2005年08月
2005年08月31日
信頼関係
8月31日(水)
朝、クリニックで治療。今日は大勢の患者さんで慌しかった。しかし鍼不足で十分な治療が出来ず、不完全燃焼気味に終わってしまった。鍼師は鍼がなければ意味がないことを今更のように実感。
丁度、クリニックを終えた後、知人から母親が膝の痛みで困っているという連絡を受け、残っている鍼を集めて往診へ出かけた。患者さんは80歳近い高齢で両膝に強い痛みがあり、歩行もままならない状態だった。患者さんの主訴からも典型的な変形性膝関節症(OA)であることが分った。OAならば鍼治療でも痛みを軽減することが可能だが、患者さんには手足が振るえる振戦や、筋肉の強剛など、パーキンソン病のような症状(パーキンソン症候群?)が見られ、単純OAよりも状態が複雑であることが分った。
患者さんは痛みが原因で精神的に随分参っている様子だったので、治療よりも患者さんの苦痛をしっかり聞くよう心がけた。治療には施術者と患者の信頼関係がとても大事だと思う。信頼関係を築くことが出来れば、思いがけない効果が現れることもある。今回のケース、ゆっくり時間を掛けて取り組みたいと思う。
朝、クリニックで治療。今日は大勢の患者さんで慌しかった。しかし鍼不足で十分な治療が出来ず、不完全燃焼気味に終わってしまった。鍼師は鍼がなければ意味がないことを今更のように実感。
丁度、クリニックを終えた後、知人から母親が膝の痛みで困っているという連絡を受け、残っている鍼を集めて往診へ出かけた。患者さんは80歳近い高齢で両膝に強い痛みがあり、歩行もままならない状態だった。患者さんの主訴からも典型的な変形性膝関節症(OA)であることが分った。OAならば鍼治療でも痛みを軽減することが可能だが、患者さんには手足が振るえる振戦や、筋肉の強剛など、パーキンソン病のような症状(パーキンソン症候群?)が見られ、単純OAよりも状態が複雑であることが分った。
患者さんは痛みが原因で精神的に随分参っている様子だったので、治療よりも患者さんの苦痛をしっかり聞くよう心がけた。治療には施術者と患者の信頼関係がとても大事だと思う。信頼関係を築くことが出来れば、思いがけない効果が現れることもある。今回のケース、ゆっくり時間を掛けて取り組みたいと思う。
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2005年08月30日
アシュミタの努力
8月30日(火)
朝、査証の申請書を取りに日本大使館へ出かけた。門の前では沢山の人たちが査証申請の順番を待っていた。ネパールの人達が日本の査証を取得する事は、年々、難しくなっているようだ。
昼過ぎからパタン市内でヤッギャ校長はじめ運営委員会のメンバーと共に、今後の学校運営についての打ち合わせを行った。来年からヒマラヤ小学校では運営費用の削減のため、政府派遣の先生を受け入れる予定にしている。ただ政府の先生を受け入れると、政府から様々な制約を受けることなり、今までのような自由な教育が出来なくなってしまう恐れがある。先生を選ぶことも出来ないため、運が悪ければ、所謂『政府の先生』(怠け者)が派遣される恐れもある。学校の発展には情熱を持った先生の存在が欠かせないため、なかなか頭の痛い問題だ。
いずれにしても学校の継続が一番大事である事に変わりはない。今日の話し合いでも学校の継続を最優先に、出来るだけ独自の雇用が出来るよう経費の削減に取り組みながら、広く支援を呼びかけていく事で纏まった。来年は本当の意味で評価の年になると思う。兎に角、先生達と協力して頑張りたい。
夕方、奨学生のアシュミタから、どうしても見せたいものがあると電話が掛って来たので、急いでアシュミタの家を訪ねた。アシュミタは何時もながら人懐っこい笑顔で迎えてくれた。早速、何があったのか尋ねてみると、アシュミタは嬉しそうに成績表を差し出してきた。今日はアシュミタの学校で試験結果の発表があり、全科目で合格したらしい。結果を残すことが出来て、アシュミタはとても嬉しそうだった。
アシュミタは心臓病を患っていることもあり勉強がとても苦手だった。しかし昨年ころから、アシュミタが熱心に勉強している姿を良く見かけるようになった。勉強が苦手で試験の度に悔し涙を流していた頃を考えると、とっても大きな変化だと思う。何がアシュミタを変えたのか、本人に尋ねてみると、アシュミタは人懐っこい笑顔を浮かべながら『さぁ〜』と答えた。
人との係わりを通して病気に打克つ強い心を持って欲しいとの願いから、支援者の方がネパールを訪問された折には出来るだけアシュミタと会って頂く様にしている。多くの人々との出会いがアシュミタのやる気を引き出してくれたのではないだろうか。
母親と肩を寄せ合いながら小さな部屋で一生懸命生きているアシュミタ。きっとアシュミタならどんな苦難にも打克ってくれると信じている。アシュミタの努力を見ていると不思議な力を貰った気がした。
朝、査証の申請書を取りに日本大使館へ出かけた。門の前では沢山の人たちが査証申請の順番を待っていた。ネパールの人達が日本の査証を取得する事は、年々、難しくなっているようだ。
昼過ぎからパタン市内でヤッギャ校長はじめ運営委員会のメンバーと共に、今後の学校運営についての打ち合わせを行った。来年からヒマラヤ小学校では運営費用の削減のため、政府派遣の先生を受け入れる予定にしている。ただ政府の先生を受け入れると、政府から様々な制約を受けることなり、今までのような自由な教育が出来なくなってしまう恐れがある。先生を選ぶことも出来ないため、運が悪ければ、所謂『政府の先生』(怠け者)が派遣される恐れもある。学校の発展には情熱を持った先生の存在が欠かせないため、なかなか頭の痛い問題だ。
いずれにしても学校の継続が一番大事である事に変わりはない。今日の話し合いでも学校の継続を最優先に、出来るだけ独自の雇用が出来るよう経費の削減に取り組みながら、広く支援を呼びかけていく事で纏まった。来年は本当の意味で評価の年になると思う。兎に角、先生達と協力して頑張りたい。
夕方、奨学生のアシュミタから、どうしても見せたいものがあると電話が掛って来たので、急いでアシュミタの家を訪ねた。アシュミタは何時もながら人懐っこい笑顔で迎えてくれた。早速、何があったのか尋ねてみると、アシュミタは嬉しそうに成績表を差し出してきた。今日はアシュミタの学校で試験結果の発表があり、全科目で合格したらしい。結果を残すことが出来て、アシュミタはとても嬉しそうだった。
アシュミタは心臓病を患っていることもあり勉強がとても苦手だった。しかし昨年ころから、アシュミタが熱心に勉強している姿を良く見かけるようになった。勉強が苦手で試験の度に悔し涙を流していた頃を考えると、とっても大きな変化だと思う。何がアシュミタを変えたのか、本人に尋ねてみると、アシュミタは人懐っこい笑顔を浮かべながら『さぁ〜』と答えた。
人との係わりを通して病気に打克つ強い心を持って欲しいとの願いから、支援者の方がネパールを訪問された折には出来るだけアシュミタと会って頂く様にしている。多くの人々との出会いがアシュミタのやる気を引き出してくれたのではないだろうか。
母親と肩を寄せ合いながら小さな部屋で一生懸命生きているアシュミタ。きっとアシュミタならどんな苦難にも打克ってくれると信じている。アシュミタの努力を見ていると不思議な力を貰った気がした。
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2005年08月29日
手紙
8月29日(月)
朝から往診を2件済ませた後、昼過ぎから10月に日本へ留学予定の奨学生と打ち合わせを行った。査証手続きを含め日本の習慣を学ぶことや留学に対する意識を高めることなど、まだまだ準備が沢山残っているが、奨学生は真面目で向学心が強くとても聡明な学生なので、必ず有意義な留学になると確信している。
その後、銀行などで雑用を済ませた後、支援者の方から頂いた手紙を奨学生に届けた。手紙にはSLC試験合格を祝う言葉や、奨学生が今まで頑張ってきた事に対して、暖かい労いの言葉が書かれていた。
手紙を受け取った奨学生は何度も手紙を読み返しながら、目を潤ませていた。支援者の方に今までの努力を認めて貰った事が奨学生の胸を熱くしたのだと思う。この奨学生も母子家庭で貧しく、今まで様々な困難に直面してきた。それでも支援者の方の優しさに勇気付けられながら、夢に向かって頑張ってきた。支援者の皆さんと交流を通して、喜びや悲しみ、夢など
、いろんな事を共有していただく事は、子供達が明日を頑張る大きな力になるのだと思う。
最近、里親教育基金の支援者の方の中で、奨学生との交流を希望される方が増えている。なかなか交流を制度化できない中で、支援者の皆さんの暖かいお気持ちは本当に嬉しい。ぜひ支援者の皆さんと奨学生との交流がもっともっと盛んになって欲しいと思う。
