2005年04月

2005年04月30日

心の支援

朝から奨学生宅を訪ねた。連絡事務所が移転したため、まだ教科書を配布できていない奨学生も多い。途中、奨学生の一人、サジャナを訪ねた。丁度、水汲みから帰ってきたばかりのサジャナが、壷を抱えたまま人懐っこい笑顔で駆け寄ってきた。

サジャナは貧しい母子家庭の女の子だ。姉と年老いた祖父母の4人、薄暗い部屋で肩を寄せ合いながら生活している。母親は家政婦として働きに出かけているため、会えるのは月に2回だけだという。

サジャナから学校や生活について話を聞いていると、突然サジャナが泣き始めた。どうも暫く会っていない母親と会いたいそうだ。更に話を聞いていると、近所の人たちから家政婦として働いている母親の職業について、からかわれているとの事だった。全体が貧しいネパール社会では、更に弱い立場の人々を苛めるような事が、時々、起こる。これは仕方のない事なのかもしれないが、サジャナのような貧しい子供が社会から虐めを受けている様子は胸が痛む現状だ。

里親教育基金で子供達の就学支援を初めて数年、ただ単に就学を支援するだけでなく、子供達を勇気付け、励ますような心の支援活動が必要だと思う。まだまだ勉強する事は多い。


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2005年04月29日

栄養摂取

朝、帰国されるチョラ・チョリの皆さんへ挨拶をしに、スミさん、ヤッギャ校長と共にタメルの宿泊先を訪ねた。出発前の慌しい時間だったため、ゆっくりお話することは出来なかったが、チョラ・チョリの皆さんへ感謝の気持ちをお伝えすることが出来て皆で安心した。この1ヶ月、チョラ・チョリの皆さんから、本当に多くの事を学ばせて頂き、教育の大切さを身にしみて感じた。

お話の中で、今後、週に1回程度、子供達へ牛乳や果物などを配給出来ないか検討することとなった。また年2回必要な虫下しの投与についても検討する事となった。

ヤッギャ校長の話では、子供達が果物を口にするのは年に一度のティハ−ル祭りの時だけだという。牛乳を飲む機会もほとんどなく、完全に栄養が不足しているとのことだった。同様の事を健康診断に訪れた医師の先生達にも言われたことがあった。出来れば『牛乳・果物・卵 』という具合にローテーションで週一回程度、実行したいと思う。出来るだけお金が掛からない方法を考え出し、ぜひ実現させたい。子供達の健康を守ることも学校の大きな役割の一つだと思う。

タメルから戻り、急いでクリニックを開いた。臨時休業した水曜日の代わりに開いたため、患者さんの数は少なかった。その分、一人ひとりの患者さんへ丁寧な治療を施すことが出来、満足のいく内容だった。やはり時間に追われる治療よりも、じっくり時間を掛ける治療の方が、施術者、患者さん、お互いにとって良いと思った。

その後、ブンガマティ村を訪ねた。今年からブンガマティ村の子供達へも『里親教育基金』の支援を始めることとなり、早速、寺子屋から一人目の奨学生が決まった。貧困から3年生で中退した女の子だが、支援が決まると幼い妹を抱えたまま大喜びしていた。頑張ってほしい。

夕方から日本から来た友人と食事に出かけた。久しぶりの再会に話が弾んだ。




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2005年04月28日

楽しく夢のある教育

朝、雑用を済ませた後、昼過ぎにヒマラヤ小学校へ行った。ブンガマティ村周辺に広がる麦畑が、雨上がりの澄み渡った青空に冴えて綺麗だった。

ヒマラヤ小学校ではモンゴル先生が、先日チョラ・チョリの皆さんにご指導いただいたリンゴを使った算数の授業を繰り返し行っていた。特に勉強の不得手なビッケーやインドゥ達が積極的に授業に参加している様子には驚いたが、それだけ大きな成果が上がっているという事だと思う。子供達の反応に大きな手応えを感じてか、授業の後モンゴル先生が『もっと早くからやっていれば良かったなぁ』と嬉しそうに話していた。

ヤッギャ校長もモンゴル先生も教育現場での経験は短い。他の先生達はまったくの無経験だ。教育現場での常識に染まっていないため柔軟性がある分、技術や知識といった面では少し課題が残るかもしれない。その部分を上手く補っているのが、日本の先生達やボランティアの皆さんから頂く様々なアイデアだ。

日本の先生達やボランティアの皆さんから頂くアイデアはどれも素晴らしく、先生達にとって大きな学びの収穫となっている。また是々非々主義のヤッギャ校長は、子供達のためになる事は直ぐ実行する行動力の持ち主だ。僕の知る限り、今まで頂いたアドバイスは100%実行している。そして大きな成果を得ている。

