重要なお知らせ
吉岡大祐のヒマラヤ活動日記 へご訪問いただきありがとうございます。 奨学生ならびに学校宛の手紙は普通郵便に限ります。受け取り手続きが必要なEMS(国際スピード郵便)や国際書留郵便、その他、DHL,OCS,FEDEXなど国際宅急便の利用はお断りしております。また物資による支援は自立を目指す学校の教育方針および関税等の問題から全てお断りしてます。どうかあしからずご了承ください。 今後ともよろしくお願いいたします。
当ブログはしばらくの間、不定期となります。 この間、メイルへの返信等、大幅に遅れる場合があります。ご了承下さい。お問い合わせ先:info@ikueikai.org
2006年06月03日
猛省
6月3日(土)
今日はカトマンズ郊外で医療キャンプが予定されていたが、結局、参加せずに雑用を片付けることにした。溜まっている雑用が気になってしまい少なからず他の活動にも影響が出ているので、今日は早朝から机に向い集中して雑用を片付けた。
午後4時頃まで掛かってようやく一段落したところ、ボーダナートに暮らす患者さんから電話が掛り、膝の痛みが酷いので、一寸診て欲しいとの要請を受けた。チベット人のその患者さんとは7年来の付き合いがあるが、毎日欠かさずボーダー寺院へお参りしている熱心な仏教徒だ。長年、両側性の変形性膝関節症を患っているが、加齢や体重に加え、お参りの時につくばう姿勢を取る事が多いこと等も、膝の状態を悪化させている原因ではないかと考えている。
今日はよほど膝の痛みが強かったのか、治療の後、何時も以上に患者さんに喜んで貰った。こうして患者さんの喜ぶ姿や感謝の声を聞くと、治療活動をやっていて良かったなぁと思う。ここのところ忙しさに取り紛れ、治療活動が相当疎かになっている。もう一度、しっかりと原点に立ち戻るよう、自分自身に猛省を促したい。
今日はカトマンズ郊外で医療キャンプが予定されていたが、結局、参加せずに雑用を片付けることにした。溜まっている雑用が気になってしまい少なからず他の活動にも影響が出ているので、今日は早朝から机に向い集中して雑用を片付けた。
午後4時頃まで掛かってようやく一段落したところ、ボーダナートに暮らす患者さんから電話が掛り、膝の痛みが酷いので、一寸診て欲しいとの要請を受けた。チベット人のその患者さんとは7年来の付き合いがあるが、毎日欠かさずボーダー寺院へお参りしている熱心な仏教徒だ。長年、両側性の変形性膝関節症を患っているが、加齢や体重に加え、お参りの時につくばう姿勢を取る事が多いこと等も、膝の状態を悪化させている原因ではないかと考えている。
今日はよほど膝の痛みが強かったのか、治療の後、何時も以上に患者さんに喜んで貰った。こうして患者さんの喜ぶ姿や感謝の声を聞くと、治療活動をやっていて良かったなぁと思う。ここのところ忙しさに取り紛れ、治療活動が相当疎かになっている。もう一度、しっかりと原点に立ち戻るよう、自分自身に猛省を促したい。
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2006年06月02日
理解を頂くために
6月2日(金)
今日はマチェンドラナート祭りの最終日、『ボト・ジャトラ』という事で、学校は休校となった。雨季を迎える山車祭り『(ラト)マチェンドラナート』が終われば、村々では田植えが始まる。子供たちも田植えの手伝い等で忙しくなる時期だ。
今日は久しぶりの休日だったが結局、山積している雑用に追われた。それでも時々、静かにヒマラヤ小学校の将来について考えることが出来、なかなか充実した一日だった。
これまで大勢の方々の暖かいご協力をいただき、ヒマラヤ小学校の運営面は少しずつだが明るい兆しが見え始めている。まだ楽観視するほどの状況ではないが、学校への理解者や協力者も少しずつ増え、何となく良い方向へ向っているように思える。
ヤッギャ校長や学校運営委員会でも何時も話し合っている事だが、支援は一つに頼りきってしまうのではなく、なるべく分散させておく必要があると思う。それも出来るだけ大勢の方にご参加いただく事で、個人の負担を少しでも減らす方法が最善だと思う。ようやく学校への理解が深まりつつある中、僕達、ネパール側としても皆さんの善意に応えられる様、子供たちのために良い学校づくりを進めていかなければならない。
学校の運営には子供1人あたり約1万円の費用が掛かる。もちろん特別活動を含めると、それ以上の経費が掛かってしまうのだが、まずは学校が何とか継続運営できるだけの力を付けたいと思う。其の上で、もし余剰金が出た場合には、各先生達が『遣ってみたい』という自発的な活動を出来る限り応援したいと思うし、またそうした余剰金を『基金化』して運営に充てるなど、将来を見据えた活動に取り組んで行かなければならない。
今年は本格的なケナフカレンダーの販売を予定している(10月〜11月頃)。学校が自立できるまでには長い月日が掛かると思うが、一歩ずつの積み重ねを大切に大きな目標に向って頑張っていきたい。
まずは今まで以上にヒマラヤ小学校、そして子供たちを知って頂く活動に力を注ぎ、学校への理解を深めて頂けるように頑張りたい。特に30名の新入生について、何らかの形で紹介をしていきたいと考えている。皆で力を合わせれば、きっと良い案が見付かると思う。ぜひ頑張りたい。
今日はマチェンドラナート祭りの最終日、『ボト・ジャトラ』という事で、学校は休校となった。雨季を迎える山車祭り『(ラト)マチェンドラナート』が終われば、村々では田植えが始まる。子供たちも田植えの手伝い等で忙しくなる時期だ。
今日は久しぶりの休日だったが結局、山積している雑用に追われた。それでも時々、静かにヒマラヤ小学校の将来について考えることが出来、なかなか充実した一日だった。
これまで大勢の方々の暖かいご協力をいただき、ヒマラヤ小学校の運営面は少しずつだが明るい兆しが見え始めている。まだ楽観視するほどの状況ではないが、学校への理解者や協力者も少しずつ増え、何となく良い方向へ向っているように思える。
ヤッギャ校長や学校運営委員会でも何時も話し合っている事だが、支援は一つに頼りきってしまうのではなく、なるべく分散させておく必要があると思う。それも出来るだけ大勢の方にご参加いただく事で、個人の負担を少しでも減らす方法が最善だと思う。ようやく学校への理解が深まりつつある中、僕達、ネパール側としても皆さんの善意に応えられる様、子供たちのために良い学校づくりを進めていかなければならない。
学校の運営には子供1人あたり約1万円の費用が掛かる。もちろん特別活動を含めると、それ以上の経費が掛かってしまうのだが、まずは学校が何とか継続運営できるだけの力を付けたいと思う。其の上で、もし余剰金が出た場合には、各先生達が『遣ってみたい』という自発的な活動を出来る限り応援したいと思うし、またそうした余剰金を『基金化』して運営に充てるなど、将来を見据えた活動に取り組んで行かなければならない。
今年は本格的なケナフカレンダーの販売を予定している(10月〜11月頃)。学校が自立できるまでには長い月日が掛かると思うが、一歩ずつの積み重ねを大切に大きな目標に向って頑張っていきたい。
まずは今まで以上にヒマラヤ小学校、そして子供たちを知って頂く活動に力を注ぎ、学校への理解を深めて頂けるように頑張りたい。特に30名の新入生について、何らかの形で紹介をしていきたいと考えている。皆で力を合わせれば、きっと良い案が見付かると思う。ぜひ頑張りたい。
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2006年06月01日
不思議な存在
6月1日(木)
朝から雑用に追われた。ネパールに戻ってから約1週間、慌しい毎日が続き、荷物の整理も出来ていない状況が続いている。第2回こども環境会議の打ち合わせ、学校運営、其の他にも遣るべき事が山積していて、なかなか落ち着かない状況だ。それでも何とか頑張れるのは、毎日ヒマラヤ小学校や寺子屋、そして里親教育基金の子ども達の一生懸命頑張っている姿に接しているからだと思う。子供たちと接していると不思議と元気が沸いてくる。
雑用を後回しにして、昼過ぎからヒマラヤ小学校を訪ねた。職員室で雑談をしていると子供達がぞろぞろと集まってきて、話しかけてきたり、手を引っ張ったり、花をくれたり、好き放題、僕の周りで思い思いの事を遣り始めた。きっと面白いから集まってくるのだと思うが、子供達にとって僕は不思議な存在なのかもしれない。毎日のように学校に顔出すのに授業をする訳でもなく、写真を撮ったり、授業を覗いたり、たまには先生達と真剣な顔で話をしていたり、子供達にとっては相当不思議な存在として映っているのかもしれない。しかし、こうして子供達の人懐っこい笑顔に囲まれていると、疲れも一気に吹っ飛んでしまう。
今日は子供達がナデシコや金盞花などの花の種を蒔いた。ケナフ活動の成果か、『種を蒔くよ』と呼びかけると大勢の子供達が集まってきた。子供たちが植物に興味を持つ事はとても良い事だと思う。先日のジャカランダも含め、これから学校内を花や植物で一杯にしたい。
夕方から里親教育基金の奨学生姉妹の家を訪問した。明日からお姉さんの方の11学年の卒業認定試験が始まる。真剣な表情で明日の試験科目である『英語』のノートに目を通している奨学生を見ると、何とかこの努力が報われて欲しいと願わずにはいられない。皆、頑張って欲しい。
夜、往診を一件済ませた後、帰宅。体調の事を考えて早めに就寝した。
朝から雑用に追われた。ネパールに戻ってから約1週間、慌しい毎日が続き、荷物の整理も出来ていない状況が続いている。第2回こども環境会議の打ち合わせ、学校運営、其の他にも遣るべき事が山積していて、なかなか落ち着かない状況だ。それでも何とか頑張れるのは、毎日ヒマラヤ小学校や寺子屋、そして里親教育基金の子ども達の一生懸命頑張っている姿に接しているからだと思う。子供たちと接していると不思議と元気が沸いてくる。
雑用を後回しにして、昼過ぎからヒマラヤ小学校を訪ねた。職員室で雑談をしていると子供達がぞろぞろと集まってきて、話しかけてきたり、手を引っ張ったり、花をくれたり、好き放題、僕の周りで思い思いの事を遣り始めた。きっと面白いから集まってくるのだと思うが、子供達にとって僕は不思議な存在なのかもしれない。毎日のように学校に顔出すのに授業をする訳でもなく、写真を撮ったり、授業を覗いたり、たまには先生達と真剣な顔で話をしていたり、子供達にとっては相当不思議な存在として映っているのかもしれない。しかし、こうして子供達の人懐っこい笑顔に囲まれていると、疲れも一気に吹っ飛んでしまう。
今日は子供達がナデシコや金盞花などの花の種を蒔いた。ケナフ活動の成果か、『種を蒔くよ』と呼びかけると大勢の子供達が集まってきた。子供たちが植物に興味を持つ事はとても良い事だと思う。先日のジャカランダも含め、これから学校内を花や植物で一杯にしたい。
夕方から里親教育基金の奨学生姉妹の家を訪問した。明日からお姉さんの方の11学年の卒業認定試験が始まる。真剣な表情で明日の試験科目である『英語』のノートに目を通している奨学生を見ると、何とかこの努力が報われて欲しいと願わずにはいられない。皆、頑張って欲しい。
夜、往診を一件済ませた後、帰宅。体調の事を考えて早めに就寝した。
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2006年05月31日
社会の変化
5月31日(水)
今日は各新聞の紙面を女性の地位や権利に関する法案の話が賑わせていた。今回の法案の中で特に注目されているのは、母親によって子供たちの国民証取得が可能になる事だ。
これまでの法律では子供が国民証を取得する場合(16歳で取得できる)、必ず父親が必要だったため、母子家庭の子供たちは国民証の取得が大変困難だった。国民証を取得できないという事は、“ネパール人として認められない”事と同じで、母子家庭の子供たちの多くは国民証がない事で、様々な問題に直面している。
昨年、里親教育基金の奨学生が日本への短期留学の機会を得たときも、母子家庭ということでなかなか国民証が発行されず、大変な思いをした。役所を訪ねては断られ、毎日のように悔し涙を流していた奨学生が本当に痛々しかった。その後、周囲の理解で奨学生は国民証を取得する事ができたが、ヒマラヤ青少年育英会の奨学生のほとんどが母子家庭という事もあり、国民証の問題は他人事ではなかった。
今回、下院が法案を承認しただけで実施までには時間が掛かると思うが、本当に喜ばしいニュースだと思う。こうして少しずつでも女性の権利が向上すれば、女子が教育を受ける機会も増えると思う。そうなれば直面している様々な問題も少しずつ改善に向うのではないだろうか。人々の価値観や意識が猛烈な勢いで変化しているネパール。そんな社会の大きな変化をしっかりと見つめていきたいと思う。
今日は各新聞の紙面を女性の地位や権利に関する法案の話が賑わせていた。今回の法案の中で特に注目されているのは、母親によって子供たちの国民証取得が可能になる事だ。
これまでの法律では子供が国民証を取得する場合(16歳で取得できる)、必ず父親が必要だったため、母子家庭の子供たちは国民証の取得が大変困難だった。国民証を取得できないという事は、“ネパール人として認められない”事と同じで、母子家庭の子供たちの多くは国民証がない事で、様々な問題に直面している。
昨年、里親教育基金の奨学生が日本への短期留学の機会を得たときも、母子家庭ということでなかなか国民証が発行されず、大変な思いをした。役所を訪ねては断られ、毎日のように悔し涙を流していた奨学生が本当に痛々しかった。その後、周囲の理解で奨学生は国民証を取得する事ができたが、ヒマラヤ青少年育英会の奨学生のほとんどが母子家庭という事もあり、国民証の問題は他人事ではなかった。
今回、下院が法案を承認しただけで実施までには時間が掛かると思うが、本当に喜ばしいニュースだと思う。こうして少しずつでも女性の権利が向上すれば、女子が教育を受ける機会も増えると思う。そうなれば直面している様々な問題も少しずつ改善に向うのではないだろうか。人々の価値観や意識が猛烈な勢いで変化しているネパール。そんな社会の大きな変化をしっかりと見つめていきたいと思う。
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2006年05月30日
新しい試み
5月30日(火)
ヒマラヤ小学校では今年度から指導体制を『教科担任制』に変更した。(幼稚園年少クラスを除く)これまでのクラス担任制で特に大きな問題があった訳ではないが、第一期卒業生が出る3年後までに、学校としての『形』を構築したいとの考えから、どちらの制度がヒマラヤ小学校の子供達にとって良いかを検討する事になった。
教科担任制を導入して1ヶ月余りが経った。それぞれの先生からは、子ども達の理解力や集中力が上がったなど、教科担任制に対する評価の声が上がっている。どちらの制度にも一長一短があると思うが、教科担任制度の短所、とりわけ子供たち一人ひとりに目が行き届きにくいという問題をどう補っていくか、これから先生達とじっくり検討したいと思う。(写真:教科担任制になるまで、あまり交流のなかったビディヤ先生と幼稚園年長クラスの子供が交流しているところ。新しい指導体制による長所も見られる。)
夕方からディビ・ジョティ学校でケナフの種まきを行った。今年は昨年の倍以上に当たる20校での活動を予定しているが、各校を周り種蒔きやその他の指導を行う事はなかなか簡単な事ではない
昨年参加した学校を除いて、ほとんどの学校ではこれまで植物観察授業が行われていない事や、サダナをはじめスタッフがそれぞれ仕事を持っていて時間を調整しながらの活動であるため、思うように活動を進める事が難しい。もちろんそれを承知の上で活動を広げているのだが、実際は猫の手も借りたい現状だ。
会議までにはいろいろと困難もあると思うが、ケナフを求める子ども達の声に何とか応えていきたいと思う。暫くは多忙な日々が続きそう。
嬉しいニュース:ケナフ繊維を使った携帯電話がNECから発売中です。
ヒマラヤ小学校では今年度から指導体制を『教科担任制』に変更した。(幼稚園年少クラスを除く)これまでのクラス担任制で特に大きな問題があった訳ではないが、第一期卒業生が出る3年後までに、学校としての『形』を構築したいとの考えから、どちらの制度がヒマラヤ小学校の子供達にとって良いかを検討する事になった。
教科担任制を導入して1ヶ月余りが経った。それぞれの先生からは、子ども達の理解力や集中力が上がったなど、教科担任制に対する評価の声が上がっている。どちらの制度にも一長一短があると思うが、教科担任制度の短所、とりわけ子供たち一人ひとりに目が行き届きにくいという問題をどう補っていくか、これから先生達とじっくり検討したいと思う。(写真:教科担任制になるまで、あまり交流のなかったビディヤ先生と幼稚園年長クラスの子供が交流しているところ。新しい指導体制による長所も見られる。)
夕方からディビ・ジョティ学校でケナフの種まきを行った。今年は昨年の倍以上に当たる20校での活動を予定しているが、各校を周り種蒔きやその他の指導を行う事はなかなか簡単な事ではない
昨年参加した学校を除いて、ほとんどの学校ではこれまで植物観察授業が行われていない事や、サダナをはじめスタッフがそれぞれ仕事を持っていて時間を調整しながらの活動であるため、思うように活動を進める事が難しい。もちろんそれを承知の上で活動を広げているのだが、実際は猫の手も借りたい現状だ。
会議までにはいろいろと困難もあると思うが、ケナフを求める子ども達の声に何とか応えていきたいと思う。暫くは多忙な日々が続きそう。
嬉しいニュース:ケナフ繊維を使った携帯電話がNECから発売中です。
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2006年05月29日
子ども達の熱意
5月29日(月)
午前中、昨日に引き続き銀行と郵便局で雑用を済ませた。
昼からサダナと共にヒマラヤ小学校を訪問。久しぶりのサダナの訪問を子供たちがとても喜んでいた。
その後ブンガマティ村にある学校を訪ねケナフの種まきをする予定だったが、学校側の勘違いか種蒔きの準備がまったく出来ていなかったためその学校をお預けにして、他校で種まきをすることにした。ネパールでは打ち合わせをしっかり行っていても、こういう結果になる事が多い。何事も慌てないネパールの国民性だと思うが、こればかりは何年暮らしてもなかなか慣れない。特に日本から戻ってきたばかりの今のような時期は、文化・習慣の違いを強く感じる事が多い。
その後、アダルシヤ学校とルドラヤ二学校を訪ね、ケナフの種まきを行った。アダルシヤ学校では併設されている障害児クラスの聾唖の子供達が、一生懸命土起こしを手伝ってくれた。また、種蒔きに参加した他の障害児もケナフの種を蒔けた事をとても喜んでくれた。
ルドラヤ二学校の子供たちもケナフの種まきを心待ちにしていた様子だった。今年は観察参加児童を総入れ替えし、新しい子供達が観察に参加する事になっているが、昨年、観察に参加した上級生が細かい点などを下級生に伝えている姿を見ると、少しずつケナフの観察活動が根付いている事を実感する。
その後、夕方からブンガマティ村の小川武明寺子屋を訪ねた。大勢の子供達が集まった教室は子ども達の熱気で蒸し風呂の様な状態になる。其の辺りを担当のサンギャさんが考慮して、夏季の間、青空教室を開催する事になった。夕方、涼しい風が吹く中での勉強は、子ども達にとっても良いことだと思う。
それにして筵の上で、直向に字を覚えようと頑張る子ども達の姿には、何時も感動を覚える。この勉強への熱意はどこから出てくるのだろう。子ども達の一生懸命な姿から勉強になる事が本当に多い。
午前中、昨日に引き続き銀行と郵便局で雑用を済ませた。
昼からサダナと共にヒマラヤ小学校を訪問。久しぶりのサダナの訪問を子供たちがとても喜んでいた。
その後ブンガマティ村にある学校を訪ねケナフの種まきをする予定だったが、学校側の勘違いか種蒔きの準備がまったく出来ていなかったためその学校をお預けにして、他校で種まきをすることにした。ネパールでは打ち合わせをしっかり行っていても、こういう結果になる事が多い。何事も慌てないネパールの国民性だと思うが、こればかりは何年暮らしてもなかなか慣れない。特に日本から戻ってきたばかりの今のような時期は、文化・習慣の違いを強く感じる事が多い。
その後、アダルシヤ学校とルドラヤ二学校を訪ね、ケナフの種まきを行った。アダルシヤ学校では併設されている障害児クラスの聾唖の子供達が、一生懸命土起こしを手伝ってくれた。また、種蒔きに参加した他の障害児もケナフの種を蒔けた事をとても喜んでくれた。
ルドラヤ二学校の子供たちもケナフの種まきを心待ちにしていた様子だった。今年は観察参加児童を総入れ替えし、新しい子供達が観察に参加する事になっているが、昨年、観察に参加した上級生が細かい点などを下級生に伝えている姿を見ると、少しずつケナフの観察活動が根付いている事を実感する。
その後、夕方からブンガマティ村の小川武明寺子屋を訪ねた。大勢の子供達が集まった教室は子ども達の熱気で蒸し風呂の様な状態になる。其の辺りを担当のサンギャさんが考慮して、夏季の間、青空教室を開催する事になった。夕方、涼しい風が吹く中での勉強は、子ども達にとっても良いことだと思う。
それにして筵の上で、直向に字を覚えようと頑張る子ども達の姿には、何時も感動を覚える。この勉強への熱意はどこから出てくるのだろう。子ども達の一生懸命な姿から勉強になる事が本当に多い。
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2006年05月28日
ジャカランダの開花
5月28日(日)
朝、先日からネパール滞在中の優さんと銀行や郵便局へ行き、雑用を済ませた。ネパールでの各種手続きには無駄が多い。銀行口座開設ひとつでもウンザリするほど様々な書類を揃える必要がある。今日は手続きの最中、銀行のマネージャー自ら『ネパールの手続きは書類が多くて大変ですね〜。』などと言ってきた。この辺の暢気さがネパールの良さだと何時も思う。
昼からヒマラヤ小学校を訪問。子供達と2週間ぶりの再会だったが、皆、元気そうで何より。新入生もすっかり学校生活に慣れた様子、授業にも一生懸命参加していた。ローマ字を書ける様になった子を1人誉めると他の子供たちも一生懸命『僕も書けるよ』と、ノートを見せてきた。どの子供たちにも言える事だが、やはり誉めて貰う事、認めて貰う事が子供達にとって一番嬉しい事なのだろう。これも『誉める教育』を実践している先生達の日頃の努力の成果だと思う。
ヒマラヤ小学校にいて一番嬉しい事は、子ども達の成長を見ることが出来ることだと思う。2週間前、入学したばかりで未だ不安げな表情をしていた子供達が、すっかり学校生活に慣れ、楽しそうな笑顔を浮かべている事や、字が書ける様になった、1〜100まで言えるようになった等、日々、子ども達の成長に直面できる事は、とても幸せな事だと思う。
今日は昨年、ボランティア活動に参加した理香さんから子供達にプレゼントが届いた。早速、子供達にチョコレートを配ったが、子供たちからは『理香ミスはいつ学校へ来てくれますか?』という質問が飛んできた。今年もぜひ、交流活動を充実させたい。
今年度からビディヤ先生が特別教員としてヒマラヤ小学校の職員に加わる事となった。先生の授業は子供たちからも人気がある。今日はビディヤ先生が教育勉強会で提案した『体で表現して覚える』授業を参観した。子供たち一人ひとりが前に出て発表する形で授業が進められたが、どの子供たちも積極的に参加して、とても素晴らしい授業だった。こうしてビディヤ先生の経験や知識が活かされる事で、ヒマラヤ小学校の教育は必ず充実してくると思う。
今日は嬉しい発見があった。2年前の開校式典の時に校庭に植樹したジャカランダが、ついに花を咲かせた。開校2周年を祝っている様で本当に嬉しい。ジャカランダの生長と子ども達の成長が重なり、感慨深いものがある。
夕方からサダナ、ヤッギャ校長と集まりケナフ会議のミーティングを行った。今回の会議は規模も倍以上に大きくなるため、念入りな細かい計画が必要とされる。8月12,13日の会議まで後2ヶ月余り、成功に向け全力で頑張りたい。
朝、先日からネパール滞在中の優さんと銀行や郵便局へ行き、雑用を済ませた。ネパールでの各種手続きには無駄が多い。銀行口座開設ひとつでもウンザリするほど様々な書類を揃える必要がある。今日は手続きの最中、銀行のマネージャー自ら『ネパールの手続きは書類が多くて大変ですね〜。』などと言ってきた。この辺の暢気さがネパールの良さだと何時も思う。
