重要なお知らせ

吉岡大祐のヒマラヤ活動日記 へご訪問いただきありがとうございます。 奨学生ならびに学校宛の手紙は普通郵便に限ります。受け取り手続きが必要なEMS(国際スピード郵便)や国際書留郵便、その他、DHL,OCS,FEDEXなど国際宅急便の利用はお断りしております。また物資による支援は自立を目指す学校の教育方針および関税等の問題から全てお断りしてます。どうかあしからずご了承ください。 今後ともよろしくお願いいたします。

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2005年03月08日

春の訪れ

今日は春を告げるお祭り『シバラットリ』が開催され、賑やかだった。街中で子供達がロープを張り、通行者にお金をねだる。子供達は集めたお金で薪を買い、夜、焚き火をして春の訪れを喜ぶという、なかなか面白い習慣だ。

今日は小銭をポケットに詰め込んで、学校までの道中に備えたが、あっという間に小銭が無くなってしまった。子供達は燃え上がる炎に何を想ったのだろう。ネパールは暖かい春を迎えた。

お祭りで学校は休みだったが、ヤッギャ校長先生、モンゴル先生らと共に『ヒマラヤ・子ども農園』の周りに竹囲いを作る作業を行った。

『お金をかけず、出来ることをしよう』と始めた子ども農園。今日の竹囲いの設置作業も、竹の伐採から加工まで、全てが手作業だ。あまり器用でない手先を使い、先生達に迷惑を掛けないよう務めた。何とか形が出来上がった頃には、すっかり汗だくになっていた。

途中、病気のジバン、リタ、シタへ薬を届けに行ったが、3人ともいなかった。高熱を出し、医師から安静の指導を受けているはずなのに、母親と薪集めに行ったそうだ。思わず、ため息が出た。

貧しいネパールでは子供は大事な労働力だ。熱があるからといって、休んでいるわけにはいかない。教育を受けていない親には、医師の指導もなかなか理解できないのかも知れない。いや分かっていても、兎に角、今を生きることで必死なのだ。幼い兄弟が高熱を出しながら、遠い森の中で薪を拾っている姿を想像して、また、ため息が出た。

その後、バイクに轢かれ、怪我をしたビニタを見舞った。顔色も良く、順調に回復しているようだが、傷が痛々しい。

夕方からは患者さん宅で、伝統行事に参加させてもらった。何時もながら親類の多さに驚く。その後、あすなろ食堂を見に行った。皆、すっかり慣れてきた様で、安心した。

今日からは新メニューも登場し、スミさん達は益々、やる気を出しているようだ。

今日も慌しい一日だった。


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2005年03月07日

最低の仕事

朝、雑用を済ませ、昼過ぎにヒマラヤ小学校へ行った。丁度、昼休みに入り、子供達は昼ごはん(簡単なスナック)を食べたり、縄飛びで遊んだり、楽しそうに過ごしていた。人懐っこい子供達と話しながら、何時も通りの時間が過ぎていた。その時、『ある児童が交通事故に遭った』と、村人から情報が入った。

ヤッギャ校長らと大急ぎで現場に向かった。そこには、バイクにはねられ、口から血を流し泣いている1年生のビニタ(9)がいた。

走行中のバイクがビニタの直ぐ傍でクラクションを鳴らし、その音に驚いたビニタが道路に飛び出し、事故に遭ったそうだ。

急いでパタン病院へ行き、緊急外来で見てもらった。幸いにもビニタは頭を打っておらず、また痛がっている足も骨折ではないとの事だった。口の中の裂傷から血が噴出していたが、こちらも問題ないとのことだった。

ヒマラヤ小学校には壁がない。誰でも学校に入ることが出来、また出ることも出来る。学校の前は煉瓦を積んだトラックが乾季のあいだ走り、また人攫いなどの事件発生している事から、子供達の安全を確保するため、一日も早い壁の設置を検討していた。しかし資金不足の問題から、いつの間にか後回しとなっていた。もちろん、壁を作れば済む話ではない。最終的には、やはり僕ら教職員が子供達を守るしかないのだ。

