重要なお知らせ

吉岡大祐のヒマラヤ活動日記 へご訪問いただきありがとうございます。 奨学生ならびに学校宛の手紙は普通郵便に限ります。受け取り手続きが必要なEMS(国際スピード郵便)や国際書留郵便、その他、DHL,OCS,FEDEXなど国際宅急便の利用はお断りしております。また物資による支援は自立を目指す学校の教育方針および関税等の問題から全てお断りしてます。どうかあしからずご了承ください。 今後ともよろしくお願いいたします。

当ブログはしばらくの間、不定期となります。 この間、メイルへの返信等、大幅に遅れる場合があります。ご了承下さい。お問い合わせ先:info@ikueikai.org

2005年09月04日

練習

9月4日(日)

朝からヒマラヤ小学校を訪問。試験休みが終わり、今日からヒマラヤ小学校では授業が始まった。試験から開放されてか子供達の顔が今まで以上に明るく見えた。

昼過ぎからソウラ・ユバック小学校を訪ねケナフ観察の様子を取材した。ソウラ・ユバック小学校でもケナフが大きく生長していて子供達を驚かせていた。子供達からは様々な質問を受け、ケナフへの関心の高さが窺えた。

musicその後、学校の隣にある障害者協会の寄宿舎を訪ねた。11月19日に開催予定の『第1回こども環境ケナフ会議では、障害者協会の子供達による演奏会が予定されている。今日は寄宿舎で演奏会に向けた練習が行われていたどの子供達も楽しそうに演奏している姿が印象的だった。子供達にとって今回が初めての演奏会らしい。ぜひ演奏会を通して彼らが一生懸命生きている姿を多くの人に知って頂ければと思う。

夕方、奨学生を訪ね、査証申請書の作成を手伝った。明日、いよいよ大使館で査証を申請する。奨学生が少し不安げな表情をしていたので、良いことをするために日本へ行くのだから、何も心配する必要はないと励ました。不安が払拭されたかどうかは分らないが、兎に角、頑張って欲しい。



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2005年09月03日

ヒマラヤ小学校を眺めながら

9月3日(土)

朝、2件の往診を済ませた後、天気が良かったのでダッチンカリー方面を訪ねた。ダッチンカリーに向う道中にはヒマラヤ小学校を見渡すことが出来る場所がある。今日は遠くヒマラヤ小学校を眺めながら今後の学校運営などについて、あれこれ考えて見た。

ヒマラヤ小学校では2階校舎の完成を目前に控え、今後の学校運営に関する話し合いが続いている。方向性としては皆、一致しているものの、具体的な方法などは未だ決まっていないのが現状だ。開校前、学校運営がこれほど難しいとは想像すらしていなかった。学校運営は資金面の問題だけではない。より良い学校を築くためには、村の人々の協力はもちろん、保護者の教育理解を深めることがとても大事だ。ヒマラヤ小学校では開校以来、残念ながら5名の子供達が学校を去っていった。ほとんどの場合、保護者の教育理解を深めることが出来なかったことに起因している。どうすれば保護者に教育の大切さを理解して貰えるのか。教育を受けていない保護者へ教育理解を深めることは容易なことではないが、やはり地道な活動が大事ではないかと思う。

1年半前、同じ場所から開校前のヒマラヤ小学校を見た時、感激で胸が潰れそうになったのを覚えている。今日は同じ場所から、昨年よりも一回り大きくなったヒマラヤ小学校を見て、夢が大きく膨らんだ気がした。目の前の問題に捉われすぎず、楽しく、夢のある学校を目指して頑張ろうと思う。




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2005年09月01日

試験終了

9月1日(木)

mono今日でヒマラヤ小学校の期末試験も終了。子供達の小さな戦いもようやく終わった。皆、ほっとした様子で学校を後にしていたが、帰宅途中に友達と答えを合わしているところなど、なかなか可愛らしい。今回も無事に試験を終えることが出来て一安心。先生達も子供達同様、ほっとした表情だった。これから先生達は試験結果の集計など、細かい作業が残っているので、暫くは忙しい日々が続きそうだ。



kansatu今日はブンガマティ村周辺でケナフ観察をしている学校(ルドラヤ二学校デヴィ・ジョティ学校)を訪ねた。3ヶ月余りの間にすっかり大きく生長したケナフ。何度見てもケナフの生長の早さには驚くばかり。子供達も皆、一様に驚いた様子だった。生長の速さが子供達の観察意欲を掻きたてるのかもしれない。ケナフに集まる様々な昆虫も子供達の興味を引いていた。昨年から始めたケナフ観察は、ネパールで(多分)初めてという取り組みだったが、とても上手くいっている。何とかこの取り組みを各学校で定着させていきたいと思う。

夕方から往診を1件済ませた後、奨学生を訪ねた。生憎、奨学生は親類宅に出かけていたため留守だったが、その分、母親とゆっくり話をすることが出来た。母親からは教育支援に対する感謝の気持ちが何度も伝えられ、こちらが恐縮してしまった。生活面での窮状なども聞いていると、とても胸が痛くなった。貧困から抜け出すことは本当に容易なことではない。



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2005年08月31日

信頼関係

8月31日(水)

朝、クリニックで治療。今日は大勢の患者さんで慌しかった。しかし鍼不足で十分な治療が出来ず、不完全燃焼気味に終わってしまった。鍼師は鍼がなければ意味がないことを今更のように実感。

丁度、クリニックを終えた後、知人から母親が膝の痛みで困っているという連絡を受け、残っている鍼を集めて往診へ出かけた。患者さんは80歳近い高齢で両膝に強い痛みがあり、歩行もままならない状態だった。患者さんの主訴からも典型的な変形性膝関節症(OA)であることが分った。OAならば鍼治療でも痛みを軽減することが可能だが、患者さんには手足が振るえる振戦や、筋肉の強剛など、パーキンソン病のような症状(パーキンソン症候群?)が見られ、単純OAよりも状態が複雑であることが分った。