昼からヒマラヤ小学校を訪問。子供達と2週間ぶりの再会だったが、皆、元気そうで何より。新入生もすっかり学校生活に慣れた様子、授業にも一生懸命参加していた。ローマ字を書ける様になった子を1人誉めると他の子供たちも一生懸命『僕も書けるよ』と、ノートを見せてきた。どの子供たちにも言える事だが、やはり誉めて貰う事、認めて貰う事が子供達にとって一番嬉しい事なのだろう。これも『誉める教育』を実践している先生達の日頃の努力の成果だと思う。
ヒマラヤ小学校にいて一番嬉しい事は、子ども達の成長を見ることが出来ることだと思う。2週間前、入学したばかりで未だ不安げな表情をしていた子供達が、すっかり学校生活に慣れ、楽しそうな笑顔を浮かべている事や、字が書ける様になった、1〜100まで言えるようになった等、日々、子ども達の成長に直面できる事は、とても幸せな事だと思う。
今日は昨年、ボランティア活動に参加した理香さんから子供達にプレゼントが届いた。早速、子供達にチョコレートを配ったが、子供たちからは『理香ミスはいつ学校へ来てくれますか?』という質問が飛んできた。今年もぜひ、交流活動を充実させたい。
今年度からビディヤ先生が特別教員としてヒマラヤ小学校の職員に加わる事となった。先生の授業は子供たちからも人気がある。今日はビディヤ先生が教育勉強会で提案した『体で表現して覚える』授業を参観した。子供たち一人ひとりが前に出て発表する形で授業が進められたが、どの子供たちも積極的に参加して、とても素晴らしい授業だった。こうしてビディヤ先生の経験や知識が活かされる事で、ヒマラヤ小学校の教育は必ず充実してくると思う。
今日は嬉しい発見があった。2年前の開校式典の時に校庭に植樹したジャカランダが、ついに花を咲かせた。開校2周年を祝っている様で本当に嬉しい。ジャカランダの生長と子ども達の成長が重なり、感慨深いものがある。
夕方からサダナ、ヤッギャ校長と集まりケナフ会議のミーティングを行った。今回の会議は規模も倍以上に大きくなるため、念入りな細かい計画が必要とされる。8月12,13日の会議まで後2ヶ月余り、成功に向け全力で頑張りたい。
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2006年05月26日
ネパールへ戻りました。
5月26日
2週間の一時帰国日程を終え、本日、無事ネパールへ到着いたしました。今回、日本善行会・国際貢献表彰を受賞させて頂きました事、ひとえに暖かいご理解とご支援をいただきます皆様のお陰と改めて感謝申し上げます。本当に有難う御座いました。今回、皆様お一人お一人にご挨拶申し上げる機会に恵まれず本当に残念でした。心からお詫び申し上げます。
今後とも子供たち一人ひとりの大きな夢が育つ活動を目指して頑張る決意です。どうか今後とも変わらぬご指導とご鞭撻をいただきます事、よろしくお願い申し上げます。
昼過ぎに予定通りカトマンズへ到着。2週間ぶりのカトマンズは、すっかり夏の日差しが照りつけていた。一時帰国の間、ずっと天候不順だったせいか、カトマンズの青空を見ると心が落ち着いた。
今回の一時帰国は2週間という短い時間だったが、本当に実り多い貴重な時間となった。5月20日には日本善行会の表彰式に出席し、国際貢献表彰を受賞する事ができた。丁度、ヒマラヤ小学校が開校2周年という事もあり、今回の表彰はこれまで一生懸命がんばってきた子供達が誉められた様で、本当に嬉しい。新聞などでもヒマラヤ小学校の様子をお伝えする機会にも恵まれ、本当に充実した時間を過ごす事が出来た。
これから3年目の学校運営、そして将来の自立に向けたケナフ活動など、一つひとつの事を全力で頑張りたいと思う。
2週間の一時帰国日程を終え、本日、無事ネパールへ到着いたしました。今回、日本善行会・国際貢献表彰を受賞させて頂きました事、ひとえに暖かいご理解とご支援をいただきます皆様のお陰と改めて感謝申し上げます。本当に有難う御座いました。今回、皆様お一人お一人にご挨拶申し上げる機会に恵まれず本当に残念でした。心からお詫び申し上げます。
今後とも子供たち一人ひとりの大きな夢が育つ活動を目指して頑張る決意です。どうか今後とも変わらぬご指導とご鞭撻をいただきます事、よろしくお願い申し上げます。
昼過ぎに予定通りカトマンズへ到着。2週間ぶりのカトマンズは、すっかり夏の日差しが照りつけていた。一時帰国の間、ずっと天候不順だったせいか、カトマンズの青空を見ると心が落ち着いた。
今回の一時帰国は2週間という短い時間だったが、本当に実り多い貴重な時間となった。5月20日には日本善行会の表彰式に出席し、国際貢献表彰を受賞する事ができた。丁度、ヒマラヤ小学校が開校2周年という事もあり、今回の表彰はこれまで一生懸命がんばってきた子供達が誉められた様で、本当に嬉しい。新聞などでもヒマラヤ小学校の様子をお伝えする機会にも恵まれ、本当に充実した時間を過ごす事が出来た。
これから3年目の学校運営、そして将来の自立に向けたケナフ活動など、一つひとつの事を全力で頑張りたいと思う。
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2006年04月27日
難しい局面での成功
4月27日(木)
朝、ヤッギャ校長、モンゴル先生、サダナが集まり、釜野先生をお見送りした。この4日間、本当に慌しく緊張の毎日だったが、何もかも信じられないほど上手くいった。乾坤一擲の意気を燃やしてネパールを訪問された釜野先生。どんな状況でも希望を持ち続け、努力を続けたサダナさん、調整役としてサダナさんを小まめに支えたヤッギャ校長、『ケナフ活動を成功させたい』という皆の思いが、成功に繋がったのだと思う。難しい局面での成功だったからこそ、今後の活動に大きな好影響を与えると思う。
釜野先生を空港へお見送りした後、8月12日、13日に予定している『第2回こども環境会議』のパンフレット作りに取り掛かった。何とか5月の第1週にはパンフレットを完成させたい。
ネパールは、ほぼ普段通りの生活を取り戻した感じを受ける。不足していたガソリンや灯油、ガスといった生活必需品も町で見かけるようになり、物価も落ち着きつつあるようだ。人々からは議会の復活に対する希望と不安の両方の声が聞こえてくる。今回の『足して2で割る』解決が後を引きずる結果にならなければ良いと思うが、暫くは紆余曲折が続くと思う。今はネパール人独特の暢気さに大きく期待したい。
朝、ヤッギャ校長、モンゴル先生、サダナが集まり、釜野先生をお見送りした。この4日間、本当に慌しく緊張の毎日だったが、何もかも信じられないほど上手くいった。乾坤一擲の意気を燃やしてネパールを訪問された釜野先生。どんな状況でも希望を持ち続け、努力を続けたサダナさん、調整役としてサダナさんを小まめに支えたヤッギャ校長、『ケナフ活動を成功させたい』という皆の思いが、成功に繋がったのだと思う。難しい局面での成功だったからこそ、今後の活動に大きな好影響を与えると思う。
釜野先生を空港へお見送りした後、8月12日、13日に予定している『第2回こども環境会議』のパンフレット作りに取り掛かった。何とか5月の第1週にはパンフレットを完成させたい。
ネパールは、ほぼ普段通りの生活を取り戻した感じを受ける。不足していたガソリンや灯油、ガスといった生活必需品も町で見かけるようになり、物価も落ち着きつつあるようだ。人々からは議会の復活に対する希望と不安の両方の声が聞こえてくる。今回の『足して2で割る』解決が後を引きずる結果にならなければ良いと思うが、暫くは紆余曲折が続くと思う。今はネパール人独特の暢気さに大きく期待したい。
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2006年04月26日
調印式
4月26日(水)
今日はいよいよ念願の調印式。政党側が国王の声明を受け入れゼネストが解除になったとはいえ、何が起るかわからない。民衆が感情的になっている現状では、ささいな事でも問題が起ってしまう。今日一日、何事も無く静かに過ぎて欲しいと心の中で願いつつ、調印式予定時間(午後4時)が来るのを待った。
昼から釜野先生と今後のケナフ活動について、ゆっくりお話することが出来た。ネパールの経済規模や地理的条件などを考えると、将来的に大規模な産業を立ち上げるのは困難だ。それよりも小さくてもネパールならではの活動を展開したいと考えている。例えば、釜野先生が提唱されるユートピア構想のように全ての面で環境に配慮した完全循環型の工場など、世界でネパールにしかない形を構築していければ、将来、そこで働く人たちや地域社会に人々にとっても誇りとなり、発展が期待できるのではないだろうか。世界に誇るネパールの美しい自然とケナフ活動を必ず結び付けたい。
午後4時、カトマンズ市役所で調印式が開催された。カトマンズ市側が十分な準備をしてくれたお蔭でスムーズに式を始める事が出来た。冒頭サダナさんが調印の趣旨を話したが、会場に集まった市長をはじめ区長達、メディア関係者の前でもまったく動じる事の無い、どっしり、しっかりとしたものだった。サダナさんは活動を通して、確実に実力と自信をつけている。
市長との調印は順調に終わり、会場からは大きな拍手が沸き起こった。調印が終わった瞬間、何ともいえない感動を覚えた。市役所で市長自らケナフの苗を植えるなど、素晴らしい調印式となった。その後、急用で参加できなかったプロカシュ・コイララ大臣と自宅でお目にかかり、立会人の区長さんと共に何事も無くサインをして頂いた。これで環境・科学技術省、カトマンズ市、日本ケナフ開発機構、ネパール・ケナフ開発の4者による署名が完了、今後、共同でケナフ活動を進める事が正式に決まった。
2年前、2校の小学校と寺子屋の片隅での種蒔きから始まったケナフ活動は、大勢の人々の理解と協力、そして何よりも子ども達の熱意に推され、想像以上に大きな発展を見せた。これから政府と共により意義ある活動を目指し頑張っていきたい。
夕方からはシャングリラホテルでカトマンズ市主催の夕食パーティに参加。コイララ大臣も参加しての楽しい夕べの一時となった。
今回、一度は諦めていた調印式が開催できたのは、サダナの謙虚さと何事にも前向きな明るさ、そして知恵と個性、そして何よりも、あの混乱時に命がけでネパールへ乗り込んだ釜野先生のケナフに対する情熱と勇気、勝負根性、それに尽きると思う。
『一生懸命頑張れば、何だって出来るんだ〜』と謙虚に囁いたサダナさんから、今後のケナフ活動の発展を確信した。
今日はいよいよ念願の調印式。政党側が国王の声明を受け入れゼネストが解除になったとはいえ、何が起るかわからない。民衆が感情的になっている現状では、ささいな事でも問題が起ってしまう。今日一日、何事も無く静かに過ぎて欲しいと心の中で願いつつ、調印式予定時間(午後4時)が来るのを待った。
昼から釜野先生と今後のケナフ活動について、ゆっくりお話することが出来た。ネパールの経済規模や地理的条件などを考えると、将来的に大規模な産業を立ち上げるのは困難だ。それよりも小さくてもネパールならではの活動を展開したいと考えている。例えば、釜野先生が提唱されるユートピア構想のように全ての面で環境に配慮した完全循環型の工場など、世界でネパールにしかない形を構築していければ、将来、そこで働く人たちや地域社会に人々にとっても誇りとなり、発展が期待できるのではないだろうか。世界に誇るネパールの美しい自然とケナフ活動を必ず結び付けたい。
午後4時、カトマンズ市役所で調印式が開催された。カトマンズ市側が十分な準備をしてくれたお蔭でスムーズに式を始める事が出来た。冒頭サダナさんが調印の趣旨を話したが、会場に集まった市長をはじめ区長達、メディア関係者の前でもまったく動じる事の無い、どっしり、しっかりとしたものだった。サダナさんは活動を通して、確実に実力と自信をつけている。
市長との調印は順調に終わり、会場からは大きな拍手が沸き起こった。調印が終わった瞬間、何ともいえない感動を覚えた。市役所で市長自らケナフの苗を植えるなど、素晴らしい調印式となった。その後、急用で参加できなかったプロカシュ・コイララ大臣と自宅でお目にかかり、立会人の区長さんと共に何事も無くサインをして頂いた。これで環境・科学技術省、カトマンズ市、日本ケナフ開発機構、ネパール・ケナフ開発の4者による署名が完了、今後、共同でケナフ活動を進める事が正式に決まった。
2年前、2校の小学校と寺子屋の片隅での種蒔きから始まったケナフ活動は、大勢の人々の理解と協力、そして何よりも子ども達の熱意に推され、想像以上に大きな発展を見せた。これから政府と共により意義ある活動を目指し頑張っていきたい。
夕方からはシャングリラホテルでカトマンズ市主催の夕食パーティに参加。コイララ大臣も参加しての楽しい夕べの一時となった。
今回、一度は諦めていた調印式が開催できたのは、サダナの謙虚さと何事にも前向きな明るさ、そして知恵と個性、そして何よりも、あの混乱時に命がけでネパールへ乗り込んだ釜野先生のケナフに対する情熱と勇気、勝負根性、それに尽きると思う。
『一生懸命頑張れば、何だって出来るんだ〜』と謙虚に囁いたサダナさんから、今後のケナフ活動の発展を確信した。
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2006年04月24日
表敬訪問
4月24日(月)
早朝、外出禁止令が発令される前にサダナを迎えに行き、釜野先生の宿泊先を訪ねた。ヤッギャ校長も参加して、8月に予定している第2回こども環境ケナフ会議や今後の活動について打ち合わせを行った。釜野先生とお話をしていると、いろんな方向性が見えてきた。釜野先生の情熱に士気も上がっている今、必ず会議を大成功に収め、更にケナフ活動を盛り上げたいと思う。
その後、外出禁止令の最中、治安部隊の車両を使って環境・科学技術省を訪問。プロカシュ・コイララ大臣を表敬訪問した。ケナフに強い興味をお持ちの大臣からは、個人としてもケナフ活動の成功に全面的に協力したいとお話いただいた。大臣にはケナフに強い関心をお持ちいただき、本当にありがたい。サダナさんが足繁く環境省へ通い、ケナフの話を続けた成果だと思う。
その後、森林土壌防災大臣を訪ね、今後の活動について話をした。ケナフ活動は環境、教育、農業、産業、森林保護など分野が多岐に跨るため、それぞれの省庁で活動の話をしなければならない。森林土壌防災省でも良い手応えを感じた。まずはケナフを知っていただき、各省庁で出来る協力をいただければと考えている。
今日は2人の大臣とお目にかかり、大きな手ごたえを感じた。何とか釜野先生が滞在される26日までに、一度諦めた調印を実行したい。
夕方、外出禁止令が解除されたためサダナを送り、その後、タメルにいらっやるチョラ・チョリの皆さんを訪ねた。いろいろと情報交換を行いながら、デモの随所に見られる『ネパールらしさ』について話していると、楽しくて気持ちがすっきりした。
『明日、明後日には。。。。』なんて話をしていると、深夜、国王が声明をだし、解散したままの下院復活を表明した。政党側は声明を歓迎している様子なので、状況は収束すると考えられる。今回の騒ぎも結局はアジア的な結末に終わった。このまま静かになるとありがたい。
早朝、外出禁止令が発令される前にサダナを迎えに行き、釜野先生の宿泊先を訪ねた。ヤッギャ校長も参加して、8月に予定している第2回こども環境ケナフ会議や今後の活動について打ち合わせを行った。釜野先生とお話をしていると、いろんな方向性が見えてきた。釜野先生の情熱に士気も上がっている今、必ず会議を大成功に収め、更にケナフ活動を盛り上げたいと思う。
その後、外出禁止令の最中、治安部隊の車両を使って環境・科学技術省を訪問。プロカシュ・コイララ大臣を表敬訪問した。ケナフに強い興味をお持ちの大臣からは、個人としてもケナフ活動の成功に全面的に協力したいとお話いただいた。大臣にはケナフに強い関心をお持ちいただき、本当にありがたい。サダナさんが足繁く環境省へ通い、ケナフの話を続けた成果だと思う。
その後、森林土壌防災大臣を訪ね、今後の活動について話をした。ケナフ活動は環境、教育、農業、産業、森林保護など分野が多岐に跨るため、それぞれの省庁で活動の話をしなければならない。森林土壌防災省でも良い手応えを感じた。まずはケナフを知っていただき、各省庁で出来る協力をいただければと考えている。
今日は2人の大臣とお目にかかり、大きな手ごたえを感じた。何とか釜野先生が滞在される26日までに、一度諦めた調印を実行したい。
夕方、外出禁止令が解除されたためサダナを送り、その後、タメルにいらっやるチョラ・チョリの皆さんを訪ねた。いろいろと情報交換を行いながら、デモの随所に見られる『ネパールらしさ』について話していると、楽しくて気持ちがすっきりした。
『明日、明後日には。。。。』なんて話をしていると、深夜、国王が声明をだし、解散したままの下院復活を表明した。政党側は声明を歓迎している様子なので、状況は収束すると考えられる。今回の騒ぎも結局はアジア的な結末に終わった。このまま静かになるとありがたい。
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2006年04月23日
命がけの活動
4月23日(日)
朝、予定通り外出禁止令発令のニュースが流れた。予定よりも早い時間に外出禁止令が発令となり、急いで空港へ向った。飛行機到着までの5〜6時間、芝生の上に寝転びながら今後の活動についてあれこれ考えていると良案も浮かんできた。
最近、外出禁止令の関係で部屋に篭ることが多いためか、野外にいると自然と嬉しい気持ちになった。
午後1時過ぎ、日本ケナフ開発機構の釜野先生が到着された。政情不安の続く中、ネパールへお越しになられた釜野先生の情熱と信念、そして命がけの行動に、僕達の心も奮い立った。失敗を恐れず、自分の信念で行動することがとても大切である事を強く感じた。
僕達としてこの4日間、出来る限りを尽くして、釜野先生の情熱にお応えしたいと思う。信念を持ち続ける事、本当に貴重な勉強の機会となった。
朝、予定通り外出禁止令発令のニュースが流れた。予定よりも早い時間に外出禁止令が発令となり、急いで空港へ向った。飛行機到着までの5〜6時間、芝生の上に寝転びながら今後の活動についてあれこれ考えていると良案も浮かんできた。
最近、外出禁止令の関係で部屋に篭ることが多いためか、野外にいると自然と嬉しい気持ちになった。
午後1時過ぎ、日本ケナフ開発機構の釜野先生が到着された。政情不安の続く中、ネパールへお越しになられた釜野先生の情熱と信念、そして命がけの行動に、僕達の心も奮い立った。失敗を恐れず、自分の信念で行動することがとても大切である事を強く感じた。
僕達としてこの4日間、出来る限りを尽くして、釜野先生の情熱にお応えしたいと思う。信念を持ち続ける事、本当に貴重な勉強の機会となった。
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2006年04月22日
デモ
4月22日(土)
朝、サダナさんの家でミーティングを行った。ヤッギャ校長は道路封鎖の影響で残念ながら参加できなかったが、明日、到着される釜野先生の日程について細かい打ち合わせが出来た。やはり直接会って話すと、電話よりも話が纏まりやすい。
帰り際、リングロードとバクタプールへ行く道の交差点(コテショール)で小規模なデモが行われていた。学生と思われる若い人たちがタイヤを燃やしながら、反政府の雄たけび声を上げていた。そっとデモを抜けようとすると、予定通り止められ『ここを通る事は出来ない。従わない場合はバイクを焼却する』とお叱りを受けた。
普段は人懐っこく優しいネパールの人たちも、デモになるとやはり相当感情的になっている。(近づく方が悪いのだが)それでも同じデモに参加している人が回り道を丁寧に教えてくれるなど、ネパール人らしい暢気さも伺えた。この辺が複雑で今後の予測が難しいのかもしれない。
12時から外出禁止令が発令され、家に篭って雑用を片付けた。明日はどうなるだろう。
朝、サダナさんの家でミーティングを行った。ヤッギャ校長は道路封鎖の影響で残念ながら参加できなかったが、明日、到着される釜野先生の日程について細かい打ち合わせが出来た。やはり直接会って話すと、電話よりも話が纏まりやすい。
帰り際、リングロードとバクタプールへ行く道の交差点(コテショール)で小規模なデモが行われていた。学生と思われる若い人たちがタイヤを燃やしながら、反政府の雄たけび声を上げていた。そっとデモを抜けようとすると、予定通り止められ『ここを通る事は出来ない。従わない場合はバイクを焼却する』とお叱りを受けた。
普段は人懐っこく優しいネパールの人たちも、デモになるとやはり相当感情的になっている。(近づく方が悪いのだが)それでも同じデモに参加している人が回り道を丁寧に教えてくれるなど、ネパール人らしい暢気さも伺えた。この辺が複雑で今後の予測が難しいのかもしれない。
12時から外出禁止令が発令され、家に篭って雑用を片付けた。明日はどうなるだろう。
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2006年04月21日
ケナフ活動
4月21日(金)
朝、予定通り日中外出禁止令が敷かれる事を知った。その事を受け、サダナ、ヤッギャ校長と協議した結果、25日に開催を予定していた調印式は延期する事にした。自分達の中では実行出来るという信念を持っていても、やはり周囲の人々に心配や迷惑を掛けてまで実施する事は適当でないとの判断からだ。早速、環境省、カトマンズ市、森林土壌防災省へ調印式の延期を連絡した。政府側の担当者からは『なぜ?』というような返事だったが、決まったことは仕方ない。これまで進めてきた事が決して無になるとは思わないが、25日の調印式を目標に頑張ってきただけに、思わず溜息が漏れた。
ベトナムにいらっしゃる釜野先生にも調印式の延期についてメイルでご連絡したが、釜野先生からは『調印式が出来なくてもネパールを訪ね、今後の打ち合わせがしたい。それが大事だ。』という前向きなお返事を頂いた。モヤモヤしていた心の中がすっきりした思いだった。同時に釜野先生のケナフに対する強い熱意と情熱を改めて実感した。上記の通り、関係省庁には延期という事で連絡済みのため、調印式の開催は難しいと思うが、釜野先生には可能な限り意義ある時間を過ごして頂ける様、全力で頑張りたい。
先ほど国王から声明が出された。民政の復活ということだが、これで全ての問題が解決したわけではない。これから山積する諸問題を7政党連合が解決できるのか、険しい道のりが続きそう。
追:大勢の方々から民政復活のニュースについてご連絡を頂きました。
国王が『ほら、やってみろ。どうせ出来ないだろう』と高を括っただけ。これは僕が師事しているK先生のコメントです。今回の動き、このコメントが100%的確だと思います。
朝、予定通り日中外出禁止令が敷かれる事を知った。その事を受け、サダナ、ヤッギャ校長と協議した結果、25日に開催を予定していた調印式は延期する事にした。自分達の中では実行出来るという信念を持っていても、やはり周囲の人々に心配や迷惑を掛けてまで実施する事は適当でないとの判断からだ。早速、環境省、カトマンズ市、森林土壌防災省へ調印式の延期を連絡した。政府側の担当者からは『なぜ?』というような返事だったが、決まったことは仕方ない。これまで進めてきた事が決して無になるとは思わないが、25日の調印式を目標に頑張ってきただけに、思わず溜息が漏れた。
ベトナムにいらっしゃる釜野先生にも調印式の延期についてメイルでご連絡したが、釜野先生からは『調印式が出来なくてもネパールを訪ね、今後の打ち合わせがしたい。それが大事だ。』という前向きなお返事を頂いた。モヤモヤしていた心の中がすっきりした思いだった。同時に釜野先生のケナフに対する強い熱意と情熱を改めて実感した。上記の通り、関係省庁には延期という事で連絡済みのため、調印式の開催は難しいと思うが、釜野先生には可能な限り意義ある時間を過ごして頂ける様、全力で頑張りたい。
先ほど国王から声明が出された。民政の復活ということだが、これで全ての問題が解決したわけではない。これから山積する諸問題を7政党連合が解決できるのか、険しい道のりが続きそう。
追:大勢の方々から民政復活のニュースについてご連絡を頂きました。
国王が『ほら、やってみろ。どうせ出来ないだろう』と高を括っただけ。これは僕が師事しているK先生のコメントです。今回の動き、このコメントが100%的確だと思います。
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2006年04月20日
延期か?
