重要なお知らせ

吉岡大祐のヒマラヤ活動日記 へご訪問いただきありがとうございます。 奨学生ならびに学校宛の手紙は普通郵便に限ります。受け取り手続きが必要なEMS(国際スピード郵便)や国際書留郵便、その他、DHL,OCS,FEDEXなど国際宅急便の利用はお断りしております。また物資による支援は自立を目指す学校の教育方針および関税等の問題から全てお断りしてます。どうかあしからずご了承ください。 今後ともよろしくお願いいたします。

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2005年04月12日

保健衛生

昨日に引き続き、歯科医師の先生にヒマラヤ小学校へお越し頂き、昨日の検診で問題の見つかった子供達の治療が行われた。

先生にはお忙しい中、2度も学校までお越しいただき、一人ひとりの子供達にやさしく丁寧な治療を施していただいた。普段、十分な医療を受けられない子供達にとって有意義であったことはもちろん、『保健衛生の向上』に力を入れている学校としても、大変ありがたく心から感謝の気持ちをお伝えしたい。また先生にはヒマラヤ小学校での『歯科検診・治療』を継続的な活動としてご協力いただくこととなり、とても心強い。

さて新学期を前に、新年度の新入生選考会を13日に予定している。これまで寺子屋などから家庭訪問による現状調査を通して、約60名の中から30名の子供達が一次選考されている。残念ながら予算の関係もあり、最終選考で更に20人まで絞り込まなければならない。どの子供達も就学の夢を描いているだけに、とても難しく辛い作業となる。

選考には簡単な試験も行われるが、やはり一番の判断基準は本人の熱意と親の協力だ。ネパールの学校では中途退学率が極めて高い。これは親の教育への関心が低いことが主とした原因といわれている。もちろん貧しい人々は今を生きて行く事に必死で、教育に対し関心を持つ余裕がないのも現実だと思う。仮に関心を持っていても、子供達を学校へ通わせることが簡単でないことも事実だ。

無償教育を実施しているヒマラヤ小学校でも、昨年度1年間で5名の児童が家庭の事情等により学校を去っていった。後ろ髪を引かれながら学校を去って行った子供達の事を思うと胸が痛い。

新入生20名が楽しい学校生活を送り、無事5年生を卒業できることを願っている。


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2005年04月11日

歯科検診

今日は歯科医師の先生にヒマラヤ小学校へお越しいただき、歯科検診が行われた。どの子供達も虫歯は少ないものの、歯石や歯周病が多いとのことだった。歯磨き指導も行われ、子供達は手鏡を見ながら一生懸命に歯を磨いていた。今後とも子供達の保健衛生の向上に努めていきたい。

その後、先生と共に同じブンガマティ村にある障害児施設を訪ね、障害児への歯科検診を行った。久しぶりに施設を訪ねたが、周囲の人々の暖かい支えにより、どの子も大きく成長していてとても嬉しかった。

ネパールでは社会福祉整備の遅れから、障害児を取り巻く環境は厳しい。こうして民間団体が一生懸命、障害児を支えていることはとても有意義なことだと思う。

施設の中に最近入所した子がいたが、所謂、反政府ゲリラの仕掛けた爆弾により、大やけどを負い失明した子だった。目を覆いたくなるような現状に胸が痛くなった。

社会のどのような問題も影響を受けるのは、常に弱い立場の子供達だと思う。施設での生活を通して子供達が逞しく育つことを願っている。





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2005年04月10日

ホームページ更新

今日は昼から休みを取り、溜まっていたホームページの更新作業を行った。ここのところヒマラヤ小学校では様々な行事が行われニュースも盛り沢山だったが、雑用に追われてしまい更新出来ない日が続いていた。

こんな小さなホームページでも、読んでくださる方がいる事は大きな喜びであり、僕の励みとなっている。ホームページを通して、子供達の成長を喜んで下さる方のためにも、なるべく頻繁に更新できるよう頑張りたい。

明日はヒマラヤ小学校で歯科検診が予定されている。昨年も歯科検診を開催したが、普段、お菓子を食べる機会が少ないせいか、子供達の歯の状態はとても良いそうだ。ぜひ歯科検診を通して、保健衛生の知識を増やす機会にして欲しいと思う。

今日は久しぶりにゆっくり出来ました。
ホームページを更新しまいした。ぜひご覧ください。



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2005年04月09日

医療キャンプ

今日は医療キャンプを開催した。カトマンズから直線距離で僅か10キロ程度しか離れていない村だが、医療施設はもちろん薬局すらない現状で、人々は十分な医療を受けることが出来ていない。現在の悪路が雨季になると更に酷くなり、村は『陸の孤島』となる。そんな環境で暮らす人々の生活を想像するだけで、気が遠くなってしまう。

今回の医療キャンプでは、おこがましくもアレンジを担当したのでキャンプが終わるまでは気が抜けなかった。ヤッギャ校長と何度も村を訪ね、キャンプの開催を各集落の人々に呼掛けはしたものの、農作業の忙しい今の時期に果たしてどれだけの人々が来るか予想できなかった。

結局キャンプには大勢の子供達を含む、約200名の人々が集まった。何時もながら、ご参加いただいた医師の先生達の献身的な活動には頭の下がる思いだ。

キャンプには補助としてナショナル・マルティプル・キャンパスの看護学生が参加したが、初めての体験の中でも本当に良く頑張ってくれた。こうした医療キャンプでの実地経験は必ず後で活きてくると思う。

キャンプの後は先生達と夕食を共にした。今日のキャンプのことや医療の現状のことなど、楽しい話に花が咲いた。

ネパールでの幸運の一つは、こうした素晴らしい人たちと共に医療キャンプに参加できた事だと思う。僕の出来ることは微力だが、少しでもお役に立てればと思う。

今回、キャンプにご参加いただいた医師の先生方、医療スタッフの皆さん、そして施設を提供してくださり、様々なご協力を頂いたクマリ小学校のトゥラダール校長、そしてヒマラヤ小学校のヤッギャ校長とモンゴル教諭に心から感謝したい。

今日は充実感でいっぱいの日となりました。

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2005年04月08日

ダンス大会出場

ヒマラヤ小学校として初めての参加となるダンス大会。夕方5時から始まる大会を前に、朝からアシュミタによる子供達へのダンス指導が行われた。

なんとかダンス衣装も間に合い、参加準備は整った。ヒマラヤ小学校では試験などが続き、暫くの間ダンスクラスが開催されていなかったため、子供達がどこまでダンスを憶えているか心配だった。

ダンス大会に参加するプジャ、ソニー、ナニタ、ディーパの4人は、同年齢(9歳)で背丈もほぼ同じ、また成績も3,4,5,6番と仲良く並んでいる。動きが合えばダンスはとても綺麗に見える。

アシュミタは慣れない指導にも関わらず、子供達を一生懸命指導した。少しずつ動きが合い始め、大会前には何とか全員で間違えずに踊れるようになった。

今回のダンス大会はブンガマティ村だけでなく周辺の村からも参加者がいてとても賑やかだった。順番を待つときは、やはり子供達よりも僕達の方が緊張していたように思う。スポットライトを浴びて人前で踊るなど、決して簡単なことではない。(と、僕は思う)

ヤッギャ先生たちと共に子供達を励ましながら、妙に細かいところまで指導していたことは、今思い出すととても可笑しい。子どもを持つ親の気持ちが少し分かったような気がした。

さて終に子供達の順番が来た。先生達も祈るようにステージを見つめていた。僅か数分の曲が、今日は何十分も何時間にも感じられた。緊張が頂点に達した頃、踊りは無事に終わった。子供達は大勢の観客を前に堂々と踊り大きな拍手を受けた。子供達をとても頼もしく思った。

ダンスの後はモンゴル先生の感涙にむせぶ姿が見られた。子供達は先生達に誉めてもらい、とても嬉しそうだった。これからも一生懸命頑張って漸進して欲しい。

寺子屋の子供達も良く頑張った。3組も登場すると最後まで気が抜けずなかなか疲れたが、とても良い経験となった。










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2005年04月07日

新入生選考

朝から新入生の選考のため子供達の家を訪問した。どの家庭も厳しい現状を抱えているため、どの子どもを訪ねても言いようのない無力感を感じる。来週13日には全員を呼んで最終的な選考を行う予定。

今年は予算の関係で20人という定員が設定された。20名という枠で子供達を選考するのはとても難しい。最終的な判断基準が親の協力度や熱意に掛かっているため、なおさら難しい。

それでも学校が出来たことで、こうして新入生を迎えられる事はとても嬉しい。新しく入る20名の子供達のためにも、もっともっと楽しく、夢のある学校を目指したい。

夕方、日本から到着された歯科医の先生を訪問。楽しいお話に時間が経つのを忘れた。ネパールを良く知る日本の人達との話はとても楽しい。きっとそれぞれに、ネパールへの思い入れがあるからだと思う。

明日、忙しいムヌさんに代わり、奨学生のアシュミタへ子供達のダンス指導を頼んだ。支援を続けている奨学生達がとても協力的なことも嬉しい。

今日は慌しくも楽しい時間となった。







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2005年04月06日

ダンスへの熱意

8日に予定されているダンス大会に寺子屋の子供達も参加することとなった。今日はヒマラヤ小学校で寺子屋の子供達のダンス練習が行われた。皆、近所のお姉さんから借りてきた民族衣装を着て、恥ずかしそうにはにかんでいた。

ネパールの子供達の一番の楽しみはダンスだ。ネパールでは様々な年中行事で必ずダンスが踊られる。幼いうちからそのような環境で育っていることもあり、ダンスが上手や下手という以前に、子供達は根っからダンスが大好きだ。恥ずかしくて、今までダンスを楽しんで踊ったことがない僕は、子供達のダンスへの熱意に何時も感心してしまう。

今日、寺子屋の子供達は熱心に練習を続けていた。今回のダンス大会にはヒマラヤ小学校から1組(4名)と、寺子屋から2組(11名)が参加する。子供達には勝ち負けにこだわらず、思いっきり大好きなダンスを踊って欲しい。結果は必ず後でついてくると思う。

練習を終えた後、寺子屋の子供達が使用した教室をきちんと清掃し、ラジカセまで磨いている様子を見て、とても嬉しかった。シャム先生の教育がとても行き届いていることを実感した。帰り際、子供達から『8日のダンス大会には必ず来て欲しい』と要請を受けた。もちろん出席し、会場から子供達へ大きな拍手を贈りたいと思う。皆、頑張って欲しい。

今日も良い日となりました。



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2005年04月05日

1分間スピーチ

今日は日本からのゲストの方をお迎えし、ヒマラヤ小学校でお楽しみ会を開催した。

学校は既に春休みに入っているが、長期間、学校を休みにしてしまうと、せっかく学校生活に慣れた子供達に良くないとの考えから、週に3日ほどレクレーションの自由クラスを開催している。

今日は子供達がゲストの方にダンスを披露したり、ゲストの方とゲームをしたりと、とても楽しい時間となった。

今日はお楽しみ会の中で、子供達の1分間スピーチが行われた。1分間スピーチはヤッギャ校長の提案で新学期から全学年で始める予定となっているが、今日は他校から借りてきたマイクがあった事もあり1分間スピーチを試してみた。