患者さんは痛みが原因で精神的に随分参っている様子だったので、治療よりも患者さんの苦痛をしっかり聞くよう心がけた。治療には施術者と患者の信頼関係がとても大事だと思う。信頼関係を築くことが出来れば、思いがけない効果が現れることもある。今回のケース、ゆっくり時間を掛けて取り組みたいと思う。



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2005年08月30日

アシュミタの努力

8月30日(火)

朝、査証の申請書を取りに日本大使館へ出かけた。門の前では沢山の人たちが査証申請の順番を待っていた。ネパールの人達が日本の査証を取得する事は、年々、難しくなっているようだ。

昼過ぎからパタン市内でヤッギャ校長はじめ運営委員会のメンバーと共に、今後の学校運営についての打ち合わせを行った。来年からヒマラヤ小学校では運営費用の削減のため、政府派遣の先生を受け入れる予定にしている。ただ政府の先生を受け入れると、政府から様々な制約を受けることなり、今までのような自由な教育が出来なくなってしまう恐れがある。先生を選ぶことも出来ないため、運が悪ければ、所謂『政府の先生』(怠け者)が派遣される恐れもある。学校の発展には情熱を持った先生の存在が欠かせないため、なかなか頭の痛い問題だ。

いずれにしても学校の継続が一番大事である事に変わりはない。今日の話し合いでも学校の継続を最優先に、出来るだけ独自の雇用が出来るよう経費の削減に取り組みながら、広く支援を呼びかけていく事で纏まった。来年は本当の意味で評価の年になると思う。兎に角、先生達と協力して頑張りたい。

ash夕方、奨学生のアシュミタから、どうしても見せたいものがあると電話が掛って来たので、急いでアシュミタの家を訪ねた。アシュミタは何時もながら人懐っこい笑顔で迎えてくれた。早速、何があったのか尋ねてみると、アシュミタは嬉しそうに成績表を差し出してきた。今日はアシュミタの学校で試験結果の発表があり、全科目で合格したらしい。結果を残すことが出来て、アシュミタはとても嬉しそうだった。

アシュミタは心臓病を患っていることもあり勉強がとても苦手だった。しかし昨年ころから、アシュミタが熱心に勉強している姿を良く見かけるようになった。勉強が苦手で試験の度に悔し涙を流していた頃を考えると、とっても大きな変化だと思う。何がアシュミタを変えたのか、本人に尋ねてみると、アシュミタは人懐っこい笑顔を浮かべながら『さぁ〜』と答えた。

人との係わりを通して病気に打克つ強い心を持って欲しいとの願いから、支援者の方がネパールを訪問された折には出来るだけアシュミタと会って頂く様にしている。多くの人々との出会いがアシュミタのやる気を引き出してくれたのではないだろうか。

母親と肩を寄せ合いながら小さな部屋で一生懸命生きているアシュミタ。きっとアシュミタならどんな苦難にも打克ってくれると信じている。アシュミタの努力を見ていると不思議な力を貰った気がした。




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2005年08月29日

手紙

8月29日(月)

朝から往診を2件済ませた後、昼過ぎから10月に日本へ留学予定の奨学生と打ち合わせを行った。査証手続きを含め日本の習慣を学ぶことや留学に対する意識を高めることなど、まだまだ準備が沢山残っているが、奨学生は真面目で向学心が強くとても聡明な学生なので、必ず有意義な留学になると確信している。

その後、銀行などで雑用を済ませた後、支援者の方から頂いた手紙を奨学生に届けた。手紙にはSLC試験合格を祝う言葉や、奨学生が今まで頑張ってきた事に対して、暖かい労いの言葉が書かれていた。

手紙を受け取った奨学生は何度も手紙を読み返しながら、目を潤ませていた。支援者の方に今までの努力を認めて貰った事が奨学生の胸を熱くしたのだと思う。この奨学生も母子家庭で貧しく、今まで様々な困難に直面してきた。それでも支援者の方の優しさに勇気付けられながら、夢に向かって頑張ってきた。支援者の皆さんと交流を通して、喜びや悲しみ、夢など
、いろんな事を共有していただく事は、子供達が明日を頑張る大きな力になるのだと思う。

最近、里親教育基金の支援者の方の中で、奨学生との交流を希望される方が増えている。なかなか交流を制度化できない中で、支援者の皆さんの暖かいお気持ちは本当に嬉しい。ぜひ支援者の皆さんと奨学生との交流がもっともっと盛んになって欲しいと思う。




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2005年08月28日

期末試験

8月28日(日)

朝から学校を訪問。先日から始まった期末試験大きな問題なく順調に進んでいる様子で、まずは一安心。先生達は安心しながらも、試験の採点に追われて忙しそうだった。

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子供達の様子を撮影していると、監督の先生がいなくなった隙に『ダイスケさ〜ん、ダイスケさ〜ん』と必死に声を掛けてくる子ども達がいた。どうも助けて欲しいらしい。何とも困った表情の子どもを見ていると、可哀想というよりも可愛らしく思えた。少しだけ答えを導き出せるようなヒントを与えたが、出来ることなら全部教えてあげたいところだ。

子供達は将来、郡レベルでの小学校卒業統一試験を受けなければならないため、ある程度の学力を身につけなければならない。しかし子どもの内から、勉強、勉強と押し付けるのも何となく不自然な感じを抱いてしまう。もちろん勉強の好きな子はどんどん頑張って、一歩でも夢に近づいて欲しい。しかし学校には、勉強の好きな子もいれば、苦手な子、勉強よりも遊びの好きな子、歌の好きな子、踊りの好きな子など、いろんな子供達がいる。まずは生きていくために必要な知識を身につけることを第一に、その後は出来るだけ子供達の長所を伸ばしていければと思う。そのためには子供達が遣りたいことは、何でも遣らせてあげたいと思う。学校は単に学問の場でなく、楽しく、夢がある場所であって欲しいと思う。

