2006年01月

2006年01月28日

報告会

1月28日(土)

本日はご繁忙の中、大勢の皆様に報告会へご参加いただきました事、心からお礼申し上げます。今後ともご指導いただきます事、よろしくお願い申し上げます。

今日、第1回こども環境ケナフ会議の報告会に参加した。少し緊張したが、多くの人々にネパールの現状やこれからの活動計画について報告出来、とても嬉しかった。

参加された皆さんから、『子ども達が一生懸命、活動に参加している。』とお褒めの言葉を何度も頂いたが、子ども達が褒められると本当に嬉しい。多くの人々に暖かい激励を受け、今後の活動への決意を新たにした。

会議のビデオも上映したが、ヒマラヤ小学校のクマールが発表した『牛やヤギにケナフを食べられて悲しかったけど、牛やヤギもケナフの事が好きだと分かりました』という子どもらしい率直な意見には、会場から大きな笑いも起きた。何時見ても嬉しくなる発表内容だが、クマールの発表した内容はとても大切な発見ではないだろうか。牛やヤギにケナフが食べられ悲しかった気持ち、その事から牛やヤギもケナフのことが好きなんだと感じた、クマールの素直な心には感心する。今日、ビデオを見て、クマールの頭を撫でてあげたくなった。



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2006年01月27日

ケナフ活動のこれから

1月27日(金)

雑用を済ませ4時から日本ケナフ開発機構を訪問し、釜野先生はじめ理事の皆さんと明日の報告会についての打ち合わせを行った。

何とか明日の報告会では1人でも多くの人々にネパールの熱い現状と、これからの夢についてお伝えできればと思う。

第1回こども環境ケナフ会議が大きな評判となり、今、ネパールでのケナフ活動は大きく盛り上がっている。

これからネパールでサダナ達KDN(カウンターパート)および日本ケナフ開発機構のネパール支部の登録をして、拠点となる事務局を立ち上げなければならない。そして『ケナフ活動に参加したい』という子ども達一人ひとりの願いに応えたい。

昨年、活動に参加した8校の内、4校はブンガマティ村周辺にある学校だった。今、問い合わせが来ている学校はカトマンズ盆地全体に広がっている。活動地域が広いと管理や指導の面で大変な反面、広い地域でのケナフ栽培等の貴重な情報を集めることが出来る。これから正式な会としてやっていくからには、ネパールでのケナフに係わるあらゆる情報を集める事が重要だ。それによってネパール支部としての存在意義が出てくると思う。釜野先生からご指導いただく技術や知識をきちんと身につける事と『ネパール独自の情報』を持つことで、子ども達の素朴な疑問にも全て答えていきたい。今年は大変になると思うが、何とか本腰を入れて頑張りたい



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2006年01月26日

ケナフ活動について

1月26日(木)

午前7時半過ぎ、東京に着いた。何時もながら東京(日本)の清潔さには驚かされる。ゴミひとつ落ちていないピカピカの床を見ていると、日本人の民度の高さを改めて実感する。

数年前、ネパール人学生を日本へ連れて来た時、その学生は関西空港の床があまりにも綺麗に光っている事に驚き、土足で歩いてはいけないのではないかと勘違いした事があった。すっかり笑い話になったが、久しぶりに帰国すると、僕もネパール人学生と同じような気持ちになる。

午後3時から日本ケナフ開発機構で釜野先生とお目にかかり、28日の報告会の件で打ち合わせをした。サダナはじめ子ども達の活躍を釜野先生にも喜んでいただき、とても嬉しかった。

ケナフ紙ネパールでケナフ活動を始めて2年余りが経つ。『子ども達が主役』という当初の予定通り、時間を掛けながら普及活動を続けている。一見、遠回りに見えるかもしれないが、子ども達の参加がなければ活動の成功はないと思う。過去にケナフ活動で失敗した例を何件か聞いたことがあるが、どれも急ぎ過ぎたことや、大きくし過ぎたことに失敗の原因があったと聞く。利ばかりを求めていると、必ず後でしわ寄せがくると思う。

釜野先生の長年の基礎研究の成果と情熱が子ども達を通して、どっしりとネパールの大地に根付かせたい、これが僕達の大きな願いだ。ケナフには沢山の活用法があり、今もどんどん新しい可能性が見つかっている。体験授業を通した子ども達への『情操教育』と『夢を育てる教育』が、今後、きっとケナフ普及の大きな力になると信じている。



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2006年01月25日

一時帰国

1月25日(水)

朝、早く起きてホームページを更新した。何とか出発までに間に合って良かった。今回の一時帰国も兎に角、実り多いものにしたいと思う。



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2006年01月23日

成績発表など

1月23日(月)