ネパールでは10年生を終えた後に行われる全国統一卒業認定試験『SLC』のため、暗記を中心とした授業が多い。今後、工業国を目指しているネパール政府は、画一的な労働力を作り上げることに重点を置いているのかもしれない。そのため子供達の夢や創造力を育てるカリキュラムはとても少ないのが現状だ。

ヒマラヤ小学校を開校する前、日本の素晴らしい教育システムを取り入れ、楽しく夢のある教育を目指そうと皆で話し合った。もちろん日本の教育現場でも様々な問題を抱えていることを耳にするが、日本の教育は技術面から教材に至るまでどれも素晴らしく、子供達は常に楽しく学べる環境にあると思う。そんな『楽しく、夢のある教育』を取り入れ、貧しさに負けない逞しい子供達を育てたい、これが僕達の必死の願いだ。

何かを作ったり、物をあげたりすることだけが支援ではないと思う。大切なのはむしろ、技術や知識といったソフト面であり、ネパール人の多くも日本人の知識や技術、そして優しさを求めているように思う。

日本の教育の長所と短所、それぞれから多くを学び、ネパールの教育に役立てることが大事だと思う。今後、ヒマラヤ小学校で実行し、成果を得たことを情報として発信し、ネパール全体に広げていきたいと思う。それこそが学校を開校した意義だと思う。



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2005年04月27日

雄大な自然

4月も終わりに近づき、ジャカランダの花が咲き始めた。僕がネパールに暮らし始めた頃、丁度リングロードのジャカランダが満開だったこともあり、ジャカランダの花を見ると感慨を覚える。

ヒマラヤ小学校の2階校舎建設も大詰めに入り、いよいよ来週から屋根の建設工事が始まる。先生達と一緒に屋上部分の型枠の上に登ってみると、ブンガマティ村はもちろんチョバールからソヤンブナートまでが一望できた。今日は残念ながら雲に隠れてヒマラヤを見ることは出来なかったが、冬には遠くヒマラヤまで見渡すことが出来る。こんな素晴らしい環境で学校を開校出来たことは本当に幸運だったと思う。

世塵を避けるようにヒマラヤ小学校へ足繁く通う僕を見て、『よく続くね〜』と、知人から呆れ顔で言われたことがあった。学校へ通う理由は幾つかあるが、ヒマラヤ小学校周辺の自然が素晴らしいことも大きな理由の一つだと思う。クリニックでの仕事や雑用に追われ精神的に疲れている時など、雄大な自然に囲まれたヒマラヤ小学校で、元気いっぱいの子供達と遊ぶと疲れも吹っ飛んでしまう。

自然も子供達も、人を元気にさせる不思議な力があるように思う。



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2005年04月26日

心の交流

朝、数名の治療を済ませた後、ヒマラヤ小学校へ直行した。学校に着くと、丁度休み時間中だった子供たちが駆け寄って来て、『鞄を持ってあげる』やら『ヘルメットを持ってあげる』などと言われ、あっという間に手ぶらの状態になり、職員室まで引っ張られた。ヒマラヤ小学校の子供たちの良いところは、この人懐っこさだと思う。

その後、各クラスの写真を撮影した。子供たちの数が増えたため賑やかになった分、写真に収めるのが難しくなった。来年は一体どうなるのだろうか。

その後、チョラ・チョリの皆さんがヒマラヤ小学校を訪問された。丁度、昼休みになったばかりの時だったが、『うぁ〜』という騒ぎ声と共に、子供たちが一気に下まで掛け降りて、チョラ・チョリの皆さんを出迎えた。子供たちは日本のゲストの皆さんとの交流が大好きだ。

その後、チョラ・チョリの皆さんに『算数ゲーム 』に教えていただいた。初めてのゲームに子供たちは瞳を輝かせながら楽しんでいた。算数ゲームは『1+2は? 』との質問に、子供たちが答えの数でグループを作るというゲームだ。数に慣れることはもちろん、新入生との交流にも大いに役立った。

ヤッギャ校長から『像のシッポと人間のシッポ、合わせて幾つ?』との質問に、2人でグループを作っている子供たちがいたりと、終始、笑いの耐えない楽しい時間となった。

ヒマラヤ小学校では、民族、年齢など、全てが異なる子供たちが学んでいる。特にダリットと呼ばれる不可蝕民族に属している子供たちも多い中で、いかに子供たちが学校という一つの環境の中で混一できるかが、大きな課題だと思う。そのためにもゲームなどを通して楽しい時間を過ごし心の交流を深めるながら、お互いに何かを共有することがとても大事だと思う。

