2005年12月

2005年12月23日

努力を認めてもらう

12月23日(金)

チョコレート朝、支援者の方から頂いたクリスマスプレゼントのチョコレートを届け、ヒマラヤ小学校を訪ねた。出張中のヤッギャ校長の代わりモンゴル先生から、子ども達へクリスマスの説明と支援者の方の気持ちが伝えられた。チョコレートが貰えると知った瞬間、子ども達から『ウォー』という大きな歓声が上がった。どの国でも子ども達はお菓子が大好きだ。

ヒマラヤ小学校では学用品から制服まで全て無償で提供している。時には今日のように、支援者の方からお菓子などを頂き、子ども達へ配ることがある。子ども達に何かを配る前には必ず、ヤッギャ校長が支援者の方の気持ちを子ども達に伝えている。

『君達がよく頑張ったから。。』『歌が上手になったから。。』子ども達を上手く励ますと同時に、支援が決して『当たり前』になって欲しくないとのヤッギャ校長の気持ちからだ。こうした地道な活動が功を奏してか、子ども達は何時も感謝の気持ちを持って頑張っている。

今日はある児童がチョコレートを美味しそうに食べながら、『もっと頑張ったらOOさん(お菓子をご寄贈いただいた方)は、ヒマラヤ小学校へ来てくれますか?』と訊ねてきた。子ども達にとってお菓子は、単に“美味しい”だけでなく、“努力を認めてもらった証“として存在しているように感じた。





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2005年12月21日

夜盗被害

12月21日(水)

早朝、モンゴル先生から『学校に夜盗が入って、被害が出ている』との連絡を受け、急いでヒマラヤ小学校へ向った。

夜盗こじ開けられた戸棚、壊された施錠、散らかった職員室、投げ捨てられたピアニカ、見るのも嫌な風景だった。周辺に家がほとんどないことや、外壁がないため校内へ容易に入る事が可能な事など、ヒマラヤ小学校には夜盗の被害に合いやすい条件が幾つか揃っている。日本の支援で出来た学校という事も、盗賊が狙った理由の一つかもしれない。理由はどうであれ、『学校』という子ども達の夢の場所を狙った卑怯な犯罪には、強い憤りを覚える。

今年5月の夜盗被害を切欠に、ヒマラヤ小学校では安全対策について何度も話し合いが行われてきた。またサイレンの設置、鉄格子の設置、貴重品の管理など、出来る限りの防犯対策をしてきたつもりだ。今回、残念ながら再び夜盗の被害に遭ったものの、防犯サイレンが一定の効果を挙げ、最小限の被害で収める事が出来た事は評価できると思う。

学校は子ども達にとって、一緒に助け合える友達や尊敬できる先生がいる、一番安心できる心の居場所であって欲しいと何時も願っている。そのためにも僕達の出来る防犯対策をしっかり進めていかなければならない。2度の夜盗被害から得た教訓をどう活かしていくか、学校関係者一丸となって考えていきたい。


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2005年12月20日

子ども達の優しさ

12月20日(火)

朝からヒマラヤ小学校を訪ね、先生達と冬休みの最終的な打ち合わせを行った。休みの長さについては何時も悩んでします。朝夕の冷え込が厳しいカトマンズ盆地では、冬休みを長くしている学校が多い。学校が休みになると子ども達の多くは農作業など、いつも以上に家の仕事を手伝うことになる。休みが長くなると親が子ども達をそのまま労働者として使い、学校へ送らなくなる可能性が否定できない。1週間か、2週間か、いや1ヶ月、先生達の間でも様々な意見が交わされた。(ヒマラヤ小学校は12月31日から冬休みです。)

サムジャナ昼休み、何時ものように子ども達と遊んでいると、子ども達が摘んだばかりの野花をプレゼントしてくれた。『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えると、子ども達は再び畦道へ行き野花を摘んで来た。手に収まりきれないほどの野花を貰い流石に参ってしまったが、子ども達の優しさをとても嬉しく思った。

子ども達が毎日、嬉しそうに学校生活を過ごしている姿を見ると、本当に学校を開校できて良かったなぁと、改めて思う。学校には友達と会える楽しみ、未知の世界を学ぶ楽しさなど、何時も子ども達の夢で満ち溢れている。山を越え2時間以上も掛けて学校へ通ってくる子ども達。夢は全ての原動力だと思う。これからも子ども達が一歩ずつ成長する姿をしっかりと見つめていきたい。



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2005年12月19日

ドッジボール

12月19日(月)