今日、とうとう事故が起きたしまった。子供達の安全を守れなかった事、とても反省している。ビニタの痛々しい顔を思い出すと、とても胸が痛い。もしバイクでなく、トラックだったら、、、、僕らは子供達を守るという最低限の仕事すら出来ていなかったのだ。

緊急職員会議では、教職員全員の責任であること確認し、2日以内に対策を講じることが決まった。2度と同じような事故を繰り返さないよう、もう一度、気持ちを引き締めなければならない。

今日はとても辛い日となった。











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2005年03月06日

美味しかったよ。また来るね。

朝、スミさん達と市場へ買出しに出かけた。あすなろ食堂のことで、唯一、僕が役に立てる仕事。市場がクリニックの直ぐ傍という事もあり、出来るだけ時間を合わせ、手伝うようにしている。

あすなろ食堂が開店して、丁度10日が経った。スミさん達4人は、力を合わせ本当に良く頑張っていると思う。

スミさん達4人は、同じ孤児院で育った仲間だ。孤児院を出た後、ヒマラヤ青少年育英会の女性自立支援を受け、4人で共同生活を送りながら、様々な職業訓練を受け、社会の一員となる準備を進めてきた。

女性の地位が低いネパールで、孤児は更に社会から虐げられている存在だ。日本を訪問したとき、スミさんが日本の皆さんの前で涙を流しながら語った話から、スミさんの僅か20年ばかりの人生が、とても辛く厳しいものだという事が分かった。

スミさん達は社会から虐げられてきただけに、人々のちょっとした優しさにとても感激する。日本の知人から頂いた手紙を、嬉しそうに読み返している姿を今まで何度も見かけた。

社会の一員となるための切欠にして欲しいと始めたレストランだが、古い伝統や習慣が強く残るネパールでは
、なかなか簡単ではない。今でも『女だけで水商売をしている』『孤児が人に媚を売って生活している』だとか、中には『売春宿だ』などと噂を立てる人たちもいる。

以前なら、周囲からそういう声が聞こえると『私は孤児だから。。。』と、涙を流していたスミさん達だが、レストランを開店して以来、多くのお客さんから『美味しかったよ、また来るね』と、暖かい声を掛けて頂いたことで、応援してくれる人が沢山いることを実感したようだ。スミさん達の纏め役のニルマラさんが、何時もスミさん達を励ましてくれることも、大きいだろう。

今日はあすなろ食堂にラリットプール郡の知事が訪れた。食事を終えた知事がスミさんを呼んで、『どの料理も美味しい。僕の妻にもぜひ日本食を教えてください。』と、冗談交じえながら、スミさんを励ましていた。

こうした人との関わりがスミさん達を勇気付け、大きな力になると思う。10日間、スミさん達の大きな成長が見られたこと、本当に嬉しく思う。

スミさん達が一生懸命頑張ることで、周囲の目も少しずつ変わってくるだろう。スミさん達の努力が、同じ境遇で暮らす孤児達の大きな力になると確信している。ぜひ若い女性達が『この店で働きたい』と、憧れを抱くようなレストランを築いて欲しいと思う。

今日も慌しい一日となりました。3・5









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2005年03月05日

朝のコーヒー

紅茶の産地であるネパールに暮らしながら、毎朝コーヒーを飲んでいる。早起きは苦手だが、毎朝、無理をしてもでも早起きを続けている。これはネパールに暮らし始めてから自分に約束したことで、気候も良く、のんびりしているネパールで、怠け癖が出ないようにするための対策だ。

毎朝、コーヒーを飲みながら、あれこれ考えることは、僕にとって一番楽しい時間かもしれない。学校のこと、クリニックのこと、奨学生のこと、寺子屋のこと、最近では2階校舎の建設や、あすなろレストランのことなどを考えると、時々、良いアイデアも浮かんでくる。

僕は時間に追われながらの仕事が、どうしても出来ない。メイルや原稿、レポートを纏めるような仕事は、夜中まで掛かっても出来るだけ、その日の内に済ませるようにしている。

朝、これらの仕事をするのは難しい。いくら早起きしても、その日の予定をいろいろ考えてしまい、なかなか集中できない。逆に夜は、一日の出来事で頭がいっぱいになり、あれこれ考える余裕がない。