今日は新しく教師になったムヌさんもピアニカの指導を受け、一生懸命練習を繰り返していた。今年はぜひ、ご寄贈いただいたピアニカを使って、小さな楽隊を結成したいと思う。その他にも、チョラ・チョリの皆さんから教育指導の面でも貴重なご意見を頂き、先生たちの大きな学びの収穫となった。

こうしてチョラ・チョリの皆さんの豊かな経験と知識をご指導いただくことは、何よりも有難く心強い。小さなアイデア一つで、教育の幅がどんどん広がることを実感した。これから先生たちが、チョラ・チョリの皆さんから学んだ技術や知識をどう活かしていくのか、とても楽しみだ。

先日、入学を果たした障害を持つサシナだが、『友達が3人出来た』と嬉しそうに話していた。サシナはじめ子供たちの喜んでいる姿を見ると、学校を開校できて本当によかったなぁと思う。子供たちの笑顔一つで、今までの小さな苦労などすっかり忘れてしまう。チョラ・チョリの皆さんの『子供たちの笑顔がご褒美』という言葉を、ふと思い出した。













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2005年04月25日

複雑なネパール事情

先日から学校へ来ていなかった兄妹の内、ようやく長男のジーバンが登校した。兄妹全員でないとはいえ、ヤッギャ校長や先生たちと共に愁眉を開いた。

先日、ヤッギャ校長と共に彼らの家を訪ねた時は、母親から『お金に困っているから、暫く薪拾いを手伝わせたい』と言われ、もう駄目かもしれないと半ば諦め掛けていただけにとても嬉しかった。ヤッギャ校長の必死の説得が母親の心に届いたのかもしれない。

しかし安心してはいられない。未だ幼い妹たちが来ていないことや、同じ集落に暮らす幼稚園クラスのロケンが来ていない事も心配だった。

彼らの集落は教育が著しく遅れている。貧しいこともあるが、未だに親たちの教育への関心が極めて低い現状だ。一時的に子供たちを学校へ送っても、途中で辞めさせるケースが非常に多い。目先の生活に必死な状態で子供たちに教育を受けさせる余裕もなく、ましてや立派な労働者として通用する子供たちを、生活のために利用することは彼らの中では常識なのかもしれない。

心配している矢先、某NGO団体に関する情報が入ってきた。この国際NGOは世界中の様々な貧困国で活動しているが、何でもこのNGOが新たに奨学金を出して、貧しい子供たちを学校へ通わせるとの事だった。一見、とても素晴らしいことのように思えるが、無償教育を実施しているヒマラヤ小学校の子供たちにまで、奨学金を出してやるから他校へ通えと勧誘しているとの事だった。

僕には最初、その意図がよく分からなかった。知人の話では、何でもそのNGOのネパール支部が一人でも多くの子供たちを支援して、成績を本部に見せるためだという。奨学金だけでなく、学用品からバッグや靴、そして昼のおやつまで、何でも支援してくれるそうだ。無償教育を実施しているヒマラヤ小学校では、彼らの『成績 』に反映しないため困るのだという。

事の真意は分からないが、もし事実ならこれほどバカバカしい話はないと思った。教育支援が団体間で『競争』や『見世物』のようになっているのは、とても異常なことだと思う。

ジーバンにその団体から勧誘を受けたか尋ねると、『うん』と答えた。更に同じ集落のロケンが、その団体の支援を受けて他の学校へ転校することもジーバンから聞いた。

ヤッギャ校長の話では、貧しく教育を受けていない親たちの多くは、少しでも多くの物を提供してくれる学校や支援を好み、今回のケースでは『昼のおやつ』が効いているとの事だった。

更にヤッギャ校長は『ロケンがヒマラヤ小学校を辞めたのなら残念だが、引き続き教育を受けられるのなら。。。』と冷静に話していた。ヤッギャ校長は、これまで何度もロケンの家へ通い、ロケンを励ましてきた。ロケンの成長を一番喜んでいただけに、ヤッギャ校長の心中は察するに余りある。

今回の出来事を通して、僕自身が未だこの国のことを十分に理解できていない事を実感した。ささやかではあるが教育支援に携わっている人間として、一体この国には何が必要で、僕に出来る事は何なのか思案に暮れている。


*ヒマラヤ小学校通信を更新しました。ぜひご覧ください











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2005年04月24日

社会の厳しさ

朝、1件の往診を済ませ、前回に引き続き、奨学生が母親と一緒に作ったアクセサリーを支援者の方にご購入していただく事となり、奨学生と共にタメルへ出かけた。

奨学生は新しく作ったアクセサリーのデザイン(配色)を気に入って頂くか心配だったようで、何度も僕に見せてはデザインについて尋ねて来た。センスのない僕は的確な返事を返すことが出来ず『駄目なら作り直せば良いよ。』とだけ答えた。

