重要なお知らせ

吉岡大祐のヒマラヤ活動日記 へご訪問いただきありがとうございます。 奨学生ならびに学校宛の手紙は普通郵便に限ります。受け取り手続きが必要なEMS(国際スピード郵便)や国際書留郵便、その他、DHL,OCS,FEDEXなど国際宅急便の利用はお断りしております。また物資による支援は自立を目指す学校の教育方針および関税等の問題から全てお断りしてます。どうかあしからずご了承ください。 今後ともよろしくお願いいたします。

当ブログはしばらくの間、不定期となります。 この間、メイルへの返信等、大幅に遅れる場合があります。ご了承下さい。お問い合わせ先:info@ikueikai.org

2008年07月20日

学校の傍に土地を購入

20日(日)

帰国中、ヒマラヤ小学校隣接地に土地を購入する話が纏まった。全く予想もしていなかった展開だったので、正直、今でも驚きを隠す事が出来ないでいる。

学校ヒマラヤ小学校では開校と同時に天然資源ケナフを使った自立訓練プロジェクトを続けている。活動から4年が過ぎ、いよいよ技術センターの建設を目指す段階に来ているため、昨年末から技術センターの建設用地をヒマラヤ小学校周辺で探していたのだが、折からのインフレの影響で土地価格が高騰し、なかなか用地買収の話を纏める事が出来なかった。

今回もケナフ技術センター建設用地として持ち上がってきた土地買収の話だったが、予定しているよりも土地が広い事もあって予算が合わず、せめて地権者の方から切り売りをして貰えるなら予算内で最低限必要な土地を購入したかったのだが、地権者の方からは一括購入以外は話し合いに応じないと、頑なに口をつぐまれてしまった。

ケナフ技術センターの用地購入にあたっては、当初、ヤッギャ校長が理事を務める地元のアムラプール農協との共同購入を前提に話し合って来たので、今回の土地についても一応、農協に打診をしたのだが、結局、農協側も予算があわず話は纏まらなかった。

ケナフ活動の予算で購入できる分を差し引いた残りの土地をなんとかして購入する以外に残された道はなく、半ば諦めていた話だった。

そんな時、あるヒマラヤ小学校支援者の方から学校用の土地購入のお申し出を頂き、あれよあれよという間に話が纏まる事になった。結果として学校の土地を購入し、更にケナフ技術センターの建設用地も予算内で購入できる事になり、万事うまくいく結果となった。

今日は朝から土地の地権者とヒマラヤ小学校として購入する土地に関する売買契約を結び、そのまま土地登記の手続きを行った。大きな金額だったので最後の最後まで緊張したが、無事、すべての作業を終える事が出来、ようやく人心地がついた。

新しく購入した土地の使途については今後、支援者の方と話し合い纏める予定だが、現時点では果樹園を予定している。果樹園には付加価値の高い果物を栽培して、子ども達の将来の自立に繋げるつもりだ。果樹園で作られた美味しい果物を口にして、“自分も将来、美味しい果物を作りたい”と思う子が出てくれたら良いなぁと夢を描いている。

それにしても、こうしてヒマラヤ小学校の環境が整備されることは、本当にありがたいことだ。これからも支援者の皆さんの気持ちにしっかり応えていきたいと思う。


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2008年07月19日

山の上の村

19日(土)

村今日は久しぶりに山の上の村々に往診に出かけた。現在、ネパールは雨季の真っ只中。雨季の山道でお馴染みの厄介者は、何処からとなく現れる“蛭”だ。今日も気付かないうちに何箇所も蛭に噛まれていたようで、靴を脱ぐと血を吸ってブクブク太った蛭が何匹か残っていた。

蛭に噛まれても痛みもなく、無理やり引っ張らなければ痒みを起こすこともない。(無理やり引っ張ると、蛭の顎が残り痒みを引き起こすそうです。)余分な血を抜いて貰ったと思えばなんともないのだが・・・・・なんと言って見た目が気持ち悪いので、嫌悪されている。僕も以前までは雨季の間、様々な“蛭対策”を施して来たが、どれも決定的な効果はなく、現在では開き直って“吸いたければ吸え”と思って、雨季の山道を歩いている。それでも5分に1回程度、必ず足元を見てしまうのは、やはり蛭に生き血を吸われる事への消えない恐怖心だろう。

今日の山の上の村での治療は、久しぶりの往診とあって村の人達にも喜んで貰えた。2ヶ月あまり会わないだけで、もう何年間も会っていなかったように感じるのは、それだけ僕の生活にとって、村の人達との関わりが大きいからなのかもしれない。思えばこの村を訪ねるようなってから、既に7年近くが経っている。

ネパールで暮らし始めて10年。本当に人に恵まれたなぁとつくづく思う。


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2008年07月18日

夢を実現させる素晴らしさ!!

18日(金)

「一人前の宇宙飛行士になるようにがんばりたい」
6月1日に打ち上げられたスペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗し、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」に船内実験室を取り付けるという大役を果たした宇宙飛行士、星出彰彦さんが小学4年生のときに書いた作文の一部だ。

帰国中、星出さんのニュースが強く印象に残ったのは、宇宙や開発中の宇宙ステーションに格別、興味や関心があるからではなく、星出さんのこれまでの経緯に大きな共感を覚えたからだ。

星出さんは4,5歳の頃にケネディ宇宙センターを訪れて以来、宇宙飛行士になるという大きな夢を募らせたという。大学卒業後はNASDA(宇宙航空研究開発機構)に勤め、宇宙飛行士への道を歩み始めるが、NASDAに務めてから2度も宇宙飛行士への挑戦に失敗したという。失敗の度に恩師や友人から「現実を見つめろ」「宇宙飛行士になるなんて宝くじを当てるより難しい」と言われたそうだが、それでも夢を諦める事なく努力を続けた結果、3度目の挑戦で見事、憧れの宇宙飛行士の座を射止めた。

少年の頃から描き続けていた夢をかなえ、歴史的な大役を果たした星出さんの今の心境は一体、どんなものだろう。星出さんの栄光の陰には、血の滲むような努力の積み重ねがあった事は容易に想像できる。でも夢があったから途中で挫けること無く、努力を続けられたのではないだろうか。

ぜひヒマラヤ小学校の子ども達にも星出さんの話を紹介したいと思う。描いた夢が未来の大きな力になる事を子ども達には知ってほしい。



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2008年07月17日

誉める!!

17日(木)

モノージヒマラヤ小学校では何かに興味を示した子ども達を、学校として積極的に「褒める」ことを心がけている。子どもというのは不思議で、「褒める」と本当に一生懸命になり、どんどん成長していくようだ。勉強や歌、踊り、サッカー、縄跳び、その他にも逆立ちや側転など変わったものも含め、「褒める」ことで大きく成長した子ども達も多い。

僕自身も学校にいる時は、子ども達の特技や興味を見つける事を心掛けているが、これはなかなか楽しいことでもある。先日、幼稚園年長クラスのモノージが教室の外で、自慢げに股割をしている姿を偶然、見かけたので、早速、「凄い!!」と褒めてみると、嬉しそうに何度も股割をして見せてくれた。

モノージナマステその後、学校でカメラを向ける度にモノ―ジは股割を見せてくれるようになったが、先日はモノージが近づいてきて、「股割をした状態で“ナマステ”が出来るようになった」と自慢げに言ってきた。1週間あまりモノージなりに精いっぱい努力したのだろう。それはそれは見事な股割だった。



モノージ教室モノージの股割はクラス内でも広く感染していて、友達も一緒になって股割を楽しんでいるようだ。子ども達には何でもいいから特技や興味のあることを、学校生活の中で一つでも見つけてくれたらと思っている。

モノージが制服を貰うのは来年の予定。来年の春までズボンが破れない事を願いつつ、今日もモノ―ジの股割を応援している。がんばれモノージ!!

モノージ4





モノージブランコ






モノージ5

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2008年07月15日

赤い帽子

15日(火)

スモンスモンはヒマラヤ小学校の5年生。ガキ大将のクマールと仲良く連んでいる一人だ。悪ふざけが過ぎて先生から叱られる事もあるが、根はとても優しくて素直。小柄ですばしっこく、学校で手伝いが必要な時など、こちらが呼んでもいないのに教室から飛び出して手伝ってくれる、「頼りになる奴」でもある。

今日は例の如く、クマールたちと何か企てていたようだが、あえ無く作戦は中止。中止を知らされていなかったスモンだけが、知らずに作戦を実行してしまったようだ。約束の時間になっても現れない仲間に業を煮やしていたところ、クマール達が学校に行った事を知ったらしい。

「学校に行きたいけど、今更いけない」。そんな心の葛藤があったかどうかは分からないが、スモンが学校の傍で隠れているという報告を受け、屋上からこっそり見てみると、スモンが学校近くの木の傍で、見えるように隠れていた。赤い帽子まで被っているところがスモンらしくて、僕はとても嬉しくなった。

スモンの傍に行き、「大丈夫、大丈夫」と宥めながら学校の中へ連れて行った。先生達に冷やかされ顔を赤らめたスモンが5年生の教室に入った時、クマール達の如何にもばつが悪そうな顔が面白かった。今回の失敗に懲りるのか、それとも挑戦は続くのか・・・・・。今後も目が離せない可愛いズッコケ連中だ。



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2008年07月14日

統一試験に向けた一歩

7月14日(月)

アムリット昨年からヒマラヤ小学校はラリットプール郡内にある小規模私立学校と共に、「ネパール私立学校教育向上協会」(通称:UPSBEN/アプスベンという教育ネットワークを立ち上げ、コンテストや教育研修など様々な交流活動を通して教育の向上に取り組んでいる。アプスベンの設立から丁度1年あまりが過ぎ、これまで予想以上に良い効果を上げる事が出来たのは、加盟する学校の校長達が知恵を絞り、勇気を持って必死になって行動を起こしたからに他ならない。

アプスベンではコンテストや教育研修以外にも、設立当初から試験問題の統一や加盟校統一試験の実施などを検討してきた。今回、その第一段階として今月末に予定されている期末試験から、ヒマラヤ小学校を含む15のアプスベン加盟校が参加して、「私立・寄宿舎学校協会(PUBSON)」が作成した同じ試験問題を利用することになった。

統一試験制度の導入については現場の先生達から未だ反対意見や戸惑いの声が多いため、今回は同じ試験問題を利用するだけに止め、試験会場や採点作業もこれまで通り各学校が独自に行う事になった。少し物足りなさも感じるが、統一試験制度導入に向けた第一歩として評価したい。急激な変化で現場に混乱を招くより、先生達の意見を取り入れながら段階的に変えて行く方が、結果的にはしっかりした制度を構築できると思う。

統一試験制度の導入に関しては、実はヒマラヤ小学校の先生たちからも戸惑いの声が多かった。将来、本格的に統一試験制度を導入し、試験会場や採点作業を他校または第三者機関で行う事になれば、他の教育重視の私立学校との学力の差があからさまになり、子ども達が自信を失くすのではという意見や試験編重になるのでは、というのが多くの先生たちの意見だった。

まだ開校から4年余りしか経っていないため、子ども達の学力がしっかり身についていないのは事実で、先生たちが子ども達の学力に対して不安を持つことも無理はないだろうし、子ども達の成績を元に指導能力が評価されるのではと、若い先生達が試験の結果を心配する気持ちも良く分かる。

もし今、統一試験を受ければ、ヒマラヤ小学校の子ども達の成績はどん尻かもしれない。でも、どん尻を恥じる理由なんて何もないし、むしろどん尻からスタートする事で、大きな目標や目的を見出す事が出来るのではないだろうか。もちろん試験の結果を元に先生達の指導能力を問うつもりも全くない。

