2005年07月

2005年07月31日

降りかかる問題

7月31日(日)

朝、往診に出ていると、今年SLCを合格した里親教育基金の奨学生から、落ち込んだ声で電話が掛ってきた。今朝、学校の担当者に呼ばれ、専攻したコースが定員割れで開校できないと告げられたとのことだった。また担当者から半ば強制的に他のコースへ移るよう指導されたとのことだった。今にも泣きだしそうな声だったので、奨学生と会ってゆっくり話を聞くことにした。

この奨学生はSLCで1stDIVISIONを納めた優秀な学生で、成績優秀につき今年から私立学校に入学して学ぶこととなった。先日、授業が始まった日には、学校が終わると直ぐに電話を掛けてきて、学校が楽しいことや、インド人の先生の本格的な英語に感激したことを、嬉しそうに話していた。そんな奨学生の声を聞いて、喜んでいたところだった。

奨学生と会ってゆっくり話を聞くと、やはり学校側に非があることが分った。落ち込む奨学生にアイスクリームをご馳走し、明日、学校を訪ね担当者と詳細を話し合うので心配しなくても良い、というような事を告げた。ネパールで生活していると、常にこういった問題が降りかかってくる。これも異国生活での煩いと諦め、一つずつ解決していくしかない。一番大事なことは、奨学生が楽しく勉強できるように、出来るかぎりの応援をすることだと思う。

昼過ぎからヒマラヤ小学校を訪ねた。最近、ヒマラヤ小学校では演劇に力を入れている。授業の中で子供達が物語を作り、皆で協力して演劇を作っている。

geki今日はビディヤ先生が『教育とは』という題名で、とても内容のある演劇の台本を作ってくれた。これからどんどん演劇に力を入れ、何時か村の人たちの前で披露したいと考えている。子供達の演劇を通して、村の人たちにも教育の大切さを伝えることが出来ると思う。学校という教育現場から情報を発信していきたい。


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2005年07月29日

け〜がるね〜

7月29日(金)

朝からヒマラヤ小学校を訪ねた。2階校舎の建設もようやく大詰めを向かえ、急ピッチで工事が進んでいる。何とか来月中には竣工できそうで、まずは一安心。工事契約書にサインした担当者から『セメント・チャイナ、(セメントがない)パニ・チャイナ(水がない)、バッティ・チャイナ(電気がない)、サマン・チャイナ(道具がない)、ケーガルネ(どうすればいいの?)』と毎日のように聞かされ、うんざりすることもあったが、今となっては『ネパールらしい』と少し思えるようになった。竣工の日まで気を抜かず頑張りたい。

ネパールの人々は穏やかで、とても人懐っこい性格だ。何事も慌てない、のんびりしたところが最大の長所なのだが、長所は短所でもある。ほとんどの場合、仕事が時間通り、また計画通りに進むことはない。責任の所在など何時も不明で、何があっても上記と同じように『ケ~ガルネ〜』で終わってしまう。一々、苛立っていても仕方ないと分っていながら、苛立ってしまう外国人多いのではないだろうか。『結果オーライ』の文化・習慣に慣れる事が、ネパールで暮す秘訣なのかもしれない。

kdnその後、パタン市内でサダナ、ヤッギャ校長と合流し、ケナフの打ち合わせを行った。まだまだ決まらないことも多くあるが、一つずつ着実に進んでいる。途中で里親奨学基金の奨学生もミーティングに参加し、それぞれの意見を述べた。若い人達の意見をどんどん取り入れていくことが、会議の成功に繋がると思う。今日は良い時間を過ごすことが出来た。




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2005年07月28日

ネパールでの仕事

7月28日(木)
朝、往診を終えた後、郵便局での仕事を済ませた。

2時から、ヤッギャ校長、シャムさんと合流して、パタン市内の学校でケナフの種蒔きに出かけた。

今まで何度か種蒔きをする予定で訪れた学校だったが、その度に担当者がいなかったり、学校が休校だったりと、なかなか実現できていなかった。今日こそは種まきをしようと訪れたものの、何と今日から期末試験で子供達は既に帰宅してしまったとの事だった。一昨日、校長と担当者に連絡した時は問題ないと言っていたのに。改めてネパールでの仕事の難しさを感じた。

その後、3件の往診に出かけた後、あすなろ食堂で食事。暫くスミトラさんと雑談して楽しい時間を過ごすことが出来た。





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2005年07月27日

ムヌ先生の活躍

7月27日(水)