午前中に雑用を済ませ、昼からヒマラヤ小学校を訪ねた。

ヒマラヤ小学校は丁度、昼休みだった。子ども達と遊んでいると、2年生のクマールが『ドッジボールをしたい』と言い出した。暫くするとクマールをはじめとする男子児童が、グループになって『ドッジボールがしたい』と言ってきた。先週、試験も無事終わったという事で、モンゴル先生に相談した上で、昼から遊びの時間にして子ども達が大好きなドッジボールをすることが決まった。

ドッジボールは昨年、日本から参加したボランティアの方に教えて頂いた。すっかり子ども達の間で大人気となっていたが、2階校舎の建設の関係で建設資材が広場に置かれていたため、残念ながら半年ほどドッジボールが禁止となっていた。

今日はモンゴル先生やディビヤ先生も加わっての賑やかなゲームとなったが、手を抜くとゲームが面白くなくなるため僕も本気で挑んだ。中には僕やモンゴル先生にボールを当てることに必死になる男子児童もいて、子ども達以上にドッジボールを楽しむことが出来た。

ニロージュドッジボールが上手な児童の中に1年生のニロージュ(13)がいる。(今日は何度もニロージュに当てられました。)ニロージュは口蓋列の問題で発声障害を持っている。勉強は苦手だが、何時も率先して机の移動など学校の手伝いをしてくれる活発な子だ。ニロージュのような児童には、将来、ぜひ職業訓練をつけたいと考えている。ニロージュのような子が手に職を持てば、一生懸命仕事に取り組み、必ず良い仕事をしてくれると確信している。これからケナフ活動も含め、本気になって学校内の職業訓練所開設を目指したいと思う。

今日はドッジボールをしている途中、学校の前をバスやトラックが通る度に、上級生が試合を止め、幼い子ども達を安全な場所に移動してくれた。これは今まで見られなかった行動だ。子ども達の大きな成長を見ることが出来、本当に嬉しかった。

結局、今日は7試合を行った。流石にくたくたに疲れたが、久しぶりに子ども達と気持ちの良い汗をかく事が出来た。来年はぜひ、校内ドッジボール大会を開催したいと思う。将来は村レベルの競技に広めていきたい。


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2005年12月18日

書き写し

12月18日(日)

朝から雑用に追われた。雑用に頭を抱えていると、ヒマラヤ小学校のディビヤ先生から『子ども達が朝から何度も、大祐さんに見せたいものがあると言っている。もし時間があれば学校に来て欲しい』と電話が掛って来た。このまま雑用に頭を抱えるよりも、子ども達の顔を見て息抜きをしようとブンガマティ村へバイクを走らせた。


バス ブンガマティ村に着き、学校へ通じる道を走っていると突然、前を走っていたバスが止まった。学校へ通じる道はバス一台が走れるだけの道幅しかないため、バスを追い越すことも出来ず、こんな場合、バスが動き出すのを待つしかない。

暫くすると収穫した農作物を載せるために、バスが止まっている事が分かった。バイクを降りてバスの傍に行くと、老人が1人で農作物の入った何十キロの袋を一生懸命、担ぎ上げていた。見かねて手伝うと、老人がニコッと嬉しそうな顔で挨拶をしてくれた。ネパールの人々の笑顔は本当に気持ちが良い。ささいな出来事だったが、お年寄りの優しい笑顔に心が和んだ。

学校へ到着すると子ども達が駆け寄ってきて教室へと導かれた。教室に入ると、ある児童が恥かしそうに一枚の紙切れを出してきた。早速、紙切れを開いてみると、先日、子ども達に配ったノートに書かれてある松山聖陵高校の『校章』と『贈松山聖陵高校』の字が書かれていた。どうも子ども達が僕に見せたかった物は、紙切れに書き写した日本語だったようだ。

日本語を書き写した子どもの頭を撫で、ありがとうと伝えると、他の子ども達も同様に『贈松山聖陵高校』と書かれた紙切れを出してきた。様々な形の『贈松山聖陵高校』。ノートが何時も接している僕の母校からのプレゼントということで、子ども達は相当、身近に感じてくれたようだ。子ども達がノートを喜んでいることが分かり、とても嬉しくなった。それにしても子ども達は無邪気で可愛らしい。


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2005年12月16日

第1回こども環境ケナフ会議掲載

12月16日(金)