大事な事は、結果を元に先生達そして学校が現状の問題点をどれだけ共有し、改善に向けてどのような行動を起こすかだと思う。その辺りをしっかり先生達に伝えていけば、きっと理解は得られると思っている。

多少の問題はあるにしても、統一試験制度の導入はヒマラヤ小学校やアプスベン全体にとって必ず良い結果を齎すと僕は大きな期待を寄せている。先生達には統一試験制度導入をひとつのチャンスと捉え、勇気をもって頑張ってほしい。



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2008年07月13日

制服について

13日(日) 

児童今日、子ども達に制服を支給した。4月に計測を行なって以来、子ども達は今日の日が来るのを心待ちにしていたようだ新入生にとっては初めての、在校生にとっては2年ぶりの制服という事で、子ども達の喜びはとても筆舌には尽くせないものだった。制服を貰う時の喜びは、恐らく教科書を貰う時と同じくらいの嬉しさではないかと思う。そばに寄って来て、真新しい制服を自慢げに見せびらかす子ども達の姿を見ていると、こちらも嬉しくなってくる。

制服支援については今でも“必要ないのでは”という意見を頂く事がある。制服には一人当たり約1500円の費用が掛かり、これは1年生一人当たりの教科書代とほぼ同じ金額なので、正直、学校としての出費も大きい。しかし制服は金額以上に子ども達の安全や勉強に対する意識を高める上で大きな役割があるので、開校以来、継続的に制服支給を行っている。

今でも人身売買や人攫いとった類の事件が多いネパールでは、登下校時の子ども達の安全を確保しなければならない。ヒマラヤ小学校には2時間以上かけて山の上の村から通学して来る子ども達が大勢いるが、登下校の道中、もし仮に何か起こったとしても制服を着ていれば「ヒマラヤ小学校の子どもが・・・・・」というように、必ず人伝いに情報が入ってくる。小さな村ならではの“誰かが見てくれている”という安心感は、どんな安全対策よりも心強い。

さらに制服は未就学の子ども達にとっては憧れであり、学校に入学した子ども達に初めて“学校で勉強している”という意識を持つ大切な道具でもある。

その他にも制服の持つ役割はいろいろあると思う。これからも時間をかけて、制服支給についての理解を深めて行きたい。



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2008年07月12日

モンゴル先生「日本学発表会」3位入賞

7月12日(土)

昨日から腰の状態が悪化してしまい休んでいる。疲労性、肥満性に加え、今回はいつも以上に無理をして溜まっている支援物資を手荷物で運ぼうとしたことや、帰国中、体を冷やしすぎたのも腰痛再発の一因だったように思う。とにかく自己管理が出来なかった事を猛省したい。

モンゴル組そういうわけで昨日の午後から大人しく休んでいたのだが、今日はモンゴル先生はじめ大学で日本語を学んでいる学生による日本学発表会の日。昨日、一応、モンゴル先生には体調が優れないので、発表会には参加できない旨を連絡していたのだが、朝から30分おきに掛ってくる電話にモンゴル先生の並々ならぬ熱意を感じ、歯を食いしばりながら会場の日本大使館へと向かい、モンゴル先生の晴れ舞台を見てきた。

日本学発表会は今回が3回目の開催。国立トリブバン大学の語学キャンパス日本語学科で勉強している学生が「日本」をテーマに歴史や文化・習慣などについて勉強した事を発表するもの。モンゴル先生は友人と2人で「俳句」について発表した。松尾芭蕉や小林一茶の名句を紹介しながら、俳句の素晴らしさや面白さを説明。途中、モンゴル先生自作の句「月の夜や 蛍と遊ぶ 子ども達」を披露すると、会場から拍手が沸き起こった。

腰の状態が悪かったので発表会の途中で退席したが、後でモンゴル先生から電話があり、モンゴル組が見事、3位に選ばれた事を知った時は、思わず腰痛の事を忘れて飛び上がってしまった。子ども達の活躍に刺激を受けたように、先生達も活躍している。5年目の今年、本当に良い形で学校が回り始めている事を強く実感している。近いうちに、ささやかなモンゴル先生3位入賞祝賀会を開催したいと思う。今日は無理をしてでも参加して良かった。


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2008年07月10日

精神的な自立

7月10日(木)

3人帰国中は“子ども達の自立“を一番のテーマにして活動を行った。スポンサーシップや各地で開催して頂いている募金活動のお蔭で、ヒマラヤ小学校の運営は少しずつ(数年前に比べたら大分)軌道に乗り始めているのだが、いまだに支援者の善意の支援に頼って運営している現状に変わりはない。

援助はいつか終わるだろうし、終わらせなければならない。いつまでも援助に頼るのではなく、自分たちで少しずつでも運営する力をつけていかなくては、本当の意味で子ども達が安心して学べる学校とは言えないと思う。

昨年から子ども達が作った様々な作品をチャリティ販売させていただき、少しずつ自主運営の訓練をしているところだが、将来、貧困や途上国といったブランドから脱却し、本当に良いもの、喜ばれるものを作っていけたら、どんなに素晴らしいだろうか。

「自立」というと、ネパールの支援活動に関わっている人の中には「自立なんて無理だ、不可能だ」と考えている人も多い。確かにさまざまな問題を目の当たりにすれば、悲観的になるのも無理はない事だと思う。

ヒマラヤ小学校で来年から始まる卒業生を対象にした自立支援活動(職業訓練)だって、成功する保証は全くない。今、現在の僕たちの考えだけでは成功の見込みはゼロにちかいだろう。でも成功しない保証だってないのなら、失敗を恐れずに挑戦したいと思っている。本気で挑戦すれば必ず一歩ずつでも成功に近づく事も出来るだろうし、続けていれば必ずチャンスだって巡ってくるのではないだろうか。

5年もちろん挑戦の途中には様々な困難に突き当たる事だってあるだろう。そんな時、決して知識や技術だけでは乗り越える事は出来ない。知識や技術よりも“何事にも挫けない強い精神”=自立の精神をしっかり身につける事が欠かせないのではないだろうか。もしかすると、“精神的な自立”こそ、本当の意味での“自立”なのかもしれない。その自立をささえるのは、きっと夢なんだと思う。





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2008年07月09日

子ども達との再会

7月9日(水)

児童今日は学校を訪ね、2か月ぶりに子ども達と再会した。2か月の間にすっかり逞しく成長した子ども達の姿を見て、何とも言えない大きな喜びが込み上げてきた。5年生が最上級生らしく落ち着いて来た事はもちろんだが、これまで騒がしいだけだった2年生や3年生のクラスにも纏まりが出ていた。ヒマラヤ小学校がいつの間にか、こんなにも“学校らしく”なっていた事に気付いのは、おそらく2か月という長期に渡って学校を離れていたからだろう。とっても新鮮な気持ちで学校を見ることが出来、得した気分だ。

これから日本から持ち帰った宿題やネパールで溜まった雑務を一つずつ片付けなくては・・・暫くは慌しい毎日が続きそうだが、精いっぱい頑張りたい。


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2008年07月08日

2ヶ月あまりの帰国を終えて

7月8日(火)

人形2か月余りの日本帰国を終えて、ネパールに戻ってきた。これほど長期の日本滞在は、2001年に病気で長期入院して以来、初めての事だったので少し不安もあったが、帰国中はヤッギャ校長が中心となり先生たちが一丸なって運営を行ってくれたお陰で、安心して国内での活動に専念することが出来た。各種の支援活動も滞りなく実施でき、いろんな意味で自信に繋がった。結果的に長期間、学校を離れた事は、お互いにとって良い訓練の機会になったように思う。

これから卒業生の経済的、精神的な自立を達成するためには、より多くの人にヒマラヤ小学校の事や僕たちが描いている学校の青写真について知って頂く事がとても重要だ。そのためには、これまで以上に頻繁な帰国や長期滞在の必要性も出てくるだろう。今後も先生達としっかり役割を分担して、一丸となって大きな目標に向かって進んでいきたいと思う。

さて帰国中は大勢の方に支えられ、感謝、感激の毎日となった。ロータリークラブや経営者団体等でお話させて頂いたことは、とても新鮮で大きな学びの収穫を得る事が出来た。また、2回の報告会やシンポジウムの開催、イベント参加を通して、ネパールやヒマラヤ小学校について思う存分、支援者の皆さんと意見を交わせた事は、僕にとって貴重な時間となった。

深川市山下市長その他、2年ぶりに北海道の深川市を訪ね、山下市長はじめ深川市民の皆さんにご挨拶かたがたヒマラヤ小学校の現状について報告することも出来た。突然の訪問にも関わらず深川市の皆さんに温かい歓迎のもてなしを受け、感謝の気持ちでいっぱいだ。深川の町並みを何時も優しく見守っている音江山のように、人々の心もとても温かい。深川は本当に素敵な町だと思う。

今回の帰国中は、様々な分野で活躍する75〜76年生まれの僕と同年齢の人達と知り合う機会も多く、僕にとって本当に良い刺激となった。同年齢の人達の活躍は本当に勇気づけられる。

帰国中、ラクシミの歌が世田谷FMやNHKFMで放送されるという幸運に恵まれたが、ラジオから流れるラクシミの可憐な歌声を聴いた時には、ラクシミの土俵入りを見ているようで本当に嬉しかった。母親の面影を忍びながら、前向きに生きようと頑張っているラクシミの姿が、大勢の人から大きな支持を受けた事が、帰国中、何よりも嬉しい事だった。

めぐりいのちのごはん2か月余り体調を崩すこと無く精いっぱい頑張れたのは支援者の皆さんの温かい励まし、そして毎日、「命の食事」を作ってくださった美味一服めぐりの皆さんのおかげだ。この場をお借りして、お礼を申し上げたい。ありがとうございました。

帰国中、心ならずもブログを更新する事が出来ませんでした。お詫び申し上げます。

HP「ヒマラヤ小学校通信」を更新しました。ぜひお目通しください。





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2008年05月13日

異業種交流

5月13日

児童今日はSAM(フレデリック・W・テイラーが設立した団体。)の例会でヒマラヤ小学校についてお話をさせて頂いた。SAMは会社などの経営に関わる人たちの集まりなので、教育や福祉とは一見、関係がないようにも思われるかもしれないが、ヒマラヤ小学校は開校から4年が過ぎ、いよいよ来年には卒業生を送り出して卒業生の経済的な自立に向けた活動を始める時期に差し当たっているので、これからは教育関係者だけでなく様々な分野で活躍している人達の意見や提案を積極的に取り入れる事が大事だと考えている。

今日は僕の空下手な話をご列席の皆さんに真剣にお聞きいただいた上に、貴重なご意見やご提案を頂き、僕にとって大きな学びの収穫となった。子ども達の未来の可能性を広げるためには、常識に捉われる事無く常に広い視野から物事を判断することが不可欠だ。今後も一人でも多く異業種の人達にヒマラヤ小学校について知って頂き、学校に新しい風を取り入れていきたいと思う。

今回の講演にあたり、きもの鈴乃屋・小泉清子会長、保険ストアシュアティ社長、萩野昭子様、聖徳大学教授・川島光子先生のご推薦を頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。


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2008年05月12日

悲しみを乗り越えて2008

5月12日

ラクシミラクシミのCDに付ける歌詞カードと新しい詩集「ねがい」の作成にあたり、「悲しみを乗り越えて2008」と題して、ラクシミについて纏める事になった。昨年、「美味一服めぐり」で開催した絵画展でチャリティ販売していただいた詩集「希望の光を求めて」の中でも、「悲しみを乗り越えて」と題してラクシミの事を書いたが、実はあの時点ではラクシミに降りかかった様々な困難について全てを書く事が出来なかった。当時、歌唱コンテストで優勝するなど少しずつに立ち直っていたとはいえ、13歳の少女に降りかかった問題の大きさに僕自身未だ動揺していたのかもしれない。

