2006年03月

2006年03月28日

試験終了

3月28日(火)

試験終了今日で長かった期末試験が終わった。どの子ども達も一生懸命頑張ったと思う。子ども達の精一杯の努力を称えたい。また先生達の努力により、試験を無事に実施出来たことを感謝したい。

今日は,昨日ネパールへ到着された大野先生に試験の様子をご覧いただいた。不正のないよう別学年を交互に並べていることや、試験の時間割など、ヒマラヤ小学校の取り組みをヤッギャ校長がお伝えした。

練習3時から寺子屋の子供達と、昨年からヒマラヤ青少年育英会の里親教育基金から奨学金を受け、学校へ通っている元寺子屋の子ども達が集まり、ダンスの練習を行った。29日に開催される村のダンス大会へ『寺子屋』から出場する予定だ。

皆、借りてきた民族衣装を着て、グループ事に一生懸命、踊りを練習していた。9才から12才の子ども達が中心ということもあり、ダンスを踊れる事がとにかく嬉しくて仕方ない様子。本当に可愛らしい。大会での健闘を祈っている。

夜は大野先生、ヤッギャ校長、モンゴル先生、サダナさんが集まり、焚き火を囲んでの楽しい話に花が咲いた。それぞれ大きな夢を持っている人達の話はとても楽しい。燃え盛る炎の音だけが聞こえる静かな夜。こんな環境でじっくり話し合うことも、時にはとても大切だと思う。 


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2006年03月27日

猛省

3月27日(月)

朝、ヒマラヤ小学校で小さな問題が発生したとの報せを受け、急いでヒマラヤ小学校へ向った。何でも、ある先生が試験中の子ども達を勇気付けるため『試験が終わったら遊びに連れて行ってあげる』と言ったところ、子ども達の中で話が一人歩きして、『試験は休み。みんなでピクニックへ行く』となってしまったようだ。しかも『**ルピーのお金が必要』という点まで付け加えられたようだ。心配した大勢の保護者が事情を聞きに学校へ集まったため、その対応に追われた。

その後、全教職員で緊急ミーティングを行った。ヒマラヤ小学校に通う子ども達の親の多くは文盲だ。プリント等を配布できない現状があるため、子ども達を介しての伝達が基本となる。そのため全校児童を前に、きちんしたと内容を伝える事が大事だ。一部の子ども達だけに、一部だけを話すと、今回のような誤解を招いてしまうのは必然だ。

今回、話が一気に膨らみ、ピクニック参加には高額のお金が必要などという話まで出ていた。お金を貰えなかった子どもの中には、ピクニックに参加できないと、学校で泣いている子も大勢いた。お金が係われば、噂話は更に膨らむ恐れがある。ヒマラヤ小学校が村にあることを教職員一人ひとりがもう一度、しっかり認識する事が必要だ。全員で猛省したい。

昼過ぎ、クラーク記念国際高校の大野先生をお迎えに空港へ向った。今回が大野先生にとって6回目のネパール訪問となる。子ども達も大野先生のお越しを楽しみにしているので、どんな交流が実現するか、とても楽しみだ。

その後、お世話になっている奨学生やサダナさん達が集まり、大野先生を囲んで楽しい話で盛り上がった。今回はヒマラヤ小学校が試験中ということもあり、大野先生には試験の様子もご覧頂く予定だ。
子ども達だけでなく先生達にも、大野先生との交流から多くを学んで欲しいと願っている。



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2006年03月26日

寺子屋・学びの熱気

3月26日(日)

朝、ヤッギャ校長、サダナと集まり、調印文書や申請書類の最終確認を行った。今回は政府との共同活動ということで勉強の毎日だ。分からない事ばかりだが、周囲の人たちに指導をいただきながら、何とか一歩ずつ作業を進めている。まだまだ遣るべきことは山積しているが、必ず調印を成功させたい。明日は環境大臣を訪ね、直接、申請を行う予定。