朝、早く起きてアパートの周りを歩き、噂どおり『ウパティヤカ・バンダハ』(カトマンズ盆地を対象にしたゼネスト)になっている事を確認した。一応、バイクは動いていたが、天気も良かったので、歩いて往診へ行った。

午後2時頃に帰宅し、第1回こども環境ケナフ会議のホームページを作成したホームページの作成には平均1時間半から2時間近く掛るため、毎回、時間のある夜中に作成している。今日のような臨時休暇はホームページ作成のためにはとても有難い。

会議の様子を何とかお伝えしようと時間を掛けて作成したが、主人公である子ども達の一生懸命な発表の様子は、なかなか筆舌には尽くせないものがある。結局、子ども達の発表の大部分を削除し、主に写真を掲載することにした。

今後、予算が出来れば、ぜひ会議の様子を本に纏めたいと考えている。またジャイカ研修生協会の機関紙でも掲載できればと思う。ぜひ、子ども達の素晴らしい活動を多くの人々に知って欲しいと思う。

第1回こども環境ケナフ会議の様子を掲載しました。ぜひご覧ください。



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2005年12月14日

クロワッサン

12月14日(水)

朝からクリニックで治療。今日は祭りに前という事もあり、患者さんの数は少なかった。患者さんが少なかった分、十分な時間を掛け納得のいく治療が出来たと思う。クリニックで治療をしていると、1人でも多く治療したいという気持ちと、患者さんの数を減らして一人ひとりの患者さんをゆっくり丁寧に治療したい気持ちが、何時も心の中で葛藤する。どちらかに決めることは難しいが、以前ほど治療に集中できない現状の中で、『最善』を目指して頑張りたい。

昼からダルマさん宅で料理講習会を開催した。今日は奨学生3名が参加しクロワッサンの作り方を習った。僕もクロワッサンつくりに挑戦してみたが、なかなか面白かった。フランス人の友人の名前がクロワッサンで、友人からクロワッサンはフランス語で『三日月』を意味している事を聞いたことがあった。その事を思い出し奨学生にクロワッサンの意味を『したり顔』で説明した。

その後、焼きあがったクロワッサンを食べたが、なかなか美味しかった。来年から『あすなろ食堂』で取り入れる予定。

今朝、布団を跳ね除けて寝てしまったせいか、鼻風邪を引いてしまった。少し体がだるかったので、早めに帰宅し休んだ。ネパールも本格的な冬を迎えたようだ。



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2005年12月13日

ラチミ

12月13日(火)

郵便局へ行った。何時も以上に郵便物が多かったが、今日も知人に助けられ何とか短時間で投函することが出来た。その後、先日、受け取れなかった荷物のキャンセル手続きを行ったが、税関の人たちのにべもない態度には、呆れてしまった。

昼からヒマラヤ小学校を訪問。今日は試験後の休みだったが、勘違いをした2年生の児童ラチミが学校に来て、当直のモンゴル先生とボールで遊んでいた。

laxmiラチミはヒマラヤ小学校では珍しいシェルパ族。シェルパ族は山岳民族だが、ラチミは父親をなくし数年前に母親と共にカトマンズ盆地にやって来たそうだ。母親は小さな食堂を営んでいるが、生活はとても厳しい。家庭訪問をした時にもラチミの家庭の窮状が良く理解できた。遠い家から楽しそうに学校へ通ってくるラチミを見ると、僕らも嬉しくなる。

今日は暫くの間、モンゴル先生、ラチミの3人で遊んだ後、ラチミをバイクに乗せて家まで送った。道中、無邪気に日本の歌を歌っていたラチミに学校について尋ねると、とっても楽しくて大好きだと、嬉しい答えが返ってきた。更に理由を尋ねると、先生達が優しいこと、友達が沢山いること、日本のゲストが学校へ来て遊んでくれることなどを挙げた。こうして子ども達から直接、意見を訊く事はとても大事なことだと思う。子ども達が喜ぶ姿は僕達の活力に繋がる。ラチミの嬉しそうな笑顔を見て、もっともっと楽しくて夢のある学校を作りたいと改めて思った。



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2005年12月12日

社会からの理解

12月12日(月)

朝、子ども達から預かった手紙の翻訳作業に追われた。子ども達の素直な気持ちを翻訳するのは、なかなか難しい。数行の翻訳に頭を抱えながら、あっという間に時間が過ぎた。今日は朝7時のFMラジオにサダナさんが出演しケナフについて話した。前回以上に分かりやすく良い内容だった。