今朝、何時ものようにコーヒーを飲んでいると、学校のことや、あすなろ食堂のことでアイデアが浮かんできた。上手く行くかどうかは分からないが、早速、実行してみようと思う。

朝7時半、ヤッギャ校長と共に大臣公邸へ行き、会長に2階校舎の進捗状況について報告した。セメントの不足についても報告すると、直ぐに心当たりの知人らに電話で問い合わせて頂いた。何とか来週明けにはセメントが届きそうで、安心した。

その後、あすなろ食堂が気になり、往診を休んで食堂へ行った。週末ということもあり、小さな食堂はお客さんでいっぱいだった。キッチンではスミさん達が慌しく働いていたので、コロッケなどの揚げ物を手伝った。

実際にキッチンを手伝ってみると、想像を超える忙しさだった。次々とくる注文に対応するのは、とても難しいと実感した。

今日は焼き鳥やコロッケ、唐揚げなど、多くの料理が完売した。仕事を終えたスミさん達は、疲れきっているものの、とても嬉しそうな表情をしていた。皆で売り上げを計算すると、今までで一番の成績だった。皆で拍手をして祝った。

売り上げは、お客さんにどれだけ喜ばれたかを表していると思う。自分達の努力が認められること、このことがスミさん達を大きく成長させていると思う。これからも頑張って欲しい。


今日も慌しい一日となった。3・4











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2005年03月04日

慌てない国民性

今朝、新年度ケナフ栽培に参加する学校へ種を配った。今年はカトマンズ盆地内の5〜10校で栽培、観察、収穫、紙鋤を行い、その成果を元に『ケナフフォーラム』の開催を予定している。出来れば『カトマンズ・ケナフ宣言』のようなものも行い、今後の活動に繋げたいと思う。

昼過ぎから2階校舎建設の打ち合わせ。先日まで行われていた交通封鎖の影響でセメントが少なく、価格も高騰しているという。こういう問題はネパールではよく起きる事だが、心配しているのは僕だけで、建設業者をはじめスタッフも『間に合うよ』と慌てない。何事も慌てない、のんびりとした性格のネパールの人だと分かっていても、なかなかこの習慣には慣れない。いつも通り、最後に辻褄(日程)が合うことを強く願っている。

夕方往診を終え『あすなろ食堂』を訪ねると、お客さんでいっぱいだった。スミさん達は忙しそうにしていたが、とても充実した表情をしていた。開店から1週間、スミさん達は喜ぶ暇もないほど慌しい時間を過ごしているが、多くの方々に支えられ、着実に力を付けていると思う。これからも努力を積み重ね、一歩ずつ前進して欲しい。

今日はインターネットを見られた方から、暖かいご支援のお話を頂いた。顔が見えない中でこうして暖かいご支援を頂くことに大変感謝している。お預かりした皆さんの善意をきちんと子供達に届け、有効に使わせていただくことが僕らの責務だと思う。ただ単に物を与えるだけの支援ではなく、夢が一歩、二歩と子供達に近づくような夢のある支援活動を目指したい。

今日も慌しい一日となりました。3・3


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2005年03月03日

無力な自分

今日、クリニックでの治療を終え、あすなろ食堂で昼食のオムライスを食べた。オムライスは僕の好物の一つなので、身近で食べられることはとてもありがたい。スミさんの作るオムライスも、どんどん美味しくなっている。

その後、ヒマラヤ小学校へ直行した。実は先日から気になっている児童(3人兄弟)がいて、今日は家庭訪問をしようと決めていた。予想通り、今日も学校へ来ていなかったので、手の開いたモンゴル先生と共に訪問した。

3人は大変貧しい家庭の子供達だが、毎日、学校までの遠い道のりを仲良く通っていた。特に兄のジバンは幼い妹達の世話を良くして、学校での活動にも積極的に参加していた。実は先日、ジバンは同じクラスメイトの母親に、人身売買されそうになっていた。放課後、寂しそうな顔をして職員室の傍に座っているジバンを見かけ話しかけたところ、『明日から学校へ来ないと思う』と、思いがけない返事が返ってきて、問題が発覚した。ヤッギャ校長らの説得で、なんとか事前に問題を防ぐことが出来たが、そういう問題があっただけに、ジバンたちが数日間も学校へ来ていない事を心配していた。