成績
朝からヒマラヤ小学校を訪問。今日は成績発表が行われた。どの子ども達にとっても、この成績発表は憂鬱だと思う。特に今回の試験は何時も以上に難しかったようなので、どの子ども達も心配げな表情で登校してきた。



先生達が名前を呼び上げ、いよいよ成績発表が始まった。成績が上がり大喜びする子、成績が下がり悔しがる子、成績発表では子ども達の様々な表情が見られて楽しい。

写真を撮っていると、1年生のナビン君(8)が体にしがみ付いてきて、『僕、駄目かもしれない』と、不安げな表情で助けを求めてきた。『大丈夫、大丈夫』と言い聞かせ、母親の変わりにナビン君の手を引いて、成績表を受け取りに行った。子どもの頃、勉強が大嫌いだった僕には、子ども達の不安な気持ちがよく分かる。通信簿を受け取るときの緊張、先生に何を言われるのかと、受け取る前は何時も心臓が爆発しそうだったことを覚えている。

さてナビン君、何と心配とは裏腹に見事、合格していた。合格したことが分かると、得意げな表情で母親や友達に成績表を見せていた。それにしても、今回も無事に成績発表が終わってよかった。先生達も一安心。

栄養その後、栄養摂取プログラムを行った。栄養摂取プログラムも支援者の方の理解により、継続的に実施されることとなった。本当にありがたい。まだ詳しい結果は出ていないが、継続することが兎に角、大事だと思う。1月4日に紙漉き教室を行った私立学校では、鼻水を垂らしている子が1人もいない事に驚いた。理由はいろいろあると思うが、栄養のバランスの問題も一因であることは間違いない。何とか果物と卵だけでなく、週に一度でも良いので『昼食』を出せないかなぁと考えている。それだけでも、きっと大きな変化が出ると思う。ただ現時点では資金の問題で実施は難しい。今は焦らず、出来る事を継続的に頑張りたい。

2時半からクリニックで仕事。今日は患者さんが少なく、一人ひとりの患者さんをゆっくり診る事が出来た。クリニックの活動も疎かには出来ない。こちらも、もう一度、原点に立ち返り頑張りたい。





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2006年01月22日

新学期

1月22日(日)

新学期早朝、往診を2件。暖かいネパールとはいえ、朝のバイクはやはり寒い。9時頃からヒマラヤ小学校を訪問。今日は3週間の冬休みを終え、子ども達が元気に登校してきた。久しぶりに見る子ども達の笑顔に心が和んだ。どの子ども達も元気に3週間を過ごしたようで、本当に嬉しい。ある児童から『冬休みが長すぎる〜』と言われた。あまり勉強は出来ない子だが、友達のいる学校がよっぽど好きなのだろう。子ども達の素直な意見を今後に活かしたい。




お菓子配布その後、支援者の方から頂いた支援で購入したお菓子を子ども達に配った。久しぶりに友達や先生の顔が見られた上にお菓子まで貰い、子ども達は皆、幸せそうだった。やはり子ども達には笑顔が一番似合う。

昼からサダナが来て『水について考えよう』と題し、子ども達へ環境授業が行われた。サダナは『環境の先生』として、子ども達からすっかり人気者だ。サダナから教わる自然の不思議さや大切さに、子ども達はつぶらな瞳を輝かせて聞き入っていた。

カトマンズの川の汚染は酷い。特に遥かガンジス川に繋がるとされるバグマティ川の汚染は酷く、とても傍による事すら出来ない状態だ。ヒンドゥ教徒にとってバグマティ川は沐浴をする聖なる川。時々、ネパール人から『もう往時の美しい川には戻らないのではないか?』という懐疑的な声まで聞こえてくる。

社会資本整備の遅れ、法整備、教育の遅れは、環境問題に拍車を掛けている。何とか、往時の美しい川を取り戻すための活動を、近い将来、立ち上げたいと思う。サダナの水についての話に真剣な表情で聞き入る子ども達を見ていると、何かが出来そうな気がした。

2時過ぎから私用でナガルコットへ。ナガルコットからは美しいヒマラヤを見ることが出来、良い気分転換になった。ぜひ今度は何日間か泊まってみたい。

フルティーナガルコットから急いで帰り、ブンガマティ村にある『隻手薬師寺小屋』を訪ねた。先日、子ども達からジュースをご馳走するので、月曜日に必ず寺小屋へ来て欲しいと言われていた。何のことか分からず訪ねてみると、子ども達が『何時もありがとう』と言って、僕とシャムさんにマンゴージュースをプレゼントしてくれた。ネパールには毎年11月『ディパワリ』という光の祭りが開催されるが、其のとき、子ども達がグループを作って各家庭を周り、歌や踊りを披露して吉祥天の恵みをもたらす習慣がある。女子のグループは『バイリ』と呼ばれるが、なんでも昨年のディパワリの時に子ども達がバイリをして330ルピーほど集めたそうだ。其のお金でジュースをご馳走してくれたのだ。何とも嬉しいプレゼントにシャムさんと感激した。子ども達が常に感謝の気持ちを持って頑張っていることが、僕達の一番の喜びだ。今日は疲れたが、とても良い日となった。