まだ1分間スピーチを理解できていないようで、ヤギや牛の鳴き声の真似をする子や、歌を歌う子、イヌの真似をする子などがいて、かえって面白かった。

始めのうちは恥ずかしがっていた子供達が、積極的に手を挙げ始め参加したことには大きな手ごたえを感じた。ヤッギャ校長はじめ先生達もも子供達を盛り上げるために、一人ずつ歌を歌った。子供達からも笑顔が溢れ、とても楽しい時間となった。

教育を受けていない村の人々、特に女性達は公の場で自分の意見を述べる機会が極めて少ない。結局、貧しさの影響を受けているのは、何時も弱い立場の女性や子供だ。

1分間スピーチが子供達にどのような影響を与えるか、遣ってみなければわからない。しかしヤッギャ校長が半年前から一生懸命呼掛けてきた1分間スピーチが、必ず子供達に良い影響を与えることを確信している。

楽しい一日となりました。



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2005年04月04日

会話の重要性

昨日、成績発表と同時に表彰式が行われた。チョラ・チョリの皆さんにもご参加いただき、初めての表彰式が無事開催できた事、とても嬉しく思った。

表彰式では各クラスの成績上位3名ずつへ『成績優秀賞』と、皆勤児童へ『皆勤賞』、また1年を通して清潔にした子へ『清潔賞』が贈られた。1年の成果を誉められた子ども達は大喜び、皆とても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。特に1年生で2番の成績を残し『成績優秀賞』と『皆勤賞』を同時に受賞したクマールは『来年は成績1番と清潔賞を受賞して3冠を目指す』と、笑顔で公言していた。表彰式は終始、子供達の笑顔が溢れ楽しい時間となった。各表彰が子供達の励みとなることを願っている。

表彰式の後、某レストランで慰労会を開催し、先生達と一緒にこれまでの活動についてゆっくり話し合った。各先生共に時間の経過を感じないほど、あっという間に1年が過ぎたと話していた。それだけ先生達も充実していたのだと思う。また学校の長所や短所についてや、今後の目標なども意見交換することが出来、大変有意義な時間を過ごすことが出来た。

こうした学校外での自由な話し合いはとても大切だと思う。学校内での話し合いだけでは、どうしても『教師』としての意見が中心となり堅くなってしまう。お互いの理解を深めるため時には教師としてではなく、一人の人間として、また友人として話し合うことが重要だと思う。

学校は先生達のチームワークが大切だ。チームワークの成功には各先生同士の信頼関係とお互いの理解が欠かせない。

開校前、ヤッギャ先生が『会話の重要性』について話していたが1年間の活動を通して、その意味が良く分かった気がする。今後も先生達が自由に意見を述べられる環境を整備していきたい。

今日も良い日となった。








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2005年04月03日

ラケシュの変化

今日はヒマラヤ小学校の成績発表が行われた。見事、合格した子もいれば、残念ながら落第してしまった子もいて、とても複雑な気持ちだった。落第した子達をどうやって励ますか、なんとも難しい問題だ。

一番、気になっていたのが1年生のラケシュ(11)。両親ともに障害を持っていることも関係してか、ラケシュは人付き合いがとても苦手で、入学当時は他人と話すことも出来ず、教室に入る事すら怖がっていた。もともと1年生にはラケシュを含め男子が3名しかいない。女子が大半を占めていることも、ラケシュにとって影響があるように思えた。

物静かな性格のラケシュをどのように学校に溶け込ませるか、先生達とのミーティングの度に話し合った。なかなか良い案が出ないまま悩んでいた時、ブンガマティ村の寺子屋を担当しているシャム先生から、ラケシュを寺子屋に通わせたらどうか?との提案を受けた。早速、ラケシュを寺子屋へ送り様子を見ることにした。

寺子屋にはラケシュと同じような年頃の男の子が沢山いるため、ラケシュは少しずつ打ち解けはじめた。1ヶ月も経たない内に、ラケシュの顔から笑顔が見られるようになった。ラケシュの変化にはとても驚いたが、周りの環境が子供達を変える事を実感し、先生達と喜んだ。

今、ラケシュはボール遊びに夢中だ。昼休みには友達とサッカーボールを蹴り合い、元気良く遊んでいる。

1学期の成績の影響で、残念ながら合格点に20点足りずラケシュは落第した。しかし成績は以前に比べ信じられないほど上がっている。

ヤッギャ先生に成績が上がっていることを励まして貰い、ラケシュの顔は明るかった。ラケシュに何気なく『どうだった?』と尋ねると、『2教科落としたけど、成績は上がってるよ』と明るい表情で返事が返ってきた。

入学当時からは想像も出来ないラケシュの大きな変化は、僕らの励みにもなっている。今回、残念ながら落第したラケシュ達が新学期から前向き頑張ってくれることを確信している。












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2005年04月02日

初給料日

昨日は『あすなろ食堂』の初めての給料日だった。これまで多くの人々に支えて頂き、スミさん達は一生懸命がんばることが出来た。

給料袋を受け取った時、スミさんは感極まって涙を流していた。スミさん達にとってこの1ヶ月は、短いようでとても長かったに違いない。過去のスミさんの苦しみを知っているだけに、スミさんが前向きに頑張っている姿を見られる事はとても嬉しい。

僕もささやかではあるが、毎日あすなろ食堂で昼食を食べ、スミさんへの援護射撃を行った。お陰ですっかり太ってしまい、スミさんにその事を話すと『本当ですか?大祐さん、前より痩せたみたいで皆で心配してますよ。』と、返事が返ってきた。スミさんは本当に憎めない性格の持ち主だ。これからも僕の出来る範囲で協力したいと思う。

今日も良い日となりました。










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2005年04月01日

職業訓練

先日、ネパールへ到着されたゲストの皆さんは、日本でバザーを開催され、その売り上げをネパールの子供達の教育支援に使われている。今回、奨学生の母親が作ったアクセサリーを購入してくださり、バザーで販売してくださることが決まった。

僕らが支援を続けている奨学生は母子家庭の女子が大半を占め、それぞれ厳しい生活を強いられている。何とか少しでも生活面を支えたいと、数年前から母親達へ様々な職業訓練を行っている。

この度、約2ヶ月に渡りアクセサリー作りの職業訓練を受けた、ある奨学生の母親の作った作品を気に入ってくださり、ご購入いただくこととなった。

もちろんご購入頂くことは、奨学生の家庭の経済的な支援になるが、それ以上に奨学生の母親達の自立に向けた大きな励みになると思う。そのことは、ただ母親を勇気付けるだけでなく、母親をとても尊敬している子供達にとって大きな喜びにつながる。今回の奨学生も『お母さんが誉めてもらった』と、喜んでいた。

今まで母親達を様々な職業訓練へ送ってきたが、やはり一人の女性が作れる数は限られ、どうしても規模の大きな工場に勝つことは出来ない。また工場は原料を大量に仕入れ安く製作できるため、一個人での製作ではなかなか上手く行かないのが現状だ。

何とかこの現状を打破し、女性達が自立して生活できる基盤を作りたいと考えている。簡単ではない問題だが、子供達の教育と平行して取り組んで行きたい。


今日も良い日となった。











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2005年03月31日

さまざまな交流

今日は2階建設のご支援をいただいた皆さんをお迎えし、ヒマラヤ小学校で歓迎会を行った。子供達も楽しみにしていただけに歓迎会はとても盛り上がった。

支援者の皆さんにとって今回、半年振りのヒマラヤ小学校訪問だったが、半年間の子供達の成長を見て頂きとても嬉しかった。また貴重なアドバイスも沢山いただき、大きな勉強の機会となった。

歓迎会には寺子屋に通う子供達が飛び入り参加し、踊りを踊った。寺子屋の子供達の表情もこの数ヶ月で随分明るくなった。きっと友達と一緒に勉強できる喜びが、子供達を明るくするのだろう。子供達の期待に応え今後はダンスの授業も取り入れたいと思う。

歓迎会の後はゲストの皆さんに煉瓦へメッセージを書いていただき、建設中の壁に積み上げていただいた。子供達もそれぞれ思い思いのメッセージを煉瓦に書き込み参加した。ぜひ子供達をはじめ支援者の皆さんの思いが届くよう、学校づくりに励んで行きたい。

この1年間、ヒマラヤ小学校では交流活動に一番力を入れてきた。人々との交流が子供達の夢を育て、子供達の大きな励みとなっている。今日の支援者の皆さんとの交流も素晴らしく、子供達は心から喜んでいた。

普段、社会から虐げられている子供達にとって『頑張ってるね』『大丈夫よ』と優しく声を掛けていただき、頭を撫でていただく事は、何よりの励みとなるのだろう。

今日はヒマラヤ青少年育英会の奨学生も学校を訪れ、子供達へ絵本の朗読を行った。子供達よりも少し大きい、子供達にとっては『お姉さん』のような存在の奨学生との交流は、とても親しみやすく、普段の授業とは違った学びの収穫があると思う。

来月から新学期が始まるが、もっともっと交流に力を入れたい。

今日はとても楽しい一日となった。







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2005年03月30日

サビットリさんの旅立ち。

朝からクリニックで仕事。顔馴染みの患者さん達の治療を続けていると、村から来たと思われる8名の人達がクリニックを訪ねてきた。何でも以前に治療を受けたことのなる村人から、クリニックのことを聞いて来たとのことだった。

クリニックでは原則として予約制としている。午後2時から癌専門の先生達がクリニックを使用するため、どうしても2時前にはクリニックを閉めなければならないこともあり、予約制にして時間を調整している。

患者さん達には事情を説明しているが、今日のようなケースはなかなか減らない。せっかく治療を求めて、村から来てくれた人達を断るわけにもいかず、結局、隣の会議室で治療を行った。

普段、患者さんとの会話を大事にしているつもりだが、やはり時間に追われてしまうと、どうしても雑になってしまう。慌しい治療となってしまい、とても反省した。

夕方、あすなろ食堂を訪問。今日はお客さんが少ないようで、スミさん達は不安げな表情で、何度も窓から外を眺めていた。こういう客商売は、時に忍耐力も必要だと思う。

食事を終え、あすなろ食堂を後にする時、団体のお客さんが来てくれた。キッチンで喜ぶスミさんの顔が目に浮かんだ。

今日、4人メンバーの一人、サビットリさんが結婚のためレストランを去った。2年間、暮らしてきた施設を出るときは、喜びと寂しさが混ざったような表情だった。時間がなかったためお別れ会をすることも出来ず、残念だった。

短い時間ではあったが、サビットリさんの人生の一部に関わった者として、サビットリさんの幸せを心から願っている。

今日は慌しい日となった。



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2005年03月29日

努力

今日はネパール人の知人から、ヒマラヤ小学校への支援の申し出を頂いた。思いがけないお申し出に驚いたが、とても嬉しかった。

ヒマラヤ小学校を運営するにあたり、将来は卒業生がヒマラヤ小学校を支える仕組みを構築したいと考えている。卒業生が職業訓練を受け、一生懸命働いて得たお金でヒマラヤ小学校を支える。もちろん簡単な話ではないが、何時も海外からの支援に頼るだけでなく、自分達で出来ることから始めることが大事だと思う。