最愛の母を失った上に、否応なしにも父親の悪口を耳にしなければならない苦しみ。村人や親類から容赦なく向けられた蔑みの眼差しは、ラクシミ姉弟を出口のない暗闇へと追い込んでいった。悲しみを必死に耐えようとするラクシミの幼気な姿を見る度に、村社会の厳しさと恐ろしさを痛感する毎日だった。村社会というのは実はおぞましく理不尽な事が多く、心身ともにいやらしい程、強靭でなければ生きていけない社会なのかもしれない。

今回ラクシミCD">「悲しみを乗り越えて2008」として題して、前回の内容に大幅に加筆、修正を行う形で纏めてみた。文章の中で事件についても触れる事が出来たのは、ラクシミの前向きな変化をしっかり確認できたからだ。ラクシミは今、母の面影を忍びながら、逞しく生きている。拙稿ではあるが、ぜひ一人でも多くの方に読んで頂けたらと思う。


ラクシミのCDと詩集はは美味一服めぐりにてチャリティ販売中(1,000円)です。 御協力をよろしくお願いいたします。







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2008年05月07日

CD完成

5月7日(水)

ラクシミラクシミのCDが遂に完成した。開校当初から子ども達には、事あるごとに『何でもいい、何か一つ信じられるものを見付けて欲しい』と言い続けてきたが、たまたま5年生のラクシミは詩と歌に希望を見出し、懸命に夢を追い続けていたところ、今回、オリジナル曲のCD制作という大きなご褒美を頂き、夢を実現する事ができた。本当に夢のような話だ。ラクシミはもちろん、教職員、ヒマラヤ小学校の小さな子ども達まで全員がCDの完成を喜んでいる。ラクシミの活躍によってヒマラヤ小学校みんなの気持ちが一つになった事は、何よりも嬉しいことだ。こんなに幸せな事はない。

CDには全5曲が収められている。当初、頂いた支援金(チャリティ販売されたラクシミの詩集「希望の光を求めて」の売上)の使途については、先生たちの間でもラクシミへの音楽教育という意見が非常に多かったのだが、録音という意見がどうしても捨てきれなかったため、今回の録音で一番お世話になったラマ先生に相談したところ、“録音がいい。今のラクシミの声で録音する事に意義がある”と言われた事で決心が着き、レコーディングの話が一気に盛り上がった。

CDに収められた初々しく可憐なラクシミ歌声を聴くと、“今のラクシミの歌声を録音する事”が出来て本当に良いかったなぁとつくづく思う。

ヒマラヤ小学校の最上級クラスで学ぶラクシミの活躍は、下級生たちにとって大きな希望、そして目標となるだろう。今回、ラクシミの努力が、大きな成果としてひとつの形になった事はとても意義深いと思う。出来ないとあきらめてしまえば、その時点で全ての可能性がなくなってしまう。例え夢のような話でも、“出来るかもしれない”と、希望と信念を持ち続ける事が大事なんだと、ラクシミが僕たちに教えてくれたような気がする。

ぜひ、のびのびと歌う14歳のラクシミの可憐な歌声を大勢の人にお楽しみ頂きたい。

CDは美味一服めぐりでチャリティ販売しています。1枚1000円


勉強させて欲しい

作詞・作曲 ラクシミ・ナピット(14歳、ヒマラヤ小学校5年生)

ねぇお父さん 私にも勉強させて欲しい。
ねぁお母さん 私にも字を覚えさせて欲しい。
学校へ向かう友達 私といえば畑仕事へと向かい・・・・・

ねぇお父さん 私にも勉強させて欲しい
ねぁお母さん 私にも字を覚えさせて欲しい。
友達は一緒に学校へ行き 私は薪と飼葉を集めに行く

彼らの手には鉛筆とノート
私の背中には飼葉を入れた籠

ねぇお父さん 私にも勉強させて欲しい
ねぁお母さん 私にも字を覚えさせて欲しい

私も幸せになりたい 夢がある
天まで届くほど 大きな人間になると・・・・
私はなぜ 悲しみの海のような運命を背負っているのだろう

ねぇお父さん 私にも勉強させて欲しい
ねぁお母さん 私にも字を覚えさせて欲しい



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2008年05月04日

評価基準

5月4日(日)

ヒマラヤ小学校の開校当初からの夢の一つに、学級委員長の選出と児童会の設立があった。5年生を開校した暁には必ず実現しようと話し合って来たが、今回、そのささやかな夢が実現することになった。

僕たちが目指している楽しく、夢のある学校作りに子ども達の参加は欠かせない。子ども達の意見を学校運営に積極的に取り入れる事で、これまで以上に学校の活性化が図かれるのではないかと期待もしている。また子ども達が学校への所属意識をしっかり持つ事は、将来、卒業生が学校を支えるという夢の実現にも繋がるのではないだろうか。なによりも学校は子ども達のために在るのだから、どんどん面白い提案や意見を出してほしいと思う。

二ロジ児童会長選挙に先立って行われた各クラスの委員選挙では、勉強の出来というよりも、それぞれ人柄で選ばれた感じを受ける。5年生のラクシミを筆頭にどの委員長も性格の良さが際立っている子ども達だ。僕が特に嬉しかったのは、4年生の学級委員長に二ロージが選ばれた事だ。二ロージは口蓋裂で発声に障害がある事はブログの中でも何度か書いたと思う。入学当初、二ロージの事は先生たちもずいぶん心配していたが、二ロージは持前の明るさと、運動能力で友達から慕われる存在になり、今回は見事、学級委員長に選出されることになった。障害を跳ねのけ、元気に力強く生きている二ロージを見ると、本当に逞しく思える。

児童会長と副会長の選挙では、児童会長に5年生のクマールと、副会長に4年生のプロビンが選ばれた。クマール人気は圧倒的で、会長選挙で2番になったラクシミとは、20票以上の差をつけての大勝利だった。副会長のプロビンはこれまであまり陽の当たる存在ではなかったが、先日、ドッヂボールで大活躍した事を全校児童の前でヤッギャ校長に褒められた事で、すっかり学校の人気者となり、今回、副会長という大役を務める事になった。

勝利誰にでも平等に活躍のチャンスがあることが、ヒマラヤ小学校の一番良いところだと思う。勉強が出来るから・・・ではなく、勉強以外の事を評価や判断の基準にしている事がヒマラヤ小学校の自慢だ。

先日、三浦雄一郎さんを訪問した時の児童の選考基準は、制服が奇麗な事だった勉強は苦手でも、制服を奇麗にすることは誰にでも出来ること。あの訪問以来、制服を奇麗にする子が増えたのは言うまでもないが、誰にでも出来る事を評価や判断基準に取り入れる事は、子ども達に対する強いメッセージでもあり、そうした姿勢は子ども達の意欲を掻き立てる事に繋がるのだと思う。これからも子ども達の特技、長所、褒められる点をどんどん見つけていきたい。







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2008年05月03日

友情

5月3日(土)

4年生のジュンキリが足を骨折して、先日からパタン市内の病院に入院している。春休み中、村の外れにあるレンガ工場で日雇い労働をしている時に足を滑らせてしまい、脛骨を骨折してしまったようだ。幸い事故当日に連絡が入ったので、ヤッギャ校長達とジュンキリを病院へ連れて行く事が出来、その後の手術も無事成功に終わったので、みんなで安堵の胸を撫で下ろした。

ラクジュンちょうどクリニックの傍にジュンキリが入院している病院があるので空き時間を見て見舞いに通っているが、(4月下旬にこのブログでも書いた)ビナの事はジュンキリの耳にも入っていたようで、見舞いに訪れると真っ先にジュンキリから「ビナは学校へ来た?」という質問を受けていた。その後、ビナが学校へ来るようになり、ジュンキリにその事を伝えると、とても喜んでいた。ジュンキリとビナは同じ16歳。クラスこそ違うが、お互いに励まし合いながら頑張っている仲だ。

先日、ジュンキリに何か欲しいものはないかと尋ねると、「友達に逢いたい」という返事が返ってきたので、会いたい友達を2〜3人の絞るように言うと、ビナとラクシミ、そしてクマールに逢いたいという返事が返ってきた。

今日はそんなジュンキリの気持ちに応えるべく、ラクシミとビナを連れて病院へお見舞いに行った。思いがけない友達の見舞いをジュンキリはとても驚き、喜んでいた。3人共、積もる話に時間が経つのも忘れたようだった。

ビナ友達との再会はジュンキリを勇気づけ、ケガに打ち勝つための気持ちを奮い立たせたのではないだろうか。“友達がたくさんいる学校へ早く戻りたい”、ジュンキリの心の叫びが聞こえた気がした。

ジュンキリは5月5日に無事、退院しました。





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2008年05月02日

空手はじまる

5月2日

空手今日から空手(体験)教室が始まった空手教室はクマール達、男子児童の長年の夢だった。あの手此の手を使い空手教室の実現のために勤苦したクマール達の熱意にヤッギャ先生が根負けした形だ。諦めず頑張ったクマールの勝利を心から祝福したい。ただし空手教室を開催するだけの予算の確保という大きな課題が残っているため、まずは師範の試用期間も兼ねて1ヶ月の無料体験教室を開催することにした。

ネパールで空手は1,2位を争う人気スポーツだ。4年に一度開催される南アジア大会でネパール選手がメダルを獲得できる数少ないスポーツの一つという事もあってか、子ども達の間でも人気が高い。インド人を蹴っ飛ばせるからという、ブラックジョークを耳にした事があるが、まんざら嘘でもない気がする。

僕がネパールに暮らし始めた98年にネパールで開催された南アジア大会では、空手の試合をテレビで見ようと、下宿先の傍にあった東屋にたくさんの少年達が集まり、瞳を輝かせながらネパール人選手を応援していた事を今も鮮明に覚えている。顔はテレビの画面に釘づけになりながら、体からは突きや蹴りが飛び出していた少年たち。彼らの願いが叶ってか、その年の南アジア大会ではネパール選手が空手で大活躍し、一躍子ども達のヒーローとなった。

手足今日の初稽古には女子児童も大勢参加したのは驚きだったが、空手を通して子ども達がどのように成長するのか、本当に楽しみだ。

「押忍、押忍!」と大きな声を出しながら、“突き”や“蹴り”を繰り出す子ども達。中には同じ側の手と足が同時に出ている子もいて、ぎこちない姿がなかなか面白かった。




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2008年05月01日

ピーピング

5月1日

新入生今年度、ヒマラヤ小学校には26名の新入生が入学し、全校児童は137名になった。開校当時(68名)に比べ、丁度、倍の児童数になった。当たり前のことだが、児童数が増えた分、学校はずいぶんと賑やかになった。毎年、新入生の名前と顔を覚えるのは一苦労だが、今年は腕白な子どもが多いせいか全く苦労する事無く、新入生の顔と名前を覚えることが出来た。名前と顔を覚える事は一人ひとりの子どもたちをしっかり支えるためにも欠かせない。

現在、建設中の3階校舎が完成するまでの間、幼稚園2クラスは一つの教室で一緒に勉強しているため、担任のアヌシャ先生は大変だと思う。昨年、新人教員として幼稚園クラスを受け持ったアヌシャ先生。当初は声が小さく、果たして子どもたちを纏められるか心配していたが、今ではヒマラヤ小学校1位、2位を争うほど大きな声が出るようになった。1年間、必死に頑張ってきた成果だと思う。

アヌシャ普段、学校を訪ねた時には、教室に入って子ども達の写真を撮る事もあるが、出来るだけ授業の邪魔にならないよう教室の外から窓越しに授業の様子を見ている。授業の様子を見ているといっても、先生の教え方などを細かく観察するわけではなく、単に授業中の子ども達の様子を見るのが楽しいから見ているのだ。