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2006年01月20日

ネパールの治安状況について

1月20日(金)

ネパールの治安状況について多くの皆様にご心配をお掛けしております。カトマンズおよび私どもの活動する地域では引き続き平静を保っております。全ての活動における安全対策は関係者の協力の下、十分に構築しておりますが、今後も安全には十分注意し、活動を進めてまいる決意です。


ネパールは今、歴史の中にすっぽり包まれ、社会が大きく変化しようとしているのが分かります。一つ一つの出来事に一喜一憂せず、しっかり世の中の変化を見つめていきたいと思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。

今日は日中の外出禁止令が発令され、一日中、家の中で過ごした。ひさしぶりに時間が出来たので、写真の整理やブログの更新などをして過ごした。

時々、今後の活動のことを考えながらゆっくり過ごしたが、これから遣りたいことや、どうしても遣らなければいけない事、ほんとうに多くの事が山積している。全ては一歩一歩の積み重ねだと思う。遠い未来を目指して頑張りたい。


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2006年01月19日

寺子屋での『お楽しみ会』

1月19日(木)

朝、往診を済ませ、昼からヤッギャ校長、サダナと合流。今日はNGO登録のために社会福祉省を訪ねた。外国NGOと現地NGOの合意書の交わし方など、担当の方に細かく教えていただいた。もちろん登録自体は行政書士事務所にお願いする予定だが、やはり手続きの流れなどはきちんと把握しておかなければならない。

医学部2その後、ヒマラヤ小学校のシラミ退治に協力して貰っているナショナル・マルティプル・カレッジの理事長が来年開校する予定の『シダールタ医科大学』を見学に行った。実はケナフ活動の中心メンバー、サダナは今年12年生を終了する。進学についてサダナ自身、悩みながら考えた結果、『将来は医師として環境問題に取り組みたい』という決意に達したそうだ。丁度、理事長から新規医科大学開校の話を聞いていたので、何かの参考になればと大学を訪問した。

カトマンズの東部に建てられた真新しい校舎と付属病院。理事長自ら案内していただき、将来の大学としての構想なども聞くことが出来た。医学部進学を目指すサダナも目を輝かせながら、一生懸命に耳を傾けていた。

『医師として環境問題に取り組みたい。』というサダナの言葉には、大きな決意が伺える。先日、訪ねたコトゥワール・ダハでの水質汚染。教育を受けていないため、その汚い水を使って生活している子ども達。そんな現状を目の当たりにしたサダナの心には、『ただ環境問題を訴えるだけではいけない』という意識が明らかに芽生えている。

これからのネパールを担うサダナ達。サダナのような若者がどんどん社会に出てくれば、必ずネパールが良い方向で変わってくると思う。サダナの一生懸命な活動を、これからもぜひ応援したい。

寺子屋3夕方から寺子屋・小川教室を訪ねた。今日は昨年末、子ども達へのクリスマスプレゼントとして頂いた支援金で作ったノートとお菓子を子ども達に配る日だった。せっかくなので今日は『お楽しみ会』として楽しく過ごそうと、担任のサンギャさんの提案で決まった。仕事を終えて集まってきた子ども達に早速、お菓子とノートを配り、後は子ども達が自分達で順番を考えて、自由な雰囲気の中でお楽しみ会が進められた。






小川寺子屋ノート2子ども達がそれぞれ得意の歌を歌ったり、踊りを披露したりと、楽しい時間を過ごすことが出来た。もちろんノートとお菓子にも子ども達は大喜び。子ども達の天真爛漫な笑顔を見ていると不思議と元気が沸いてきた。



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2006年01月18日

ジェニシャとジーナ

1月18日(水)

ジェニシャ家族夕方から奨学生のジェニシャとジーナを訪ねた。2人の姉妹は数年前から、『私達も何かしたい』と、近所に暮らす学校へ行っていない子ども達を集め、時の読み書きを教えている。その事は貧困の村々で寺子屋を開設する大きな切欠になった。

ジェニシャとジーナの父親は15年前、まだジェニシャ達が幼い頃、警察の発砲で亡くなっている。文盲の母親には塞ぎ込むほどの出来事だったに違いない。母親は胡麻油や地酒のロキシーを作りながら2人の娘を養っているが、無理を重ねたせいか最近、病気を患うことが多い。