朝から往診を2件済ませた後、昼過ぎから10月に日本へ留学予定の奨学生と打ち合わせを行った。査証手続きを含め日本の習慣を学ぶことや留学に対する意識を高めることなど、まだまだ準備が沢山残っているが、奨学生は真面目で向学心が強くとても聡明な学生なので、必ず有意義な留学になると確信している。
その後、銀行などで雑用を済ませた後、支援者の方から頂いた手紙を奨学生に届けた。手紙にはSLC試験合格を祝う言葉や、奨学生が今まで頑張ってきた事に対して、暖かい労いの言葉が書かれていた。
手紙を受け取った奨学生は何度も手紙を読み返しながら、目を潤ませていた。支援者の方に今までの努力を認めて貰った事が奨学生の胸を熱くしたのだと思う。この奨学生も母子家庭で貧しく、今まで様々な困難に直面してきた。それでも支援者の方の優しさに勇気付けられながら、夢に向かって頑張ってきた。支援者の皆さんと交流を通して、喜びや悲しみ、夢など
、いろんな事を共有していただく事は、子供達が明日を頑張る大きな力になるのだと思う。
最近、里親教育基金の支援者の方の中で、奨学生との交流を希望される方が増えている。なかなか交流を制度化できない中で、支援者の皆さんの暖かいお気持ちは本当に嬉しい。ぜひ支援者の皆さんと奨学生との交流がもっともっと盛んになって欲しいと思う。
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2005年08月28日
期末試験
8月28日(日)
朝から学校を訪問。先日から始まった期末試験も大きな問題なく順調に進んでいる様子で、まずは一安心。先生達は安心しながらも、試験の採点に追われて忙しそうだった。
子供達の様子を撮影していると、監督の先生がいなくなった隙に『ダイスケさ〜ん、ダイスケさ〜ん』と必死に声を掛けてくる子ども達がいた。どうも助けて欲しいらしい。何とも困った表情の子どもを見ていると、可哀想というよりも可愛らしく思えた。少しだけ答えを導き出せるようなヒントを与えたが、出来ることなら全部教えてあげたいところだ。
子供達は将来、郡レベルでの小学校卒業統一試験を受けなければならないため、ある程度の学力を身につけなければならない。しかし子どもの内から、勉強、勉強と押し付けるのも何となく不自然な感じを抱いてしまう。もちろん勉強の好きな子はどんどん頑張って、一歩でも夢に近づいて欲しい。しかし学校には、勉強の好きな子もいれば、苦手な子、勉強よりも遊びの好きな子、歌の好きな子、踊りの好きな子など、いろんな子供達がいる。まずは生きていくために必要な知識を身につけることを第一に、その後は出来るだけ子供達の長所を伸ばしていければと思う。そのためには子供達が遣りたいことは、何でも遣らせてあげたいと思う。学校は単に学問の場でなく、楽しく、夢がある場所であって欲しいと思う。
夕方から往診に出かけた。現在、鍼不足が深刻化しているため十分な治療が出来ていない。今日は鍼の使用を抑えるため、患者さんと会話をして過ごした。往診の患者さんの多くは付き合いが長いため、家族の一員のように可愛がって頂いている。本当にありがたい。特にお年寄りの患者さんからは何時も、野菜を食べているか、ちゃんと休んでいるかなど、暖かい声を掛けていただく。こうした患者さんの一言が、本当に大きな活力を与えてくれる。
夜、先日ブログでも書かせていただいた、引越しをしたし奨学生姉妹を訪ねた。少し落ち着いた様子で、今日は姉妹から何時も通りの笑顔が見られた。お茶を飲みながら、10月に開催されるダサイン祭りの話などをして過ごした。辛い現状を乗り越えながら成長している奨学生の逞しさに、将来への小さな希望が見えた気がした。
朝から学校を訪問。先日から始まった期末試験も大きな問題なく順調に進んでいる様子で、まずは一安心。先生達は安心しながらも、試験の採点に追われて忙しそうだった。
子供達の様子を撮影していると、監督の先生がいなくなった隙に『ダイスケさ〜ん、ダイスケさ〜ん』と必死に声を掛けてくる子ども達がいた。どうも助けて欲しいらしい。何とも困った表情の子どもを見ていると、可哀想というよりも可愛らしく思えた。少しだけ答えを導き出せるようなヒントを与えたが、出来ることなら全部教えてあげたいところだ。
子供達は将来、郡レベルでの小学校卒業統一試験を受けなければならないため、ある程度の学力を身につけなければならない。しかし子どもの内から、勉強、勉強と押し付けるのも何となく不自然な感じを抱いてしまう。もちろん勉強の好きな子はどんどん頑張って、一歩でも夢に近づいて欲しい。しかし学校には、勉強の好きな子もいれば、苦手な子、勉強よりも遊びの好きな子、歌の好きな子、踊りの好きな子など、いろんな子供達がいる。まずは生きていくために必要な知識を身につけることを第一に、その後は出来るだけ子供達の長所を伸ばしていければと思う。そのためには子供達が遣りたいことは、何でも遣らせてあげたいと思う。学校は単に学問の場でなく、楽しく、夢がある場所であって欲しいと思う。
夕方から往診に出かけた。現在、鍼不足が深刻化しているため十分な治療が出来ていない。今日は鍼の使用を抑えるため、患者さんと会話をして過ごした。往診の患者さんの多くは付き合いが長いため、家族の一員のように可愛がって頂いている。本当にありがたい。特にお年寄りの患者さんからは何時も、野菜を食べているか、ちゃんと休んでいるかなど、暖かい声を掛けていただく。こうした患者さんの一言が、本当に大きな活力を与えてくれる。
夜、先日ブログでも書かせていただいた、引越しをしたし奨学生姉妹を訪ねた。少し落ち着いた様子で、今日は姉妹から何時も通りの笑顔が見られた。お茶を飲みながら、10月に開催されるダサイン祭りの話などをして過ごした。辛い現状を乗り越えながら成長している奨学生の逞しさに、将来への小さな希望が見えた気がした。
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2005年08月26日
初めての箸
26日(金)
今日はクリシュナアスタミでお休み。今年も里親教育基金の奨学生から1人、日本へ短期留学する事が決まり準備を進めている。先日からは日本語の勉強も始まり、奨学生自身も留学に向けた様々な準備を進めている。
今日は少しでも日本の習慣を理解できればと、奨学生を連れて知人の日本食レストランを訪ねた。奨学生は生まれて初めて使う箸に戸惑いながらも、日本食を美味しく食べた。食事が合えば、留学もきっと楽しくなると思う。少し安心した。
その後、近くの喫茶店でヤッギャ校長、学校運営委員会のメンバーと会い、試験後の行事予定について打ち合わせを行った。奨学生も参加させて貰い有意義な打ち合わせが出来た。ヤッギャ校長は何時も奨学生を引き立て、大切な打ち合わせにも積極的に奨学生を参加させてくれる。ヤッギャ校長の柔軟さが子供達の能力を最大限引き出し、良いアイデアを導いているように思う。
夕方からはスミさん達、あすなろ食堂のメンバーと勉強会を兼ねた慰労会を開催した。タメルにあるレストランで食事を取りながらあすなろ食堂の反省点などを話し合った。まだまだ改善点は多いが、こうして皆で知恵を出し合いながら、お客さんに喜んで頂けるレストランを作っていけば、必ず良い方向に向うと信じている。
今日はクリシュナアスタミでお休み。今年も里親教育基金の奨学生から1人、日本へ短期留学する事が決まり準備を進めている。先日からは日本語の勉強も始まり、奨学生自身も留学に向けた様々な準備を進めている。
今日は少しでも日本の習慣を理解できればと、奨学生を連れて知人の日本食レストランを訪ねた。奨学生は生まれて初めて使う箸に戸惑いながらも、日本食を美味しく食べた。食事が合えば、留学もきっと楽しくなると思う。少し安心した。
その後、近くの喫茶店でヤッギャ校長、学校運営委員会のメンバーと会い、試験後の行事予定について打ち合わせを行った。奨学生も参加させて貰い有意義な打ち合わせが出来た。ヤッギャ校長は何時も奨学生を引き立て、大切な打ち合わせにも積極的に奨学生を参加させてくれる。ヤッギャ校長の柔軟さが子供達の能力を最大限引き出し、良いアイデアを導いているように思う。
夕方からはスミさん達、あすなろ食堂のメンバーと勉強会を兼ねた慰労会を開催した。タメルにあるレストランで食事を取りながらあすなろ食堂の反省点などを話し合った。まだまだ改善点は多いが、こうして皆で知恵を出し合いながら、お客さんに喜んで頂けるレストランを作っていけば、必ず良い方向に向うと信じている。
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2005年08月25日
環境省訪問
8月25日(木)
朝、クリニックで治療を済ませた後、ケナフ会議への参加と中古医療器具の輸入許可をお願いするため、ヤッギャ校長と共にシンハダルバールにある環境・科学技術省を訪ねた。
今日は申請書を提出するだけと考えていたが、思いがけずコイララ大臣と直接お目に掛りお話しする機会に恵まれた。ヤッギャ校長と共にケナフについて説明し会議への参加をお願いしたところ、ケナフへ大変興味を持っていただき会議への参加を約束して頂いた。