4月20日(木)
今日から再び外出禁止令が敷かれた。大規模な反政府デモ開催にあたり政府側が取った緊急措置だ。騒ぎも大きくなりつつあるが、一つひとつの出来事に慌てふためくことなく、冷静に世の中を見つめる訓練をしなければならないと思う。
ネパールの情勢を心配する日本からの声も日毎に増えている。今日は今月25日に環境省、カトマンズ市と予定している調印式について、日本側から問い合わせがあった。こんな現状だから開催延期を選択肢の一つに入れる事は無理もないと思うが、これまで不測の事態に備え細かい準備を進めてきただけに、簡単に延期を決めるのも辛いものがある。
サダナやヤッギャ校長と相談した結果、結局、明日まで事態の推移を見ることになった。周囲の人達に心配をお掛けしてまで調印式を実行する事は本望ではないが、せっかくの貴重な機会を逃すことも避けたい。直面する困難を大きな学びの機会と捉え、3人で知恵を絞って頑張りたい。
今日から再び外出禁止令が敷かれた。大規模な反政府デモ開催にあたり政府側が取った緊急措置だ。騒ぎも大きくなりつつあるが、一つひとつの出来事に慌てふためくことなく、冷静に世の中を見つめる訓練をしなければならないと思う。
ネパールの情勢を心配する日本からの声も日毎に増えている。今日は今月25日に環境省、カトマンズ市と予定している調印式について、日本側から問い合わせがあった。こんな現状だから開催延期を選択肢の一つに入れる事は無理もないと思うが、これまで不測の事態に備え細かい準備を進めてきただけに、簡単に延期を決めるのも辛いものがある。
サダナやヤッギャ校長と相談した結果、結局、明日まで事態の推移を見ることになった。周囲の人達に心配をお掛けしてまで調印式を実行する事は本望ではないが、せっかくの貴重な機会を逃すことも避けたい。直面する困難を大きな学びの機会と捉え、3人で知恵を絞って頑張りたい。
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2006年04月17日
表彰式
4月17日(月)
今日はチョラ・チョリの皆さんをお迎えし、ヒマラヤ小学校で表彰式を開催した。朝まで開催できるか不明だったが、今後の情勢が不明な点などを考慮すると、少しでも落ち着いている時に表彰式を実施する事にした。子ども達が年に1回、とても楽しみにしている行事なので、全ての先生達に呼びかけ、公共交通のない中でも何とか集まって貰った。
今朝から、学校隣に建設予定の『なかよし子ども公園』の造成作業が始まった。昨年、日本の支援者の方から頂いた浄財でヒマラヤ青少年育英会用地を取得した後、ラリットプール郡開発局へ塀建設の助成金申請を行ったところ、ようやく一部が認められることとなった。完全ではないものの、塀の一部についてネパール政府から助成金を受ける事が出来たのは大きな前進だと思う。村の子供たち皆が楽しめる夢のある学校を目指したい。
公共交通の問題で先生達の集合が遅れたことから、予定時間を少し遅れて成績発表が始まった。今回は『成績優秀者賞』(各クラス上位3名ずつ)、『清潔賞』『皆勤賞』の3つの賞の他に、『チョラ・チョリ賞』と『努力賞』を新たに設け、受賞の機会を増やすことにした。成績だけでなく日頃の何気ない努力を認めることは、とても大事なことだと思う。冒頭、式辞を述べたヤッギャ校長が『みんな本当によく頑張った。ありがとう。』という言葉を何度も繰り返していたのが印象的だった。ヤッギャ校長にとっても、この2年間の子ども達一人ひとりの成長には感慨深いものがあるのだと思う。結局、チョラ・チョリ賞は2年生のビナが、努力賞は1年生のジュンケリが受賞した。2人とも文句なしの受賞だと思う。
表彰式の後はチョラ・チョリの皆さんから、第一期生(60名)に新しい制服が配られた。子ども達にとって2年ぶりの制服、皆、とても嬉しそうだった。今回は生地を変えたので、前よりはもつのではないかと思う。ヤンチャな子ども達の事を考えると、あまり期待はできない。
その後、昨年から続けている栄養摂取プログラムを実施。こちらもチョラ・チョリの皆さんから新規にご支援をいただき、今回からより栄養価の高い献立に変更することが出来た。1年間の継続的な活動を通して、大きな成果を上げたいと思う。
普段、子ども達は十分な栄養を摂取していない。貧困の現状では仕方ないことだが、年齢に比べて成長が遅れている様子や、ほぼ全員が鼻水を垂らしている様子からも栄養を十分に摂取できていない事が分かる。
この栄養摂取プログラムは開校以来、いつか実施したいと願っていたプログラムの一つだった。東京の看護婦長さんのご支援で始まったプログラムは少しずつ理解が深まり、今では1年間、十分な活動が出来る目安がついた。本当にありがたい。食事を美味しそうに食べる子ども達を見ていると、栄養摂取プログラムを実施出来て本当に良かったなぁと思う。
今日はチョラ・チョリの皆さんをお迎えし、ヒマラヤ小学校で表彰式を開催した。朝まで開催できるか不明だったが、今後の情勢が不明な点などを考慮すると、少しでも落ち着いている時に表彰式を実施する事にした。子ども達が年に1回、とても楽しみにしている行事なので、全ての先生達に呼びかけ、公共交通のない中でも何とか集まって貰った。
今朝から、学校隣に建設予定の『なかよし子ども公園』の造成作業が始まった。昨年、日本の支援者の方から頂いた浄財でヒマラヤ青少年育英会用地を取得した後、ラリットプール郡開発局へ塀建設の助成金申請を行ったところ、ようやく一部が認められることとなった。完全ではないものの、塀の一部についてネパール政府から助成金を受ける事が出来たのは大きな前進だと思う。村の子供たち皆が楽しめる夢のある学校を目指したい。
公共交通の問題で先生達の集合が遅れたことから、予定時間を少し遅れて成績発表が始まった。今回は『成績優秀者賞』(各クラス上位3名ずつ)、『清潔賞』『皆勤賞』の3つの賞の他に、『チョラ・チョリ賞』と『努力賞』を新たに設け、受賞の機会を増やすことにした。成績だけでなく日頃の何気ない努力を認めることは、とても大事なことだと思う。冒頭、式辞を述べたヤッギャ校長が『みんな本当によく頑張った。ありがとう。』という言葉を何度も繰り返していたのが印象的だった。ヤッギャ校長にとっても、この2年間の子ども達一人ひとりの成長には感慨深いものがあるのだと思う。結局、チョラ・チョリ賞は2年生のビナが、努力賞は1年生のジュンケリが受賞した。2人とも文句なしの受賞だと思う。
表彰式の後はチョラ・チョリの皆さんから、第一期生(60名)に新しい制服が配られた。子ども達にとって2年ぶりの制服、皆、とても嬉しそうだった。今回は生地を変えたので、前よりはもつのではないかと思う。ヤンチャな子ども達の事を考えると、あまり期待はできない。
その後、昨年から続けている栄養摂取プログラムを実施。こちらもチョラ・チョリの皆さんから新規にご支援をいただき、今回からより栄養価の高い献立に変更することが出来た。1年間の継続的な活動を通して、大きな成果を上げたいと思う。
普段、子ども達は十分な栄養を摂取していない。貧困の現状では仕方ないことだが、年齢に比べて成長が遅れている様子や、ほぼ全員が鼻水を垂らしている様子からも栄養を十分に摂取できていない事が分かる。
この栄養摂取プログラムは開校以来、いつか実施したいと願っていたプログラムの一つだった。東京の看護婦長さんのご支援で始まったプログラムは少しずつ理解が深まり、今では1年間、十分な活動が出来る目安がついた。本当にありがたい。食事を美味しそうに食べる子ども達を見ていると、栄養摂取プログラムを実施出来て本当に良かったなぁと思う。
hsf at 01:26|Permalink│
2006年04月16日
新入生
4月16日(日)
朝早く、徒歩でブンガマティ村を訪ねた。昨日出された国王の声明を受けてか、ブンガマティ村へ向う道中では数箇所でタイヤが焼かれていたり、大きな石が並べられ道路封鎖が行われていた。日頃の閉塞感を打破したいという市民が、更に感情的になっているような気がする。こうなると事態に超然としているのも難しくなってくる。
ヒマラヤ小学校に着くと、入学を希望する子ども達が長蛇の列を作っていた。小さな子供達が学校で勉強することを夢見て集まってくる様子を見ると、何時も胸が一杯になる。何とかこの子ども達の希望が叶うよう、全力を尽くしたい。
早めにヒマラヤ小学校を後にして、明日、開催を予定している表彰式の賞品を買いに行った。店の多くが閉まっている事もあり、賞品選びは予想以上に難しかった。結局、小さな玩具や学用品などを購入したが、ついつい買い過ぎてしまったような気がする。
その後、里親教育基金の奨学生(姉妹)を訪ねた。ここ最近、政情不安の影響で奨学生を訪ねるのも難しくなっている。どの家庭を訪ねても将来に対する不安の声が聞こえてくる。先日から続く混乱の影響で物価が跳ね上がり、貧しい家庭を直撃している。学校も休校したままの状態が続き、奨学生も心配していた。早く事態が収束に向うことを願わずにはいられない。
朝早く、徒歩でブンガマティ村を訪ねた。昨日出された国王の声明を受けてか、ブンガマティ村へ向う道中では数箇所でタイヤが焼かれていたり、大きな石が並べられ道路封鎖が行われていた。日頃の閉塞感を打破したいという市民が、更に感情的になっているような気がする。こうなると事態に超然としているのも難しくなってくる。
ヒマラヤ小学校に着くと、入学を希望する子ども達が長蛇の列を作っていた。小さな子供達が学校で勉強することを夢見て集まってくる様子を見ると、何時も胸が一杯になる。何とかこの子ども達の希望が叶うよう、全力を尽くしたい。
早めにヒマラヤ小学校を後にして、明日、開催を予定している表彰式の賞品を買いに行った。店の多くが閉まっている事もあり、賞品選びは予想以上に難しかった。結局、小さな玩具や学用品などを購入したが、ついつい買い過ぎてしまったような気がする。
その後、里親教育基金の奨学生(姉妹)を訪ねた。ここ最近、政情不安の影響で奨学生を訪ねるのも難しくなっている。どの家庭を訪ねても将来に対する不安の声が聞こえてくる。先日から続く混乱の影響で物価が跳ね上がり、貧しい家庭を直撃している。学校も休校したままの状態が続き、奨学生も心配していた。早く事態が収束に向うことを願わずにはいられない。
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2006年04月15日
楽観的な国民性
4月15日(土)
朝、大臣公邸で行われたヒマラヤ青少年育英会の理事会に参加した。ヒマラヤ小学校の運営について、教員に対する支援を頂いたことや(ビディヤ先生への支援)、新入生について等ヤッギャ校長から報告があった。
ネパールの人々は何事も慌てないのんびりとした性格で、常に楽観的なところが最大の長所でもあるが、その長所は時に短所にもなる。ビディヤ先生への支援について報告を受けた途端、数名の理事からビデイャ先生の正式雇用の話が出てきた。
厳しい運営の現状を知った支援者の方から善意でお申し出を頂いた教員支援だが、何年も多額の支援金をご負担頂くわけにはいかない。御支援を頂く間に、何とか支援だけに頼らない自立運営の道を目指し努力する事が大切だと思う。もちろんビディヤ先生のような優秀な先生を雇用したいのは山々だが、まだしっかりとした運営能力がない時に正式雇用する事は間違っていると思う。
何事も楽観的に考えるネパールの人たちの国民性だから仕方ないと思いつつ、やはり身内から意識を変えていかなければいけない事を強く感じた。その辺りが、実は一番難しいのかもしれない。
今日から7政党連合によるゼネストが強化されるというニュースがあり、多くの店ではシャッターが閉まり、街中を走る車やバイクも少なかった。暫くは混乱が続く様子。
朝、大臣公邸で行われたヒマラヤ青少年育英会の理事会に参加した。ヒマラヤ小学校の運営について、教員に対する支援を頂いたことや(ビディヤ先生への支援)、新入生について等ヤッギャ校長から報告があった。
ネパールの人々は何事も慌てないのんびりとした性格で、常に楽観的なところが最大の長所でもあるが、その長所は時に短所にもなる。ビディヤ先生への支援について報告を受けた途端、数名の理事からビデイャ先生の正式雇用の話が出てきた。
厳しい運営の現状を知った支援者の方から善意でお申し出を頂いた教員支援だが、何年も多額の支援金をご負担頂くわけにはいかない。御支援を頂く間に、何とか支援だけに頼らない自立運営の道を目指し努力する事が大切だと思う。もちろんビディヤ先生のような優秀な先生を雇用したいのは山々だが、まだしっかりとした運営能力がない時に正式雇用する事は間違っていると思う。
何事も楽観的に考えるネパールの人たちの国民性だから仕方ないと思いつつ、やはり身内から意識を変えていかなければいけない事を強く感じた。その辺りが、実は一番難しいのかもしれない。
今日から7政党連合によるゼネストが強化されるというニュースがあり、多くの店ではシャッターが閉まり、街中を走る車やバイクも少なかった。暫くは混乱が続く様子。
hsf at 12:01|Permalink│
2006年04月14日
新年
4月14日(金)
今日はネパール暦(ビクラム暦)2063年の元旦。
朝、往診を1件済ませた後、帰宅。今日は少し疲れ気味だったので、夕方まで休むことにした。朝、国王から声明が出されたが、今後の事態について、一体どういう展開を見せるのかという話題で、町中がざわめいていた。政治の事は先を読むのが難しい。結局、国民の価値観が変わるまでは、本当の意味での大きな変化は期待できないと思う。兎に角、早く騒ぎが落ち着いて欲しい。
夕方からサダナ、ヤッギャ校長と合流し、25日に予定されている調印式について話し合った。サダナの直向な努力によって、ケナフ活動は更に大きな盛り上がりを見せている。環境大臣もサダナの直向な姿勢に、環境大臣としてケナフ活動の発展を約束して下さった。環境大臣には調印式の後で予定している『ケナフの種蒔き』にも参加してくださるとのこと、本当に嬉しい限りだ。ぜひケナフ活動を成功させ、将来性のある支援のモデルケースを構築したいと思う。これから大事な時期だけに、何とか早い段階で事務局を立ち上げたい。
その後、サダナ、ヤッギャ校長とささやかな新年会を行った。釜野先生というケナフ研究の第一人者がケナフ活動を応援して下さっていることが、一番の力になっている事は言うまでも無いが、それに加えてヤッギャ校長とサダナ、2人の素晴らしいチームメイトに恵まれた事が、これまでの望外な発展に繋がったのだと思う。今日は2人に感謝の気持ちを伝える事が出来た。ビクラム暦2063年、ヒマラヤ小学校とケナフ活動、2つの活動をしっかりと軌道に乗せたい。
今日はネパール暦(ビクラム暦)2063年の元旦。
朝、往診を1件済ませた後、帰宅。今日は少し疲れ気味だったので、夕方まで休むことにした。朝、国王から声明が出されたが、今後の事態について、一体どういう展開を見せるのかという話題で、町中がざわめいていた。政治の事は先を読むのが難しい。結局、国民の価値観が変わるまでは、本当の意味での大きな変化は期待できないと思う。兎に角、早く騒ぎが落ち着いて欲しい。
夕方からサダナ、ヤッギャ校長と合流し、25日に予定されている調印式について話し合った。サダナの直向な努力によって、ケナフ活動は更に大きな盛り上がりを見せている。環境大臣もサダナの直向な姿勢に、環境大臣としてケナフ活動の発展を約束して下さった。環境大臣には調印式の後で予定している『ケナフの種蒔き』にも参加してくださるとのこと、本当に嬉しい限りだ。ぜひケナフ活動を成功させ、将来性のある支援のモデルケースを構築したいと思う。これから大事な時期だけに、何とか早い段階で事務局を立ち上げたい。
その後、サダナ、ヤッギャ校長とささやかな新年会を行った。釜野先生というケナフ研究の第一人者がケナフ活動を応援して下さっていることが、一番の力になっている事は言うまでも無いが、それに加えてヤッギャ校長とサダナ、2人の素晴らしいチームメイトに恵まれた事が、これまでの望外な発展に繋がったのだと思う。今日は2人に感謝の気持ちを伝える事が出来た。ビクラム暦2063年、ヒマラヤ小学校とケナフ活動、2つの活動をしっかりと軌道に乗せたい。
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2006年04月13日
夕べの一時
夕方、里親教育基金の奨学生2名を連れ、タメルへ。先日からネパールを訪問中のチョラ・チョリの皆さんと夕食をご一緒した。
チョラ・チョリの皆さんとの再会を心待ちにしていた2人、チョラ・チョリの皆さんから励ましの言葉を掛けて頂いたり、努力を褒めていただき、2人とも本当に嬉しそうだった。チョラ・チョリの皆さんにも2人の成長を喜んでいただき、本当に楽しい夕べの一時となった。こうして大勢の皆さんと奨学生の成長を喜べることは、本当に嬉しいことだ。活動を始めて8年、奨学生達がどんどん成長している事は、僕にとって一番の励みとなっている。
チョラ・チョリの皆さんには、子ども達への指導方法などをはじめ、多くの点でご指導をいただき大変助かっている。またその他、様々な情報交換も活動に大いに役立っている。チョラ・チョリの皆さんの活動にも様々な困難があり、一つひとつの問題を解決しながら活動を進めている点など実情の共通点も多く、また村の人々の理解を深めてから活動を進めている点など、僕達にとって勉強になることが多い。
これから3年目の活動がはじまるヒマラヤ小学校、一つひとつ勉強を重ねながら、楽しく、夢のある学校を築いていきたい。
チョラ・チョリの皆さんとの再会を心待ちにしていた2人、チョラ・チョリの皆さんから励ましの言葉を掛けて頂いたり、努力を褒めていただき、2人とも本当に嬉しそうだった。チョラ・チョリの皆さんにも2人の成長を喜んでいただき、本当に楽しい夕べの一時となった。こうして大勢の皆さんと奨学生の成長を喜べることは、本当に嬉しいことだ。活動を始めて8年、奨学生達がどんどん成長している事は、僕にとって一番の励みとなっている。
チョラ・チョリの皆さんには、子ども達への指導方法などをはじめ、多くの点でご指導をいただき大変助かっている。またその他、様々な情報交換も活動に大いに役立っている。チョラ・チョリの皆さんの活動にも様々な困難があり、一つひとつの問題を解決しながら活動を進めている点など実情の共通点も多く、また村の人々の理解を深めてから活動を進めている点など、僕達にとって勉強になることが多い。
これから3年目の活動がはじまるヒマラヤ小学校、一つひとつ勉強を重ねながら、楽しく、夢のある学校を築いていきたい。
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2006年04月12日
ドゥクチャップ村
4月12日(水)
朝、溜まっていた雑用を片付けた後、モンゴル先生と共にドゥクチャップ村を訪ねた。ドゥクチャップ村はカトマンズ中心部から直線距離にして僅か12キロに位置しながら、交通の便が悪く大変貧しい村。この村から現在10名の子ども達が、毎日片道2時間の距離を歩いてヒマラヤ小学校へ通っている。
初夏の強い日差しが照りつける中、麦畑の中のあぜ道を縫って歩きながらドゥクチャップ村を目指した。途中、ファルシドール地区に暮らす里親教育基金の奨学生を訪ね、一休み。先日、奨学生の通う学校でも成績発表が行われたようで、3人の奨学生は全員が合格して進学が決まったとのこと。まずは嬉しいニュースに、疲れも吹っ飛んだ。
その後、1時間余り歩いて、目的のドゥクチャップ村に到着した。これまで何度、この村を訪ねただろうか。村を訪ねる度に貧しい現状を目の辺りにして、はたして僕達のやっている活動には切がないのではないか、と懐疑的になってしまう事もあった。天真爛漫な笑顔の子ども達が直面する貧しさ。食べることで精一杯の貧しい家庭に、『教育』の価値や意義が見えにくいのは、当たり前の事かもしれない。
ドゥクチャップ村には主としてタマン族が暮らしている。タマン族の人々は教育の遅れ等により、様々な形で搾取されてきた民族だ。何とかドゥクチャップ村の子供達に勉強の機会を創りたいと、1年半前、北海道・深川市役所の皆さんの善意で寺子屋を開設した。農作業を終えた子ども達が村の外れにある麓の寺子屋まで、一生懸命通う姿を見ては、村に教育が少しずつ浸透していることを実感した。結局、寺子屋には40名近い子ども達が集まり、去年、其の内の10名がヒマラヤ小学校に入学することとなった。
村を周っていると、丁度、畑仕事を終えて帰宅した子ども達に会う事が出来た。その後、噂を聞きつけた子供達が一気に集まってきた。父兄が必死になって貧困の窮状を訴える傍で、ニコニコしている無邪気な子ども達を見ると、胸が痛くなった。貧困から抜け出す事は本当に容易なことではない。基礎教育の欠如となれば更に難しいだろう。貧困に喘ぐ現状では教育よりも食べる事の方が優先されてしまい、ドゥクチャップ村のような貧困の村では、教育が普及しないという悪循環が続いているように思う。それでもヒマラヤ小学校に10名もの子ども達が入学できたのは、何といっても寺子屋の影響が大きい。
*モンゴル先生の話では、この村で米を食べている人はいないという。毎日、ディロと呼ばれるトウモロコシの粉を練ったものだけを食べているそうだ。(ディロはタマン族の主食だが、多くの場合、夕食などではご飯を食べている。)実際に今日訪ねた子供たちの家には、お米が一切なかった。*
子ども達は春休み中、毎日、薪拾いや農作業を手伝っている様だった。ある子は幼い弟を背負いながら、ある子は体よりも大きな籠を担いで、農作業に汗を流している。幼い子ども達が働く姿を見るのは辛いものがあるが、これは避けられない現実だ。
背中に幼い弟を背負いながら農作業に汗を流す2年生のアリシャが、『弟が大きくなったら、ヒマラヤ小学校へ入れてもいいですか?』と訊いてきた。モンゴル先生が『もちろん、大歓迎するよ』と答えると、アリシャはニコリと微笑み喜んでいた。
もしヒマラヤ小学校で学んでいる10名の子ども達から、この村に教育を普及させることが出来たら、どんなに素晴らしいだろうか。時には切がないと、嘆いてしまうほど遠い『教育普及』への道のり。それでも一歩ずつの積み重ねが、何時か大きな結果を導いてくれると信じたい。アリシャ達、未来を担う子ども達が教育を身につけ、貧困の村に大きな希望を与えてくれることを願っている。
朝、溜まっていた雑用を片付けた後、モンゴル先生と共にドゥクチャップ村を訪ねた。ドゥクチャップ村はカトマンズ中心部から直線距離にして僅か12キロに位置しながら、交通の便が悪く大変貧しい村。この村から現在10名の子ども達が、毎日片道2時間の距離を歩いてヒマラヤ小学校へ通っている。