夕方から往診に出かけた。現在、鍼不足が深刻化しているため十分な治療が出来ていない。今日は鍼の使用を抑えるため、患者さんと会話をして過ごした。往診の患者さんの多くは付き合いが長いため、家族の一員のように可愛がって頂いている。本当にありがたい。特にお年寄りの患者さんからは何時も、野菜を食べているか、ちゃんと休んでいるかなど、暖かい声を掛けていただく。こうした患者さんの一言が、本当に大きな活力を与えてくれる。

夜、先日ブログでも書かせていただいた、引越しをしたし奨学生姉妹を訪ねた。少し落ち着いた様子で、今日は姉妹から何時も通りの笑顔が見られた。お茶を飲みながら、10月に開催されるダサイン祭りの話などをして過ごした。辛い現状を乗り越えながら成長している奨学生の逞しさに、将来への小さな希望が見えた気がした。





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2005年08月26日

初めての箸

26日(金)

今日はクリシュナアスタミでお休み。今年も里親教育基金の奨学生から1人、日本へ短期留学する事が決まり準備を進めている。先日からは日本語の勉強も始まり、奨学生自身も留学に向けた様々な準備を進めている。

今日は少しでも日本の習慣を理解できればと、奨学生を連れて知人の日本食レストランを訪ねた。奨学生は生まれて初めて使う箸に戸惑いながらも、日本食を美味しく食べた。食事が合えば、留学もきっと楽しくなると思う。少し安心した。

その後、近くの喫茶店でヤッギャ校長、学校運営委員会のメンバーと会い、試験後の行事予定について打ち合わせを行った。奨学生も参加させて貰い有意義な打ち合わせが出来た。ヤッギャ校長は何時も奨学生を引き立て、大切な打ち合わせにも積極的に奨学生を参加させてくれる。ヤッギャ校長の柔軟さが子供達の能力を最大限引き出し、良いアイデアを導いているように思う。

夕方からはスミさん達、あすなろ食堂のメンバーと勉強会を兼ねた慰労会を開催した。タメルにあるレストランで食事を取りながらあすなろ食堂の反省点などを話し合った。まだまだ改善点は多いが、こうして皆で知恵を出し合いながら、お客さんに喜んで頂けるレストランを作っていけば、必ず良い方向に向うと信じている。


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2005年08月25日

環境省訪問

8月25日(木)

朝、クリニックで治療を済ませた後、ケナフ会議への参加と中古医療器具の輸入許可をお願いするため、ヤッギャ校長と共にシンハダルバールにある環境・科学技術省を訪ねた。

今日は申請書を提出するだけと考えていたが、思いがけずコイララ大臣と直接お目に掛りお話しする機会に恵まれた。ヤッギャ校長と共にケナフについて説明し会議への参加をお願いしたところ、ケナフへ大変興味を持っていただき会議への参加を約束して頂いた。

また事務次官のレグミ氏にもお目にかかり、ケナフや子供達によるケナフ観察活動など今までの取り組みについて説明したところ、学校での活動に対し暖かい評価をいただき、環境省が進めている各学校での二酸化炭素削減の啓発運動と協同することで、ケナフ活動に対し補助を出すことを検討して頂く事となった。

今までやってきた活動を認めて頂き、とても嬉しかった。まずはケナフ会議を成功させ、ケナフをネパールの人々に紹介することに全力を挙げたい。


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2005年08月24日

支援活動の難しさ

8月24日(水)

朝からクリニックで治療。今日は一番古い患者さんが久しぶりにクリニックにやって来た。担ぎ人夫をしている貧しい男性で、5年前に坐骨神経痛を患ってクリニックへ来院した。その後、治療を続けている内に坐骨神経痛が軽減した時には『担ぐ物があったら何でも担いであげます』と言って、とても喜んでくれたことを覚えている。今年の初めに来院した時には骨結核らしい症状があったため、結核病院を受診するよう勧めた。

今日は久しぶりの来院だったが、筋肉の萎縮がひと目で分るほどやつれてしまい、自力では歩けない状態になっていた。どうも先日、道端で転倒して以来、痛みで歩けなくなったとの事だった。更に詳しい話を聞いていると、どうも大腿骨頭に問題がある事が分り、直ぐにでも人工骨頭の置換手術が必要な状態だった。

急いで知り合いの先生に連絡を取り手術の費用について尋ねると、少なくとも14,000ルピーの費用が掛かることが分った。どう考えても患者さんが支払える金額ではない。しかし、このまま放置していると筋肉は萎縮し、歩行が更に困難になってしまう。どうすれば良いのか困ってしまった。

医療保険制度が整備されていないネパールでは、貧しい人々が十分な医療を受ける機会が少ない。この患者さんのように手術をすれば症状の回復が見込まれる疾病でも、諦めて放置しているのが現状だと思う。

数年前、一時帰国した折に長期入院を経験したが、伝染性の感染症という事で治療費が全額無料になり、日本の医療制度の素晴らしさを実感した。ヒマラヤ青少年育英会でも多くの皆さんにご支援いただき『ヒマラヤ・こども医療基金』を通して子供達への医療支援を行っている。しかしこの基金も子ども達を対象にしているため、仮に保護者が病気に罹った時は何も支援することが出来ない。母子家庭で母親が病気になった時、一番困るのは幼い子供達だ。病で苦しんでいる母親の前で泣いている子供達を何度も見ているだけに、一体どうすれば良いのか悩んでしまう。

支援は当たり前になってしまえば意味がない。いかに支援を受ける側の自助努力を応援するかがとても大事だと思う。しかし目の前で苦しみ支援を必要としている人を無視することにも強い疑問を感じる。支援活動はとっても難しい。