昼からスミさんのレストランの移転先候補の家主さんと話し合い。スミさんのレストランもようやく移転先が決まりそうで安心した。ただ、これまで決まりかけては、地位的な問題で断られてきただけに最後まで気は抜けない。一日も早く新地で、スミさんの作る美味しいオムライスが食べたい。

寺子屋こども達夕方からブンガマティ村にある寺子屋を訪問。子ども達もみんな元気に一生懸命頑張っている。何時もながら寺子屋の熱気は凄い。『勉強したい!!』という子ども達一人ひとりの思いが、寺子屋を包んでいる。学びの熱気、これこそ教育の原点のような気がする。今年も各寺子屋からヒマラヤ小学校へ新入生を迎える予定だが、1人でも多くの子ども達が就学の夢を叶えられるよう、頑張ってみたい。

夜、1件の往診を済ませて帰宅。ネパールでは毎日5〜7時間の計画停電が続いているので、仕事がなかなか捗らない。何事も慌てないネパールの人達だからこそ、この停電に耐えられるのだろうか。



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2006年03月24日

あっという間の2週間

3月24日(金)

朝、2件の往診。患者さんと日本帰国時の話などをして、楽しい時間を過ごすことが出来た。少しずつでも治療活動を増やしていけるよう、頑張らなければ。

不調のバイクの修理を終え、パタン市内でヤッギャ校長、サダナと合流。カトマンズ市、環境省と交わすケナフ活動の調印内容について話し合った。先週のミーティングから1週間、お互いに考えてきた案を出し合い、内容を付け加えたり、削ったりしながら素案が纏まった。ヤッギャ校長、サダナと仕事をしていると、兎に角、仕事がスムーズで速い。のんびりとしたネパールで味わう、唯一のスピード感といっても過言ではない。良いパートナーを持てたことに感謝。

ネパールに戻ってから、あっという間に2週間が過ぎた。ケナフ活動、学校運営それぞれに大きな動きあり、目先のことに精一杯の毎日だが、何とか乗り越えたい。全力で取り組むものがあることは、とても幸せなことだと思う。

夕方から入院した知人のお見舞い。手術も無事終わり、順調に回復しているようで安心した。夜、SLC受験生を訪ね、最後の激励。今年のSLCは3月27日から始まる。みんな、頑張って欲しい。



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2006年03月23日

無限の可能性

3月23日(木)

無限朝、郡教育センターに用事で出かけたヤッギャ校長の代わりに、ヒマラヤ小学校で試験を監視した。子ども達にカメラを向けながら、騒ぐ子やキョロキョロする子を落ち着かせたり、宥めたりしながら監視を続けた。試験の監視もなかなか難しい。

それにしても子ども達の生き生きとした表情を見ていると、子ども達の無限の可能性と豊かさを感じる。これからも子ども達の未来をしっかりと応援していきたいと思う。

昼過ぎからヤッギャ校長と合流して、今後の日程や新年度の予算について話し合った。毎回、ヤッギャ校長には、遣りたいことを含め全てを書き記した非現実型の予算案と、現実を直視し可能な限り切り詰めた現実直視型予算案の2つを用意して貰っている。今日もそれぞれの予算案を見比べながら雑談に花が咲いた。

学校の運営に携わる人間としては、出来る限り先生達が活動しやすい環境を造りたいと願っている。先生達が新しい活動にどんどん挑戦できるような環境を作ることが僕の目標でもある。先生達のそれぞれの能力が活かされれば、必ず良い学校を造ることが出来ると確信している。

ただ現実は、目標としている環境とは程遠いところにあると思う。決して資金だけが原因ではないが、やはり現状を考えると特別な活動がなかなか実現出来ない状況にある。先生達には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、ヤッギャ校長が『何時か出来るときにやりましょう』と、常に前向きに考えてくれることは、本当にありがたい。

その後、ヤッギャ校長と共にカトマンズ市内の会議場を訪問。今年8月には第2回目のケナフ会議開催を予定しているが、今年は昨年の倍以上となる700名の参加を予定している。今日訪ねた2件の会議場のうち一つカトマンズ市所有の市民会館は収容人数が700人と、僕らの目的とピッタリ合った。ぜひこの会場で第2回会議を成功させ、子ども達の自立に向けたケナフ活動を大きく発展させたいと思う。