ジーナ手伝い今日、家を訪ねた時、ジーナは皿洗いを、ジェニシャは洗濯をして、母親の家事を健気に手伝っていた。母親は何時も口癖のように『2人の娘が良い子だから、私は嬉しい』と話しているが、本当にその通りだと思う。

我がままを一切言わず、母親を一生懸命手伝うジェニシャ姉妹。時々、母親の体調を心配して涙を流すこともあるが、何時も屈託のない爽やかな笑顔を浮かべながら、頑張っている。子ども達への識字教室も、もう4年になる。ぜひ近い将来、今までの努力を表彰したいと考えている。




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2006年01月17日

短くなった蝋燭

1月17日(火)

カレンダー今日は子ども達が育てたケナフを使ってカレンダーを作るため、かんぽう事務所へ打ち合わせに行った。ネパールでケナフ活動をはじめて2年目、今回が初めてのカレンダー作りとなる。技術的な問題から今回は厚い紙を作ったため、1ページだけのシンプルな物になる予定。印刷会社の担当者と細かい打ち合わせをして、何とか最終的なデザインが出来上がった。完成が待ち遠しい。

夕方から奨学生の弟の誕生会に参加した。小さな部屋に母親と奨学生、そして8歳になる弟の3人が肩を寄せ合いながら暮らしている。毎年、弟の誕生日には必ず呼ばれているが、一緒にご飯を食べ、小さなケーキに蝋燭を灯すだけの、ささやかながらも温もりのある誕生会だ。一度、奨学生に自分の誕生会はしないのか訊ねたことがあったが、奨学生からは『弟の誕生会だけで十分』という返事が返ってきた。

この誕生会で何時も嬉しく思うことがある。数年前に初めて誕生会に呼ばれたとき、バースディ・キャンドルを持って行った事があったが、実は奨学生がそのキャンドルを毎年、大切に使っているのだ。今日も部屋の隅から、すっかり小さくなった蝋燭を持ち出して、ケーキの周りに差し込んだ。

日本人の僕なら、きっと棄てているだろう。毎年、短くなった蝋燭を見ては、自分の生活を反省してしまう。物を大切に使うネパールの子ども達。子ども達から何時も、何かを教わっている気がする。




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2006年01月16日

深川市国際交流協会カレンダー

1月16日(月)

ケナフ活動の中心メンバーであるサダナ(18)が、ネパールの代表的な女性雑誌『Voice of woman』の特集記事『ネパールを代表する女学生トップ10』(次号特集予定)の最終選考に残り、今日は最終のインタビューが行われた。

今日はヤッギャ校長とインタビュー会場へ駆けつけ、サダナを励ました。もともとサダナは何事にも動じないほど、どっしりと構えているので、僕達の応援もあまり効果がないように感じるが、それでも『有難う御座います。頑張ります』というサダナの謙虚な姿勢に、選考の光が見えた。

普段、一緒に活動する仲間としても、ぜひトップ10に選ばれてサダナの素晴らしい活躍を多くの人に知ってほしいと思う。これからもサダナには子ども達の憧れの存在として、自らをどんどん高めていって欲しい。31日の発表が待ち遠しい。

今日は北海道・深川市の職員の皆さんに善意で集めていただいた学用品が届いた。遠く北海道から届いた善意に感謝すると共に、どのようすれば皆さん善意が子ども達により上手く伝わるのか、しっかりと考えていかなければならないと思った。支援を呼びかけて下さる方、賛同し集めてくださる方、包装して送ってくださる方、本当に多くの人々に支えられて、この善意が集められ届いたことを、何とか自分なりの方法で子ども達にしっかり伝えたいと思う。

リタカレンダー荷物の中に深川市国際交流協会のカレンダーが入っていた。カレンダーには深川市を訪問させていただいた里親教育基金の奨学生、リタの写真が交流した一巳小学校の子ども達と共に載っていた。早速、リタにカレンダーを届けると、とても驚いた表情で『これは私ですか?』と変な質問をしてきた。まさか自分がカレンダーに掲載されるとは夢にも思っていなかったようで、暫くカレンダーを見つめていた。

リタが深川市の河野市長を表敬訪問した時、河野市長から『深川を第2の故郷と思って、これからも深川を訪れてください。』という暖かいお言葉を掛けて頂いた。その言葉がどれだけリタの心に響いたか、少なからずともリタの窮状や社会からの虐げを見てきた僕には理解できた。カレンダーを見つめながら『勉強を頑張って、また深川へ行ってみたい』と無邪気に話すリタを見ていると、交流が人に大きな力と夢を与えてくれることを実感した。