とはいえ、僕が教師だったら授業の様子を毎日のように覗かれることを鬱陶しく思うだろう。そんな事もあって、先生たちには申し訳ないなぁと思いつつ続けているのだが、実はこのピーピングが先生たちの良い刺激になっているそうだ。先日の職員会議の中で、僕の帰国中に授業の様子を見てくれる人がいないと張り合いがなくってしまう、という意見が先生たちから出されてとても驚いた。

実際、どれだけ役に立っているのかは分からないが、少しでも先生たちの張りあいになるのなら、これからも積極的に続けていこうと思う。先生たちが張り合いを持って頑張ってくれたら、子どもたちにも必ず良い影響があると思う。




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2008年04月27日

ビナの苦しみ

4月27日(日)

今日は長らく学校を休んでいた5年生のビナが元気な姿で登校して来て、ヤッギャ校長、ビディヤ先生らと共に安堵の胸を撫で下ろした。

実はビナには過去に何度か退学の危機があるため、長期休みになると最も気になる児童の一人だ。春休み中、時間を見てはビナをはじめ気になる児童の家を訪ねてみたが、ビナの家では何時も同居する親戚から「ママ(母方の叔父の家)に出かけている」という返事が返って来るだけで、結局、春休み中に一度もビナの姿を見かける事はなかった。気になりながら春休みが明け、20日の新学期の日、学校に着くと真っ先に5年生の教室を覗いてみたが、予想通り教室にビナの姿はなかった。

ネパールでは母方の叔父の事をママ(mama)と呼び、ママは自分の姉妹の子ども(姪や甥、ネパール語でバンジBhanji(姪)、バンジャBhanja(甥)と呼ぶ)を大切にする習慣がある。この習慣については諸説あるが、姉妹の子ども達を大事にする事は、ママにとって神を敬う事と同じ意味があるようだ。特にヒンドゥ教の強い地域ではママがバンジャやバンジ(姉妹の子ども達)の足元に額づいて礼をする習慣まである。それほど、ママにとってバンジャやバンジは大事な存在なのだ。

当然、子ども達は自分を大事にしてくれるママの事が大好きで、ヒマラヤ小学校でも休み前になると“休みの間はママの家に行く”と、嬉しそうな表情を浮かべる子を見かける事も多い。ビナもママから大事にして貰う様で、これまでにも何度か、ビナが嬉しそうにママの事を話している姿を見かけた事があった。

そんな大好きなママの家に行っているのだから、別れが辛くて2日、3日、学校を休む事だってあるだろう。しかし今回は既に3週間以上もママの家に入り浸りで、しかもヒマラヤ小学校に通うビナの従兄弟達から「ビナはもう学校に来ない」という話を耳にしていたので、このままビナが学校に来なくなるのでは、という不安が募っていった。

ビディヤ先生25日の放課後、丁度、ヤッギャ校長とビナの事を話していると、ビディヤ先生から「ビナと会ったから直ぐに来て欲しい」と電話が掛かってきた。急いでヤッギャ校長と村のバス停に向かうと、ビナが寂しそうな表情を浮かべたまま、ビディヤ先生に肩を抱かれて立っていた。傍にはビナの母親の姿もあった。

ビナは俯いたまま暫く黙り込んでいたが、ビディヤ先生の優しい問いかけに少しずつ口を開き始め、父親の事でとても苦しんでいる事を告白した。

ビナビナの家族は20人以上の親戚と共に同じ家で暮らしているが、ビナの父親は定職を持っていないため、家の中で肩身が狭い思いをしているという。教育を受けていないため出来る仕事も限られてしまい、また所属カーストの職業でもある精肉の仕事を始めたくても資金を準備できず、なかなか上手くいかないようだ。

元々、大人しい性格の父親だったが、仕事がないことでイライラしてしまい、毎日のように酒を飲むようになったそうだ。酒を飲むと人が変わったように暴力的になり、母親やビナに暴力を振るうようになったという。ビナが特に心を痛めたのは、酔っ払った父親が母親を殴り「お前が呪われているから、娘を産んだのだ。家から出て行け」という罵声を浴びせたことだという。多感な時期を迎えているビナにとって、何よりも辛い言葉だったに違いない。父親の発した言葉によってビナがどれだけ傷ついたのか、容易に想像できる。

夕方からヤッギャ校長の自宅で、両親を交えて話し合いを行なうことにした。いろんな事が話し合われたが、最終的には、ビナの父親が始めたいと考えている精肉の仕事のため、ヤッギャ校長が自ら保証人となって村の農協から資金を融資できるようにする事や、父親は酒を止め真面目に仕事をすること、家族に暴力を振らない事などを約束して、話し合いは終わった。

その後、ヤッギャ校長はビナを自宅へ返さず、「今日はママの家に泊まって、今後の事をゆっくり考えなさい。お父さんの事を信じたいと思うなら、村に帰ってきなさい。学校ではみんなが待っている」とだけ言って、ビナをママの家まで送っていった。

ビナ教室今日、ビナは学校へ来た。まだ完全に笑顔を取り戻した訳ではないが、ビナなりに父親の事を信じてみようと考えたのだろう。今回の一件を通して、改めて卒業生を送り出す事がいかに難しく、毎日が綱渡りの連続である事を改めて思い知った。それでも、ヤッギャ校長やビディヤ先生のような“本気の先生”がいるかぎり、どんな事があっても必ず全員が卒業できると信じている。




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2008年04月23日

レコーディング終了!!

4月23日(水)

ラクシミラクシミのレコーディングが無事、終了した。まずは今回のプロジェクトにご協力頂いた方々をはじめ、温かい応援メッセージをお寄せ頂いた皆さんに心から感謝の気持ちをお伝えたい。

大勢の人たちの協力によって一つの事が成し遂げられるという事を、ラクシミ自身がしっかり学んでくれた事が、今回のプロジェクトの最大の収穫だったように思う。レコーディングを終えた後、指導してくださったビナヤ・ラマ先生やスタッフから暖かい祝福を受けると、ラクシミは感極まり目を潤ませていた。14歳のラクシミが精いっぱい歌った唄を、ぜひ大勢の人に聴いて頂きたいと思う。

僕は普段から音楽とは殆ど縁のない生活をしているので、今回、レコーディングの責任者として準備を進める事には多少の不安もあったが、ラクシミを応援してくださる支援者の皆さんの暖かい声や、ラクシミ自身の熱意にも励まされ、なんとかその役目を果たすことが出来、今はとても安堵している。練習から録音終了までの全工程をラクシミに付き添った事で、ラクシミの心の変化を間近で見られた事は、僕にとって大きな財産となった。

ラクシミの作った原曲のイメージと少しでも異なると、音楽ド素人の僕が口うるさく注文をつけるのだから編曲者もかなり嫌気が差したと思うが、それでも思い通りになるまで何度も編曲をやり直してくれたのは、ラマ先生が中に入ってくださったからだ。ラマ先生の理解がなければ、今回のレコーディングはおそらく完成出来ていなかったと思う。ラマ先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。レコーディングが終わった後、ラマ先生が「キミ達と仕事が出来て、楽しかった。また一緒にやろう」と言ってくださった時は、本当に嬉しかった。

今回、全5曲の内、4曲は個人的に満足のいく内容となった。特に一番力を入れた「がんばれネパール人」に関してはとても満足している。「ねがい」はどうして編曲が合わずアカペラでの録音となったが、結果的には良かったように思う。歌唱コンテストで優勝した「遠くからナマステ」については、最後まで何度も編曲をやり直したが、完全にイメージ通りの物が出来なかったので、最終的には全てラマ先生に委ねる事にした。この曲については、いつかリミックスをしたいと考えている。


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2008年04月22日

制服支援

4月22日(火)

制服ヒマラヤ小学校では2年に一度、制服を支給している。今年は新入生の他、04年と06年に入学した児童も含め、73名の児童へ制服を支給する事が決まっている。幸い支援者の方々から制服支援を頂く事となり、今年も何とか全員へ制服を支給することが出来そうだ。

制服については予々、保護者に対しても出来るだけ個人で購入するよう呼び掛けている。児童の多くが制服を、学校以外での私生活でも使い、所謂“着たきりスズメ”の状態なので、2年に1度の支給では間に合わない事が多い。特に元気いっぱいの男子は、制服の所々に継ぎ接ぎが出来、まるでフランケンシュタインのようだ。これも勲章だと思えば可愛らしいが、保健・衛生のためにも毎日、制服をきちんと取り替える事が望ましい。

わんぱく一昨日の新学期、ある2年生の児童が真新しい制服を着ていたので訊ねて見ると、母親が新しい制服を買ってくれたのだという。それも3年間、コツコツと貯めたお金で買ってくれたそうだ。正直、初めての事で驚いたが、もしかすると開校当時から続けている「福祉基金」(相互扶助と預金の大切さ学ぶ事を目的に、児童が毎月5ルピーずつ預けるもの。卒業時に全額を返還。貧困家庭には子ヤギを支給して経済的な支援を行ったり、病気や怪我といった場合にも支援を行う)を通して、母親がお金を貯める事の大切さを学んでくれたのかもしれない。4年間の成果というのは、見えないところでも着実に出ている事を改めて実感した。




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2008年04月20日

優しさと厳しさ

4月20日(日)

今日から学校が始業した。毎年、始業日は昨年使った教科書とノートの回収作業から始まる。ヒマラヤ小学校では前年に配布した教科書とノートを全て返還した児童だけが、新しい教科書とノートを貰える仕組みになっている。また新しい教科書や学用品を配布する時は、受取りに保護者のサインを義務付け、万が一、教科書や学用品を紛失した場合には、保護者が負担する事にしている。少し厳し過ぎるのでは、と思う方もいるかもしれないが、無償教育を実施するためにはしっかりとした規則を設け、徹底的に物の管理をする事がとても重要だ。

僕自身も学校を開校したばかりの頃、教科書を失くした子や鉛筆を失くした子を見ると、「鉛筆1本くらい、教科書1冊くらい、いいじゃないか」という甘い考えを持っていた。しかし、弟や妹にあげようと失くしてもいない鉛筆を失くしたと言ってくる子がいたり、中には横流しを目的に教科書を紛失したと言ってくる保護者もいる現状を目の当たりにし、責任を一切与えない一方的な優しさだけの支援が、受益者に“失くせば、新しい物を貰えるだろう”“やって貰えるだろう”という考えを生み、“支援が当たり前”の状況を作ってしまう事に気が付いた。支援が当たり前になってしまえば、僕達が目指している“卒業生の自立”なんて実現できる筈もない。

優しさと厳しさの線をきちんと引くことが、受益者と支援者に対する僕達の最大の責任だと思う。その責任を果たしてこそ、有意義な支援活動が展開できるのではないだろうか。



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2008年04月17日

寺子屋が繋ぐ心

4月17日(木)

小川寺子屋往診の途中、小川武明寺子屋を訪ねると、昨年ヒマラヤ小学校へ入学した小川寺子屋の卒業生シーマとビモラ姉妹が、今年ヒマラヤ小学校へ入学する後輩たちに一生懸命、学校について話をしていた。

傍でこっそり話を聞いてみると、授業の事や先生の事、ブランコやドッヂボールの事、その他にも様々な学校行事について話をしていた。2人の熱弁からは時々、こんなことも喜んでくれていたのか、と感じる点も多く、聞いていてなかなか楽しかった。中には少し色づけをしている点もあったが、新入生を精いっぱい励まそうとする先輩としての思いやりが感じられて可愛らしかった。話を聞いた新入生にとっては、学校がバラ色の夢のような場所に思えたかもしれない。