子ども達の様子を写真ブログで更新中です。ぜひお目通しください。

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2006年03月22日

お知らせ

3月22日(木)

お知らせ

3月18日のブログ記事では、多くの方々から暖かいご支援のお申し出等を頂きましたこと、心からお礼申し上げます。現時点では、幼稚園年少クラスの休校または廃止に関する最終的な決定には至ってはおりませんので、暫く様子を見たいと考えております。

教員支援につきましては、先に東京都の方からビディヤ先生の暫定雇用に対する暖かい御支援を頂くこととなりました。ただ教員支援は今回が初めての試みであり、まだ具体的な支援のあり方が決まっていない現状です。

また政府からの教員派遣についても引き続き話を行っております。詳細が決まり次第、ご報告させていただきます。学校運営のことでは大勢の皆様にご心配をお掛けいたしますこと、心からお詫び申し上げます。どうか今後とも宜しくお願い申し上げます。




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2006年03月21日

七転八起

3月21日(火)

今日からヒマラヤ小学校で期末試験が始まった。子ども達にとって一番緊張する時がやってきた。毎回だが、試験中の子ども達を見るのは辛い。やはり中には勉強の遅れている子もいるので、どうしても心配になってしまう。特に年齢が上で、これまでにも他校で落第の経験がある児童などは特に気にかかる。彼らは決して勉強が出来ないのではなくて、勉強の遣り方が未だ分かっていないだけだと思う。親の多くが文盲の現状では、帰宅してから勉強するのも難しいのだろう。

ナレシュ個人的に一番心配しているのは2年生のナレシュ(16)だ。多少、知的障害のあるサシナも気にかかる。サシナに関しては特例で進級させることは出来ると思うが、ナレシュには自力での進学が求められている。



試験中、頭を何度も掻きながら、鉛筆が一向に動かないナレシュ。暫くすると自棄になったように答えを書きはじめ、そそくさと教室を後にした。今日は皆が苦手な数学の試験だったから、尚更だと思う。何とかナレシュには自信を持って欲しい。来年度は補習クラスも必要になってくるかもしれない。今後の検討課題にしたい。

試験の監視を終えた後、往診治療へ出かけた。今日から治療活動の再開だ。ヒマラヤ小学校やケナフ活動の関係で、治療活動がどうしても疎かになりがちだが、鍼治療は僕にネパールでの居場所を作ってくれた大事な活動のひとつだけに、力の続く限り頑張りたいと思う。

昨年、鍼治療を断念しようと考えたことが一度あった。治療中も他の活動が気になり、其の時は治療の時間すら“勿体無い”と感じるようになっていた。今考えると恥かしい話だが、その当時は多分、目先の事で必死だったのだと思う。そんな中、僕が治療活動を続けようと決心をしたのは、患者さんからの『応援』の声だった。患者さんから、治療以外の活動を応援する励ましの言葉を何度も掛けて頂いたのだ。患者さんから応援の声を聞くたびに、治療を止めようと思った自分の考えを恥かしく思い、何があっても治療活動を続けたいと、決心に至った。

もちろん以前のように専念することは難しいと思うが、一生懸命がんばりたい。今日は久しぶりの往診だったこともあり、気持ちよく治療を施すことが出来た。来週からはクリニックを再開し、少しずつ治療活動を増やしていきたいと思う。どの活動も七転八起の決意で頑張りたい。

写真ブログを更新中です。ぜひお目通しください。








2006年03月20日

思いがけない交流

3月20日(月)

朝、中央郵便局で雑用を済ませた。久しぶりの中央郵便局では事務員の人達から『どこ行ってたの?』やら『丁度、君の話をしてたんだよ』などと声を掛けられた。思わず笑ってしまったが、この人懐っこさが、ネパールの人々の最大の長所だと何時も思う。