今日の患者さんの件は、癌協会の会長さんや会長の知人に協力をお願いして見た。患者さんも友人や知人を頼り、出来るだけ手術費用を集める努力をすることで纏まった。何とか良い方向で進むことを祈っている。


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2005年08月23日

公園建設

8月23日(火)

朝、往診を3件済ませた後、昨日うまく行かなかった雑用に取り組んだ。昨日よりは少し進んだが、一つずつ進めていくしかない。

その後、ブンガマティ村で建設を予定している児童公園について打ち合わせを行った。公園建設にはスミトラさんなど若い人達も積極的に係わり、どんどん面白いアイデアが出ている。まだ具体的な建設には時間が掛かると思うが、ヒマラヤ小学校の子供達だけでなく、村の子供達の夢が育つ素晴らしい公園を作りたいと思っている。

それにしても開校から僅か1年余りで、2階校舎や公園建設が出来るとは夢にも思っていなかった。実際、開校当時は喜びよりも先の不安の方が多かく、子供達が安心して学べる教育環境をどのように整備するのか、先生達と共に千思万考の毎日だった。

その後、ヤッギャ校長はじめ先生達の努力と、子供達の『勉強したい』という情熱が実を結び、少しずつではあるがヒマラヤ小学校の活動を理解してくださる方が増えた事は本当に嬉しく、大きな励みになっている。

もう少しで念願の2階校舎が完成する。更には隣接地に公園の建設も始まる。まだまだ課題は山積しているが、子供達の夢が大きく育つ学び舎を目指して頑張りたいと思う。


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2005年08月22日

花畑

8月22日(月)

今日は朝から雑用に追われたが、何一つ上手くいかなかった。毎日の生活の中では、上手くいかない日もあると分っていながらも、溜息が出てしまった。

気分転換も兼ね、急いでヒマラヤ小学校を訪ねた。バイクを止めると試験を終えた子供達が駆け寄ってきて、今日の試験問題を嬉しそうに見せてくれた。子供達の無邪気な様子を見ると、午前中の疲れがすっかり吹っ飛んだ。本当に子供達の笑顔に救われた思いだ。

jakarandaヒマラヤ小学校の開校式典ではソロプチミストの先生方にご出席いただき、ジャカランダの木を植樹して頂いた。植樹した当時、小さな苗だったジャカランダも何時の間にか子供達の背を抜き、すっかり大きくなった。子供達の成長と重なり感慨深いものがある。

ヤッギャ校長は常々、学校を花畑に例えている。立派な花壇を作り、種を沢山蒔いても、水遣りや雑草抜きなど、しっかり手入れをしなければ美しい花は咲かない。学校も花畑と同じだという。僕もその通りだと思う。ヒマラヤ小学校に沢山の美しい花が咲くよう、先生達そして支援者の皆さんと共に頑張っていきたい。


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2005年08月21日

無力さを痛感

8月19日(日)

ヒマラヤ小学校では今日から期末試験が始まった。新入生にとっては初めての試験だけに、やや緊張した面持ちで試験に挑んでいた。試験問題に悩んでいる子供達を見ると、子どもの頃の自分と重なり、思わず助けたくなってしまう。頭を掻きながら困った顔をする子、自信満々の表情で試験に挑んでいる子、子供達のいろんな表情が見られる。子供達の日頃の努力が報われることと、早く試験が終わって思いっきり遊べる日が来ることを祈っている。

夕方から往診を2件済ませた後、引越しをした奨学生宅を訪問した。この奨学生(姉妹)への支援を初めて4年あまりになるが、これまでに僕が覚えているだけでも6回の引越しをしている。母親はゴマ油を作って生計を立てているが体が弱く、体調を崩してしまう事が多い。定期的な収入が無いため家賃が払えず、家主から追い出されたり、母子家庭ということで社会的な立場が弱いことも引越しをしなければならない理由の一つのようだ。

小さく薄暗い部屋にいた奨学生は、妹と2人で少し俯き加減で座っていた。普段は底抜けに明るい奨学生だけに少し心配になったが、どうも引っ越しの時に周囲から母親が罵られたそうだ。唯一の支えである母親が罵られ、相当辛い思いをしたのだろう。言葉に詰まってしまったが、これも厳しいネパールの現状として受け止めるしかない。奨学生には、気にしても仕方ない事や、しっかりお母さんを支えるよう励ました。こんな時、自分の無力さを痛感する。




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2005年08月19日

チャパガオン村・レレ村

8月19日(金)

今日はジャナイ・プルニマでお休み。バウン族(バラモン)が身に着けた聖なる紐(ジャナイ)を着け替える日。パタン市内のクンベソールでもジャナイを付け替えるため早朝から長蛇の列が出来ていた。

休みを利用して、ヒマラヤ青少年育英会の副理事長ムクンダさんが、イタリア人の友人らと共にチャパガウン村の外れに建設したビョ−マ小学校を訪ねる事にした。ヤッギャ校長にも声を掛け、ムクンダさんと3人でチャパガウン村へ向った。

チャパガウンはカトマンズから南へ10キロほどの小さな村。以前、週に2度の割合で往診に訪れていたため、僕には馴染み深い村だ。ムクンダさんからチャパガオン村に学校を建てたと聞いたとき、正直あまりピンと来なかった。チャパガオン村は決して豊かではないが、村には学校が整備されていたし、学校へ通う子供達の姿も多く見かけていたからだ。