今日のネパール人の知人からの支援の申し出はとても嬉しかった。知人の話では、国の未来を担う子ども達のために、ぜひ協力したいとのことだった。

ネパールでは、ほとんどの分野を海外からの援助に頼っている。長年に渡り援助を受けてきたせいか、何もかも海外の援助に頼りきっているような感じすら受ける。もちろん、『自分達でも何かしたい』と、立ち上がる有志も少しずつ増えている。

やはりネパールの問題は、ネパール人が考え、ネパール人の手で解決することが大事だと思う。そのための支援ならきっと皆さんも喜んで協力してくれるはずだ。まずはネパールの人々の意識を変えていくことが大事ではないだろうか。

ヒマラヤ小学校の継続には、日本の皆さんの支援が欠かせない。しかし何時もその支援に頼るだけでなく、僕達も出来る限りの努力を続けていかなければならないと思う。『ここまでは自分達で何とか頑張ります。この部分に「ついてぜひご協力ください。』こんな関係が一番健全だと思う。

まだまだ時間は掛かると思うが、一歩ずつ目標に向かって頑張りたい。

今日も良い日となりました。

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2005年03月28日

ダンス大会

朝、学校宛の荷物を受け取りに中央郵便局へ行った。大きな荷物だったので心配だったが、何とか一部をリュックに入れて背負い、残りはバイクに積んで学校まで運ぶことが出来た。バイクに積む作業を手伝ってくれた老人が、手馴れた感じで作業を行う様子に、思わず感心してしまった。

ヒマラヤ小学校に着いてから、ヤッギャ校長、モンゴル先生、シャムさんと雑談をしていたら、8日にブンガマティ村で学生による『ダンス大会』が開催されることを知った。

早速、協議を行い今回の大会に参加することを決めた。衣装も技術もない現状だが、まずは参加することに大きな意義があると思う。どんな成績でも良いから子ども達には頑張って欲しい。

運動でもダンスでも何でも良いから、少しずつ体験を重ねる中で、子ども達が自慢できるものを築いていきたいと思う。まずは8日のダンス大会から初めてみたい。当日は子ども達よりも、きっと僕達の方が興奮するだろう。今からとても楽しみだ。

夕方は突然の雷雨に見舞われ、奨学生宅で雨宿りをした。ゆっくり奨学生、母親と話が出来た。雨漏りのする家で、親子2人が背中を合わせながら一生懸命生活している様子には、何時も感動を覚える。こういう子ども達が将来、どんどん社会で活躍すれば、ネパールはとても素晴らしい国になるのではないだろうか。そんな気がする。

帰宅後、書く作業に追われる。よく苦手な作業が続くものだと自分でも感心してしまう。プロの人達は一体どうやって文章を書いているのだろう。才能のある人が羨ましい。

慌しくも良い日となりました。
ヒマラヤ小学校の『2階校舎建設アーカイブス』ぜひご覧ください。




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2005年03月27日

ネットワークつくり

朝、雑用を済ませた後、ヒマラヤ小学校でヤッギャ校長らと他校との協力関係の構築についてミーティングを行った。現在、看護学校をはじめ数校と協力関係を構築しているが、更なるネットワーク作りを進めたいと考えている。

学校同士のネットワークが出来上がれば、それぞれの特色を活かした様々な共同活動や、教員の相互研修も出来るようになり、子ども達だけでなく、先生達にとっても大きなメリットがあると思う。『教員評価システム』の中でも、研修先での評価をぜひ取り入れたいと思う。

ネパールでは近年、公立学校への厳しい意見を良く耳にする。いろいろな原因が考えられるが、教師の意識低下が一番の問題だといわれている。

もしネットワークが構築され各学校の交流が進めば、教師の意識向上の切欠にもなるのではないかと期待している。

夜、来月開催予定の医療キャンプの打ち合わせを行った。ぜひ実り多いキャンプを実現したいと思う。

今日でなんと29歳。『光陰矢のごとし』月日の経過の速さを実感しています。



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2005年03月26日

輝き

朝、2階校舎の増築の様子を見にヒマラヤ小学校へ出かけた。先日、型枠に流し込んだコンクリートがすっかり乾き、綺麗な柱が出来上がっていた。既に一部の教室では、煉瓦が積み上げられ、窓枠が取り付けられていた。

学校の形が少しずつ出来あがる様子を眺めながら、教室が出来た後の事をいろいろと考えると、とても楽しい。開校から1年で、2階の建設に着工できたことは夢のようだ。

夕方からゲストの皆さんとネパールの話で会話が弾んだ。ネパールの好き方同士が集まると、ついつい時間を忘れてしまう。本当に楽しい時間となった。

その後、ゲストの方とあすなろ食堂を訪問。スミさんが一生懸命つくった料理を誉めて頂き、スミさんも大喜びしていた。僕達では気がつかない点もご指導いただき、勉強になった。改善点は直ぐ直す。そんな体制を築きたい。

それにしても『美味しいよ』と声を掛けたいただいた時のスミさんの笑顔はとても輝いている。やはり頑張っている人は活き活きしている。ぜひ僕も肖りたい。

今日も良い日となりました。





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2005年03月25日

春たけなわ

今日はホーリーの祭日。

昼過ぎにヤッギャ校長と空港へ行き、日本から来られたゲストの方々をお出迎えした。ネパールの現状を心配されていただけに、ぽかぽかと暖かい春の日差しが照りつける中、ホーリー祭りで春の訪れを喜ぶ人々の姿に、ゲストの皆さんも安心された様子だった。

僕は四国の出身なので(だと思う)春が一番好きだ。四国はどの季節よりも春が良いと思う。僕の実家がある道後温泉には『春風や船伊予に寄りて道後の湯』という、和やかな四国の春を詠っている句碑がある。人情豊かで、のんびりとしているところなど、ネパールと似ているような気もする。

夕方から環境活動を続けているサダナを訪ねた。実はこの度、ソロプチミスト東京・新宿クラブの皆様から、サダナを来年度の『社会ボランティア賞』にご推薦いただくこととなった。ささやかながらも、サダナの活動を応援しているだけに、とても嬉しい。

ご推薦いただくにあたり、サダナの今までの活動を纏めているが、どの活動も素晴らしいため、なかなか上手く纏められない。自分の力不足を痛感しながらも、ぜひこの機会に夢と情熱を持って、環境問題に取り組んでいるサダナの活動を多くの方に知っていただければと思う。サダナの努力が実ることを願っている。

夜、気分転換に映画鑑賞。小学生の頃に何度も見たクリント・イーストウッドの映画だったが、名作は何度見ても面白いと思った。ついでに先日買った『荒鷲の要塞』も鑑賞。久しぶりにゆっくり出来た一日となった。明日から、また頑張ろう。


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2005年03月24日

善意に応える

何時もより早起きをして、『教員評価システム』の見直し作業を行った。来週には提出したいと考えているので、あまり時間は残っていない。導入してみないと分からない部分も沢山あるが、少しでも良い評価システムを作りたいと思う。

ヒマラヤ小学校の建設では、本当に多くの皆さんの善意のご協力を頂いた。涙を流しながら『頑張って』と励ましてくれたお年寄りの方、お菓子を我慢して募金に協力してくれた小学生、真夏の日差しが照りつける中、必死に街頭募金を呼掛けてくれたクラーク生。僕が実際に参加した募金活動はほんの一部だが、皆さんの学校建設への思いが強く伝わり大きな感動を覚えた。

ネパールでは教育設備の不備から、学校建設を求める声は大きい。しかし残念ながら、貴重な善意の支援が一部有力者の酒の肴となったり、学校建設を身内の就職場として考えている人達がいる事も事実だ。中には海外からの支援で出来た学校が開校後、数年で廃校になるケースも報告されている。

募金活動の様子を知らない現地の人々に、支援する側の気持ちを伝える事はとても難しいことだと思う。現地には『日本は豊かである』という先入観もあり、なお支援する側の気持ちを伝わりにくくしている部分もある。

幸いにもヒマラヤ小学校の建設では、ネパール人学生を日本での募金活動に参加させて頂いた。実際にネパール人学生が募金活動に参加したことで、日本の人々の善意を理解することが出来た。帰国した学生が村の人々や子ども達の前で、必死に募金活動の様子や日本の人々の気持ちを伝えてくれた事は、村の人々の協力を得る大きな力となった。

暖かい善意のご支援を頂いた方々の気持ちにお応えるするためにも、子ども達の夢を育て、社会に貢献できる学校を築いていきたい。そのためには、『教員評価システム』を構築し、先生達の能力と努力を適切に評価することで、先生達の『教育者』としての意識を高め、学校を活性化させていきたい。歴史や伝統がない分、何事にも囚われない実行力のある学校を目指したい。



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2005年03月23日

遣り甲斐

朝からネパール癌協会のクリニック。前回、膝の痛みを訴えて初めて来院したお年寄り(女性)が、クリニックの外で待っていた。お年寄りによると『痛みが軽減したので嬉しくて早く来た。』とのことだった。

自然に回復したのか、治療が偶然効いたのか?相乗効果なのか?判断はできないが、こうしてクリニックに来てくれた患者さんの状態が少しでも良くなると、やはり嬉しい。今日は患者さんの一言で、とても遣り甲斐を感じる事が出来た。

今日は新患の方も多く、慌しいまま時間が過ぎた。何とかもう一つベッドを増やし、患者さんの待ち時間を短くしたいと思う。しかしベッドを増やすと新たな通電機器も必要になるので頭が痛い。暫くは時間との戦いが続きそう。

クリニックを終え、昨日のシラミ退治で特にシラミが多かった幼稚園年長クラスのリタを訪ねた。リタの家も貧しく、現状はとても厳しい。母親にシーツや服の熱湯消毒、筵の日干しを伝えたが、教育を受けていない上、労働活動の多い女性達が実践する事は難しいかもしれない。口で伝えるだけでなく、何か有効な対策を講じる必要があると痛感している。

夕方、往診へ向かう途中、カトマンズ市内のDVD販売店へ行き、映画を数点購入した。年に数回開催している奨学生を対象にした『名画鑑賞会』を、SLCの後に行おうと考えている。今回はヒッチコックの作品を上映予定。子ども達の反応が楽しみだ。


慌しくも良い日となりました。











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2005年03月22日

シラミ退治

今日は、ナショナル・マルティプル・キャンパスの看護学生らが参加して、子ども達のシラミ退治を行った。朝から雨が降り続いていたため開催出来るか不安だったが、昼前には晴れ上がり絶好のシラミ退治日和となった。