朝からクリニックで治療。馴染みの患者さんの治療を終えた後、昼過ぎからヤッギャ校長の紹介で新しい患者さんがクリニックを訪れた。72歳の女性で3ヶ月前に椅子から転倒して以来、腰と足に激しい疼痛があるとのことだった。どのクリニックや病院へ行っても『歳だから。。』と相手にされず、痛みを我慢していたこところ、ヤッギャ校長から癌協会クリニックのことを聞いて来たそうだ。

年齢や体型また尿中のカルシウム濃度が高いこともあり、脊椎骨粗鬆症ではないかと疑った。骨粗鬆症に対して鍼治療がどの程度有効なのかはっきり言って分らない。まずは痛みを取る等の対症療法が中心になると思うが、少しでも患者さんを励ますことが出来ればと思う。患者さんには一応、毎日チーズを摂る様に勧めてみた。

治療を終えた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。何時ものようにカメラを片手に授業の様子を覗いて見た。最近、ナーサーリークラス担任のムヌさんがめきめきと実力をつけている様に思う。何と言ってもクラスの雰囲気がいい。子供達が底抜けに明るくクラスに一体感がある。

ムヌさんは幼い頃に両親と死別し孤児院で育った孤児だ。孤児院を出た後は施設で育った仲間4名と共にヒマラヤ青少年育英会の研修施設で暮しながら、様々な女性自立支援プログラムを受けてきた。ムヌさんは元々、歌や踊りが上手いことで有名だった事もあり、少しでもムヌさんの自立支援に繋がればと、昨年、ヒマラヤ小学校で歌と踊りの指導をお願いした。

その後、ムヌさんの真面目な性格と直向に努力する姿勢が周囲から大きな評価を受け、今年から教師としてヒマラヤ小学校で教鞭を取ることとなった。ムヌさんには教師としての経験がなかったため当初は不安が多かったようで、僕もムヌさんから相談を受けたことが何度かあった。

ムヌさんの授業を見ていると、今まで受けた様々なアドバイスや指導を忠実に守り実践していることがよく分かる。元々の素直で真面目な性格が良い形で教師の仕事に作用しているようだ。

down今日は園児1人がムヌさんに叱られ、教室の隅で悲しそうに座り込んでいた。いかにも構って欲しいと言いたげな表情でムヌさんを見つめる児童を、まったく相手にせず粛々と授業を進めるムヌさん。暫くの間、ムヌさんと園児の駆け引きが続いた。

放課後、悲しそうな表情で校舎の隅に立っている園児を、ムヌさんが優しい笑顔で『花を摘みにいこう』と誘った。その瞬間、園児の表情が笑顔に変わり、嬉しそうにムヌさんの手を握りながら花を摘みに出かけた。その後、園児は一生懸命集めた花をムヌさんにプレゼントした。

教育には心理的な駆け引きがとても重要だと思う。拗ねた子どもをただ可愛がるだけでは、子供達はきっと成長できない。優しさと厳しさのケジメをはっきりしているムヌさんのような態度が、とても大事だと思う。

帰り際、ムヌさんに上記の一件について尋ねると、『泣きながら訴えてくる子どもを無視するのは本当に辛かったけど、今日は何とか上手くいきました。』と笑顔で答えていた。




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2005年07月26日

子供達の成長

朝、役所での雑用を済ませ、ヒマラヤ小学校を訪問。今日はヤッギャ校長と2年生が一緒に作った軽演劇の練習が行われた。子供達の演技がなかなか上手く、見ごたえがあった。特に感情豊かなサシナの演技は光っていた。軽度の知能障害を持っているサシナだが、もしかすると一寸した演劇の才能があるのかもしれない。新しい発見だ。

悪主人を完璧に演じたナレシュも意外だった。彼は現在15歳。今年ヒマラヤ小学校に入学するまで、様々な教育支援団体から就学支援を受けて学校に通ったものの、2度も中途退学しているという。

ヒマラヤ小学校に入学が決まった時、ナレシュを知る知人から、彼には気をつけた方がいいよとアドバイスを受けた。不安になってヤッギャ校長に相談すると『彼は大丈夫です。必ず頑張りますよ』と予想外の返事が返って来た。

ヤッギャ先生の予想通り、ナレシュは入学以来一度も欠席せず学校に通い、授業にも積極的に参加して頑張っている。悪い評判があっただけにナレシュの変化は本当に嬉しい。今日はナレシュが大の歌好きであることも分った。いつか式典の中でマイクを持って歌わせようと思う。