昼からサダナ、ヤッギャ校長、モンゴル先生と合流し、ケナフ活動のミーティングを行った。年明けにも、現在、任意団体であるネパール・ケナフ開発(KDN)を地方行政局、社会福祉省に登録し、正式な会として発足させようと考えている。今日は定款の素案作成を行った。後で問題の起きないよう、事細かい点まで話し合った。年末までに素案を纏めると共に理事の選出を終わらせたいと思う。出来るだけ実行力のある人に理事に入って貰いたいと思う、またサダナさん達、若い人が中心として活躍できる風通しの良い会を目指したいと思う。

皆で素案を纏めているとカトマンズ市内の某有名市立学校から電話があり、ぜひケナフ活動に参加したい、学校のウインターキャンプで紙漉き授業をして欲しい、との要請を受けた。願ったりかなったりの話に即答でOKを出した。

ネパールの学校では今まで、植物観察授業がほとんど行われていなかったため、学校でケナフの観察をして貰うのに苦労した経緯がある。学校関係者に観察の意義を説明するため、何度も学校を訪ね回り観察活動をお願いした。それだけに、学校側からの要請はとても嬉しかった。少しずつ活動が社会に受け入れられていることを実感した。社会の理解を得ることが出来れば、必ずケナフ活動は上手くいくと信じている。

ケナフ紙その後、先日、製紙工場へ出荷したケナフが紙になって届いた。前回よりも滑らかで遥かに出来が良い。この質ならば更に多くの人々に興味を持っても貰えると思う。皆で何度も紙を触って喜んだ。一日も早く、ケナフを栽培した子ども達にも紙を届けたいと思う。


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2005年12月11日

絵本朗読

12月11日(日)

朝からヒマラヤ小学校を訪問。試験も終盤に入った。子ども達にとっては大変な毎日だ。特に2年生の試験は難しく一部の児童を除いて、ほとんどの子ども達が頭を抱えているようだった。監視員をしている時は子ども達の求めに応じて、出来る限りヒントを出すようにしているが、今日の試験はヒントすら出せなかった。見ていて可哀想にすら思えるが、5年生卒業時に行われる郡レベルの統一試験に合格するためには、避けては通れない道だと思う。子ども達には頑張って欲しい。

絵本今日は試験前、子ども達の緊張をほぐそうと支援者の方に頂いた絵本の朗読が行われた絵本の大好きな子ども達、暫らくの間、試験のことを忘れて絵本を楽しんだ様子だった。久しぶりに子ども達の底なしに明るい笑顔が見られ、とても嬉しかった。明日は試験の最終日。試験が終わったら、もう一度、朗読を行いたいと思う。



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2005年12月10日

考えた休日

12月10日(土)

朝、2件の治療を済ませた後、帰宅。今日は昼から携帯電話の電源を切り、自宅でゆっくり過ごすことにした。

普段、あまり家にいないため何となく不思議な休日となったが、学校のことや奨学生のこと、そしてケナフ活動のことなど、ゆっくり考えることが出来た。

鉛筆一番気になるのは、やはりヒマラヤ小学校の運営だ。これから児童数の増加に伴い経費も増えていくことになる。もちろん経費の削減努力は開校以来、ヤッギャ校長先生の強力なリーダーシップの下に続いているが、最低限必要な経費だけでも相当な金額になる。*写真は子ども達から回収した鉛筆。ヒマラヤ小学校では鉛筆1本からの経費削減を続けている。使い切った鉛筆を学校長に返却しなければ、子ども達は新しい鉛筆はもらえない。

これまで多くの人々の暖かい善意支えて運営してきたが、目先の事をこなすのに精一杯で、支援体制を構築できていないのが実情だ。一時的な大きな支援よりも、小さくても継続的な支援がとてもありがたい。ヒマラヤ小学校の運営には年間、子ども一人当たり約1万円の経費が掛る来年は児童数が100名を超え、数年後には児童数150名の学校になる予定だ。ヒマラヤ小学校を継続させるためには、150名の支援者に支えて頂きたいと考えている。もちろん300名に増えれば支援者の方の負担が減るので、支援者数が多いに超したことはない。

しかし150名に人々の理解を得る事は決して容易な事ではない。やはり一つひとつの活動を一生懸命取り組み、少しずつ理解を得ることが一番大切だと思う。時間が掛かっても、学校が末永く継続できる支援体制を構築したいと思う。


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2005年12月09日

隻手薬師寺子屋、開校1周年!