ささやか昼過ぎから、ネパールを訪問中の支援者の方をヒマラヤ小学校へご案内。生憎、試験前で学校は休校中だったが、噂を聞いて数名の子ども達が学校へ集まってきた。その後、支援者の方に応援して頂いている里親教育基金の奨学生や友人達も集まり、ささやかな歓迎会が始まった。支援者の方の2歳になるお嬢さんもダンスに参加して、楽しい歓迎会になった。日本から来た可愛いゲストに、子ども達は大喜びの様子。交代で抱っこをしたりして可愛がっていた。思いがけない交流が実現し、本当に良い時間を過ごすことが出来た。

夕方からは奨学生宅を時間の許す限り訪問した。どの奨学生も進級試験を間近に控えている。毎年この時期は、授業料の支払いに追われる。一人ひとりに間違いのないよう授業料を渡しながら、学校の様子や生活について尋ねた。皆、よく頑張っている様子で安心した。今年は11名の奨学生がSLC試験に挑むが、全員で蛍雪の功を実らせて欲しいと思う。

帰宅後、8月に予定しているケナフ会議や、今後の学校運営の事をあれこれ考えた。こうして考えている時が一番辛くて、実は一番楽しいのかもしれない。前向きに考えて、良いアイデアを出したいと思う。


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2006年03月19日

試験前

3月19日(日)

朝からヒマラヤ小学校で雑用に追われる。21日からの試験を前に、学校内もざわめいている。今回が開校して6回目の試験。少しずつ慣れて来たものの、やはり試験は緊張する。これまで問題なく試験を実施できたのは、ひとえにヤッギャ校長はじめ先生達の努力の賜物だと思う。今回も子ども達が安心して試験に挑めるよう、最善の対策を図りたい。

モンゴル先生今日は嬉しい報せがあった。日本語の勉強を続けているモンゴル先生が、見事『日本語検定試験3級』に合格したのだ。普段から勉強熱心なモンゴル先生だけに当然の結果だとは思うが、本当に良かった。モンゴル先生の努力は、子ども達にとって大きな目標となるだろう。モンゴル先生は『日本語をもっと上手になって、日本の皆さんから多くの事を勉強したい。』と、夢を膨らませている。これからも、ぜひ頑張って欲しい。


kabeyaその後、昨年開催した『第1回子ども環境ケナフ会議』でベストオブザーバー賞に選ばれたカベヤ・ダンゴールさんの取材をした。カベヤさんは貧しい家庭に育ちながらも一生懸命勉強を頑張り、これまでずっと学校で1番の成績を収めているという。質問の受け答えもきちんとしていて、彼女の聡明さが良く分かった。ケナフについても興味津々の様子。カベヤさんのような若い人達がケナフ活動に興味を持ち、率先して参加してくれる事は本当に嬉しい。将来、カベヤさんのような若くて優秀な人達が社会で活躍すれば、ネパールも必ず希望の持てる国になるのではないかと思う。カベヤさんの若さ溢れる爽やかな笑顔に心が和んだ。


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2006年03月18日

学校運営の難しさ

3月18日(土)

朝、学校運営委員会のミーティングに参加し、日本滞在中の活動や頂いた支援について報告した。少しずつではあるが、帰国の度に支援の輪が確実に広がっていることはとても嬉しい。これから子ども達の数も増えてくるので、自分に出来ることをしっかり頑張っていきたいと思う。

今日の運営委員会では残念ながら、今後のヒマラヤ小学校運営の事で少し問題が発生した。来年度、教員不足の問題が発生するため、ある委員から3年生を開設する代わりに、幼稚園の年少クラスを休校または廃止にしてはどうか、との提案があった。本当に難しい問題に直面してしまった。確かにこれ以上、新しい先生を雇用して運営していくのは厳しい現状がある。結局、継続審議になったが結論が急がれている。

上記の問題について簡単に説明しますと、現在ヒマラヤ小学校には幼稚園2クラス、小学校1〜2年の計4クラスが開校しています。教員の数は、学校長を含めた4名(学校運営委員会が雇用)とボランティア教員のビディヤ先生の1名、計5名の教員で4クラスを見ています。そのため教員の欠席や学校長の職務(会議に参加など)で1名の欠員が出ても、全4クラスを動かす事が出来ています。