初夏の強い日差しが照りつける中、麦畑の中のあぜ道を縫って歩きながらドゥクチャップ村を目指した。途中、ファルシドール地区に暮らす里親教育基金の奨学生を訪ね、一休み。先日、奨学生の通う学校でも成績発表が行われたようで、3人の奨学生は全員が合格して進学が決まったとのこと。まずは嬉しいニュースに、疲れも吹っ飛んだ。
その後、1時間余り歩いて、目的のドゥクチャップ村に到着した。これまで何度、この村を訪ねただろうか。村を訪ねる度に貧しい現状を目の辺りにして、はたして僕達のやっている活動には切がないのではないか、と懐疑的になってしまう事もあった。天真爛漫な笑顔の子ども達が直面する貧しさ。食べることで精一杯の貧しい家庭に、『教育』の価値や意義が見えにくいのは、当たり前の事かもしれない。
ドゥクチャップ村には主としてタマン族が暮らしている。タマン族の人々は教育の遅れ等により、様々な形で搾取されてきた民族だ。何とかドゥクチャップ村の子供達に勉強の機会を創りたいと、1年半前、北海道・深川市役所の皆さんの善意で寺子屋を開設した。農作業を終えた子ども達が村の外れにある麓の寺子屋まで、一生懸命通う姿を見ては、村に教育が少しずつ浸透していることを実感した。結局、寺子屋には40名近い子ども達が集まり、去年、其の内の10名がヒマラヤ小学校に入学することとなった。
村を周っていると、丁度、畑仕事を終えて帰宅した子ども達に会う事が出来た。その後、噂を聞きつけた子供達が一気に集まってきた。父兄が必死になって貧困の窮状を訴える傍で、ニコニコしている無邪気な子ども達を見ると、胸が痛くなった。貧困から抜け出す事は本当に容易なことではない。基礎教育の欠如となれば更に難しいだろう。貧困に喘ぐ現状では教育よりも食べる事の方が優先されてしまい、ドゥクチャップ村のような貧困の村では、教育が普及しないという悪循環が続いているように思う。それでもヒマラヤ小学校に10名もの子ども達が入学できたのは、何といっても寺子屋の影響が大きい。
*モンゴル先生の話では、この村で米を食べている人はいないという。毎日、ディロと呼ばれるトウモロコシの粉を練ったものだけを食べているそうだ。(ディロはタマン族の主食だが、多くの場合、夕食などではご飯を食べている。)実際に今日訪ねた子供たちの家には、お米が一切なかった。*
子ども達は春休み中、毎日、薪拾いや農作業を手伝っている様だった。ある子は幼い弟を背負いながら、ある子は体よりも大きな籠を担いで、農作業に汗を流している。幼い子ども達が働く姿を見るのは辛いものがあるが、これは避けられない現実だ。
背中に幼い弟を背負いながら農作業に汗を流す2年生のアリシャが、『弟が大きくなったら、ヒマラヤ小学校へ入れてもいいですか?』と訊いてきた。モンゴル先生が『もちろん、大歓迎するよ』と答えると、アリシャはニコリと微笑み喜んでいた。
もしヒマラヤ小学校で学んでいる10名の子ども達から、この村に教育を普及させることが出来たら、どんなに素晴らしいだろうか。時には切がないと、嘆いてしまうほど遠い『教育普及』への道のり。それでも一歩ずつの積み重ねが、何時か大きな結果を導いてくれると信じたい。アリシャ達、未来を担う子ども達が教育を身につけ、貧困の村に大きな希望を与えてくれることを願っている。
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2006年04月11日
大きな成長
4月11日(火)
今日はヒマラヤ小学校で成績発表が行われた。2日遅れの開催となったが、何とか実施できて良かった。子ども達の成績は全体的に上がっている様子。子ども達の夢に向かう努力と熱意意が良い成績に繋がった事は言うまでも無いが、先生達の努力はもちろん、父兄や村の人々の教育に対する理解が少しずつ深まっている事も理由の一つだと思う。兎に角、良い方向に向っている事は嬉しいことだ。
今日はチョラ・チョリの皆さんにも学校を訪問いただき、素晴らしい交流が実現した。何時もながら子ども達を暖かく励ましていただき感謝の気持ちでいっぱいだ。教育に関する様々なアドバイスも大変有難い。ヒマラヤ小学校の先生達もチョラ・チョリの皆さんから本当に良い形で刺激を受けている。
さて、この2年間、どの子ども達もそれぞれ大きな成長を見せてくれた。本当に嬉しい限りだが、特に大きな成長を見せたのは新学期から2年生になるジュンケリ(16)ではないだろうか。ジュンケリには両親がいないため兄夫婦と小さな家で暮らしている。早朝の乳搾り、牛乳販売の行商から草刈、そして牛の放牧まで、休む間もないほど仕事詰めの毎日だ。そんなジュンケリにとって、学校は唯一、自由と楽しさを感じられる場所だという。
昨年、3日間連続で欠席したジュンケリを心配して、先生達とジュンケリの家を訪ねた事があった。欠席の理由は、放牧に出した牛が行方不明になり、3日間ずっと牛を探し周った事だった。今では笑い話だが、そんな生活を強いられているジュンケリに、掛ける言葉がなかった。
入学当初のジュンケリには若さがほとんど見られず、随分やつれた顔をしていたのを覚えている。成績も入学した幼稚園クラスで後ろから2番目だった。仕事のせいで欠席が多かいことや、幼稚園クラスの小さな同級生達と馴染む事が出来ず、もしかすると続かないかもしれないと、誰もがそういう気持ちでジュンケリを見ていたと思う。
ところがジュンケリは本当に変わった。学校に一生懸命通うようになり、限られた時間の中で勉強を一生懸命頑張るようになった。何より表情が明るくなり、最近では自信を持つようにもなった。今日の試験では6番の成績を収めたジュンケリ。成績が上がった理由を本人に尋ねてみると、『学校が楽しいから』との返事が返ってきた。何とも嬉しい答えだ。
担任のモンゴル先生の話では、日本人のゲストの皆さんとの交流がジュンケリを一番勇気付けているという。交流を通して人々とふれあい、未知の世界を知り、更にゲストの方から『頑張ったね』と褒めて頂くことが、ジュンケリの原動力になっているという。ジュンケリがカースト制度の中で差別階級に属している事を考えると、人との交流がジュンケリの力になっている事は頷ける。
本人をはじめ先生達の努力、父兄や周囲の人々の理解、そしてゲストの方々との交流と暖かい励ましが上手く絡み合うことで、子ども達は一歩ずつ成長しているのだと思う。ジュンケリは大きくなったら先生になりたい、という夢を持っている。もしジュンケリが先生となって、ヒマラヤ小学校で同じような境遇の小さな子ども達を教えることになれば、これほど嬉しいことはない。何時かそんな日が実現することを願いつつ、3年目の学校運営を頑張りたい。
今日はビナも良い笑顔を見せてくれました。ビナは新たな気持ちで頑張っています。
今日はヒマラヤ小学校で成績発表が行われた。2日遅れの開催となったが、何とか実施できて良かった。子ども達の成績は全体的に上がっている様子。子ども達の夢に向かう努力と熱意意が良い成績に繋がった事は言うまでも無いが、先生達の努力はもちろん、父兄や村の人々の教育に対する理解が少しずつ深まっている事も理由の一つだと思う。兎に角、良い方向に向っている事は嬉しいことだ。
今日はチョラ・チョリの皆さんにも学校を訪問いただき、素晴らしい交流が実現した。何時もながら子ども達を暖かく励ましていただき感謝の気持ちでいっぱいだ。教育に関する様々なアドバイスも大変有難い。ヒマラヤ小学校の先生達もチョラ・チョリの皆さんから本当に良い形で刺激を受けている。
さて、この2年間、どの子ども達もそれぞれ大きな成長を見せてくれた。本当に嬉しい限りだが、特に大きな成長を見せたのは新学期から2年生になるジュンケリ(16)ではないだろうか。ジュンケリには両親がいないため兄夫婦と小さな家で暮らしている。早朝の乳搾り、牛乳販売の行商から草刈、そして牛の放牧まで、休む間もないほど仕事詰めの毎日だ。そんなジュンケリにとって、学校は唯一、自由と楽しさを感じられる場所だという。
昨年、3日間連続で欠席したジュンケリを心配して、先生達とジュンケリの家を訪ねた事があった。欠席の理由は、放牧に出した牛が行方不明になり、3日間ずっと牛を探し周った事だった。今では笑い話だが、そんな生活を強いられているジュンケリに、掛ける言葉がなかった。
入学当初のジュンケリには若さがほとんど見られず、随分やつれた顔をしていたのを覚えている。成績も入学した幼稚園クラスで後ろから2番目だった。仕事のせいで欠席が多かいことや、幼稚園クラスの小さな同級生達と馴染む事が出来ず、もしかすると続かないかもしれないと、誰もがそういう気持ちでジュンケリを見ていたと思う。
ところがジュンケリは本当に変わった。学校に一生懸命通うようになり、限られた時間の中で勉強を一生懸命頑張るようになった。何より表情が明るくなり、最近では自信を持つようにもなった。今日の試験では6番の成績を収めたジュンケリ。成績が上がった理由を本人に尋ねてみると、『学校が楽しいから』との返事が返ってきた。何とも嬉しい答えだ。
担任のモンゴル先生の話では、日本人のゲストの皆さんとの交流がジュンケリを一番勇気付けているという。交流を通して人々とふれあい、未知の世界を知り、更にゲストの方から『頑張ったね』と褒めて頂くことが、ジュンケリの原動力になっているという。ジュンケリがカースト制度の中で差別階級に属している事を考えると、人との交流がジュンケリの力になっている事は頷ける。
本人をはじめ先生達の努力、父兄や周囲の人々の理解、そしてゲストの方々との交流と暖かい励ましが上手く絡み合うことで、子ども達は一歩ずつ成長しているのだと思う。ジュンケリは大きくなったら先生になりたい、という夢を持っている。もしジュンケリが先生となって、ヒマラヤ小学校で同じような境遇の小さな子ども達を教えることになれば、これほど嬉しいことはない。何時かそんな日が実現することを願いつつ、3年目の学校運営を頑張りたい。
今日はビナも良い笑顔を見せてくれました。ビナは新たな気持ちで頑張っています。
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2006年04月10日
幼稚園年少クラス
4月10日(月)
朝、ヤッギャ校長と電話で打ち合わせを行い、今日開催予定だった成績発表を再度、延期にすることが決まった。ブンガマティ村は平静を保っているものの、先生達が集まることが出来ないことや、不測の事態を避けるためにも延期した方が良いとの判断。
その後、ヤッギャ校長がわざわざ家まで来てくれて、延期した理由について詳しく説明してくれた。それにしてもヤッギャ校長の律儀な性格には感心するばかり。本当にネパール人だろうかと、時々、疑いたくなる。写真:ヤッギャ・シャキャ校長
暫くの間、今後の予定などについて話し合った後、ヤッギャ校長と共にヒマラヤ小学校を訪ねた。ブンガマティ村は外出禁止令の規制外地域になっているため、村は何時も通りの静けさだった。子ども達も皆、安全を確保していることが分かり、一安心。
ヒマラヤ小学校では成績発表や表彰式の準備を行った。ゼネストの関係で表彰(各クラス成績上位3名、清潔賞、皆勤賞など)の副賞を購入出来ていないのが少し気がかりだが、出来る限り、夢のある表彰式にしたいと思う。
その後、ヤッギャ校長、モンゴル先生と学校運営について話し合った。やはり話題になるのは幼稚園クラスの存続について。新年度20人〜25人の入学定員に対し、入学希望者は既に90名を超えている現状だ。年齢はバラバラでも就学経験のない子がほとんどなので、幼稚園年少クラスは必要だ。写真:入学申請に来た親子。入学希望者は毎年、増え続けている。
昨年、残念ながら入学出来なかった子ども達の中にも、今年こそは、という気持ちで既に申請を済ませている子も多い。もし幼稚園年少クラスを開校出来なければ、大勢の子ども達が悲しむ事を考えると、やはり気持ちは揺れる。
今日はネパールの情勢を心配する方々からメイルを頂いた。励ましのお言葉も頂き、胸が熱くなる思いがした。今、ネパールが試練に立たされているのは確かだ。しかし降りかかる様々な問題は、ネパールの未来を築くためには、きっと不可避な事なのだと思う。この時期にネパールにいる事を前向きに捉え、将来、しっかりとした眼力を持って社会の変化を照破する訓練としたい。
朝、ヤッギャ校長と電話で打ち合わせを行い、今日開催予定だった成績発表を再度、延期にすることが決まった。ブンガマティ村は平静を保っているものの、先生達が集まることが出来ないことや、不測の事態を避けるためにも延期した方が良いとの判断。
その後、ヤッギャ校長がわざわざ家まで来てくれて、延期した理由について詳しく説明してくれた。それにしてもヤッギャ校長の律儀な性格には感心するばかり。本当にネパール人だろうかと、時々、疑いたくなる。写真:ヤッギャ・シャキャ校長
暫くの間、今後の予定などについて話し合った後、ヤッギャ校長と共にヒマラヤ小学校を訪ねた。ブンガマティ村は外出禁止令の規制外地域になっているため、村は何時も通りの静けさだった。子ども達も皆、安全を確保していることが分かり、一安心。
ヒマラヤ小学校では成績発表や表彰式の準備を行った。ゼネストの関係で表彰(各クラス成績上位3名、清潔賞、皆勤賞など)の副賞を購入出来ていないのが少し気がかりだが、出来る限り、夢のある表彰式にしたいと思う。
その後、ヤッギャ校長、モンゴル先生と学校運営について話し合った。やはり話題になるのは幼稚園クラスの存続について。新年度20人〜25人の入学定員に対し、入学希望者は既に90名を超えている現状だ。年齢はバラバラでも就学経験のない子がほとんどなので、幼稚園年少クラスは必要だ。写真:入学申請に来た親子。入学希望者は毎年、増え続けている。
昨年、残念ながら入学出来なかった子ども達の中にも、今年こそは、という気持ちで既に申請を済ませている子も多い。もし幼稚園年少クラスを開校出来なければ、大勢の子ども達が悲しむ事を考えると、やはり気持ちは揺れる。
今日はネパールの情勢を心配する方々からメイルを頂いた。励ましのお言葉も頂き、胸が熱くなる思いがした。今、ネパールが試練に立たされているのは確かだ。しかし降りかかる様々な問題は、ネパールの未来を築くためには、きっと不可避な事なのだと思う。この時期にネパールにいる事を前向きに捉え、将来、しっかりとした眼力を持って社会の変化を照破する訓練としたい。
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2006年04月08日
スポンサーシップ制度
4月8日(土)
今朝から日中外出禁止令が発令された。どうも騒ぎが大きくなっている様子。騒ぎを大きくしているのは7政党連合ではなく、日頃の閉塞感を打破したいという群衆のような気がする。騒ぎが続けば、明後日の成績発表に影響が出ないともいえない。早く収束に向って欲しい。
先日、ネパールを訪問されたクラーク記念国際高校の大野先生と相談した結果、これからヒマラヤ小学にスポンサーシップ制度を設ける事になった。学校運営委員会でも緊急協議し既に承認を得ている。
ヒマラヤ小学校は開校以来、資金難が続いている。教員の給与の支払いが滞ったり、教科書やノートが配れなかったりという問題も頻発している。もちろん支援者も増えているのだが、規模の拡大に支援が追いついていない現状だ。これまで『児童一人当たり年間、約1万円の費用が掛かるので支援して欲しい』と支援のお願いをしてきたが、これではあまり現実味がなく、支援者の理解を得るのが難しいようだ。素直に反省したい。
子供達と交流を持ちたいという方も多く、ヒマラヤ小学校への理解をより深めるためにも、新しくスポンサーシップ制度を設ける事になった。現在、既に2名の支援者の方から、児童6名分の暖かいご支援を頂いている。これからどんな交流が生まれるか、本当に楽しみだ。いろいろと改善点は出てくると思うが、何とか良い支援と交流の仕組みを構築したいと思う。
今日はホームページの修正作業に追われた。1ページ直すと、他のページを直す必要があり、予想以上に時間が掛かってしまった。昔のページもいずれ修正したいと考えているが何時になるかは未定。せめて1人、日本人スタッフがいればなぁ、と思う今日この頃。
追:
スポンサーシップ制度への皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします
今朝から日中外出禁止令が発令された。どうも騒ぎが大きくなっている様子。騒ぎを大きくしているのは7政党連合ではなく、日頃の閉塞感を打破したいという群衆のような気がする。騒ぎが続けば、明後日の成績発表に影響が出ないともいえない。早く収束に向って欲しい。
先日、ネパールを訪問されたクラーク記念国際高校の大野先生と相談した結果、これからヒマラヤ小学にスポンサーシップ制度を設ける事になった。学校運営委員会でも緊急協議し既に承認を得ている。
ヒマラヤ小学校は開校以来、資金難が続いている。教員の給与の支払いが滞ったり、教科書やノートが配れなかったりという問題も頻発している。もちろん支援者も増えているのだが、規模の拡大に支援が追いついていない現状だ。これまで『児童一人当たり年間、約1万円の費用が掛かるので支援して欲しい』と支援のお願いをしてきたが、これではあまり現実味がなく、支援者の理解を得るのが難しいようだ。素直に反省したい。
子供達と交流を持ちたいという方も多く、ヒマラヤ小学校への理解をより深めるためにも、新しくスポンサーシップ制度を設ける事になった。現在、既に2名の支援者の方から、児童6名分の暖かいご支援を頂いている。これからどんな交流が生まれるか、本当に楽しみだ。いろいろと改善点は出てくると思うが、何とか良い支援と交流の仕組みを構築したいと思う。
今日はホームページの修正作業に追われた。1ページ直すと、他のページを直す必要があり、予想以上に時間が掛かってしまった。昔のページもいずれ修正したいと考えているが何時になるかは未定。せめて1人、日本人スタッフがいればなぁ、と思う今日この頃。
追:
スポンサーシップ制度への皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします
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2006年04月07日
忘れられない出来事
4月7日
ゼネスト2日目。昨日に引き続き今日も部屋に篭り、環境省、森林土壌保全省、そしてカトマンズ市に提出するケナフ活動の計画書を作成した。ゼネストのお陰?で、ゆっくり時間を掛けて纏める事が出来た。今後、サダナが最終的な計画書を纏める事になっているが、昨年の反省点も踏まえ、よりネパールにあった計画を立てたいと思っている。
計画書の後は、愛媛新聞で連載させて頂いている『ぐるっと地球』の原稿を仕上げた。今回は、昨年、惜しまれながら亡くなった郷土の偉人、岩村昇博士の功績について書いてみた。今回が8回目となる企画。ネパールの事を知って頂く数少ない機会だけに、いろいろな分野の事についても書いてみたいと思う。
その後、溜まっていたヒマラヤ小学校の写真を整理していると、子ども達一人ひとりの2年間の変化が分かり、なかなか面白かった。長いようで短かった、開校からの2年間の月日を振り返ると、本当に感慨深いものがある。
写真を見ていると、ある出来事を思い出した。ブログ記事2005年3月3日にも書いているので、ぜひお目通し頂きたい。(新たに写真を加えました。)ジバン、リタ、シタの3人兄妹は後日、不可解な理由で退学した。ヒマラヤ小学校開校前の寺子屋の頃から一番気になっていた兄妹だけに、彼らが学校を辞めた事は僕の中で一番辛い出来事だった。3兄妹が学校へ来なくなる度に、先生達と彼らの家を何度も訪ねた去年の今頃。結局、その努力は報われなかった。
学校を建てている頃、ブンガマティ村のお寺に開設した寺子屋で勉強している子ども達を見ては、学校さえ出来ればみんな学校で勉強出来る、と思い込んでいた自分が本当に恥かしい。開校してから嬉しいことも山ほどあったが、上手くいかない事はそれ以上に多かった。
今年も新入生の選考が近づいている。1人でも多く、入学した子どもをきちんと卒業させて送り出したい。決してなおざりな事はしたくない。
写真:ヒマラヤ小学校開校前、寺子屋に集まった子ども達。
ゼネスト2日目。昨日に引き続き今日も部屋に篭り、環境省、森林土壌保全省、そしてカトマンズ市に提出するケナフ活動の計画書を作成した。ゼネストのお陰?で、ゆっくり時間を掛けて纏める事が出来た。今後、サダナが最終的な計画書を纏める事になっているが、昨年の反省点も踏まえ、よりネパールにあった計画を立てたいと思っている。
計画書の後は、愛媛新聞で連載させて頂いている『ぐるっと地球』の原稿を仕上げた。今回は、昨年、惜しまれながら亡くなった郷土の偉人、岩村昇博士の功績について書いてみた。今回が8回目となる企画。ネパールの事を知って頂く数少ない機会だけに、いろいろな分野の事についても書いてみたいと思う。
その後、溜まっていたヒマラヤ小学校の写真を整理していると、子ども達一人ひとりの2年間の変化が分かり、なかなか面白かった。長いようで短かった、開校からの2年間の月日を振り返ると、本当に感慨深いものがある。
写真を見ていると、ある出来事を思い出した。ブログ記事2005年3月3日にも書いているので、ぜひお目通し頂きたい。(新たに写真を加えました。)ジバン、リタ、シタの3人兄妹は後日、不可解な理由で退学した。ヒマラヤ小学校開校前の寺子屋の頃から一番気になっていた兄妹だけに、彼らが学校を辞めた事は僕の中で一番辛い出来事だった。3兄妹が学校へ来なくなる度に、先生達と彼らの家を何度も訪ねた去年の今頃。結局、その努力は報われなかった。
学校を建てている頃、ブンガマティ村のお寺に開設した寺子屋で勉強している子ども達を見ては、学校さえ出来ればみんな学校で勉強出来る、と思い込んでいた自分が本当に恥かしい。開校してから嬉しいことも山ほどあったが、上手くいかない事はそれ以上に多かった。
今年も新入生の選考が近づいている。1人でも多く、入学した子どもをきちんと卒業させて送り出したい。決してなおざりな事はしたくない。
写真:ヒマラヤ小学校開校前、寺子屋に集まった子ども達。
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2006年04月06日
ゼネスト
4月6日(木)
ネパールの政情は混迷を深めている。今日から7政党連合による4日間の反政府ゼネストが始まった。8日には大規模な反政府デモが予定されているという。朝、急用が出来、バイクに乗って外出したものの、道中ではほとんど車やバイクを見かけなかった。
ネパールは今、歴史の中にすっぽりと包まれ、社会が大きく動こうとしている。今のネパールのように暗雲に包まれている社会では、耳や目を覆いたくなるような出来事も頻繁に起こるが、一つひとつの出来事に慌てふためき、騒ぐ事だけは避けたいと思う。
