2005年05月

2005年05月31日

土起こし

5月31日(火)

朝、クリニックを休んで、溜まっていた雑用を一気に済ませた。いつも雑用を貯めては一気に片付けている。惰性はなかなか断ち切ることが出来ない。

昼からヒマラヤ小学校を訪ねた。今日はヒマラヤ小学校でケナフの種蒔きが予定されていたので、学校へ着くと直ぐに鍬を手に土を起こした。強い日差しが照りつける中、たっぷりと汗をかきながら行う土いじりはとても気持ちよかった。途中から子供達も参加、皆ではびこる雑草を刈り取った。

なんとか午後4時までに畝が出来上がり子供達全員でケナフの種を蒔いた。在校生にはすっかりお馴染みのケナフ。在校生達がケナフを知らない新入生に向って『こ〜んなに大きくなるんだよ〜』などと、ケナフのことを説明している姿が可愛らしかった。今年もケナフの生長に驚く子ども達の姿が見られると思うと、今からとても楽しみだ。

夕方、往診を済ませた後、あすなろ食堂で食事をした。久しぶりに客室での食事だったが、どの料理も美味しかった。開店当時から一定の味を保ち続けているということは、スミさん達の日々の努力の結果だと思う。スミさんに美味しかったと伝えると、恥ずかしそうに微笑んでいた。これからも頑張って欲しい。


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2005年05月30日

郵便事情

5月30日(月)

4月中旬に支援者の方へお送りした手紙が、未だ届いていないとの報せがあった。一瞬『えっ』と、耳を疑ったが、直ぐに『またか〜』と、ため息が出てしまった。以前に比べて随分改善はされたものの、依然としてネパールの郵便事情は悪い。過去、何度も郵便物の紛失が起こり、がっかりさせられた事があった。支援者の方々への感謝の気持ちや、子供達が頑張っている様子は、筆舌では決して尽くせない。駄文ではあるものの、何とか気持ちをお伝えできればと書いた手紙だけに、きちんと届けて欲しい。

昼からヒマラヤ小学校を訪問。順調に進んでいた2階校舎建設も、折からの雨不足の影響で中断気味となっている。漆喰を塗る作業には大量の水が必要だが、数日前からまったく水が出ていない状態が続いている。仕方なく給水車で水を購入して作業を進めていたが、水を買いながら作業を進めていたのでは費用が高くついてしまい、他の工事にも影響を及ぼしてしまう。今日は関係者が集まり、今後の工事について話し合った。何とか雨が降ることを願っている。



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2005年05月29日

多忙な一日

5月29日(日)

今日は慌しい一日となった。朝、簡易的に飲料水を作る活動をしている団体を訪問。簡単な作業で大きな効果がある事が分かり、ぜひブンガマティ村周辺でも普及させたいと思った。その後、環境ジャーナリスト協会を訪ね、ケナフ会議への協力を要請。今後、詳細を進めていくことで纏まった。その後、ケナフ会議の会場を訪問。会場の視察やケータリング等について打ち合わせ。

昼過ぎにヤッギャ校長とブンガマティの隣村コカナ村へ。コカナ村にある公立学校で午後2時からケナフの説明と学生による種蒔きを行った。公立学校では植物観察のような活動が行われていないため子供達は戸惑い気味だったが、ケナフにはとても興味を持ったようだった。ネパールでは公立学校の先生の批判を良く耳にするが、公立学校を訪ねるとその理由が良く分かる気がする。

4時からはブンガマティ村にある私立校での説明会と種蒔きを行った。学校側の全面的な協力もあり、とても良い形で種まきを終えることが出来た。参加した学生からケナフについて様々な質問を受け、関心の高さがうかがえた。

その後、ヒマラヤ小学校へ戻った。昼、給水車の故障で漆喰を塗る作業が中断していたが、今度は電気がショートしてしまい、水を汲み上げることが出来ない状態になっていていた。結局、修復までに長時間かかり、午後8時前にようやく水の汲み上げが始まった。度重なるネパールらしい問題に思わず呆れてしまった。

今日は慌しくも、ケナフの観察活動が2校で始まり安心した。未だ6校での活動が残っているが、一生懸命頑張りたい。


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2005年05月28日

ケナフ会議

5月28日(土)