その後、ムクンダさんから、学校はチャパガン村の外れにあり主に貧しいタマン族の人々が暮しているとの事情を聞いて、どうしても一度、学校を訪ねて見たいと思うようになった。ヒマラヤ小学校を開校して、今まで分らなかった子供達の貧しい現状を知ったことも学校を訪ねたいと思うようになった理由かもしれない。

landチャパガウン村で、1970年製造のランドローバーに乗り換え、山道を揺られながら学校へと向った。深い緑に囲まれた山道は、丁度2年前、ヒマラヤ小学校を建設する前に現在のヒマラヤ小学校の土地を訪ねた時と同じ、何ともいえない不思議な感動を覚えるものだった。車に揺られ30分、ビョーマ小学校に着いた。


byoma学校は緑に囲まれた、とても素晴らしい場所に建てられていた。写真を撮っていると、集落から1人、2人と人懐っこい笑顔の子供達が集まってきた。タマン族は主としてカトマンズ盆地の端、低山岳部に暮す民族だ。大変正直で真面目な性格だが、正直が故に他民族から騙されるといった話を良く耳にする。実際この集落の中にも、他民族に土地を奪われた人がいるようだ。

ムクンダさんの説明によると、村の中心部に学校はあるが集落からは遠く、子供達が通うには難しいとの事だった。また集落には児童労働に従事している子どもも多く、学校建設の必要性を実感したそうだ。

子供達に学校について尋ねると、皆一様に『楽しい』と笑顔で答えていた。学校が出来たことで子供達は学ぶ喜びを知り、将来への希望を持ったに違いない。ヒマラヤ小学校の子供達と重なり、嬉しくなった。

ビョーマ小学校の校長や代表者とも直接会って話をしたが、ぜひヒマラヤ小学校での経験を基に協力して欲しいとの事だった。もちろんヒマラヤ小学校でのシラミ退治や踊りの授業など、上手くいっている活動について積極的に協力していきたいと思う。ヤッギャ校長もビョーマ小学校の提案に大賛成、お互いに協力関係を結ぶことで合意した。また学校の代表者からは、ぜひ日本人ボランティアに来て欲しいとの要請も受けた。安全対策や医療対策を十分に検討する必要があるが、ぜひ実現に向け協力したいと思う。

ビョーマ小学校も現在、政府からの支援を受けていない。地元の有志が僅かな基金を集め、何とか運営しているとのことだった。建設を支援したイタリアの方からは継続に対する支援は一切ないという。学校の継続は、外国支援で建設された学校の共通の課題かもしれない。

lele学校を後にし、再びランドローバーに揺られ隣村のレレ(Lele)を訪ねた。僕にとって初めてのレレ村訪問。丘の上から見下ろすレレ盆地の水田が太陽の光で輝き、とても綺麗だった。レレ村は周囲を深い山に囲まれていることもあり、水が綺麗でなかなか良い村だった。バザールで一休みしながら村の人たちと雑談。村の人々には首都圏とは思えない純朴さが残っている。

今日は山道を車に揺られ流石に疲れたが、とても良い経験となった。僕らが知らないところでは、まだまだ学校を必要としている子供達がいて、今尚、就学を夢見て暮していることを実感した。僅かな基金を持ち寄ってビョーマ小学校を運営している関係者の熱意に敬意を表したい。



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2005年08月18日

医療相談

8月18日(木)

朝、クリニックで治療。今日は昨日よりも患者さんの数が少なく、ゆっくり時間を掛けて治療することが出来た。患者さんの連れ添い方が皮膚病を患っているとのことで相談を受けた。ステロイドの影響で軽い顔面紅潮や顔がふっくらするムーンフェイスの症状が出ていた。

皮膚科の医師から現代医学での治療は不可能だと言われ、アーユルベーダなどの伝統医療か同種・類症療法(Homeopathy)を薦められたそうだ。既に同種療法の医師の診察を受け、医師からは同種療法の薬以外は一切使わず、最大限悪化するまで放置するよう言われたそうだ。医師の指導通りに実行しているものの、果たしてその治療法が正しいのかどうか不安になったようだ。相談を受けて軽はずみことも言えないが、試して見る価値は十分あるように思えたので、少し我慢してでも同種療法を続けてみるようお勧めして見た。一時的な症状の悪化は免れないため暫く辛いと思うが、薬で押え付けるのではなく体調を整えることで治癒すれば、これに越した事はないと思う。

クリニックで活動していると、こうして人々から相談を受けることも多い。日本人であることも理由のひとつだと思う。病気に苦しむ人や不安を抱える人をいかに励まし、病気に打克つ心を持って貰えるか、まだまだ勉強が必要だと痛感している。

jenishaクリニックを終えた後、先日から期末試験の始まった奨学生宅を訪問した。相変わらず家の手伝いに追われている様子。訪ねた時も丁度、洗濯で忙しくしていた。奨学生の用意してくれたお茶を飲みながら、学校のことや家庭の様子などについて話をした。

奨学生の一部は(交流を希望される)支援者の方と手紙などで交流を続けている。この奨学生も支援者の方との交流を続けているが、何でも母親から裁縫を習ったので、支援者の方にシャツを作ってプレゼントしたいという。奨学生達が常に感謝の気持ちと優しさを持って成長している事、本当に嬉しい。素晴らしい奨学生達と出会えた事が活動の原動力だと思う。

今日は往診を休み、ニュースレターを作成した。もう少しで完成予定。限られたスペースで子供達の様子を伝えるのはなかなか難しい。






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2005年08月17日

ヒマラヤ小学校が好きですか?

