2005年05月
2005年05月11日
実行力
朝からクリニックで治療。明日からマチェンドラナートが始まるせいか、患者さんの数は少なかった。患者さんの数が少ない分、一人ひとりの患者さんへゆっくり時間を掛けて治療する事が出来た。
クリニックの後、スミさん達とカトマンズ市内のスーパーへ買い物に出かけた。今日は電子レンジを買う予定で出かけたものの、スミさんが店を回っている内、欲しいものが沢山出てきたようで、日を改めて買い物へ来る事になった。こういう場所では特に、スミさんの女の子らしさが窺える。
その後、ヒマラヤ小学校へ向った。土曜日の休校日を含め、3日間学校へ行かなかっただけなのに、ずいぶん長い間、学校へ行っていないような不思議な感じがした。毎日、短い時間でもヒマラヤ小学校へ行き子供達の元気な声を聞く事が、すっかり日常生活の一部になっている。学校へ行くと心が落ち着く。
学校では何時も通り子供達が楽しそうに勉強していた。先週の金曜日に開催した教育勉強会の中で、もっと絵などを使った授業に力を入れようと話し合ったが、早速、各クラスで実証物を使った授業が実行されていた。2年生の英語の授業では『笑顔、泣き顔、怒った顔、悲しい顔』などのお面を作り、それぞれの英単語を覚える授業が行われていた。 子供達の反応もとても良く、先生達も一生懸命アイデアを出し合って頑張っている様子だった。
ヒマラヤ小学校は『実行力』では決して他校に引けをとらないと確信している。先生達が常に子供達のことを一番に考える姿勢が、ヒマラヤ小学校を良い方向へ導いていると思う。
9日(月曜日)のブログで書いた祭事は、神像を沐浴、再彩色する儀式ではなく、儀式の行われたコトゥワール・ダハという場所が、印度のアッサムから連れてきたマチェンドラナート(国王の108番目の子)を、印度へ連れ戻そうとする鬼と、印度から連れてきたバクタプールの国王、祈祷師(?)、ボッカの3名との間で押し問答を行った場所との事でした。マチェンドラナートをこの場所で喜ばせ、パタンに連れてくるという儀式とのことです。ネパールの祭りはとても複雑で、何度聞いても覚える事が出来ません。ブログ記事でご迷惑をお掛けした方がいらっしゃいましたら、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
クリニックの後、スミさん達とカトマンズ市内のスーパーへ買い物に出かけた。今日は電子レンジを買う予定で出かけたものの、スミさんが店を回っている内、欲しいものが沢山出てきたようで、日を改めて買い物へ来る事になった。こういう場所では特に、スミさんの女の子らしさが窺える。
その後、ヒマラヤ小学校へ向った。土曜日の休校日を含め、3日間学校へ行かなかっただけなのに、ずいぶん長い間、学校へ行っていないような不思議な感じがした。毎日、短い時間でもヒマラヤ小学校へ行き子供達の元気な声を聞く事が、すっかり日常生活の一部になっている。学校へ行くと心が落ち着く。
学校では何時も通り子供達が楽しそうに勉強していた。先週の金曜日に開催した教育勉強会の中で、もっと絵などを使った授業に力を入れようと話し合ったが、早速、各クラスで実証物を使った授業が実行されていた。2年生の英語の授業では『笑顔、泣き顔、怒った顔、悲しい顔』などのお面を作り、それぞれの英単語を覚える授業が行われていた。 子供達の反応もとても良く、先生達も一生懸命アイデアを出し合って頑張っている様子だった。
ヒマラヤ小学校は『実行力』では決して他校に引けをとらないと確信している。先生達が常に子供達のことを一番に考える姿勢が、ヒマラヤ小学校を良い方向へ導いていると思う。
9日(月曜日)のブログで書いた祭事は、神像を沐浴、再彩色する儀式ではなく、儀式の行われたコトゥワール・ダハという場所が、印度のアッサムから連れてきたマチェンドラナート(国王の108番目の子)を、印度へ連れ戻そうとする鬼と、印度から連れてきたバクタプールの国王、祈祷師(?)、ボッカの3名との間で押し問答を行った場所との事でした。マチェンドラナートをこの場所で喜ばせ、パタンに連れてくるという儀式とのことです。ネパールの祭りはとても複雑で、何度聞いても覚える事が出来ません。ブログ記事でご迷惑をお掛けした方がいらっしゃいましたら、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