昨年末まで、週一回のペースで開催していたシラミ退治だが、冬の間は冷水で子ども達の体を洗うことが難しく、暫くの間、活動を休止していた。

今日は久しぶりの開催で準備が大変だったが、看護学生6名が参加してくれたお陰で、あっという間に全児童のシラミ退治を終えることが出来た。

今回のシラミ退治でも、上級生が下級生を自主的に洗ったり、髪を櫛で梳いてシラミを除去したりと、今まで以上に下級生を思いやる姿が見られ、とても嬉しかった

シラミ退治に参加した看護学生らに感想を尋ねると、『とても良い勉強になった。ぜひ、また参加したい』と、どの学生からも前向きな感想が返ってきた。

『誰かのために役立つ喜び』を感じられることは、素晴らしい事だと思う。将来、看護師を志し勉強を続けている看護学生に、今日のシラミ退治を通して『誰かのために役立つ喜び』を感じて貰えたなら、とても嬉しい。今後もこのような交流を更に充実させていきたいと思う。

今日も良い日となりました。



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2005年03月21日

評価システムと悩み。

朝から『教員評価システム』の原案作成に取り組む。暫くして見直すと、随分厳しい内容になっていたことに気付き、何度も修正を繰り返す。

先生方の能力と努力を適切に評価することでヒマラヤ小学校の活動を活性化させたいと思い、導入を進めている『教員評価システム』。まずは評価を受ける側の先生達が納得できるシステムでなければいけないと思う。そのためには、出来るだけ公平・明確な判断基準が必要だ。

評価システムの内容によっては、逆に先生達の長所が消されてしまうことがあるかもしれない。評価システムの構築は、想像以上に難しい作業だと痛感している。

結局、夕方まで部屋に篭り作業を続けたが、完成までには至らなかった。日本の評価システムを参考にしようと思い調べてみたが、やはり文化・習慣の違うネパールでは、全てを参考にすることは難しい。

評価システムの構築は現在、僕にとって一番の悩みの種。暫く苦戦が続きそうだが、努力している先生達が適切な評価を受けるためにも、ぜひとも良いシステムを完成させたい。

夕方から奨学生の家を訪ねた。SLC試験を目前に控え、どの奨学生達も猛勉強中だった。今まで一度も猛勉強をした経験のない僕には、頭の下がる思い。こんなに努力する子ども達を支援することが出来て、本当に嬉しく思う。SLCが終わったら『あすなろ食堂』で、ささやかなお祝いをしようと考えている。全員合格を目指して頑張って欲しい。

今日も良い日となりました。





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2005年03月20日

全日程終了

今日、期末試験が無事終了した。子ども達も安心したようで笑顔が溢れていた。全てが始めての体験で不安も多く、ゆっくり考える間もなく過ぎた1年だったが、多くの人々のご協力をいただき、なんとか全ての日程を終えることが出来てとても嬉しい。

3時半からカトマンズ郊外バランブーの学校を訪ね、今後のケナフプロジェクトについて、担当の先生と話し合った。こちらも着々と準備が進み嬉しい。何とかケナフ会議の実施まで頑張りたい。

夕方、ヤッギャ校長と会長を訪ね、期末試験の終了を報告した。その後、モンゴル先生も加わり、知人のレストランで食事をしながら、この1年について振り返ったりヒマラヤ小学校の将来像を話したりと、とても楽しい時間を過ごすことが出来た。やはり先生達との会話はとても大事だと実感した。

帰宅の途中、バイクがパンクしてしまい困っていると、偶然近くを通りかかったバイク屋さんが、バイクを自分のワークショップまで運んでくれた上に、快く修理までしてくれた。こういう人達がいるから、みんなネパールを好きになるのだろう。

今日はとても良いとなりました。









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2005年03月19日

ニュースレター

前夜に抜歯治療を受けたこともあり、暫くの間、静かに過ごした。どうしても家でじっとできない性格なので、こういう時は大変困ってしまう。

時間があったので、遅れているニュースレターを作成した。毎回、支援者の皆さんへの送付が遅れ、申し訳なく思っている。20ページあまりのニューレターだが、完成した時は嬉しさのあまり舞い上がってしまい、毎度、編集・校正作業を忘れてプリントに出してしまう。

けっして人に読んで頂けるような上等なニュースレターではないものの、少しでも子ども達の様子が伝わればと思い続けている。

それでも、きちんと隅々まで読んで下さる方がいらっしゃることはとても嬉しい。中には今までのニュースレターを大切に保管してくださっている方もいて、そんな時は『次こそ良いニュースレターを作るぞ』と、気持ちが引き締まる。

今回のニュースレターは内容が多いため、ページ数を増やすことを検討中。プリント代、郵送代を考慮しながらも、出来るだけ多くの情報をお伝えしたいと思っている。

夕方から往診治療に出かけ、患者さん達と楽しい会話が弾んだ。帰り際に『あすなろ食堂』へ寄ってみると、大勢のお客さんで賑わっていた。『あすなろ食堂』は宣伝をほとんどしていないため、お客さんの多くは口コミで店の事を知った人たちだ。スミさん達の努力が実を結び、食堂が何時も多くの人で賑わっていることは本当に嬉しい限り。キッチンでスミさん達の仕事ぶりを観察しながら『唐揚げ定食』を食べた。

スミさん達の頑張りに負けないよう、精一杯頑張りたい。
今日も良い日となりました。










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2005年03月18日

評価システム

朝、中央郵便局で雑用を済ませ、ヒマラヤ小学校へ。医師の先生達と来月開催予定の医療キャンプ地を視察。早朝の雨のお陰で砂埃が少なく、麦畑を眺めながら快適に開催地へ到着した。

開催地の村は、首都カトマンズの中心から僅か10キロあまりに位置しているが、大変貧しく薬局すらない状況。この機会に、一人でも多くの人々が治療を受けられるよう、万全の準備を進めたい。

村にある集落を訪ねた後、ヒマラヤ小学校へ戻ったが、建設作業員が来ていないため工事が進んでいなかった。急いでヤッギャ校長とパタン市内の建設会社を訪ねた。会社の話では、鉄の運搬中に通りの家を一部壊してしまい、その問題に追われているとのこと。のんびりとしたネパールらしい話に、思わず笑ってしまった。

夕方からヤッギャ校長と、新年度導入予定の『教員評価システム』の打ち合わせを行う。先生達の努力が適切に評価され、能力を更に活かす切欠になって欲しいと願っている。『評価』である以上、評価基準が明確で、平等であることが絶対条件のため、細かい作業が暫く続きそう。

評価システムの導入には不安も沢山あったが、ヤッギャ校長の協力により、思った以上に良いものが出来そうだ。ヤッギャ校長が常に『学校を良くしたい』と、物事を前向きに検討する姿勢は、僕にとって大きな学びの収穫となる。

他の人々の意見を取り入れながら、良い評価システムが構築出来るよう、じっくり考えたいと思う。

大雨に打たれ寒い一日でしたが、良い日となりました。







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2005年03月17日

大きな成長

試験の監視をしていると、この1年間で勉強を頑張った子達の事が良く分かる。中でも幼稚園クラスで学ぶ14歳のジュンケリは、人一倍勉強を良く頑張っている。

ジュンケリは両親がなく兄夫婦と一緒に暮らし、毎朝、牛乳を運び、牛の世話をしてから学校へ通っている。義姉からは何度も学校を辞めるように言われたそうだが、それでも『教育を受ける最後のチャンス』と、頑張ってきた。

ジュンケリの回答はとても遅い。他の子供達が10問終える間にようやく1問回答するというペース。それでも回答の多くは正解であり、入学当時の状態からすると信じられないほど大きな成長を見せてくれた。

試験を終えたジュンケリに『よく頑張ってるね』と話しかけると『ダイスケさんのお陰です』と、一本取られた。ジュンケリの成長は、担任のモンゴル先生の熱心な指導と、ジュンケリ自身が教育の大切さを理解していることが大きい。『学校が楽しい』と笑顔で話していたジュンケリ。これからも大きく成長して欲しい。

試験の後は、来週の火曜日に予定している『シラミ退治』についてミーティングを行った。今回は看護学生が手伝ってくれることになっているが、初めて参加する看護学生が活動しやすいよう、分かりやすい手順を用意したいと思っている。

その後、ラリットプール郡にある学校を訪ねた。今後、教員どおしの交換留学やあらゆるな分野での交流と共有を目指し、ネットワーク作りを進めている。先日、衛生教育を行ってくれた看護学生らの交流もその一環だ。何とか良いネットワークを構築したいと思う。

夕方、往診の後、『あすなろレストラン』を訪ねた。先日から始めた新しいメニューが好評のようで、スミさんが嬉しそうに報告してくれた。本当に良かったと思う。僕も食べたが、とても美味しかった。これからも人に喜ばれるメニューつくりに励んで欲しいと思う。

今日も良い日となりました。

ヒマラヤ小学校通信を更新しました。ぜひご覧ください。



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2005年03月16日

協力

学校の試験が順調に進み、まずは一安心。試験を受ける子供達の表情を観察していると、『しまったーっ』という表情をする子や、『よし!貰った!』という表情をする子など様々で楽しい。とにかく、みんな頑張って欲しい。

2階校舎の増築も順調に進んでいる。今週中には煉瓦を積み上げる作業に入れそうだ。ネパールでは殆どが手作業なので、作業自体に人間の知恵が見られてとても面白い。今日の鉄枠を作る作業でも、梃子の原理を上手く利用しながら、ひとつ一つ作っていた。

その後、『ケナフ会議』についての素案を纏めるため、パタン市内の喫茶店で、サダナそしてヤッギャ校長とミーティングを行った。以前にも紹介したが、サダナはとても聡明かつ行動力のある学生で、環境に関する活動を熱心に行っている。今回も夢のある素晴らしい素案を纏めてくれた。

サダナの素案では、カトマンズ盆地内の学校10校でケナフ栽培を行い、各校男女5名ずつ、10名の代表学生が観察を行い、ケナフについて纏める。会議では各校2名の代表(男女)が発表を行い、その後、釜野先生(NPO日本ケナフ開発機構・理事長)とパネルディスカッションを行う。その後、環境に関する活動に取り組む団体の代表や、有識者を交えたパネルディスカッションを行い、最後に『カトマンズ・ケナフ宣言』を行う予定だ。

会議は専門家の人たちの協力を得ながら、企画、司会、進行まど全てをサダナたち学生が行うことで決まった。若い人たちの力に期待したい。

その後、来月はじめに開催予定の医療キャンプについて、参加される医師の先生達と打ち合わせを行った。サダナやヤッギャ校長も参加し、とても有意義な打ち合わせとなった。

ネパールので生活の中で一番楽しいことは、こうして皆でアイデアを出し合いながら、一つの目標に向かい協力して作業を進めていくことだ。皆で協力して行った活動が上手く行った時は、なんとも言えない達成感を感じる。こうして同じ目的に向かって全てを共有できる、素晴らしい人たちと出会えたことが、僕の幸運だったと思う。

医療キャンプもケナフ会議も、皆で協力してぜひ成功させたい。


一部住民による電気代の未払いにより、アパート全体の電気が止められ呆れながらも、楽しい一日となりました。


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2005年03月15日

試験に思う

今日から期末(進級)試験が始まった。不安もあるようで子供達の表情も何となく硬かった。

朝から子供達の試験の様子を監視した。監視員なら目を光らせて試験の不正を防止しなければならないが、勉強が苦手で試験が大嫌いだった自分には、子供達の心の叫びが良く分かった。何度か席を外し、子供達に確認?の機会を作った。