授業を観察していると子供達のいろんな変化に気がつく。実はナレシュ以外にも心配な児童が1人いた。彼の名前はラケシュ。昨年の進級試験では残念ながら落第してしまい、ショックで落ち込んでしまうのではないかと心配していた。

rakeshそんな僕の心配とは逆に、彼は留年したことで大きく変化した。クラスに男子児童が増え、気の合う友達が出来たことも大きいのかもしれないが、授業中の表情は真剣そのもの、一生懸命勉強を頑張っている。担任のモンゴル先生もラケシュの変化には驚いているようだ。

こうして子供達の大きな成長を間近で見られるのは、本当に幸運なことだと思う。日々、成長を続ける子供達をこれからも見つめていきたいと思う。











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2005年07月25日

学びの熱気

7月25日(月)

朝、クリニックで治療。患者さんが一気に来たため慌しい治療となる。ここのところ治療に使う鍼が不足気味になってきた。鍼はネパールで入手できないため、何時も一時帰国した折に日本から運んでいる。鍼にも太さや長さなど種類があり、それぞれ治療部位や治療方針で使用する鍼の種類を変える。僕のクリニックには女性の患者さんが多いため、どうしても細めの鍼を使うことが多い。そのため自然と細い鍼の消費が多くなり、太い鍼だけが残ってしまう。今日は男性患者に断った上で太い鍼だけを使って治療した。何とか次の帰国までもたせなくては。

昼からある奨学生のIDカード(戸籍)取得のために地方行政局を訪ねた。ネパールのルールでは両親が揃っていない場合、戸籍IDの取得が出来ないらしい。結婚して配偶者に戸籍または自宅がある場合のみ取得が可能との事。僕達が支援している奨学生の多くは母子家庭の子供達であり、もちろん自宅のない子が殆どだ。IDが取得できなければ、当然のことながら旅券を作ることは出来ず、仮に一生懸命勉強を頑張って海外留学機会を得ても、海外に渡航することが出来ない。理不尽なルールに首を傾げたくもなるが、何とか奨学生のID取得のために頑張りたい。

昼からヒマラヤ小学校を訪問。今日も皆、元気だった。ヒマラヤ小学校の子供達の中には隣村から徒歩で2時間以上かけて通ってくる子達がいる。何度かバイクで村を訪ねたことがあるが、とても徒歩で通うには難しい道のりだ。そんな中でも毎日、休むことなく学校へ通っているという事は学校が楽しい証拠だと思う。隣村から通う子供達を見送りながら、いろんな事が脳裡を廻った。

放課後、なかなか帰ろうとしない児童がいた。幼稚園クラスのディポックだ。どうもボールを使って遊びたいらしい。ディポックは被差別民に属していることもあってか、入学当初は教室へ入ることすら出来なかったが、今ではクラスのガキ大将といってもおかしくない存在だ。この1年、ヒマラヤ小学校で一番成長したのはディポックかもしれない。

ボール遊びをしながらディポックに学校について尋ねてみると、ギョロっとした大きな目を輝かせながら『とっても楽しい』との返事が返ってきた。楽しい学校づくりを目指しているだけに、子供達のこうした声はとても嬉しい。

dharma夕方からは昨日に引き続き『寺子屋』を訪ねた。みんな真剣な表情で勉強を頑張っていた。煉瓦工場で働く子供達が数名入学してきたが、どの子も覚えが早いとシャム先生から嬉しい報告を受けた。なるほど新入生の表情からは『学びたい』という熱意と意欲が、ひしひしと伝わってきた。新入生も在校生もお互いに切磋琢磨しながら頑張って欲しい。

その後、往診を1件済ませ、歯科治療を受けた。夜は昨日に引き続き友人の送別会に参加。雨上がりの涼しい環境の中で、楽しいひと時を過ごすことが出来た。



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2005年07月24日

確かな成長

7月24日(日)

朝、弁護士事務所へ行き、あすなろ食堂の会社登録更新について打ち合わせを行った。何とか順調に行きそうで安心した。

昼は友人と食事をしながら雑談に花が咲いた。その後、ヒマラヤ小学校を訪問。2階校舎の工事も順調に進んでいる様子で一安心。新しく工事に来てくれた人達は一時期の人達よりも遥かに質が良い。工事の進み具合も着工時のように早く、これから期待が出来そう。

samuj放課後、子供達と遊んでいると突然、大雨が降り始めた。僕は大急ぎで教室へ駆け込んだが、子ども達は雨に大喜び。空に向って大きな口を開けて、雨水が入るのを喜んでいた。子供達の手に掛ると何でも遊び道具になってしまうのだから不思議だ。