今日は朝の内に往診治療を済ませ、昼から奨学生達を集めて名画鑑賞会を行った。今日の映画は『大脱走』(ジョン・スタージェス監督)。30年以上前の映画だが、ジェームス・コバーン、チャールズ・ブロンソン、スティーヴ・マックイーンなどの名優の演技が光っていた。やはり名画は何度見ても面白い。子供達からも楽しかったと評判が良かった。次回は同じ俳優が出演している『荒野の7人』を予定している。

午後4時から環境活動に取り組んでいるサダナ、ヤッギャ校長、そしてジャイカ研修生同窓会の知人と会い、今年予定しているケナフ会議について話し合った。有意義な意見が交わされ実り多いミーティングとなった。今回、ヒマラヤ青少年育英会として初めて国際会議を主催するため不安も多いが、サダナさんやヤッギャ校長、また周囲の方々の協力はとてもありがたい。プログラムの作成、会場の準備、子ども達によるケナフ観察など、やるべき事は山積しているが一歩ずつ着実に進めていきたい。

今日は嬉しいニュースが一つあった。サダナが10月に開催される『国連環境プログラム』の国際会議にネパール代表として参加することとなった。サダナは大変聡明な学生で、まだ17歳という若さだが、2001年には西宮市で開催された『アジア太平洋こども環境会議』にもネパール代表として参加した実力の持ち主だ。またコツコツと努力を重ねる努力家でもある。今回、サダナが大きな機会を得たこと本当に嬉しく思う。実力に奢らず直向に努力を重ねているサダナを見ていると、本当にいろんな事を教えられる。ぜひ頑張って欲しい。





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2005年05月27日

教室

5月27日(金)

朝からヒマラヤ小学校を訪問。今日から職員室が教室として子供達に開放された。2階校舎の建設は順調に進んでいるものの、建材不足による出足の遅れが響いてしまい、結局、新学期までに竣工させる事ができなかった。新学期以降、幼稚園の2クラスが一緒に一つの教室を使っているが、唯でさえ落ち着きの無い園児達を前に2つの異なる授業をする事は容易な事ではない。先週から2階校舎の漆喰作業が始まったことを受け、来週、暫定的に職員室を2階へ移動させることが決まり、今日から1階職員室の開放が始まった。今日から各クラス単独の授業が行われ、子供達も集中して授業を受けていた。

昼からは栄養摂取プログラムが始まった。開校当初からずっと実現したいと思っていたので、今日は大きな一歩となった。今後、専門家の人たちとも相談しながら意義ある活動にしたいと思う。子供達が嬉しそうに卵を食べている姿が印象的だった。

先月から空手を習っている1年生のラケシュに道着が贈られた。空手を習い始めて1ヶ月、ラケシュは随分、明るい性格になった。声も出るようになり友達も出来たようだ。空手を続ける中で多くの事を学んで欲しいと思う。

夜は知人の娘さんの誕生会に参加。ヒマラヤ小学校の子供達と同じ年齢くらいの子供達が沢山いて、こちらも賑やかだった。調子に乗って子供達と遊んでいると、くたくたに疲れてしまった。

ヒマラヤ小学校通信ケナフ通信を更新しました。ぜひご覧ください。


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2005年05月26日

ダンス三昧

5月26日(木)
朝、雑用を済ませた後、中央郵便局へ行った。今日は人が少なかったため知人の手を借りなくてもあっという間に手続きが終わった。

往診を2件済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪ね、27日(金曜日)に予定している栄養摂取プログラムについて打ち合わせを行った。第一回目は『牛乳と卵』になりそうだ。ネパールの子ども達、特に村に暮らす貧しい子ども達の栄養状態は悪い。そのため年齢に比べて体が小さい場合が多い。今回の栄養摂取プログラムを通して、村の人々に何らかの提案が出来ればと思う。

子供達を連れて近くの高台まで散歩に出かけた。高台から眺める一望千里の麦畑も収穫期を迎え、農家の人々が農作業に追われていた。ネパールはもう直ぐ田植えの時期を迎える。