12月9日(金)

朝、手紙を出しに中央郵便局へ行った。今日は郵便物が沢山あったため時間が掛かってしまった。その後、届いた荷物の受け取りに行ったが、手続き上の問題が発生してしまった。知人や友人に頼み、あの手、この手を尽くしたものの、残念ながら受け取ることが出来なかった。支援者の方の気持ちを子供達に届けることが出来ず、本当に残念だ。思わず溜息が漏れた。

昼からは今後のケナフ活動について打ち合わせ。参加校を増やすため、学校間のネットワーク化を図りたいと考えている。皆で知恵を出し合えば、必ず上手くいくと信じている。

寺子屋勉強夕方から寺子屋を訪問。先日12月1日にブンガマティ村の隻手薬師寺子屋は1周年を迎えた。これまで担任のシャムさんの努力は素晴らしいものがあった。本当によく纏めてくれたと思う。皆で行ったピクニック、一生懸命ゲストの皆さんを歓迎したこと、村のダンス大会に出場したこと、本当に思い出深い1年だった。隻手薬師寺子屋からは今年5人の子供達がヒマラヤ小学校へ入学した。また7名が里親教育基金から就学支援を受け、学校へ通うこととなった。これも大きな成果だと思う。



寺小屋お菓子今日は1周年を祝う、ささやかなパーティを開催し、子供達とお菓子を食べながら楽しい話で盛り上がった。子供達一人ひとりに寺子屋の感想を尋ねると、『シャム先生が優しく丁寧に勉強を教えてくれるので楽しい。』や『毎週金曜日のお楽しみ会で皆と踊りを踊るのが楽しい』など、さまざまな感想が聞けた。シャムさんからも子供達に『君達は1年間、本当によく頑張りました。先日のダンス大会でラジカセを貸し出した時、君達が僕との約束を守り、きちんと返却したことに僕は君達の大きな成長を見ました』と目に涙を浮かべながら話していた。シャムさんは将来、教育者を目指す若者。シャムさんにとってもこの1年間は、大きな収穫になったことと思う。


寺子屋踊り今日は1周年記念にノートを3冊ずつ配布。支援者である愛媛県の隻手薬師の皆さんから頂いた人形とポーチを子供達に配り、最後には皆で踊りを踊って1周年を祝った。これかも子供達の夢が育つ寺子屋として大いに発展して欲しい。


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2005年12月07日

木の実

12月7日(水)

朝、早めに治療を終え、ヒマラヤ小学校を訪問。月曜日から始まった試験も中盤に入った。今日は1,2年生共に英語の試験だった子供達の様子を観て回ると、様々な珍答を発見し面白かった。子供達にとって英語は一番の苦手な教科なのかもしれない。笑いを堪えながら、子供達を励ました。筆記試験の後、2年生の口頭試験が行われた。こちらでも珍答が続出、試験官のヤッギャ先生からも思わず笑いがこぼれていた。

子供達に試験について尋ねると、多くの子供達からは笑顔で『よく出来ているよ』との答えが返ってきた。最後まで気を抜かず、頑張って欲しい。

木の実職員室で休んでいると幼稚園クラスの子が傍に寄ってきて、何やら木の実らしき物をくれた。調子にのって一つ食べると、他の子供達までが木の実を持って集まってきた。嬉しいような、困ったような複雑な気持ちだったが、どの子供達も本当に心優しい。ヤッギャ先生に今日は早く帰宅して自習するよう促され、子供達は学校を後にしたが、帰り際、こどもに『明日も木の実あげるね』と言われた。

試験の後、ヤッギャ校長と屋上に上がり、先日、購入した学校隣の公園建設予定地の造成について話し合った。元々、棚田だったこともあり、しっかりした造成工事が欠かせない。また、将来的な用途も踏まえ、じっくり話し合う必要がある。今回の公園つくりにはスミさん達、若い人も委員に加わり、面白いアイデアも出ている。何とか子供達の夢が広がるような楽しい公園を造りたい。公園について熱く語るヤッギャ校長の姿に、公園建設の成功を確信した。



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2005年12月05日

期末試験

12月5日(月)

exam朝、ヒマラヤ小学校を訪問。今日からヒマラヤ小学校で試験が始まった子供達の不安げな顔を見ていると、試験が大嫌いだった子どもの頃の自分と重なる。

試験の監視員をしながら子供達の様子を見ていると、子供達の個性が見られて楽しかった。解答が分からず悩み続ける子、自信満々の子、分からないから仕方ない、といった感じで開き直る暢気な子。こういった場でも子供達の個性を見ることが出来る。大変だと思うが、子供達には精一杯頑張って欲しい。