新入生にとっては、入学を目前に控えた今が一番、不安を抱える時期かもしれない。そんな時、同じ寺子屋で学んだお姉さん達が学校にいる事はとても心強いのではないだろうか。シーマやビマラ達にとっても、後輩の入学は“お姉さんとしての自覚”を持つ切欠になるだろう。新学期が本当に楽しみだ。



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2008年04月16日

心地よい気候

4月16日(水)

気温が上がっているため、冬場に比べて早朝の往診がずいぶん楽になった。早朝は車の数も少ないため、排気ガスや舞い上がる砂塵、耳が痛くなるようなクラクションの騒音に悩まされなくて済むので、それだけでも快適だが、早朝の心地良い風に当たると気分も乗り、治療にも自然と力が入る。

朝夕の冷え込みが厳しい冬場はどうしても患者の状態も悪くなりがちで、治療効果も上がりにくい。その点、今の時期は日中の強い日差し以外はとても過ごしやすく、治療効果を上げるには最適だ。

これから雨期に入り長雨が続けば、どうしても患者の状態も悪くなりがちだ。特に関節に痛みを抱えている患者にとっては雨期の長雨はきつい。今の時期にしっかり治療効果を上げ、これから迎える雨期に備えたいと思う。




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2008年04月15日

ビデオ制作

4月15日(火)

ラクシミのレコーディングの日程がほぼ決まり、練習も大詰めを迎えている。ビナヤ・ラマ先生の指導の元、一生懸命練習を続けてきた甲斐あり、ラクシミは自信を持ち始めているようだ。急遽、レコーディングに参加する事になったナニタも必死に練習を続けているので、何とかレコーディング本番までには間に合いそうだ。明日も練習が続くが、満を持して本番に挑んで欲しい。

昨年の秋、「ヒマラヤ小学校〜子ども達の夢と共に〜」と題したヒマラヤ小学校の紹介ビデオを制作し、大勢の方に御覧いただいた。第一作目という事でヒマラヤ小学校を知っていただくための簡単な内容だったが、これまで言葉だけでは伝えきれていなかった多くの部分が、映像を通して伝わった事を強く実感した。現在、その2作目となる作品を制作中だが、今回もなかなか企画と構成が纏まらず苦戦している。

当初、他の村から移住してきた3名の児童とその家族について取り上げる予定で撮影を進めていたが、途中からいろんな迷いが出始め、作業は中断したままの状態だ。ビデオを通してヒマラヤ小学校の何を伝えるべきなのか、そして、どのように伝えるべきなのか、すっかり頭の中が真っ白の状態になってしまった。

ビデオ撮影丁度、同じ頃、ラクシミの自作曲をレコーディングするという夢の企画が纏まり、言い出しっぺの責任者として練習日程や伴奏者の調整、編曲者との打ち合わせ等、ラクシミの練習も含めてレコーディング作業に全て付き添うことになった。レコーディングの準備が進むにつれ、期待に胸を膨らませたり、不安に駆られたりしながら、一歩ずつ成長しているラクシミの姿を間近で見ていると、ラクシミという一人の児童の成長の記録を通して、ヒマラヤ小学校の何かを伝えられるのではないか、という気持ちが高まってきた。

まだ完全に決めたわけではないが、レコーディングによって複雑に変化するラクシミの心や成長を紹介できればと考えている。なんとか頑張ってみたい。


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2008年04月13日

チャンパデビ参り2日目

4月13日(日)

朝5時に宿を経ち、チャンドラデビィ山頂を目指した。子ども達は全く疲れを知らず、軽やかな足取りでどんどん先に進んで行った。少しでも目を離すとあっという間に距離が開いてしまい、引率する僕等は子ども達に追いつくことに精いっぱいだった。あれだけ遊んでも疲れないのだから、子ども達の元気さには驚くばかりだ。

道中の休憩場所では、へたり込む僕達を尻目に、子ども達は周辺の木々に登って遊んでいた。名前を呼ばれて見上げると、20メートル以上もある大きな木の天辺まで登っていたりして、一瞬ハッとする事もあったが、元気な自然児が水を得た魚のように自由気ままの遊ぶ姿を見る事は本当に楽しかった。

クマールもスモンもラジャンも、みんなヒマラヤ小学校を代表するワンパク小僧。何事にも捉われない“自由な環境”こそ、彼らには一番必要で、そのような環境があれば、彼らはどんどん成長していくのではないだろうか。子ども達が思いっきり遊んでいる姿から、自立支援のヒントが見えた気がした

山頂歩き始めて4時間、チャンドラデビィ山頂にたどり着いた。昨夜の大雨の後ということで今日は空気も澄み渡り、ランタンやガネッシュヒマールはもちろん、遠くマナスルやアンナプルナまで真っ白な美しいヒマラヤを一望することが出来た。


展望みんなでチャンパデビィにお参りした後、ヒマラヤ小学校が展望できる場所で休憩。真っ赤に咲き誇る石楠花の傍で、ヒマラヤ小学校を眺めながら子ども達と一緒に掛け合い歌(ドホリ)を歌い、楽しい時間を過ごす事が出来た。*写真:帰り道の八ティバーンからヒマラヤ小学校を望む。写真をクリックしてください。

子ども達と一緒に行った初めてのチャンパデビィ参り。子ども達の元気さを改めて思い知った1泊2日の小さな旅となった。また来年も5年生を連れて、チャンパデビィ参りに行って見たいと思う。それまでに、へたらないだけの体力を養わなくては。


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2008年04月12日

チャンパデビィ参り

4月12日(土)

山歩きカトマンズ盆地の南西部に「チャンドラデビィ」という標高2249メートルの山がある。ヒマラヤ小学校からも丁度、正面に眺めることが出来る高い山だが、山頂には「チャンパデビィ神」を祀った祠があり、毎年、ネパール暦(ビクラム暦)の新年(西暦の4月中旬頃)には大勢の参拝客で賑わう場所だ。

毎年、ネパール暦の新年が近づくと、必ずと言っていいほど子ども達からチャンパデビィを参拝したい、という要望が出てくる。これまでなかなか時間の都合がつかず、一度も実現できていなかったのだが、今年は制憲議会選挙の関係で14日まで休日となったので、山積している雑務を放り出して、新5年生、6名を連れてチャンパデビィ参りに行く事にした。

チャンパデビィ参りは夜中に登って、早朝にお参りをするのが慣わしで、松明を持って歌を歌いながら夜の山道を歩いたり、山腹でキャンプをしたりして、家族や仲間と夜通し楽しむこともチャンパデビィ参りの楽しみの一つだ。

もちろん子ども達は参拝より、この“夜遊び”が主目的なので、今回は子ども達の期待にしっかり応えるべく、ヤッギャ校長、モンゴル先生、写真家の優さんにも同行してもらい、泊りがけで山に登ることにした。子ども達にとっての外泊はちょっとした冒険のようなもの。出発前からみんな相当、そわそわしていた。

午後4時頃にヒマラヤ小学校を出発して、今回の登山口となるチベット仏教寺院が立ち並ぶ小さな町「ファルピン」へ向って、畦道をてくてくと歩いた。歌姫のラクシミが同行したお蔭で歌声が絶えず、とても賑やかな往路となった。途中、休憩した高台から眺めた一望千里の麦畑が本当に綺麗だった。見慣れた麦畑も場所を変えると、まったく違った景色に見えてくるから不思議だ。綺麗な景色を眺めていると、自然と人心地がついた。 

今日は学校から4時間ほど歩いたチャンドラデビィの中腹で野営をする予定だったのだが、「ファルピン」に着く前に雷を伴った大雨が降り出したため、急遽、道中の民家の軒端を借りて一夜を明かすことにした。家主の暖かい善意を受け、軒先だけでなく1階の物置小屋も借りることが出来たことは、防寒具をほとんど持っていなかった僕たちにとっては幸運だった。

ヤッギャ先生踊り暫くすると雨がやんだので、庭に焚き火を熾し、みんなで料理を作って食べた。時々、雨上がりの夜空を見上げながら、焚き火を囲んで子ども達と食べる夕食は格別に美味しかった。食事が終わるとラクシミの歌に合わせて、ヤッギャ先生が踊り始めた。こんな時、間に合うヤッギャ校長の存在は本当に大きい。今回、ヤッギャ校長に同行をお願いした理由は、実はここにもある。ヤッギャ校長の素晴らしすぎる踊りに乗せられて、子ども達も踊りだし、終始、笑い声の絶えない楽しい夕べの一時となった。

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その後、午後10時頃に就寝。ヤッギャ校長、モンゴル先生、優さんの3人は気疲れもあってか、直ぐに高鼾を立てて寝はじめたが、夜遊びを楽しみにしていた子ども達の気持ちが簡単に収まるわけがない。僕が起きている事に気付くと、子ども達が寝ていた1階の物置小屋からぞろぞろ外に出てきて、焚き火を熾し始めた。

焚き火それから暫くの間、再び火を囲みながら子ども達といろんな話をしたが、僕にとっては貴重な時間となった。今回の山登りに参加したのは、来年、卒業を予定している新5年生ばかり。みんな一様に卒業後、友達と離れ離れになってしまう事が辛いと、寂しそうに語っていた。これまで学校という一つの場所で、様々な苦楽を分かち合ってきたのだから、そう思うのは当然のことだと思う。こんな時、気の利いた言葉を掛けられたら良いのだが、子ども達の少し寂しそうな顔を見ていると、思わず言葉に詰ってしまった。

暫くすると、いたずら小僧達が寝ているヤッギャ校長、モンゴル先生、優さんの顔に、焚き火のススで目や鼻ひげを書いたり、虫をポケットに入れたりして、悪戯が始まった。特に先生達の体に“児童を叱りません”“宿題を出しません”などと書いた紙切れを貼り付けたのは傑作だった。

悪戯を仕切ったクマールに、もし僕が寝ていたら何と書くつもりだったのか尋ねると、「大祐さんには悪戯はしないよ」とニコリとして嘯いていた。起きていて本当に良かった。

子ども達の長い一日は終わり、ようやく静かな夜が訪れた。焚き火の傍に敷いた筵の上に横たわり、こよなく透き通った夜空を眺めながら学校の青写真を描いていると、結局、眠れないまま夜が明けた。








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2008年04月10日

寺子屋の若い先生達

4月10日(木)

往診を終えた後、コカナ村の「ヒマラヤ・マリア・コカナ寺子屋」を訪ねた。寺子屋も開校から1年が過ぎようとしているが、これまで予想以上に良い成果を出すことが出来た。子ども達の成長はもちろん、教鞭をとっているサンギタさんの明らかな成長が見られた事は、僕達にとって何よりも嬉しいことだ。1年目という一番難しい時に50人の子ども達をしっかり纏められた事は、サンギタさんにとっても大きな自信に繋がったのではないだろうか。

寺子屋こども今日、寺子屋を訪ねた時には、丁度、リレー方式でクイズに答えながら単語を覚える授業が行なわれていた。これはサンギタさんが自分自身で考え出した教え方の一つで、子ども達からの反応がとても良く、毎回、授業が始まると子ども達から“クイズ”“クイズ”という声が上がって来るそうだ。自分で考えて始めた事が、子ども達から良い反応として返ってくると、サンギタさん自身も活動が楽しくなり、当然、やる気や自信も出てくるのだと思う。

寺子屋の教員を担当しているのは、主に教師を目指している若い女子学生達だ。寺子屋を単に貧しい子ども達に識字や保健衛生を教える場所としてだけではなく、教師を目指す若い人達の訓練の場としても大いに役立てたいと考えから、若い人達を積極的に教員として配置している。

サンギタさんサンギタさんをはじめとする寺子屋の若い先生達が、経験の不足から起こる様々な壁にぶつかりながらも前に進もうと頑張っているのは、みんな“教師になりたい”という、しっかりとした夢を持っているからだろう。その直向に頑張る姿こそ、小さな子ども達にとっては何よりの学びとなるのではないだろうか。ヒマラヤ・マリア・コカナ寺子屋、更なる発展を願いたい。