夕方、昨日に引き続きブンガマティ村の寺小屋(隻手薬師教室)を訪ねた。どの子供達もつぶらな瞳を輝かせながら一生懸命勉強していた。その後、子供達がどうしても新しく覚えた(自分達で創作した)ダンスを見て欲しいと言いはじめ、急遽、子ども達のダンス大会が始まった。ただでさえ暑い部屋の中で子供達は汗びっしょりになりながら、夢中で踊りを踊っていた。子供達にとって自分達の踊りを誰かに見て貰う事が、一番嬉しいことなのだと思う。結局、子供達は15曲もの歌に合せて踊ったが、まったく疲れていない様子だった。見ている僕とシャム先生は子ども達の元気さに、ただただ唖然としていた。

夕方からは『あすなろ食堂 』で食事をして、往診に出かけた。往診先では患者さんとの楽しい会話が弾み、楽しい時間を過ごすことが出来た。



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2005年05月25日

暑い一日

5月25日(水)
朝からクリニックで治療。今日は大勢の患者さんがクリニックを訪れ大忙しだった。ネパールでの治療活動では衛生面を考慮して使い捨ての鍼を使っている。ネパールでは入手できないため、毎年1〜2度の帰国した折に大量に購入している。昨年11月に帰国した折にも大量の鍼を購入して来たが、そろそろ底をつきそうな状態になってしまった。今日のような感じで患者さんに来られたら、一ヶ月も持たないと思う。なんとか対策を講じなければ。

クリニックでの治療を終えた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。強い日差しが照りつける暑さの中でも子供達は元気いっぱいだ。汗で顔を光らせながらボールで遊んだり、鬼ごっこをしたりと天真爛漫だ。ただただ感心してしまう。

その後、ブンガマティ村周辺でケナフ栽培と観察をする事が決まった2校をヤッギャ校長と訪ねた。両校共に観察をする生徒も決まり、いよいよ日曜日に種を蒔く事が決まった。特にジョティ学校は校長先生のケナフへの関心も高く、積極的に取り組んでくれていてありがたい。ぜひ今年はネパールでのケナフプロジェクトを一歩前進できるよう頑張りたい。

夕方からブンガマティ村にある新しい寺子屋(小川教室)を訪問した。子供達もすっかり慣れて来たようで安心した。担当のサンギャさんもダンス教室を始めるなど、面白い企画をどんどん打ち出してくれている。今後がとても楽しみだ。サンギャさんは将来、女子学校を開いて校長として活躍したいという大きな志を持っている。寺子屋では予算の範囲内で尚且つ、子ども達のために役立つことであれば、何でも出来るような仕組みにしている。ぜひサンギャさんの若さ溢れるアイデアで、楽しい寺子屋を築いて欲しいと思う。

ヒマラヤ小学校通信を更新しました



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2005年05月24日

奨学生紹介

5月24日(火)
朝、里親教育基金の資料整理を行った。子度達の資料に目を通していると、奨学生一人ひとりの事をぜひホームページの中で紹介したいと思った。何とか子ども達の直面している現状や頑張っている姿を皆さんにご紹介できればと思う。

その後、2件の往診を済ませた後、ヒマラヤ小学校へ行った。2階校舎も竣工に向けて順調に進んでいる様子で安心した。建設委員会の責任者でもあるヤッギャ校長と一緒に工事に問題点がないか確認作業を行った。一部、何ともネパールらしい部分もあるが、どれも修正が効くようなので特に問題はなかった。

夕方、スミさんのあすなろ食堂を訪ねたが、丁度、事故で真っ黒になったキッチンの塗装作業が終わったばかりで、今日は休みとのことだった。お腹を空かせたまま、友人と久しぶりにカトマンズの蕎麦屋さんへ行った。蕎麦は僕の好物の一つなので食べた後、すっかり元気が出た。

友人を送った後、奨学生宅を訪ねた。昨日から何度も電話が掛っていたので心配して訪ねて見ると、近所のお姉さんから教わったという『麦わらアート』が完成したので僕にプレゼントしたいとの事だった。少々、形は崩れていても奨学生が一生懸命作った麦わらアート。思いがけないプレゼントをとても嬉しく思った。早速、クリニックに飾ろうと思う。



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2005年05月23日

ストリートチルドレン

5月23日(月)

今日は仏陀生誕の日、所謂『花祭り』でネパールは休みだった。日本での『花祭り』は、地域でささやかに開催される程度だと思うが、(間違っているかも知れません。)仏陀生誕の地(ルンビ二)であるネパールでは、カトマンズ市内の仏教寺院を中心に、どこも花祭りを祝う参拝客で賑わっていた。