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2005年12月03日

家庭訪問

12月3日(土)

朝、里親教育基金の奨学生宅を訪ねた。ネパールに戻ってから雑用に追われているため、これまで奨学生の家を訪ねる時間が十分取れていない。今日は休みを利用して、出来るだけ多くの奨学生を訪ねることにした。奨学生の増加に伴い、全ての奨学生宅を訪ねることが難しくなっている。家庭を訪ねて分かることも多く、家庭訪問は欠かせない活動の一つだ。

どの家庭も貧しい。母子家庭、しかも殆どの母親が教育を受けていない現状。貧困から抜け出すことは本当に容易な事ではない。奨学生の母親の多くは、子供達には将来、自分と同じような苦しみは味わって欲しくない。子どもには、きちんと教育を受けて欲しいと話す。もちろん中には、教育よりも生きていく事の方が大事だ、教育なんて必要ないという親もいる。貧困の現状ではこれも仕方ないことだと思う。ただ、そういった親に対しては、粘り強く教育の大切さを伝えることが大事だと思う。子供たちの多くは、途中で学校を辞めなければいけないかもしれない、という不安の中で学校へ通っている。貧困が原因で学校を去っていく子供は多い。

家事を中断し、嬉しそうに学校のこと、友達のこと、ダサイン祭りのことなどを夢中で話す子供達。この子供達が安心して学べる環境つくりには、一体何が必要なのだろうか。


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2005年12月02日

試験の準備

12月2日(金)

*12月1、2日の記事を誤って11月28、29日に掲載していました。お詫び申し上げます。


朝、昨日編集したビデオを受け取りに、カトマンズのナヤ・バネソールへ出かけた。今日は国王夫妻が帰国する関係で、生憎、ナヤバネソールでは政党の集会が開かれていた。バイクも通行制限が設けられ、とてもビデオの受け取りなど出来ない状況だった。担当の人に電話を入れ、夕方、パタン市内で待ち合わせをすることになった。

今日は国王夫妻の帰国ということで、学校は臨時休校となった。先生達と共に試験の準備作業に追われた。僅か4クラスの小さな学校でも、試験となると遣るべきことが山ほどあり大変だ。月曜日からの試験に子供達が安心して挑めるよう、先生達と何度も再確認を繰り返して準備を行った。

夕方、ビデオを受け取った。早速、観て見ると、やはり素人の声だと直ぐに分かる汚い声だった。それでも27分を17分まで編集したので、前よりも観やすくなったと思う。何れにしても完成は完成。来週までには日本へ送りたいと思う。


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2005年12月01日

ヒマラヤ

12月1日(木)

himalaya朝から快晴、空気も澄み渡りヒマラヤが良く見えた。今日、トレッキングをしている人達は、何ともいえない最高の気分を味わったことだろう。

ヒマラヤ小学校からも遠くヒマラヤの連山を眺めることが出来る。ヒマラヤを校名にも付けたくらいなので、どれくらい綺麗かはご想像いただけると思う。写真はヒマラヤ小学校から眺めたガネッシュ・ヒマール、麓の丘はチョバール村。

昼から『第1回こども環境ケナフ会議』のドキュメンタリービデオの日本語吹き替え作業を行った。吹き替え作業など初めての経験である上、声にはまったく自信もなく、不安ばかりで緊張したまま吹き替え作業が始まった。編集スタジオといっても、防音設備があるわけでもない普通のオフィスだったので、途中、飛行機やヘリコプターが飛ぶたびに作業が中断された。いかにもネパールらしい暢気な話。何度かの失敗を重ね、何とか作業を終えることが出来た。自分自身の声を聞くと恥かしい気持ちになるが、他に確認してもらう人もなく、自分で勝手にOKを出した。

その後、サダナ宅を訪ね、家族に『第1回こども環境ケナフ会議』の写真を見せた。サダナの家族はサダナの活動にとても理解があり協力的だ。そういう家族の支えもあり、サダナも全力で活動に取り組むことが出来るのだろう。学校の勉強も大変な時期なのに、本当によく会議をコーディネイトしてくれたと思う。

夕方から往診を2件。その後、奨学生宅を訪問。日本帰国中の話などで盛り上がった。皆、支援者の方や、今までネパールで会った日本人の方ことを何度も訊ね、『なぜ、大祐さんと一緒にネパールへ来なかったのですか』と、口を揃えて話していた。ネパールの子供達は本当に無邪気で可愛らしい。




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