今日はヒマラヤ小学校の児童(姉妹)の母親が、生活苦から子供達を残して家出をしたという情報が入った。幼稚園クラスに通う2人の幼い姉妹は何も分かっていないようで、何時もどおり元気良くしていた。父親はカトマンズの工事現場へ出稼ぎに行って以来、2週間余り帰宅していないそうだ。事情を聞いたヤッギャ校長が子供達を自宅で匿い、昨日、2人の幼い姉妹はヤッギャ校長の家で過ごしたとのことだった。

こうした問題はネパールでは良くある話だ。親の身勝手な行動が子供達にどのような影響を及ぼすのか、考えただけでも胸が痛くなる。ネパールでは隣国への少女人身売買問題も抱えている。もちろん僕達に出来る最善を尽くすつもりだが、今後、2人の幼い姉妹が人身売買に巻き込まれる可能性だって完全には否定できない。まずは父親の帰宅を待ち、今後の対応を考えたい。

kanchan夕方から隻手(カタテ)薬師寺子屋を訪問した。先日、隻手(カタテ)薬師寺子屋には新たに10名の子供達が入学してきたが、今日は忙しいシャム先生に代わって、一部の子供達が自主的に幼い新入生へ字を教えてくれた。突然のことでシャム先生も僕も驚いたが、寺子屋での教育を通して子供達に少しずつ自覚が芽生えた証拠だと思う。子供達の確かな成長を見ることが出来、本当に嬉しかった。

寺子屋を始めるきっかけになったのは、4年前、就学支援をしていた奨学生の姉妹2人が『私たちも何かしたい!!』と近所の貧しい子供達を集め、字を教え始めたことだった。今日は正に4年前と同じことが起きたのだ。言葉ではとても表現できない嬉しさで一杯だ。これこそ僕らが求めている理想の教育だと思う。

その後、子供達が連取を続けているダンスを見た。皆、よっぽどダンスが好きなようで、どの子供達も見るたびに上手になっている。

夜、知人の送別会に参加。楽しい時間を過ごすことが出来た。その後、奨学生宅を訪ね、夜遅くに帰宅。今日は忙しくも充実した一日となった。





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2005年07月23日

制服支援

7月23日(土)

昨日の疲れが残っているせいか、今朝は全身が棒のように硬くなっていた。体は本当に正直だ。

朝、昨日の打ち合わせで纏まった事柄を整理した。それにしてもサダナとヤッギャ校長がいることで本当に助かっている。若いながらも直向に環境活動に取り組んでいるサダナを少しでも引き立てたいと考えていたが、なんだか何時もサダナに引き立てて貰っているように思う。

現在、KDN(Kenaf Development Nepal)はヤッギャ校長の調整能力とサダナの若さ、利発さが上手く噛合っている。僕はどちらかといえば全体的な流れを考えるのは好きだが、細かい点をつめる作業がとても苦手だ。サダナは抜群の思考力で何時も各論を詰めてくれる。正しく適材適所。

その後、昼過ぎまで家に篭り雑用を一気に片付けた。新聞の切り抜き作業もようやく完成の目処がたった。

その後、往診へ出かける。パタン市内の3件の往診を済ませた後、奨学生宅を訪ねた。8年生で勉強している奨学生は、幼い弟を左手に抱き、右手で水汲み用の壷を抱えながら笑顔で迎えてくれた。母親が仕事のため工場に出かけているので、弟の世話から家事までの一切をやらなければならないという。それでも笑顔を絶やさず、学校のことや試験のことなどを嬉しそうに話していた。

奨学生に必要な物を訪ねると、学校のシャツが欲しいとのことだった。先日、ネズミにかじられ、唯一のシャツに大きな穴が開いてしまったそうだ。

時々、奨学生への制服支援がなぜ必要なのか?との質問を受けることがある。当初、僕自身も制服支援には疑問を感じていたが、こうして各家庭を回ることで、子供達の生活環境がとても厳しく制服を買う余裕などないことが分かった。

ヒマラヤ青少年育英会では就学支援を行う子供達を大きく3つに分類する。母子家庭で母親が文盲、また母親の年収が300ドル以下の場合はAに属し、制服を含め全面的に就学を支援している。

奨学生に制服を買う約束をすると、とても嬉しそうな表情を浮かべながら『ありがとう。』と言ってきた。僕が子どもの頃、学校のシャツを買ってもらって嬉しいと思った事など一度もなかった。それだけ日本は豊かで、物を貰うことが当たり前になっているのかもしれない。

新しいシャツを着て、一生懸命がんばる奨学生の顔が目に浮かんだ。






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2005年07月22日

会議に向けて

7月22日(金)

朝、税務署で『あすなろ食堂』の税金の支払いを終えた。早速スミさんにその旨を報告。少しではあるが税金を納めることが出来たことは、スミさん達が社会的な責任を果たしている証拠。誇りに思って欲しい。