8月17日(水)

朝からクリニックで治療。暫くの間休みにした分、今日は患者さんが多く慌しかった。昼過ぎにクリニックを終える予定だったが結局3時まで掛ってしまい、後にクリニックを使用する先生に迷惑を掛けてしまった。しばしば同じような問題が起こるのでクリニックの体制について、もう一度考え直す必要があると思う。

クリニックを終えた後、ヒマラヤ小学校へ向った。ヒマラヤ小学校に到着した時には子供達が下校する時間になっていた。駆け寄って来た子供達から、『オオノセンセイとフジワラ・ダイ(お兄さん)は次、何時来てくれますか?』や『日本に着きましたか?』更には『オオノセンセイとフジワラダイはヒマラヤ小学校の事が好きですか?』など様々な質問を受けた。交流活動は単に技術や知識を学ぶだけでなく、出会いの喜びや別れの辛さ、再会の楽しみ、そして人間としての優しさなど、とても大切な事を学ぶことが出来る。この1週間、交流活動を通して子供達は本当に多くのことを学んだと思う。

放課後、モンゴル先生と交流活動について話し合った。モンゴル先生も交流活動を通して学ぶことが多いそうで、具体的な例を挙げながら交流活動に対するモンゴル先生の気持ちを話してくれた。交流活動をいかにより良い活動として定着させていくか、今後の課題だと思う。頑張りたい。

夜、あすなろ食堂で食事をした後、往診を2件。その後、慌しく奨学生宅を回った。



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2005年08月16日

出会いの喜び、別れの辛さ、そして再会の楽しみ

8月14日(火)

朝、往診を済ませた後、お土産を買いにタメル地区へ出かけた。土産物らしい物がないネパールで、お土産を探すのはなかなか難しい。結局、お決まりの紅茶とカレンダーを購入。今日は10日間の日程を終えた大野先生と直人君の帰国の日だ。

お土産を買った後、大急ぎでヒマラヤ小学校へ向った。今日が交流活動最終日とあって子供達の表情も何となく暗かった。突然、2年生のビナが近寄ってきて『オオノセンセイとナオトダイは本当に今日、帰るのですか?』とうつむき加減で尋ねて来た。子供達が暗くなるのも無理はない。これまで楽しい時間を共有し、少しずつお互いの理解が深まりつつある中での別れは、とても辛いことだと思う。交流活動には出会いの喜びと別れの悲しみ、そして再会の楽しみがある。子供達が交流活動を通して学ぶことは本当に多い。

帰り際、先日訪ねた障害児施設で古着を届けた。その後、ダルマさんのお宅で送別会を開催。美味しい料理を頂きながら、短い滞在期間中の思い出話に花が咲いた。

今日は朝から奨学生達がひっきりなしに電話を掛けて来た。大野先生の帰国日程を延長できないか本気で尋ねる電話や、本当に帰国するのかを確認する電話など様々だったが、どの奨学生も大野先生との別れを惜しんでいる様子が良く分かった。

今回、大野先生と直人君にネパールへお越しいただき、素晴らしい交流活動が実現したこと本当に嬉しく思う。大野先生の子供達に対する優しさや心遣いを見て多くの事を学ばせて頂いた。僕にとって本当に大きな学びの収穫となった。ぜひ今回学んだ事を今後の活動に活かしていきたいと思う。



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2005年08月15日

社会見学会・国立博物館

8月15日(月)

朝、文化・観光・航空大臣公邸を訪ねた。何時もながら陳情に訪れた人たちで慌しかった。暫くして2階の応接まで大臣とお目にかかり、ヒマラヤ小学校の事やネパールの観光面の話などで会話が弾んだ。

その後、ジャイカ事務所を訪ねケナフ環境会議への出席をお願いした。今後、ケナフの普及させるためには、ジャイカなどの国際機関の協力が欠かせない。ぜひ会議に参加していただいてケナフの可能性を知って頂ければと思う。

muジャイカ事務所を訪ねた後、ヒマラヤ小学校の2年生と合流し、カトマンズにある国立博物館を訪ねた。8月10日(水)のブログでも紹介した通り、子供達にとってカトマンズを訪ねること自体、初めての体験だ。ミニバスに揺られながら博物館へ向う道中でも、村にはない建物や車の数に驚き、すっかり興奮した様子だった。


kumar初めての博物館訪問、子供達は先生達の説明にしっかり耳を傾けながら、興味深そうに展示品を見て回った。はたして子供達がどんな気持ちで博物館の展示品を見ているのか、心の中を覗いて見たくなった。博物館を回った後は皆で芝生に座って感想を話し合った。子供達らしい素直な感想を聞くことが出来、とても嬉しかった。

その後、遠回りをしながらカトマンズの重要な施設を見て回った。王宮に歓声を上げる子、授業で習ったシンハダルバールを見て喜ぶ子、子供達の喜ぶ笑顔が見られ社会見学会は大成功に終わった。様々な経験を通して学ぶ事は貴重な人生の財産になると思う。これからも社会見学会を継続的に開催したいと思う。



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2005年08月14日

充実した一日

8月14日(日)

今日はヒマラヤ小学校で栄養摂取プログラムを開催した。子供達の多くは栄養不足により、年齢のわりに体が小さい。調査の結果から、子供達は年に1回のティハール祭りの時以外、肉や果物を食べる機会がないことが分った。子供達の多くが、雨が降っただけで風邪を引いてしまうのも、栄養バランスの悪さによる免疫力の低下が影響しているのかもしれない。ただでさえ衛生面の問題で感染症の危険と隣りあわせで生活している子供達にとっては大問題だと思う。

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毎日、肉や果物を与えることは、貧しい家庭にとっては難しい事だと思う。しかし遣り方次第では、お金をかけずに十分な栄養価を摂取する事も可能だ。保護者の多くは日雇いで得たお金を、その日の内に全て使ってしまう。得たお金の内、ほんの一部を栄養のために使う事が出来れば結果は大きく変わってくると思う。ぜひ栄養摂取プログラムを通して、親達にも栄養摂取の大切さを理解してもらいたいと思う。

今日用意したのは、ゆで卵、牛乳、バナナの3品だった。この3品で急に栄養が補えるかは別として、まずは子供達が喜んで食べられる物から始めることが大事だと考えた。嬉しい事は継続にも繋がる。先生達と一緒に茹で上がった卵の殻を剥き、準備を進めた。先日からボランティア活動に参加しているクラーク生の直人君も一生懸命手伝ってくれて助かった。ボランティアの存在はとても大きい。