何れにしても失政の影響を受けるのは、常に弱い立場の子ども達であることは間違いない。事態が完全に収束するまでには数年、いや十年近く掛かるかもしれないが、一日も早くネパールが安定することを願わずにはいられない。
ネパールの政情は混迷を深めている。今日から7政党連合による4日間の反政府ゼネストが始まった。8日には大規模な反政府デモが予定されているという。朝、急用が出来、バイクに乗って外出したものの、道中ではほとんど車やバイクを見かけなかった。
ネパールは今、歴史の中にすっぽりと包まれ、社会が大きく動こうとしている。今のネパールのように暗雲に包まれている社会では、耳や目を覆いたくなるような出来事も頻繁に起こるが、一つひとつの出来事に慌てふためき、騒ぐ事だけは避けたいと思う。
何れにしても失政の影響を受けるのは、常に弱い立場の子ども達であることは間違いない。事態が完全に収束するまでには数年、いや十年近く掛かるかもしれないが、一日も早くネパールが安定することを願わずにはいられない。
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2006年04月05日
慌しい一日
4月5日(水)
朝、往診を2件済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。先生達は期末試験の集計に終れて、忙しそうにしていた。子ども達の数が増えた事や、学年が上になるにつれて教科数も増える事で、採点や集計作業も大変だ。
春休みに入り子ども達がいない校舎は、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。感慨深く校舎を見ていると、2年生のソニーが学校へ来た。何でも川へ洗濯に行った帰りらしい。早速、ソニーに学校に関する幾つかの質問をしてみた。ソニーは大人しく物静かな女の子だが、成績も常に上位にいる頑張り屋だ。『学校が楽しい』と話すソニーの笑顔に、雑用に追われる先生達の心も和んだ様子だった。
9日に予定していた成績発表は、ネパールの政情(7政党連合によるゼネスト)により、10日に延期となった。子ども達の家庭に電話など一切ない現状のため、人伝いに成績発表延期を連絡するしかない。村の中心に暮らす子ども達なら何とか伝わるが、2時間掛けて通っている子ども達に伝える事は、なかなか至難の業だ。対策を協議した結果、めぼしい学生を上げ、モンゴル先生と僕が各家庭を回り、成績発表の延期を伝えることとなった。せっかく家庭を回るのだから、ただ単に情報を伝えるだけでなく、春休み中の子ども達の様子や父兄の学校に対する感想などを聞くことにした。
どの家庭を訪ねても、子ども達の多くは仕事に出かけていた。幼稚園クラスの子ども達は何人か見かけたが、他の子ども達の多くは休み中、仕事に追われている現状のようだ。体よりも大きな籠を担ぎ、薪を運んでいる子、汗を流し草刈をしている子、中にはお母さんを手伝って、煉瓦を運んでいる幼稚園児まで見かけた。みんな、貧しさの中で生きている事を改めて感じた。
何件か家庭を回った後、クマールの家で母親と話をした。残念ながらクマールは仕事に出かけて留守だったが、弟のモノージュと近所に暮すディポックと妹のサパナが一緒に遊んでいた。母親にヒマラヤ小学校について尋ねると、『学校が出来たお陰で、子ども達が教育を受けることができ助かっている。子ども達は学校へ通える事をとても喜んでいる』との答えが返ってきた。クマールについては、毎日、蝋燭の灯りの下で勉強をしているという。
クマールの家庭はダリットと呼ばれるアンタッチャブルカーストに属している。村から少し離れた場所に家があるのも、その事が理由らしい。父親は典型的な酒飲みで、よく母親に暴力を振るい、家にもほとんど帰って来ないそうだ。
母親は煉瓦を運んだり、薪を運んだりして、何とか生計を立てている。話の途中、クマールの母親の目から涙が零れだした。『自分は教育を受けていないため、何もすることが出来ない。クマール達にはしっかり勉強をして、私と同じ苦労をして欲しくない』と、涙を流しながら話を続けた。
こうして直接、父兄から話を聞くと、ヒマラヤ小学校が担う衆望と責任の大きさを痛感する。教育は貧困から抜け出す礎となる。その礎を更に強くしっかりとした物とするため、僕達、教職員は努力を続けなければならない。
帰り道、同行したモンゴル先生が日本語で『コドモタチノタメニ、モット、ガンバリマス』と呟いた。 父兄の言葉に、モンゴル先生の気持ちも奮い立ったようだ。
夕方、ヤッギャ校長から、病気になった母親を迎えに行った奥さんが、明日から予定されているゼネストの関係でバスが動かず、シンドゥパルチョーク郡で足止めにされているとの連絡があり、急遽、ヤッギャ校長、モンゴル先生と共に車を借りて、ヤッギャ校長の奥さんと義母さんを迎えに行った。
いろいろあったが、何とか無事、義母さんをカトマンズの病院まで届けることが出来、一安心。
今日は慌しい一日となった。
朝、往診を2件済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。先生達は期末試験の集計に終れて、忙しそうにしていた。子ども達の数が増えた事や、学年が上になるにつれて教科数も増える事で、採点や集計作業も大変だ。
春休みに入り子ども達がいない校舎は、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。感慨深く校舎を見ていると、2年生のソニーが学校へ来た。何でも川へ洗濯に行った帰りらしい。早速、ソニーに学校に関する幾つかの質問をしてみた。ソニーは大人しく物静かな女の子だが、成績も常に上位にいる頑張り屋だ。『学校が楽しい』と話すソニーの笑顔に、雑用に追われる先生達の心も和んだ様子だった。
9日に予定していた成績発表は、ネパールの政情(7政党連合によるゼネスト)により、10日に延期となった。子ども達の家庭に電話など一切ない現状のため、人伝いに成績発表延期を連絡するしかない。村の中心に暮らす子ども達なら何とか伝わるが、2時間掛けて通っている子ども達に伝える事は、なかなか至難の業だ。対策を協議した結果、めぼしい学生を上げ、モンゴル先生と僕が各家庭を回り、成績発表の延期を伝えることとなった。せっかく家庭を回るのだから、ただ単に情報を伝えるだけでなく、春休み中の子ども達の様子や父兄の学校に対する感想などを聞くことにした。
どの家庭を訪ねても、子ども達の多くは仕事に出かけていた。幼稚園クラスの子ども達は何人か見かけたが、他の子ども達の多くは休み中、仕事に追われている現状のようだ。体よりも大きな籠を担ぎ、薪を運んでいる子、汗を流し草刈をしている子、中にはお母さんを手伝って、煉瓦を運んでいる幼稚園児まで見かけた。みんな、貧しさの中で生きている事を改めて感じた。
何件か家庭を回った後、クマールの家で母親と話をした。残念ながらクマールは仕事に出かけて留守だったが、弟のモノージュと近所に暮すディポックと妹のサパナが一緒に遊んでいた。母親にヒマラヤ小学校について尋ねると、『学校が出来たお陰で、子ども達が教育を受けることができ助かっている。子ども達は学校へ通える事をとても喜んでいる』との答えが返ってきた。クマールについては、毎日、蝋燭の灯りの下で勉強をしているという。
クマールの家庭はダリットと呼ばれるアンタッチャブルカーストに属している。村から少し離れた場所に家があるのも、その事が理由らしい。父親は典型的な酒飲みで、よく母親に暴力を振るい、家にもほとんど帰って来ないそうだ。
母親は煉瓦を運んだり、薪を運んだりして、何とか生計を立てている。話の途中、クマールの母親の目から涙が零れだした。『自分は教育を受けていないため、何もすることが出来ない。クマール達にはしっかり勉強をして、私と同じ苦労をして欲しくない』と、涙を流しながら話を続けた。
こうして直接、父兄から話を聞くと、ヒマラヤ小学校が担う衆望と責任の大きさを痛感する。教育は貧困から抜け出す礎となる。その礎を更に強くしっかりとした物とするため、僕達、教職員は努力を続けなければならない。
帰り道、同行したモンゴル先生が日本語で『コドモタチノタメニ、モット、ガンバリマス』と呟いた。 父兄の言葉に、モンゴル先生の気持ちも奮い立ったようだ。
夕方、ヤッギャ校長から、病気になった母親を迎えに行った奥さんが、明日から予定されているゼネストの関係でバスが動かず、シンドゥパルチョーク郡で足止めにされているとの連絡があり、急遽、ヤッギャ校長、モンゴル先生と共に車を借りて、ヤッギャ校長の奥さんと義母さんを迎えに行った。
いろいろあったが、何とか無事、義母さんをカトマンズの病院まで届けることが出来、一安心。
今日は慌しい一日となった。
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2006年04月02日
時間
4月2日(日)
朝、SLC受験中の奨学生を訪ね、試験の様子を訊いた。今日、訪ねた奨学生達はどの子も、まぁまぁの出来だという。試験も後3日。頑張って欲しい。
その後、今日、出発される大野先生を空港へお見送りした。今回、大野先生には家庭訪問なども含め、ヒマラヤ小学校、そして子ども達の様子をゆっくり見ていただいた。僕達、教職員にとっても本当に実り多い一週間となった。今後のヒマラヤ小学校の運営についてもゆっくりお話する事が出来、心の中の様々な不安が払拭された。何時もながら、大野先生との別れを惜しむ声が方々で聞こえた。出発の日に連呼される『次は何時、ネパールへ来ますか?』との質問は、いかにもネパール人らしい人懐っこさだと思う。
昼からケナフ活動の調印に向けた準備を大急ぎで進めた。残り僅かの時間で、いかに調印内容を詰める事が出来るか、実力が問われている。絶対に成功させなくてはならない。今日は環境大臣から、南ネパールの町ダランにある医科大学の副学長が、大学内でのケナフ栽培を希望しているとの連絡を受けた。調印式の前後にダランへ行かないか、とのお誘いだった。
ダランは南ネパール、タライ平原にある町なので調査も兼ね、ぜひ栽培をしたいのは山々なのだが、今は兎に角、時間に余裕がない。サダナさんは5月から大事な12年生の卒業認定試験を控えている。今は試験勉強の時間を割いて、ケナフ活動に取り組んでいる現状。ヤッギャ校長も新入生の事で忙しい。やはり一日も早く事務局を立ち上げ、活動に参加できる目端のきくスタッフを集めなければならない。ケナフを求める声に対応するには、事務局と人材の確保が不可欠だ。
最初の頃、行政から目八分で見られていたケナフ活動も、今では行政が追いかけてくるまでの活動に発展した。こんなに嬉しいことはない。釜野先生や関係者の皆さんの協力はもちろんのこと、サダナやヤッギャ校長が一生懸命、活動に取り組んだ成果だと思う。
これから調印、各学校での種蒔き・栽培、8月に開催予定の第2回ケナフ会議と、気の抜けない大事な行事が控えている。直面する問題をどう乗り越えるか、本当の意味で実力が問われている気がする。
朝、SLC受験中の奨学生を訪ね、試験の様子を訊いた。今日、訪ねた奨学生達はどの子も、まぁまぁの出来だという。試験も後3日。頑張って欲しい。
その後、今日、出発される大野先生を空港へお見送りした。今回、大野先生には家庭訪問なども含め、ヒマラヤ小学校、そして子ども達の様子をゆっくり見ていただいた。僕達、教職員にとっても本当に実り多い一週間となった。今後のヒマラヤ小学校の運営についてもゆっくりお話する事が出来、心の中の様々な不安が払拭された。何時もながら、大野先生との別れを惜しむ声が方々で聞こえた。出発の日に連呼される『次は何時、ネパールへ来ますか?』との質問は、いかにもネパール人らしい人懐っこさだと思う。
昼からケナフ活動の調印に向けた準備を大急ぎで進めた。残り僅かの時間で、いかに調印内容を詰める事が出来るか、実力が問われている。絶対に成功させなくてはならない。今日は環境大臣から、南ネパールの町ダランにある医科大学の副学長が、大学内でのケナフ栽培を希望しているとの連絡を受けた。調印式の前後にダランへ行かないか、とのお誘いだった。
ダランは南ネパール、タライ平原にある町なので調査も兼ね、ぜひ栽培をしたいのは山々なのだが、今は兎に角、時間に余裕がない。サダナさんは5月から大事な12年生の卒業認定試験を控えている。今は試験勉強の時間を割いて、ケナフ活動に取り組んでいる現状。ヤッギャ校長も新入生の事で忙しい。やはり一日も早く事務局を立ち上げ、活動に参加できる目端のきくスタッフを集めなければならない。ケナフを求める声に対応するには、事務局と人材の確保が不可欠だ。
最初の頃、行政から目八分で見られていたケナフ活動も、今では行政が追いかけてくるまでの活動に発展した。こんなに嬉しいことはない。釜野先生や関係者の皆さんの協力はもちろんのこと、サダナやヤッギャ校長が一生懸命、活動に取り組んだ成果だと思う。
これから調印、各学校での種蒔き・栽培、8月に開催予定の第2回ケナフ会議と、気の抜けない大事な行事が控えている。直面する問題をどう乗り越えるか、本当の意味で実力が問われている気がする。
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2006年04月01日
家庭訪問
4月1日(土)
朝、1件の往診を済ませた後、大野先生と共にビディヤ先生宅を訪問した。ビディヤ先生には昨年からボランティア教員としてヒマラヤ小学校でお手伝いして頂いている。先生の優しい人柄と熱心な取り組みに、子ども達からとても人気が高い。ビディヤ先生自身、15歳で結婚し、子育てをしながら大学で教育学を収めた苦労人でもある。先日、2年生のビナが結婚するという問題でも、ビナと同じ年頃に結婚した自分だから伝えられる事があると、調整役を名乗り出てくれた。ビナが再登校した日、一番喜んだのもビディヤ先生だった。
今日は美味しいお茶を頂きながら、ゆっくりと学校のことや子ども達のことについてお話することが出来、とても楽しい時間となった。話は尽きることなく、結局、昼食までご馳走になってしまった。ビディヤ先生のような素晴らしい先生がいることは、ヒマラヤ小学校にとっても、子ども達にとっても心強い。先生達一人ひとりの才能を上手く生かして、学校を大きく発展させたい。
その後、ブンガマティ村でモンゴル先生と合流し、春休み中の子ども達の家庭訪問を行った。子ども達の多く、特に女の子は、休みの間、洗濯や薪運び、草刈などの仕事に出かけていて忙しい。仕方なく、子ども達がいない家庭を訪ねてみた。どの家庭もやはり貧しいなぁというのが正直な感想だ。もう何度も子供達に家を訪ねているが、普段の底抜けに明るい子ども達の笑顔を見ていると、とてもこの貧しさを想像することは出来ない。
今日は父兄に、学校に対する感想や子ども達の家での様子などについて訊いてみた。どの父兄からも学校に対する良い感想を聞く事が出来、嬉しかった。中でも1年生のラシュミタの父親は、学校が出来たお陰で貧しい自分の娘が教育を受けられると、涙を流しながら感謝の気持ちを伝えてきた。突然の事で驚いたが、一生懸命、拙いネパール語で感謝の気持ちを伝えようとするラシュミタの父親を見ていると、こちらも自然と涙を誘われた。
学校が出来たことで大勢の貧しい子ども達が教育を受けられたことは、本当に大きな意義があると思う。子ども達以外に、こうして学校の存在を喜んでくれる人達がいることは、僕達の大きな励みとなる。開校から2年、少しずつ教育への理解が増えていることを実感する。
ブンガマティ村を後にして、鍼灸のミーティングに参加した。ここ数年、ネパール医療における鍼灸の役割も大きくなっている。今後、政府も交えた大きな動きがありそうで、とても楽しみだ。僕よりも若い鍼灸師が一生懸命頑張っている姿を見ると、奮い立たされるものがある。
夕方から大野先生の送別会に参加。スミさん達も集まり、楽しく和やかな宴となった。スミさん達にも随分、表情に明るさが戻ってきた。心機一転、新しい場所で頑張ってくれることを確信している。
朝、1件の往診を済ませた後、大野先生と共にビディヤ先生宅を訪問した。ビディヤ先生には昨年からボランティア教員としてヒマラヤ小学校でお手伝いして頂いている。先生の優しい人柄と熱心な取り組みに、子ども達からとても人気が高い。ビディヤ先生自身、15歳で結婚し、子育てをしながら大学で教育学を収めた苦労人でもある。先日、2年生のビナが結婚するという問題でも、ビナと同じ年頃に結婚した自分だから伝えられる事があると、調整役を名乗り出てくれた。ビナが再登校した日、一番喜んだのもビディヤ先生だった。
今日は美味しいお茶を頂きながら、ゆっくりと学校のことや子ども達のことについてお話することが出来、とても楽しい時間となった。話は尽きることなく、結局、昼食までご馳走になってしまった。ビディヤ先生のような素晴らしい先生がいることは、ヒマラヤ小学校にとっても、子ども達にとっても心強い。先生達一人ひとりの才能を上手く生かして、学校を大きく発展させたい。
その後、ブンガマティ村でモンゴル先生と合流し、春休み中の子ども達の家庭訪問を行った。子ども達の多く、特に女の子は、休みの間、洗濯や薪運び、草刈などの仕事に出かけていて忙しい。仕方なく、子ども達がいない家庭を訪ねてみた。どの家庭もやはり貧しいなぁというのが正直な感想だ。もう何度も子供達に家を訪ねているが、普段の底抜けに明るい子ども達の笑顔を見ていると、とてもこの貧しさを想像することは出来ない。
今日は父兄に、学校に対する感想や子ども達の家での様子などについて訊いてみた。どの父兄からも学校に対する良い感想を聞く事が出来、嬉しかった。中でも1年生のラシュミタの父親は、学校が出来たお陰で貧しい自分の娘が教育を受けられると、涙を流しながら感謝の気持ちを伝えてきた。突然の事で驚いたが、一生懸命、拙いネパール語で感謝の気持ちを伝えようとするラシュミタの父親を見ていると、こちらも自然と涙を誘われた。
学校が出来たことで大勢の貧しい子ども達が教育を受けられたことは、本当に大きな意義があると思う。子ども達以外に、こうして学校の存在を喜んでくれる人達がいることは、僕達の大きな励みとなる。開校から2年、少しずつ教育への理解が増えていることを実感する。
ブンガマティ村を後にして、鍼灸のミーティングに参加した。ここ数年、ネパール医療における鍼灸の役割も大きくなっている。今後、政府も交えた大きな動きがありそうで、とても楽しみだ。僕よりも若い鍼灸師が一生懸命頑張っている姿を見ると、奮い立たされるものがある。
夕方から大野先生の送別会に参加。スミさん達も集まり、楽しく和やかな宴となった。スミさん達にも随分、表情に明るさが戻ってきた。心機一転、新しい場所で頑張ってくれることを確信している。
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2006年03月28日
試験終了
3月28日(火)
今日で長かった期末試験が終わった。どの子ども達も一生懸命頑張ったと思う。子ども達の精一杯の努力を称えたい。また先生達の努力により、試験を無事に実施出来たことを感謝したい。
今日は,昨日ネパールへ到着された大野先生に試験の様子をご覧いただいた。不正のないよう別学年を交互に並べていることや、試験の時間割など、ヒマラヤ小学校の取り組みをヤッギャ校長がお伝えした。
3時から寺子屋の子供達と、昨年からヒマラヤ青少年育英会の里親教育基金から奨学金を受け、学校へ通っている元寺子屋の子ども達が集まり、ダンスの練習を行った。29日に開催される村のダンス大会へ『寺子屋』から出場する予定だ。
皆、借りてきた民族衣装を着て、グループ事に一生懸命、踊りを練習していた。9才から12才の子ども達が中心ということもあり、ダンスを踊れる事がとにかく嬉しくて仕方ない様子。本当に可愛らしい。大会での健闘を祈っている。
夜は大野先生、ヤッギャ校長、モンゴル先生、サダナさんが集まり、焚き火を囲んでの楽しい話に花が咲いた。それぞれ大きな夢を持っている人達の話はとても楽しい。燃え盛る炎の音だけが聞こえる静かな夜。こんな環境でじっくり話し合うことも、時にはとても大切だと思う。
今日で長かった期末試験が終わった。どの子ども達も一生懸命頑張ったと思う。子ども達の精一杯の努力を称えたい。また先生達の努力により、試験を無事に実施出来たことを感謝したい。
今日は,昨日ネパールへ到着された大野先生に試験の様子をご覧いただいた。不正のないよう別学年を交互に並べていることや、試験の時間割など、ヒマラヤ小学校の取り組みをヤッギャ校長がお伝えした。
3時から寺子屋の子供達と、昨年からヒマラヤ青少年育英会の里親教育基金から奨学金を受け、学校へ通っている元寺子屋の子ども達が集まり、ダンスの練習を行った。29日に開催される村のダンス大会へ『寺子屋』から出場する予定だ。
皆、借りてきた民族衣装を着て、グループ事に一生懸命、踊りを練習していた。9才から12才の子ども達が中心ということもあり、ダンスを踊れる事がとにかく嬉しくて仕方ない様子。本当に可愛らしい。大会での健闘を祈っている。
夜は大野先生、ヤッギャ校長、モンゴル先生、サダナさんが集まり、焚き火を囲んでの楽しい話に花が咲いた。それぞれ大きな夢を持っている人達の話はとても楽しい。燃え盛る炎の音だけが聞こえる静かな夜。こんな環境でじっくり話し合うことも、時にはとても大切だと思う。
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2006年03月27日
猛省
3月27日(月)
朝、ヒマラヤ小学校で小さな問題が発生したとの報せを受け、急いでヒマラヤ小学校へ向った。何でも、ある先生が試験中の子ども達を勇気付けるため『試験が終わったら遊びに連れて行ってあげる』と言ったところ、子ども達の中で話が一人歩きして、『試験は休み。みんなでピクニックへ行く』となってしまったようだ。しかも『**ルピーのお金が必要』という点まで付け加えられたようだ。心配した大勢の保護者が事情を聞きに学校へ集まったため、その対応に追われた。
その後、全教職員で緊急ミーティングを行った。ヒマラヤ小学校に通う子ども達の親の多くは文盲だ。プリント等を配布できない現状があるため、子ども達を介しての伝達が基本となる。そのため全校児童を前に、きちんしたと内容を伝える事が大事だ。一部の子ども達だけに、一部だけを話すと、今回のような誤解を招いてしまうのは必然だ。
今回、話が一気に膨らみ、ピクニック参加には高額のお金が必要などという話まで出ていた。お金を貰えなかった子どもの中には、ピクニックに参加できないと、学校で泣いている子も大勢いた。お金が係われば、噂話は更に膨らむ恐れがある。ヒマラヤ小学校が村にあることを教職員一人ひとりがもう一度、しっかり認識する事が必要だ。全員で猛省したい。
昼過ぎ、クラーク記念国際高校の大野先生をお迎えに空港へ向った。今回が大野先生にとって6回目のネパール訪問となる。子ども達も大野先生のお越しを楽しみにしているので、どんな交流が実現するか、とても楽しみだ。