リタジバンの家を訪ねると、幼い妹達(リタとシタ)が軒先で泣いていた。ボロボロの服を着ているリタとシタの周りには何百匹ものハエが飛び交っていた。





モンゴルチェックリタとシタに『どうしたの?』と問いかけても、泣くばかりで答えが返ってこなかった。もしかしたらと思い、体を触ってみると、2人とも高熱があり、お腹が膨れ上がっていた。





話丁度、薪を担いで帰ってきた母親に尋ねてみると、ジバン、リタ、シタ共に、数日前から体調が悪いとのこと。お金がないため医師に診せることも出来ず、放置しているとのことだった。暫くしてジバンも薪を担いで帰ってきた。ジバンは明らかに高熱があると見られ、足元がふらついていた。急いで3人を連れ、パタン市内の診療所へ行き、医師の診察を受けた。医師によると3人とも腸チフスを患っているとの診断だった。



ジバン母ジバン達の父親は酒飲みで、幼いジバン達へよく暴力を振るうそうだ。母親は教育を受けておらず、字を読むことすら出来ない。知識のない母親を責めることは出来ない。写真:母親はつい先日、酔っ払った夫に鎌で手と頭を切りつけられたと、傷口を見せた。傷口には歯磨き粉が塗ってあった。

一体ジバン達のような子供達に対して、僕らが出来ることは何なのだろうか?何をすれば良いのか?子供達の直面する厳しい現状を見るたびに、そんな疑問が沸き上がり、自分の無力さを痛感する。ジバン達の一日も早い回復を願いつつ、自分なりの答えを見つけてみたい。


慌しい一日となった。






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2005年03月02日

子供達の努力。

今日は朝からクリニックで治療。大勢の患者さんで多忙となった。以前、日本の知人がクリニックを訪れたとき、『患者さんと会話が弾んでいいね』と言われたことがあった。僕が治療を担当させて頂いている患者さんは、癌を患われた方や貧しい方が中心であるため、それぞれに苦しい胸の内がある。

治療はイマイチでも、会話を通して少しでも気持ちが楽になって貰える様な、そんな楽しいクリニックを目指している。(なかなか難しいですが。)

クリニックを終え、夕方から始まる往診までの間、ヒマラヤ小学校の子供達と会いたい気持ちを抑えつつ、久しぶりに家に篭って某機関紙の原稿を書いた。

ネパールの現状があまり知られていない中で、文章を通して現状をお伝えする機会をいただく事は、とても有難い。少しでも現状がお伝えできるよう上手く纏めたいが、なかなか纏まらないのが素人。今日も苦戦の上で、ようやく纏まった。

夕方から往診に出かけ、途中、里親教育基金の奨学生宅を訪問した。ネパールでは義務教育がないため、子供達は年度末に進級試験を受けなければならない。どの奨学生達も、進級試験に向け一生懸命頑張っていた。

奨学生達は貧しい生活の中で、よく母親を手伝い、勉強も頑張っている。朝6時から始まる早朝の学校へ通い、帰宅してから水汲み、洗濯、料理と慌しい一日を過ごしながらも一生懸命頑張っている姿に、何時も感心してしまう。

子供達のひたむきな努力を見ていると、何不自由なく豊かな時代に育ち、勉強が大嫌いだった自分自身を振り返り、自責の念にかられる。少しでも子供達の夢が叶うよう、一生懸命応援することが僕に出来る唯一の事だと思う。

夜遅くになって、あすなろ食堂を訪ねた。今日はお客さんが少なかったようで、スミさん達は不安げな表情をしていた。皆で料理の味を確かめ合いながら、あーでもない、こうでもないと、いろいろ考えていた。

こうして一生懸命考えることが、とても大事だと思う。考えることで必ず道が開け、よいレストランになることを確信している。スミさん達には、同じような境遇で暮らす孤児たちが憧れを抱き、大きな希望を持てるような、レストランを目指し頑張って欲しいと思う。