hsf at 20:15|Permalink│
2005年05月10日
休息
朝、雑用を一気に済ませた。2日も開けてしまうと何かと雑用が溜まってしまう。それでも何とか短時間で雑用を片付けることが出来て良かった。昼過ぎに帰宅。山歩きの疲れもあったので、今日は夕方まで休みを取り惰眠にふけようと決心して寝たが、1時間もしない内に患者さんから電話があり起きる事となった。
束の間の休息だったものの体調はすっかり回復、往診先では満足のいく治療が出来た。最後に訪問した患者さん宅では話が弾み、結局3時間近く過ごした。
夜お腹が空いたため、急いであすなろ食堂へ向かった。あすなろ食堂は既に閉店していたが、スミさんが快く食事を作ってくれた。こんな時あすなろ食堂はありがたい。
束の間の休息だったものの体調はすっかり回復、往診先では満足のいく治療が出来た。最後に訪問した患者さん宅では話が弾み、結局3時間近く過ごした。
夜お腹が空いたため、急いであすなろ食堂へ向かった。あすなろ食堂は既に閉店していたが、スミさんが快く食事を作ってくれた。こんな時あすなろ食堂はありがたい。
hsf at 20:13|Permalink│
2005年05月09日
村から帰宅
早朝、寝不足のまま祭りを見学した。ネパール人々は信心深く、祭事をとても大切にしている。今日開催された祭りは、今月中旬から始まる山車祭り『ラト・マチェンドラナート』を前に、神像を再彩色・沐浴するために村からパタンへ運び出すものだった。巡礼者の人達も寝不足の筈なのに、儀式の間ずっと元気だった。
午前6時過ぎに村を出発、帰りは行きと異なる古道を通り、出来るだけ多くの村々を訪ねながら帰ることにした。古道では黄金色の麦畑が昨夜の雨で更に輝きを増していた。
初めに訪ねた村は丘に出来た集落で、やはり全体的に子供達の状態は良くなかった。村には政府の小学校があるが、教育はほとんど普及していない様子だった。村の人々に尋ねると村に中学校はなく隣村まで歩いて通うしかないとの事だった。
その後に訪ねた村は、バウン、チェットリの人達が暮らしている村だった。こちらは農地の状態もよく、村自体も周辺の村に比べると少しだけ豊かに思えた。しかし村に医療施設はなく交通事情を考えると、この村も陸の孤島のような感じを受けた。
歩き続けること3時間余り、ようやくブンガマティ村のファルシドール地区に到着。1時間ほど待っていると、ようやく1本のバスが来た。超満員のバスに揺られ無事ブンガマティ村に到着した。
慌しく過ぎた1泊2日の実態調査だった。もう少し時間を掛けて村の実態を調べたかったが、まずは村々の様子を見る事が出来ただけでも大きな収穫だった。この貴重な体験を今後の活動に活かしたいと思う。
午前6時過ぎに村を出発、帰りは行きと異なる古道を通り、出来るだけ多くの村々を訪ねながら帰ることにした。古道では黄金色の麦畑が昨夜の雨で更に輝きを増していた。
初めに訪ねた村は丘に出来た集落で、やはり全体的に子供達の状態は良くなかった。村には政府の小学校があるが、教育はほとんど普及していない様子だった。村の人々に尋ねると村に中学校はなく隣村まで歩いて通うしかないとの事だった。
その後に訪ねた村は、バウン、チェットリの人達が暮らしている村だった。こちらは農地の状態もよく、村自体も周辺の村に比べると少しだけ豊かに思えた。しかし村に医療施設はなく交通事情を考えると、この村も陸の孤島のような感じを受けた。
歩き続けること3時間余り、ようやくブンガマティ村のファルシドール地区に到着。1時間ほど待っていると、ようやく1本のバスが来た。超満員のバスに揺られ無事ブンガマティ村に到着した。
慌しく過ぎた1泊2日の実態調査だった。もう少し時間を掛けて村の実態を調べたかったが、まずは村々の様子を見る事が出来ただけでも大きな収穫だった。この貴重な体験を今後の活動に活かしたいと思う。
hsf at 07:24|Permalink│