4月から3学年を増設する予定ですが、計5クラスに対して教員が5名(ボランティア教員を含む)の状態になると、欠員が出たときにクラスを運営できない状態になります。新規教員を雇用するだけの余裕がない現状では、幼稚園年少クラスの一時休校または廃止も検討しなくてはなりません。先日、支援者の方から教員1名分、1年間の支援のお申し出を頂きましたが、私達としてはボランティア教員として頑張っているビディヤ先生を暫定雇用する費用に充てたいと考えています。現在、ラリットプール市や教育センターへ教員派遣の手続きも行っていますが、確定はしていません。


この問題について僕自身は、幼稚園年少クラスの一時休校も已むを得ないと考えている。見通しのつかない事を無理に進めることは問題だと思う。もう一度、一から計画を練り直し、再出発することも大事だと思う。まずは子ども達、そして、そこで一生懸命働く先生達にとってより良い環境を作ることが大事だ。学校運営に携わって初めて、学校運営の難しさを知る毎日だ。


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2006年03月17日

退学問題・ケナフ活動

3月17日(金)

早朝、ヤッギャ校長と新入生受け入れについてミーティング。これから入学希望児童の家庭訪問が始まる。入学の選考基準は貧困、母子家庭、ダリット(不加触カースト)、就学経験、年齢などの優先基準の他に、やはり大事になってくるのは、親の教育に対する関心だ。ネパールでは中途退学率が非常に高い。これにはいろいろな原因があると思うが、やはり貧困が最大の原因だと思う。貧しい家庭では、未だに子ども達は労働者として考えられている事が多く、子ども達が学校へ通う余裕など無いのが現状だ。

ヒマラヤ小学校のような無償教育を実施している学校でさえ、毎年、数名の退学者が出ている。入学前の家庭訪問などを通して、親に教育の大切さを耳が痛くなるほど訴えているつもりだが、それでも退学者が出てしまう。なかなか難しい問題だ。退学した児童の親に村で偶然会った時など、楽しそうに学校へ通っていた児童の事を思い出しては、親を説得できなかった自分達の無力さを痛感する。

ヤッギャ校長から、今年も5名の子ども達の退学がほぼ決まったと報告を受けた。5名の内、2名は親が仕事を求めて他の村に引っ越して行った事が理由、2名はカトマンズの家庭へ使用人として働きに行かされ、もう1人は遠い親類の家に預けられたという。貧困が理由と言ってしまえばそれまでだが、退学がほぼ決まった5人の笑顔を思い出すと、本当に辛い。これから始まる家庭訪問、これまでの失敗を教訓に、しっかりと頑張らなければと思う。

ミーティング午後4時から、サダナ、ヤッギャ校長とパタン市内の喫茶店で集まり、今後のケナフ活動のミーティングを行った。昨年の会議が大きなうねりとなり、この度、カトマンズ市や環境省と共同でケナフ活動を進めていく事が決まった。子ども達の声に行政が動き始めた本当に理想的な形だ。これから大切な調印などを控えているため、気を緩めることなくしっかり進めて行かなければならない。ぜひ子ども達、行政、社会、皆が喜べる活動にしたいと思う。

今日は今年8月に予定している会議の事も含め、3人で夢中になって話し合った。気がつくと5時間が経過していた。今年は昨年以上に大事な年なので、皆で練りに練って計画を纏めたいと思う。



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2006年03月15日

嬉しい一日

今日は嬉しい一日となった。まずは、先日お伝えしたビナが元気に登校したこと。ヤッギャ校長とモンゴル先生の説得の甲斐もあり、早期に復学が実現できて本当によかった。もちろんその他にビナ自身の『学校で勉強したい』という熱意が復学の実現に繋がったのだと思う。兎に角、良かった。