義務教育のないネパールでは、毎年進級試験を受けなければならない。小学校なら5年生までは学校の用意した進級試験を受けるが、5年生が終了すると郡レベルの統一試験を受けなければならない。そのため、小さなうちから山のように宿題が出され、毎年、学校レベルでも厳しい試験を受けなければならない。

僕の今後の大きな夢の一つに、職業訓練所の整備がある。学校の3階に職業訓練所を開設し、子供達が技術を身にけ、将来、生活が出来るようにしたいと考えている。

将来、技術を身に付けた子供達が一生懸命働き、仕事で得たお金でヒマラヤ小学校を支えていく。そんな夢を描いている。将来、卒業生の力でヒマラヤ小学校を支えていくことが、とても大事だと思う。

子供達の中には勉強は苦手でも、学校の手伝いを率先的にする男の子達がいる。先日、モンゴル先生と『こども農園』の竹囲いを作っていた時も、竹囲いを作っていることを知った彼らは、一目散に駆け寄り、夕方まで手伝ってくれた。

もちろん勉強はした方が良いと思う。より多くの知識を身に付けた方が、自信を持って生きていけるかもしれない。
僕自身はヒマラヤ小学校の子供達に、まずは衛生知識や足し算、引き算、そして時計の読み方など、生きるために必要な基本的な知識を身に付けて欲しいと願っている。勉強の好きな子は中学、高校と進学すれば良いと思うし、勉強の苦手な子供達を無理に進学させる必要は全くないと思うし、むしろ職業訓練の方が彼らのためになると考えている。

僕が席を外した間に、彼らがどれだけ確認?できたかは分からないが、試験後ニコニコしながら僕の体にぶら下がって来たところを見ると、成果があったのかもしれない。何はともあれ、全員合格してほしい。

今日も良い日となりました。






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2005年03月14日

優しさと厳しさ

先日から学校を休んでいる兄弟がいた。少しひ弱そうな感じの兄弟なので、季節の変わり目で風邪でも引いたのかと思い込んでいた。少し気になり、兄弟の近所にくらす児童に尋ねると『もう2人とも学校には来ないよ』と、思いがけない返事が返って来た。理由を尋ねると、『シャム先生が怖いから』とのことだった。

シャムさんは20歳になったばかりの若い先生だ。彼の教育への熱意が買われ、昨年12月からブンガマティ村の寺子屋を担当している。ヒマラヤ小学校でもボランティア教師として、他の先生が不在の時に授業を行っている。

シャムさんの授業は厳しい。彼が教室に入った途端、子供達に緊張感が走り教室が静まり返る。あんなに元気いっぱいの子供達をよく纏めることが出来るなぁと、感心してしまうほどだ。授業を終えたシャムさんは、授業中とは打って変わり、子供達と仲良く遊んでくれる優しいお兄さんとなる。僕はシャムさんを見て、『若いのに上手いなぁ』と感心ばかりしている。

『シャム先生が怖いから』という話を聞いて、早速、ヤッギャ校長と兄弟の家を訪ねてみた。兄弟は僕らが来たのを知ると、軒先で申し訳なさそうにしていた。兄弟の話では、妹が一度シャムさんに大声で怒られて以来、怖くて学校へ行けなくなったそうだ。

普段、親から叱られ、社会からも虐げられている子供達にとって、シャムさんに怒鳴られたことは、自分達の居場所を失くした様なものなのかもしれない。

翌日、ヤッギャ校長からシャムさんに事情が伝えられた。ヤッギャ校長から事情を聞いたシャムさんは、言い訳を一切せず問題を起こした事について詫び、『兄弟に謝りにいきます』と言って、兄弟宅へ向かった。

前日のように軒先にいた兄弟は、シャムさんを見ると途端に怯えきった表情を見せた。シャムさんは子供達の前に座り、学校のことや兄弟が大好きな動物のことなどをゆっくり話した。

子供達の表情が少し和らぐと、『今まで、君達のことをちゃんと考えていなかった。ごめんなさい。』と、幼い兄弟に心から謝り、『一緒に学校へ行こう』と子供達を誘った。子供達は何も答えなかったが、2人とも明るい表情を見せていた。

今日、兄弟は元気よく学校へ来た。そしてシャムさんと良く遊んだ。僕はシャムさんと兄弟が、とても強い信頼の絆で結ばれたように感じた。

教育には『優しさと厳しさ』両方が必要だと思う。しかし優しさも厳しさも、限度を超えてしまうと子供達を混乱させてしまうことがある。

言い訳を一切せず、子ども達に謝ったシャムさんは立派だった。こういう先生達がいるから、子供達も安心して学校で学べるのだと思った。

日本でもネパールでも、教育は人との関わりが創り上げるものだと思う。教育は本当に奥が深い。

今日も良い日となりました。



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2005年03月13日

勉強再開

ネパール癌協会での治療活動に専念するため、大学を辞めてからあっという間に5年が過ぎた。いつかもう一度、ゆっくりネパール語を勉強したいと考えていたが、なかなか実行できないまま、時間だけが過ぎていた。今回、知人の勧めもあり、ようやくネパール語の勉強を再開することとなった。

大学に復学したわけではなく、週3回程度、家庭教師にお願いすることとなった。家庭教師といっても専門家ではなく、将来、ネパール語の教師を目指している奨学生が務めてくれることになった。

第一回目の授業が土曜日に行われたが、とても分かりやすく楽しい授業となった。こんなに分かりやすい授業なら、もっと早く始めればよかったと思いつつ、たっぷり出された宿題に追われた。もともと勉強が苦手な上に年も重なり、先は思いやられるが、何とか楽しみながら頑張りたい。せめて5年前に途中で諦めた詩の翻訳だけは、やり遂げたいと思う。

僅かな基金から支援を続けている奨学生の中には、22歳、小学2年生で学んでいる女性もいる。21歳で1年生に入学した時は、大丈夫かなぁと不安だったが、本人は活き活きと勉強を続けている。本当に頼もしい限りだ。勉強に年はまったく関係ないことを教えられた。

月曜日からはヒマラヤ小学校でも進級試験が始まる。皆、今までの勉強の成果を思いっきり出して欲しい。

腰痛はほぼ回復。これから全力で頑張ります。
ヒマラヤ小学校通信を更新しました。どうぞご覧ください。

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2005年03月12日

花冷えのカトマンズ

今日カトマンズは雨が降り、花冷えの一日となった。昼過ぎに、雷がゴロゴロという大きな音を立てて鳴り響くと、子供達が一斉に教室から飛び出し、雨に打たれながらはしゃいでいた。子供達は何時も天真爛漫だ。

ヒマラヤ小学校を後にし、冷たい雨に打たれながらバイクを走らせ往診へ。患者さんの家族から甘いミルクティーを頂く。普段は少し苦手な甘いミルクティも、今日のように寒い日はとても美味しく、体がぽかぽかと温まった。

夕方、あすなろ食堂を訪ねると、フロアーを担当していたワグレさんが、楽しそうにお客さんと会話を交わしていた。少しずつ、仕事に慣れてきたようで安心した。キッチンではスミさん達が大忙しで働いていたが、皆、それぞれ充実した表情をしていた。

今日は、スミさんを何時も暖かく励ましてくださっている北海道・深川市の河野市長から、スミさんへ開店祝いのお手紙を頂いた。仕事が一段落したスミさんに手紙を渡すと、スミさんはとても嬉しそうな表情を浮かべて、喜んでいた。

開店以降、多くの方々から開店を祝うお手紙や、商売繁盛のお札などを頂き、スミさんの大きな力となっている。こうして多くの方々から暖かいご声援を頂くのも、スミさんの人徳だと思う。ぜひ頑張って欲しい。

あすなろ食堂で夕食を食べた後、奨学生宅を訪問した。ヒマラヤ青少年育英会では、主として貧しい母子家庭の女子の就学を支援しているが、やはりどの家庭も現状は厳しい。

日本からゲストの方がネパールへ来られた時は、出来る限り奨学生宅を訪問して頂くようにしている。奨学生達は、ゲストの方のちょっとした優しさや、励ましの言葉に大きく勇気付けられる。またゲストの方との交流によって、日本の皆さんが、どのような気持ちで教育を支援しているのか、子供達に良く伝わるようだ。

今日、訪問した奨学生達も、『00さんは次、何時ネパールへ来ますか?』や『00さん、元気ですか?』と、今まで出合ったゲストの方の話を楽しそうにしていた。

交流が子供達の夢を育て、頑張る活力になると確信している。何とかもっと交流の機会を持てないか?なかなか良い考えが浮かばない中でも、諦めずに考え続けたいと思う。

腰痛は少し回復。患者さんの苦しみが、少しは分かるようになってきた。忙しくも良い一日となりました。




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2005年03月11日

衛生教育

今日はヒマラヤ小学校で、看護学生らによる衛生教育が行われた。看護学生の分かりやすく楽しい授業に、子供達の衛生への理解も深まったと思う。

衛生教育はヒマラヤ小学校で一番力を入れている分野の一つだ。手洗いの励行、歯磨き、シラミ退治、その他、医療関係者による衛生教育など、この1年間、様々な活動を行ってきた。医療関係者の方々の暖かいご協力を頂き、子供達の衛生状態はこの1年間で大きく向上することが出来た。

これらの活動は『継続』が一番大切だと思う。単発的な衛生教育ではなく、継続的な衛生教育により、子供達の意識が変わってくると思う。

今日行われた、『ナショナル・マルチプル・キャンパス』の看護学生による衛生教育は、子供達にとって有意義であったことはもちろん、看護学生にとっても、良い実習の機会になったのではないかと思う。看護学生らは、来月のシラミ退治にも全員で参加してくれることになった。若い人たちが、子供達のために積極的に協力してくれることは、本当にありがたい。

先日、ヒマラヤ小学校のモンゴル先生が、日本語検定4級に合格した。毎朝6時からの授業に出席に、勉強を続けてきたモンゴル先生の努力に勇気付けられたようで、今日からヤッギャ校長先生やヤムナ先生も日本語の勉強を始めた。

努力家の先生達に恵まれたことが、ヒマラヤ小学校の一番の幸運だったと思う。こうした先生達の姿を見ながら、子供達が成長していけたら、きっと社会に貢献できる素晴らしい小学校を築くことが出来ると思う。

腰痛が残るものの、嬉しい一日となった。







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2005年03月10日

ススマの窮状

支援活動を続けていると、嬉しいことも沢山ある反面、厳しい現状に直面することも多い。今朝、家であれこれ考え事をしていると、奨学生のススマ・ラマ(18)から電話があった。

ススマは貧しい母子家庭の女の子で、カトマンズから離れた小さな村に暮らしている。貧しさにより学校へ通うことが出来ず、4年生で一度、小学校を中退した。その後、家族を養うため労働者として働いていたが、やはり学校で勉強する夢を諦めることが出来ず、事務局を訪れた。