その後、お世話になっている奨学生やサダナさん達が集まり、大野先生を囲んで楽しい話で盛り上がった。今回はヒマラヤ小学校が試験中ということもあり、大野先生には試験の様子もご覧頂く予定だ。
子ども達だけでなく先生達にも、大野先生との交流から多くを学んで欲しいと願っている。
朝、ヒマラヤ小学校で小さな問題が発生したとの報せを受け、急いでヒマラヤ小学校へ向った。何でも、ある先生が試験中の子ども達を勇気付けるため『試験が終わったら遊びに連れて行ってあげる』と言ったところ、子ども達の中で話が一人歩きして、『試験は休み。みんなでピクニックへ行く』となってしまったようだ。しかも『**ルピーのお金が必要』という点まで付け加えられたようだ。心配した大勢の保護者が事情を聞きに学校へ集まったため、その対応に追われた。
その後、全教職員で緊急ミーティングを行った。ヒマラヤ小学校に通う子ども達の親の多くは文盲だ。プリント等を配布できない現状があるため、子ども達を介しての伝達が基本となる。そのため全校児童を前に、きちんしたと内容を伝える事が大事だ。一部の子ども達だけに、一部だけを話すと、今回のような誤解を招いてしまうのは必然だ。
今回、話が一気に膨らみ、ピクニック参加には高額のお金が必要などという話まで出ていた。お金を貰えなかった子どもの中には、ピクニックに参加できないと、学校で泣いている子も大勢いた。お金が係われば、噂話は更に膨らむ恐れがある。ヒマラヤ小学校が村にあることを教職員一人ひとりがもう一度、しっかり認識する事が必要だ。全員で猛省したい。
昼過ぎ、クラーク記念国際高校の大野先生をお迎えに空港へ向った。今回が大野先生にとって6回目のネパール訪問となる。子ども達も大野先生のお越しを楽しみにしているので、どんな交流が実現するか、とても楽しみだ。
その後、お世話になっている奨学生やサダナさん達が集まり、大野先生を囲んで楽しい話で盛り上がった。今回はヒマラヤ小学校が試験中ということもあり、大野先生には試験の様子もご覧頂く予定だ。
子ども達だけでなく先生達にも、大野先生との交流から多くを学んで欲しいと願っている。
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2006年03月26日
寺子屋・学びの熱気
3月26日(日)
朝、ヤッギャ校長、サダナと集まり、調印文書や申請書類の最終確認を行った。今回は政府との共同活動ということで勉強の毎日だ。分からない事ばかりだが、周囲の人たちに指導をいただきながら、何とか一歩ずつ作業を進めている。まだまだ遣るべきことは山積しているが、必ず調印を成功させたい。明日は環境大臣を訪ね、直接、申請を行う予定。
昼からスミさんのレストランの移転先候補の家主さんと話し合い。スミさんのレストランもようやく移転先が決まりそうで安心した。ただ、これまで決まりかけては、地位的な問題で断られてきただけに最後まで気は抜けない。一日も早く新地で、スミさんの作る美味しいオムライスが食べたい。
夕方からブンガマティ村にある寺子屋を訪問。子ども達もみんな元気に一生懸命頑張っている。何時もながら寺子屋の熱気は凄い。『勉強したい!!』という子ども達一人ひとりの思いが、寺子屋を包んでいる。学びの熱気、これこそ教育の原点のような気がする。今年も各寺子屋からヒマラヤ小学校へ新入生を迎える予定だが、1人でも多くの子ども達が就学の夢を叶えられるよう、頑張ってみたい。
夜、1件の往診を済ませて帰宅。ネパールでは毎日5〜7時間の計画停電が続いているので、仕事がなかなか捗らない。何事も慌てないネパールの人達だからこそ、この停電に耐えられるのだろうか。
朝、ヤッギャ校長、サダナと集まり、調印文書や申請書類の最終確認を行った。今回は政府との共同活動ということで勉強の毎日だ。分からない事ばかりだが、周囲の人たちに指導をいただきながら、何とか一歩ずつ作業を進めている。まだまだ遣るべきことは山積しているが、必ず調印を成功させたい。明日は環境大臣を訪ね、直接、申請を行う予定。
昼からスミさんのレストランの移転先候補の家主さんと話し合い。スミさんのレストランもようやく移転先が決まりそうで安心した。ただ、これまで決まりかけては、地位的な問題で断られてきただけに最後まで気は抜けない。一日も早く新地で、スミさんの作る美味しいオムライスが食べたい。
夕方からブンガマティ村にある寺子屋を訪問。子ども達もみんな元気に一生懸命頑張っている。何時もながら寺子屋の熱気は凄い。『勉強したい!!』という子ども達一人ひとりの思いが、寺子屋を包んでいる。学びの熱気、これこそ教育の原点のような気がする。今年も各寺子屋からヒマラヤ小学校へ新入生を迎える予定だが、1人でも多くの子ども達が就学の夢を叶えられるよう、頑張ってみたい。
夜、1件の往診を済ませて帰宅。ネパールでは毎日5〜7時間の計画停電が続いているので、仕事がなかなか捗らない。何事も慌てないネパールの人達だからこそ、この停電に耐えられるのだろうか。
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2006年03月24日
あっという間の2週間
3月24日(金)
朝、2件の往診。患者さんと日本帰国時の話などをして、楽しい時間を過ごすことが出来た。少しずつでも治療活動を増やしていけるよう、頑張らなければ。
不調のバイクの修理を終え、パタン市内でヤッギャ校長、サダナと合流。カトマンズ市、環境省と交わすケナフ活動の調印内容について話し合った。先週のミーティングから1週間、お互いに考えてきた案を出し合い、内容を付け加えたり、削ったりしながら素案が纏まった。ヤッギャ校長、サダナと仕事をしていると、兎に角、仕事がスムーズで速い。のんびりとしたネパールで味わう、唯一のスピード感といっても過言ではない。良いパートナーを持てたことに感謝。
ネパールに戻ってから、あっという間に2週間が過ぎた。ケナフ活動、学校運営それぞれに大きな動きあり、目先のことに精一杯の毎日だが、何とか乗り越えたい。全力で取り組むものがあることは、とても幸せなことだと思う。
夕方から入院した知人のお見舞い。手術も無事終わり、順調に回復しているようで安心した。夜、SLC受験生を訪ね、最後の激励。今年のSLCは3月27日から始まる。みんな、頑張って欲しい。
朝、2件の往診。患者さんと日本帰国時の話などをして、楽しい時間を過ごすことが出来た。少しずつでも治療活動を増やしていけるよう、頑張らなければ。
不調のバイクの修理を終え、パタン市内でヤッギャ校長、サダナと合流。カトマンズ市、環境省と交わすケナフ活動の調印内容について話し合った。先週のミーティングから1週間、お互いに考えてきた案を出し合い、内容を付け加えたり、削ったりしながら素案が纏まった。ヤッギャ校長、サダナと仕事をしていると、兎に角、仕事がスムーズで速い。のんびりとしたネパールで味わう、唯一のスピード感といっても過言ではない。良いパートナーを持てたことに感謝。
ネパールに戻ってから、あっという間に2週間が過ぎた。ケナフ活動、学校運営それぞれに大きな動きあり、目先のことに精一杯の毎日だが、何とか乗り越えたい。全力で取り組むものがあることは、とても幸せなことだと思う。
夕方から入院した知人のお見舞い。手術も無事終わり、順調に回復しているようで安心した。夜、SLC受験生を訪ね、最後の激励。今年のSLCは3月27日から始まる。みんな、頑張って欲しい。
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2006年03月23日
無限の可能性
3月23日(木)
朝、郡教育センターに用事で出かけたヤッギャ校長の代わりに、ヒマラヤ小学校で試験を監視した。子ども達にカメラを向けながら、騒ぐ子やキョロキョロする子を落ち着かせたり、宥めたりしながら監視を続けた。試験の監視もなかなか難しい。
それにしても子ども達の生き生きとした表情を見ていると、子ども達の無限の可能性と豊かさを感じる。これからも子ども達の未来をしっかりと応援していきたいと思う。
昼過ぎからヤッギャ校長と合流して、今後の日程や新年度の予算について話し合った。毎回、ヤッギャ校長には、遣りたいことを含め全てを書き記した非現実型の予算案と、現実を直視し可能な限り切り詰めた現実直視型予算案の2つを用意して貰っている。今日もそれぞれの予算案を見比べながら雑談に花が咲いた。
学校の運営に携わる人間としては、出来る限り先生達が活動しやすい環境を造りたいと願っている。先生達が新しい活動にどんどん挑戦できるような環境を作ることが僕の目標でもある。先生達のそれぞれの能力が活かされれば、必ず良い学校を造ることが出来ると確信している。
ただ現実は、目標としている環境とは程遠いところにあると思う。決して資金だけが原因ではないが、やはり現状を考えると特別な活動がなかなか実現出来ない状況にある。先生達には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、ヤッギャ校長が『何時か出来るときにやりましょう』と、常に前向きに考えてくれることは、本当にありがたい。
その後、ヤッギャ校長と共にカトマンズ市内の会議場を訪問。今年8月には第2回目のケナフ会議開催を予定しているが、今年は昨年の倍以上となる700名の参加を予定している。今日訪ねた2件の会議場のうち一つカトマンズ市所有の市民会館は収容人数が700人と、僕らの目的とピッタリ合った。ぜひこの会場で第2回会議を成功させ、子ども達の自立に向けたケナフ活動を大きく発展させたいと思う。
子ども達の様子を写真ブログで更新中です。ぜひお目通しください。
朝、郡教育センターに用事で出かけたヤッギャ校長の代わりに、ヒマラヤ小学校で試験を監視した。子ども達にカメラを向けながら、騒ぐ子やキョロキョロする子を落ち着かせたり、宥めたりしながら監視を続けた。試験の監視もなかなか難しい。
それにしても子ども達の生き生きとした表情を見ていると、子ども達の無限の可能性と豊かさを感じる。これからも子ども達の未来をしっかりと応援していきたいと思う。
昼過ぎからヤッギャ校長と合流して、今後の日程や新年度の予算について話し合った。毎回、ヤッギャ校長には、遣りたいことを含め全てを書き記した非現実型の予算案と、現実を直視し可能な限り切り詰めた現実直視型予算案の2つを用意して貰っている。今日もそれぞれの予算案を見比べながら雑談に花が咲いた。
学校の運営に携わる人間としては、出来る限り先生達が活動しやすい環境を造りたいと願っている。先生達が新しい活動にどんどん挑戦できるような環境を作ることが僕の目標でもある。先生達のそれぞれの能力が活かされれば、必ず良い学校を造ることが出来ると確信している。
ただ現実は、目標としている環境とは程遠いところにあると思う。決して資金だけが原因ではないが、やはり現状を考えると特別な活動がなかなか実現出来ない状況にある。先生達には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、ヤッギャ校長が『何時か出来るときにやりましょう』と、常に前向きに考えてくれることは、本当にありがたい。
その後、ヤッギャ校長と共にカトマンズ市内の会議場を訪問。今年8月には第2回目のケナフ会議開催を予定しているが、今年は昨年の倍以上となる700名の参加を予定している。今日訪ねた2件の会議場のうち一つカトマンズ市所有の市民会館は収容人数が700人と、僕らの目的とピッタリ合った。ぜひこの会場で第2回会議を成功させ、子ども達の自立に向けたケナフ活動を大きく発展させたいと思う。
子ども達の様子を写真ブログで更新中です。ぜひお目通しください。
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2006年03月22日
お知らせ
3月22日(木)
お知らせ
3月18日のブログ記事では、多くの方々から暖かいご支援のお申し出等を頂きましたこと、心からお礼申し上げます。現時点では、幼稚園年少クラスの休校または廃止に関する最終的な決定には至ってはおりませんので、暫く様子を見たいと考えております。
教員支援につきましては、先に東京都の方からビディヤ先生の暫定雇用に対する暖かい御支援を頂くこととなりました。ただ教員支援は今回が初めての試みであり、まだ具体的な支援のあり方が決まっていない現状です。
また政府からの教員派遣についても引き続き話を行っております。詳細が決まり次第、ご報告させていただきます。学校運営のことでは大勢の皆様にご心配をお掛けいたしますこと、心からお詫び申し上げます。どうか今後とも宜しくお願い申し上げます。
お知らせ
3月18日のブログ記事では、多くの方々から暖かいご支援のお申し出等を頂きましたこと、心からお礼申し上げます。現時点では、幼稚園年少クラスの休校または廃止に関する最終的な決定には至ってはおりませんので、暫く様子を見たいと考えております。
教員支援につきましては、先に東京都の方からビディヤ先生の暫定雇用に対する暖かい御支援を頂くこととなりました。ただ教員支援は今回が初めての試みであり、まだ具体的な支援のあり方が決まっていない現状です。
また政府からの教員派遣についても引き続き話を行っております。詳細が決まり次第、ご報告させていただきます。学校運営のことでは大勢の皆様にご心配をお掛けいたしますこと、心からお詫び申し上げます。どうか今後とも宜しくお願い申し上げます。
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2006年03月21日
七転八起
3月21日(火)
今日からヒマラヤ小学校で期末試験が始まった。子ども達にとって一番緊張する時がやってきた。毎回だが、試験中の子ども達を見るのは辛い。やはり中には勉強の遅れている子もいるので、どうしても心配になってしまう。特に年齢が上で、これまでにも他校で落第の経験がある児童などは特に気にかかる。彼らは決して勉強が出来ないのではなくて、勉強の遣り方が未だ分かっていないだけだと思う。親の多くが文盲の現状では、帰宅してから勉強するのも難しいのだろう。
個人的に一番心配しているのは2年生のナレシュ(16)だ。多少、知的障害のあるサシナも気にかかる。サシナに関しては特例で進級させることは出来ると思うが、ナレシュには自力での進学が求められている。
試験中、頭を何度も掻きながら、鉛筆が一向に動かないナレシュ。暫くすると自棄になったように答えを書きはじめ、そそくさと教室を後にした。今日は皆が苦手な数学の試験だったから、尚更だと思う。何とかナレシュには自信を持って欲しい。来年度は補習クラスも必要になってくるかもしれない。今後の検討課題にしたい。
試験の監視を終えた後、往診治療へ出かけた。今日から治療活動の再開だ。ヒマラヤ小学校やケナフ活動の関係で、治療活動がどうしても疎かになりがちだが、鍼治療は僕にネパールでの居場所を作ってくれた大事な活動のひとつだけに、力の続く限り頑張りたいと思う。
昨年、鍼治療を断念しようと考えたことが一度あった。治療中も他の活動が気になり、其の時は治療の時間すら“勿体無い”と感じるようになっていた。今考えると恥かしい話だが、その当時は多分、目先の事で必死だったのだと思う。そんな中、僕が治療活動を続けようと決心をしたのは、患者さんからの『応援』の声だった。患者さんから、治療以外の活動を応援する励ましの言葉を何度も掛けて頂いたのだ。患者さんから応援の声を聞くたびに、治療を止めようと思った自分の考えを恥かしく思い、何があっても治療活動を続けたいと、決心に至った。
もちろん以前のように専念することは難しいと思うが、一生懸命がんばりたい。今日は久しぶりの往診だったこともあり、気持ちよく治療を施すことが出来た。来週からはクリニックを再開し、少しずつ治療活動を増やしていきたいと思う。どの活動も七転八起の決意で頑張りたい。
写真ブログを更新中です。ぜひお目通しください。
今日からヒマラヤ小学校で期末試験が始まった。子ども達にとって一番緊張する時がやってきた。毎回だが、試験中の子ども達を見るのは辛い。やはり中には勉強の遅れている子もいるので、どうしても心配になってしまう。特に年齢が上で、これまでにも他校で落第の経験がある児童などは特に気にかかる。彼らは決して勉強が出来ないのではなくて、勉強の遣り方が未だ分かっていないだけだと思う。親の多くが文盲の現状では、帰宅してから勉強するのも難しいのだろう。
個人的に一番心配しているのは2年生のナレシュ(16)だ。多少、知的障害のあるサシナも気にかかる。サシナに関しては特例で進級させることは出来ると思うが、ナレシュには自力での進学が求められている。
試験中、頭を何度も掻きながら、鉛筆が一向に動かないナレシュ。暫くすると自棄になったように答えを書きはじめ、そそくさと教室を後にした。今日は皆が苦手な数学の試験だったから、尚更だと思う。何とかナレシュには自信を持って欲しい。来年度は補習クラスも必要になってくるかもしれない。今後の検討課題にしたい。
試験の監視を終えた後、往診治療へ出かけた。今日から治療活動の再開だ。ヒマラヤ小学校やケナフ活動の関係で、治療活動がどうしても疎かになりがちだが、鍼治療は僕にネパールでの居場所を作ってくれた大事な活動のひとつだけに、力の続く限り頑張りたいと思う。
昨年、鍼治療を断念しようと考えたことが一度あった。治療中も他の活動が気になり、其の時は治療の時間すら“勿体無い”と感じるようになっていた。今考えると恥かしい話だが、その当時は多分、目先の事で必死だったのだと思う。そんな中、僕が治療活動を続けようと決心をしたのは、患者さんからの『応援』の声だった。患者さんから、治療以外の活動を応援する励ましの言葉を何度も掛けて頂いたのだ。患者さんから応援の声を聞くたびに、治療を止めようと思った自分の考えを恥かしく思い、何があっても治療活動を続けたいと、決心に至った。
もちろん以前のように専念することは難しいと思うが、一生懸命がんばりたい。今日は久しぶりの往診だったこともあり、気持ちよく治療を施すことが出来た。来週からはクリニックを再開し、少しずつ治療活動を増やしていきたいと思う。どの活動も七転八起の決意で頑張りたい。
写真ブログを更新中です。ぜひお目通しください。
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2006年03月20日
思いがけない交流
3月20日(月)
朝、中央郵便局で雑用を済ませた。久しぶりの中央郵便局では事務員の人達から『どこ行ってたの?』やら『丁度、君の話をしてたんだよ』などと声を掛けられた。思わず笑ってしまったが、この人懐っこさが、ネパールの人々の最大の長所だと何時も思う。
昼過ぎから、ネパールを訪問中の支援者の方をヒマラヤ小学校へご案内。生憎、試験前で学校は休校中だったが、噂を聞いて数名の子ども達が学校へ集まってきた。その後、支援者の方に応援して頂いている里親教育基金の奨学生や友人達も集まり、ささやかな歓迎会が始まった。支援者の方の2歳になるお嬢さんもダンスに参加して、楽しい歓迎会になった。日本から来た可愛いゲストに、子ども達は大喜びの様子。交代で抱っこをしたりして可愛がっていた。思いがけない交流が実現し、本当に良い時間を過ごすことが出来た。
夕方からは奨学生宅を時間の許す限り訪問した。どの奨学生も進級試験を間近に控えている。毎年この時期は、授業料の支払いに追われる。一人ひとりに間違いのないよう授業料を渡しながら、学校の様子や生活について尋ねた。皆、よく頑張っている様子で安心した。今年は11名の奨学生がSLC試験に挑むが、全員で蛍雪の功を実らせて欲しいと思う。
帰宅後、8月に予定しているケナフ会議や、今後の学校運営の事をあれこれ考えた。こうして考えている時が一番辛くて、実は一番楽しいのかもしれない。前向きに考えて、良いアイデアを出したいと思う。
朝、中央郵便局で雑用を済ませた。久しぶりの中央郵便局では事務員の人達から『どこ行ってたの?』やら『丁度、君の話をしてたんだよ』などと声を掛けられた。思わず笑ってしまったが、この人懐っこさが、ネパールの人々の最大の長所だと何時も思う。
昼過ぎから、ネパールを訪問中の支援者の方をヒマラヤ小学校へご案内。生憎、試験前で学校は休校中だったが、噂を聞いて数名の子ども達が学校へ集まってきた。その後、支援者の方に応援して頂いている里親教育基金の奨学生や友人達も集まり、ささやかな歓迎会が始まった。支援者の方の2歳になるお嬢さんもダンスに参加して、楽しい歓迎会になった。日本から来た可愛いゲストに、子ども達は大喜びの様子。交代で抱っこをしたりして可愛がっていた。思いがけない交流が実現し、本当に良い時間を過ごすことが出来た。
夕方からは奨学生宅を時間の許す限り訪問した。どの奨学生も進級試験を間近に控えている。毎年この時期は、授業料の支払いに追われる。一人ひとりに間違いのないよう授業料を渡しながら、学校の様子や生活について尋ねた。皆、よく頑張っている様子で安心した。今年は11名の奨学生がSLC試験に挑むが、全員で蛍雪の功を実らせて欲しいと思う。
帰宅後、8月に予定しているケナフ会議や、今後の学校運営の事をあれこれ考えた。こうして考えている時が一番辛くて、実は一番楽しいのかもしれない。前向きに考えて、良いアイデアを出したいと思う。
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2006年03月19日
試験前
3月19日(日)
朝からヒマラヤ小学校で雑用に追われる。21日からの試験を前に、学校内もざわめいている。今回が開校して6回目の試験。少しずつ慣れて来たものの、やはり試験は緊張する。これまで問題なく試験を実施できたのは、ひとえにヤッギャ校長はじめ先生達の努力の賜物だと思う。今回も子ども達が安心して試験に挑めるよう、最善の対策を図りたい。
今日は嬉しい報せがあった。日本語の勉強を続けているモンゴル先生が、見事『日本語検定試験3級』に合格したのだ。普段から勉強熱心なモンゴル先生だけに当然の結果だとは思うが、本当に良かった。モンゴル先生の努力は、子ども達にとって大きな目標となるだろう。モンゴル先生は『日本語をもっと上手になって、日本の皆さんから多くの事を勉強したい。』と、夢を膨らませている。これからも、ぜひ頑張って欲しい。
その後、昨年開催した『第1回子ども環境ケナフ会議』でベストオブザーバー賞に選ばれたカベヤ・ダンゴールさんの取材をした。カベヤさんは貧しい家庭に育ちながらも一生懸命勉強を頑張り、これまでずっと学校で1番の成績を収めているという。質問の受け答えもきちんとしていて、彼女の聡明さが良く分かった。ケナフについても興味津々の様子。カベヤさんのような若い人達がケナフ活動に興味を持ち、率先して参加してくれる事は本当に嬉しい。将来、カベヤさんのような若くて優秀な人達が社会で活躍すれば、ネパールも必ず希望の持てる国になるのではないかと思う。カベヤさんの若さ溢れる爽やかな笑顔に心が和んだ。