子供達は普段、口にする機会の少ないバナナや卵を嬉しそうに食べていた。ぜひこの活動を継続的に行い、成果を出したいと思う。将来的には結果をまとめ、他校にも紹介したいと思う。

disable夕方、ブンガマティにある障害児施設を訪ねた。先日、金属片の摘出手術を支援したスニールもすっかり元気そうな様子で安心した。ゲストの大野先生は福祉科を担当されているため、こうした福祉施設の現場を良く知っていらっしゃる。また同行の直人君も週に2回、都内の障害者施設でお手伝いをしているとの事で、今後、情報交換などの交流が生まれればと期待している。施設を運営するダヤラムさんも、施設を良くするためにも技術や運営面でアドバイスが欲しいと話していた。

sangyaその後、ブンガマティにある寺子屋・小川武明教室を訪ねた。子供達はこの3ヶ月間の間に随分と成長したように思える。将来、女学校を作って校長として活躍したいというサンギャさんの情熱が強く感じられた。授業中の子供達の表情も真剣そのもの。素晴らしい寺子屋が出来たことを嬉しく思う。その後、子供達が1人ずつ歌を歌ったり、ダンスを披露したりして楽しい時間を過ごすことが出来た。

ブンガマティを後にして、大野先生達と奨学生宅を訪ねた。どの子供達も筆舌では尽くしきれない感謝の気持ちを何とか伝えようと一生懸命だった。こうして暖かく支えて頂く事で、子供達は大きな目標を持ち、頑張っている。子供達の大きな成長を間近で見られる事は、教育支援活動をしていて一番嬉しい事かもしれない。

今日はとても充実した一日となりました。







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2005年08月13日

楽しい日

8月13日(土)

朝、雑用を済ませた後、里親奨学基金の奨学生らを連れ、ゲストの皆さんとカトマンズ郊外のハッティーバーンを訪ねた。ハッティーバーンへ向う道中から見た一望千里の棚田が輝いて綺麗だった。去年より一回り大きくなったヒマラヤ小学校も望むことが出来、感慨深いものがあった。ヒマラヤ小学校の2階校舎も、もう直ぐ完成だ。

ハッティーバーンからはカトマンズ盆地を全て見渡すことが出来る。空港を離発着する飛行機を眺めながら、暫く日常の喧騒を忘れることが出来た。

ゲストの大野先生とは約1年ぶりの再会となる奨学生達。皆、再会を心待ちにしていただけに、とても嬉しそうだ。言葉が通じない中でも大野先生と奨学生は不思議と心が通じているように思う。大野先生がそれぞれの奨学生の夢を尋ねた後、『僕も夢に向かって頑張るから、君も夢に向かって頑張れ。一緒に頑張ろう!』と、奨学生を優しく励ましてくださった。『頑張れ!!』だけではない、『一緒に頑張ろう』という言葉が奨学生達をとても勇気付けているように思う。大野先生の子供達と接する姿勢はとても勉強になる。その後はゲームをしたり、歌を歌ったりして楽しい時間を過ごすことが出来た。

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その後、サダナの誕生会へ出席するためサダナの家へ向った。家にはサダナの誕生日を祝う人が大勢集まっていた。今年は特別賑やかにしたそうだが、こんなに人が集まるのはサダナの人徳だと思う。サダナの心遣いをすっかり堪能し、こちらでも楽しい時間を過ごすことが出来た。

サダナも18歳。どんどん実力をつけている。将来が本当に楽しみだ。



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2005年08月12日

ケナフ会議打ち合わせ

8月12日(金)

ケナフ会議への参加をお願いするため、ジャイカ事務局を訪ねる予定だったが、ヤッギャ校長が急用で来られなくなりキャンセルとなった。

その後、ポカラから戻られたゲストの方を交え、ケナフ会議の打ち合わせを行った。ペースこそ遅いものの、少しずつ纏まりつつある会議の準備。今日は東京の本部からの意見を元に再検討を行った。またJETROが作成したケナフの紹介ビデオを見て、改めてケナフの可能性の大きさを実感した。

その後、2件の往診に出かけた後、ナレシュさん宅での夕食会に参加した。美味しい食事を頂きながら楽しい話に花が咲いた。ナレシュさんは日本留学中の次女、ナリシュマのことが気になるようで、何度もナリシュマの様子を尋ねているところが印象的だった。

食事を終えた後、先日から母親が病気を患い困っている奨学生宅を訪ねた。幼い奨学生は母親が病気になってしまい、どうしていいのか分らず混乱している様子だった。母子家庭で母親だけを頼って生活しているだけに無理もない。知人の先生にお願いして、何とか母親が適切な治療が受けられるよう準備を進めたい。



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2005年08月11日

睡魔

8月11日(木)

疲れのせいか朝から腰の状態が悪く、往診をキャンセルして暫く休んだ。家で休んでもなかなか落ち着かず結局、痛み止めを飲んでヒマラヤ小学校へ出かけることにした。

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ヒマラヤ小学校では来週の日曜日から試験が始まる。試験を前に何となく慌しさが増しているように感じる。今日は各クラスの様子を見て回ったが、先生達も授業を終えるために必死の様子だった。その内、幼稚園クラスでは新人のムナ先生がA,B,C,Dや数字などを子供達に一生懸命復習させていたが、昼休みを終えて疲れていたのか、とある園児が眠そうな顔をしていたのに気がついた。時に卯鳥卯鳥しながらも、ムヌ先生の声に目を覚まし、必死に授業について行こうとするが、それでも眠気には勝てず、再び眠りにふける園児。見ていて可愛らしく、とても可笑しかった。

夕方、癌協会での雑用を済ませ、試験を終えたヤッギャ校長の長男プラギャ君と次女のプラティギャちゃんと共にパタン市内のレストランへ出かけた。どうもお姉さんのサンギャさんからレストランの事を聞いて、試験が終わったらレストランへ連れて行って欲しいと、ヤッギャ校長にお願いしていたらしい。ピザを頼んだプラティギャちゃんが一生懸命、フォークとナイフを使っている姿が印象的だった。