12時からヤッギャ校長と『第1回こども環境ケナフ会議』の会場を視察した。会場を視察しながら、あれこれ考えていると、期待で胸がときめいた。その後、サダナも合流し、会議に向けた打ち合わせを進めた。パネリストへの参加要請書の作成、司会者との契約など、7時間以上に渡り準備を進めた。まだまだ遣るべきことは山積しているが、一歩ずつ着実に進んでいることを実感している。こうしてサダナやヤッギャ校長と協力して、一つの目的に向って仕事が出来ることは幸運だと思う。成功に向けて頑張りたい。

夜は流石に疲れたため往診を休んで帰宅した。その後、遅れていたブログの更新などを行った。



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2005年07月21日

恩師の日

7月21日(木)

朝、税金を納めに税務署へ行ったが休みだった。『恩師の日』は学校だけが休みになると思っていたが、カレンダーによって掲載が異なるのもネパールらしさだろうか。

今日は『恩師の日』ということで奨学生たちから沢山の花やカードを貰った。別に何かを教えているわけではないが、こうして普段の感謝の気持ちを伝えられるとやはり嬉しい。その後、子供達を連れてアイスクリームを食べに行った。アイスクリームを食べながら、今までのことや新しい学校のことなど他愛のない話しをして楽しい時間を過ごすことが出来た。

雑談の中で奨学生の1人が、就学支援を受ける前、毎日、薪拾いをしている途中、学校へ通っている近所の友達を見ては羨ましくて何度も泣いたことや、一層、死んでしまいたいと思ったことなどを告白した。子供達を取り巻く環境は厳しい。この奨学生のような気持ちになるのは必然的なことだと思う。実際ネパールでは、学校へ行けない事を理由に自殺する子どもがいる。

奨学生には『死んでしまっては花実が咲かない』という様な事を話し、努力は必ず報われるから一生懸命生きるように伝えた。なんとなく恩師の日らしくなった。

夕方、奨学生の誕生会に参加した。ささやかではあったが、とても暖かい誕生会だった。母親から字の読み書きが出来ないため、以前は病院へ行くことも出来なかったが、今は娘がいるので安心して病院へ行くことが出来るといわれた。こうした嬉しい一言が、活動の原動力になる。

今日は楽しい一日になった。


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2005年07月20日

交流活動の意義

7月20日(水)

朝、クリニックで治療。早朝に急用が出来たため、はじめて遅刻してしまった。クリニックに到着したときには既に6名の患者さんが並んでいた。謝りながらクリニックの鍵を開けていると、患者さんから『私達は何時も遅れて来るのだから心配しないで下さい。ここはネパールですよ。』と言われ、思わず苦笑いしてしまった。

flower治療を終えて、ヒマラヤ小学校を訪ねた。明日『恩師の日』ということで、子供達が通学途中で摘んで来た野花を沢山くれた。中には葉っぱをくれる子までいた。子供達からこうして慕ってもらえることはとても嬉しい事だ。鼻水を垂らしながら花をくれた子供達に感謝。

今日はクラーク記念国際高校の東京キャンパスの生徒さんから、子供達に手紙が届いた。まず見て楽しむことが大事だと思い、鮮やかな絵の描かれた手紙を子供達に回覧させることにした。絵が大好きな子ども達はスヌーピーなどが描かれた手紙を見て大喜びしていた。ただ単に翻訳をして読み聞かせたのでは、せっかくの手紙も意味をなさないと思う。『クラークのお兄さん、お姉さんが僕達のために絵を描いてくれた。僕達のことを応援してくれているんだ。』と少しずつでも子供達に理解させることがとても大事だと思う。手紙の読み聞かせはヤッギャ校長が担当したが、一行ずつ丁寧に解説を加えながら実に上手く読んでくれた。子ども達は心の底から喜び夢中になっていた。

交流は出来れば肌で感じあえるものが良いと思う。子供達と手を繋ぎ、頭を撫でて『大丈夫、頑張って』と言ってあげること、楽しい時間を共有すること、こうした交流は子供達を勇気づけ、夢に向かって頑張る大きな力となる。手紙での交流は相手が見えないために、どうしても関わりが希薄になってしまうが、今回のように使い方しだいでは大きな効果があると実感した。

里親教育基金では奨学生との交流を希望制にしている。支援者の方の中には、影から子供達を応援したいという方や、途中で手紙が書けなくなると子供達に悪いから、という方もいらっしゃるからだ。奨学生全員が支援者の方と交流出来ない代わりに、ヒマラヤ青少年育英会では、ある奨学生に届いた手紙を他の奨学生も共有することにしている。