また事務次官のレグミ氏にもお目にかかり、ケナフや子供達によるケナフ観察活動など今までの取り組みについて説明したところ、学校での活動に対し暖かい評価をいただき、環境省が進めている各学校での二酸化炭素削減の啓発運動と協同することで、ケナフ活動に対し補助を出すことを検討して頂く事となった。
今までやってきた活動を認めて頂き、とても嬉しかった。まずはケナフ会議を成功させ、ケナフをネパールの人々に紹介することに全力を挙げたい。
朝、クリニックで治療を済ませた後、ケナフ会議への参加と中古医療器具の輸入許可をお願いするため、ヤッギャ校長と共にシンハダルバールにある環境・科学技術省を訪ねた。
今日は申請書を提出するだけと考えていたが、思いがけずコイララ大臣と直接お目に掛りお話しする機会に恵まれた。ヤッギャ校長と共にケナフについて説明し会議への参加をお願いしたところ、ケナフへ大変興味を持っていただき会議への参加を約束して頂いた。
また事務次官のレグミ氏にもお目にかかり、ケナフや子供達によるケナフ観察活動など今までの取り組みについて説明したところ、学校での活動に対し暖かい評価をいただき、環境省が進めている各学校での二酸化炭素削減の啓発運動と協同することで、ケナフ活動に対し補助を出すことを検討して頂く事となった。
今までやってきた活動を認めて頂き、とても嬉しかった。まずはケナフ会議を成功させ、ケナフをネパールの人々に紹介することに全力を挙げたい。
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2005年08月24日
支援活動の難しさ
8月24日(水)
朝からクリニックで治療。今日は一番古い患者さんが久しぶりにクリニックにやって来た。担ぎ人夫をしている貧しい男性で、5年前に坐骨神経痛を患ってクリニックへ来院した。その後、治療を続けている内に坐骨神経痛が軽減した時には『担ぐ物があったら何でも担いであげます』と言って、とても喜んでくれたことを覚えている。今年の初めに来院した時には骨結核らしい症状があったため、結核病院を受診するよう勧めた。
今日は久しぶりの来院だったが、筋肉の萎縮がひと目で分るほどやつれてしまい、自力では歩けない状態になっていた。どうも先日、道端で転倒して以来、痛みで歩けなくなったとの事だった。更に詳しい話を聞いていると、どうも大腿骨頭に問題がある事が分り、直ぐにでも人工骨頭の置換手術が必要な状態だった。
急いで知り合いの先生に連絡を取り手術の費用について尋ねると、少なくとも14,000ルピーの費用が掛かることが分った。どう考えても患者さんが支払える金額ではない。しかし、このまま放置していると筋肉は萎縮し、歩行が更に困難になってしまう。どうすれば良いのか困ってしまった。
医療保険制度が整備されていないネパールでは、貧しい人々が十分な医療を受ける機会が少ない。この患者さんのように手術をすれば症状の回復が見込まれる疾病でも、諦めて放置しているのが現状だと思う。
数年前、一時帰国した折に長期入院を経験したが、伝染性の感染症という事で治療費が全額無料になり、日本の医療制度の素晴らしさを実感した。ヒマラヤ青少年育英会でも多くの皆さんにご支援いただき『ヒマラヤ・こども医療基金』を通して子供達への医療支援を行っている。しかしこの基金も子ども達を対象にしているため、仮に保護者が病気に罹った時は何も支援することが出来ない。母子家庭で母親が病気になった時、一番困るのは幼い子供達だ。病で苦しんでいる母親の前で泣いている子供達を何度も見ているだけに、一体どうすれば良いのか悩んでしまう。
支援は当たり前になってしまえば意味がない。いかに支援を受ける側の自助努力を応援するかがとても大事だと思う。しかし目の前で苦しみ支援を必要としている人を無視することにも強い疑問を感じる。支援活動はとっても難しい。
今日の患者さんの件は、癌協会の会長さんや会長の知人に協力をお願いして見た。患者さんも友人や知人を頼り、出来るだけ手術費用を集める努力をすることで纏まった。何とか良い方向で進むことを祈っている。
朝からクリニックで治療。今日は一番古い患者さんが久しぶりにクリニックにやって来た。担ぎ人夫をしている貧しい男性で、5年前に坐骨神経痛を患ってクリニックへ来院した。その後、治療を続けている内に坐骨神経痛が軽減した時には『担ぐ物があったら何でも担いであげます』と言って、とても喜んでくれたことを覚えている。今年の初めに来院した時には骨結核らしい症状があったため、結核病院を受診するよう勧めた。
今日は久しぶりの来院だったが、筋肉の萎縮がひと目で分るほどやつれてしまい、自力では歩けない状態になっていた。どうも先日、道端で転倒して以来、痛みで歩けなくなったとの事だった。更に詳しい話を聞いていると、どうも大腿骨頭に問題がある事が分り、直ぐにでも人工骨頭の置換手術が必要な状態だった。
急いで知り合いの先生に連絡を取り手術の費用について尋ねると、少なくとも14,000ルピーの費用が掛かることが分った。どう考えても患者さんが支払える金額ではない。しかし、このまま放置していると筋肉は萎縮し、歩行が更に困難になってしまう。どうすれば良いのか困ってしまった。
医療保険制度が整備されていないネパールでは、貧しい人々が十分な医療を受ける機会が少ない。この患者さんのように手術をすれば症状の回復が見込まれる疾病でも、諦めて放置しているのが現状だと思う。
数年前、一時帰国した折に長期入院を経験したが、伝染性の感染症という事で治療費が全額無料になり、日本の医療制度の素晴らしさを実感した。ヒマラヤ青少年育英会でも多くの皆さんにご支援いただき『ヒマラヤ・こども医療基金』を通して子供達への医療支援を行っている。しかしこの基金も子ども達を対象にしているため、仮に保護者が病気に罹った時は何も支援することが出来ない。母子家庭で母親が病気になった時、一番困るのは幼い子供達だ。病で苦しんでいる母親の前で泣いている子供達を何度も見ているだけに、一体どうすれば良いのか悩んでしまう。
支援は当たり前になってしまえば意味がない。いかに支援を受ける側の自助努力を応援するかがとても大事だと思う。しかし目の前で苦しみ支援を必要としている人を無視することにも強い疑問を感じる。支援活動はとっても難しい。
今日の患者さんの件は、癌協会の会長さんや会長の知人に協力をお願いして見た。患者さんも友人や知人を頼り、出来るだけ手術費用を集める努力をすることで纏まった。何とか良い方向で進むことを祈っている。
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2005年08月23日
公園建設
8月23日(火)
朝、往診を3件済ませた後、昨日うまく行かなかった雑用に取り組んだ。昨日よりは少し進んだが、一つずつ進めていくしかない。
その後、ブンガマティ村で建設を予定している児童公園について打ち合わせを行った。公園建設にはスミトラさんなど若い人達も積極的に係わり、どんどん面白いアイデアが出ている。まだ具体的な建設には時間が掛かると思うが、ヒマラヤ小学校の子供達だけでなく、村の子供達の夢が育つ素晴らしい公園を作りたいと思っている。
それにしても開校から僅か1年余りで、2階校舎や公園建設が出来るとは夢にも思っていなかった。実際、開校当時は喜びよりも先の不安の方が多かく、子供達が安心して学べる教育環境をどのように整備するのか、先生達と共に千思万考の毎日だった。
その後、ヤッギャ校長はじめ先生達の努力と、子供達の『勉強したい』という情熱が実を結び、少しずつではあるがヒマラヤ小学校の活動を理解してくださる方が増えた事は本当に嬉しく、大きな励みになっている。
もう少しで念願の2階校舎が完成する。更には隣接地に公園の建設も始まる。まだまだ課題は山積しているが、子供達の夢が大きく育つ学び舎を目指して頑張りたいと思う。
朝、往診を3件済ませた後、昨日うまく行かなかった雑用に取り組んだ。昨日よりは少し進んだが、一つずつ進めていくしかない。
その後、ブンガマティ村で建設を予定している児童公園について打ち合わせを行った。公園建設にはスミトラさんなど若い人達も積極的に係わり、どんどん面白いアイデアが出ている。まだ具体的な建設には時間が掛かると思うが、ヒマラヤ小学校の子供達だけでなく、村の子供達の夢が育つ素晴らしい公園を作りたいと思っている。
それにしても開校から僅か1年余りで、2階校舎や公園建設が出来るとは夢にも思っていなかった。実際、開校当時は喜びよりも先の不安の方が多かく、子供達が安心して学べる教育環境をどのように整備するのか、先生達と共に千思万考の毎日だった。
その後、ヤッギャ校長はじめ先生達の努力と、子供達の『勉強したい』という情熱が実を結び、少しずつではあるがヒマラヤ小学校の活動を理解してくださる方が増えた事は本当に嬉しく、大きな励みになっている。