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其の2、先日開催された写生大会(ブンガマティ周辺の村にある学校から9才〜14才の子ども達が参加)にヒマラヤ小学校から参加したクマール君(9)とラクシミちゃん(9)の2人が、何とそれぞれ1位と2位に輝いた。普段から絵が大好きで才能もある2人だが、昨年、支援者の方の善意から購入した絵の具セットや、ケナフの観察活動が良い影響を与えたことは間違いない。本当に嬉しい。日曜日にはヒマラヤ小学校でお祝いをする予定。

其の3、開校当時から子ども達の自立に向けて続けているケナフ活動。この度、カトマンズ市、環境省と共同で活動に取り組むこととなった。子ども達の盛り上がりに、行政が立ち上がった形。今後、正式な調印を経て、王宮どおりをはじめとするカトマンズ市内でケナフを植える予定。こちらも楽しみだ。





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2006年03月14日

入学希望

3月14日(火)
今日は春(初夏)を告げるホーリー祭り。気の知れた仲間同士(時には見知らぬ者同士)が水を掛け合ったり、色を塗りあったりして春の訪れを祝うお祭り。今年も祭りへの参加をお断りし、家に篭って帰国中に溜まった雑用を片付けた。外から聞こえてくる笑い声を聞いていると、この国が抱えている現状が嘘のように思えてしまう。

新入生ヒマラヤ小学校では21日から進級試験が始まる。試験の後は新入生の最終選考が行われる予定だが、20人の定員に対し、既に何十人もの入学希望者が集まっている。残念ながらヒマラヤ小学校のような運営の厳しい学校では、とても定員の20人を超える子ども達を入学させる事はできない。子ども達のがっかりした顔を見るのは、毎年、本当に辛い。入学できなかった子ども達は、寺子屋へ入学させるなど一応の対策は立ててあるものの、やはり出来る事ならば学校へ入学させたいという気持ちは強い。(写真は、授業の様子を覗く入学希望者

この2年間、少しずつだが確実にヒマラヤ小学校への理解は増えていると思う。しかし支援自体が思うほど増えていないため、子ども達の夢を実現できるだけの力を未だ持っていないのが実情だ。支援に頼っている現状では仕方のない事だと思うが、僕自身の努力不足は否めない。入学が叶わず肩を落とす子供たちや、必死で孤軍奮闘しているヤッギャ校長の姿を見るにつけ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自分自身、もっと屈強な人間にならなければと、反省の毎日だ。

今年はぜひ、ヒマラヤ小学校の報告会を開催し、広くヒマラヤ小学校への理解と支援の輪を広げて行きたいと考えている。ぜひ一人でも多くの方に参加していただき、一緒にヒマラヤ小学校を盛り上げて頂きたいと思う。どうか皆さん、ご協力よろしくお願いします。

この度、子ども達の写真ブログを始めました。ぜひご覧ください


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2006年03月13日

ビナ

3月13日(月)

今日は日本帰国中の出来事についてヤッギャ校長から報告を受けた。僕自身、ヤッギャ校長の誠実な人柄と熱心な活動を心から信頼しているので、帰国中も安心して自分の活動に集中することが出来る。ヤッギャ校長の存在は本当に大きい。しかしネパール、特にブンガマティのような村では、僕達の努力だけではどうする事も出来な事が時々起ってしまう。

今日、ヤッギャ校長から受けた報告の中にとても気になる事があった。2年生のビナ(14才)が1ヶ月近く学校へ来ていないとのことだった。ヤッギャ校長の話では、1ヶ月ほど前にビナの祖母が亡くなり、その葬儀のために欠席して以来、ビナは学校へ来ていないらしい。何でも祖母が亡くなった事で、今まで祖母が行っていた仕事(家事をはじめ家の隣にあり屠殺場での仕事)をビナが遣ることとなり、学校へ来られなくなったという。また一部では14才のビナに結婚の話もあると聞いた。

ビナは成績が優秀で開校以来、ずっと1番の成績を収めている利発な女の子だ。昨年、2階校舎が完成したとき、『来年も学校へ来られる』と、誰よりも喜んだのはビナだった。ビナからは『ヒマラヤ小学校に大学まで作って欲しい』などと要請を受けることもあり、初めての学校生活をとても楽しんでいる様子だった。ビナの事を考えると、いたたまれない気持ちになり早速、ヤッギャ校長と共にビナの家を訪ねることにした。