追:1月28日(土)午後2時から、東京港区六本木にあります『みなとNPOハウス』で開催されます『第1回こども環境ケナフ会議』の報告会に、わたくし吉岡大祐も参加させて頂く事となりました。ネパールでの活動の現状などについてお話させていただきます。ぜひ機会をお作りの上、ご参加くださいます事お待ち申し上げます。当日は会議のドキュメンタリービデオも上映されます。詳しくはNPO日本ケナフ開発機構まで。106-0032東京都港区六本木4-7-14 電話:03-3401-2620 


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2006年01月15日

ケナフ活動

1月15日(日)

早朝、ヤッギャ校長、サダナと今後のケナフ活動についてミーティング。殺到している問い合わせや『種を蒔きたい、ケナフを育てたい』という子ども達の声に今後、どう対応すればよいか、時間を掛けて話し合った。

子ども達の願いには、できる限り応えていきたいと思っている。ただ子ども達の学校が遠いことなどもあり、なかなか実現できていないのが現実だ。ヤッギャ校長と僕のバイク2台では、スタッフ2人を乗せることが限界で、そう上、紙漉きの機材を運ぶのはとても無理だ。やはり今後の活動のためにも、機材と人を運べる車両の整備が必要不可欠になってくる。またスタッフの育成も急務だ。現在、サダナとヤッギャ校長が行っているオリエンテーションをきちんと代行できる『ケナフを知る』人材が必要になっている。その他、学生のネットワーク化など検討課題は多いが、兎に角、一歩ずつ頑張るしかない。

ケナフ活動をしていると、時に『マーケットはあるか?』『日本で売れるか?』など、心に巣くうよこしまな考えを持った人にも出会う。利益優先ではこの活動は必ず失敗すると見ている。ただ利益を追いかけるだけなら、ケナフでなくてもネパール国内で取れる『こうぞ』や『みつまた』から紙を作ればいいわけで、ケナフが持つ様々な利点を上手く活用しながら、地域に根ざした活動を進めることに意味があると考えている。種蒔きから観察、紙漉きを通して子ども達の情操を養い、自然と共存することの大切さを皆で学びながら活動を進めていくことで、本当に意味のある活動へと発展するのだと思う。ケナフが一時的な人気で終わらないためにも、しっかりとした活動を進めていきたい。



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2006年01月14日

ギョー・チャク

1月14日(土)

ギューチャク今日はギョー・ツァク・サンルーの日(陽暦の1日)。子ども達から招待を受け、夕方からギョー・ツァクを食べに行った。ギョーはバター油、ツァクは粗糖。この日を境にネパールでは日が長くなるといわれている。

2件の家を回った後、最後にディーパの家を訪ねた。ディーパは里親教育基金の第1期生。昨年SLCに合格し、現在はヤッギャ校長の愛娘サンギャちゃんと同じ学校に通っている、明るく活発な学生だ。最近ではすっかり背が伸び、周囲を驚かせている。(既に165センチを超えたのではないだろうか。)

ディーパ母ディーパは小学校5年生の時に父親を亡くしている。母親は文盲で定職がなく、編み物などの内職をしながら、ディーパと弟のディペスを養っている。何時も将来への不安を口にする母親。心労からか2年前に心臓病になってしまい、以前ほど内職の仕事が出来ない状態が続いている。其の分、生活も苦しい現状だ。

先日、サンギャちゃんから、ディーパがお金を持っていなかったため、学校でランチが食べられず、他の生徒にからかわれていたと聞いた。母親が病気で内職の仕事もなかなか出来ない現状なら、学校でランチを食べることだって大変だろう。僕達の支援は授業料や学用品など教育に係わる物だけなので、昼食の費用などは自分達で賄うことになっている。サンギャちゃんが心配そうな表情で学校での様子を伝えてくれたが、『からかわれたのは今回が初めてじゃない』との一言に、胸を刺されたような思いがした。

今日、ディーパの家を訪ねたのも、その事についてディーパに直接、訊ねてみたかったからだ。ギョー・チャクを食べながら何度も尋ねる機会を伺っていたが、ディーパの無邪気な笑顔を見ていると、なかなか訊き出すことが出来なかった。

ようやく母親が台所へ行った隙に尋ねると、初めの内は笑顔で『気にしてないですよ』と話していたディパーだったが、終には涙を流してしまった。よっぽど辛い思いをしたのだろう。貧しさを理由に馬鹿にされたディーパの事を思うと、こちらも辛くなってくる。