もう少しで念願の2階校舎が完成する。更には隣接地に公園の建設も始まる。まだまだ課題は山積しているが、子供達の夢が大きく育つ学び舎を目指して頑張りたいと思う。
hsf at 01:43|Permalink│
2005年08月22日
花畑
8月22日(月)
今日は朝から雑用に追われたが、何一つ上手くいかなかった。毎日の生活の中では、上手くいかない日もあると分っていながらも、溜息が出てしまった。
気分転換も兼ね、急いでヒマラヤ小学校を訪ねた。バイクを止めると試験を終えた子供達が駆け寄ってきて、今日の試験問題を嬉しそうに見せてくれた。子供達の無邪気な様子を見ると、午前中の疲れがすっかり吹っ飛んだ。本当に子供達の笑顔に救われた思いだ。
ヒマラヤ小学校の開校式典ではソロプチミストの先生方にご出席いただき、ジャカランダの木を植樹して頂いた。植樹した当時、小さな苗だったジャカランダも何時の間にか子供達の背を抜き、すっかり大きくなった。子供達の成長と重なり感慨深いものがある。
ヤッギャ校長は常々、学校を花畑に例えている。立派な花壇を作り、種を沢山蒔いても、水遣りや雑草抜きなど、しっかり手入れをしなければ美しい花は咲かない。学校も花畑と同じだという。僕もその通りだと思う。ヒマラヤ小学校に沢山の美しい花が咲くよう、先生達そして支援者の皆さんと共に頑張っていきたい。
今日は朝から雑用に追われたが、何一つ上手くいかなかった。毎日の生活の中では、上手くいかない日もあると分っていながらも、溜息が出てしまった。
気分転換も兼ね、急いでヒマラヤ小学校を訪ねた。バイクを止めると試験を終えた子供達が駆け寄ってきて、今日の試験問題を嬉しそうに見せてくれた。子供達の無邪気な様子を見ると、午前中の疲れがすっかり吹っ飛んだ。本当に子供達の笑顔に救われた思いだ。
ヒマラヤ小学校の開校式典ではソロプチミストの先生方にご出席いただき、ジャカランダの木を植樹して頂いた。植樹した当時、小さな苗だったジャカランダも何時の間にか子供達の背を抜き、すっかり大きくなった。子供達の成長と重なり感慨深いものがある。
ヤッギャ校長は常々、学校を花畑に例えている。立派な花壇を作り、種を沢山蒔いても、水遣りや雑草抜きなど、しっかり手入れをしなければ美しい花は咲かない。学校も花畑と同じだという。僕もその通りだと思う。ヒマラヤ小学校に沢山の美しい花が咲くよう、先生達そして支援者の皆さんと共に頑張っていきたい。
hsf at 23:27|Permalink│
2005年08月21日
無力さを痛感
8月19日(日)
ヒマラヤ小学校では今日から期末試験が始まった。新入生にとっては初めての試験だけに、やや緊張した面持ちで試験に挑んでいた。試験問題に悩んでいる子供達を見ると、子どもの頃の自分と重なり、思わず助けたくなってしまう。頭を掻きながら困った顔をする子、自信満々の表情で試験に挑んでいる子、子供達のいろんな表情が見られる。子供達の日頃の努力が報われることと、早く試験が終わって思いっきり遊べる日が来ることを祈っている。
夕方から往診を2件済ませた後、引越しをした奨学生宅を訪問した。この奨学生(姉妹)への支援を初めて4年あまりになるが、これまでに僕が覚えているだけでも6回の引越しをしている。母親はゴマ油を作って生計を立てているが体が弱く、体調を崩してしまう事が多い。定期的な収入が無いため家賃が払えず、家主から追い出されたり、母子家庭ということで社会的な立場が弱いことも引越しをしなければならない理由の一つのようだ。
小さく薄暗い部屋にいた奨学生は、妹と2人で少し俯き加減で座っていた。普段は底抜けに明るい奨学生だけに少し心配になったが、どうも引っ越しの時に周囲から母親が罵られたそうだ。唯一の支えである母親が罵られ、相当辛い思いをしたのだろう。言葉に詰まってしまったが、これも厳しいネパールの現状として受け止めるしかない。奨学生には、気にしても仕方ない事や、しっかりお母さんを支えるよう励ました。こんな時、自分の無力さを痛感する。
ヒマラヤ小学校では今日から期末試験が始まった。新入生にとっては初めての試験だけに、やや緊張した面持ちで試験に挑んでいた。試験問題に悩んでいる子供達を見ると、子どもの頃の自分と重なり、思わず助けたくなってしまう。頭を掻きながら困った顔をする子、自信満々の表情で試験に挑んでいる子、子供達のいろんな表情が見られる。子供達の日頃の努力が報われることと、早く試験が終わって思いっきり遊べる日が来ることを祈っている。
夕方から往診を2件済ませた後、引越しをした奨学生宅を訪問した。この奨学生(姉妹)への支援を初めて4年あまりになるが、これまでに僕が覚えているだけでも6回の引越しをしている。母親はゴマ油を作って生計を立てているが体が弱く、体調を崩してしまう事が多い。定期的な収入が無いため家賃が払えず、家主から追い出されたり、母子家庭ということで社会的な立場が弱いことも引越しをしなければならない理由の一つのようだ。
小さく薄暗い部屋にいた奨学生は、妹と2人で少し俯き加減で座っていた。普段は底抜けに明るい奨学生だけに少し心配になったが、どうも引っ越しの時に周囲から母親が罵られたそうだ。唯一の支えである母親が罵られ、相当辛い思いをしたのだろう。言葉に詰まってしまったが、これも厳しいネパールの現状として受け止めるしかない。奨学生には、気にしても仕方ない事や、しっかりお母さんを支えるよう励ました。こんな時、自分の無力さを痛感する。
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2005年08月19日
チャパガオン村・レレ村
8月19日(金)
今日はジャナイ・プルニマでお休み。バウン族(バラモン)が身に着けた聖なる紐(ジャナイ)を着け替える日。パタン市内のクンベソールでもジャナイを付け替えるため早朝から長蛇の列が出来ていた。
休みを利用して、ヒマラヤ青少年育英会の副理事長ムクンダさんが、イタリア人の友人らと共にチャパガウン村の外れに建設したビョ−マ小学校を訪ねる事にした。ヤッギャ校長にも声を掛け、ムクンダさんと3人でチャパガウン村へ向った。
チャパガウンはカトマンズから南へ10キロほどの小さな村。以前、週に2度の割合で往診に訪れていたため、僕には馴染み深い村だ。ムクンダさんからチャパガオン村に学校を建てたと聞いたとき、正直あまりピンと来なかった。チャパガオン村は決して豊かではないが、村には学校が整備されていたし、学校へ通う子供達の姿も多く見かけていたからだ。
その後、ムクンダさんから、学校はチャパガン村の外れにあり主に貧しいタマン族の人々が暮しているとの事情を聞いて、どうしても一度、学校を訪ねて見たいと思うようになった。ヒマラヤ小学校を開校して、今まで分らなかった子供達の貧しい現状を知ったことも学校を訪ねたいと思うようになった理由かもしれない。
チャパガウン村で、1970年製造のランドローバーに乗り換え、山道を揺られながら学校へと向った。深い緑に囲まれた山道は、丁度2年前、ヒマラヤ小学校を建設する前に現在のヒマラヤ小学校の土地を訪ねた時と同じ、何ともいえない不思議な感動を覚えるものだった。車に揺られ30分、ビョーマ小学校に着いた。
学校は緑に囲まれた、とても素晴らしい場所に建てられていた。写真を撮っていると、集落から1人、2人と人懐っこい笑顔の子供達が集まってきた。タマン族は主としてカトマンズ盆地の端、低山岳部に暮す民族だ。大変正直で真面目な性格だが、正直が故に他民族から騙されるといった話を良く耳にする。実際この集落の中にも、他民族に土地を奪われた人がいるようだ。
ムクンダさんの説明によると、村の中心部に学校はあるが集落からは遠く、子供達が通うには難しいとの事だった。また集落には児童労働に従事している子どもも多く、学校建設の必要性を実感したそうだ。
子供達に学校について尋ねると、皆一様に『楽しい』と笑顔で答えていた。学校が出来たことで子供達は学ぶ喜びを知り、将来への希望を持ったに違いない。ヒマラヤ小学校の子供達と重なり、嬉しくなった。
ビョーマ小学校の校長や代表者とも直接会って話をしたが、ぜひヒマラヤ小学校での経験を基に協力して欲しいとの事だった。もちろんヒマラヤ小学校でのシラミ退治や踊りの授業など、上手くいっている活動について積極的に協力していきたいと思う。ヤッギャ校長もビョーマ小学校の提案に大賛成、お互いに協力関係を結ぶことで合意した。また学校の代表者からは、ぜひ日本人ボランティアに来て欲しいとの要請も受けた。安全対策や医療対策を十分に検討する必要があるが、ぜひ実現に向け協力したいと思う。
ビョーマ小学校も現在、政府からの支援を受けていない。地元の有志が僅かな基金を集め、何とか運営しているとのことだった。建設を支援したイタリアの方からは継続に対する支援は一切ないという。学校の継続は、外国支援で建設された学校の共通の課題かもしれない。
学校を後にし、再びランドローバーに揺られ隣村のレレ(Lele)を訪ねた。僕にとって初めてのレレ村訪問。丘の上から見下ろすレレ盆地の水田が太陽の光で輝き、とても綺麗だった。レレ村は周囲を深い山に囲まれていることもあり、水が綺麗でなかなか良い村だった。バザールで一休みしながら村の人たちと雑談。村の人々には首都圏とは思えない純朴さが残っている。