賑わいの傍では沢山のストリートチルドレンの子供達が物乞いをしていた。こうした物乞いをする子ども達の数は以前よりも間違いなく増えたような気がする。

普段、プラスティクを集めて生活しているストリートチルドレンの子供達の寝床は、主としてゴミ置き場だ。ゴミの分別習慣のないネパールでは、割れ瓶も生ゴミと一緒に運ばれてくる。そのため足を切って破傷風になる子や、耳にゴキブリが侵入し卵を産み付けられる子など、彼らは常に危険がいっぱいの中で生活している。しかし少しでも多くのプラスティクを集めるためには、ゴミ置き場で生活する必要があるそうだ。

以前、ストリートチルドレンの子ども達を対象にした医療キャンプに参加した事が何度かあるが、どの子供達もなかなか心を開こうとしなかった。

ストリートチルドレンの子ども達の多くは、以前カトマンズ周辺の工場やレストランで児童労働者として働いていたものの、酷い労働環境に耐えられず逃げ出してきたそうだ。工場主などから酷い仕打ちを受けた事で人間不信になっているのかもしれない。

報告によるとネパールには現在、児童労働者が260万人いるそうだ。本来ならば学校へ通って勉強する時期に労働者として働いている子供達。なんとも胸の痛くなる現状だ。

華やかな祭りの傍で悲しそうな顔をしているストリートチルドレンの子供達を見ていると、いろんなことを考えさせられた。










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2005年05月22日

クラス写真

5月22日 日曜日

朝からヒマラヤ小学校へ行きクラス写真の撮影を行った。天候も良く絶好の撮影日和だったが、幼稚園クラスを中心にあっちを向いたりこっちを向いたりと落ち着かず、顔をカメラの方へ向けさせる事に終始苦労した。合計100枚近くの全校写真を撮ったものの、全員がカメラの方(正面)を向いている写真は結局一枚も無かった。

その後、一旦カトマンズへ行き雑用を済ませた後、家で資料の整理に追われた。積み上げられた資料を一枚ずつ確認していく作業は、なんとも苦手な作業だ。ようやく半分を終えた頃には4時半を過ぎていた。今日は午後5時からヤッギャ校長と共に新しく里親教育基金で支援する子供の家の訪問と、2階校舎建設の報告を受ける予定だったので、急いでブンガマティ村へ行った。

新しく支援が決まった子は13歳のアヌーという女の子だった。4人姉妹の次女で大人しい性格の子だった。支援がなければ、今年、小学校を中退することになっていたという。そんな話を聞いて、ささやかながらも就学支援ができて本当に良かったと思った。

2階校舎建設の報告を受けた後、ヤッギャ校長から資料を渡された。資料は幼稚園クラスの担任マナさんとヤムナさんのために作成された教育ガイドラインだった。ヤッギャ校長はマナさんから良く相談を受けるらしい。まだ教員経験1ヶ月余りのマナさんには分からない事だらけだろう。今回、なんとかマナさんが持っている能力を十分に発揮して欲しいと、ヤッギャ校長が何日も掛けてガイドラインを纏めたそうだ。

開校1年のヒマラヤ小学校が予想以上に大きな成果を挙げられたのも、ヤッギャ校長の尽力によるものが大きい。ヤッギャ校長は先生達がお互いに何でも相談でき、また何事にも挑戦できる風通しの良い職場を作りあげた。また何時も若い先生を励まし、正しい方向へと導いてきた。マナさんも今回のガイドラインで仕事がとても遣りやすくなると思う。それ以上にヤッギャ校長のような理解ある上司がいることで、安心して自分の授業に集中することが出来ると思う。

今日は部下のために素晴らしいガイドラインを作成したヤッギャ先生の熱意に改めて感心した。

ヒマラヤ小学校通信を更新しました。どうぞご覧ください。

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2005年05月21日

マチェンドラナート伝説

朝、往診を終えた後にカトマンズ市内の本屋さんを訪ね、マチェンドラナートの伝説に関する本を購入した。先日、ヤッギャ校長から頂いた資料を翻訳した事がきっかけで、マチェンドラナートに関する故事来歴をもう少し知りたくなった。