一時は少しポケットのお金を渡すことも考えたが、お金を渡したところで問題は決して解決しないだろうと、途中で考えを改めた。それよりもディーパを励まし、大きな夢を描けるような環境を作ることが大事ではないかと思う。将来の夢や希望があれば、辛いことは乗り越えられると思う。ディーパは将来、客室乗務員になって世界各地を訪ねたい、という大きな夢を持っている。その夢が一歩でも2歩でもディーパに近づくよう、チャンスを作り出し最大限の応援をすることこそ大切だと思う。お母さんの苦労を何時も間近で見ているディーパ。きっと貧しさに負けない強い心を持っているはずだ。今の苦しみがディーパの将来に活きて欲しい。そう願わずにはいられない。



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2006年01月13日

紙漉き教室への高い評価

1月13日(金)

ヒマラヤ・ビディヤ・マンディール校のウインターキャンプ閉会式に参加。その後、保護者を交えたウインター・キャンプの報告会に参加した。

紙漉き2保護者からウインターキャンプへの様々な意見や感想が出されたが、特に紙漉き教室への感想が多く、これには同席したヤッギャ校長ともども驚いた。保護者からは子ども達が紙漉き教室を、とても楽しかったと喜んだことや、他校のウインターキャンプでは学べない素晴らしい授業だったなど、とても良い評価を頂いた。更には種蒔きから活動に参加させて欲しいとの意見も多数出された。こちらから保護者に質問をしてみると、紙漉きをした日、子ども達が夢中になって紙漉きをしたこと、教室がとても楽しかったとなどを保護者に伝えたようだ。保護者の多くは紙が作られるまでの行程を知らず、今回、子ども達から聞いて初めて知ったという。

第1回こども環境ケナフ会議のパネルディスカッションに参加したJICAネパールのグルンさんは、ネパールでのケナフ活動が、子ども達を通して進められていることを大きく評価して下さった。子ども達がケナフ活動を通して自然の素晴らしさを学び、その事が切欠となり、自然を守る活動へ発展して欲しいとの願いからだ。ケナフ活動の楽しさや素晴らしさを知る子ども達が増えれば、自然とケナフへの理解は広がるとも話していた。今回、子ども達から保護者へケナフの楽しさや素晴らしさが伝わった事は、大きな評価が出来るのではないかと思う。

これから紙漉きだけに留まらず、ケナフを使ったもっともっと楽しい活動を展開していきたいと思う。子ども達の評価の目はとても厳しいと思う。それだけに、真に楽しい活動を目指していきたい。


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2006年01月12日

暖かい励まし

1月12日(木)

朝、3件の往診に出かけた。寒さのせいか癌を患っている患者さんの容態が好ましくなかった。他の患者さんも寒さで関節の痛みが増している様子。その後、ネパール癌協会のラウォット会長を訪ねると、ある患者さんの死亡が伝えられた。どうも心臓病による発作だったようだ。この患者さん、かれこれ6年以上もクリニックに通っていた常連の患者さんだった。指の関節に痛みがあって来院したことがきっかけだったが、その後も患者としてだけでなく、仕事上の人脈を使って、他の患者さんをいろいろと助けてくれた優しい人だった。ヒマラヤ小学校が開校した時には、椿やブーゲンビリアの苗を寄贈してくれた。

患者さんとの別れは何時も辛い。治療活動をはじめて7年半になるが、何時も患者さんから教わることばかりだ。亡くなった患者さんは治療の後、
何時も『若いからといっても、健康にだけは気をつけてくださいね。』と、人懐っこい笑顔で励ましてくれた。こうした人々の暖かい励ましがあるから、今までささやかながらも頑張って来られたのだと思う。患者さんの気持ちに応えるためにも、目標を見失わず一生懸命頑張りたいと思う。

夕方から奨学生宅を回った。試験の真最中の子、冬休みに入り家の手伝いに追われている子など、様々だったが、皆、寒さに負けず元気に頑張っている様子で安心した。来週からは新規奨学生の選考が始まる。今年も1人でも多くの子ども達の夢が叶うよう、頑張りたいと思う。




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2006年01月11日

率直な感想

お世話になっている友人宅を訪問した。友人には9歳になる娘がいるが、偶然にも先日開催した『ウンターキャンプ』での紙漉き教室に参加していたそうで、紙漉きがとても楽しかったとことや、紙漉きの手順などを一生懸命、友人に説明したそうだ。思いがけない話に、とても嬉しくなった。

手で触り、目で見て学ぶ、そうした体験を通して学ぶことは、子ども達にとってとても良いことだと思う。ケナフは子ども達の体験学習に打って付け教材だ。種まきから栽培、観察を通して気付いた自然の不思議さや、パルプを作り、紙漉きを通して学ぶこと。ケナフは本当に多くの事を教えてくれる。