2005年05月08日
村を訪問
午後3時半、ブンガマティ村を出発してドゥクチャップ村周辺の実態調査に出かけた。ドゥクチャップ村はカトマンズ盆地内に位置しているものの、交通の不備もあり教育が著しく遅れている村だ。特にドゥクチャップ村の山間地帯の集落は貧しく生活が大変厳しいと聞いていたため、以前から訪ねたいと思っていた。今回、祭りが開催される事もあり、ヤッギャ校長先生に無理を聞いていただき訪問が実現した。
片道3時間の道のりは穏やかで、思ったほどきついものではなかった。道端に群生する植物などを観察しながら先生達とゆっくり歩いた。途中、丘を登りきった場所から眺める黄金色に光った麦畑がとても綺麗で印象的だった。普段、街で生活していると、直面する問題にばかり眼が向いてしまい、ネパールの良いところなどすっかり忘れてしまう。風に揺れて波打つ麦畑を眺めながら、普段の生活を反省した。
予定通り3時間後には目的地の集落へ着いた。電気すらない集落では、旅行者が訪れるトレッキングルート上の村とは違い、何もかも昔のままの生活が営まれていた。今日は祭りに訪れた巡礼者で賑やかだったが、普段はとても静かな集落だという。同じ盆地にありながら、集落の人々にとってカトマンズは異国のようにすら感じるのかもしれない。
今日は民家の軒先を借りての野宿となった。ヤッギャ校長の話では、集落の軒先は巡礼者達のために普段から開放されているらしい。巡礼者を暖かくもてなすことが集落で昔から続く習慣とのことだった。突然訪れた僕達を家主は暖かく迎えてくれ、焚き火の薪から鍋まで快く貸し出してくれた。
焚き火の傍で横になり夜空を眺めていると、今後、自分自身が歩むべき道について、脳裡を一抹の期待と不安がかすめた。もともと暢気な性格なので実行など出来ないと分かっていながらも、遣りたいことが山ほど出来たのは良かったと思う。
途中、雨が降り出したため大勢の巡礼者が軒先に集まり、夜通し賑やかだった。結局、ほんとんど寝ることが出来ないまま夜が明けた。
片道3時間の道のりは穏やかで、思ったほどきついものではなかった。道端に群生する植物などを観察しながら先生達とゆっくり歩いた。途中、丘を登りきった場所から眺める黄金色に光った麦畑がとても綺麗で印象的だった。普段、街で生活していると、直面する問題にばかり眼が向いてしまい、ネパールの良いところなどすっかり忘れてしまう。風に揺れて波打つ麦畑を眺めながら、普段の生活を反省した。
予定通り3時間後には目的地の集落へ着いた。電気すらない集落では、旅行者が訪れるトレッキングルート上の村とは違い、何もかも昔のままの生活が営まれていた。今日は祭りに訪れた巡礼者で賑やかだったが、普段はとても静かな集落だという。同じ盆地にありながら、集落の人々にとってカトマンズは異国のようにすら感じるのかもしれない。
今日は民家の軒先を借りての野宿となった。ヤッギャ校長の話では、集落の軒先は巡礼者達のために普段から開放されているらしい。巡礼者を暖かくもてなすことが集落で昔から続く習慣とのことだった。突然訪れた僕達を家主は暖かく迎えてくれ、焚き火の薪から鍋まで快く貸し出してくれた。
焚き火の傍で横になり夜空を眺めていると、今後、自分自身が歩むべき道について、脳裡を一抹の期待と不安がかすめた。もともと暢気な性格なので実行など出来ないと分かっていながらも、遣りたいことが山ほど出来たのは良かったと思う。
途中、雨が降り出したため大勢の巡礼者が軒先に集まり、夜通し賑やかだった。結局、ほんとんど寝ることが出来ないまま夜が明けた。
hsf at 23:06|Permalink│
2005年05月07日
昼寝
明日からの実態調査を前に英気を養おうと、昼過ぎまでに仕事を済ませ3時間ほど昼寝をした。熟睡出来たこともあり、すっかり疲れが取れた。それにしても、たった数時間の昼寝でこんなにも体が軽くなるとは。睡眠が何事にも勝る良薬であることを再確認。
夕方から数件の往診治療を行い、奨学生宅を訪問した。来週、奨学生や寺子屋の子供達を集めて、年一回恒例の親睦ピクニックを予定している。昨年は開催出来なかったため、今年は一人でも多くの子供達が参加できるようにしたいと思う。今日訪ねた奨学生達もピクニックをとても楽しみにしている様子。子供達がそれぞれ親睦を深めて、お互いの頑張る力になることを願っている。