あっという間に過ぎたが、良い日となりました。






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2005年03月01日

心の励み。

ボランティアに参加したMさんから、子供達へプレゼントが届いた。プレゼントには『将来、なりたい自分になれるよう、努力を惜しまず頑張ってください』と素敵なメッセージが添えられていた。学校の未来図や、Mさんがボランティアに参加された時に子供達がダンスを踊ったお礼として、お菓子もいただいた。

子ども達はボランティアの人々をとても尊敬し、『将来、ボランティアのお兄さん、お姉さんのようになりたい』と、強い憧れを抱いている。ボランティアの人々の優しさ、そして情熱が子供達によく伝わるのだろう。

子ども達は『人としての優しさ』を常に求めている。ボランティアの方と手を繋いで歩いたこと、抱えてもらった事、頭を撫でて貰い、『頑張ったね』と誉めて貰ったこと、何気ないことが、社会から厳しく虐げられている子供達にとって、大きな勇気付けとなり、心の励みとなっている。

プレゼントを貰った後、モンゴル先生に『日本はどの方角ですか』と尋ね、『M先生、ありがとう』と、日本まで声が届けといわんばかりに大声で叫んでいる子供達が、とても印象的だった。人との関わりが子供達の夢を育て、生きる力になることを実感した。

夕方からヤッギャ先生、モンゴル先生と共に期末試験の打ち合わせを兼ね、『あすなろ食堂』へ行った。レストランには日本人のお客さんや、ネパール人の若いグループが来ていた。今まで知人が中心だったが、こうして一般の方が足を運んでくれることは、スミさん達にとって大きな励みになると思う。お客さんの『美味しい』という声に、スミさん達のひたむきな努力を見た。

今日も良い日となりました。









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2005年02月28日

若い力

今日は環境問題に取り組んでいるサダナと会った。サダナは2000年に西宮市で開催された『アジア・太平洋こどもエコ会議』に、ネパール代表として参加した聡明な女の子だ。まだ17歳というのに一生懸命、環境保全活動を続けている。

サダナは単に聡明なだけでなく、何事も恐れない行動力を持ち合わせている。何時も前向きに頑張っている姿には、頭が下がる。自分がサダナと同じ17歳の頃、一体何をしていたのか?思い出すことも出来ないほど、無意味な時間を過ごしていたように思う。

きっとサダナのような学生が将来、ネパールの中心となって活躍するのだろう。ささやかながらも、サダナの活動を応援していきたいと思う。

今年は、ネパールでケナフフォーラムを開催したいと考えている。そのためにカトマンズ盆地内の数校でケナフを栽培し、子供達がケナフを観察する活動を考えている。フォーラムは、サダナのような若い人たちが中心となって開催することが大事だと思う。

夕方からは大臣官邸でヒマラヤ青少年育英会のミーティングに出席。順調にミーティングが終わり安心した。来年度の教師雇用についても話し合われたが、僕としてマナ・マヤ・グルンさんを推薦した。マナさんはスミさんと同じ孤児院で育った孤児。昨年6月から得意のダンスと歌をヒマラヤ小学校の子供達に教えている。

僕はマナさんの真面目で誠実な性格を高く評価している。マナさんには午後3時から午後4時の間でダンス教室をお願いしたが、彼女は毎回、昼前には学校へ来て、いろいろな手伝いをしてくれる。

もちろん今まで教員としての経験もなく、今後研修を受ける必要があるが、何よりもマナさんの誠実さと『子供達のために何かしたい』という情熱を評価したいと思う。

学校は先生方の情熱に掛かっていると思う。情熱ある先生がいなければ、学校は直ぐに駄目になると思う。理想を言えば切がないが、マナさんならきっと良い教師として活躍してくれると確信している。

今日も良い日となった。




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2005年02月27日

苦手な作業

昨夜、久しぶりにホームページを更新した。毎日、学校では様々なことが起こるので、頻繁に更新しなければならない。また一人でも多くの人にヒマラヤ小学校の子供達のことをお伝えするためにも、頻繁な更新が欠かせない。

時々、ホームページを見られた方から『毎日、楽しみに見てますよ』と、暖かい励ましのお便りをいただく事があるが、そんな時はとても嬉しく、やる気も沸いてくる。

元々、僕はコンピュータも、文章を書くことも苦手で、今でもコンピューターを十分に理解出来ていないのが実情。それでも苦手な2つの作業を続けているのは、子供達が素晴らしい事と、応援してくださる方々の暖かいご声援があるからだと思う。