2年前から奨学生として支援を始め、ススマは16歳で再び4年生から勉強を再開した。家族を養うとい重い責任を抱え、働きながら勉強を続ける毎日だったが、本人の懸命な努力が身を結び、学年では1番の成績を残していた。

電話でススマの母親が亡くなったことを知った。ススマは幼い弟と孤児になったのだ。ススマは弟と共にパタンに移り住み、早朝の学校へ通いながら仕事をしたいと希望している。

母親が亡くなった後、一時は親類に預けられたが、親類から『学校を辞めて、朝から働け』と毎日怒鳴られ、弟と共に人身売買までされそうになったという。唯一の財産である牛も親類に取られてしまい、もはや村で得る僅かな収入だけでは、暮らしていけなくなったのだ。

以前、ススマの家を訪問したとき、病気で寝込んでいた母親から、貴重な収入源である牛乳を出してもらい、精一杯のもてなしを受けたことがあった。母親は自分が教育を受けられなかったため、とても苦しい生活を強いられていると語り、『ススマが勉強を続けられて本当に嬉しい。日本の皆さんに感謝しています。』と、病床から涙を流しながら、何度も感謝の言葉を繰り返していた。

ススマの母親は結核で亡くなった。35歳という若さだった。これからススマと幼い弟が、どのように生きていくのか。努力家のススマなら必ず窮状を打開できると確信しているが、やはり不安もある。兎に角、ススマには頑張って欲しい。ススマたちの窮状に目を逸らさず、出来る限りの応援をしていきたいと思う。3・10




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2005年03月09日

常に間違っている

昨年から某新聞で、ネパールに関する記事を連載させて頂いている。先週末、第4回目の記事が掲載された。記事が掲載された日は、知人から『記事を読んだよ。頑張ってるね』と、暖かい励ましのメイルを頂く。こうしたメイルは大変嬉しく、活動への大きな励みとなっている。

僕の書いた拙稿を、読者の方がどのように感じられるのかとても興味深いが、今まで機会に恵まれていなかった。

掲載された翌日、なんと新聞のコラム欄に、記事に関する感想が書かれていた。思いがけない賛辞を頂き、なんだか子供達が誉められたようで、とても嬉しかった。

僕は自分のやっている事を、『常に間違っている』と思うように心がけている。間違っていると思えば、緊張感を保つが出来、活動を見つめなおす事が出来ると思うからだ。

子供達への支援活動も、まだまだ改善の余地が沢山あると思う。特に『里親教育基金』は、全体支援になったことで、奨学生と支援者の関係が希薄なっている。

個人支援の場合、奨学生と支援者の関係は深くなるが、支援者の方全員が交流を望んでいるわけでなく、強制的な交流により、支援者の方の負担が大きくなってしまう恐れがある。中には『影から応援したい』と希望する支援者の方もいるのだ。

より良い支援活動を目指し、『常に間違っている』から始めたい。コラムでの賛辞を機会に、兜の緒を締めなおし、緊張感を持って支援活動に取り組みたい。

腰痛が再発し、苦しい一日となった。







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2005年03月08日

春の訪れ

今日は春を告げるお祭り『シバラットリ』が開催され、賑やかだった。街中で子供達がロープを張り、通行者にお金をねだる。子供達は集めたお金で薪を買い、夜、焚き火をして春の訪れを喜ぶという、なかなか面白い習慣だ。

今日は小銭をポケットに詰め込んで、学校までの道中に備えたが、あっという間に小銭が無くなってしまった。子供達は燃え上がる炎に何を想ったのだろう。ネパールは暖かい春を迎えた。

お祭りで学校は休みだったが、ヤッギャ校長先生、モンゴル先生らと共に『ヒマラヤ・子ども農園』の周りに竹囲いを作る作業を行った。

『お金をかけず、出来ることをしよう』と始めた子ども農園。今日の竹囲いの設置作業も、竹の伐採から加工まで、全てが手作業だ。あまり器用でない手先を使い、先生達に迷惑を掛けないよう務めた。何とか形が出来上がった頃には、すっかり汗だくになっていた。

途中、病気のジバン、リタ、シタへ薬を届けに行ったが、3人ともいなかった。高熱を出し、医師から安静の指導を受けているはずなのに、母親と薪集めに行ったそうだ。思わず、ため息が出た。

貧しいネパールでは子供は大事な労働力だ。熱があるからといって、休んでいるわけにはいかない。教育を受けていない親には、医師の指導もなかなか理解できないのかも知れない。いや分かっていても、兎に角、今を生きることで必死なのだ。幼い兄弟が高熱を出しながら、遠い森の中で薪を拾っている姿を想像して、また、ため息が出た。

その後、バイクに轢かれ、怪我をしたビニタを見舞った。顔色も良く、順調に回復しているようだが、傷が痛々しい。

夕方からは患者さん宅で、伝統行事に参加させてもらった。何時もながら親類の多さに驚く。その後、あすなろ食堂を見に行った。皆、すっかり慣れてきた様で、安心した。

今日からは新メニューも登場し、スミさん達は益々、やる気を出しているようだ。

今日も慌しい一日だった。


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2005年03月07日

最低の仕事

朝、雑用を済ませ、昼過ぎにヒマラヤ小学校へ行った。丁度、昼休みに入り、子供達は昼ごはん(簡単なスナック)を食べたり、縄飛びで遊んだり、楽しそうに過ごしていた。人懐っこい子供達と話しながら、何時も通りの時間が過ぎていた。その時、『ある児童が交通事故に遭った』と、村人から情報が入った。

ヤッギャ校長らと大急ぎで現場に向かった。そこには、バイクにはねられ、口から血を流し泣いている1年生のビニタ(9)がいた。

走行中のバイクがビニタの直ぐ傍でクラクションを鳴らし、その音に驚いたビニタが道路に飛び出し、事故に遭ったそうだ。

急いでパタン病院へ行き、緊急外来で見てもらった。幸いにもビニタは頭を打っておらず、また痛がっている足も骨折ではないとの事だった。口の中の裂傷から血が噴出していたが、こちらも問題ないとのことだった。

ヒマラヤ小学校には壁がない。誰でも学校に入ることが出来、また出ることも出来る。学校の前は煉瓦を積んだトラックが乾季のあいだ走り、また人攫いなどの事件発生している事から、子供達の安全を確保するため、一日も早い壁の設置を検討していた。しかし資金不足の問題から、いつの間にか後回しとなっていた。もちろん、壁を作れば済む話ではない。最終的には、やはり僕ら教職員が子供達を守るしかないのだ。

今日、とうとう事故が起きたしまった。子供達の安全を守れなかった事、とても反省している。ビニタの痛々しい顔を思い出すと、とても胸が痛い。もしバイクでなく、トラックだったら、、、、僕らは子供達を守るという最低限の仕事すら出来ていなかったのだ。

緊急職員会議では、教職員全員の責任であること確認し、2日以内に対策を講じることが決まった。2度と同じような事故を繰り返さないよう、もう一度、気持ちを引き締めなければならない。

今日はとても辛い日となった。











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2005年03月06日

美味しかったよ。また来るね。

朝、スミさん達と市場へ買出しに出かけた。あすなろ食堂のことで、唯一、僕が役に立てる仕事。市場がクリニックの直ぐ傍という事もあり、出来るだけ時間を合わせ、手伝うようにしている。

あすなろ食堂が開店して、丁度10日が経った。スミさん達4人は、力を合わせ本当に良く頑張っていると思う。

スミさん達4人は、同じ孤児院で育った仲間だ。孤児院を出た後、ヒマラヤ青少年育英会の女性自立支援を受け、4人で共同生活を送りながら、様々な職業訓練を受け、社会の一員となる準備を進めてきた。

女性の地位が低いネパールで、孤児は更に社会から虐げられている存在だ。日本を訪問したとき、スミさんが日本の皆さんの前で涙を流しながら語った話から、スミさんの僅か20年ばかりの人生が、とても辛く厳しいものだという事が分かった。

スミさん達は社会から虐げられてきただけに、人々のちょっとした優しさにとても感激する。日本の知人から頂いた手紙を、嬉しそうに読み返している姿を今まで何度も見かけた。

社会の一員となるための切欠にして欲しいと始めたレストランだが、古い伝統や習慣が強く残るネパールでは
、なかなか簡単ではない。今でも『女だけで水商売をしている』『孤児が人に媚を売って生活している』だとか、中には『売春宿だ』などと噂を立てる人たちもいる。

以前なら、周囲からそういう声が聞こえると『私は孤児だから。。。』と、涙を流していたスミさん達だが、レストランを開店して以来、多くのお客さんから『美味しかったよ、また来るね』と、暖かい声を掛けて頂いたことで、応援してくれる人が沢山いることを実感したようだ。スミさん達の纏め役のニルマラさんが、何時もスミさん達を励ましてくれることも、大きいだろう。

今日はあすなろ食堂にラリットプール郡の知事が訪れた。食事を終えた知事がスミさんを呼んで、『どの料理も美味しい。僕の妻にもぜひ日本食を教えてください。』と、冗談交じえながら、スミさんを励ましていた。

こうした人との関わりがスミさん達を勇気付け、大きな力になると思う。10日間、スミさん達の大きな成長が見られたこと、本当に嬉しく思う。

スミさん達が一生懸命頑張ることで、周囲の目も少しずつ変わってくるだろう。スミさん達の努力が、同じ境遇で暮らす孤児達の大きな力になると確信している。ぜひ若い女性達が『この店で働きたい』と、憧れを抱くようなレストランを築いて欲しいと思う。

今日も慌しい一日となりました。3・5









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2005年03月05日

朝のコーヒー

紅茶の産地であるネパールに暮らしながら、毎朝コーヒーを飲んでいる。早起きは苦手だが、毎朝、無理をしてもでも早起きを続けている。これはネパールに暮らし始めてから自分に約束したことで、気候も良く、のんびりしているネパールで、怠け癖が出ないようにするための対策だ。

毎朝、コーヒーを飲みながら、あれこれ考えることは、僕にとって一番楽しい時間かもしれない。学校のこと、クリニックのこと、奨学生のこと、寺子屋のこと、最近では2階校舎の建設や、あすなろレストランのことなどを考えると、時々、良いアイデアも浮かんでくる。

僕は時間に追われながらの仕事が、どうしても出来ない。メイルや原稿、レポートを纏めるような仕事は、夜中まで掛かっても出来るだけ、その日の内に済ませるようにしている。

朝、これらの仕事をするのは難しい。いくら早起きしても、その日の予定をいろいろ考えてしまい、なかなか集中できない。逆に夜は、一日の出来事で頭がいっぱいになり、あれこれ考える余裕がない。

今朝、何時ものようにコーヒーを飲んでいると、学校のことや、あすなろ食堂のことでアイデアが浮かんできた。上手く行くかどうかは分からないが、早速、実行してみようと思う。

朝7時半、ヤッギャ校長と共に大臣公邸へ行き、会長に2階校舎の進捗状況について報告した。セメントの不足についても報告すると、直ぐに心当たりの知人らに電話で問い合わせて頂いた。何とか来週明けにはセメントが届きそうで、安心した。