結局、支援者の皆さんにデザインを気に入って頂き、用意した分を全てを購入していただくこととなった。薄暗い部屋で夜中までアクセサリーを作っている奨学生親子の努力が実を結び、とても嬉しく思った。

その後、支援者の皆さんと楽しい会話が弾んだ。お話からは沢山のことを学ぶ事が出来、とても有意義な時間となった。

夕方からブンガマティ村に開校した新しい寺子屋を訪ねた。先週末まで33名だった寺子屋は、希望者が60人を既に超えている状態となっていた。子供達の学びへの熱意が伝わってくる。

大雨の中を大急ぎでパタンへ戻り、夕食を食べた。その後、往診へ出かけた。途中、雨宿りのため奨学生宅を訪ねたが、近所の人たちから虐めを受けたようで、奨学生は泣いていた。貧しいことや、父親がいない事をからかわれたらしい。きっと悔しい思いをしたのだと思う。身につまされ、思わず言葉に詰まってしまった。









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2005年04月23日

新入生サシナ

昨日、凄まじい勢いで雹(ひょう)が降った。雹が降ったのはブンガマティ村などラリットプール南部が中心だった様子。大喜びしている子供達とは対象に、教室の窓締めなどに追われたモンゴル先生と僕は雹の直撃を受けた。

雹が降った後、サシナという13歳の女の子が母親に付き添われて学校を訪ねてきた。サシナは障害を持っている女の子。家庭は貧しく、母親が工場で働きながら生活している。母親は学校で学ぶことで、サシナの障害が回復して欲しいと願っているようだ。なんとかサシナを学校へ通わせたいと訴えていた。

入学期間はとっくに過ぎているため、通常ならば入学許可を出すことはできないが、障害を持ちながらも勉強したいというサシナの強い向学心に、ヤッギャ校長が特別に入学許可を出したいとのことだった。僕としてもヤッギャ校長の考えに大賛成し、早速、サシナの入学の手続きを行った。

手続きが終わり学校を後にするサシナに『学校で何がしたい?』との尋ねると、笑顔いっぱいの表情で『友達を沢山つくって、勉強したい』との答えが返って来た。今後が楽しみだ。

今日は休日だったので、昼まで掃除をするなどゆっくり過ごす。午後から往診へ出かけたが、途中で頭痛が起こったため帰宅する。暫く休んでいると首まで痛くなった。(ズキズキと痛む拍動性の頭痛)痛み止めを飲み、シャワーを浴びると少し痛みが軽減した。こんな病気でない病気には鍼に即効性があると思う。一応、自分で(天柱・風池に)鍼を刺してみた。腕利きの鍼灸師なら一発で治るだろうなぁと思いつつ、自分の腕の悪さを実感した。その後、往診を再開。何とか今日の分、全員の往診を終えることが出来た。


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2005年04月22日

教科書配布

朝からヒマラヤ小学校へ。今日は新しい教材を配布する日。今まで子供達は、学校に届けられた教科書を何度もこっそり見ようとしては叱られていた。それほど子供達は教科書が配られるのを楽しみにしていたのだ。

まずは在校生へ配布が始まった。古い教科書と引き換えに新しい教科書が配布された。古い教科書の痛み具合も、子供達の性格によって随分と差があることに気付いた。なかなか面白い。ヤッギャ校長が教科書を配るとき、一人ひとりの子供達に異なる励ましの言葉を掛けているのが印象的だった。

教科書を受け取るとき子供達は確認の署名をしなければならない。これは後日、『教科書を貰っていない 』と、文句が出ないようにするためとのことだった。中には子供達から教科書を取り上げ、売ってしまう親もいるそうだ。日本では考えられない話。

ヒマラヤ小学校は無償教育を実践し、制服から学用品に至るまで全てを配布している社会福祉学校だが、子供達に『何でもしてあげるよ』ではなく、そこにはある一定の規則と厳しさが必要だと思う。支援は必要だが、遣り方を間違えれば支援が『当たり前』になってしまう恐れがある。必要なのは、子供達や地域の人たちの自助努力を応援することだと思う。

ヤッギャ校長は、今までネパールに対して多くの支援を頂いているのに、大した成果が上がっていないのは、ネパール人が支援を当たり前と思っているからだ。何でも遣ってもらえて当たり前、あれもない、これもないから、作ってもらって当たり前だと、考えていることが根本的な問題だ、と話している。僕もヤッギャ校長の意見には賛成だ。

ヒマラヤ小学校では使えないくらい短くなった鉛筆と引き換えに、新しい鉛筆を配布している。先日、久しぶりに回収箱を開け子供達から回収された鉛筆を見たが、どれも僅か2センチ程度の鉛筆だった。こういう細かい活動が子供達の意識を変えていくのだろう。『優しさと厳しさ』が上手く噛み合って、初めて本当の支援になるのだと思う。