本来、プロの方にお任せすれば、もっと分かりやすく素晴らしいホームページやニュースレターが出来るだろうし、組織が大きくなるにつれ、それぞれの専門知識を持った人材は必要だと思う。

時々、他の大きな団体のニュースレターなどを見ると、羨ましく思うこともある。文章も写真もコンピューターも全て苦手だが、少しでも上達するよう頑張りたい。

今日は『あすなろレストラン』を客として訪ねた。やはり客の立場で見ると、全体が良く見える。コロッケを食べながら改善点を纏めてみた。それにしてもコロッケは美味しかった。

夜の往診を終え帰宅し、直ぐに某新聞社で連載させて頂いているコーナーを執筆。文章を書くときはリズムがとても大事な気がする。自分の書いた拙稿がプロの編集を経て、見違えるような文書に生まれ変わることに何時も驚かされる。やはりプロは凄いと感心してします。

明日は早朝から往診、学校、ミーティングと多忙な一日となりそう。明日も全力で頑張りたい。

今日は良い日となりました。




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2005年02月26日

煉瓦を積み上げるような努力

今朝、往診を済ませた後、『あすなろ食堂』へ行き、焼き鳥のたれの仕込みを手伝った。スミさん達も昨日の経験で少し自信がついたようで、顔つきがすっかり変わっていた。

仕込みを終えた後、ヒマラヤ小学校へ直行した。何時もながら、子供達の歓迎が嬉しい。どの子供達も学びの喜びが顔中に溢れている。

ヤッギャ校長と『教師評価システム』の導入について話し合った。また僕自身、今まで以上に先生達との会話の必要性を感じていることから、月一回の『教育研究会』の開催を提案した。ヤッギャ校長からも同意を頂き、早速、両案共に準備を始めることが決まった。

ヤッギャ校長は『何とかなるさ』のネパールで、珍しいほど誠実で几帳面な性格だ。『村の教育のために全てを捧げたい』と、務めていた大企業を辞めて(給与も大幅減)、ヒマラヤ小学校の校長に就任した。

教育に対し情熱と素晴らしいビジョンも持ち、何事も誠実に、全力で取り組んでいる。これまでヒマラヤ小学校が予想以上に素晴らしい成果を収めたことも、ヤッギャ校長の努力が大きい。僕にとって心から尊敬できる方だ。

今まで時間のある限りヤッギャ校長と話をしてきたが、せっかくの素晴らしいアイデアを、他の先生とも共有し今後の学校発展のために役立てたいと思っている。

午後5時から、文化・観光・航空相に就任したバジュラチャルャ会長を訪ねた。全閣僚が暮らす大臣公邸内は厳重な警備が敷かれ、面会できるまでに長い時間が掛かった。

インドでの国際会議に参加し、夕方帰国されたばかりだったが、疲れた表情すら見せずに快く迎えていただいた。

会長がインド訪問中に纏まった、2階校舎増築について説明をした。そして27日に緊急理事会を開き、2階校舎増築の説明を行うことが決まった。超多忙の中でも、何時も子供達の教育のことを第一に考える会長の姿勢は、僕にとって大きな勉強になる。

大臣公邸を後にし、ヤッギャ校長と共に奨学生宅を訪問した。ヤッギャ校長にはヒマラヤ小学校だけでなく、里親教育基金などの分野でも、積極的に参加して頂きたいと考えている。まずは現状を見ていただくことが第一だ。

その後、あすなろ食堂を訪問。昨日に引き続く大盛況。スミさん達が活き活きと仕事をしている姿を見て、嬉しく思った。正に水を得た魚のよう。本当によかった。今日は日本人のお客さんも来てくれた。

どんな事も全ては努力の積み重ねだと思う。バジュラチャルャ会長やヤッギャ校長、そしてスミさんを見て、そのことを痛感した。

煉瓦を一個ずつ積み上げるような努力を続けていきたい。
慌しくも充実感のある一日だった。








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2005年02月25日

なんとか開店。

今日は朝からレストランの手伝いで大忙しだった。ヒマラヤ青少年育英会の女性自立支援を受けて2年、4人とも本当に良く頑張ってきたと思う。ようやく念願のレストランを開店することが出来た。