紙漉き帰宅した友人の娘に紙漉き教室の感想を尋ねると、とても楽しかったと言いながら、自分で漉いたカードを照れくさそうに見せてくれた。そして『何時、ケナフの種まきするの?』との質問が返ってきた。沢山ケナフの種を蒔いて、また紙漉きをしたいという。子どもの率直な感想を聞いて、この活動の意義を再確認した思いだった。子ども達の笑顔は、全ての活動の原動力だ。子ども達の天真爛漫な笑顔が見られるよう、今年のケナフ活動もしっかり進めていきたい。

追:1月28日(土)午後2時から、東京港区六本木にあります『みなとNPOハウス』で『第1回こども環境ケナフ会議』の報告会が開催されます。ぜひ、ご参加ください。当日は会議のドキュメンタリービデオも上映され、子ども達の夢のある一生懸命な発表をご覧になれます。詳しくはNPO日本ケナフ開発機構まで。106-0032東京都港区六本木4-7-14 電話:03-3401-2620 



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2006年01月09日

煉瓦工場・実態調査

1月9日(月)

煙突朝、学校周辺の煉瓦工場へ行き児童労働の実態調査に出かけた。現在、ネパール国内には260万人の児童労働者がいると報告されている。子ども達の多くは工場やレストランなどで過酷な労働環境の下で働いている。

児童労働者の数は一向に減っていないのが現状だと思う。貧しいネパール社会では、未だに子どもは労働力として使われている。未だに貧困が原因で学校へ通えない子ども達は数多く存在しているのは、胸の痛む現状だ。



煉瓦工場少女2今日訪ねた煉瓦工場では子ども達が顔中に泥をつけ、大きな汗を流しながら働いていた。果たしてこの子ども達のために僕達は何をすべきで、何が出来るのだろうか?寒さを凌ぐため、焼成窯の傍に作られた、日干し煉瓦を積み上げただけの小さな小屋で生活している子ども達。親も教育を受けていないため、そこが危険であることすら分らない。決して丈夫とはいえない焼成窯がもし崩れてしまったら、、、、何時も危険と隣り合わせで暮らしている子ども達の現状に、とても胸が痛くなった。子ども達の親にも様々な質問をしてみたが、生活は食べるだけで精一杯という。子ども達を学校へ送りたいが、生活が苦しく余裕はないと嘆いていた。


煉瓦少女現在、ブンガマティ村に開校している寺子屋には、煉瓦工場で働いている子ども達が大勢学んでいる。子ども達が毎日、汗を光らせながら寺子屋へ駆け寄ってくる姿を見ると、子ども達の向学心や夢の大きさを感じる。また昨年は煉瓦工場で働いていた子ども達がヒマラヤ小学校へ入学するなど、少しずつではあるがヒマラヤ青少年育英会の活動も、煉瓦工場の子ども達の教育のために一定の効果を挙げているように思う。しかし子ども達の数は依然として多い現状だ。1人でも多くの子ども達に就学機会を与え、危険を回避するだけの基本的知識を与えるためには、何が最善の方法なのだろうか。僕達は常に最善の支援活動を目指さなければならない。目を覆いたくなるような現状に、活動への気持ちを新たにした。






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2006年01月07日

ジリ復路

1月7日(土)

朝6時、カトマンズへ向けジリを出発。昨日の道を引き返す行程。昨日の上り下りの山道を思い出しては、気が遠くなった。

ドラカチャリコットに着いた後、隣町のドラカに立ち寄った。マラ王朝の王国の一つだったドラカには、今も古い町並みが残っている。商売繁盛の神を祭るビムセン寺院へ続く石畳の門前通りは、なかなか綺麗だった。今日は土曜日という事もあり、ビムセン寺院は大勢の参拝客で賑やかだった。



カリドゥンガドラカを経ち、チャリコットから山道を下り、再び登る行程が続いた。その後、カリドゥンガの採石場を過ぎたあたりで、車の左と後側に、突然、美しいヒマラヤが姿を現した。スイスの支援で完成したというカトマンズとジリを結ぶ道。ヒマラヤを眺めるのに、カリドゥンガが一番魅力のある町であることは間違いないと思う。

アルニコ道路に合流した後、カトマンズ郊外の避暑地ドゥリケルで休憩した。今日は天気も良くドゥリケルからも美しいヒマラヤを眺めることが出来た。

今回のジリ訪問。慌しい日程だったが、綺麗なヒマラヤを満喫することが出来た。今回の旅を通して、ネパールにはまだまだ素晴らしい場所が沢山あることを実感した。ぜひ次回は、ゆっくりとジリの町を探索してみたいと思う。





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2006年01月06日

ジリ

1月6日(金)