先日、今年から就学支援をはじめた奨学生に支援者の方から初めて手紙が届いた。手紙を翻訳して渡すと、奨学生はその手紙を寺子屋で勉強している友達に見せていた。寺子屋の子供達が奨学生を取り囲むようにして全員で手紙に書かれた一字一句を丁寧に読んでいた。交流を通して支援者の方の気持ちが分かると、子ども達は目を輝かせて頑張るようになる。『応援してもらっている』『期待に応えたい。』というような気持ちが芽生えるのだろう。

交流は子供達の夢を育て、夢に向かい頑張る原動力となる。これから交流がもっともっと盛んに行われるよう盛り上げていきたい。夕方、村雨に打たれて、びしょ濡れになった。



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2005年07月19日

天真爛漫

7月19日(火)

朝、往診を済ませた後、あすなろ食堂の会計をお願いしている税理士事務所を訪問。なかなか計算が合わず四苦八苦した。その後、ヒマラヤ青少年育英会の法務を担当している弁護士さんと会い、新年度の事業計画書について打ち合わせを行った。ネパールでは会計新年度が始まり、町中がなんとなく慌しい。

その後、ヒマラヤ小学校を訪問。今日は子供達の授業の様子を撮影した。ホームページを通して、出来るだけ多くの人に子供達の様子をお伝えしたいと思っている。今日は子供達の自然な様子を撮影したいと思い、子供達に気づかれない様こっそり撮影を行ったつもりだが、なかなか上手くいかなかった。子供達の撮影は本当に難しい。

minu放課後、子供達と遊んでいると、突然、もう気が一面に立ち込め、激しい雨が降り出した。突然の雨に子ども達は大喜びしていた。何時も天真爛漫だ。

夕方から往診を2件済ませた後、あすなろ食堂で食事。その後、奨学生宅を慌しく訪問した。期末試験を控え、どの子供達も夜遅くまで勉強を頑張っていた。子供達の努力には何時も感心してしまう。



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2005年07月18日

サッカー教室

18日(月)

朝、久しぶりに中央郵便局へ行った。改装工事が終わり見違えるようにすっかり綺麗になった中央郵便局。友人を訪ね、新しい環境について尋ねると、綺麗になったけど、システムが前のままなので効率はちっとも変わらないと苦笑いで返事が返ってきた。コンピューターも導入される予定だが、何時になるかは分からないとの事だった。何ともネパールらしい、のんびりした話。

footballその後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。今日は子供たち念願のサッカー教室を開催した。教師役のナレシュさんは元サッカー選手。生憎の雨模様にも係わらず、子供達へパスの仕方やリフティングの仕方など丁寧にご指導いただいた。1時間足らずの練習であっという間にリフティングが上手になる子供達を見て、いささか驚いた。その後、簡単なドリブルゲームなども行われ、子供達は泥んこになりながら夢中になってボールを追いかけていた。

以前からヒマラヤ小学校ではスポーツに力を入れたいと考えている。ただヒマラヤ小学校の敷地は狭く、なかなかスポーツの授業を開催できずにいた。現在、ヒマラヤ小学校の隣接地に公園の建設を予定しているが、完成後にはヒマラヤ小学校だけでなく村の子供達がおもいっきりスポーツを楽しめる環境を整備したいと思う。

汗と雨で顔を光らせながら、日が暮れるまでボールを追いかけた子供達。きっとスポーツを通して子供達の夢も大きく育つと確信している。

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2005年07月17日

代役

7月17日(日)
朝、往診を済ませた後、昼から、今年SLCを終えて11学年へ進学する奨学生の学校説明会に参加した。奨学生は母子家庭で母親は字の読み書きが出来ないため、今日は僕が保護者の代役で参加した。

じっとしている事が出来ない性分なので説明会の長い話にはうんざりしたが、隣で瞳を輝かせながら一生懸命説明を聞いている奨学生を見ると、とても嬉しくなった。奨学生にとって勉強を続けられる喜びは、僕にはきっと想像も出来ないくらい大きなものだろう。何とか保護者としての役目を終えて帰宅。

その後、ブンガマティ村の寺子屋を訪ねた。今日は子供達がダンスを披露する日だった。僕のような観客でも、いると嬉しいようで子供達は嬉しそうにダンスを踊っていた。寺子屋の子供達も日々、成長している。数ヶ月前と比べ、明らかに表情が豊かになった。皆、仕事を追え、汗で顔を光らせながら寺子屋へ集まってくる。寺子屋で勉強している間、子供達は何ともいえない美しい笑顔をしている。何とか子供達が学校へ通えるよう、出来る限り応援をしたいと思う。