ホームページ・ヒマラヤ小学校通信4月を更新しました。ぜひご覧ください


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2005年04月21日

教育勉強会

朝、中央郵便局へ行き雑用を済ませる。その後、クリニックへ行き、先日、時間の都合で治療できなかった3名の患者さんの治療を行った。

昼過ぎ、来週から先生達と始める予定の『ヒマラヤ小学校・教育勉強会』の議題を作成した。教育勉強会といっても硬いものではなく、先生達がお互いに知識や技術を共有し、子供達そして学校のために協力して頑張ろう、というもの。

昨年1年間、先生達と随分話し合いの機会を持つことで、結果的にとても良いチームワークが出来たように思う。今後、更にチームワークの強化を図っていかなければならない。そのためにも教育勉強会を立ち上げ、同じ目標に向かって一緒に勉強していくことが大事だと思う。来週の金曜日に予定している第一回の勉強会では、今後1年の課題を出し合うような会にしたいと考えている。先生たちが働きやすく、仕事に遣り甲斐を感じてもらえるような環境を作っていきたい。

夕方、あすなろ食堂へ寄ってみると、ワグレさんやパートのサリタが外出中で、スミさんがキッチンで一人慌しくしていた。こんな日に限って、お客さんが沢山来たそうで、コロッケも全て売切れだった。一人で慌しく頑張っているスミさんを見かねて、コロッケ作りを手伝った。塩加減にうるさいスミさんから細かい指導を受けながらの作業となった。なかなか面白かった。

その後、ジャイカ研修生同窓会(JAAN)・機関紙編集部の方から、先日、サダナがJAANの機関紙『ミラン』に書いた記事の原稿料が小切手で届いた。急いでサダナの暮らすバクタプールへ小切手を届けに行った。生憎、サダナはボーイ・ガールスカウトの南アジアキャンプへネパール代表として参加しているため留守だったが、サダナの家族とゆっくり話が出来た。僅かな原稿料ではあるものの、サダナが一生懸命書いた記事を評価いただき、とても嬉しい。

サダナは驚くほど聡明で活発な学生だ。時間を惜しんで様々な活動に取り組む姿には、何時も感心させられる。キャンプから帰ったサダナが、目を輝かせながらキャンプについて話をする姿が想像できる。今から楽しみだ。

今日も良い日となりました。





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2005年04月20日

理解

朝からクリニックで治療。日曜日にパパイヤを頂いた患者さんにお礼を言うと、患者さんから美味しいパパイヤの見分け方を教わった。人それぞれ見分け方の違いはあるが、ネパールの果物はとても美味しい。

今日もクリニックには大勢の患者さんが訪れ賑やかだった。患者さんとの会話も弾み、少しずつだが、目指している『楽しいクリニック』に近づいているような気もする。頑張りたい。

クリニックを終え、そのままヒマラヤ小学校へ直行した。新入生が学校に溶け込んでいるか、特に下の寺子屋から入学した子供達は9人と人数が多く、一緒に固まっているようで心配だった。その他、月曜日から顔を出していない兄妹がいることも気になった。

授業の様子を見ると、新入生が学校の環境に慣れて来ているような感じを受けた。休み時間には在校生達と遊んでいる様子も見られ、まずは一安心。今年度入学した子供達は隣村など随分遠くから通ってくる子が多い。少しずつだが地域の人々のヒマラヤ小学校への理解が深まっているのかもしれない。もしそうだとしたら、とても嬉しいこと。学校の発展に地域の人々の協力は欠かせない。ぜひ、地域の人々の協力が得られるよう、努力を重ねていきたい。

それにしても狭い運動場で子供達が駆け回ると、子供達の数が一気に増えたことを実感する。これから子供達の安全を守る監視がとても大変だと思う。子供達に体を引っ張られ、くたくたになった。

放課後、学校へ来ていない兄妹宅を訪ねた。丁度、幼い兄妹ともに薪を担いで家に帰ってきたところだった。母親に尋ねると、『生活に困っている。暫く薪拾いを手伝わせたい』との返事が返ってきた。ネパールの現状は厳しい。ヤッギャ校長と相談して、暫くの間、様子を見ることにした。

その後、往診治療へ行き、深夜帰宅。
今日は子供達と遊んだ分、疲れた。子供達の元気さには敵わないことを痛感。

先日、開催した医療キャンプの様子をホームページに掲載しました。どうぞご覧ください。




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2005年04月19日

雑用に追われる

朝、中央郵便局へ行った。ネパールは郵便事情が悪いため、手紙などを送る場合は中央郵便局から送った方が良い。(と思う)パタン市内にある郵便局や各地にある民間郵便代理店から送ると手続き自体は楽でも、そこから手紙が中央郵便局へ送られ、仕分け作業・・・・云々・・・と、倍以上の時間が掛かってしまう。郵便局へ頻繁に通っている内に窓口の人たちと仲良くなり、随分と手伝って貰っているが、それでも元々の効率が悪いため時間が掛かってしまう。