どの本も書かれてから30年近く経っている古い本だが、未だに売られているという事は愛読者が多い証拠なのかも知れない。内容は大筋で似ていたものの、細かい点が少し違っていた。もちろん伝説だから内容が異なって当然だと思うし、その違いがまたマチェンドラナートを面白くしているようにも思う。時間を作ってぜひ他の本も熟読玩味してみたい。伝説が分かると祭りも断然面白くなってくる。

夕方から再び往診に出かけた。どの患者さんも痛みが少し治まった様で随分喜んでくれた。患者さんに喜んで貰える事が僕にとって一番の励みだ。明日も頑張りたい。

2階校舎アーカイブスを更新しました。


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2005年05月20日

ドゥルガとラクシミ

朝、あすなろ食堂のスミトラさんから電話があり、昨夜、あすなろ食堂のキッチンで問題が起こったと怯えた声で連絡があった。往診をキャンセルし急いで『あすなろ食堂 』へ行って見ると、キッチンの天井と壁が真っ黒になっていた。

スミさんの話によれば、昨夜、直ぐに戻ってくるからと、ガスを消さないまま出来上がった料理を1階に運んだところ、1階にいた常連のお客さんとの会話が弾み、すっかりガスの事を忘れてしまったとの事だった。気がついてキッチンへ戻ると油を入れた鍋から黒煙が昇り、部屋中に充満していたらしい。閉店間際だったためキッチンの窓を閉めていた事も災いしたようだ。幸いにも濡らした布切れをガスパイプに巻いていたため引火せずに済んだが、下手をすれば大惨事にもなりかねない恐ろしい事故だ。

好事魔多し、開店から3ヶ月の気の緩みが事故の一番の原因だと思う。これまで多くの人に支えて頂き、少しずつ社会の一員としての自覚を持ち始めたスミさん達。今回の事故を猛省し、気を引き締め直して頑張って欲しいと思う。涙を流しながら何度も謝るスミさん。彼女の素直な心なら、きっと乗り越えられると確信している。

11時にヒマラヤ小学校を訪問。今日はクラス写真を撮る予定だったが、祭りの影響で欠席者がいたため、後日、日を改めて撮ることになった。その後、急いでカトマンズへ行き雑用を済ませた。何とか雑用を済ませた後、再びヒマラヤ小学校へ戻った。ヤッギャ校長とブンガマティ村周辺の学校を訪ね、ケナフの観察記録帳の配布を行った。どの学校もケナフに興味があるようで、これからの活動がとても楽しみだ。

夕方、寺子屋を訪ねた。寺子屋に通っている12歳の女の子ラクシミが、日本人の方の暖かいご支援で今年から学校へ通える事となった。ラクシミは貧困により3年生で学校を中退したが、どうしても就学の夢を諦めることが出来ず、昨年開校した寺子屋へ熱心に通っていた。

今年から4年生に復学したラクシミに学校生活について訪ねると、活き活きした表情で『とっても楽しい』との返事が返ってきた。同じクラスには、やはり今年から『里親教育基金』の支援を受けたラクシミの姉のドゥルガ(15)も学んでいる。

ネパールでは多くの女性が幼い内に幼児結婚を強いられる。ただでさえ教育を受ける機会の少ない女性が幼い内に結婚すると、教育を受ける機会を完全に失ってしまう。その結果、夫から自立出来なかったり、保健衛生の知識を得られなかったりする。ラクシミの母親も幼い内に結婚したため、教育を受けていない。夫は酒飲みで、家族の面倒を見ることが出来ず蒸発したそうだ。

ラクシミの母親は早朝から夜遅くまで絨毯工場で働いているが、5人の娘を学校へ送るだけの経済的な余裕はない。ドゥルガとラクシミの就学支援の話をした時、母親は涙を浮かべて喜んでいた。教育の大切さを理解している母親がいることはドゥルガとラクシミにとって、とても心強い。2人には母親の気持ちに沿うよう頑張って欲しいと思う。


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2005年05月19日

コーナー延長

朝、中央郵便局へ出かけた。今日も知人に手伝ってもらい、あっという間に沢山の手紙を送る事が出来た。ネパール語で知人の事を『チネコマンチェ』、もっと近い間柄だと『アフノマンチェ 』という。どちらもネパールで生活していく上ではとても大事な存在で、仕事の能率を大きく左右する。知人の協力に感謝。

