2005年06月

2005年06月29日

病魔

6月29日(水)

朝、クリニックの元患者さんが癌を患い療養中という話を聞いて、お見舞いに行った。患者さんは75歳の女性でネパール語がまったく話せないため、クリニックには何時も孫達がネワール後の通訳として付き添っていた。とても優しく気持ちの良い方で、お互いに言葉がまるっきり分からない中でも気持ちがとても通じ合い、一緒によく笑った。膝関節症の治療が終わった時には、ネパール語で『ありがとう』という言葉と共に仏像をプレゼントしてくれた。僕にとって忘れることの出来ない患者さんの1人だ。

医師からは既に『余命半年』と告げられたという話を聞いて不安が募り、何か自分に出来ることはないか考えながら、患者さんの家へと急いだ。

部屋では患者さんがベッドで休んでいた。僕に気がつくと痩せこけた体を起こし、何時もの優しい笑顔で僕を迎えてくれた。うる覚えネワール語で『体調はどうですか?』と尋ねると、首を振りながらネワール後で答えていた。はっきりとした意味は分からなかったが、どうも体調はあまり良くない様子だった。同行してくれた孫に通訳をお願いし、ブンガマティ村に学校を開校したこと、今年のマチェンドラナートの祭りのことなど、暫く他愛のない会話をした。随分、体力も衰えている様子だったが、僕が滞在している間中、身を起こして話を聞いてくれた。

病魔は、いつでも、誰にでも、襲ってくると分かっていながらも、やはり実際に自分の周囲の人が病気に苦しんでいる姿を見ると胸が痛む。せめて患者さんに苦痛がないことを願いたい。




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2005年06月28日

進学先決定

6月28日(火)

朝、奨学生、ヤッギャ校長、長女のサンギャちゃんと共に進学先の学校を訪ねた。奨学生の一人とサンギャちゃんは同じ学校へ進学する事が決まり、今日は入学手続きを行った。ヤッギャ校長と共に学校長へ挨拶に行くと、奨学生の現状を理解していただき入学金を25%下げてくれることとなった。ありがたい。

その後、先日の学校訪問で臨床検査技師の勉強に興味を持った2人が、ナショナル・マルティプルキャンパスに進学することを決めたため学校を訪問。入学手続きを行った。

少しずつ奨学生の進路が決まりとても嬉しい。皆、一生懸命考えた上での決定だけに、必ず良い結果を残してくれると思う。別れ際に奨学生が『ありがとう。絶対にがんばります。』と言ってくれたことが、とても嬉しかった。

今週末には他の奨学生の入学試験も予定されている。SLCが終わってから喜ぶ間もなく、奨学生の進学先のことで追われたが、ようやく落ち着きそうだ。来週にはあすなろ食堂でささやかなお祝いをしたいと考えている。


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2005年06月27日

二宮金次郎

6月27日(月)

朝、中央郵便局へ行き郵便物を送った。今日から郵便料金が値上げされた。値上げは予想を遥かに超えていたため驚いた。値上げに対する不満の声も多いようで、カウンターで郵便局員と喧嘩腰で文句を言っている人もいた。まだ内装工事も終わっていない中での値上げは、僕もあまり納得できない。やはり実際にサービスの向上が実践されなければ、市民も納得しないのではないかと思う。

昼から往診を行った。ヒマラヤ小学校が夏休みに入ったため、これから暫くの間、往診に力を入れようと考えている。往診先で患者さんとの会話が弾み楽しかった。

夕方からは奨学生宅を訪問した。どの子も期末試験前で勉強を頑張っていた。しかし折からの水不足の影響で水汲みに何時もの数倍の時間が掛かり、なかなか勉強に割く時間が足りない様子だった。奨学生全員の家には上水道がない。皆、学校を終えた後に水を汲みに出かけるのが日課だ。一度、小学生の水汲みを手伝ったことがあるが、上水道が当たり前の生活している僕には、とても務まらなかった。

水桶を方脇に抱え、教科書を読みながら歩いている奨学生。さながらネパール版・二宮金次郎と言っても過言ではないと思う。この努力がきっと報われる日が来ることを心から願っている。



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2005年06月26日

意見交換

6月26日(日)