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2008年04月07日

三浦雄一郎先生と面会

4月7日(月)

三浦先生今日はヒマラヤ小学校の子ども達が、憧れの三浦雄一郎先生(冒険家、プロスキーヤー)と、感動の面会を果たした。*産経新聞の「三浦隊同行記」に其の時の様子が紹介されました

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2008年04月06日

ラムと母親の変化

4月6日(日)

今日はヒマラヤ小学校で期末試験の成績発表が行なわれた今年は子ども達の成績も良く、殆どの子ども達が進級を果たした。残念ながら不合格となった4名の内、3名は幼稚園年少クラスの子ども達だった。幼稚園年中クラスを設けていないヒマラヤ小学校の現状を考えると、2度、年少クラスで学ぶことはむしろ良いことだと思う。もう一人、不合格となった1年生の男子も、病気のため2学期の試験を受けられなかった事が大きな原因なので、本人もすっかり気持ちを入れ替えているようで安心した。またスポンサーシップの奨学生が全員、合格(進級)したことを、この場で報告したい

ラム今日の成績発表で飛び切り喜んでいたのは、幼稚園年長クラスのラムだった。なにしろ試験に合格した上に、これまで一度も成績発表に顔を出した事のない母親が学校に来てくれて、合格を誉めてくれたのだから、天にも昇る心地だったのでないだろうか。母親に頭を撫でて貰った時のラムは本当に嬉しそうだった。ぜひ写真をクリックしてください。

ラムは勉強が苦手で幼稚園年少クラスを2度、留年しているが、昨年、初めて試験に合格し年長クラスへの進学を果たしてから、ラムは人が変わったように勉強を頑張るようになった。2度の留年を乗り越え、自力で合格できた事がラムの大きな自信に繋がったのかもしれない。

ラムの母親はこれまで教育に無関心で、殆ど学校にも顔を出したことがなかった。家庭訪問をした時など、「勉強するより働いたほうが良い」という言葉を口にする事も何度かあった。そんな母親もラムが勉強を頑張るようになってから、少しずつ気持ちに変化が出てきたようだ。今回の成績発表に誰よりも早く駆けつけたところなど、母親の教育に対する関心が確実に高まっている事を示唆しているのではないだろか。

頑張った事を誉めてくれる人がいることで、ラムはこれからもっと成長するだろう。そしてラムの成長は、母親の教育への関心を更に高めるのではないだろうか。


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2008年04月05日

人生は出会い

4月5日(土)

先日、HPにヒマラヤ小学校の「沿革ページを作成するため、手元にある学校建設の話が始まった2000年頃から、現在に至るまでの資料を読み返した。自分作成した企画書やレポートなどを読んでいると、いかに当時の自分が必死だったのかが伝わってきて、可笑しかった。よくこんな稚拙な内容の企画書が通り、学校建設が実現できたなぁと驚くばかりだが、当時、学校建設に関わった先生達や生徒の熱意があったからこそ実現できたのだと、改めて思う。

漠然と心の中で描いていた学校建設の夢が、”学校を作ろう“という大きな動きに発展したのは2001年の頃。あの時は本当に嬉しくて、”はやく完成させたい“そんな事ばかり考えていた、正に夢現つの状態だった事を覚えている。

しかし、その後、外国支援で出来た学校の多くが運営面に大きな問題を抱え、中には僅か数年で廃校になっている学校もあるという事実を見聞きした時は、“学校さえ出来れば、貧しい子ども達がみんな学校で勉強できるようになる”と信じ込んでいた自分の認識の甘さを思い知った。そして、「もしかしたら僕達の学校も廃校になってしまうのでは」、という大きな不安が常に付きまとった。

結局、不安は解消されないまま開校の日を迎えたのだが、当時、机もない教室で子ども達が嬉しそうに勉強している姿を見たときは、感動で胸が潰されそうな思いがした。その事がきっかけで、“卒業生を出すまでは、なんとか挫けずに頑張ろう”と自分の心に決め、卒業生を送り出す事を僕自身の大きな目標としてきたが、来年はいよいよ、その卒業生を送り出すことになっている。

倒けつ転びつ、何とか目標達成の目処が立つところまでやって来られたのは、支援者や周りの人たちの暖かい支えがあったからだ。最近、人生とは出会いだとつくづく思う。



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2008年04月04日

嬉しいお知らせ!芝・増上寺でポストカードを販売中。


増上寺2この度、フェアートレードを通してアフリカゾウの保護活動を続けているアニムプロジェクトの皆さんのご協力をいただき、東京港区の増上寺で開催されていますイベントで、ヒマラヤ小学校のポストカード(子どもたちの描いた絵を元に制作)とラクシミ・ナピットの詩集が販売されています。



増上寺アニムプロジェクトのブースにはヒマラヤ小学校のポストカードと詩集の他、さまざまなフェアートレード商品が展示販売されています。ぜひお立ち寄りください。

場所:増上寺「アニムプロジェクト」ブース内

*開催日程は、増上寺へお問い合わせください。
写真提供:おかど様



 






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2008年04月01日

ビーズ教室

4月1日 

ビーズ今日はヤッギャ校長の自宅で、里親教育基金の奨学生リタによるビーズ教室が開かれた。小さな子ども達も参加し、初めてのビーズ教室は楽しく有意義なものとなった。

来年はヒマラヤ小学校から初めて卒業生を送り出す予定となっているため、開校以来の大きな目標の一つでもある、卒業生の経済的な自立を達成させるための職業訓練所の開設が待ったなしの状況だ。これから1年掛けて、しっかりとした職業訓練のプログラムを構築しなければならない。

プログラムを作るにあたって最も大切な事は、子ども達が本当にその技術や知識を元に頑張っていきたいと思えるかどうかだと思う。一方的な押し付けでは、結局、どんな活動だって長続きはしないだろう。ただ、現時点で「何がしたいか?」という問いに答えられる児童は殆どいないと思う。そのためにも早い時期から、様々な職業技術に触れさせる事で、自立意識の高揚を図ることが欠かせない。

ビーズ教室に参加した子ども達が、真剣な表情で取り組んでいる様子や、完成した時の嬉しそうな様子を見ると、職業訓練プログラムの一つとして構築できるような気がした。特に女の子にとっては、こうしたアクセサリー作りは職業として最適ではないかとも思う。これから練習を続けるうちに、奇抜なデザインのアクセサリーも出てくるかもしれない。楽しみだ。

リタ今日、子ども達に指導してくれたリタは幼い頃から大変聡明な学生で、現在は法科大学で学びながら弁護士になるという大きな夢に向かって頑張っている。2005年には日本訪問の機会にも恵まれ、北海道から九州まで日本各地を回りネパールの窮状を訴えた。教育を受けられた喜びと感謝の気持ちを一生懸命語るリタの姿は、各地で多くの感動を呼んだ。

あれから2年半、リタは自分の目標を決して見失う事無く、しっかりと夢に向かって歩んでいる。応援する僕たちにとっては何よりも嬉しいことだ。これから4月下旬までビーズ教室が開催される予定だが、子ども達にはビーズ作りだけでなく、夢を諦めずに頑張る姿など、リタからたくさんの事を学んで欲しいと思う。





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2008年03月30日

新入生選考会

3月30日

今日から新入生の最終選考会が始まった100名を超える子ども達の中から、たった25名を選考するのは本当に難しく、とても辛い作業だ。出来ることなら全員入学させたいというのが僕等の正直な気持ちだが、資金面の事や児童一人ひとりをしっかり育てていきたいという学校の方針を考えると、どうしても25名程度の入学許可しか出せない現状だ。

毎年、入学選考は家庭訪問から始まる。申請のあった子どもの家を一軒ずつ訪ね、家庭の事情をしっかり調べる事で、新入生にどのようなケアや教育が必要かを把握する事が出来る。新年度の入学のため、昨年の12月頃から申請のあった子どもの家庭を一軒ずつ訪ねて回ったが、どの家庭も同じような窮状を抱えていた。毎年のことだが貧困家庭の厳しい現状を見聞きする度に胸が痛くなる。その度に、貧しくて学校へ行けない子ども達は、まだまだ沢山いることを実感する。

ロメス今回、入学申請をした子どもの中にロメスがいる。ロメスは3年程前、僕が往診先の村で知り合った少年で、初めて見る治療道具に好奇の目を輝かせ、いつも往診先までついて来ては治療の手伝いをしてくれた。当時、ロメスは隣村の学校に通っていたのだが、今から1年半ほど前に父親が死亡したため2年生の途中で学校を辞め、ブンガマティ村にある小さなパン工場で住み込みとして働くことになった。

明るく働き者のロメスは直ぐにパン工場の人たちとも打ち解け、村の篤志家でもあるパン工場のオーナーからも大事にされた。楽しそうに仕事を頑張っているロメスを見た時は、僕達も嬉しかったのだが、ある日、工場の裏で一人、寂しそうな表情をしたロメスを見かけた事もあった。家族と離れて暮らす寂しさが、11歳のロメスの心に募っていたのかもしれない。

そんなロメスが「ヒマラヤ小学校で勉強したい」と言いだしたのは去年の夏頃だった。理由を尋ねると、「字を覚えてお母さんに教えてあげたい」という答えが返ってきた。パン工場のオーナーの理解もあり、昨年末、ロメスはヒマラヤ小学校の入学申請を行なった。

パン工場のオーナーの長男に引き連れられ、緊張した面持ちで今日の最終選考会に挑んだロメス。面接が始まると、顔を赤めながら必死にヤッギャ校長の質問に答えていた。彼は所謂、被差別カースト出身であるため「特別優先枠」として、今日のうちにヒマラヤ小学校への入学が決まった。

ロメス入学許可書を受け取ると、手を挙げて大喜びしたロメス。帰り際、ロメスに「毎日、学校に来るんだよ」と、声をかけると、「うん」と頷き、無邪気な笑顔を浮かべながら「サッカーを教えて欲しい」と言ってきた。ロメスはヒマラヤ小学校でどのような学校生活を送り、成長していくのだろう。僕たちとして、しっかりロメスの成長を見守って行きたい。





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2008年03月28日

おめでとう!ソンマヤ

3月29日

ヒマラヤ小学校が春休みに入ったので、久しぶりに時間を忘れて治療に没頭出来ている。治療方法では未だ大きな壁に突き当たっているものの、今はあれこれ悩むよりも、兎に角、精いっぱいやる事が大事だと気持ちを入れ替え、治療に取り組んでいる。たとえ技術に自信がなくても、昂然と胸を張って治療に取り組めば患者も安心でき、治療効果にもよい影響が出るのではないだろうか。普段よりも治療に集中できる休みの間、少しでも良い治療効果が得られるよう頑張りたい。

ソンマヤ今日は往診を終えた後、里親教育基金の奨学生ソンマヤを訪ねた。ソンマヤは現在24歳。先日、小学校(5年)を卒業したばかりの学生だ。

19歳の時、“学校で勉強したい”という長年の夢を実現して小学校へ入学したソンマヤだが、その後は様々な困難に直面し、中退しても仕方ない状況に陥ったこともあった。それでも”卒業”という目標を決して見失う事無く、一生懸命努力を続け、終に小学校を卒業を果たしたのだ。

ソンマヤにささやかな小学校卒業祝いを届けると、とても嬉しそうな表情を浮かべていた。ソンマヤの表情には一つの目標を達成した自信と、新しい希望がみなぎっている。傍にいた8歳と7歳の妹たちがソンマヤの小学校卒業証明書を自慢気に見せびらかす姿がなんとも印象的だった。

ソンマヤの夢は看護師になること。ぜひ、他の子ども達の見本となるよう、自らをどんどん高めながら夢に向かって一歩ずつ頑張って欲しいと思う。24歳の新しい出発に弥栄!!