昨年から某新聞にネパールでの活動について連載させて頂いているが、このたびコーナーの延長が内定したとの嬉しいお知らせを頂いた。ネパールの事を紹介できる貴重な機会を頂き、とても嬉しい。子ども達が直面する窮状や直向に生きる姿など、とても筆舌では尽くせないものがあるが、少しでも現状をお伝えできるように頑張りたいと思う。

昼過ぎから往診を2件済ませた後、スミさんに頼まれ『あすなろ食堂 』の買い物へ出かけ、料理用の日本酒などを購入した。ついでの自分の物も買い物したが、『冬虫夏草茶』という最近販売されたばかりのお茶を見つけたので思わず購入した。早速、家へ帰り飲んで見ると、少し泥臭さのあるものの飲みやすいお茶だった。どれだけ冬虫夏草が入っているか分からないが、体力向上に少しでも役立てば嬉しい。

夜、レストランを訪問。昨日から始まったタイ料理を注文。昨日の試食品よりも美味しかった。人気が出るといいなぁ。スミさんによると来週は新しいメニューが数点出るそうで今から楽しみだ。

その後、奨学生の家を訪ね、学校生活などを雑談。どの子供たちも楽しく学校へ通っているようで安心した。


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2005年05月18日

楽しい学校

朝、クリニックで治療。『マチェンドラナート祭り』の影響で患者さんの数はとても少なかった。治療を終えた後、クリニックの窓から見えるマチェンドラナートの山車をゆっくり観察した。今年は去年と違い、上手く動いている模様。

ネパールに暮らし始めた頃、ネパールの人々が何よりも祭りを優先する習慣にはなかなか馴染めなかった。時間に遅れたり、約束を平気で破っても『今日は祭りだから』と、一言で片付けられ参ってしまったことが何度もあった。

時間も経過するにしたがい、ネパール社会の事が少しずつ分かるようになると、そんな習慣も理解出来るようになってきた。今では、のんびりしたところがネパールの一番の長所だと思っている。

昼からヒマラヤ小学校を訪ねた。放課後、なかなか家へ帰ろうとしない子供たちとボールで遊んだ。遊び終えた後、汗だくになって顔を光らせていた子供たちに、学校について尋ねてみると、皆一様に『楽しい』との返事が返ってきた。友達がいること、先生が優しいこと、勉強ができることなど、理由は様々だが、子供達が学校を『楽しい』と感じていることはとても嬉しい。

子供たちを送った後、宿直のモンゴル先生とゆっくり話をしたが、モンゴル先生も学校はとても楽しいと話していた。働く側にとっても『楽しい』場所であることは、学校が上手くいっている証拠だと思う。

先生と子供たちがお互いに『楽しい』と思える学校。これが学校つくりの基本だと思う。これからも一丸となって『楽しい』学校作りを進めていきたい。




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2005年05月17日

日本語学校

朝、ネパール語の勉強。今日は別の祭りに関する資料を翻訳した。普段、決して使わないような単語を果たして覚える必要があるのか?という迷いもあったが、やはり覚えていた方が得だと思い必死になって暗記した。

昼からは、日本語を習いたいというSLCを終えた奨学生を連れ、パタンとカトマンズの日本語学校を訪ねた。

今日訪ねたのは3校だけだったが、どの学校でも学生が必死になって日本語を勉強している姿には感心した。日本語を習う学生のほとんどは、きっと生活のために日本語を勉強しているのだと思う。高い授業料を払って勉強するのだから、必死になる理由もよく分かる。

カトマンズ市内の日本語学校を訪問した後、馴染みのDVD屋さんを訪問。今日はフレデリック・フォーサイト原作の『ジャッカルの日』(フレッド・ジンネマン監督)を購入した。30年以上も前の映画。高校生の頃にNHKの衛星名画劇場で夢中になって鑑賞した記憶がある。原作者の作家フレデリック・フォーサイトさんにも10年ほど前、確か東京の丸善で行われたサイン会でお目にかかった事がある。ぜひ週末に時間を作って、じっくり鑑賞したいと思う。

夕方からは往診で忙しかった。クリニックでの治療よりも往診治療の方が時間的な余裕もがあるので好きなのだが、今日のように大雨が降ると往診はとても難しい。今日は雨合羽を着てもびしょ濡れになってしまった。