奨学生を集めて進学先についての意見交換を行った。水曜日に受験し合格した一人を除いて、まだ完全に進学先を絞りきれていないようだったので、それぞれの意見を交換して見ることにした。

これまで訪問した学校についても、それぞれが異なる印象を持っていることが興味深かった。奨学生が一番心配しているのは授業料のことで、どの奨学生も迷惑を掛けたくないとの気持ちが強い様子だった。奨学生には一部の高額な私立学校を除けば、どの学校も授業料に大きな違いはないので、心配しないように告げた上で、勉強についていけるか、楽しく学べるか、一生懸命頑張れるか、そういう点で判断してはどうかと指導した。授業料については、自分の出来る社会貢献をすることで還元するように伝えた。

今日の意見交換はとても有意義だった。それぞれの意見を聞くことで迷いもなくなり、確信を持てたのではないかと思う。来週には進学先を決め、入学手続きを行い予定。



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2005年06月25日

あすなろ慰労会

6月25日(土)

朝、往診を2件済ませた後、帰宅。今日は携帯電話の電源を切って、溜まっている雑用を一気に片付けることにした。何とか午後3時過ぎに雑用を終えることが出来た。その後、部屋の掃除やら新聞の切り抜きなど他の雑用をしている内に、すっかり日が暮れていた。

夜はあすなろ食堂の慰労会。スミさん、ワグレさん、そしてムヌさんと共にタメルへ出かけた。スミさん達も久しぶりの外出だったようで、とても喜んでくれた。あすなろ食堂のこと、学校のこと、友人のこと、結婚のこと、人生のこと、いろいろと面白い話が弾んだ。皆、それなりに悩み、そして一生懸命生きていることを実感した。




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2005年06月24日

夏休み

6月24日(金)

朝からヒマラヤ小学校を訪問した。今日は夏休み前の最後の授業だった。これからネパールでは田植えの時期を迎える。田植えは家族全員が参加する行事のため子供たちも忙しい。ヒマラヤ小学校では田植えの時期を選んで夏休みにした。放課後、子ども達全員に靴を配布した。その後、先生達と子ども達を見送った後、帰宅。

昼過ぎからネパール語の授業。今日は流行歌の聞き取りと翻訳を行った。毎回、複雑な祭りについての翻訳授業が中心なので、今日のような授業はなかなか楽しい。以前の歌は、村の男性が女性を冷かす様な面白い内容が多かったように思うが、最近の流行歌は、どうも男子の失恋の歌が多い気がする。女性の立場が少しずつでも上がっている証拠だろうか。

その後、3件の往診を済ませた後、帰宅。ここ最近、国際交流・ボランティアに関する問い合わせが多い。皆さん、ただ単に子どもが好きという方もいれば、将来、教員を目指している方、ボランティアに興味があるという方、それぞれ理由は異なっていても、こうした活動に関心を持ってくれることは嬉しい。ぜひ、1人でも多くの人に来ていただいて、素晴らしい交流活動を実現して欲しいと思う。



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2005年06月23日

学校見学会3

6月23日(木)

今日はボトジャトラ祭り(Bhoto)で休日だった。雨を迎える山車祭りマチェンドラナートも今日で終わる。

今日も先日に引き続き学校見学会を開催し、私立・政府共に2校ずつ訪問した。これまで10校以上を実際に訪問したことで学校への質問事項や確認する点がはっきりしてきたため、今日の学校訪問はとても楽だった。奨学生達も進学先が決まりつつある中で、表情が真剣になってきている。

僕が奨学生と同じ16、17歳の頃は、何の目的もないまま高校へ通っていた。ただ,漠然と海外へ行きたいなぁという希望だけ持っていた。結果としてその事が切欠となり鍼灸という道に繋がった事は幸運だったと思う。もちろんその当時、今やっている就学支援なんて想像すら出来なかった。それだから人生は面白いのかもしれない。奨学生が悩んでいる姿を見ていると、ふと自分の高校時代と重なった。




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2005年06月22日

鍼による癌治療

6月22日(水)