歯科治療を終えた後、奨学生宅を訪問して領収書を受け取った。今日、訪ねた奨学生宅には電気がないため、奨学生は蝋燭の明かりの下で勉強していた。奨学生の傍では幼い弟達が可愛い顔をして眠っていた。この奨学生も今年、SLCを受験する。なんとか奨学生の蛍雪の功が実って欲しい。



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2005年07月16日

新聞切り抜き

7月16日(土)

朝、数件の往診を済ませた後、帰宅。溜まっていた新聞記事の切抜き作業を行う。ここのところ雑用に追われているため、ゆっくり新聞に目を通すだけの余裕がなかった。普段は新聞社のホームページで見出しだけを見て過ごしているため、教育や医療の細かい問題やニュースを間違いなく見逃していた。

2か月分の新聞に目を通しながら関係記事を切り抜く作業は、簡単なようでとても体力のいる作業だ。今日は何とか1か月分の作業を終えたが、終わった頃には、すっかり首筋が凝ってしまった。

その後、ケナフ会議の計画書や関係団体へ提出する協力要請書、また会議前に配布するパンフレットの作成に追われた。文章の作成作業ばかりしているようだけど、メンバーの中で自宅にPCがあるのは僕だけなので、出来ることで貢献したいと思っている。

急増する仕事に対して処理能力が追いつかなくなっている。出来ればもう少し時間が欲しいなぁと思う今日この頃。




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2005年07月15日

折助根性

7月15日(金)
朝からヒマラヤ小学校へ。今日は学校の隣接地に建設を予定している公園の看板が出来る予定だったので、撮影のため朝から準備を進めた。念のためヒマラヤ小学校の用務員さんに看板の運送をお願いしていたに、肝心の看板が12時を過ぎても到着しない。何とか雨が降る前に写真撮影を終えなければならかったので、急遽、ヤッギャ校長と看板屋を訪ねることにした。

看板屋に着くと用務員さんが暢気にお茶を飲みながら看板屋の主人と話し込んでいた。僕達に気がつくと、ハリさんは、『しまったぁ〜』という顔をしながら、未だ看板を運んでいない理由を話し始めた。どうも看板が乾いていないことが理由らしい。今朝、看板の仕上がり具合を見たヤッギャ校長は、少しくらい乾いてなくても運ぶように用務員さんに指示していたそうだ。

用務員さんは今までに2度、同じような失敗をしている。一度目は夜間の警備担当者として勤務していたとき、酒を飲んで熟睡していたこと。2度目は、朝、酒を飲んで仕事に来たこと。1度目の失敗のときはヤッギャ校長の判断で直ぐに夜間勤務を解雇した。確か2度目は口頭注意の上、帰宅指示が出たと思う。

どんな人間にだって折助根性はあると思う。特に今日のようなケースはネパールでは日常茶飯事なので、僕など溜息息混じりに笑ってしまった。しかしヤッギャ校長は僕とは違い、用務員さんに始末書を提出させた上で厳しく注意し、もし同じような問題を再び起こした場合は厳しく対処する旨を伝えた。

ヤッギャ校長の話では、学校では子供達に約束を守ることの大切さを伝えているため、教職員はその事を重く受け止め、子供達に行動で示すことが何より大事であること。また雇用関係にはある種の『厳しさ』や『緊張感』が必要であると話していた。

確かに現在のネパールの公立学校や役所では緊張感が殆どなく、全て馴れ合いで済ませる雰囲気がある。その結果が、今の社会的な批判に繋がっているように思う。『優しさと厳しさ』は全てに共通する事なのかもしれない。今まで様々な職種で経験を積んできたヤッギャ校長には『馴れ合い社会』が齎す結果がよく分かっているのだと思う。ヤッギャ校長の行動を僕は心から支持したい。

2時からサダナと合流し、ケナフ会議開催に向けたミーティングを行った。今日は日本語通訳のボランティアと会場への申請書を作成し、サダナの署名で提出した。その後、会場で使う看板や表彰用の盾などの打ち合わせを行った。一つのことを成し遂げるには、本当に多くの人たちの協力が必要であることを痛感する。残された時間は短いが頑張りたい。



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2005年07月14日

寺子屋

7月14日(木)

朝、往診を3件済ませて帰宅。明日は子ども環境ケナフ会議の打ち合わせがあるため、打ち合わせの資料作りを行った。資料を作りながら、会議までに遣らなければならない作業を拾い上げていくと、気が遠くなるほど多くの仕事が残っていることに改めて気がついた。しかし慌てても解決するものではないので、一歩ずつ着実に進めていくしかない。週に1回の会議をより効果的に行うため、気を引き締めたい。