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2005年05月16日

制服

朝、2件の往診を済ませた後、ヒマラヤ小学校へ行った。支援者の方々にニュースレターやホームページを通して、新入生の制服支援をお願いしたところ、愛媛県の方から10名分のご支援を頂くこととなった。大変ありがたく感謝の気持ちでいっぱいだ。

今年は24名の子供達が就学の夢を叶えた。学校へ通える事が、子供たちにとって一番の喜びだが、制服は子供たちの憧れであり、制服を着られる事は子供たちの楽しみの一つだ。また制服は子供たちに就学の自覚を促したり、士気を高める役目があると思う。今日は早速、新入生全員のサイズを測った。制服への期待が高まったのか、子供たちはとても嬉しそうな表情をしていた。

昨年は6月の開校式典前日に子供たちへ制服を配布した。初めて制服に袖を通した子供たちが、とても照れくさそうにしていた事を今でも鮮明に覚えている。今ではすっかり継ぎ接ぎだらけとなった在校生の制服(特に男子児童)だが、これも元気さの勲章だと思う。新入生全員の制服が用意出来るまでには今しばらく時間が掛かると思うが、子供たちの喜ぶ表情が見られると思うと今からとても楽しみだ。

夕方、5年前から個人的に支援を続けている小学校を訪ねた。今年もささやかではあるが、新入生全員に制服と学用品を寄贈することが決まった。普段、硬貨を持ち歩くのが嫌で、手にした硬貨(1、2、5ルピー)は全て貯金箱の中へ入れている。ほぼ毎日のように貯めていると、毎年、子供たちの支援が出来るくらいの金額になる。小銭も馬鹿には出来ない。

夜は数名の奨学生宅を訪ねた。何時もながら、どの奨学生も厳しい現状を抱えながら生きている事を実感する。何不自由なく豊かな時代に育った僕達には、けっして真似など出来ない生活だ。そんな環境の中でも子供たちからは何時も笑顔が溢れている。子供たちから学ぶことは多い。



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2005年05月15日

サビットリさんの幸福

朝、早く起きてホームページを作成。先週はまったく更新する事が出来ず、ホームページを通して子供たちの成長を楽しみにして下さっている皆さんにご迷惑を掛けてしまった。僕自身が見る側に立った場合、ホームページが暫く更新されていないと、見る気を失ってしまうと思う。見て下さっている皆さんに、少しでも子供達の成長をお伝えできるよう頑張りたい。

午前9時からネパール語の授業を受けた。今日は特別に、先日ヤッギャ校長から頂いた『ボトジャトラ祭り』の由来に関する資料(ヤッギャ校長が纏めたもの)を翻訳した。興味深い内容だったので、楽しみながら翻訳する事が出来た。カトマンズに伝わる伝説はとても多く、どれも奥深いものがある。伝説を調べるだけでも、一生飽きないだろうなぁと思う。

昼からヒマラヤ小学校を訪問した。2階校舎の屋根に流したコンクリートも乾き、今日から作業が再開した。完成まであと少しだ。工事の担当者には、遅れを取り戻すため急いで作業を進めるのではなく、一つひとつの作業をしっかり行い綺麗に作るようお願いした。

夕方から、先日結婚したサビットリさんとご主人を呼んで、パタン市内のレストランでささやかな食事会を開催した。すっかり主婦らしくなったサビットリさんをスミさん達と一緒に冷やかし、楽しい時間を過ごすことが出来た。

サビットリさんの結婚相手は誠実そうなと好青年でとても好感が持てた。サビットリさんは結婚するまで相手の顔すら見たことがなかったそうだが、相手の家族も親切で、とても幸せだと嬉しそうに話していた。本当に良かった。末永く幸せになって欲しい。

ホームページ更新しました。ぜひご覧ください。








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2005年05月14日

ピクニック

今日は子供たち待望のピクニック。朝8時に集合して、ラリットプール南部のゴダヴァリ村へ向け出発した。今日は天気も良く、絶好のピクニック日和となった。チャーターしたバスとは別に、車酔いする子供を乗せバイクで現地へ向った。

途中の村々では収穫したばかりの麦を脱穀するため、麦を道端に敷く作業が行われていた。ネパールでは脱穀機などなく、こうして麦を道端に並べ車に轢かせて脱穀する。綺麗に並んだ麦の轍は、毎年、お馴染みの光景だ。