早朝、東ネパールの町『ジリ』に向い出発した。ジリはカトマンズから東に190キロの距離にある小さな町。スイスのプロジェクトで作られたという町だ。以前、スイスプロジェクトで働いていた知人から何度かジリについて話を聞いていた事もあり、以前から一度、訪ねてみたいと思っていた町だった。

山並み先日、訪ねた中国(チベット)との国境の町『タトパニ』へ向う道中、『ラモサング』という町で、車はジリ方面へと分かれた。山道を右へ左へと揺られ、ネパールらしいのどかな景色を楽しみながら、車はゆっくり目的地のジリへと向った。ネパールを旅していると、何時もネパールの山の深さと広さ、そして大きさに驚かされる。幾重にも連なる山並みにアイロンを掛けたら、一体、どれだけの広さになるのだろうか。

約5時間後、カリドゥンガという大きな採石場のある町についた。カリドゥンガからは進行方向の前方と右側にヒマラヤの美しい連山を望むことが出来た。特にガウリシャンカール(7146M)の大きさは圧巻だった。何時もカトマンズから見慣れているランタンやマナスルといったヒマラヤも、何時もとは違う姿を楽しむ事が出来た。



オーバーヒートカトマンズを出発して約7時間、チャリコットという峠の町に着いた。峠の町のバザールは大勢の人々と集められた商品で賑やかだった。チャリコットからは再び山を下り、一旦谷底まで降りて川、再び山を昇る行程が続いた。借りた車(いすゞビッグホーン)も急斜面の連続に、2度もオーバーヒートしてしまった。冷却水が無くなったラジエターに近くの川から汲んできた水を入れ、更にマサラを加えて色付けするドライバーの対応には、思わず笑ってしまった。有る物を上手く活用する方法に関して、ネパール人の右にでる者はきっといないと思う。何時も感心してしまう。



ジリチャリコットから2時間半、ようやく目的地のジリについた。整然とした町並みは綺麗だったものの、地形上、ジリからはヒマラヤを眺めることが出来ず残念だった。それでも夜空に輝く星群は、今にも空から落ちて来そうなほど綺麗だった。




ジリの子どもジリは以前、エベレスト登山の出発点として賑やかだったという。現在は出発点が東の町『ルクラ』に移ったこともあり、町は活気に乏しかった。登山客が減った事を嘆く地元の人々。大きな産業もなく、観光に依存しているネパールでは、観光客の減少は大きな問題だ。ネパールは美しく豊かな自然と、人懐っこい人々が暮らす、素晴らしい国。ぜひ1人でも多くの人々にネパールへ来て欲しいと思う。



ジリ町

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2006年01月04日

ケナフ活動・紙漉き教室

1月4日(水)

紙漉きカトマンズの名門私立校ヒマラヤ・ビディヤ・マンディール校で開催されているウインターキャンプで紙漉き教室を開催した今回のキャンプには他の私立学校からも大勢の子ども達が参加して、とても賑やかだった。

まずはサダナによるオリエンテーションが行われた。普段使っている紙がどのように出来るか?紙はどれくらい必要か?ネパールの環境問題、自然の素晴らしさ、ケナフについて等、サダナの分かりやすく丁寧な話に子ども達は興味津々の様子だった。今回、KDNとして初めての紙漉き教室だったこともあり、いつも以上に緊張したが子ども達の良い反応を見て安心した。

300名の子ども達を纏めることは容易ではなかったが、子ども達は本当に一生懸命パルプつくりに取り組んでくれた。(詳しくはホームページに掲載しています。ぜひお目通しください。)紙漉きを終えた子ども達の嬉しそうな笑顔は筆舌に尽くしがたい。『ケナフを育ててみたい』『種を蒔いて育てたい』という子ども達の声に、活動の意義を感じることが出来た。

ケナフ活動の主役は常に子ども達であって欲しいと思う。紙漉きをしている時の子ども達の天真爛漫な笑顔を見ていると、ケナフ活動が子ども達の夢を育てていることを実感する。子ども達がケナフの栽培から紙漉きまでの体験学習を通して、自然の大切さを学ぶことが出来れば、環境問題への意識が必ず高まってくると思う。また、暗記が中心のネパール教育の中で、子ども達には体験学習を通して“学ぶ楽しみ”をいっぱい感じて欲しいと思う。

今日の紙漉き授業は大成功に終わった。学校の理事長からも、土地を用意するので、ぜひ種蒔きから参加させて欲しいとの嬉しい要請もあった。少しずつケナフへの関心が高まってきている事を強く感じた。これからも地道な活動を一歩ずつ積み重ねながら、ケナフ活動を広げていきたいと思う。





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