朝、クリニックで治療。今日は咽頭癌の患者さんが治療に来た。放射線治療の副作用と思われる頭痛が主訴だった。鍼で癌が治るのか?という質問をよく受ける。今日も患者さんの家族から同様の質問を受けたが、とても難しい質問だ。実際に僕が担当させていただいた癌の患者さんの中で鍼治療によって癌が完治した、という症例は1件もない。しかし頭痛や吐き気、癌の痛みなどの症状が軽減または回復した、という症例は何件かある。今日の患者さんの家族からの質問には、実例を挙げてゆっくり説明した。なんとか希望を棄てないで欲しいと思う。

昼から中央郵便局へ行き郵便物を投函した。郵便局に勤める友人の話によると、近々、郵便料金が大幅に値上がりするらしい。値上げ分のサービス向上に期待したい。

その後、ヒマラヤ小学校を訪問した。子ども達の元気な顔を見ると疲れも何処かへ消えてしまう。幼稚園クラスの新入生達もすっかり学校生活に慣れ、楽しそうに勉強していた。担任のムヌさんも、子ども達の著しい成長を目にして、だんだんと教師としての自覚が芽生えてきたように思う。子ども達の写真を撮りながら、子ども達一人ひとりの将来を創造して見ると、なかなか楽しいものがある。

夕方、一旦帰宅して、再度ブンガマティ村へ。今日はヤッギャ校長の次女プラティギャちゃんの13歳の誕生日。ヤッギャ校長の自宅で、家族とプラティギャちゃんの友達3人が集まり誕生会を開催した。プラティギャちゃんは聡明な女の子で、話がとても上手だ。今日も良く笑わせて貰った。

ヤッギャ校長の子ども達の誕生日は6月に集中しているので、ヤッギャ校長も大変だ。これで全員の誕生会が終わり、ヤッギャ校長もほっとした様子だった。



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2005年06月21日

学校訪問2

6月21日(火)

日曜日に引き続き、今日もカレッヂ見学会を開催した。子ども達の表情も真剣そのもの。日曜日の見学会がとても良い影響を与えた様で、どの奨学生も質問事項をきちんと纏めていた。

今日、訪問したのはサダナや現役の学生から推薦を受けた学校。私立学校ということもあって、設備は何処も良かった。しかし費用の面ではとても全員を私立校へ送ることは不可能だ。どの学校も優秀な生徒には奨学金を出すようだが、なかなか難しいのが現実。今まで公立校で学んできた奨学生だけに私立校の設備には憧れを抱く様子だったが、高額私立校では説明を十分聞くこともなく、そそくさと立ち去った。

私立校は費用が掛かる分、授業や設備の質も良い。公立校は費用が安い代わり授業が継続的に行われなかったり、先生達の中にはやる気がちっとも感じられない人もいる。学校選びは本当に難しい。

今年、ヒマラヤ青少年育英会として初めてSLC受験生を送り出したが、今回は試験的に1stDivisionで受かった奨学生には(高額ではない)私立校で勉強する機会を与えることにした。これは受験生に目標を持たせることで、SLCを乗り切る原動力にして欲しいことと、勉強で結果を残した子ども達には良い環境で学ばせたいとの思いからだ。結果的に1stDivisionで合格したのは2名だったが、2nd-Divisionで合格した奨学生の多くが、あと数パーセントで1stDivisionに達する成績を残した。この方法が良かったかどうかはもう少し検討が必要だが、結果を見る限りでは良い影響があったように思う。

夕暮れ時、騒がしい町並みを見下ろす場所でジュースを飲みながら奨学生と雑談した。どの子も、やはり進学には相当の不安があるそうだ。僕の進学体験を尋ねられたが、何となく決めたような記憶しかないので、とても奨学生の参考にはならないが、5年後、10年後、こうなりたいなぁという希望を元に判断したらどうかと話した。悔いの残らないように頑張って欲しい。



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2005年06月20日

6月20日(月)

朝、ネパール電話公社に出かけ電話回線の修理を依頼。以前から電話の調子が悪く、インターネットでは電話回線を使っているため、途中で接続が切断されるなどの問題が起きて困っていた。1ヶ月前にも修理を依頼したが、何も改善されていない。今日は証拠としてビデオを持参し精一杯苦情を伝えた。知人の『偉い人』にもお願いし、何とか1週間以内に修理することを約束してもらった。