夕方から数件の往診治療を行い、奨学生宅を訪問した。来週、奨学生や寺子屋の子供達を集めて、年一回恒例の親睦ピクニックを予定している。昨年は開催出来なかったため、今年は一人でも多くの子供達が参加できるようにしたいと思う。今日訪ねた奨学生達もピクニックをとても楽しみにしている様子。子供達がそれぞれ親睦を深めて、お互いの頑張る力になることを願っている。
hsf at 16:15|Permalink│
2005年05月06日
積極的な係わり
午前中に中央郵便局へ行き郵便物を投函。知人に助けられ、80通全てを短時間で投函することが出来た。現在改装工事中の中央郵便局だが、知人の話によると改装工事を終えた後はコンピューターが導入され、手続きがスムーズになるとのことだった。本当だと嬉しい。
昼からヒマラヤ小学校で開催された『ヒマラヤ小学校・教育勉強会』に参加した。チームワークを大切にするヤッギャ校長の提案で始まった勉強会だが、先生達の間で活発な意見交換が行われ、とても有意義な勉強会となった。勉強会の後、ヤッギャ校長とお茶を飲みながら、勉強会が単なる井戸端会議で終わらないため、プラスαが必要だと話し合った。教育勉強会と併せて、先生達が個々の能力を存分に発揮できる環境の整備を進めていきたい。
夕方、今年のSLCを終えた奨学生達を集め、今後について話し合った。どの奨学生も進学を希望しているものの、どの方向に進めば良いのか途方に暮れている様子だった。ネパールでは10年生を終えれば、日本でいう大学へ進学することとなる。大学では専攻科目を選ばなければならない。奨学生にとって将来を決める大事な時期だけに迷うのも仕方ない。
今日会った奨学生達は、以前行っていた『社会見学会』などに積極的に参加していたため、他の奨学生よりも社会に対する視野が広い。その分、将来目指す職業の選択肢が多い。しかし通常のネパールでは、子供達や女性が地域社会から出る機会がとても少ない。そのため、地域社会にあるものしか見た事がなく、社会を見る視野がとても狭くなっている。
普段から奨学生と積極的に係わり彼らの性格や能力を理解していると、アドバイスをするのに大いに役立つ。今日も奨学生それぞれの大まかな希望を聞きながら、自分なりにアドバイスをしてみた。
やはり支援する子供達の数を増やすのではなく、支援する子供の数を少なくして、もっと子供達と積極的に係わっていく方が良いと思う。ただ貧しい子供達を学校へ送る支援ではなく、彼らの人生に深く係わっていくことで、支援を受けた奨学生達が将来、活動に協力してくれることが一番だと思う。支援活動も大きく変化すべき時期に差し掛かっている。
昼からヒマラヤ小学校で開催された『ヒマラヤ小学校・教育勉強会』に参加した。チームワークを大切にするヤッギャ校長の提案で始まった勉強会だが、先生達の間で活発な意見交換が行われ、とても有意義な勉強会となった。勉強会の後、ヤッギャ校長とお茶を飲みながら、勉強会が単なる井戸端会議で終わらないため、プラスαが必要だと話し合った。教育勉強会と併せて、先生達が個々の能力を存分に発揮できる環境の整備を進めていきたい。
夕方、今年のSLCを終えた奨学生達を集め、今後について話し合った。どの奨学生も進学を希望しているものの、どの方向に進めば良いのか途方に暮れている様子だった。ネパールでは10年生を終えれば、日本でいう大学へ進学することとなる。大学では専攻科目を選ばなければならない。奨学生にとって将来を決める大事な時期だけに迷うのも仕方ない。
今日会った奨学生達は、以前行っていた『社会見学会』などに積極的に参加していたため、他の奨学生よりも社会に対する視野が広い。その分、将来目指す職業の選択肢が多い。しかし通常のネパールでは、子供達や女性が地域社会から出る機会がとても少ない。そのため、地域社会にあるものしか見た事がなく、社会を見る視野がとても狭くなっている。
普段から奨学生と積極的に係わり彼らの性格や能力を理解していると、アドバイスをするのに大いに役立つ。今日も奨学生それぞれの大まかな希望を聞きながら、自分なりにアドバイスをしてみた。