ビナ家に着いて暫くすると、ビナが寂しそうな顔をして出てきた。ビナにいろいろと尋ねてみると、やはり祖母が亡くなったことで仕事をしなければならなくなり、そのため学校へ行けないとの事だった。それも同居する親類から半ば強制的に仕事をさせられている状態である事が分かった。ビナの父親は教育を受けておらず、また人が良いため、よく他人から騙されることが多いそうだ。今回も親類の言いなりになった形でビナを働かせているという。貧しいネパールの社会では家族全員が協力して生活をしなければならない。とても子供たちを学校へ送る余裕などないのが現状だ。ビナの貧しさを見ると、無理やり学校へ来させる事にも少しためららいを覚えてしまう。それでもビナの口から出た『また学校で勉強したい』という言葉を聞いて、何としてもビナを学校へ来られるようにしたいと思った。

ビナ話し合い途中から父親をはじめ親類を集め、ヤッギャ校長、モンゴル先生の粘り強い説得が行われた。学校としても午前中だけ参加の授業や、寺子屋での補習授業などで最大限の協力をすることを提案した。2時間以上にも及ぶ話し合いの結果、何とかビナの復学が決まった。ビナの顔から一瞬、笑顔が零れたが、やはり現実は厳しいのだろう、直ぐに不安な表情を浮かべていた。

学校が出来たからといって、子供達が学校へ通えるわけではない。そこには親また周囲の教育に対する理解、経済的な問題、その他、さまざまな事が複雑に絡んでいる。それらの問題が解決して、はじめて子ども達は就学の夢を実現できるのだ。厳しいネパールの現状を目の当たりにし、何ともいえない空しさを覚えた。村の人たちの教育への理解を深めるために、一体何をすべきなのだろう。もう一度、原点に立って考え直したい。


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2006年03月12日

交流活動

3月12日(月)

今日はゲストの方と共にヒマラヤ小学校を訪ねた。一ヵ月半ぶりの子ども達。元気そうな子ども達の顔を見ると、本当に嬉しくなる。ヤッギャ校長の案内でゲストの皆さんが学校を1周された後、歓迎会が始まった。今日の歓迎の挨拶は1年生のジュンケリ(14歳)が行った。ジュンケリはこの2年間で大きく成長した児童の1人だ。下級生への面倒見が良く、勉強もよく頑張っている。今日の歓迎の挨拶では、『短い時間だけど、一緒に楽しい時間を過ごしてください』と、素直な素晴らしい挨拶してくれた。

歓迎会の途中から突然、雨が強くなり、s更に雹も降り始めた。歓迎会は残念ながら中断となったが、雨宿りのために入った教室で急遽、歓迎会の続きが行われた。子ども達の自主的な動きに驚いたが、ゲストの皆さんの来校を楽しみにしていた子ども達だけに、その気持ちは十分理解できた。

ゲストの皆さんにもヒマラヤ小学校の現状を十分ご理解いただき、子供たちとの交流を楽しんでいただいた。子ども達も満足した様子だったが、別れ際には悲しそうな顔をする子も大勢見かけた。ゲストの皆さんとの別れを惜しんだり、再会を楽しみに待つことは、子ども達の成長にとても良いことだと思う。これからも更に交流に力を入れていきたいと思う。


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2006年03月11日

カトマンズの匂い

3月11日(土)

午後3時過ぎ、予定時刻を大幅に遅れてカトマンズへ到着した。昨日12時間ほどバンコク国際空港の椅子で過ごした事もあり流石に疲れた。

雨上がりの空港に降りた途端、なんだかとても懐かしい匂いがした。懐かしい匂いを感じながら、約8年前、不安と期待を胸にネパールへ降り立った日の事を鮮明に思い出した。あの時も同じように雨上がりで、ネパール独特の匂いが満ちていた。今よりずっと粗末だった空港、黒煙を上げて走るテンプーなどなど、8年の間には見られなくなった街中の景色も沢山ある。それだけネパールも変化しているのだろう。しかし、それでも変わらないのは、のんびりと慌てないネパールの人々の性格と営みではないだろうか。彼らを見ると不思議と安心してしまうのは何故だろう。