昼からヒマラヤ小学校を訪問。ヒマラヤ小学校ではモンゴル先生を中心に子ども達が演劇の練習をしている。日本の皆さんからご寄贈いただいた絵本を少しアレンジして、ネパール風の寸劇を作っている。今後、保護者会などで発表する予定にしている。

子ども達にとっては劇など初めての経験なので難しいかなぁと、心配していたものの、実際にやらせて見ると上手に演じる子ども達が多く驚いた。将来的には全校児童が参加できる演劇を子供達と一緒に創作して見たいと思う。

夕方、ヤッギャ先生、モンゴル先生と学校のことで話し合った。今後、どういう風に学校運営を進めていくかなど、とても建設的な意見が交換できた。



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2005年06月19日

学校見学会

6月19日(日)

SLCを合格した『里親教育基金』の奨学生を集めカレッヂ見学会を開催した。ヤッギャ校長と愛娘のサンギャちゃん(SLC合格)も同行。

SLC(10年生終了時に受ける全国統一卒業認定試験)の後、学生達は『Intermediate』や『プラス2』と呼ばれる2年間の後期高等教育を受けるが、ここで学生達はそれぞれ専門科目を選択しなければならない。科学、商業、人文、教育の4つが主な選択肢だが、少なすぎる選択肢から選ぶことは16歳の子ども達にとって容易なことではないと思う。将来の道を決める大事な時期だけに、夢と学力などを総合的に見て冷静な判断が求められる。

まずは看護師を目指している奨学生のためにナショナル・マルティプルキャンパスを訪問した。学長から直接、学校についての説明を受けた後、進学に関する様々なアドバイスを頂いた。近年、看護師を目指す学生が増えているため看護学校入学は競争が厳しいそうだ。仮に看護師になっても看護師過剰気味の昨今、就職できるかどうか分からないとのこと。現実を知ることはとても大事なことだと思う。今まで憧れだけだった看護師という仕事の厳しい現状を知ることで、奨学生の表情に大きな変化があった。

ナショナル・マルティプルキャンパスの学長は、元々検査技師で博士号を取得した方だ。学校でも18ヶ月間の検査技師の基礎を学ぶコースが用意されている。自身の専門ということもあり、検査技師という仕事に遣り甲斐があることや、何でもコースを終えた学生には100%の就職を保障してくれるとのことで、随分お勧めの様子だった。また仕事を続けながら更に3年間、学ぶことが出来るとのことだった。

ヒマラヤ青少年育英会の里親教育基金では、子ども達の夢を応援することを一番の目的にしている。出来る限り子ども達の一人ひとりの描く夢を叶えたいと考えている。しかし貧困の国ネパールでは、夢よりも経済的な自立をすることの方がとても大事だ。たとえ看護師になる夢が叶っても、経済的に自立できなければ意味がない。複雑な思いだが、将来の経済的な自立をどうしても優先的に考えてしまう。

今日、学校見学に参加した奨学生の一人スリスティは、とても穏やかで素直な性格の女の子だ。今回SLCに合格はしたものの、成績が思っていたよりも振るわず少し落ち込んでいた。スリスティも看護師になりたいと希望していた1人だが、彼女のSLCの成績と性格を僕なりに判断して、検査技師の道を勧めて見た。スリスティ自身も学長の話を聞いて検査技師に興味を持ったようで、ぜひ勉強したいとの返事だった。

その後、数校を訪問。将来、客室乗務員を目指し進学先では英語を学びたいと言っている奨学生も訪問した学校が気に入った様子で、早速、来週にも入学試験を受けることが決まった。

こうして子ども達の進路に係わっていると、就職や進学指導を担当する日本の先生達の日頃の苦労がとても良く分かった気がした。まだまだ進学先が決まっていない子供たちは多いが、何とか子ども達の希望を叶えられるよう頑張りたい。今週は3回ほど見学会を開催する予定。



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2005年06月18日

家庭訪問

6月18日(土)

朝、往診を3件済ませ帰宅。PCをいじっている内に、ホームページのレイアウトを変更しようと決心。今までプリントする時にバランスが崩れるなどの問題があったので、少しずつでもそういった点を直していきたい。まずはヒマラヤ小学校通信とケナフ通信から修正していく予定。