現在、中央郵便局では改装工事中が進められている。窓口の人にいつ完成するのか尋ねると、何時も『あと一ヶ月』との返事が返ってくる。何事も慌てないネパール人らしい答えで、つい笑ってしまう。ついでに設備について尋ねると、『コンピューターを導入して、作業がスムーズになる』との返事が返ってきた。本当だといいのだが。

昼から溜まっていた雑用を一気に片付ける。この1年間、雑用が溜まっては一気に片付けるような生活が続いている。なかなか厳しい現状。その後、往診治療を行う。夜、奨学生の代表宅へ行き、奨学生から集められた新年度に必要な教科書と費用のリストを受け取る。

今日は雑用に追われ、とても疲れた一日でした。


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2005年04月18日

新学期

今日からヒマラヤ小学校でジェニシャの教育研修が始まった。先日、ジェニシャが教師を目指していることを知ったヤッギャ校長から、『新学期から学校で研修を受けてみないか?』と声を掛けていただき実現した。

ジェニシャは貧しい母子家庭の子だ。13年前に父親を亡くし、母親そして妹と3人で肩を寄せ合い暮らしている。ジェニシャとジーナの支援を始めたばかりの3年前、『私達も何かしたい』と、自主的に近所の貧しい子供達を集め、家で識字教室を始めてくれた。その後、各地で寺子屋教室を始めたのもジェニシャとジーナ姉妹の活動が大きな切欠となった。

今日、ジェニシャは緊張しながらもよく頑張った。普段の識字教室とは明らかに違う本物の教壇に立ったことは、ジェニシャにとって大きな勉強になったことと思う。試行錯誤を繰り返しながら、大きな学びの収穫を得て欲しいと思う。

今日はジェニシャと一緒に妹のジーナやリタ達がヒマラヤ小学校を訪ねた。SLCを終えた奨学生達が積極的にヒマラヤ小学校の活動に参加してくれることは嬉しい。これから奨学生がどんどん学校を訪れ、子供達と交流してくれることを願っている。

さて今日から学校は始業となった。新学期からは、昨年までダンスと歌を教えていた臨時教員のマナ・マヤ・グルンさんが、正式にヒマラヤ小学校の教員として幼稚園クラスを担当することとなった。マナさんは孤児院で育ち、スミさん達と一緒に女性自立支援を受けきた。昨年から得意のダンスと歌を子供達に教えていたが、彼女の誠実な性格と一生懸命な活動が高い評価を受け、全理事の賛同を得て正教員になることが決まった。マナさんのことが大好きな子供達も喜んでいる。

放課後マナさんに感想を尋ねてみると、『大変だけど、とても遣り甲斐があります。』と嬉しそうに話していた。夏休みにはマナさんを教育研修に送りたいと思う。

学校2年目が始まった。先生達と協力して、社会に貢献できる学校を目指して頑張りたい。新年度も宜しくお願いいたします。



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2005年04月17日

パパイヤ

朝、クリニックで治療。今日は懐かしい患者さんもたくさん訪れ、楽しい時間を過ごすことが出来た。
お年寄りの患者さんから大きなパパイヤを頂いた。クリニックは無料診療だが、こうして患者さんから果物やら野菜、時にはお祭りで使う『聖なる水?』などを頂くことがある。患者さんたちの心遣いには、何時も心が温かくなる。

昼過ぎにSLCを終えた子供達が自宅に集まり、今後のことについて話し合った。今年はヒマラヤ青少年育英会から初めてSLC受験生を送り出した。原則として奨学生の支援は10年生までとなっているので、今後、進学を希望する奨学生をどういう風に支援するか、検討を続けている。

奨学生との話から、全員が進学を希望していることが分かった。皆、不安も抱えているようなので、出来る限り奨学生の希望に添えるよう頑張りたい。その後、患者さんから頂いたパパイヤを奨学生と一緒に食べた。とても美味しかった。

夕方、数件の往診治療を行い早めに帰宅した。深夜まで溜まっている写真の編集作業を行った。子供達の写真を見ていると、彼らの表情の変化を見つけることが出来て楽しかった。

今日も良い日となりました。



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2005年04月16日

新しい寺子屋

朝、バイクを修理に出した。暫く間、修理が出来ずにいたため部分的に壊れたままで走っていた。バイク屋さんが『良くこんな状態で乗れますね』と、呆れた顔で話していた。バイクを中古で購入してから既に6年半が経過している上、手入れも悪く毎日のように悪路を走っているので、駄目になっても決しておかしくない状態だと思うが、今でも奇跡的に元気良く走っている。本当にバイクには感謝している。夕方、修理を終えすっかり元気になったバイクに乗って、まだ数年は走れそうな気がした。