今日は山道を車に揺られ流石に疲れたが、とても良い経験となった。僕らが知らないところでは、まだまだ学校を必要としている子供達がいて、今尚、就学を夢見て暮していることを実感した。僅かな基金を持ち寄ってビョーマ小学校を運営している関係者の熱意に敬意を表したい。
今日はジャナイ・プルニマでお休み。バウン族(バラモン)が身に着けた聖なる紐(ジャナイ)を着け替える日。パタン市内のクンベソールでもジャナイを付け替えるため早朝から長蛇の列が出来ていた。
休みを利用して、ヒマラヤ青少年育英会の副理事長ムクンダさんが、イタリア人の友人らと共にチャパガウン村の外れに建設したビョ−マ小学校を訪ねる事にした。ヤッギャ校長にも声を掛け、ムクンダさんと3人でチャパガウン村へ向った。
チャパガウンはカトマンズから南へ10キロほどの小さな村。以前、週に2度の割合で往診に訪れていたため、僕には馴染み深い村だ。ムクンダさんからチャパガオン村に学校を建てたと聞いたとき、正直あまりピンと来なかった。チャパガオン村は決して豊かではないが、村には学校が整備されていたし、学校へ通う子供達の姿も多く見かけていたからだ。
その後、ムクンダさんから、学校はチャパガン村の外れにあり主に貧しいタマン族の人々が暮しているとの事情を聞いて、どうしても一度、学校を訪ねて見たいと思うようになった。ヒマラヤ小学校を開校して、今まで分らなかった子供達の貧しい現状を知ったことも学校を訪ねたいと思うようになった理由かもしれない。
チャパガウン村で、1970年製造のランドローバーに乗り換え、山道を揺られながら学校へと向った。深い緑に囲まれた山道は、丁度2年前、ヒマラヤ小学校を建設する前に現在のヒマラヤ小学校の土地を訪ねた時と同じ、何ともいえない不思議な感動を覚えるものだった。車に揺られ30分、ビョーマ小学校に着いた。
学校は緑に囲まれた、とても素晴らしい場所に建てられていた。写真を撮っていると、集落から1人、2人と人懐っこい笑顔の子供達が集まってきた。タマン族は主としてカトマンズ盆地の端、低山岳部に暮す民族だ。大変正直で真面目な性格だが、正直が故に他民族から騙されるといった話を良く耳にする。実際この集落の中にも、他民族に土地を奪われた人がいるようだ。
ムクンダさんの説明によると、村の中心部に学校はあるが集落からは遠く、子供達が通うには難しいとの事だった。また集落には児童労働に従事している子どもも多く、学校建設の必要性を実感したそうだ。
子供達に学校について尋ねると、皆一様に『楽しい』と笑顔で答えていた。学校が出来たことで子供達は学ぶ喜びを知り、将来への希望を持ったに違いない。ヒマラヤ小学校の子供達と重なり、嬉しくなった。
ビョーマ小学校の校長や代表者とも直接会って話をしたが、ぜひヒマラヤ小学校での経験を基に協力して欲しいとの事だった。もちろんヒマラヤ小学校でのシラミ退治や踊りの授業など、上手くいっている活動について積極的に協力していきたいと思う。ヤッギャ校長もビョーマ小学校の提案に大賛成、お互いに協力関係を結ぶことで合意した。また学校の代表者からは、ぜひ日本人ボランティアに来て欲しいとの要請も受けた。安全対策や医療対策を十分に検討する必要があるが、ぜひ実現に向け協力したいと思う。
ビョーマ小学校も現在、政府からの支援を受けていない。地元の有志が僅かな基金を集め、何とか運営しているとのことだった。建設を支援したイタリアの方からは継続に対する支援は一切ないという。学校の継続は、外国支援で建設された学校の共通の課題かもしれない。
学校を後にし、再びランドローバーに揺られ隣村のレレ(Lele)を訪ねた。僕にとって初めてのレレ村訪問。丘の上から見下ろすレレ盆地の水田が太陽の光で輝き、とても綺麗だった。レレ村は周囲を深い山に囲まれていることもあり、水が綺麗でなかなか良い村だった。バザールで一休みしながら村の人たちと雑談。村の人々には首都圏とは思えない純朴さが残っている。
今日は山道を車に揺られ流石に疲れたが、とても良い経験となった。僕らが知らないところでは、まだまだ学校を必要としている子供達がいて、今尚、就学を夢見て暮していることを実感した。僅かな基金を持ち寄ってビョーマ小学校を運営している関係者の熱意に敬意を表したい。
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2005年08月18日
医療相談
8月18日(木)
朝、クリニックで治療。今日は昨日よりも患者さんの数が少なく、ゆっくり時間を掛けて治療することが出来た。患者さんの連れ添い方が皮膚病を患っているとのことで相談を受けた。ステロイドの影響で軽い顔面紅潮や顔がふっくらするムーンフェイスの症状が出ていた。
皮膚科の医師から現代医学での治療は不可能だと言われ、アーユルベーダなどの伝統医療か同種・類症療法(Homeopathy)を薦められたそうだ。既に同種療法の医師の診察を受け、医師からは同種療法の薬以外は一切使わず、最大限悪化するまで放置するよう言われたそうだ。医師の指導通りに実行しているものの、果たしてその治療法が正しいのかどうか不安になったようだ。相談を受けて軽はずみことも言えないが、試して見る価値は十分あるように思えたので、少し我慢してでも同種療法を続けてみるようお勧めして見た。一時的な症状の悪化は免れないため暫く辛いと思うが、薬で押え付けるのではなく体調を整えることで治癒すれば、これに越した事はないと思う。
クリニックで活動していると、こうして人々から相談を受けることも多い。日本人であることも理由のひとつだと思う。病気に苦しむ人や不安を抱える人をいかに励まし、病気に打克つ心を持って貰えるか、まだまだ勉強が必要だと痛感している。
クリニックを終えた後、先日から期末試験の始まった奨学生宅を訪問した。相変わらず家の手伝いに追われている様子。訪ねた時も丁度、洗濯で忙しくしていた。奨学生の用意してくれたお茶を飲みながら、学校のことや家庭の様子などについて話をした。
奨学生の一部は(交流を希望される)支援者の方と手紙などで交流を続けている。この奨学生も支援者の方との交流を続けているが、何でも母親から裁縫を習ったので、支援者の方にシャツを作ってプレゼントしたいという。奨学生達が常に感謝の気持ちと優しさを持って成長している事、本当に嬉しい。素晴らしい奨学生達と出会えた事が活動の原動力だと思う。
今日は往診を休み、ニュースレターを作成した。もう少しで完成予定。限られたスペースで子供達の様子を伝えるのはなかなか難しい。
朝、クリニックで治療。今日は昨日よりも患者さんの数が少なく、ゆっくり時間を掛けて治療することが出来た。患者さんの連れ添い方が皮膚病を患っているとのことで相談を受けた。ステロイドの影響で軽い顔面紅潮や顔がふっくらするムーンフェイスの症状が出ていた。
皮膚科の医師から現代医学での治療は不可能だと言われ、アーユルベーダなどの伝統医療か同種・類症療法(Homeopathy)を薦められたそうだ。既に同種療法の医師の診察を受け、医師からは同種療法の薬以外は一切使わず、最大限悪化するまで放置するよう言われたそうだ。医師の指導通りに実行しているものの、果たしてその治療法が正しいのかどうか不安になったようだ。相談を受けて軽はずみことも言えないが、試して見る価値は十分あるように思えたので、少し我慢してでも同種療法を続けてみるようお勧めして見た。一時的な症状の悪化は免れないため暫く辛いと思うが、薬で押え付けるのではなく体調を整えることで治癒すれば、これに越した事はないと思う。
クリニックで活動していると、こうして人々から相談を受けることも多い。日本人であることも理由のひとつだと思う。病気に苦しむ人や不安を抱える人をいかに励まし、病気に打克つ心を持って貰えるか、まだまだ勉強が必要だと痛感している。
クリニックを終えた後、先日から期末試験の始まった奨学生宅を訪問した。相変わらず家の手伝いに追われている様子。訪ねた時も丁度、洗濯で忙しくしていた。奨学生の用意してくれたお茶を飲みながら、学校のことや家庭の様子などについて話をした。
奨学生の一部は(交流を希望される)支援者の方と手紙などで交流を続けている。この奨学生も支援者の方との交流を続けているが、何でも母親から裁縫を習ったので、支援者の方にシャツを作ってプレゼントしたいという。奨学生達が常に感謝の気持ちと優しさを持って成長している事、本当に嬉しい。素晴らしい奨学生達と出会えた事が活動の原動力だと思う。
今日は往診を休み、ニュースレターを作成した。もう少しで完成予定。限られたスペースで子供達の様子を伝えるのはなかなか難しい。
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2005年08月17日
ヒマラヤ小学校が好きですか?