特に中心となって頑張っているスミさんは、自身の夢でもあったレストラン開店が実現し、涙を流していた。今まで社会から虐げられてきた彼女達にとって今日は、希望に満ちた新しい人生の始まりだ。ぜひ頑張って欲しい。

今日は予想を超えるお客さんが来てくれ、ゆっくり喜んでいる暇もないほど忙しかった。友人達も手伝いに来てくれて、何とか初日が終わった感じ。これから彼女達には本当の意味での自立を目指し、一歩ずつ頑張って欲しい。

僕自身、学生時代にレストランでアルバイトに従事していた経験があり、今日は一日、懐かしい気分にもなった。まだまだ修正点はあるが、彼女達が考え人々に喜ばれる、小さくても暖かいレストランを築いて欲しい。

その後は奨学支援をしている子供達の内、今年度のSLC(全国統一卒業認定試験)を受験する生徒を訪ねた。SLCまで残すところ1ヶ月あまり、今年は初めて奨学生がSLCを受験するので、とても緊張している。大げさかもしれないが受験生を持つ親の気持ちが少し分かった気がする。

ヒマラヤ青少年育英会の自慢は、支援をしている子供達がどの子も素晴らしいことだ。皆、支援への感謝の気持ちを忘れず一生懸命に頑張っている。勉強だけではない、シラミ退治や医療キャンプなどの活動にも、みな積極的に参加してくれる。

夢に向かい頑張る素晴らしい子供達がいるから、支援活動が出来るのだと思う。

今日は忙しいく大変疲れたが、良い一日となった。



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2005年02月24日

慌しい一日

朝6時半からネパール癌協会のクリニックで仕事。顔なじみの患者さんとの会話や新しい患者さんとの出会い、僕にとって人との関わりがネパールで一番の楽しみだ。

ネパール癌協会でペインクリニック科を開設させて頂き、5年が過ぎようとしている。今まで多くのがん患者さんとの出会いがあり、そして別れもあった。皆さん、僕のような若輩者の治療を信じてくださり、何時も暖かく励ましてくださっている。患者さんとの関わりがなければ、こんなに長い間ネパールで生活できなかったと思う。つくずく運が良かったと実感している。

2時にクリニックを終え、ヒマラヤ小学校へ直行。学校は休みだったが、2階校舎建設の件で施工業者との大事な打ち合わせがあった。なんとか予定通りに進んで欲しいと思う。

その後、ブンガマティ村の下の集落で開設している寺子屋を見に行った。子供達は薄暗い寺小屋の中で、瞳を輝かせながら一生懸命勉強していた。とても嬉しく思った。何とか一人でも多くの子供達を来年度からヒマラヤ小学校へ入学できるようにしたい。

寺子屋から大急ぎでパタンに戻り、レストランの準備を手伝った。何事も慌てないネパールの人たち、何時もぎりぎりだが、上手い具合に間に合ってしまう。

レストランも夜12時半まで準備に追われたが、なんとか開店の準備が出来た。今後の道のりは決して平坦ではないが、皆さんに喜んで貰えるレストランを目指したい。

いささか慌しく、肉体的・精神的に疲労した一日だった。





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2005年02月23日

歓声に沸く校舎。夢に向かう女性たち。

今日、ヤッギャ校長先生から子供達に2階校舎建設が伝えられた。みんな心待ちにしていただけに、大きな歓声が湧き上がった。

入学が決まった時の笑顔、先生に誉められた時の笑顔、動物園へ初めて行った時の笑顔、いつも子供達は笑顔で溢れているが、今日の笑顔も格別だった。

勉強はからっきしでも、何時も元気いっぱいの男の子4人組は『僕らが煉瓦を全部運びます。』と、可愛らしいことを言っていた。子供達の歓声が止まぬ間に、突然大雨となった。ネパールは日毎に春が近づいている。