朝からヒマラヤ小学校で雑用に追われる。21日からの試験を前に、学校内もざわめいている。今回が開校して6回目の試験。少しずつ慣れて来たものの、やはり試験は緊張する。これまで問題なく試験を実施できたのは、ひとえにヤッギャ校長はじめ先生達の努力の賜物だと思う。今回も子ども達が安心して試験に挑めるよう、最善の対策を図りたい。
今日は嬉しい報せがあった。日本語の勉強を続けているモンゴル先生が、見事『日本語検定試験3級』に合格したのだ。普段から勉強熱心なモンゴル先生だけに当然の結果だとは思うが、本当に良かった。モンゴル先生の努力は、子ども達にとって大きな目標となるだろう。モンゴル先生は『日本語をもっと上手になって、日本の皆さんから多くの事を勉強したい。』と、夢を膨らませている。これからも、ぜひ頑張って欲しい。
その後、昨年開催した『第1回子ども環境ケナフ会議』でベストオブザーバー賞に選ばれたカベヤ・ダンゴールさんの取材をした。カベヤさんは貧しい家庭に育ちながらも一生懸命勉強を頑張り、これまでずっと学校で1番の成績を収めているという。質問の受け答えもきちんとしていて、彼女の聡明さが良く分かった。ケナフについても興味津々の様子。カベヤさんのような若い人達がケナフ活動に興味を持ち、率先して参加してくれる事は本当に嬉しい。将来、カベヤさんのような若くて優秀な人達が社会で活躍すれば、ネパールも必ず希望の持てる国になるのではないかと思う。カベヤさんの若さ溢れる爽やかな笑顔に心が和んだ。
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2006年03月18日
学校運営の難しさ
3月18日(土)
朝、学校運営委員会のミーティングに参加し、日本滞在中の活動や頂いた支援について報告した。少しずつではあるが、帰国の度に支援の輪が確実に広がっていることはとても嬉しい。これから子ども達の数も増えてくるので、自分に出来ることをしっかり頑張っていきたいと思う。
今日の運営委員会では残念ながら、今後のヒマラヤ小学校運営の事で少し問題が発生した。来年度、教員不足の問題が発生するため、ある委員から3年生を開設する代わりに、幼稚園の年少クラスを休校または廃止にしてはどうか、との提案があった。本当に難しい問題に直面してしまった。確かにこれ以上、新しい先生を雇用して運営していくのは厳しい現状がある。結局、継続審議になったが結論が急がれている。
上記の問題について簡単に説明しますと、現在ヒマラヤ小学校には幼稚園2クラス、小学校1〜2年の計4クラスが開校しています。教員の数は、学校長を含めた4名(学校運営委員会が雇用)とボランティア教員のビディヤ先生の1名、計5名の教員で4クラスを見ています。そのため教員の欠席や学校長の職務(会議に参加など)で1名の欠員が出ても、全4クラスを動かす事が出来ています。
4月から3学年を増設する予定ですが、計5クラスに対して教員が5名(ボランティア教員を含む)の状態になると、欠員が出たときにクラスを運営できない状態になります。新規教員を雇用するだけの余裕がない現状では、幼稚園年少クラスの一時休校または廃止も検討しなくてはなりません。先日、支援者の方から教員1名分、1年間の支援のお申し出を頂きましたが、私達としてはボランティア教員として頑張っているビディヤ先生を暫定雇用する費用に充てたいと考えています。現在、ラリットプール市や教育センターへ教員派遣の手続きも行っていますが、確定はしていません。
この問題について僕自身は、幼稚園年少クラスの一時休校も已むを得ないと考えている。見通しのつかない事を無理に進めることは問題だと思う。もう一度、一から計画を練り直し、再出発することも大事だと思う。まずは子ども達、そして、そこで一生懸命働く先生達にとってより良い環境を作ることが大事だ。学校運営に携わって初めて、学校運営の難しさを知る毎日だ。
朝、学校運営委員会のミーティングに参加し、日本滞在中の活動や頂いた支援について報告した。少しずつではあるが、帰国の度に支援の輪が確実に広がっていることはとても嬉しい。これから子ども達の数も増えてくるので、自分に出来ることをしっかり頑張っていきたいと思う。
今日の運営委員会では残念ながら、今後のヒマラヤ小学校運営の事で少し問題が発生した。来年度、教員不足の問題が発生するため、ある委員から3年生を開設する代わりに、幼稚園の年少クラスを休校または廃止にしてはどうか、との提案があった。本当に難しい問題に直面してしまった。確かにこれ以上、新しい先生を雇用して運営していくのは厳しい現状がある。結局、継続審議になったが結論が急がれている。
上記の問題について簡単に説明しますと、現在ヒマラヤ小学校には幼稚園2クラス、小学校1〜2年の計4クラスが開校しています。教員の数は、学校長を含めた4名(学校運営委員会が雇用)とボランティア教員のビディヤ先生の1名、計5名の教員で4クラスを見ています。そのため教員の欠席や学校長の職務(会議に参加など)で1名の欠員が出ても、全4クラスを動かす事が出来ています。
4月から3学年を増設する予定ですが、計5クラスに対して教員が5名(ボランティア教員を含む)の状態になると、欠員が出たときにクラスを運営できない状態になります。新規教員を雇用するだけの余裕がない現状では、幼稚園年少クラスの一時休校または廃止も検討しなくてはなりません。先日、支援者の方から教員1名分、1年間の支援のお申し出を頂きましたが、私達としてはボランティア教員として頑張っているビディヤ先生を暫定雇用する費用に充てたいと考えています。現在、ラリットプール市や教育センターへ教員派遣の手続きも行っていますが、確定はしていません。
この問題について僕自身は、幼稚園年少クラスの一時休校も已むを得ないと考えている。見通しのつかない事を無理に進めることは問題だと思う。もう一度、一から計画を練り直し、再出発することも大事だと思う。まずは子ども達、そして、そこで一生懸命働く先生達にとってより良い環境を作ることが大事だ。学校運営に携わって初めて、学校運営の難しさを知る毎日だ。
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2006年03月17日
退学問題・ケナフ活動
3月17日(金)
早朝、ヤッギャ校長と新入生受け入れについてミーティング。これから入学希望児童の家庭訪問が始まる。入学の選考基準は貧困、母子家庭、ダリット(不加触カースト)、就学経験、年齢などの優先基準の他に、やはり大事になってくるのは、親の教育に対する関心だ。ネパールでは中途退学率が非常に高い。これにはいろいろな原因があると思うが、やはり貧困が最大の原因だと思う。貧しい家庭では、未だに子ども達は労働者として考えられている事が多く、子ども達が学校へ通う余裕など無いのが現状だ。
ヒマラヤ小学校のような無償教育を実施している学校でさえ、毎年、数名の退学者が出ている。入学前の家庭訪問などを通して、親に教育の大切さを耳が痛くなるほど訴えているつもりだが、それでも退学者が出てしまう。なかなか難しい問題だ。退学した児童の親に村で偶然会った時など、楽しそうに学校へ通っていた児童の事を思い出しては、親を説得できなかった自分達の無力さを痛感する。
ヤッギャ校長から、今年も5名の子ども達の退学がほぼ決まったと報告を受けた。5名の内、2名は親が仕事を求めて他の村に引っ越して行った事が理由、2名はカトマンズの家庭へ使用人として働きに行かされ、もう1人は遠い親類の家に預けられたという。貧困が理由と言ってしまえばそれまでだが、退学がほぼ決まった5人の笑顔を思い出すと、本当に辛い。これから始まる家庭訪問、これまでの失敗を教訓に、しっかりと頑張らなければと思う。
午後4時から、サダナ、ヤッギャ校長とパタン市内の喫茶店で集まり、今後のケナフ活動のミーティングを行った。昨年の会議が大きなうねりとなり、この度、カトマンズ市や環境省と共同でケナフ活動を進めていく事が決まった。子ども達の声に行政が動き始めた本当に理想的な形だ。これから大切な調印などを控えているため、気を緩めることなくしっかり進めて行かなければならない。ぜひ子ども達、行政、社会、皆が喜べる活動にしたいと思う。
今日は今年8月に予定している会議の事も含め、3人で夢中になって話し合った。気がつくと5時間が経過していた。今年は昨年以上に大事な年なので、皆で練りに練って計画を纏めたいと思う。
早朝、ヤッギャ校長と新入生受け入れについてミーティング。これから入学希望児童の家庭訪問が始まる。入学の選考基準は貧困、母子家庭、ダリット(不加触カースト)、就学経験、年齢などの優先基準の他に、やはり大事になってくるのは、親の教育に対する関心だ。ネパールでは中途退学率が非常に高い。これにはいろいろな原因があると思うが、やはり貧困が最大の原因だと思う。貧しい家庭では、未だに子ども達は労働者として考えられている事が多く、子ども達が学校へ通う余裕など無いのが現状だ。
ヒマラヤ小学校のような無償教育を実施している学校でさえ、毎年、数名の退学者が出ている。入学前の家庭訪問などを通して、親に教育の大切さを耳が痛くなるほど訴えているつもりだが、それでも退学者が出てしまう。なかなか難しい問題だ。退学した児童の親に村で偶然会った時など、楽しそうに学校へ通っていた児童の事を思い出しては、親を説得できなかった自分達の無力さを痛感する。
ヤッギャ校長から、今年も5名の子ども達の退学がほぼ決まったと報告を受けた。5名の内、2名は親が仕事を求めて他の村に引っ越して行った事が理由、2名はカトマンズの家庭へ使用人として働きに行かされ、もう1人は遠い親類の家に預けられたという。貧困が理由と言ってしまえばそれまでだが、退学がほぼ決まった5人の笑顔を思い出すと、本当に辛い。これから始まる家庭訪問、これまでの失敗を教訓に、しっかりと頑張らなければと思う。
午後4時から、サダナ、ヤッギャ校長とパタン市内の喫茶店で集まり、今後のケナフ活動のミーティングを行った。昨年の会議が大きなうねりとなり、この度、カトマンズ市や環境省と共同でケナフ活動を進めていく事が決まった。子ども達の声に行政が動き始めた本当に理想的な形だ。これから大切な調印などを控えているため、気を緩めることなくしっかり進めて行かなければならない。ぜひ子ども達、行政、社会、皆が喜べる活動にしたいと思う。
今日は今年8月に予定している会議の事も含め、3人で夢中になって話し合った。気がつくと5時間が経過していた。今年は昨年以上に大事な年なので、皆で練りに練って計画を纏めたいと思う。
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2006年03月15日
嬉しい一日
今日は嬉しい一日となった。まずは、先日お伝えしたビナが元気に登校したこと。ヤッギャ校長とモンゴル先生の説得の甲斐もあり、早期に復学が実現できて本当によかった。もちろんその他にビナ自身の『学校で勉強したい』という熱意が復学の実現に繋がったのだと思う。兎に角、良かった。
其の2、先日開催された写生大会(ブンガマティ周辺の村にある学校から9才〜14才の子ども達が参加)にヒマラヤ小学校から参加したクマール君(9)とラクシミちゃん(9)の2人が、何とそれぞれ1位と2位に輝いた。普段から絵が大好きで才能もある2人だが、昨年、支援者の方の善意から購入した絵の具セットや、ケナフの観察活動が良い影響を与えたことは間違いない。本当に嬉しい。日曜日にはヒマラヤ小学校でお祝いをする予定。
其の3、開校当時から子ども達の自立に向けて続けているケナフ活動。この度、カトマンズ市、環境省と共同で活動に取り組むこととなった。子ども達の盛り上がりに、行政が立ち上がった形。今後、正式な調印を経て、王宮どおりをはじめとするカトマンズ市内でケナフを植える予定。こちらも楽しみだ。
其の2、先日開催された写生大会(ブンガマティ周辺の村にある学校から9才〜14才の子ども達が参加)にヒマラヤ小学校から参加したクマール君(9)とラクシミちゃん(9)の2人が、何とそれぞれ1位と2位に輝いた。普段から絵が大好きで才能もある2人だが、昨年、支援者の方の善意から購入した絵の具セットや、ケナフの観察活動が良い影響を与えたことは間違いない。本当に嬉しい。日曜日にはヒマラヤ小学校でお祝いをする予定。
其の3、開校当時から子ども達の自立に向けて続けているケナフ活動。この度、カトマンズ市、環境省と共同で活動に取り組むこととなった。子ども達の盛り上がりに、行政が立ち上がった形。今後、正式な調印を経て、王宮どおりをはじめとするカトマンズ市内でケナフを植える予定。こちらも楽しみだ。
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2006年03月14日
入学希望
3月14日(火)
今日は春(初夏)を告げるホーリー祭り。気の知れた仲間同士(時には見知らぬ者同士)が水を掛け合ったり、色を塗りあったりして春の訪れを祝うお祭り。今年も祭りへの参加をお断りし、家に篭って帰国中に溜まった雑用を片付けた。外から聞こえてくる笑い声を聞いていると、この国が抱えている現状が嘘のように思えてしまう。
ヒマラヤ小学校では21日から進級試験が始まる。試験の後は新入生の最終選考が行われる予定だが、20人の定員に対し、既に何十人もの入学希望者が集まっている。残念ながらヒマラヤ小学校のような運営の厳しい学校では、とても定員の20人を超える子ども達を入学させる事はできない。子ども達のがっかりした顔を見るのは、毎年、本当に辛い。入学できなかった子ども達は、寺子屋へ入学させるなど一応の対策は立ててあるものの、やはり出来る事ならば学校へ入学させたいという気持ちは強い。(写真は、授業の様子を覗く入学希望者)
この2年間、少しずつだが確実にヒマラヤ小学校への理解は増えていると思う。しかし支援自体が思うほど増えていないため、子ども達の夢を実現できるだけの力を未だ持っていないのが実情だ。支援に頼っている現状では仕方のない事だと思うが、僕自身の努力不足は否めない。入学が叶わず肩を落とす子供たちや、必死で孤軍奮闘しているヤッギャ校長の姿を見るにつけ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自分自身、もっと屈強な人間にならなければと、反省の毎日だ。
今年はぜひ、ヒマラヤ小学校の報告会を開催し、広くヒマラヤ小学校への理解と支援の輪を広げて行きたいと考えている。ぜひ一人でも多くの方に参加していただき、一緒にヒマラヤ小学校を盛り上げて頂きたいと思う。どうか皆さん、ご協力よろしくお願いします。
*この度、子ども達の写真ブログを始めました。ぜひご覧ください。
今日は春(初夏)を告げるホーリー祭り。気の知れた仲間同士(時には見知らぬ者同士)が水を掛け合ったり、色を塗りあったりして春の訪れを祝うお祭り。今年も祭りへの参加をお断りし、家に篭って帰国中に溜まった雑用を片付けた。外から聞こえてくる笑い声を聞いていると、この国が抱えている現状が嘘のように思えてしまう。
ヒマラヤ小学校では21日から進級試験が始まる。試験の後は新入生の最終選考が行われる予定だが、20人の定員に対し、既に何十人もの入学希望者が集まっている。残念ながらヒマラヤ小学校のような運営の厳しい学校では、とても定員の20人を超える子ども達を入学させる事はできない。子ども達のがっかりした顔を見るのは、毎年、本当に辛い。入学できなかった子ども達は、寺子屋へ入学させるなど一応の対策は立ててあるものの、やはり出来る事ならば学校へ入学させたいという気持ちは強い。(写真は、授業の様子を覗く入学希望者)
この2年間、少しずつだが確実にヒマラヤ小学校への理解は増えていると思う。しかし支援自体が思うほど増えていないため、子ども達の夢を実現できるだけの力を未だ持っていないのが実情だ。支援に頼っている現状では仕方のない事だと思うが、僕自身の努力不足は否めない。入学が叶わず肩を落とす子供たちや、必死で孤軍奮闘しているヤッギャ校長の姿を見るにつけ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自分自身、もっと屈強な人間にならなければと、反省の毎日だ。
今年はぜひ、ヒマラヤ小学校の報告会を開催し、広くヒマラヤ小学校への理解と支援の輪を広げて行きたいと考えている。ぜひ一人でも多くの方に参加していただき、一緒にヒマラヤ小学校を盛り上げて頂きたいと思う。どうか皆さん、ご協力よろしくお願いします。
*この度、子ども達の写真ブログを始めました。ぜひご覧ください。
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2006年03月13日
ビナ
3月13日(月)
今日は日本帰国中の出来事についてヤッギャ校長から報告を受けた。僕自身、ヤッギャ校長の誠実な人柄と熱心な活動を心から信頼しているので、帰国中も安心して自分の活動に集中することが出来る。ヤッギャ校長の存在は本当に大きい。しかしネパール、特にブンガマティのような村では、僕達の努力だけではどうする事も出来な事が時々起ってしまう。
今日、ヤッギャ校長から受けた報告の中にとても気になる事があった。2年生のビナ(14才)が1ヶ月近く学校へ来ていないとのことだった。ヤッギャ校長の話では、1ヶ月ほど前にビナの祖母が亡くなり、その葬儀のために欠席して以来、ビナは学校へ来ていないらしい。何でも祖母が亡くなった事で、今まで祖母が行っていた仕事(家事をはじめ家の隣にあり屠殺場での仕事)をビナが遣ることとなり、学校へ来られなくなったという。また一部では14才のビナに結婚の話もあると聞いた。
ビナは成績が優秀で開校以来、ずっと1番の成績を収めている利発な女の子だ。昨年、2階校舎が完成したとき、『来年も学校へ来られる』と、誰よりも喜んだのはビナだった。ビナからは『ヒマラヤ小学校に大学まで作って欲しい』などと要請を受けることもあり、初めての学校生活をとても楽しんでいる様子だった。ビナの事を考えると、いたたまれない気持ちになり早速、ヤッギャ校長と共にビナの家を訪ねることにした。
家に着いて暫くすると、ビナが寂しそうな顔をして出てきた。ビナにいろいろと尋ねてみると、やはり祖母が亡くなったことで仕事をしなければならなくなり、そのため学校へ行けないとの事だった。それも同居する親類から半ば強制的に仕事をさせられている状態である事が分かった。ビナの父親は教育を受けておらず、また人が良いため、よく他人から騙されることが多いそうだ。今回も親類の言いなりになった形でビナを働かせているという。貧しいネパールの社会では家族全員が協力して生活をしなければならない。とても子供たちを学校へ送る余裕などないのが現状だ。ビナの貧しさを見ると、無理やり学校へ来させる事にも少しためららいを覚えてしまう。それでもビナの口から出た『また学校で勉強したい』という言葉を聞いて、何としてもビナを学校へ来られるようにしたいと思った。
途中から父親をはじめ親類を集め、ヤッギャ校長、モンゴル先生の粘り強い説得が行われた。学校としても午前中だけ参加の授業や、寺子屋での補習授業などで最大限の協力をすることを提案した。2時間以上にも及ぶ話し合いの結果、何とかビナの復学が決まった。ビナの顔から一瞬、笑顔が零れたが、やはり現実は厳しいのだろう、直ぐに不安な表情を浮かべていた。
学校が出来たからといって、子供達が学校へ通えるわけではない。そこには親また周囲の教育に対する理解、経済的な問題、その他、さまざまな事が複雑に絡んでいる。それらの問題が解決して、はじめて子ども達は就学の夢を実現できるのだ。厳しいネパールの現状を目の当たりにし、何ともいえない空しさを覚えた。村の人たちの教育への理解を深めるために、一体何をすべきなのだろう。もう一度、原点に立って考え直したい。
今日は日本帰国中の出来事についてヤッギャ校長から報告を受けた。僕自身、ヤッギャ校長の誠実な人柄と熱心な活動を心から信頼しているので、帰国中も安心して自分の活動に集中することが出来る。ヤッギャ校長の存在は本当に大きい。しかしネパール、特にブンガマティのような村では、僕達の努力だけではどうする事も出来な事が時々起ってしまう。
今日、ヤッギャ校長から受けた報告の中にとても気になる事があった。2年生のビナ(14才)が1ヶ月近く学校へ来ていないとのことだった。ヤッギャ校長の話では、1ヶ月ほど前にビナの祖母が亡くなり、その葬儀のために欠席して以来、ビナは学校へ来ていないらしい。何でも祖母が亡くなった事で、今まで祖母が行っていた仕事(家事をはじめ家の隣にあり屠殺場での仕事)をビナが遣ることとなり、学校へ来られなくなったという。また一部では14才のビナに結婚の話もあると聞いた。
ビナは成績が優秀で開校以来、ずっと1番の成績を収めている利発な女の子だ。昨年、2階校舎が完成したとき、『来年も学校へ来られる』と、誰よりも喜んだのはビナだった。ビナからは『ヒマラヤ小学校に大学まで作って欲しい』などと要請を受けることもあり、初めての学校生活をとても楽しんでいる様子だった。ビナの事を考えると、いたたまれない気持ちになり早速、ヤッギャ校長と共にビナの家を訪ねることにした。
家に着いて暫くすると、ビナが寂しそうな顔をして出てきた。ビナにいろいろと尋ねてみると、やはり祖母が亡くなったことで仕事をしなければならなくなり、そのため学校へ行けないとの事だった。それも同居する親類から半ば強制的に仕事をさせられている状態である事が分かった。ビナの父親は教育を受けておらず、また人が良いため、よく他人から騙されることが多いそうだ。今回も親類の言いなりになった形でビナを働かせているという。貧しいネパールの社会では家族全員が協力して生活をしなければならない。とても子供たちを学校へ送る余裕などないのが現状だ。ビナの貧しさを見ると、無理やり学校へ来させる事にも少しためららいを覚えてしまう。それでもビナの口から出た『また学校で勉強したい』という言葉を聞いて、何としてもビナを学校へ来られるようにしたいと思った。
途中から父親をはじめ親類を集め、ヤッギャ校長、モンゴル先生の粘り強い説得が行われた。学校としても午前中だけ参加の授業や、寺子屋での補習授業などで最大限の協力をすることを提案した。2時間以上にも及ぶ話し合いの結果、何とかビナの復学が決まった。ビナの顔から一瞬、笑顔が零れたが、やはり現実は厳しいのだろう、直ぐに不安な表情を浮かべていた。