今回は支援者の方、2名も一緒にネパールへ来られた。初めてのネパール旅行をぜひ楽しんでいただきたいと思う。明日はヒマラヤ小学校で歓迎会が予定されている。とても楽しみだ。

無事、ネパールへ到着しました。帰国中は大変お世話になりましたこと、改めてお礼申し上げます。また時間の関係で、お目にかかる事が出来なかった皆様に心からお詫び申し上げます。今後とも宜しくお願いいたします。

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2006年03月10日

出国

3月10日(金)

今日で1ヶ月半の一時帰国の日程が終わった。遣り残した事も沢山あるが、本当に充実した時間を過ごすことが出来た。今回の帰国で何よりも嬉しかった事は、子ども達が育てたケナフで作ったカレンダーを、大勢の人に喜んで頂けたことだ。来年の注文まで頂き、望外の評価を頂いたカレンダー、子供達が褒められたようで本当に嬉かった。ケナフを使った子ども達の自立の道筋が少し見えた事で、僕自身、益々やる気が出てきた。来年の今頃は、これまで以上に大きな成果を出したいと思う。体が傾くほどの手荷物を持って、フラフラになりながら機上の人となった。

1ヵ月半の滞在中、多くの方々にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当に有難う御座いました。


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2006年03月09日

新しい支援のあり方

3月9日(木)

今日は午後1時半から品川区で4N(Nippon NGO Network for Nepal) のセミナーに参加した。セミナーでは釜野先生によるケナフの特性や活用法、また日本ケナフ開発機構の取り組みについての説明があった後、僕の方からネパールでのケナフ活動について報告をさせて頂いた。

子ども達の盛り上がりや、活動の成果、そして今後の取り組みなど、夢中になってお話させていただいた。途中『第1回こども環境ケナフ会議』のビデオを上映したこともあり、参加者された方々にはこれまでの活動についてご理解頂けたのではないかと思う。

参加された方からも多くの有意義なご質問を頂戴し、僕自身、大きな学びの収穫となった。普段からネパール支援活動に携わっている方々だけに、とても現実的な話し合いが出来た。質問の中に『このような活動をするにあたり、ネパール政府との交渉は大変ではなかったか?』との質問があった。

もちろん一から始めた活動だったので、当初、ネパール政府からはほとんど相手にされることはなかった。しかし釜野先生の理念に添う形で、従来型のトップダウン的な活動ではなく、子供たちを通して活動を盛り上げる『ボトムアップ』の活動を進めてきたことで、ネパール政府も興味を示すなど、これまでの大きな成果に繋がったのだと思う。

子ども達の盛り上がりを見て、現在では環境省、産業省、森林土壌防災省といった省庁が興味を示し、特にコイララ環境大臣にはサダナへ直接、電話を掛けてくるほど興味を持っていただいている。

ネパールでの支援活動は今、大きな転換期に差し掛かっているような気がする。残念ながら従来型の支援活動では、思ったほどの成果が上がっていないのが実情だと思う。支援する側、受ける側、それぞれに問題があると思うが、現地の人々の理解を深めることなく、支援する側が一方的に活動を進めてしまう事も原因の一つだと思う。支援すればするほど、地元の人々の自立や頑張ろうとする意識が薄れ、『やって呉れるだろう』や『遣ってもらって当たり前』といった意識が芽生えてしまう悪循環があるのだと思う。これからの支援活動は、どれだけ現地の人々の意識を変えられるかが、成果を出す大きなポイントになってくると思う。そういった意味では、ケナフ活動は支援活動のモデルケースとなることも出来るのではないかと思う。また、そうなっていきたいと思う。

支援のモデルケースを作る、という大きな目標を掲げて頑張れば、必ず良い結果が得られることを確信している。がんばりたい。


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