体調は完全には回復していななかったものの、どうしても家に篭ることが出来ない性格なので、夜、再び往診に出かけた。往診を2件済ませた後、奨学生を訪問した。出来る限り毎日、奨学生の家庭訪問を続けている。訪問することで奨学生のことをより理解し、また奨学生や親にも僕らの活動を理解してもらうことが出来ると思っている。奨学生や親との信頼関係を築くことは、教育支援活動を行う上でとても大切なことだと思う。

今日、訪問した奨学生宅も厳しい現状を抱えていた。母親と娘3人の母子家庭で小さな家に肩を寄せ合い生活している。病院の清掃員として働いている母親は病気がちで、とても3人の娘を学校へ送るだけの経済的な力は無い。母親が教育を受けていないことは、現状を更に厳しくしているようだ。

3人の娘達は、つぶらな瞳を輝かせながら無邪気にじゃれあっていた。母親は厳しい現状を嘆きながらも、娘達が学校で学べることをとても喜び、『娘達には教育を受けて欲しい。決して自分のようにはなって欲しくない』と話していた。家庭訪問では厳しい現状を目の当たりにすることが多い。しかし現状を知らないまま、就学支援だけをしていては何の意味もないと思う。僕達に出来ることはとても小さなことだけど、少しでも奨学生や母親を勇気付けられたらと思う。




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2005年06月17日

サシナの涙

6月17日(金)

朝からヒマラヤ小学校を訪問。昨日、子ども達がケナフの観察を行ったようで、子ども達から『なぜ昨日、来なかったの〜?ケナフ観察したよ』と自慢気に言われた。ケナフ観察では色々な発見があったようで、子ども達から聞く話がとても楽しかった。

職員室でヤッギャ校長と話をしていると、2年生のサシナが『頭とお腹が痛いです』と辛そうな表情を浮かべてやって来た。水曜日にも同様に体調不良を訴えていたため帰宅を促したが、学校で休みたい、と言って帰宅しなかった。今日もヤッギャ校長がサシナに帰宅して休むよう勧めると、サシナは首を振って、学校に残りたい、と言った。サシナの不安げな表情を察したヤッギャ校長が『家で何かあったの?』と優しく尋ねると、サシナは突然、涙を流し泣きはじめた。

サシナには軽度の知的障害がある。そのことが原因で、どうもサシナは親から暴力を振るわれているらしい。サシナは涙を流しながら、『家に帰ったら怒られる。お母さんは弟だけを大事にしている。』と訴えていた。ヤッギャ校長の話では、サシナの親はサシナの将来を絶望視しているそうだ。水曜日にはヤッギャ校長のアドバイス通り、サシナが母親にヘルスポストへ連れて行って欲しいと頼むと、母親はそんなお金はないと、サシナに暴力を振るったそうだ。何とも胸の痛くなる話だ。

泣き止まないサシナを休ませ、早速、ヤッギャ校長とサシナの家を訪ねた。農作業から帰ってきたばかりなのか、汗で顔を光らせた母親にサシナに対する暴力について尋ねると、『サシナはちっとも言うことを聞かない。だから叩いただけ。あんな病気を持っている子なんて産まなきゃよかった』と、興奮気味に答えた。質問を続けたが、どんな質問にも『サシナが病気だから』としか答えず、ヤッギャ校長の話の通り、母親がいかに絶望的になっているのか良く分かった。ヤッギャ校長が母親に『この2ヶ月半でサシナは変わりましたよ。学校へ来れば必ず良くなるから、暴力を振るうことだけはやめてください。今度、サシナへの暴力を確認したら学校として警察へ通報します』と、伝えサシナの小さな家を後にした。

社会福祉整備が著しく遅れているネパールで、障害児を持つことがどんなに大変なことか、よく分かる。しかし全ての望みを棄ててはいけないと思う。学校として出来ることはなにか、やはり職業訓練を通して、将来、サシナが経済的に自立できるようにすることが大事だと思う。まだまだ道のりは長く険しいことを痛感した。


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2005年06月16日

進路

6月16日(木)