やはり支援する子供達の数を増やすのではなく、支援する子供の数を少なくして、もっと子供達と積極的に係わっていく方が良いと思う。ただ貧しい子供達を学校へ送る支援ではなく、彼らの人生に深く係わっていくことで、支援を受けた奨学生達が将来、活動に協力してくれることが一番だと思う。支援活動も大きく変化すべき時期に差し掛かっている。
hsf at 02:40|Permalink│
2005年05月05日
通学路
往診と中央郵便局での雑用を済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪問した。授業中の校舎からは子供達の元気な声が響き渡っていた。教室を覗いてみると新入生達がすっかり在校生と打ち解け、仲良く勉強していた。
新入生24名の内、11名は隣村から1時間以上の道のりを通学している。急な坂道の続く道のりを、小さな子供達がどのような思いで通学しているのか、とても気になる。勉強が苦手で学校が大嫌いだった僕なら、きっと諦めているだろう。今週の日曜日には実態調査を兼ね、子供達の暮らす村を徒歩で訪ねることとなった。バイクで訪ねるのとは違い、きっといろんな発見があると思う。今から楽しみだ。
夜は焚き火を囲んで先生達と食事をした。ヒマラヤ小学校では新学期以来、子供達の怪我が2件、そして先日の強盗事件と問題が多発している。起きた問題から何をどれだけ学び、今後にどう活かしていけるのか、今、問われていると思う。先生達と一緒に食事をして、スクラムを組み直すことが出来たように思えた。
新入生24名の内、11名は隣村から1時間以上の道のりを通学している。急な坂道の続く道のりを、小さな子供達がどのような思いで通学しているのか、とても気になる。勉強が苦手で学校が大嫌いだった僕なら、きっと諦めているだろう。今週の日曜日には実態調査を兼ね、子供達の暮らす村を徒歩で訪ねることとなった。バイクで訪ねるのとは違い、きっといろんな発見があると思う。今から楽しみだ。
夜は焚き火を囲んで先生達と食事をした。ヒマラヤ小学校では新学期以来、子供達の怪我が2件、そして先日の強盗事件と問題が多発している。起きた問題から何をどれだけ学び、今後にどう活かしていけるのか、今、問われていると思う。先生達と一緒に食事をして、スクラムを組み直すことが出来たように思えた。
hsf at 23:23|Permalink│
2005年05月04日
大雨
早朝からクリニックで治療。大雨にも拘らず大勢の患者さんが訪れてくれた。金曜日とは違い、慌しい治療となったが、患者さんとの会話も弾み楽しく治療することが出来た。重症筋無力症を患い3年以上もクリニックへ通っている女性から、近く結婚する事が決まったと報告を受けた。体調面で結婚後の生活に不安があるとの事だったが、何とか頑張って欲しいと思う。
その後、バイクで往診に出かけたが、大雨で3度もびしょ濡れになってしまった。流石に疲労困憊感もあったが、気を引き締め直し全ての往診を終えた。夜遅く、新しく購入した教科書の領収書を受け取りに奨学生宅へ出かけた。雨漏りがする部屋では、長年の苦労のせいか実際の年齢よりも随分年老いて見える母親が、体調を崩して寝込んでいた。何時もは底抜けに明るい奨学生も、心なしか不安げな表情をしていた。
貧しい子供達の就学支援をしていると、何かと考えさせられる事が多い。帰宅途中の雨は、一層冷たく感じられた。
ヒマラヤ小学校通信を更新しました。
2階校舎建設アーカイブスを更新しました。
その後、バイクで往診に出かけたが、大雨で3度もびしょ濡れになってしまった。流石に疲労困憊感もあったが、気を引き締め直し全ての往診を終えた。夜遅く、新しく購入した教科書の領収書を受け取りに奨学生宅へ出かけた。雨漏りがする部屋では、長年の苦労のせいか実際の年齢よりも随分年老いて見える母親が、体調を崩して寝込んでいた。何時もは底抜けに明るい奨学生も、心なしか不安げな表情をしていた。
貧しい子供達の就学支援をしていると、何かと考えさせられる事が多い。帰宅途中の雨は、一層冷たく感じられた。