午後3時からヒマラヤ小学校へ。放課後、子供達と遊んだ。小さな子供達は抱えあげて貰うことがとても好きだ。しかし調子に乗って子供達を抱えあげていると次の日は必ず筋肉痛なってしまう。今日は『鬼ごっこ』で勘弁して貰ったが、途中、足が縺れて何度もこけてしまった。子供達の元気さにはとても敵わない。

その後、久しぶりに寺子屋を訪問した。出来れば毎日でも寺子屋に顔を出したいのだが、ここの所、雑用に追われて訪ねる機会がなかった。子供達は久しぶりに訪ねてきた僕を見て照れくさそうにはにかんでいた。『字の読み書き出来る?勉強がんばっている?』の問いには皆が一斉に『出来ま〜す』と元気良く答えていた。これから時間の許す限り寺子屋に顔を出して、子供達一人ひとりの成長を見たいと思う。

今日は子供達から沢山の元気を貰った。


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2005年07月13日

らーめん

7月13日(水)

朝からクリニックで治療。今日は患者さんの数が極端に少なかった。どうも患者さんたちは田植えで忙しい様子。時間が出来たため、患者さんの資料を整理した。5年分の資料に目を通しながら今まで治療に訪れた患者さんのことを思い出していると、感慨深いものがあった。

その後、家へ帰り、ホームページのレイアウトの修正作業を行った。少しずつは作業が進んでいるものの、やはり量が多いので先が見えない状態。それでも先日、友人から『ホームページが見やすくなったよ』とメイルがあり、とても嬉しかった。何とか頑張りたい。

今日は久しぶりにチャーシューとラーメンを作って食べた。あすなろ食堂のことで、昨年の冬は暫くラーメンつくりに凝っていた。カトマンズ市内で手に入る乾麺を全て試食したが、あまり美味しいものは見つからなかった。一昨日、新しい市内のスーパーで新しい乾麺を見つけたので、早速、試して見た。今までの乾麺に比べると美味しかったが費用の面で問題が残るため、あすなろ食堂で取り入れるのはまだ難しいと思う。来週はスミさんにも食べて貰おうと思う。



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2005年07月12日

悠々緩緩

7月12日(火)

学校の隣接地に『こども公園』の建設を目指して準備を進めているが、建設予定地に看板を設置するため、看板屋さんと学校で10時に会う約束をしていた。ネパールの習慣から10時に来ないことは予想できたが、結局、彼が学校へ来たのは4時半だった。悠々緩緩としたネパール人らしい行動に怒りを通り越して感心してしまった。

その後、ヤッギャ校長とパタン市内のイベント企画会社を訪ねた。前回、相談した会社とは折り合いがつかなかったため、今日は別の企画会社を訪ね相談して見た。ケナフ会議は世界でも初めての開催となるため、出来る限り会議の大まかな部分は専門家に任せ、内容に力を入れたいと考えている。そのためにも信頼できるイベント企画会社の協力が不可欠だ。今日、訪ねたイベント会社も残念ながら見積もりが大きすぎて、折り合いがつかなかった。なかなか難しい。





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2005年07月11日

ヒマラヤ小学校始業

7月11日(月)

朝からブンガマティ村のヒマラヤ小学校を訪問した。今日は全児童が登校し本格的な始業となった。どの子供達も元気そうでなにより。今日は以前、ボランティアに参加された小学校の先生から教わった、植物を使った授業を行った。今日も子供達が学校周辺の植物を集め、全員が集めた植物について発表。その後、植物をつかって思い思いの作品を作った。お金を掛けなくてもアイデア次第で、こんなに素晴らしい授業が出来る。もっともっと勉強しなければいけない。

その後、先日届いた電柱を子供達と一緒に設置した。ホームページでも紹介した通り、教職員で電柱の設置作業を進めていたとこと、子供達が駆け寄ってきて自主的に作業を手伝ってくれた。特に1、2年生のヤンチャな男の子達は石を集めたり、重い電柱を担いだりと一生懸命手伝ってくれた。本当に良い子達だ。

今日の電線工事で2階校舎の建設に不足していた電圧が確保でき、問題なく作業を進めることが出来るようになった。今日から工事も再開した。一日も早い校舎の完成が待ち望まれている。

夕方から往診を2件済ませた後、歯科医院で治療。その後、再び往診へ出かけた。流石に疲労困憊感があったため、帰宅後、直ぐに休んだ。


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