バイクを受け取りそのままブンガマティへ直行。今日から新しく開設した寺子屋を訪ねた。新しい寺子屋には33名の子供達が集まっていた。どの子供達も学べる喜びで目を輝かせていた。新しい寺子屋を担当するサンギャさんは、将来、教師を目指している大変聡明な若者。若さ溢れる活動で、子供達の夢を大きく育てて欲しい。

ネパールでは何か問題が起きた時、ほとんどの場合、責任の所在が不明だ。お互いに自分のせいではないと主張して譲らないため、結局『バヨ、バヨ(もういい、もういい)』で纏まってしまい、責任が分からないままになるケースが多い。ネパールの人々は穏やかで人懐っこく、とても良い性格なのだが、のんびりしているせいか無責任なところがあり、頭を痛めた経験のある日本の人も多いと思う。

昨年からヤッギャ校長の提案で、担当教員が寺子屋の責任者も兼任することになった。担当教員に自覚と責任を持って寺子屋の運営を行ってもらうため、責任の所在を細かく定めている。その分、担当教員には権限が与えられ、予算の範囲内で自分の考えたアイデアを何でも実行できるようになっている。昨年12月に開設した『隻手薬師寺子屋 』では、担当のシャムさんが音楽やダンス、絵の授業、また積極的な社会見学を取り入れている。その結果、シャムさんが担当する教室は、笑顔が絶えない楽しい寺子屋となっている。

今後、サンギャさんがどのような寺子屋を築いてくれるのか、今からとても楽しみだ。サンギャさんは将来、学校長を目指しているという。ぜひこの機会に思う存分、自分の力を試して欲しいと思う。寺子屋は単に子供達の識字や保健衛生の普及施設ではなく、将来、教員を目指す若い人たちの研修の場としても活用していきたい。


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2005年04月15日

20人から26人へ

朝、あすなろ食堂の買い物を済ませた後、ヒマラヤ小学校へ行った。13日に引き続き、今日も新入生選考会が行われた。どの子供達も、それぞれに厳しい現状を抱えているため、選考はとても難航し、ヤッギャ校長も随分と頭を痛めた様子だった。

選考会が終わった後ヤッギャ校長から、『どうしても20人では難しいので、26人の入学を許可したい』との連絡を受けた。入学選考の最終的な決定はヤッギャ校長に一任しているので僕として反対する理由もなく、ヤッギャ校長に賛成した。

入学生が増えれば、もちろんその分の運営費用も増える。6名分の運営費用の捻出は決して簡単なことではない。しかし学校を開校したからには、一人でも多くの子供達の就学の夢を叶える事が大事だと思う。

この1年間で、少しずつ『自分の役割』が分かってきたように思う。僕の役割で一番大事なことは、ヒマラヤ小学校と子供達のことを支援者の方だけでなく、広く社会の皆さんへお伝えし、理解を深めることだと思う。小さな善意の輪が広がれば大きな力となり、それぞれの子供達が描く夢もきっと実現すると思う。

もちろん支援の輪を広げるためには、今まで以上に地道な活動が不可欠だ。入学が決まり嬉しそうな表情で学校を後にした子供達。毎年、一人でも多くの子供達の笑顔が見られるよう頑張りたいと思う。

夕方、爆弾で両目を失明し大火傷を負ったスニール君のレントゲンを撮りにバイシパテの総合クリニックを訪ねた。まずは右目周辺に残る石の除去から始める予定。

スニールはまだ9歳なので、現実をよく理解できていないのかも知れない。無邪気に歌を歌うスニールを見ていると胸が痛くなった。今後、スニール君が大きくなるにつれ、いろいろな問題が生じてくると思うが、なんとかスニールが未来への希望を持てるよう支援したいと思う。

今日も良い1日となりました。



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2005年04月14日

新年

今日はネパールの新年(ビクラム暦2062年)昼までに往診治療を終えた後、溜まっていたホームページのヒマラヤ小学校通信4月の更新作業を行った。なんとか2階校舎建設アーカイブスも同時に更新することが出来、安心した。

ホームページの更新を終えて町へ出てみると、大勢の人々が新年を祝っていた。毎年、この時期は日本へ帰国していたため、ネパールの新年を迎えるのは久しぶりだったが、以前よりも賑やかになった気がする。

一昨日の日記で書いた、爆発により失明し上半身と顔に火傷をおったスニール少年のことで、医師の先生に相談した。まずは顔に残る石を取り除くことが決まり、明日、レントゲンを撮ることにした。何とか少しでもスニール君を応援できればと思う。