その後、あすなろ食堂が気になり、往診を休んで食堂へ行った。週末ということもあり、小さな食堂はお客さんでいっぱいだった。キッチンではスミさん達が慌しく働いていたので、コロッケなどの揚げ物を手伝った。

実際にキッチンを手伝ってみると、想像を超える忙しさだった。次々とくる注文に対応するのは、とても難しいと実感した。

今日は焼き鳥やコロッケ、唐揚げなど、多くの料理が完売した。仕事を終えたスミさん達は、疲れきっているものの、とても嬉しそうな表情をしていた。皆で売り上げを計算すると、今までで一番の成績だった。皆で拍手をして祝った。

売り上げは、お客さんにどれだけ喜ばれたかを表していると思う。自分達の努力が認められること、このことがスミさん達を大きく成長させていると思う。これからも頑張って欲しい。


今日も慌しい一日となった。3・4











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2005年03月04日

慌てない国民性

今朝、新年度ケナフ栽培に参加する学校へ種を配った。今年はカトマンズ盆地内の5〜10校で栽培、観察、収穫、紙鋤を行い、その成果を元に『ケナフフォーラム』の開催を予定している。出来れば『カトマンズ・ケナフ宣言』のようなものも行い、今後の活動に繋げたいと思う。

昼過ぎから2階校舎建設の打ち合わせ。先日まで行われていた交通封鎖の影響でセメントが少なく、価格も高騰しているという。こういう問題はネパールではよく起きる事だが、心配しているのは僕だけで、建設業者をはじめスタッフも『間に合うよ』と慌てない。何事も慌てない、のんびりとした性格のネパールの人だと分かっていても、なかなかこの習慣には慣れない。いつも通り、最後に辻褄(日程)が合うことを強く願っている。

夕方往診を終え『あすなろ食堂』を訪ねると、お客さんでいっぱいだった。スミさん達は忙しそうにしていたが、とても充実した表情をしていた。開店から1週間、スミさん達は喜ぶ暇もないほど慌しい時間を過ごしているが、多くの方々に支えられ、着実に力を付けていると思う。これからも努力を積み重ね、一歩ずつ前進して欲しい。

今日はインターネットを見られた方から、暖かいご支援のお話を頂いた。顔が見えない中でこうして暖かいご支援を頂くことに大変感謝している。お預かりした皆さんの善意をきちんと子供達に届け、有効に使わせていただくことが僕らの責務だと思う。ただ単に物を与えるだけの支援ではなく、夢が一歩、二歩と子供達に近づくような夢のある支援活動を目指したい。

今日も慌しい一日となりました。3・3


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2005年03月03日

無力な自分

今日、クリニックでの治療を終え、あすなろ食堂で昼食のオムライスを食べた。オムライスは僕の好物の一つなので、身近で食べられることはとてもありがたい。スミさんの作るオムライスも、どんどん美味しくなっている。

その後、ヒマラヤ小学校へ直行した。実は先日から気になっている児童(3人兄弟)がいて、今日は家庭訪問をしようと決めていた。予想通り、今日も学校へ来ていなかったので、手の開いたモンゴル先生と共に訪問した。

3人は大変貧しい家庭の子供達だが、毎日、学校までの遠い道のりを仲良く通っていた。特に兄のジバンは幼い妹達の世話を良くして、学校での活動にも積極的に参加していた。実は先日、ジバンは同じクラスメイトの母親に、人身売買されそうになっていた。放課後、寂しそうな顔をして職員室の傍に座っているジバンを見かけ話しかけたところ、『明日から学校へ来ないと思う』と、思いがけない返事が返ってきて、問題が発覚した。ヤッギャ校長らの説得で、なんとか事前に問題を防ぐことが出来たが、そういう問題があっただけに、ジバンたちが数日間も学校へ来ていない事を心配していた。

リタジバンの家を訪ねると、幼い妹達(リタとシタ)が軒先で泣いていた。ボロボロの服を着ているリタとシタの周りには何百匹ものハエが飛び交っていた。





モンゴルチェックリタとシタに『どうしたの?』と問いかけても、泣くばかりで答えが返ってこなかった。もしかしたらと思い、体を触ってみると、2人とも高熱があり、お腹が膨れ上がっていた。





話丁度、薪を担いで帰ってきた母親に尋ねてみると、ジバン、リタ、シタ共に、数日前から体調が悪いとのこと。お金がないため医師に診せることも出来ず、放置しているとのことだった。暫くしてジバンも薪を担いで帰ってきた。ジバンは明らかに高熱があると見られ、足元がふらついていた。急いで3人を連れ、パタン市内の診療所へ行き、医師の診察を受けた。医師によると3人とも腸チフスを患っているとの診断だった。



ジバン母ジバン達の父親は酒飲みで、幼いジバン達へよく暴力を振るうそうだ。母親は教育を受けておらず、字を読むことすら出来ない。知識のない母親を責めることは出来ない。写真:母親はつい先日、酔っ払った夫に鎌で手と頭を切りつけられたと、傷口を見せた。傷口には歯磨き粉が塗ってあった。

一体ジバン達のような子供達に対して、僕らが出来ることは何なのだろうか?何をすれば良いのか?子供達の直面する厳しい現状を見るたびに、そんな疑問が沸き上がり、自分の無力さを痛感する。ジバン達の一日も早い回復を願いつつ、自分なりの答えを見つけてみたい。


慌しい一日となった。






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2005年03月02日

子供達の努力。

今日は朝からクリニックで治療。大勢の患者さんで多忙となった。以前、日本の知人がクリニックを訪れたとき、『患者さんと会話が弾んでいいね』と言われたことがあった。僕が治療を担当させて頂いている患者さんは、癌を患われた方や貧しい方が中心であるため、それぞれに苦しい胸の内がある。

治療はイマイチでも、会話を通して少しでも気持ちが楽になって貰える様な、そんな楽しいクリニックを目指している。(なかなか難しいですが。)

クリニックを終え、夕方から始まる往診までの間、ヒマラヤ小学校の子供達と会いたい気持ちを抑えつつ、久しぶりに家に篭って某機関紙の原稿を書いた。

ネパールの現状があまり知られていない中で、文章を通して現状をお伝えする機会をいただく事は、とても有難い。少しでも現状がお伝えできるよう上手く纏めたいが、なかなか纏まらないのが素人。今日も苦戦の上で、ようやく纏まった。

夕方から往診に出かけ、途中、里親教育基金の奨学生宅を訪問した。ネパールでは義務教育がないため、子供達は年度末に進級試験を受けなければならない。どの奨学生達も、進級試験に向け一生懸命頑張っていた。

奨学生達は貧しい生活の中で、よく母親を手伝い、勉強も頑張っている。朝6時から始まる早朝の学校へ通い、帰宅してから水汲み、洗濯、料理と慌しい一日を過ごしながらも一生懸命頑張っている姿に、何時も感心してしまう。

子供達のひたむきな努力を見ていると、何不自由なく豊かな時代に育ち、勉強が大嫌いだった自分自身を振り返り、自責の念にかられる。少しでも子供達の夢が叶うよう、一生懸命応援することが僕に出来る唯一の事だと思う。

夜遅くになって、あすなろ食堂を訪ねた。今日はお客さんが少なかったようで、スミさん達は不安げな表情をしていた。皆で料理の味を確かめ合いながら、あーでもない、こうでもないと、いろいろ考えていた。

こうして一生懸命考えることが、とても大事だと思う。考えることで必ず道が開け、よいレストランになることを確信している。スミさん達には、同じような境遇で暮らす孤児たちが憧れを抱き、大きな希望を持てるような、レストランを目指し頑張って欲しいと思う。

あっという間に過ぎたが、良い日となりました。






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2005年03月01日

心の励み。

ボランティアに参加したMさんから、子供達へプレゼントが届いた。プレゼントには『将来、なりたい自分になれるよう、努力を惜しまず頑張ってください』と素敵なメッセージが添えられていた。学校の未来図や、Mさんがボランティアに参加された時に子供達がダンスを踊ったお礼として、お菓子もいただいた。

子ども達はボランティアの人々をとても尊敬し、『将来、ボランティアのお兄さん、お姉さんのようになりたい』と、強い憧れを抱いている。ボランティアの人々の優しさ、そして情熱が子供達によく伝わるのだろう。

子ども達は『人としての優しさ』を常に求めている。ボランティアの方と手を繋いで歩いたこと、抱えてもらった事、頭を撫でて貰い、『頑張ったね』と誉めて貰ったこと、何気ないことが、社会から厳しく虐げられている子供達にとって、大きな勇気付けとなり、心の励みとなっている。

プレゼントを貰った後、モンゴル先生に『日本はどの方角ですか』と尋ね、『M先生、ありがとう』と、日本まで声が届けといわんばかりに大声で叫んでいる子供達が、とても印象的だった。人との関わりが子供達の夢を育て、生きる力になることを実感した。

夕方からヤッギャ先生、モンゴル先生と共に期末試験の打ち合わせを兼ね、『あすなろ食堂』へ行った。レストランには日本人のお客さんや、ネパール人の若いグループが来ていた。今まで知人が中心だったが、こうして一般の方が足を運んでくれることは、スミさん達にとって大きな励みになると思う。お客さんの『美味しい』という声に、スミさん達のひたむきな努力を見た。

今日も良い日となりました。









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2005年02月28日

若い力

今日は環境問題に取り組んでいるサダナと会った。サダナは2000年に西宮市で開催された『アジア・太平洋こどもエコ会議』に、ネパール代表として参加した聡明な女の子だ。まだ17歳というのに一生懸命、環境保全活動を続けている。

サダナは単に聡明なだけでなく、何事も恐れない行動力を持ち合わせている。何時も前向きに頑張っている姿には、頭が下がる。自分がサダナと同じ17歳の頃、一体何をしていたのか?思い出すことも出来ないほど、無意味な時間を過ごしていたように思う。

きっとサダナのような学生が将来、ネパールの中心となって活躍するのだろう。ささやかながらも、サダナの活動を応援していきたいと思う。

今年は、ネパールでケナフフォーラムを開催したいと考えている。そのためにカトマンズ盆地内の数校でケナフを栽培し、子供達がケナフを観察する活動を考えている。フォーラムは、サダナのような若い人たちが中心となって開催することが大事だと思う。

夕方からは大臣官邸でヒマラヤ青少年育英会のミーティングに出席。順調にミーティングが終わり安心した。来年度の教師雇用についても話し合われたが、僕としてマナ・マヤ・グルンさんを推薦した。マナさんはスミさんと同じ孤児院で育った孤児。昨年6月から得意のダンスと歌をヒマラヤ小学校の子供達に教えている。

僕はマナさんの真面目で誠実な性格を高く評価している。マナさんには午後3時から午後4時の間でダンス教室をお願いしたが、彼女は毎回、昼前には学校へ来て、いろいろな手伝いをしてくれる。