今年のピクニックには90名の子供たちが参加した。どうしても山の上に暮らす子供たちには参加が難しく、毎年の悩みの種となっている。それでも今年は、山の村からも大勢の子供達が参加してくれた。

ピクニックはそれぞれの自己紹介から始まった。子供たちは行きのバスの中で既に歌を歌うなど打ち解けていたようで、和気藹々とした雰囲気で進んだ。

その後はボール遊びやダンス、そして壺割りゲームなど、日常の厳しい現状を忘れ、子供たちは存分にピクニックを楽しんだ様子だった。

丁度、お腹も空いた頃、ヤッギャ先生、奥さん、モンゴル先生、そして里親教育基金の奨学生らが作った美味しい昼ごはんを食べた。新緑の木々から差す木漏れ日がとても心地よく何時もに増して食欲が沸いた。

実は僕も料理担当だったのだが、子供たちから顔見世のパンダのように引っ張られ、結局、人参の皮を何本か剥くだけで終わってしまった。その後は先生たちも加わり皆で歌を歌ったり、それぞれ特技を披露したりと、終始、笑いが耐えなかった。

あっという間に終わったピクニック。疲れをしらない子供たちは帰りのバスの中でも歌を歌い続け、最後までとても賑やかだった。

こうして年に1回、子供達が集まり、お互いの友情を深めることはとても大切な事だと思う。お互いが支えあい、励ましあう事で、きっと大きな力が生まれてくると思う。

子供たちには、どんなに辛い時でも一片の氷心を胸に抱き、未来に大きな希望を持って生きて欲しいと思う。

今日はとても楽しい一日となりました。










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2005年05月13日

ピクニック前日

朝、クリニックで治療。昼からの雑用に備え患者さんの予約を少なくしていたため、あっという間に治療が終わった。

2時半からヤッギャ校長先生達とクリニックの下にある市場で待ち合わせ、明日のピクニックの買出しと準備を行った。まずはバスの手配。なかなかバスの運転手と折り合いが合わず苦労した。限られた予算の中で纏めるのはなかなか難しい。100ルピーの違いが他に大きく響くため、バスの運転手と粘り強く交渉した。何とかバスを手配した後は、調理器具の手配。こちらはあっという間に終わった。その後は100名分の食材調達に奮闘した。肉、野菜、調味料、米、買い物を終えた頃には、すっかり日が暮れていた。

今回で5回目となる親睦ピクニックは、里親教育基金の奨学生、寺子屋の子供達を対象に毎年の恒例行事にしている。このピクニックではお互いの友情を深め、今後の頑張る力にして欲しいと願っている。何時も里親教育基金の奨学生達が小さな子供達の面倒を見たり、料理の手伝いを積極的にしてくれるため大変助かっている。

今回はヤッギャ校長と奥さん、モンゴル先生、そして僕も調理担当となっている。子供達がとても楽しみにしているだけに、ぜひ思いで深いピクニックになるよう頑張りたい。


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2005年05月12日

目標

朝、中央郵便局での雑用を済ませた後、昼前にSLCを終えた奨学生達と会った。丁度、支援者の方から手紙が届いたので渡すと、皆とても喜んでいた。お茶を飲みながら、たわいのない話をして楽しい時間を過ごした。

その後、奨学生を連れヒマラヤ小学校を訪ねた。奨学生の中には将来、教師を目指している子供達も多く、今日は体験実習という形で奨学生に授業をやらせて見た。先日から実習に参加しているジェニシャ同様、どの奨学生も上手く子供達を纏めていて感心した。まだ16歳前後の奨学生、恐れを知らない若さが一番の力なのかもしれない。積極的に挑戦する姿は見ていて清清しい。

その後、ヤッギャ校長先生と今後の方針について話し合った。話に花が咲き、結局夜中までブンガマティ村で過ごした。実現可能な事、不可能なこと色々あると思うが、夢や目標を持つことはとても大事だと思う。

明確な方向付けが出来れば、その目標に向い先生達と一丸となって突き進めば、きっと良い結果が得られると思う。今日の話し合いでは目標が沢山できた。一つずつ着実に進めていきたい。ヤッギャ校長が子供達と同じように瞳を輝かせ、ヒマラヤ小学校の将来について語る姿がとても印象的だった。



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