朝、SLCの合格者を集め、今後の進路について話し合った。みんな『鉄の門』とよばれる難関試験を突破できて安心した表情だった。特に1stDIVISIONで合格した奨学生は、『がんばったね』と声を掛ける度に、自然と涙が頬を流れ落ちた。奨学生によると試験に合格できた事よりも、SLCを受けるまで学校へ通えたことが本当に嬉しいらしい。そんな話を聞くとヒマラヤ青少年育英会として子ども達の就学を支援できて、本当に良かったなぁとつくづく思う。奨学生がそれぞれ蛍雪の功を積んだ甲斐があって、SLC合格という夢が達成し人生の第一歩踏み出すことが出来たことは素晴らしいことだ。もちろん全ては支援者の方の暖かいご理解とご協力そして励ましがあってのこと。

奨学生にそれぞれ進路について尋ねると、どの子も進学を希望していた。ヒマラヤ青少年育英会では原則としてSLCまでの教育支援としている。しかし現状としてはSLCを終えただけでは、今後、様々な困難が予想される。2年前から試験的にSLCを終えた数名の学生へ教育支援を行っているが、10年生までと違い、費用が一人当たり数倍高くなってしまう。こうなるとSLC以降、全員の支援をすることは難しいのが現状だ。何か良い案はないか、急いで検討しなければならない。

夕方から往診を3件。まだ体調は本調子ではないが、何とか往診をこなすことは出来る。先生によるとアレルギー性の疾患のようだが、夕方になると一時的に熱が出るため、感染症ではないかと少し心配になる。3年ほど前に2ヶ月あまりの辛い入院経験したので、気をつけたい。




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2005年06月15日

鼻かぜ

6月15日(水)

朝、クリニックで治療。体調不良で暫くクリニックを休んでいたため、久しぶりの治療となった。患者さんから体調についていろいろと心配していただき、申し訳なく思った。やはり自分の体調管理をきちんとしなくてはいけない。

昼過ぎにヒマラヤ小学校を訪ねた。子供たちは相変わらず元気一杯。やんちゃな子供たちが鼻水を啜っている僕の真似をして楽しんでいた。なんとも可愛らしい子ども達。

その後ブンガマティ村周辺の学校を訪ね、ケナフの生長ぐあいを調べた。どの学校もきちんと手入れがされてあり、ケナフはすっかり大きくなっていた。ある学校では、畝の周りに『ぜったい触るな!』などと立て札が掛けられていた。子ども達がケナフを大切にしている証拠だと思う。

夕方から奨学生宅を訪ねた。奨学生の多くは現在、夏休みに入っている。どの子供たちも慢性的な水不足で影響で何時間も並んで水汲みに行っている様子。家庭の仕事を手伝いながらの勉強は、やはり大変だと思う。

その後、往診を3件。鼻水を啜る僕を見て、生姜入りの紅茶を出してくれたり、鼻がスッとする薬草をくれたりと、患者さん家族の心遣いがとても暖かい。



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2005年06月14日

SLC

6月14日(火)

早朝、SLCを受験した奨学生から『受かった!!』と、喜びの電話が掛ってきた。思いがけない電話に驚いたが、ニュースをつけて見ると2061年のSLCの成績発表が行われた様子だった。

その後も受験生や関係者から電話が掛ってきて、次々と受験生の結果が報告された。今年、ヒマラヤ青少年育英会として初めてSLC受験生を送り出した。結果は思いのほか良く、奨学生1人を除いて全員合格という快挙だった。合格率38%の厳しい試験だったが、見事合格した子ども達には心から祝福を送りたい。特に公立学校からの合格者が低い中で、皆、よく頑張ってくれたと思う。残念ながら合格できなかった奨学生も、数学の点数が2点足りなかったそうで、再試験を受ける権利があるとのこと。なんとか頑張って欲しい。

SLCの合格者は成績によって1stDivision(60%以上)〜3rdDivision(32%以上45%未満)に分けられる。日頃の努力が実り、見事に1stDivisionで合格した子。受験資格試験では1stDivisionを取得したものの、本番では残念ながら2ndDivisionとなった子。3rdDivisionで何とかぎりぎり合格できた子など様々だが、合格できたことが何よりも嬉しい。