もちろん今まで教員としての経験もなく、今後研修を受ける必要があるが、何よりもマナさんの誠実さと『子供達のために何かしたい』という情熱を評価したいと思う。

学校は先生方の情熱に掛かっていると思う。情熱ある先生がいなければ、学校は直ぐに駄目になると思う。理想を言えば切がないが、マナさんならきっと良い教師として活躍してくれると確信している。

今日も良い日となった。




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2005年02月27日

苦手な作業

昨夜、久しぶりにホームページを更新した。毎日、学校では様々なことが起こるので、頻繁に更新しなければならない。また一人でも多くの人にヒマラヤ小学校の子供達のことをお伝えするためにも、頻繁な更新が欠かせない。

時々、ホームページを見られた方から『毎日、楽しみに見てますよ』と、暖かい励ましのお便りをいただく事があるが、そんな時はとても嬉しく、やる気も沸いてくる。

元々、僕はコンピュータも、文章を書くことも苦手で、今でもコンピューターを十分に理解出来ていないのが実情。それでも苦手な2つの作業を続けているのは、子供達が素晴らしい事と、応援してくださる方々の暖かいご声援があるからだと思う。

本来、プロの方にお任せすれば、もっと分かりやすく素晴らしいホームページやニュースレターが出来るだろうし、組織が大きくなるにつれ、それぞれの専門知識を持った人材は必要だと思う。

時々、他の大きな団体のニュースレターなどを見ると、羨ましく思うこともある。文章も写真もコンピューターも全て苦手だが、少しでも上達するよう頑張りたい。

今日は『あすなろレストラン』を客として訪ねた。やはり客の立場で見ると、全体が良く見える。コロッケを食べながら改善点を纏めてみた。それにしてもコロッケは美味しかった。

夜の往診を終え帰宅し、直ぐに某新聞社で連載させて頂いているコーナーを執筆。文章を書くときはリズムがとても大事な気がする。自分の書いた拙稿がプロの編集を経て、見違えるような文書に生まれ変わることに何時も驚かされる。やはりプロは凄いと感心してします。

明日は早朝から往診、学校、ミーティングと多忙な一日となりそう。明日も全力で頑張りたい。

今日は良い日となりました。




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2005年02月26日

煉瓦を積み上げるような努力

今朝、往診を済ませた後、『あすなろ食堂』へ行き、焼き鳥のたれの仕込みを手伝った。スミさん達も昨日の経験で少し自信がついたようで、顔つきがすっかり変わっていた。

仕込みを終えた後、ヒマラヤ小学校へ直行した。何時もながら、子供達の歓迎が嬉しい。どの子供達も学びの喜びが顔中に溢れている。

ヤッギャ校長と『教師評価システム』の導入について話し合った。また僕自身、今まで以上に先生達との会話の必要性を感じていることから、月一回の『教育研究会』の開催を提案した。ヤッギャ校長からも同意を頂き、早速、両案共に準備を始めることが決まった。

ヤッギャ校長は『何とかなるさ』のネパールで、珍しいほど誠実で几帳面な性格だ。『村の教育のために全てを捧げたい』と、務めていた大企業を辞めて(給与も大幅減)、ヒマラヤ小学校の校長に就任した。

教育に対し情熱と素晴らしいビジョンも持ち、何事も誠実に、全力で取り組んでいる。これまでヒマラヤ小学校が予想以上に素晴らしい成果を収めたことも、ヤッギャ校長の努力が大きい。僕にとって心から尊敬できる方だ。

今まで時間のある限りヤッギャ校長と話をしてきたが、せっかくの素晴らしいアイデアを、他の先生とも共有し今後の学校発展のために役立てたいと思っている。

午後5時から、文化・観光・航空相に就任したバジュラチャルャ会長を訪ねた。全閣僚が暮らす大臣公邸内は厳重な警備が敷かれ、面会できるまでに長い時間が掛かった。

インドでの国際会議に参加し、夕方帰国されたばかりだったが、疲れた表情すら見せずに快く迎えていただいた。

会長がインド訪問中に纏まった、2階校舎増築について説明をした。そして27日に緊急理事会を開き、2階校舎増築の説明を行うことが決まった。超多忙の中でも、何時も子供達の教育のことを第一に考える会長の姿勢は、僕にとって大きな勉強になる。

大臣公邸を後にし、ヤッギャ校長と共に奨学生宅を訪問した。ヤッギャ校長にはヒマラヤ小学校だけでなく、里親教育基金などの分野でも、積極的に参加して頂きたいと考えている。まずは現状を見ていただくことが第一だ。

その後、あすなろ食堂を訪問。昨日に引き続く大盛況。スミさん達が活き活きと仕事をしている姿を見て、嬉しく思った。正に水を得た魚のよう。本当によかった。今日は日本人のお客さんも来てくれた。

どんな事も全ては努力の積み重ねだと思う。バジュラチャルャ会長やヤッギャ校長、そしてスミさんを見て、そのことを痛感した。

煉瓦を一個ずつ積み上げるような努力を続けていきたい。
慌しくも充実感のある一日だった。








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2005年02月25日

なんとか開店。

今日は朝からレストランの手伝いで大忙しだった。ヒマラヤ青少年育英会の女性自立支援を受けて2年、4人とも本当に良く頑張ってきたと思う。ようやく念願のレストランを開店することが出来た。

特に中心となって頑張っているスミさんは、自身の夢でもあったレストラン開店が実現し、涙を流していた。今まで社会から虐げられてきた彼女達にとって今日は、希望に満ちた新しい人生の始まりだ。ぜひ頑張って欲しい。

今日は予想を超えるお客さんが来てくれ、ゆっくり喜んでいる暇もないほど忙しかった。友人達も手伝いに来てくれて、何とか初日が終わった感じ。これから彼女達には本当の意味での自立を目指し、一歩ずつ頑張って欲しい。

僕自身、学生時代にレストランでアルバイトに従事していた経験があり、今日は一日、懐かしい気分にもなった。まだまだ修正点はあるが、彼女達が考え人々に喜ばれる、小さくても暖かいレストランを築いて欲しい。

その後は奨学支援をしている子供達の内、今年度のSLC(全国統一卒業認定試験)を受験する生徒を訪ねた。SLCまで残すところ1ヶ月あまり、今年は初めて奨学生がSLCを受験するので、とても緊張している。大げさかもしれないが受験生を持つ親の気持ちが少し分かった気がする。

ヒマラヤ青少年育英会の自慢は、支援をしている子供達がどの子も素晴らしいことだ。皆、支援への感謝の気持ちを忘れず一生懸命に頑張っている。勉強だけではない、シラミ退治や医療キャンプなどの活動にも、みな積極的に参加してくれる。

夢に向かい頑張る素晴らしい子供達がいるから、支援活動が出来るのだと思う。

今日は忙しいく大変疲れたが、良い一日となった。



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2005年02月24日

慌しい一日

朝6時半からネパール癌協会のクリニックで仕事。顔なじみの患者さんとの会話や新しい患者さんとの出会い、僕にとって人との関わりがネパールで一番の楽しみだ。

ネパール癌協会でペインクリニック科を開設させて頂き、5年が過ぎようとしている。今まで多くのがん患者さんとの出会いがあり、そして別れもあった。皆さん、僕のような若輩者の治療を信じてくださり、何時も暖かく励ましてくださっている。患者さんとの関わりがなければ、こんなに長い間ネパールで生活できなかったと思う。つくずく運が良かったと実感している。

2時にクリニックを終え、ヒマラヤ小学校へ直行。学校は休みだったが、2階校舎建設の件で施工業者との大事な打ち合わせがあった。なんとか予定通りに進んで欲しいと思う。

その後、ブンガマティ村の下の集落で開設している寺子屋を見に行った。子供達は薄暗い寺小屋の中で、瞳を輝かせながら一生懸命勉強していた。とても嬉しく思った。何とか一人でも多くの子供達を来年度からヒマラヤ小学校へ入学できるようにしたい。

寺子屋から大急ぎでパタンに戻り、レストランの準備を手伝った。何事も慌てないネパールの人たち、何時もぎりぎりだが、上手い具合に間に合ってしまう。

レストランも夜12時半まで準備に追われたが、なんとか開店の準備が出来た。今後の道のりは決して平坦ではないが、皆さんに喜んで貰えるレストランを目指したい。

いささか慌しく、肉体的・精神的に疲労した一日だった。





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2005年02月23日

歓声に沸く校舎。夢に向かう女性たち。

今日、ヤッギャ校長先生から子供達に2階校舎建設が伝えられた。みんな心待ちにしていただけに、大きな歓声が湧き上がった。

入学が決まった時の笑顔、先生に誉められた時の笑顔、動物園へ初めて行った時の笑顔、いつも子供達は笑顔で溢れているが、今日の笑顔も格別だった。

勉強はからっきしでも、何時も元気いっぱいの男の子4人組は『僕らが煉瓦を全部運びます。』と、可愛らしいことを言っていた。子供達の歓声が止まぬ間に、突然大雨となった。ネパールは日毎に春が近づいている。

ヒマラヤ青少年育英会の『女性自立支援』を通して、孤児院を出た4名の女子を支援しているが、この度、4人が協力してレストランを開店することとなった。

4人ともレストラン開店の夢に向かい、一生懸命頑張ってきたが、やはり開店が近づくにつれ少しずつ弱音を吐くようになった。年齢が20歳前後、ましてや孤児院で育ち、社会から今まで様々な虐げを受けていた女の子にとって、社会の一員となることはとても大きな冒険だと思う。

昨日は女性自立支援の母役をお願いしているニルマラさんが、彼女達とゆっくり話をしてくれた。

今日4人は、昨日とはまったく違う、希望に溢れた素晴らしい表情を見せてくれた。占星術師の指示により開店の日が24日と決まった。これから4人が協力して、全力で頑張ってくれることを確信している。このレストランが、同じような境遇で暮らす女子の、大きな希望となって欲しいと思う。

僕よりも若い人たちの成長を見ると、とても勇気付けられる。今日も良い日となった。


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2005年02月22日

念願の2階校舎建設。

昨年、クラーク記念国際高校はじめ、多くの方々の善意のご支援を頂き、カトマンズ郊外の緑に囲まれた小さな村(ブンガマティ村)に、ヒマラヤ小学校が開校した。

実は着工当時、当初予定していた募金額に届かず、結果的に1階部分、4教室での開校となった。しかし入学を希望する子供達は多く、初年度から全ての教室が埋まってしまった。

なんとか来年度(2005年4月)までに2階部分の増築実現を願っていたところ、この度、神奈川県内の方から暖かいご支援のお申し出をいただき、念願の2階校舎建設が実現する運びとなった。正式な建設許可も下り、いよいよ2階校舎の建設が始まる。

何時も子供達から『2階は何時出来ますか?』や、煉瓦を積んだトラックが学校の前を通るたびに、『私達の学校には、いつ煉瓦が運ばれてきますか?』など、不安げな質問を受けていたので、早く子供達にも増築のことを伝えたい。

明日、子供達に2階校舎の増築の事を伝えるが、今から子供達の喜ぶ姿が目に浮かんでくる。教育環境が整うと共に子供達の夢がどんどん育つよう頑張りたいと思う。

今日は嬉しい日となった。


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