学校が出来たからといって、子供達が学校へ通えるわけではない。そこには親また周囲の教育に対する理解、経済的な問題、その他、さまざまな事が複雑に絡んでいる。それらの問題が解決して、はじめて子ども達は就学の夢を実現できるのだ。厳しいネパールの現状を目の当たりにし、何ともいえない空しさを覚えた。村の人たちの教育への理解を深めるために、一体何をすべきなのだろう。もう一度、原点に立って考え直したい。
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2006年03月12日
交流活動
3月12日(月)
今日はゲストの方と共にヒマラヤ小学校を訪ねた。一ヵ月半ぶりの子ども達。元気そうな子ども達の顔を見ると、本当に嬉しくなる。ヤッギャ校長の案内でゲストの皆さんが学校を1周された後、歓迎会が始まった。今日の歓迎の挨拶は1年生のジュンケリ(14歳)が行った。ジュンケリはこの2年間で大きく成長した児童の1人だ。下級生への面倒見が良く、勉強もよく頑張っている。今日の歓迎の挨拶では、『短い時間だけど、一緒に楽しい時間を過ごしてください』と、素直な素晴らしい挨拶してくれた。
歓迎会の途中から突然、雨が強くなり、s更に雹も降り始めた。歓迎会は残念ながら中断となったが、雨宿りのために入った教室で急遽、歓迎会の続きが行われた。子ども達の自主的な動きに驚いたが、ゲストの皆さんの来校を楽しみにしていた子ども達だけに、その気持ちは十分理解できた。
ゲストの皆さんにもヒマラヤ小学校の現状を十分ご理解いただき、子供たちとの交流を楽しんでいただいた。子ども達も満足した様子だったが、別れ際には悲しそうな顔をする子も大勢見かけた。ゲストの皆さんとの別れを惜しんだり、再会を楽しみに待つことは、子ども達の成長にとても良いことだと思う。これからも更に交流に力を入れていきたいと思う。
今日はゲストの方と共にヒマラヤ小学校を訪ねた。一ヵ月半ぶりの子ども達。元気そうな子ども達の顔を見ると、本当に嬉しくなる。ヤッギャ校長の案内でゲストの皆さんが学校を1周された後、歓迎会が始まった。今日の歓迎の挨拶は1年生のジュンケリ(14歳)が行った。ジュンケリはこの2年間で大きく成長した児童の1人だ。下級生への面倒見が良く、勉強もよく頑張っている。今日の歓迎の挨拶では、『短い時間だけど、一緒に楽しい時間を過ごしてください』と、素直な素晴らしい挨拶してくれた。
歓迎会の途中から突然、雨が強くなり、s更に雹も降り始めた。歓迎会は残念ながら中断となったが、雨宿りのために入った教室で急遽、歓迎会の続きが行われた。子ども達の自主的な動きに驚いたが、ゲストの皆さんの来校を楽しみにしていた子ども達だけに、その気持ちは十分理解できた。
ゲストの皆さんにもヒマラヤ小学校の現状を十分ご理解いただき、子供たちとの交流を楽しんでいただいた。子ども達も満足した様子だったが、別れ際には悲しそうな顔をする子も大勢見かけた。ゲストの皆さんとの別れを惜しんだり、再会を楽しみに待つことは、子ども達の成長にとても良いことだと思う。これからも更に交流に力を入れていきたいと思う。
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2006年03月11日
カトマンズの匂い
3月11日(土)
午後3時過ぎ、予定時刻を大幅に遅れてカトマンズへ到着した。昨日12時間ほどバンコク国際空港の椅子で過ごした事もあり流石に疲れた。
雨上がりの空港に降りた途端、なんだかとても懐かしい匂いがした。懐かしい匂いを感じながら、約8年前、不安と期待を胸にネパールへ降り立った日の事を鮮明に思い出した。あの時も同じように雨上がりで、ネパール独特の匂いが満ちていた。今よりずっと粗末だった空港、黒煙を上げて走るテンプーなどなど、8年の間には見られなくなった街中の景色も沢山ある。それだけネパールも変化しているのだろう。しかし、それでも変わらないのは、のんびりと慌てないネパールの人々の性格と営みではないだろうか。彼らを見ると不思議と安心してしまうのは何故だろう。
今回は支援者の方、2名も一緒にネパールへ来られた。初めてのネパール旅行をぜひ楽しんでいただきたいと思う。明日はヒマラヤ小学校で歓迎会が予定されている。とても楽しみだ。
無事、ネパールへ到着しました。帰国中は大変お世話になりましたこと、改めてお礼申し上げます。また時間の関係で、お目にかかる事が出来なかった皆様に心からお詫び申し上げます。今後とも宜しくお願いいたします。
午後3時過ぎ、予定時刻を大幅に遅れてカトマンズへ到着した。昨日12時間ほどバンコク国際空港の椅子で過ごした事もあり流石に疲れた。
雨上がりの空港に降りた途端、なんだかとても懐かしい匂いがした。懐かしい匂いを感じながら、約8年前、不安と期待を胸にネパールへ降り立った日の事を鮮明に思い出した。あの時も同じように雨上がりで、ネパール独特の匂いが満ちていた。今よりずっと粗末だった空港、黒煙を上げて走るテンプーなどなど、8年の間には見られなくなった街中の景色も沢山ある。それだけネパールも変化しているのだろう。しかし、それでも変わらないのは、のんびりと慌てないネパールの人々の性格と営みではないだろうか。彼らを見ると不思議と安心してしまうのは何故だろう。
今回は支援者の方、2名も一緒にネパールへ来られた。初めてのネパール旅行をぜひ楽しんでいただきたいと思う。明日はヒマラヤ小学校で歓迎会が予定されている。とても楽しみだ。
無事、ネパールへ到着しました。帰国中は大変お世話になりましたこと、改めてお礼申し上げます。また時間の関係で、お目にかかる事が出来なかった皆様に心からお詫び申し上げます。今後とも宜しくお願いいたします。
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2006年03月10日
出国
3月10日(金)
今日で1ヶ月半の一時帰国の日程が終わった。遣り残した事も沢山あるが、本当に充実した時間を過ごすことが出来た。今回の帰国で何よりも嬉しかった事は、子ども達が育てたケナフで作ったカレンダーを、大勢の人に喜んで頂けたことだ。来年の注文まで頂き、望外の評価を頂いたカレンダー、子供達が褒められたようで本当に嬉かった。ケナフを使った子ども達の自立の道筋が少し見えた事で、僕自身、益々やる気が出てきた。来年の今頃は、これまで以上に大きな成果を出したいと思う。体が傾くほどの手荷物を持って、フラフラになりながら機上の人となった。
1ヵ月半の滞在中、多くの方々にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当に有難う御座いました。
今日で1ヶ月半の一時帰国の日程が終わった。遣り残した事も沢山あるが、本当に充実した時間を過ごすことが出来た。今回の帰国で何よりも嬉しかった事は、子ども達が育てたケナフで作ったカレンダーを、大勢の人に喜んで頂けたことだ。来年の注文まで頂き、望外の評価を頂いたカレンダー、子供達が褒められたようで本当に嬉かった。ケナフを使った子ども達の自立の道筋が少し見えた事で、僕自身、益々やる気が出てきた。来年の今頃は、これまで以上に大きな成果を出したいと思う。体が傾くほどの手荷物を持って、フラフラになりながら機上の人となった。
1ヵ月半の滞在中、多くの方々にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当に有難う御座いました。
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2006年03月09日
新しい支援のあり方
3月9日(木)
今日は午後1時半から品川区で4N(Nippon NGO Network for Nepal) のセミナーに参加した。セミナーでは釜野先生によるケナフの特性や活用法、また日本ケナフ開発機構の取り組みについての説明があった後、僕の方からネパールでのケナフ活動について報告をさせて頂いた。
子ども達の盛り上がりや、活動の成果、そして今後の取り組みなど、夢中になってお話させていただいた。途中『第1回こども環境ケナフ会議』のビデオを上映したこともあり、参加者された方々にはこれまでの活動についてご理解頂けたのではないかと思う。
参加された方からも多くの有意義なご質問を頂戴し、僕自身、大きな学びの収穫となった。普段からネパール支援活動に携わっている方々だけに、とても現実的な話し合いが出来た。質問の中に『このような活動をするにあたり、ネパール政府との交渉は大変ではなかったか?』との質問があった。
もちろん一から始めた活動だったので、当初、ネパール政府からはほとんど相手にされることはなかった。しかし釜野先生の理念に添う形で、従来型のトップダウン的な活動ではなく、子供たちを通して活動を盛り上げる『ボトムアップ』の活動を進めてきたことで、ネパール政府も興味を示すなど、これまでの大きな成果に繋がったのだと思う。
子ども達の盛り上がりを見て、現在では環境省、産業省、森林土壌防災省といった省庁が興味を示し、特にコイララ環境大臣にはサダナへ直接、電話を掛けてくるほど興味を持っていただいている。
ネパールでの支援活動は今、大きな転換期に差し掛かっているような気がする。残念ながら従来型の支援活動では、思ったほどの成果が上がっていないのが実情だと思う。支援する側、受ける側、それぞれに問題があると思うが、現地の人々の理解を深めることなく、支援する側が一方的に活動を進めてしまう事も原因の一つだと思う。支援すればするほど、地元の人々の自立や頑張ろうとする意識が薄れ、『やって呉れるだろう』や『遣ってもらって当たり前』といった意識が芽生えてしまう悪循環があるのだと思う。これからの支援活動は、どれだけ現地の人々の意識を変えられるかが、成果を出す大きなポイントになってくると思う。そういった意味では、ケナフ活動は支援活動のモデルケースとなることも出来るのではないかと思う。また、そうなっていきたいと思う。
支援のモデルケースを作る、という大きな目標を掲げて頑張れば、必ず良い結果が得られることを確信している。がんばりたい。
今日は午後1時半から品川区で4N(Nippon NGO Network for Nepal) のセミナーに参加した。セミナーでは釜野先生によるケナフの特性や活用法、また日本ケナフ開発機構の取り組みについての説明があった後、僕の方からネパールでのケナフ活動について報告をさせて頂いた。
子ども達の盛り上がりや、活動の成果、そして今後の取り組みなど、夢中になってお話させていただいた。途中『第1回こども環境ケナフ会議』のビデオを上映したこともあり、参加者された方々にはこれまでの活動についてご理解頂けたのではないかと思う。
参加された方からも多くの有意義なご質問を頂戴し、僕自身、大きな学びの収穫となった。普段からネパール支援活動に携わっている方々だけに、とても現実的な話し合いが出来た。質問の中に『このような活動をするにあたり、ネパール政府との交渉は大変ではなかったか?』との質問があった。
もちろん一から始めた活動だったので、当初、ネパール政府からはほとんど相手にされることはなかった。しかし釜野先生の理念に添う形で、従来型のトップダウン的な活動ではなく、子供たちを通して活動を盛り上げる『ボトムアップ』の活動を進めてきたことで、ネパール政府も興味を示すなど、これまでの大きな成果に繋がったのだと思う。
子ども達の盛り上がりを見て、現在では環境省、産業省、森林土壌防災省といった省庁が興味を示し、特にコイララ環境大臣にはサダナへ直接、電話を掛けてくるほど興味を持っていただいている。
ネパールでの支援活動は今、大きな転換期に差し掛かっているような気がする。残念ながら従来型の支援活動では、思ったほどの成果が上がっていないのが実情だと思う。支援する側、受ける側、それぞれに問題があると思うが、現地の人々の理解を深めることなく、支援する側が一方的に活動を進めてしまう事も原因の一つだと思う。支援すればするほど、地元の人々の自立や頑張ろうとする意識が薄れ、『やって呉れるだろう』や『遣ってもらって当たり前』といった意識が芽生えてしまう悪循環があるのだと思う。これからの支援活動は、どれだけ現地の人々の意識を変えられるかが、成果を出す大きなポイントになってくると思う。そういった意味では、ケナフ活動は支援活動のモデルケースとなることも出来るのではないかと思う。また、そうなっていきたいと思う。
支援のモデルケースを作る、という大きな目標を掲げて頑張れば、必ず良い結果が得られることを確信している。がんばりたい。
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2006年02月28日
助成金申請
2月28日(火)
今日はネパールでの『ケナフを使った自立支援活動』の助成金申請を某基金へ行った。今日28日が〆切だったので、2日間、徹夜をして申請書を書き上げた。流石に疲れたが、何とか納得のいく内容になったと思う。
ネパールでのケナフ活動は、日本ケナフ開発機構の釜野先生はじめ、ここでは書ききれないほど大勢の人の暖かいご協力を頂き、一歩ずつではあるが着実に『目標』に向かい進んでいる。昨年は第1回こども環境ケナフ会議を開催し、今、ネパールでのケナフ活動は子供たちを中心に大きな盛り上がりを見せている。ケナフ活動を地域に根ずかせるためには、今が一番大事な時期だと思う。子ども達の期待に応えるためにも、活動の幅を大きく広げていきたいと思う。
活動の発展には資金も重要だ。昨年は資金の不足により、残念ながら『参加したい』という子ども達を断る結果となってしまった。また活動を進める中で出てきた様々なアイデアも、資金不足で実行出来なかったことは心残りだ。活動の広がりには、どうしても資金の確保が不可欠であることを実感した。
そういう事で今回は助成金を申請し、より良い活動を目指すこととなった。
もちろん簡単に通るわけではないが、自分達の理念や信念そして目指す目標を知っていただくことは、とても大事な事だと思う。仮に通らなかった場合でも、大きな学びの機会になると思う。
『もっとケナフを知りたい』と瞳を輝かせる子ども達。そんな子ども達の純粋な思いが届くことを願っている。
今日はネパールでの『ケナフを使った自立支援活動』の助成金申請を某基金へ行った。今日28日が〆切だったので、2日間、徹夜をして申請書を書き上げた。流石に疲れたが、何とか納得のいく内容になったと思う。
ネパールでのケナフ活動は、日本ケナフ開発機構の釜野先生はじめ、ここでは書ききれないほど大勢の人の暖かいご協力を頂き、一歩ずつではあるが着実に『目標』に向かい進んでいる。昨年は第1回こども環境ケナフ会議を開催し、今、ネパールでのケナフ活動は子供たちを中心に大きな盛り上がりを見せている。ケナフ活動を地域に根ずかせるためには、今が一番大事な時期だと思う。子ども達の期待に応えるためにも、活動の幅を大きく広げていきたいと思う。
活動の発展には資金も重要だ。昨年は資金の不足により、残念ながら『参加したい』という子ども達を断る結果となってしまった。また活動を進める中で出てきた様々なアイデアも、資金不足で実行出来なかったことは心残りだ。活動の広がりには、どうしても資金の確保が不可欠であることを実感した。
そういう事で今回は助成金を申請し、より良い活動を目指すこととなった。
もちろん簡単に通るわけではないが、自分達の理念や信念そして目指す目標を知っていただくことは、とても大事な事だと思う。仮に通らなかった場合でも、大きな学びの機会になると思う。
『もっとケナフを知りたい』と瞳を輝かせる子ども達。そんな子ども達の純粋な思いが届くことを願っている。
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2006年02月24日
激励の言葉
2月24日(金)
火曜日にケナフの研修が無事終わり、慌しく支援者の方を回って報告活動を行なっている。子供たちが元気に一生懸命がんばっている様子を一人でも多くの支援者の方に直接お目にかかり報告したいが、限られた時間の中ではなかなか難しい現状がある。それでも、帰国のたびの少しずつ良い成果を報告できるのはとても嬉しい事だ。
ヒマラヤ青少年育英会の支援者の方はもちろんだが、僕は鍼灸の活動と自分自身の生活を数名の個人支援者の方と法人から支援を受けているので、そちらの支援者の皆さんへの報告もしっかり行わなければならない。長い方では、もう6年以上も暖かいご支援を頂いている。ネパールで集中して活動できるのも、こうして生活面を支えて下さる方がいらっしゃるからだ。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
良くネパールでの活動に参加したいと、志を持った若い人達から連絡を受けるが、残念ながら資金の問題で断念しなければならないケースが多い。もし資金的な問題がなければ、より多くの若者が参加して、もっともっと良い活動が出来るのではないかと思うと、頭の痛い問題だ。僕のように支援を頂きながら活動出来るのは本当に幸運だと思う。参加できなかった人達の分も一生懸命頑張らなければいけない。
今日は個人支援者の方を訪ね、活動の報告を行った。特にケナフの活動では大きな一歩を踏み出し、少し将来的な方向性が見えてきたことを報告した。先月行われた『第1回こども環境ケナフ会議』の報告会では、子供たちが育てたケナフで作ったカレンダー65枚をチャリティー販売させて頂き、望外の評判をいただいた。僕も個人的に10枚ほど購入し、支援者の皆さんへ配らせていただいたが、皆さんに喜んでいただいた。
今までなかなかケナフ活動の方向性や意義を巧く説明出来ていなかったと思う。『子供たちの将来の自立のため』とは言っても、一体どのような形で自立支援に結び付けていくのか、僕自身も模索していた事が上手く説明出来なかった理由の一つだと思う。今回、ようやくケナフがカレンダーとして形なり、大勢の人に購入していただいた。もちろん、チャリティー販売に頼ってばかりではいけないが、子供たちが育てたケナフで物を作り、それを販売して得たお金で一冊でも教科書を買うことが出来れば、ネパールの人々の自立意識は必ず高まると思う。まだまだ出発したばかりだが、一歩ずつ着実に歩んで行きたい。
今日訪ねた年配の支援者の方からは、『健康に気をつけ、患者さんと子供たちのために一生懸命頑張りなさい。』と、暖かい激励の言葉を頂いた。僕個人の活動のために貴重な浄財を頂く以上、僕に出来る最大限の努力で頑張りたい。支援者の方から頂いた激励が、僕の心を奮い立たせた。
火曜日にケナフの研修が無事終わり、慌しく支援者の方を回って報告活動を行なっている。子供たちが元気に一生懸命がんばっている様子を一人でも多くの支援者の方に直接お目にかかり報告したいが、限られた時間の中ではなかなか難しい現状がある。それでも、帰国のたびの少しずつ良い成果を報告できるのはとても嬉しい事だ。
ヒマラヤ青少年育英会の支援者の方はもちろんだが、僕は鍼灸の活動と自分自身の生活を数名の個人支援者の方と法人から支援を受けているので、そちらの支援者の皆さんへの報告もしっかり行わなければならない。長い方では、もう6年以上も暖かいご支援を頂いている。ネパールで集中して活動できるのも、こうして生活面を支えて下さる方がいらっしゃるからだ。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
良くネパールでの活動に参加したいと、志を持った若い人達から連絡を受けるが、残念ながら資金の問題で断念しなければならないケースが多い。もし資金的な問題がなければ、より多くの若者が参加して、もっともっと良い活動が出来るのではないかと思うと、頭の痛い問題だ。僕のように支援を頂きながら活動出来るのは本当に幸運だと思う。参加できなかった人達の分も一生懸命頑張らなければいけない。
今日は個人支援者の方を訪ね、活動の報告を行った。特にケナフの活動では大きな一歩を踏み出し、少し将来的な方向性が見えてきたことを報告した。先月行われた『第1回こども環境ケナフ会議』の報告会では、子供たちが育てたケナフで作ったカレンダー65枚をチャリティー販売させて頂き、望外の評判をいただいた。僕も個人的に10枚ほど購入し、支援者の皆さんへ配らせていただいたが、皆さんに喜んでいただいた。
今までなかなかケナフ活動の方向性や意義を巧く説明出来ていなかったと思う。『子供たちの将来の自立のため』とは言っても、一体どのような形で自立支援に結び付けていくのか、僕自身も模索していた事が上手く説明出来なかった理由の一つだと思う。今回、ようやくケナフがカレンダーとして形なり、大勢の人に購入していただいた。もちろん、チャリティー販売に頼ってばかりではいけないが、子供たちが育てたケナフで物を作り、それを販売して得たお金で一冊でも教科書を買うことが出来れば、ネパールの人々の自立意識は必ず高まると思う。まだまだ出発したばかりだが、一歩ずつ着実に歩んで行きたい。
今日訪ねた年配の支援者の方からは、『健康に気をつけ、患者さんと子供たちのために一生懸命頑張りなさい。』と、暖かい激励の言葉を頂いた。僕個人の活動のために貴重な浄財を頂く以上、僕に出来る最大限の努力で頑張りたい。支援者の方から頂いた激励が、僕の心を奮い立たせた。
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2006年02月21日
幼稚園での紙漉き教室
2月21日(火)
今日は秦野市立東幼稚園で紙漉き教室を開催した。子ども達にとって生まれて初めての紙漉き体験。どの子ども達も嬉しそうな表情を浮かべながら、一生懸命紙漉きに挑戦していた。
こうした体験学習は、子どもに未知の世界を教えてくれる。初めの内はおそるおそるパルプの入ったバケツに手を入れた子どもが、暫くすると『気持ちいい〜』と、嬉しそうな表情でパルプをかき混ぜていた。自分の目で見て、触って学ぶ体験学習。こうした体験が子ども達の情操を大いに養うのではないだろうか。
『僕の紙が出来た〜!!』と嬉しそうに紙を見せてくれる子ども達お見ていると、ネパールも日本も、子ども達はみんな同じなんだなぁと感じた。
今日は秦野市立東幼稚園で紙漉き教室を開催した。子ども達にとって生まれて初めての紙漉き体験。どの子ども達も嬉しそうな表情を浮かべながら、一生懸命紙漉きに挑戦していた。
こうした体験学習は、子どもに未知の世界を教えてくれる。初めの内はおそるおそるパルプの入ったバケツに手を入れた子どもが、暫くすると『気持ちいい〜』と、嬉しそうな表情でパルプをかき混ぜていた。自分の目で見て、触って学ぶ体験学習。こうした体験が子ども達の情操を大いに養うのではないだろうか。
『僕の紙が出来た〜!!』と嬉しそうに紙を見せてくれる子ども達お見ていると、ネパールも日本も、子ども達はみんな同じなんだなぁと感じた。
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