今日はサダナと会ってケナフ活動の打ち合わせ。今後のネパールでのケナフ活動のため団体を組織することとなり、ヒマラヤ青少年育英会の副会長ムクンダ・ビスタ氏に協力を要請したところ、快く引き受けてくれた。ぜひサダナさん達、若い人の力が思う存分発揮できる団体を構築したい。サダナさん達も理事会に加わる予定。名称はKenaf Development Nepal (KDN)

その後、サダナさんとヒマラヤ小学校を訪ねた。今回も環境授業が行われ、子ども達から笑顔が溢れていた。それにしてもサダナさんの能力の高さには驚くばかり。サダナさんの今後の活躍に大いに期待している。


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2005年06月13日

少し回復

6月13日(月)

まだ完治ではないものの体調が少し回復したため、溜まっている仕事を片付けた。

昼過ぎにスミさんのあすなろ食堂を訪ねると、スミさんが特性の栄養満点料理をご馳走してくれた。唐辛子が沢山入っていたので汗を沢山かいた。汗をかいたせいか、食べ終わった後はとってもすっきりした気分になり、喉の痛みも軽減したような感じがした。スミさんの心遣いに感謝。

夕方、ネパール語の授業を受けた。新しく購入したラナ家に関する本の翻訳に挑戦しているが、なかなか難しい。それでもネパール語から翻訳すると英文で読むよりも遥かに解り易い。何とか翻訳を完成させたいと思う。

夜、先日、果物を差し入れしてくれた奨学生の家を訪問しお母さん達にお礼をした。どの家庭でも体調を気遣ってくれて、湖沼入りのお茶をいただいた。こうして暖かいお心遣いを頂くことは、本当にありがたい。早く完治させて、活動を頑張りたいと思う。



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2005年06月12日

差し入れ

6月12日(日)

昨日に引き続き、風邪で寝込む。少しは良くなっている様子だけど、やはり熱や喉の痛み、そして倦怠感が治まらない。昼過ぎ、見舞いに来てくれた奨学生達が果物を差し入れしてくれた。それにしても教育支援をしている奨学生はどの子もとても優しい。これは僕達の自慢だ。皆それぞれを辛い体験を持っているだけに、人の苦しみが良く理解できるのかもしれない。奨学生の心遣い、とても嬉しかった。


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2005年06月11日

体調不良

6月11日(土)
風邪を引きながらも仕事を続けていたせいか、今日、ついに熱が出てしまった。朝から倦怠感と咳、鼻水に苦しむ。普段、あまり風邪など引かないだけに辛い。先週、突然ふりだし雨に濡れたのが悪かったのかもしれない。夕方まで休む。

体調管理が出来ていないということは、緊張感が欠如している証拠。猛省したい。




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2005年06月10日

交流活動

6月10日(金)

午前中にソウラ・ユバック小学校でケナフの種まきを行った。今回の種蒔きにはソウラ・ユバック小学校の児童の他にも、学校の隣にある障害者施設の子供たちも参加した。ケナフ栽培に障害を持つ子供たちが参加したことで、更に意義のある活動になったように思う。障害を持つ子ども達が喜んでくれたことが何よりだった。

午後1時から第2回目の教育勉強会を開催した。まずは担任の先生達から子ども達一人ひとりの変化についての報告があったが、どのクラスの子供たちも短期間で大きな成長が見られ本当に嬉しい。これも先生達の日頃の努力の成果だと思う。

その後、今後の学校の取り組みについても話し合われ、劇の完成と村めぐり、シラミ退治の開催が決まった。

2月以降、日本からボランティアの参加がまったくない状態が続いている。昨年、日本人ボランティアの皆さんによる交流活動が盛んに行われ、子ども達の夢を大きく育てた。ヤッギャ校長はじめ教職員全員もボランティアによる交流活動に大きな期待を持っているだけに、ぜひボランティアの皆さんによる交流活動を充実させたいとの声が多く上がった。

子ども達からも『日本のお兄さん、お姉さんはいつ来てくれますか?』との質問を受ける回数が最近、特に増えている。子供たちはボランティア皆さんとの交流をとても楽しみにしていることもあり、ぜひ多くのボランティアの皆さんに参加して欲しいと思う。

昨年新しく開校したアットマーク国際高校でもネパール・ボランティア授業を開催しています。ぜひ若い人や社会経験の豊かな人たちに参加して欲しいと思います。
興味のある方はこちらへ


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