ヒマラヤ小学校通信を更新しました。
2階校舎建設アーカイブスを更新しました。
hsf at 23:23|Permalink│
2005年05月03日
強盗被害
早朝、ヤッギャ校長からヒマラヤ小学校に強盗が入ったとの知らせを受けた。ネパールの人々は人懐っこく大らかな性格であるため、『小学校に強盗が入った』と言われても、暫くピンとこなかった。僕自身、ネパールに暮らし始めて7年が過ぎようとしているが、今まで身の危険を感じた事もなく、周囲に強盗が入ったとの話も聞いたことが無かった。もちろん日々のニュースの中で強盗事件が起きている事を聞いたことはあったが、あくまでも他人事のようにしか感じていなかった。
ヒマラヤ小学校を訪ね実際に荒らされた現場を見た時、その大胆な手口から匪賊の仕業であることを実感した。起きてしまったことを嘆いても仕方ないが、学校を狙った悪質な手口には憤りを感じる。
宿直のモンゴル先生に怪我がなかった事は不幸中の幸いだった。
奪われた現金1500ルピーは『こども福祉基金』として、子供達から毎月5ルピーずつを集めたお金の一部だった。『こども福祉基金』は、病気をした子供の医療費、また貧困家庭へ子ヤギの提供を行う相互扶助のために創設したものだ。ネパールの村では、日雇い労働に従事する男性が日銭を家庭に入れず、そのまま酒に使ってしまう事が多い。基金は子供の内から貯金の大切さを身に着けて欲しいとの願いも含まれている。子供達の貴重な基金が奪われたことは管理側の責任も大きい。今回の事件では僕達も猛省しなければならない。
ヒマラヤ小学校を訪ね実際に荒らされた現場を見た時、その大胆な手口から匪賊の仕業であることを実感した。起きてしまったことを嘆いても仕方ないが、学校を狙った悪質な手口には憤りを感じる。
宿直のモンゴル先生に怪我がなかった事は不幸中の幸いだった。
奪われた現金1500ルピーは『こども福祉基金』として、子供達から毎月5ルピーずつを集めたお金の一部だった。『こども福祉基金』は、病気をした子供の医療費、また貧困家庭へ子ヤギの提供を行う相互扶助のために創設したものだ。ネパールの村では、日雇い労働に従事する男性が日銭を家庭に入れず、そのまま酒に使ってしまう事が多い。基金は子供の内から貯金の大切さを身に着けて欲しいとの願いも含まれている。子供達の貴重な基金が奪われたことは管理側の責任も大きい。今回の事件では僕達も猛省しなければならない。
hsf at 14:04|Permalink│
2005年05月02日
全ては人
朝から雑用に追われる。雑用に追われたまま、昼からヒマラヤ小学校を訪ねた。
今日は2階校舎の屋根にコンクリートを流す予定だったが、生憎の雨で作業は明日に延期となった。コンクリートを流す作業は工事の中で一番重要なだけに、気が抜けない。先生達と細かい点まで再点検して明日の作業に備えた。
昼休みを挟んで、マナさんによるピアニカの授業が行われた。マナさんは、先日チョラ・チョリの皆さんからご指導いただいた指導法を忠実に守りながら、熱心に子供達に教えていた。マナさんは誠実で前向きな性格が周囲から高く評価されている。今日のピアニカ授業も、マナさんの性格がそのまま反映されている素晴らしい内容だった。
ヒマラヤ小学校が開校して1年、多くの方々から善意のご協力を頂き、少しずつ学校の形が出来つつある。音楽授業も以前から、ぜひ実行したいと考えていたものの、なかなか実行に至らなかった。今回、チョラ・チョリの皆さんのご協力を頂き、マナさんがピアニカの演奏を憶え、その知識を子供達に伝えている。これはとても素晴らしい流れだと思う。
授業の後、マナさんが嬉しそうな笑顔で『私は2曲しか演奏できないので、早く他の曲も覚えたい』と話していたのが印象的だった。
知識や技術を教えてくださる方と、その知識や技術を有効に活かす人がいれば、本当に大きな力となる。やはり全ては人だと思う。
夕方、あすなろ食堂を訪ねた。今日はスミさん達の2回目の給料日。スミさんの努力が実を結び2ヶ月目も良い成績を残すことが出来た。スミさんを見ていると、コツコツ努力を積み重ねることが夢の実現に繋がることを実感する。僕も小さな努力を積み重ね、頑張りたい。