8月17日(水)
朝からクリニックで治療。暫くの間休みにした分、今日は患者さんが多く慌しかった。昼過ぎにクリニックを終える予定だったが結局3時まで掛ってしまい、後にクリニックを使用する先生に迷惑を掛けてしまった。しばしば同じような問題が起こるのでクリニックの体制について、もう一度考え直す必要があると思う。
クリニックを終えた後、ヒマラヤ小学校へ向った。ヒマラヤ小学校に到着した時には子供達が下校する時間になっていた。駆け寄って来た子供達から、『オオノセンセイとフジワラ・ダイ(お兄さん)は次、何時来てくれますか?』や『日本に着きましたか?』更には『オオノセンセイとフジワラダイはヒマラヤ小学校の事が好きですか?』など様々な質問を受けた。交流活動は単に技術や知識を学ぶだけでなく、出会いの喜びや別れの辛さ、再会の楽しみ、そして人間としての優しさなど、とても大切な事を学ぶことが出来る。この1週間、交流活動を通して子供達は本当に多くのことを学んだと思う。
放課後、モンゴル先生と交流活動について話し合った。モンゴル先生も交流活動を通して学ぶことが多いそうで、具体的な例を挙げながら交流活動に対するモンゴル先生の気持ちを話してくれた。交流活動をいかにより良い活動として定着させていくか、今後の課題だと思う。頑張りたい。
夜、あすなろ食堂で食事をした後、往診を2件。その後、慌しく奨学生宅を回った。
朝からクリニックで治療。暫くの間休みにした分、今日は患者さんが多く慌しかった。昼過ぎにクリニックを終える予定だったが結局3時まで掛ってしまい、後にクリニックを使用する先生に迷惑を掛けてしまった。しばしば同じような問題が起こるのでクリニックの体制について、もう一度考え直す必要があると思う。
クリニックを終えた後、ヒマラヤ小学校へ向った。ヒマラヤ小学校に到着した時には子供達が下校する時間になっていた。駆け寄って来た子供達から、『オオノセンセイとフジワラ・ダイ(お兄さん)は次、何時来てくれますか?』や『日本に着きましたか?』更には『オオノセンセイとフジワラダイはヒマラヤ小学校の事が好きですか?』など様々な質問を受けた。交流活動は単に技術や知識を学ぶだけでなく、出会いの喜びや別れの辛さ、再会の楽しみ、そして人間としての優しさなど、とても大切な事を学ぶことが出来る。この1週間、交流活動を通して子供達は本当に多くのことを学んだと思う。
放課後、モンゴル先生と交流活動について話し合った。モンゴル先生も交流活動を通して学ぶことが多いそうで、具体的な例を挙げながら交流活動に対するモンゴル先生の気持ちを話してくれた。交流活動をいかにより良い活動として定着させていくか、今後の課題だと思う。頑張りたい。
夜、あすなろ食堂で食事をした後、往診を2件。その後、慌しく奨学生宅を回った。
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2005年08月16日
出会いの喜び、別れの辛さ、そして再会の楽しみ
8月14日(火)
朝、往診を済ませた後、お土産を買いにタメル地区へ出かけた。土産物らしい物がないネパールで、お土産を探すのはなかなか難しい。結局、お決まりの紅茶とカレンダーを購入。今日は10日間の日程を終えた大野先生と直人君の帰国の日だ。
お土産を買った後、大急ぎでヒマラヤ小学校へ向った。今日が交流活動最終日とあって子供達の表情も何となく暗かった。突然、2年生のビナが近寄ってきて『オオノセンセイとナオトダイは本当に今日、帰るのですか?』とうつむき加減で尋ねて来た。子供達が暗くなるのも無理はない。これまで楽しい時間を共有し、少しずつお互いの理解が深まりつつある中での別れは、とても辛いことだと思う。交流活動には出会いの喜びと別れの悲しみ、そして再会の楽しみがある。子供達が交流活動を通して学ぶことは本当に多い。
帰り際、先日訪ねた障害児施設で古着を届けた。その後、ダルマさんのお宅で送別会を開催。美味しい料理を頂きながら、短い滞在期間中の思い出話に花が咲いた。
今日は朝から奨学生達がひっきりなしに電話を掛けて来た。大野先生の帰国日程を延長できないか本気で尋ねる電話や、本当に帰国するのかを確認する電話など様々だったが、どの奨学生も大野先生との別れを惜しんでいる様子が良く分かった。
今回、大野先生と直人君にネパールへお越しいただき、素晴らしい交流活動が実現したこと本当に嬉しく思う。大野先生の子供達に対する優しさや心遣いを見て多くの事を学ばせて頂いた。僕にとって本当に大きな学びの収穫となった。ぜひ今回学んだ事を今後の活動に活かしていきたいと思う。
朝、往診を済ませた後、お土産を買いにタメル地区へ出かけた。土産物らしい物がないネパールで、お土産を探すのはなかなか難しい。結局、お決まりの紅茶とカレンダーを購入。今日は10日間の日程を終えた大野先生と直人君の帰国の日だ。
お土産を買った後、大急ぎでヒマラヤ小学校へ向った。今日が交流活動最終日とあって子供達の表情も何となく暗かった。突然、2年生のビナが近寄ってきて『オオノセンセイとナオトダイは本当に今日、帰るのですか?』とうつむき加減で尋ねて来た。子供達が暗くなるのも無理はない。これまで楽しい時間を共有し、少しずつお互いの理解が深まりつつある中での別れは、とても辛いことだと思う。交流活動には出会いの喜びと別れの悲しみ、そして再会の楽しみがある。子供達が交流活動を通して学ぶことは本当に多い。
帰り際、先日訪ねた障害児施設で古着を届けた。その後、ダルマさんのお宅で送別会を開催。美味しい料理を頂きながら、短い滞在期間中の思い出話に花が咲いた。
今日は朝から奨学生達がひっきりなしに電話を掛けて来た。大野先生の帰国日程を延長できないか本気で尋ねる電話や、本当に帰国するのかを確認する電話など様々だったが、どの奨学生も大野先生との別れを惜しんでいる様子が良く分かった。
今回、大野先生と直人君にネパールへお越しいただき、素晴らしい交流活動が実現したこと本当に嬉しく思う。大野先生の子供達に対する優しさや心遣いを見て多くの事を学ばせて頂いた。僕にとって本当に大きな学びの収穫となった。ぜひ今回学んだ事を今後の活動に活かしていきたいと思う。
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2005年08月15日
社会見学会・国立博物館
8月15日(月)
朝、文化・観光・航空大臣公邸を訪ねた。何時もながら陳情に訪れた人たちで慌しかった。暫くして2階の応接まで大臣とお目にかかり、ヒマラヤ小学校の事やネパールの観光面の話などで会話が弾んだ。
その後、ジャイカ事務所を訪ねケナフ環境会議への出席をお願いした。今後、ケナフの普及させるためには、ジャイカなどの国際機関の協力が欠かせない。ぜひ会議に参加していただいてケナフの可能性を知って頂ければと思う。
ジャイカ事務所を訪ねた後、ヒマラヤ小学校の2年生と合流し、カトマンズにある国立博物館を訪ねた。8月10日(水)のブログでも紹介した通り、子供達にとってカトマンズを訪ねること自体、初めての体験だ。ミニバスに揺られながら博物館へ向う道中でも、村にはない建物や車の数に驚き、すっかり興奮した様子だった。
初めての博物館訪問、子供達は先生達の説明にしっかり耳を傾けながら、興味深そうに展示品を見て回った。はたして子供達がどんな気持ちで博物館の展示品を見ているのか、心の中を覗いて見たくなった。博物館を回った後は皆で芝生に座って感想を話し合った。子供達らしい素直な感想を聞くことが出来、とても嬉しかった。
その後、遠回りをしながらカトマンズの重要な施設を見て回った。王宮に歓声を上げる子、授業で習ったシンハダルバールを見て喜ぶ子、子供達の喜ぶ笑顔が見られ社会見学会は大成功に終わった。様々な経験を通して学ぶ事は貴重な人生の財産になると思う。これからも社会見学会を継続的に開催したいと思う。
朝、文化・観光・航空大臣公邸を訪ねた。何時もながら陳情に訪れた人たちで慌しかった。暫くして2階の応接まで大臣とお目にかかり、ヒマラヤ小学校の事やネパールの観光面の話などで会話が弾んだ。
その後、ジャイカ事務所を訪ねケナフ環境会議への出席をお願いした。今後、ケナフの普及させるためには、ジャイカなどの国際機関の協力が欠かせない。ぜひ会議に参加していただいてケナフの可能性を知って頂ければと思う。
ジャイカ事務所を訪ねた後、ヒマラヤ小学校の2年生と合流し、カトマンズにある国立博物館を訪ねた。8月10日(水)のブログでも紹介した通り、子供達にとってカトマンズを訪ねること自体、初めての体験だ。ミニバスに揺られながら博物館へ向う道中でも、村にはない建物や車の数に驚き、すっかり興奮した様子だった。
初めての博物館訪問、子供達は先生達の説明にしっかり耳を傾けながら、興味深そうに展示品を見て回った。はたして子供達がどんな気持ちで博物館の展示品を見ているのか、心の中を覗いて見たくなった。博物館を回った後は皆で芝生に座って感想を話し合った。子供達らしい素直な感想を聞くことが出来、とても嬉しかった。
その後、遠回りをしながらカトマンズの重要な施設を見て回った。王宮に歓声を上げる子、授業で習ったシンハダルバールを見て喜ぶ子、子供達の喜ぶ笑顔が見られ社会見学会は大成功に終わった。様々な経験を通して学ぶ事は貴重な人生の財産になると思う。これからも社会見学会を継続的に開催したいと思う。