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全日程終了

3月28日

サビ期末試験を無事終える事が出来た。まずはヤッギャ校長はじめ先生たちの努力に感謝したい。来月上旬に成績発表が残っているものの、今年度も無事、全日程を終えることが出来た。今はその喜びと、1年間の緊張感が一時的に解れた解放感とが混ざり合って、なんとなく不思議な気分だ。

ヒマラヤ小学校が開校して4年目の今年(今年度)は、子ども達の成長がこれまでよりもはっきりと見られた年だったように思う。各コンテストでの入賞は、そのことを一番物語っているのではないだろうか。子ども達が少しずつ自信を持ち始めた、そんな年だといっていいと思う。

運営面では2006年から始めた「スポンサーシップ」が定着したことで学校運営の骨は以前に比べ、しっかりしてきたように思う。また大勢の方のご協力の元、各地で募金活動やフリマーケットが行なわれる等、ヒマラヤ小学校の支援の輪は着実に広がっている事を実感する。千言万語を費やしても足りないほど、感謝の気持ちでいっぱいだ。

兎に角、支援者一人ひとりの気持ちにしっかり添えるよう、ヒマラヤ小学校の教職員一丸となって子ども達のために頑張りたい。ぜひ、支援者と受益者である子ども達が共に喜びを分かち合える、そんな心の通った支援活動を展開できればと思う。



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2008年03月27日

期末試験が終了!!

3月27日(木)

涙今日で長かった期末試験が終了した。みんな一生懸命がんばったので、日頃の努力の成果を発揮できたのではないだろうか。試験中は問題が解けず悔し涙を流す子や、鉛筆を口にくわえたまま身動きもせず考え込んでいる子など、子ども達のいろんな表情が見られた。それだけ一生懸命なのだろう。

試験中は先生達が児童一人ひとりの様子を見ながら、出来るだけ助け舟を出すようにしている。子ども達の中には試験を早く終わらせたいと焦り、問題をしっかり理解しないまま解いている子が多いようだ。助け舟を出す事によって問題の意味をしっかり理解すれば、きちんとした解答を書ける子も多い。

試験2僕も試験の監視中、困った表情を浮かべていた、2年生のある児童に助け舟を出したら、きちんとした解答を書く事が出来た。問題をしっかり理解し、自信をもって解答できれば誰だって嬉しいものだ。その児童、問題を解けた事がよほど嬉しかったのか、帰り際に「サンキュー」と言いながら、数粒のトウモロコシをくれた。

ヒマラヤ小学校は明日から春休み。試験の結果は4月6日に発表となる予定だ。今年こそ全員合格となるだろうか、、、、、


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2008年03月25日

お詫びとお知らせ

障害が発生していましたヒマラヤ青少年育英会ホームページが復旧いたしました。ご迷惑をお掛けいたしました事、お詫び申し上げます。

ホームページ管理人 吉岡

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2008年03月24日

ナニタの成長

3月24日(月)

ナニタラクシミ昨日、試験の監視を終えて往診に向かうとしていると、4年生のラクシミとナニタが近寄ってきて、話があるから学校の裏まで来て欲しいと言われた。言われるまま2人について行くと、ラクシミが恥ずかしそうに、何時も歌を書き溜めているノートを見せてきた。ノートには新曲と思われる歌詞が書かれてあったが、よく話を聞いてみると新曲は4年生のナニタが書いた歌詞にラクシミが手を加えた、2人の共作だという。

ナニタは真面目で優しい女の子だが、普段はとても物静で大人しい性格の児童だ。そんな大人しい性格のナニタが詩を書いたというのだから驚いてしまったが、その歌詞が「ラブソング」だったので尚更、驚いた。

余談になるが、ナニタが属している「ネワール族」の女性は、恥ずかしがり屋で引っ込み思案が多いと言われている。もちろん、それ自体は長所でもあるのだが、例えば病気に罹った時など、その長所が仇となってしまう事があるようだ。特にネパール女性に多い「子宮下垂」の例では、人に相談できないまま放置してしまい、感染症を起こしてしまうケースが多いようだ。それほどネワール族の女性は外に向かって声を発する事や、気持ちを表現することが苦手なのだ。

そんな典型的なネワール族のナニタが、突然、「ラブソング」を書いたのだから、僕だけでなく、先生達もナニタの変化に驚いたようだ。学校の職員会議では毎回、各児童の長所や興味を持っている事を元に、どうすれば児童が自信を持つことが出来るか、そのためにはどのような機会を作るべきか、という事が話し合われているが、ナニタについては、正直、どのような事に興味や関心を持っているのか分からず、方向性を見つける事が出来ていなかった。その分、今回のナニタの変化は僕達にとって、とても嬉しい出来事だ。スポンサーとの交流や学校生活の中での様々な経験、特に親友であるラクシミの活躍が大きな刺激となって、ナニタを一気に成長させたのかもしれない。

今日は早速、2人に新曲「突然」を歌ってもらったが、アップテンポのなかなか良い曲だった。ぜひ新曲を録音することで、ナニタを更に勇気付けられたらと思う。

ナニタそれにしても歌を歌った後、顔を真っ赤にしながら恥ずかしがる様子など、やはりナニタはネワール族の女の子だと思う。その後、2人の歌を影から聴いていた男の子達に「ラブソング」を冷やかされると更に顔を赤らめていたが、子ども達は少しずつ多感な思春期を迎えているようだ。





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2008年03月23日

念願のブランが完成!!

3月23日(日)

ブランコ今日、子ども達の念願であったブランコが校庭に完成した。天真爛漫な笑みを浮かべながらブランコに揺れる子ども達の姿は、見ていて本当に心が和む。

今回のブランコは、東京・上野「めぐり」の募金活動で集められた浄財を元に作られた何度かブログでもお伝えしている通り、「めぐり」の募金箱には小さな小学生から97歳の女性まで、実に様々な人たちの温かい気持ちが込められている。

今回、皆さんの温かい気持ちがいっぱい詰った浄財が一つの形となり、“ブランコで思いっきり遊びたい”という子ども達の夢が実現した事は本当に嬉しく、改めて感謝の気持ちでいっぱいだ。僕自身も、ほんの僅かではあるが「めぐり」の募金箱に善意を入れた事があるので、僕のささやかな気持ちがペンキの一部にでもなったのかと思うと、嬉しさも一入だ。

「めぐり」の募金活動を通して大勢の人にヒマラヤ小学校の事を知って頂き、様々な形で暖かいご協力を頂いている。協力してくださる方が増えるという事は、それだけ子ども達の成長や学校の発展を喜んでくださる方が増えているということでもある。喜びを共有してくださる方がいる事は僕達の励みであり、また活動の大きな原動力にもなっている。

それにしても子ども達は、ブランコ遊びを通して様々な事を学び、成長しているようだ。ブランコが完成したばかりの時は、“私が先、私が先”と順番を争っていた子ども達だったが、いつの間にか「一人20回」というルールが決まり、きちんと順番を待つ列が出来た。そして全員が大きな声で回数を数えたり、上手く椅子(踏み台)を振れない子を後ろから押してあげるなど、ブランコ遊びから子ども達が成長している姿を見られた事は大きな収穫だ。

「遊び」は、子ども達の体力づくりはもちろん、助け合い、譲り合い等の徳性を涵養したり、友情といった大切な人間関係を築くことにも大いに役立つのではないかと思う。その他にも集中力を高めたり、更には「あれをしたい、これをしたい」という夢まで、いろいろなものが培われるのではないだろうか。

電柱難しい事は抜きにして、子ども達には“みんなのきもち”が込められたブランコで、時間を忘れるほど、思いっきり遊んで欲しいと思う。*下の写真はブランコが出来るまでの遊びの中心だった、電柱をすべり降りる遊び。よく先生に叱られていた。



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2008年03月19日

翻訳

3月19日(水)

留守中に溜まっていた手紙の翻訳作業が終わった。今回の(ヒマラヤ小学校の子ども達の)手紙は、昨日から始まった3学期期末試験の事や、来週、校庭に設置が予定されているブランコの事が中心だった。試験については、心配している子もいれば、自信満々の子、また既に進級後の事を書いている子までいて、なかなか面白かった。手紙を翻訳していると、子ども達の心の中が良く見える。

試験スポンサーシップの支援を受けて間もない子は、手紙を書くことに未だ慣れていないため文章が短かったり、友達に教えて貰いながら書いている子も多いので、同じような内容になる事も良くある。伝えたい事は沢山あっても、上手く気持ちを文章にして伝えられないのだから、歯痒さを感じている子もいるかもしれない。

今月から、今年度入学した児童や園児も(入学から1年が経過したので)スポンサーシップが受けられるようなり、既にスポンサーシップを受けた子も数名いる。まだまだ、たどたどしい文章だが、これから交流が進むにつれ少しずつ自分の気持ちを表現できるようになるのだと思う。今後も手紙の翻訳を通して、子ども達の成長をしっかり見つめていきたいと思う。


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2008年03月18日

3学期期末試験

3月18日(火)

試験勉強今日からいよいよ3学期の期末(進級)試験が始まった。当初、3月30日から試験を予定していたのだが、4月10日に予定されている議会選挙の関係で、4月初めから教育機関が全て休校になることが決まり、やむを得ず試験日程を1週間、切り上げることになった。

毎年、3学期の期末試験前になると心配になるのが、子ども達の進級についてだ。昨年も残念ながら数名の児童が進級を果たせなかったが、そうした子ども達の事は特に気になっている。学校としては2度の留年までは認めているものの、もし2度も留年してしまえば、保護者の教育に対する関心や希望も失せ、子ども達は学校へ来る事が難しくなってしまう。

実は、留年した児童の中にはスポンサーシップ支援を受けた事で大きく変化した子も多い。保護者の多くが文盲であるため子ども達の成績表を見ても理解することが難しく、子供達がどんなに頑張って良い成績を収めても、家庭で褒められる事は少ないようだ。張り合いがなければ頑張る気力も出てこないだろう。その分、交流を通して頑張った事を褒めて貰ったり、認めて貰らえるスポンサーの存在は子供たちにとってとても大きいようだ。

多くの子ども達がスポンサーシップ支援を受けるようなった今年は、もしかすると全員合格も夢ではないかもしれない。子ども達にはぜひとも頑張って欲しい。

ヒマラヤ小学校通信を更新しています






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2008年03月17日

ホーリー

3月17日(月)

ネパールで一般に使われているヴィクラム暦の第十一月にあたるファールグン月の明けの8日、西暦の3月頃、「ホーリー」と呼ばれる水や色粉を掛け合う賑やかなお祭りが行なわれる。子ども達が毎年、楽しみにしているお祭りのひとつだ。

今年は西暦の3月21日に「ホーリー」が予定されているが、子ども達の中では既に「ホーリー」が始まっているようだ。学校では水風船やペットボトルで作った水鉄砲を手に、水を掛け合っている姿をよく見かけるようになった。少しでもよそ見をしていると、突然、水を掛けられるので僕たち教職員も用心しなければならない。

ホーリー1こうした遊びになると大いに実力を発揮するのがクマール達、ヤンチャな男子児童だ。今日も水鉄砲で上手に女子児童を狙い撃ちにして大喜びしていた。その後、2階にいた女子児童からバケツたっぷりの水を掛けられ、しっかりお返しされたことは言うまでもない。ネパールは暑い夏を迎えようとしている。(画像をクリックしてください)


校内、ホーリーの様子。

ホーリー2女子の足に水を掛ける男子児童




ホーリー4逃げる男子児童。この後、女子のグループに捕まり、たっぷり水を掛けられた。

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2008年03月16日

本物に触れる

3月16日(日)