今日も良い日となりました。
ヒマラヤ小学校通信を更新しました。どうぞご覧ください。
今日は2階校舎の屋根にコンクリートを流す予定だったが、生憎の雨で作業は明日に延期となった。コンクリートを流す作業は工事の中で一番重要なだけに、気が抜けない。先生達と細かい点まで再点検して明日の作業に備えた。
昼休みを挟んで、マナさんによるピアニカの授業が行われた。マナさんは、先日チョラ・チョリの皆さんからご指導いただいた指導法を忠実に守りながら、熱心に子供達に教えていた。マナさんは誠実で前向きな性格が周囲から高く評価されている。今日のピアニカ授業も、マナさんの性格がそのまま反映されている素晴らしい内容だった。
ヒマラヤ小学校が開校して1年、多くの方々から善意のご協力を頂き、少しずつ学校の形が出来つつある。音楽授業も以前から、ぜひ実行したいと考えていたものの、なかなか実行に至らなかった。今回、チョラ・チョリの皆さんのご協力を頂き、マナさんがピアニカの演奏を憶え、その知識を子供達に伝えている。これはとても素晴らしい流れだと思う。
授業の後、マナさんが嬉しそうな笑顔で『私は2曲しか演奏できないので、早く他の曲も覚えたい』と話していたのが印象的だった。
知識や技術を教えてくださる方と、その知識や技術を有効に活かす人がいれば、本当に大きな力となる。やはり全ては人だと思う。
夕方、あすなろ食堂を訪ねた。今日はスミさん達の2回目の給料日。スミさんの努力が実を結び2ヶ月目も良い成績を残すことが出来た。スミさんを見ていると、コツコツ努力を積み重ねることが夢の実現に繋がることを実感する。僕も小さな努力を積み重ね、頑張りたい。
今日も良い日となりました。
ヒマラヤ小学校通信を更新しました。どうぞご覧ください。
hsf at 04:20|Permalink│
2005年05月01日
栄養摂取、実現に向けて
朝から頭痛に苦しむ。首の後ろがズキズキと痛み、立ち上がると痛みが増す最悪の状態だった。暫く休んでいると痛みが治まったので、一気に2階校舎増築アーカイブスを更新した。
こんな素人作りのホームページでも、楽しみにして下さる方がいることはとても嬉しく、何時も勇気付けられている。見てくださる方が何時アクセスしても常に新しい情報があり、毎日、見たくなるようなページにしたいと何時も願っている。そう思いながら、なかなか更新できていないのが実情。なんとか頑張りたい。
今日は一昨日のブログでも書いた、子供達の栄養摂取について医師の先生に相談した。先生からも実行に賛成して頂き、牛乳・果物・卵の他、2ヶ月に1度、栄養価の高い豚肉を出すと良いとのご指導を頂いた。また先生からは、虫下しのサンプル薬を集める協力まで頂いた。
子供達の栄養が不足している現状は医療キャンプ等でも良く見かける。村に暮らす子供達は保健衛生に関する知識がほとんどなく、常に危険と隣り合わせで生活している。更に栄養不足は危険に追い討ちを掛けているように感じられる。子供達の厳しい現状を見ると寒心に堪えない。実行までには未だ課題も沢山残っているが、一歩ずつ着実に進めていきたい。
こんな素人作りのホームページでも、楽しみにして下さる方がいることはとても嬉しく、何時も勇気付けられている。見てくださる方が何時アクセスしても常に新しい情報があり、毎日、見たくなるようなページにしたいと何時も願っている。そう思いながら、なかなか更新できていないのが実情。なんとか頑張りたい。
今日は一昨日のブログでも書いた、子供達の栄養摂取について医師の先生に相談した。先生からも実行に賛成して頂き、牛乳・果物・卵の他、2ヶ月に1度、栄養価の高い豚肉を出すと良いとのご指導を頂いた。また先生からは、虫下しのサンプル薬を集める協力まで頂いた。
子供達の栄養が不足している現状は医療キャンプ等でも良く見かける。村に暮らす子供達は保健衛生に関する知識がほとんどなく、常に危険と隣り合わせで生活している。更に栄養不足は危険に追い討ちを掛けているように感じられる。子供達の厳しい現状を見ると寒心に堪えない。実行までには未だ課題も沢山残っているが、一歩ずつ着実に進めていきたい。
hsf at 04:09|Permalink│