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2005年08月14日
充実した一日
8月14日(日)
今日はヒマラヤ小学校で栄養摂取プログラムを開催した。子供達の多くは栄養不足により、年齢のわりに体が小さい。調査の結果から、子供達は年に1回のティハール祭りの時以外、肉や果物を食べる機会がないことが分った。子供達の多くが、雨が降っただけで風邪を引いてしまうのも、栄養バランスの悪さによる免疫力の低下が影響しているのかもしれない。ただでさえ衛生面の問題で感染症の危険と隣りあわせで生活している子供達にとっては大問題だと思う。
毎日、肉や果物を与えることは、貧しい家庭にとっては難しい事だと思う。しかし遣り方次第では、お金をかけずに十分な栄養価を摂取する事も可能だ。保護者の多くは日雇いで得たお金を、その日の内に全て使ってしまう。得たお金の内、ほんの一部を栄養のために使う事が出来れば結果は大きく変わってくると思う。ぜひ栄養摂取プログラムを通して、親達にも栄養摂取の大切さを理解してもらいたいと思う。
今日用意したのは、ゆで卵、牛乳、バナナの3品だった。この3品で急に栄養が補えるかは別として、まずは子供達が喜んで食べられる物から始めることが大事だと考えた。嬉しい事は継続にも繋がる。先生達と一緒に茹で上がった卵の殻を剥き、準備を進めた。先日からボランティア活動に参加しているクラーク生の直人君も一生懸命手伝ってくれて助かった。ボランティアの存在はとても大きい。
子供達は普段、口にする機会の少ないバナナや卵を嬉しそうに食べていた。ぜひこの活動を継続的に行い、成果を出したいと思う。将来的には結果をまとめ、他校にも紹介したいと思う。
夕方、ブンガマティにある障害児施設を訪ねた。先日、金属片の摘出手術を支援したスニールもすっかり元気そうな様子で安心した。ゲストの大野先生は福祉科を担当されているため、こうした福祉施設の現場を良く知っていらっしゃる。また同行の直人君も週に2回、都内の障害者施設でお手伝いをしているとの事で、今後、情報交換などの交流が生まれればと期待している。施設を運営するダヤラムさんも、施設を良くするためにも技術や運営面でアドバイスが欲しいと話していた。
その後、ブンガマティにある寺子屋・小川武明教室を訪ねた。子供達はこの3ヶ月間の間に随分と成長したように思える。将来、女学校を作って校長として活躍したいというサンギャさんの情熱が強く感じられた。授業中の子供達の表情も真剣そのもの。素晴らしい寺子屋が出来たことを嬉しく思う。その後、子供達が1人ずつ歌を歌ったり、ダンスを披露したりして楽しい時間を過ごすことが出来た。
ブンガマティを後にして、大野先生達と奨学生宅を訪ねた。どの子供達も筆舌では尽くしきれない感謝の気持ちを何とか伝えようと一生懸命だった。こうして暖かく支えて頂く事で、子供達は大きな目標を持ち、頑張っている。子供達の大きな成長を間近で見られる事は、教育支援活動をしていて一番嬉しい事かもしれない。
今日はとても充実した一日となりました。
今日はヒマラヤ小学校で栄養摂取プログラムを開催した。子供達の多くは栄養不足により、年齢のわりに体が小さい。調査の結果から、子供達は年に1回のティハール祭りの時以外、肉や果物を食べる機会がないことが分った。子供達の多くが、雨が降っただけで風邪を引いてしまうのも、栄養バランスの悪さによる免疫力の低下が影響しているのかもしれない。ただでさえ衛生面の問題で感染症の危険と隣りあわせで生活している子供達にとっては大問題だと思う。
毎日、肉や果物を与えることは、貧しい家庭にとっては難しい事だと思う。しかし遣り方次第では、お金をかけずに十分な栄養価を摂取する事も可能だ。保護者の多くは日雇いで得たお金を、その日の内に全て使ってしまう。得たお金の内、ほんの一部を栄養のために使う事が出来れば結果は大きく変わってくると思う。ぜひ栄養摂取プログラムを通して、親達にも栄養摂取の大切さを理解してもらいたいと思う。
今日用意したのは、ゆで卵、牛乳、バナナの3品だった。この3品で急に栄養が補えるかは別として、まずは子供達が喜んで食べられる物から始めることが大事だと考えた。嬉しい事は継続にも繋がる。先生達と一緒に茹で上がった卵の殻を剥き、準備を進めた。先日からボランティア活動に参加しているクラーク生の直人君も一生懸命手伝ってくれて助かった。ボランティアの存在はとても大きい。
子供達は普段、口にする機会の少ないバナナや卵を嬉しそうに食べていた。ぜひこの活動を継続的に行い、成果を出したいと思う。将来的には結果をまとめ、他校にも紹介したいと思う。
夕方、ブンガマティにある障害児施設を訪ねた。先日、金属片の摘出手術を支援したスニールもすっかり元気そうな様子で安心した。ゲストの大野先生は福祉科を担当されているため、こうした福祉施設の現場を良く知っていらっしゃる。また同行の直人君も週に2回、都内の障害者施設でお手伝いをしているとの事で、今後、情報交換などの交流が生まれればと期待している。施設を運営するダヤラムさんも、施設を良くするためにも技術や運営面でアドバイスが欲しいと話していた。
その後、ブンガマティにある寺子屋・小川武明教室を訪ねた。子供達はこの3ヶ月間の間に随分と成長したように思える。将来、女学校を作って校長として活躍したいというサンギャさんの情熱が強く感じられた。授業中の子供達の表情も真剣そのもの。素晴らしい寺子屋が出来たことを嬉しく思う。その後、子供達が1人ずつ歌を歌ったり、ダンスを披露したりして楽しい時間を過ごすことが出来た。
ブンガマティを後にして、大野先生達と奨学生宅を訪ねた。どの子供達も筆舌では尽くしきれない感謝の気持ちを何とか伝えようと一生懸命だった。こうして暖かく支えて頂く事で、子供達は大きな目標を持ち、頑張っている。子供達の大きな成長を間近で見られる事は、教育支援活動をしていて一番嬉しい事かもしれない。
今日はとても充実した一日となりました。
hsf at 03:46|Permalink│
2005年08月13日
楽しい日
8月13日(土)
朝、雑用を済ませた後、里親奨学基金の奨学生らを連れ、ゲストの皆さんとカトマンズ郊外のハッティーバーンを訪ねた。ハッティーバーンへ向う道中から見た一望千里の棚田が輝いて綺麗だった。去年より一回り大きくなったヒマラヤ小学校も望むことが出来、感慨深いものがあった。ヒマラヤ小学校の2階校舎も、もう直ぐ完成だ。
ハッティーバーンからはカトマンズ盆地を全て見渡すことが出来る。空港を離発着する飛行機を眺めながら、暫く日常の喧騒を忘れることが出来た。
ゲストの大野先生とは約1年ぶりの再会となる奨学生達。皆、再会を心待ちにしていただけに、とても嬉しそうだ。言葉が通じない中でも大野先生と奨学生は不思議と心が通じているように思う。大野先生がそれぞれの奨学生の夢を尋ねた後、『僕も夢に向かって頑張るから、君も夢に向かって頑張れ。一緒に頑張ろう!』と、奨学生を優しく励ましてくださった。『頑張れ!!』だけではない、『一緒に頑張ろう』という言葉が奨学生達をとても勇気付けているように思う。大野先生の子供達と接する姿勢はとても勉強になる。その後はゲームをしたり、歌を歌ったりして楽しい時間を過ごすことが出来た。
その後、サダナの誕生会へ出席するためサダナの家へ向った。家にはサダナの誕生日を祝う人が大勢集まっていた。今年は特別賑やかにしたそうだが、こんなに人が集まるのはサダナの人徳だと思う。サダナの心遣いをすっかり堪能し、こちらでも楽しい時間を過ごすことが出来た。
サダナも18歳。どんどん実力をつけている。将来が本当に楽しみだ。
朝、雑用を済ませた後、里親奨学基金の奨学生らを連れ、ゲストの皆さんとカトマンズ郊外のハッティーバーンを訪ねた。ハッティーバーンへ向う道中から見た一望千里の棚田が輝いて綺麗だった。去年より一回り大きくなったヒマラヤ小学校も望むことが出来、感慨深いものがあった。ヒマラヤ小学校の2階校舎も、もう直ぐ完成だ。
ハッティーバーンからはカトマンズ盆地を全て見渡すことが出来る。空港を離発着する飛行機を眺めながら、暫く日常の喧騒を忘れることが出来た。
ゲストの大野先生とは約1年ぶりの再会となる奨学生達。皆、再会を心待ちにしていただけに、とても嬉しそうだ。言葉が通じない中でも大野先生と奨学生は不思議と心が通じているように思う。大野先生がそれぞれの奨学生の夢を尋ねた後、『僕も夢に向かって頑張るから、君も夢に向かって頑張れ。一緒に頑張ろう!』と、奨学生を優しく励ましてくださった。『頑張れ!!』だけではない、『一緒に頑張ろう』という言葉が奨学生達をとても勇気付けているように思う。大野先生の子供達と接する姿勢はとても勉強になる。その後はゲームをしたり、歌を歌ったりして楽しい時間を過ごすことが出来た。
その後、サダナの誕生会へ出席するためサダナの家へ向った。家にはサダナの誕生日を祝う人が大勢集まっていた。今年は特別賑やかにしたそうだが、こんなに人が集まるのはサダナの人徳だと思う。サダナの心遣いをすっかり堪能し、こちらでも楽しい時間を過ごすことが出来た。
サダナも18歳。どんどん実力をつけている。将来が本当に楽しみだ。
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2005年08月12日
ケナフ会議打ち合わせ
8月12日(金)