夕方から奨学生の家を訪問した。どの子も進級試験に合格して嬉しそうな顔をしていた。子供達の努力が報われとても嬉しい。

今日は一日ゆっくり出来た。







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2005年04月13日

健康管理

朝、ネパール癌協会のクリニックで治療。患者さんが一気に訪れ慌しい治療となる。小さなクリニックだけに、患者さんが一気に来ると対応がとても難しい。ネパールで『時間厳守』は夢のまた夢なのかもしれない。慌しいと、どうしても『治療の質』に影響してしまうため、今日の治療は不完全燃焼だった。

昼過ぎから歯科医の先生と『指圧・マッサージ』へ。約1年半ぶりのマッサージ治療だったが、十分に体をほぐしてもらい、とてもすっきりした。先生から『時にはこうして体をほぐす事が必要だよ』と言われ、とても納得した。普段、健康が一番大事だと思いながら、自分自身の健康管理を随分怠っていたように思う。海外生活では兎に角、健康が一番大切だ。数年前の長い入院生活を思い出し、健康管理の徹底を決心した。

夕方から『だんらん』で先生の送別会を開催。美味しい料理を食べながら、ネパールの話で盛り上がり、楽しい夕べのひと時を過ごすことが出来た。その後、同じブンガマティ村にある障害児施設とヒマラヤ小学校の交流が出来ないか検討を行った。ぜひ、お互いにとって有意義な形での交流を実現したいと思う。同じブンガマティ村にあるだけに、なんとか一緒に盛り上げていきたい。

お世話になっている医師の先生方の開業準備中のクリニックを訪問。少しずつ出来上がっている様子を見て、とても嬉しくなった。あれこれ話している内に、結局、12時過ぎまで先生達との楽しい会話が続いた。

今日も良い日となりました。



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2005年04月12日

保健衛生

昨日に引き続き、歯科医師の先生にヒマラヤ小学校へお越し頂き、昨日の検診で問題の見つかった子供達の治療が行われた。

先生にはお忙しい中、2度も学校までお越しいただき、一人ひとりの子供達にやさしく丁寧な治療を施していただいた。普段、十分な医療を受けられない子供達にとって有意義であったことはもちろん、『保健衛生の向上』に力を入れている学校としても、大変ありがたく心から感謝の気持ちをお伝えしたい。また先生にはヒマラヤ小学校での『歯科検診・治療』を継続的な活動としてご協力いただくこととなり、とても心強い。

さて新学期を前に、新年度の新入生選考会を13日に予定している。これまで寺子屋などから家庭訪問による現状調査を通して、約60名の中から30名の子供達が一次選考されている。残念ながら予算の関係もあり、最終選考で更に20人まで絞り込まなければならない。どの子供達も就学の夢を描いているだけに、とても難しく辛い作業となる。

選考には簡単な試験も行われるが、やはり一番の判断基準は本人の熱意と親の協力だ。ネパールの学校では中途退学率が極めて高い。これは親の教育への関心が低いことが主とした原因といわれている。もちろん貧しい人々は今を生きて行く事に必死で、教育に対し関心を持つ余裕がないのも現実だと思う。仮に関心を持っていても、子供達を学校へ通わせることが簡単でないことも事実だ。

無償教育を実施しているヒマラヤ小学校でも、昨年度1年間で5名の児童が家庭の事情等により学校を去っていった。後ろ髪を引かれながら学校を去って行った子供達の事を思うと胸が痛い。

新入生20名が楽しい学校生活を送り、無事5年生を卒業できることを願っている。


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2005年04月11日

歯科検診

今日は歯科医師の先生にヒマラヤ小学校へお越しいただき、歯科検診が行われた。どの子供達も虫歯は少ないものの、歯石や歯周病が多いとのことだった。歯磨き指導も行われ、子供達は手鏡を見ながら一生懸命に歯を磨いていた。今後とも子供達の保健衛生の向上に努めていきたい。

その後、先生と共に同じブンガマティ村にある障害児施設を訪ね、障害児への歯科検診を行った。久しぶりに施設を訪ねたが、周囲の人々の暖かい支えにより、どの子も大きく成長していてとても嬉しかった。

ネパールでは社会福祉整備の遅れから、障害児を取り巻く環境は厳しい。こうして民間団体が一生懸命、障害児を支えていることはとても有意義なことだと思う。

施設の中に最近入所した子がいたが、所謂、反政府ゲリラの仕掛けた爆弾により、大やけどを負い失明した子だった。目を覆いたくなるような現状に胸が痛くなった。

社会のどのような問題も影響を受けるのは、常に弱い立場の子供達だと思う。施設での生活を通して子供達が逞しく育つことを願っている。





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