ヒマラヤ青少年育英会の『女性自立支援』を通して、孤児院を出た4名の女子を支援しているが、この度、4人が協力してレストランを開店することとなった。

4人ともレストラン開店の夢に向かい、一生懸命頑張ってきたが、やはり開店が近づくにつれ少しずつ弱音を吐くようになった。年齢が20歳前後、ましてや孤児院で育ち、社会から今まで様々な虐げを受けていた女の子にとって、社会の一員となることはとても大きな冒険だと思う。

昨日は女性自立支援の母役をお願いしているニルマラさんが、彼女達とゆっくり話をしてくれた。

今日4人は、昨日とはまったく違う、希望に溢れた素晴らしい表情を見せてくれた。占星術師の指示により開店の日が24日と決まった。これから4人が協力して、全力で頑張ってくれることを確信している。このレストランが、同じような境遇で暮らす女子の、大きな希望となって欲しいと思う。

僕よりも若い人たちの成長を見ると、とても勇気付けられる。今日も良い日となった。


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2005年02月22日

念願の2階校舎建設。

昨年、クラーク記念国際高校はじめ、多くの方々の善意のご支援を頂き、カトマンズ郊外の緑に囲まれた小さな村(ブンガマティ村)に、ヒマラヤ小学校が開校した。

実は着工当時、当初予定していた募金額に届かず、結果的に1階部分、4教室での開校となった。しかし入学を希望する子供達は多く、初年度から全ての教室が埋まってしまった。

なんとか来年度(2005年4月)までに2階部分の増築実現を願っていたところ、この度、神奈川県内の方から暖かいご支援のお申し出をいただき、念願の2階校舎建設が実現する運びとなった。正式な建設許可も下り、いよいよ2階校舎の建設が始まる。

何時も子供達から『2階は何時出来ますか?』や、煉瓦を積んだトラックが学校の前を通るたびに、『私達の学校には、いつ煉瓦が運ばれてきますか?』など、不安げな質問を受けていたので、早く子供達にも増築のことを伝えたい。

明日、子供達に2階校舎の増築の事を伝えるが、今から子供達の喜ぶ姿が目に浮かんでくる。教育環境が整うと共に子供達の夢がどんどん育つよう頑張りたいと思う。

今日は嬉しい日となった。


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2005年02月21日

吉岡大祐 プロフィール

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吉岡 大祐(よしおか だいすけ)

ネパールがん協会フリークリニック 鍼灸師
ヒマラヤ小学校運営責任者





1976年3月生まれ。1998年、鍼灸師国家試験合格後、22歳の時にネパールへ渡る。トリブヴァン大学で学ぶ傍ら、近所の老人達へ無料鍼灸治療を始める。へき地の村で開催された医療キャンプに参加した際、衛生知識がないために多くの子ども達が感染症で亡くなる現状を目の当たりにした事から、友人、知人らと共に「ヒマラヤ青少年育英会」を立ち上げ、僅かな基金を元に貧しい子ども達の就学支援活動を始める。
2004年、プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎氏や日本の高校生の協力の元、3年間の募金活動を経て、現地の小さな村に「クラーク記念ヒマラヤ小学校」を開校。運営責任者として学校運営を行う他、子ども達と学校の自立を目指し、職業訓練に力を注いでいる。

受賞歴
2003年: 21世紀若者賞(社会貢献支援財団)
2006年:善行表彰・国際貢献表彰((社)日本善行会)
2009年: テレビ愛媛賞 ((株)テレビ愛媛)
2009年: 人間力大賞・準グランプリ 外務大臣奨励賞、参議院議長奨励賞受賞 ((社)日本青年会議所)

メディア
2007年3月4日 TBS「夢の扉 NEXT DOOR」 〜ネパールで貧困と戦う鍼灸師〜
2009年6月7日 NHK BS1 「地球アゴラ」 BS1 20周年特集 地球アゴラで世界1週  
2010年8月11日 NHK BS1「地球アゴラ」〜私の国のジャパニーズヒーロー〜
2014年12月27日   テレビ愛媛開局45周年特別番組「ネパールに咲く小さな花」

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック愛媛」
共同通信社「つながる」2012年2月配信
みんなの未来応援マガジンKey 「人生の鍵」
NO1 Shimbun 外国人記者クラブ


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