ケナフ会議への参加をお願いするため、ジャイカ事務局を訪ねる予定だったが、ヤッギャ校長が急用で来られなくなりキャンセルとなった。
その後、ポカラから戻られたゲストの方を交え、ケナフ会議の打ち合わせを行った。ペースこそ遅いものの、少しずつ纏まりつつある会議の準備。今日は東京の本部からの意見を元に再検討を行った。またJETROが作成したケナフの紹介ビデオを見て、改めてケナフの可能性の大きさを実感した。
その後、2件の往診に出かけた後、ナレシュさん宅での夕食会に参加した。美味しい食事を頂きながら楽しい話に花が咲いた。ナレシュさんは日本留学中の次女、ナリシュマのことが気になるようで、何度もナリシュマの様子を尋ねているところが印象的だった。
食事を終えた後、先日から母親が病気を患い困っている奨学生宅を訪ねた。幼い奨学生は母親が病気になってしまい、どうしていいのか分らず混乱している様子だった。母子家庭で母親だけを頼って生活しているだけに無理もない。知人の先生にお願いして、何とか母親が適切な治療が受けられるよう準備を進めたい。
ケナフ会議への参加をお願いするため、ジャイカ事務局を訪ねる予定だったが、ヤッギャ校長が急用で来られなくなりキャンセルとなった。
その後、ポカラから戻られたゲストの方を交え、ケナフ会議の打ち合わせを行った。ペースこそ遅いものの、少しずつ纏まりつつある会議の準備。今日は東京の本部からの意見を元に再検討を行った。またJETROが作成したケナフの紹介ビデオを見て、改めてケナフの可能性の大きさを実感した。
その後、2件の往診に出かけた後、ナレシュさん宅での夕食会に参加した。美味しい食事を頂きながら楽しい話に花が咲いた。ナレシュさんは日本留学中の次女、ナリシュマのことが気になるようで、何度もナリシュマの様子を尋ねているところが印象的だった。
食事を終えた後、先日から母親が病気を患い困っている奨学生宅を訪ねた。幼い奨学生は母親が病気になってしまい、どうしていいのか分らず混乱している様子だった。母子家庭で母親だけを頼って生活しているだけに無理もない。知人の先生にお願いして、何とか母親が適切な治療が受けられるよう準備を進めたい。
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2005年08月11日
睡魔
8月11日(木)
疲れのせいか朝から腰の状態が悪く、往診をキャンセルして暫く休んだ。家で休んでもなかなか落ち着かず結局、痛み止めを飲んでヒマラヤ小学校へ出かけることにした。
ヒマラヤ小学校では来週の日曜日から試験が始まる。試験を前に何となく慌しさが増しているように感じる。今日は各クラスの様子を見て回ったが、先生達も授業を終えるために必死の様子だった。その内、幼稚園クラスでは新人のムナ先生がA,B,C,Dや数字などを子供達に一生懸命復習させていたが、昼休みを終えて疲れていたのか、とある園児が眠そうな顔をしていたのに気がついた。時に卯鳥卯鳥しながらも、ムヌ先生の声に目を覚まし、必死に授業について行こうとするが、それでも眠気には勝てず、再び眠りにふける園児。見ていて可愛らしく、とても可笑しかった。
夕方、癌協会での雑用を済ませ、試験を終えたヤッギャ校長の長男プラギャ君と次女のプラティギャちゃんと共にパタン市内のレストランへ出かけた。どうもお姉さんのサンギャさんからレストランの事を聞いて、試験が終わったらレストランへ連れて行って欲しいと、ヤッギャ校長にお願いしていたらしい。ピザを頼んだプラティギャちゃんが一生懸命、フォークとナイフを使っている姿が印象的だった。
その後、2件の往診に出かけ、あすなろ食堂を訪ねた。今日も大勢のお客さんで賑やかだった。開店から半年、あすなろ食堂は少しずつ地域に定着しているような気がする。頑張ってほしい。
疲れのせいか朝から腰の状態が悪く、往診をキャンセルして暫く休んだ。家で休んでもなかなか落ち着かず結局、痛み止めを飲んでヒマラヤ小学校へ出かけることにした。
ヒマラヤ小学校では来週の日曜日から試験が始まる。試験を前に何となく慌しさが増しているように感じる。今日は各クラスの様子を見て回ったが、先生達も授業を終えるために必死の様子だった。その内、幼稚園クラスでは新人のムナ先生がA,B,C,Dや数字などを子供達に一生懸命復習させていたが、昼休みを終えて疲れていたのか、とある園児が眠そうな顔をしていたのに気がついた。時に卯鳥卯鳥しながらも、ムヌ先生の声に目を覚まし、必死に授業について行こうとするが、それでも眠気には勝てず、再び眠りにふける園児。見ていて可愛らしく、とても可笑しかった。
夕方、癌協会での雑用を済ませ、試験を終えたヤッギャ校長の長男プラギャ君と次女のプラティギャちゃんと共にパタン市内のレストランへ出かけた。どうもお姉さんのサンギャさんからレストランの事を聞いて、試験が終わったらレストランへ連れて行って欲しいと、ヤッギャ校長にお願いしていたらしい。ピザを頼んだプラティギャちゃんが一生懸命、フォークとナイフを使っている姿が印象的だった。
その後、2件の往診に出かけ、あすなろ食堂を訪ねた。今日も大勢のお客さんで賑やかだった。開店から半年、あすなろ食堂は少しずつ地域に定着しているような気がする。頑張ってほしい。
hsf at 03:10|Permalink│
2005年08月10日
楽しみな交流活動
8月10日(水)
朝、ポカラに向うゲストの皆さんをお見送りした後、クリニックへ直行。今日は雨が降ったが、大勢の患者さんが来て賑やかだった。先日から治療を続けている脊椎骨粗鬆症の患者さんは未だ痛みはあるものの、表情が随分明るくなった気がする。付き添いの家族の話では、鍼治療を始めて以来、頻尿が良くなったとのことだった。腰の痛みをとるために腎愉という経穴(ツボ)を刺激したことが、腎機能の回復に繋がったのかもしれない。もちろん鍼だけで効果が出たとは考えにくいが、少しでも患者さんが回復に向っているのは嬉しい。
クリニックを終えた後、ヒマラヤ小学校を訪問した。学校に着くと昼休み中の子供達が駆け寄ってきて『クラークの先生とお兄さんは来ないの?』と質問攻めにあった。『真面目に勉強していたら、また来てくれますよ』と慰めの言葉をかけながら職員室へ向ったが、残念がる子供達の表情からも、いかに子供達が交流活動を楽しみにしているのかがよく分かる。
ヤッギャ校長らと来週予定している社会見学会について話し合った。先日、ボランティア教員のビディヤ先生が2年生の社会科を教えていたところ、授業の中に出た『王宮』や『博物館』について子供達から質問が相次いだらしい。
村から外へ出たことのない子供達が王宮やら博物館と聞いても、なかなかピンとこないのも良く分る。ビディヤ先生の社会見学会の提案は僕も大賛成だ。子供達が学校の外で、様々な体験を通して学ぶことはとっても重要なことだと思う。子供達からも期待が高まっているので、ぜひ実現したいと思う。それにしてもボランティア教員のビディヤ先生は何時も子供達のことを良く考えている。先生が来てくれた事で授業の幅が大きく広がった。本当に有難い。
夕方から往診へ出かけた。今日は少し疲れていたので往診を1件だけで済ませ、あすなろ食堂で食事をした。その後、奨学生宅を訪ねた。何時もながら貧しい環境の中でも、一生懸命頑張っている姿に感銘を受けた。貧しくても『希望』を持っていることが、子供達の表情を豊かにしているのかもしれない。
朝、ポカラに向うゲストの皆さんをお見送りした後、クリニックへ直行。今日は雨が降ったが、大勢の患者さんが来て賑やかだった。先日から治療を続けている脊椎骨粗鬆症の患者さんは未だ痛みはあるものの、表情が随分明るくなった気がする。付き添いの家族の話では、鍼治療を始めて以来、頻尿が良くなったとのことだった。腰の痛みをとるために腎愉という経穴(ツボ)を刺激したことが、腎機能の回復に繋がったのかもしれない。もちろん鍼だけで効果が出たとは考えにくいが、少しでも患者さんが回復に向っているのは嬉しい。
クリニックを終えた後、ヒマラヤ小学校を訪問した。学校に着くと昼休み中の子供達が駆け寄ってきて『クラークの先生とお兄さんは来ないの?』と質問攻めにあった。『真面目に勉強していたら、また来てくれますよ』と慰めの言葉をかけながら職員室へ向ったが、残念がる子供達の表情からも、いかに子供達が交流活動を楽しみにしているのかがよく分かる。
ヤッギャ校長らと来週予定している社会見学会について話し合った。先日、ボランティア教員のビディヤ先生が2年生の社会科を教えていたところ、授業の中に出た『王宮』や『博物館』について子供達から質問が相次いだらしい。
村から外へ出たことのない子供達が王宮やら博物館と聞いても、なかなかピンとこないのも良く分る。ビディヤ先生の社会見学会の提案は僕も大賛成だ。子供達が学校の外で、様々な体験を通して学ぶことはとっても重要なことだと思う。子供達からも期待が高まっているので、ぜひ実現したいと思う。それにしてもボランティア教員のビディヤ先生は何時も子供達のことを良く考えている。先生が来てくれた事で授業の幅が大きく広がった。本当に有難い。
夕方から往診へ出かけた。今日は少し疲れていたので往診を1件だけで済ませ、あすなろ食堂で食事をした。その後、奨学生宅を訪ねた。何時もながら貧しい環境の中でも、一生懸命頑張っている姿に感銘を受けた。貧しくても『希望』を持っていることが、子供達の表情を豊かにしているのかもしれない。
hsf at 23:25|Permalink│