果、めぼしい学生を上げ、モンゴル先生と僕が各家庭を回り、成績発表の延期を伝えることとなった。せっかく家庭を回るのだから、ただ単に情報を伝えるだけでなく、春休み中の子ども達の様子や父兄の学校に対する感想などを聞くことにした。

コビタどの家庭を訪ねても、子ども達の多くは仕事に出かけていた。幼稚園クラスの子ども達は何人か見かけたが、他の子ども達の多くは休み中、仕事に追われている現状のようだ。体よりも大きな籠を担ぎ、薪を運んでいる子、汗を流し草刈をしている子、中にはお母さんを手伝って、煉瓦を運んでいる幼稚園児まで見かけた。みんな、貧しさの中で生きている事を改めて感じた。




モノージュ何件か家庭を回った後、クマールの家で母親と話をした。残念ながらクマールは仕事に出かけて留守だったが、弟のモノージュと近所に暮すディポックと妹のサパナが一緒に遊んでいた。母親にヒマラヤ小学校について尋ねると、『学校が出来たお陰で、子ども達が教育を受けることができ助かっている。子ども達は学校へ通える事をとても喜んでいる』との答えが返ってきた。クマールについては、毎日、蝋燭の灯りの下で勉強をしているという。


会話クマールの家庭はダリットと呼ばれるアンタッチャブルカーストに属している。村から少し離れた場所に家があるのも、その事が理由らしい。父親は典型的な酒飲みで、よく母親に暴力を振るい、家にもほとんど帰って来ないそうだ。


クマール母母親は煉瓦を運んだり、薪を運んだりして、何とか生計を立てている。話の途中、クマールの母親の目から涙が零れだした。『自分は教育を受けていないため、何もすることが出来ない。クマール達にはしっかり勉強をして、私と同じ苦労をして欲しくない』と、涙を流しながら話を続けた。


こうして直接、父兄から話を聞くと、ヒマラヤ小学校が担う衆望と責任の大きさを痛感する。教育は貧困から抜け出す礎となる。その礎を更に強くしっかりとした物とするため、僕達、教職員は努力を続けなければならない。

帰り道、同行したモンゴル先生が日本語で『コドモタチノタメニ、モット、ガンバリマス』と呟いた。 父兄の言葉に、モンゴル先生の気持ちも奮い立ったようだ。

夕方、ヤッギャ校長から、病気になった母親を迎えに行った奥さんが、明日から予定されているゼネストの関係でバスが動かず、シンドゥパルチョーク郡で足止めにされているとの連絡があり、急遽、ヤッギャ校長、モンゴル先生と共に車を借りて、ヤッギャ校長の奥さんと義母さんを迎えに行った。

いろいろあったが、何とか無事、義母さんをカトマンズの病院まで届けることが出来、一安心。

今日は慌しい一日となった。


hsf at 02:37|Permalink

2006年04月02日

時間

4月2日(日)

朝、SLC受験中の奨学生を訪ね、試験の様子を訊いた。今日、訪ねた奨学生達はどの子も、まぁまぁの出来だという。試験も後3日。頑張って欲しい。

その後、今日、出発される大野先生を空港へお見送りした。今回、大野先生には家庭訪問なども含め、ヒマラヤ小学校、そして子ども達の様子をゆっくり見ていただいた。僕達、教職員にとっても本当に実り多い一週間となった。今後のヒマラヤ小学校の運営についてもゆっくりお話する事が出来、心の中の様々な不安が払拭された。何時もながら、大野先生との別れを惜しむ声が方々で聞こえた。出発の日に連呼される『次は何時、ネパールへ来ますか?』との質問は、いかにもネパール人らしい人懐っこさだと思う。

昼からケナフ活動の調印に向けた準備を大急ぎで進めた。残り僅かの時間で、いかに調印内容を詰める事が出来るか、実力が問われている。絶対に成功させなくてはならない。今日は環境大臣から、南ネパールの町ダランにある医科大学の副学長が、大学内でのケナフ栽培を希望しているとの連絡を受けた。調印式の前後にダランへ行かないか、とのお誘いだった。

ダランは南ネパール、タライ平原にある町なので調査も兼ね、ぜひ栽培をしたいのは山々なのだが、今は兎に角、時間に余裕がない。サダナさんは5月から大事な12年生の卒業認定試験を控えている。今は試験勉強の時間を割いて、ケナフ活動に取り組んでいる現状。ヤッギャ校長も新入生の事で忙しい。やはり一日も早く事務局を立ち上げ、活動に参加できる目端のきくスタッフを集めなければならない。ケナフを求める声に対応するには、事務局と人材の確保が不可欠だ。

最初の頃、行政から目八分で見られていたケナフ活動も、今では行政が追いかけてくるまでの活動に発展した。こんなに嬉しいことはない。釜野先生や関係者の皆さんの協力はもちろんのこと、サダナやヤッギャ校長が一生懸命、活動に取り組んだ成果だと思う。

これから調印、各学校での種蒔き・栽培、8月に開催予定の第2回ケナフ会議と、気の抜けない大事な行事が控えている。直面する問題をどう乗り越えるか、本当の意味で実力が問われている気がする。




hsf at 01:22|Permalink