絵めぐりギャラリーで現在、画家・田中拓馬さんの素敵な絵画展が開催されている。この度、「めぐり」の募金活動を通してヒマラヤ小学校の事を知った田中さんが、ギャラリー内で即席に描いた水彩画をチャリティー販売し、売り上げをヒマラヤ小学校に募金してくださることになった。本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいだ。

また先日3月9日まで、同じく「めぐりギャラリー」で展覧会を開催していた人形作家のイシヤマキヌコさんからは、「ヒマラヤ小学校の子ども達のために」と、素敵な作品を御寄贈いただいた。お二人の温かい気持ちを、子ども達にしっかり伝えたいと思う。

人形田中さんやイシヤマさんの作品のような“本物”に触れる事は、感動や感激といった子ども達の感性を磨く事に繋がると思う。感性を磨く中で、“自分達も作ってみたい”“描いてみたい”という夢が広がれば、将来の自立の大きな基盤になるのではないだろうか。今後も積極的に“本物”に触れる機会を作っていければと思う。

ヒマラヤ小学校通信を更新しました




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2008年03月15日

子どもらしく

3月15日(土)

ヤッギャ校長先月末、1年生のある女子児童が腸チフスを患い学校を長期間休んでいた。ちょうど出張の前で十分な対応が出来なかったため、出張中も児童の様子が気になっていたのだが、先生たちはじめ周りの関係者が一丸となって対応したお蔭で、児童は順調に回復することができたようだ。昨日、ヤッギャ校長と一緒に児童を訪ねると、熱も下がり落ち着いている様子だった。お見舞いの果物も食べられるまで回復し、笑顔も見られたので安心した。

この児童は未だ7歳という幼い年齢にも関わらず、母親がいないため食事から小さな弟や妹の世話まで家事の一切を一人でやっている。ある真冬の早朝、背中に幼い妹を背負い、体よりも大きそうな壷を抱えながら、健気に水を運んでいるこの児童の姿を見て感心した事があったが、傍に寄って話をしていると、児童の手がアカギレになり、とても7歳の子どもの手とは思えないほどボロボロになっている事に気がついた。幼い子どもにも容赦なく振りかかる貧しさの現状が本当に痛々しかった。

あの時も、自分達に出来る事は何か、あれこれ考えたことを覚えているが、結局、これまで何も出来ていないような気がする。貧しさの中で子どもが子どもらしくある事は、もしかすると不可能なのではないかと、時々、懐疑的にもなってしまう。


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2008年03月14日

子ども達の成長

3月14日(金)

UPSBEN3月4日に私立学校教育向上協力会(UPSBEN)主催の「クイズコンテスト」が開催され、4年生のジャナック、ソニー、プジャの3人が参加した。残念ながら僕は出張中だったためコンテストに参加する事は出来なかったのだが、引率したヤッギャ校長によると、入賞こそ逃したものの3人ともそれぞれ良く頑張り、何問か正解を答える事も出来たそうだ。

ソニー今回、ダンス大会や工作コンテストに参加した経験があるプジャやジャナックの他、普段とても大人しいソニーが自ら手を挙げてコンテストに参加したことは、とても新鮮な驚きだった。何が切欠でソニーがコンテストに参加しようと競い立ったのか分からないが、こうした児童の変化や成長を見ると嬉しくなってくる。

コンテストの参加児童の選考については、誰でも気軽に参加できるよう、希望者が手を挙げて決める事にしている。仮に希望者が定員を超えた場合は、子ども達が話し合い参加者を決めている。

後で聞いた話だが、今回のコンテストでは当初、3人の定員に対し、クマールを含む4人が手を挙げていたようだが、ソニーが初めてコンテスト参加を希望している事を知ったクマールが、ソニーに譲る形で参加を辞退したそうだ。目立ちたがり屋のクマールが自ら参加を辞退するなど信じられない事だが、、、、クマールは少し大人になったのかもしれない。今回、入賞こそ逃したものの、ソニーやクマールの成長を知ることが出来た事は、僕達にとって大きな成果だったように思う。


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2008年03月13日

青春の苦い思い出

3月13日(木)

今日はヤッギャ校長から僕の不在中に起こった出来事について報告を受けた。その中で一つ面白い出来事があった。

ある4年生の男子児童のグループが、学校を休んでいる友達を(試験前の大事な時期だから)どうしても学校へ連れて来るように先生に言いつけられたので、友達を探し行くと保護者に嘘をつき、学校をサボって隣村のお祭りを見に行ったそうだ。

学校では連絡もないまま数名の児童が同時に学校を休んだ事を不思議に思い、ヤッギャ校長らが児童の家を訪ねて回ったそうだ。保護者と話をしている内に事のすべてが発覚。ちょうど隣村から戻ってきた村人の話から、児童が隣村にいることもわかり、お祭りではしゃいでいるところを全員、あえなく御用となったそうだ。

ヤッギャ校長は細かい事を一切言わず、『明日から学校へ来なくていい。学校で勉強したい子は他にも沢山いるから』とだけ言って児童を家に帰宅させたそうだが、おそらく家に戻った子ども達は保護者に酷く叱られたことだろう。

その夜、児童らは全員揃ってヤッギャ校長の家を訪ね、今回の一件について謝り、もう二度としないから学校へ行かせてほしい、と頼み込んだそうだ。その後、ヤッギャ校長は子ども達にご飯を食べさせながらいろんな話をしたようで、“普段よりもじっくり話が出来てよかった”とヤッギャ校長は笑いながら話していた。

子ども達はお祭りを観たかったのではなく、おそらく“学校をサボって何かする”という内諸事に冒険心がかき立てられたのではないだろうか。「大丈夫か?」、「絶対、大丈夫だ。」「心配するな。」云々と、計画を練っている時の子ども達の会話が手に取るように分かる。せっかく考えた計画もあっけなくずっこけてしまったところが、実にほほ笑ましい。

この日の事は青春の苦い思い出の一つとして、子ども達の心の中で何時までも残るのかもしれない。捕まった時の子ども達の間抜けた顔を想像すると、また笑ってしまいそうだ。


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2008年03月12日

成果

3月12日(水)

一時帰国の日程を終えて、無事ネパールに着いた。今回は短い滞在期間にも関わらず、予想以上に実が多く、とても有意義な時間を過ごす事が出来た。大勢の方のご協力とご理解を頂き、都内の複数の会場でヒマラヤ小学校の写真展を開催することが決まった。また今後、様々な公益団体でヒマラヤ小学校についてお話しをする機会も頂く事になった。ぜひこの機会に一人でも多くの方にネパールの実情や子ども達の頑張っている様子をお伝え出来ればと願っている。写真展については詳細が決まり次第、HPやブログの中でお伝えしたいと思う。

その他、3階校舎内の開設予定の卒業生を対象にした職業訓練所についても沢山の貴重なアイデアを頂き、自分として少し自信を持つことが出来た。3階校舎が完成に近づくにつれ職業訓練所の開設が現実味を帯びてきた事は嬉しい反面、果たして本当に子ども達の自立を実現できるのかという一抹の不安もあった。そんな時に数々の貴重なアイデアを頂けた事は、本当にありがたく、正に目の前の視界が開けたような感じだ。

結局、自分自身が強い信念を持って取り組まなければ、どんな活動も決してうまくいくはずはない。ぜひ子ども達の自立を達成できるよう、しっかり勉強を重ねていきたいと思う。

嬉しいお知らせ。
「ヒマラヤ小学校絵画展」に参加した子供たちの絵が(一部)ポストカードとなり、今後、3枚1組でチャリティー販売を行う事が決まりました。東京・上野の『美味一服めぐり』で販売しています。どうぞよろしくお願いいたします。*現時点では通信販売は行っておりません。


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2008年03月11日

嬉しいお知らせ

3月11日(火)

黒板昨年11月、東京・上野の「めぐりギャラリー」と目黒区立向原小学校で開催した「ヒマラヤ小学校絵画展」。この絵画展を通して大勢の方に子ども達の頑張っている様子をお伝えすることが出来き、望外の評価をいただくことも出来た。また絵画展の開催は、子ども達の絵を対する興味や感心を高め、今では休み時間中に黒板に向かって絵を描く子ども達の姿を頻繁に見かけるようになった。

大勢の方の温かいご協力を頂いて開催できた絵画展だが、子ども達の絵の描き方を指導したモンゴル先生の長男、ビベック君(9年生14)の貢献もとても大きかった。ビベック君は子供の頃から絵が大好きで、よくヒマラヤ小学校を訪ねたゲストの方に村の風景画や似顔絵を描いてプレゼントしたり、また新しい絵が完成する必ず見せにくるなど、絵に対する熱意は相当なものだ。

クマール神奈川2006年11月、ビベック君は、ヒマラヤ小学校のクマール(当時3年生)と共に、「神奈川ビエンナーレ国際児童画ネパール予選に参加したが、そのとき、他の学校から参加した子ども達の絵があまりにも上手なことにショックを受け、悔し涙を流した事があった。予選に参加した子ども達の多くは有名私立校で学び、普段から美術教育を受けている子ども達だった。いくら絵を描くことが大好きとはいえ基礎を学んでいないビベック君と、基礎を学んでいる彼らとの力の差は大きく、特に色塗りではその差が歴然と出ていた。(写真:神奈川国際児童画展の予選に参加した時のクマール)

他校作品肩を落としたビベック君を見て、何とか皆で協力してビベック君に美術教育を与えようということになり、学んだ事をヒマラヤ小学校の子ども達に指導する事を条件に、1年間、絵画教室に送ることにした。絵画教室に通いはじめてからというもの。ビベック君は周囲を驚かす程、めきめきと実力をつけ、今では絵画教室でも一目を置かれているようだ。

昨年、絵画展の開催が決まった時、約束通りビベック君が絵を指導することになった。放課後、ビベック君が子ども達にやさしく丁寧に教えてくれたことで、子ども達の絵は予想以上に素晴らしい出来となった。特に遠近法や影のつけ方など、ビベック君が自ら学んだ知識をしっかり子供たちに伝えてくれた事は本当に嬉しかった。

ビベック先日、ビベック君はLoo Vina children Concern GroupというNGO団体主催の絵画コンテストに参加して、見事、1番に選ばれた。ビベック君が1年間、一生懸命頑張った努力が結果として実を結び、本当に嬉しい限りだ。子ども達にとっても、絵を教えてくれたお兄さんの活躍は大きな励みになるのではないだろうか。ビベック君の今後の更なる活躍を大いに期待したいと思う。




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2008年02月22日

ブログ3周年

2月22日(金)

サパナこのブログを始めてから今日で丁度3年が経った。毎日、更新することは出来ていないものの、飽き性の僕が3年間も一つの事を続けてこられたことに、自分自身でも驚いている。少しでもネパールの現状や活動への理解を深めて頂けたらと思い始めたブログだが、大勢の人の温かい支えを受けながら3年間、なんとか続けてこられた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

ブログを読んで下さった方から暖かい感想や励ましの言葉、また貴重なアドバイスを頂く事もある。もちろん書いた記事への批判を受ける事だってあるが、読んでくださった方の意見を聞けることは、本当にありがたいことだと思う。


悲子ども達の日常生活は決して嬉しい事や楽しい事ばかりではない。笑顔の裏には辛いことや悲しい現実も沢山ある。そうした子供たちを取り巻く実情にについて、今後も自分なりに発信していけたらと思う。

ブログを書く事は、自分自身の活動を一歩離れて見る良い訓練の場でもある。いつまでブログを続けられるのか多少の不安もあるが、これからも出来る限り続けていきたいと思う。

3年間、本当にありがとうございました。どうか今後ともよろしくお願いいたします。


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