その後、2件の往診に出かけ、あすなろ食堂を訪ねた。今日も大勢のお客さんで賑やかだった。開店から半年、あすなろ食堂は少しずつ地域に定着しているような気がする。頑張ってほしい。




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2005年08月10日

楽しみな交流活動

8月10日(水)

朝、ポカラに向うゲストの皆さんをお見送りした後、クリニックへ直行。今日は雨が降ったが、大勢の患者さんが来て賑やかだった。先日から治療を続けている脊椎骨粗鬆症の患者さんは未だ痛みはあるものの、表情が随分明るくなった気がする。付き添いの家族の話では、鍼治療を始めて以来、頻尿が良くなったとのことだった。腰の痛みをとるために腎愉という経穴(ツボ)を刺激したことが、腎機能の回復に繋がったのかもしれない。もちろん鍼だけで効果が出たとは考えにくいが、少しでも患者さんが回復に向っているのは嬉しい。

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クリニックを終えた後、ヒマラヤ小学校を訪問した。学校に着くと昼休み中の子供達が駆け寄ってきて『クラークの先生とお兄さんは来ないの?』と質問攻めにあった。『真面目に勉強していたら、また来てくれますよ』と慰めの言葉をかけながら職員室へ向ったが、残念がる子供達の表情からも、いかに子供達が交流活動を楽しみにしているのかがよく分かる。

ヤッギャ校長らと来週予定している社会見学会について話し合った。先日、ボランティア教員のビディヤ先生が2年生の社会科を教えていたところ、授業の中に出た『王宮』や『博物館』について子供達から質問が相次いだらしい。

村から外へ出たことのない子供達が王宮やら博物館と聞いても、なかなかピンとこないのも良く分る。ビディヤ先生の社会見学会の提案は僕も大賛成だ。子供達が学校の外で、様々な体験を通して学ぶことはとっても重要なことだと思う。子供達からも期待が高まっているので、ぜひ実現したいと思う。それにしてもボランティア教員のビディヤ先生は何時も子供達のことを良く考えている。先生が来てくれた事で授業の幅が大きく広がった。本当に有難い。

夕方から往診へ出かけた。今日は少し疲れていたので往診を1件だけで済ませ、あすなろ食堂で食事をした。その後、奨学生宅を訪ねた。何時もながら貧しい環境の中でも、一生懸命頑張っている姿に感銘を受けた。貧しくても『希望』を持っていることが、子供達の表情を豊かにしているのかもしれない。




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2005年08月09日

焚き火

8月9日(火)

朝、往診を2件済ませた後、昨日に引き続きゲストの方と共にヒマラヤ小学校を訪ねた。学校へ到着すると子供達が一斉に駆け寄って来てゲストの方を歓迎した。今日も子供達の心からの歓迎が嬉しい。

今日はゲストの1人、クラーク生のF君が子供達に素敵な遊び道具を寄贈してくれた。早速、子供達は新しい遊具を使ってF君と遊び楽しい時間を過ごした。子供達の天真爛漫な美しい笑顔を見ていると、交流活動の大切さを実感する。一緒に楽しい時間を共有することは、きっと貴重な人生の財産になると思う。

tera1子ども達を見送った後、ゲストの皆さんと『隻手薬師寺小屋』を訪ねた。何時もながら寺子屋には入りきれないほどの子供達が集まり、学びの熱気で満たされていた。普段、児童労働者として労働活動に従事している子供達。汗で顔を光らせながら寺子屋に集まり勉強を続ける姿から、子供達がいかに毎日の寺子屋を楽しみにしているのかが分る。子供達は一生懸命練習してきたダンスを披露して、ゲストの皆さんを心から歓迎した。踊りを披露でき子供達は大満足した様子だった。

その後、ヒマラヤ小学校で焚き火を囲みながら意見交換を行い、とても有意義なひと時を過ごすことが出来た。燃え上がる炎を前に皆でヒマラヤ小学校への思いや夢を語っていると、不思議と大きな希望が沸いてきた。


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2005年08月08日

待ちに待った交流会

8月8日(月)

朝、ゲストの方をお迎えに空港へ出かけた。流石に12時間の遅れと長旅でお疲れの様子だったが、約1年ぶりの再会はとても嬉しかった。

a1昼からゲストの方をお迎えしヒマラヤ小学校で歓迎会を開催した。まずは児童を代表して隣村から通っている2年生のアリシャが歓迎の挨拶を行った。アリシャをはじめ、今年入学した子供達にとっては初めての歓迎会だったこともあり、少し緊張した様子だったがアリシャは大きな声でしっかりと歓迎の挨拶を行った。

その後、子供達が練習を続けてきた踊りや歌を一生懸命披露し、心からゲストの皆さんを歓迎した。またヒマラヤ青少年育英会の奨学生たちやヤッギャ校長の愛娘サンギャちゃんも歓迎会に参加し、大いに盛り上がった。同行中の学生さんも子供達とすっかり打ち解けた様子で、短い時間ではあるが今後の交流がとても楽しみだ。

ゲストの方にとって開校式典以来、約1年ぶりのヒマラヤ小学校訪問だったが、1年間の子供達の大きな変化を喜んでいただいた様子で嬉しく思った。

放課後、子供達はゲストの皆さんに『明日も絶対来てねー』と話しかけながら、学校を後にした。久しぶりの歓迎会、きっと子供達は夢見心地だったのだろう。自分達が一生懸命覚えた歌や踊りを褒めていただき、子供達の夢も広がったことと思う。やはり交流は素晴らしい。これからも子供達の夢を育てる交流活動に力を入れていきたいと思う。

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追:歓迎会での一幕。マイクのスピーカーを物珍しいそうに眺める子供達。中に人間が入っていると本気で思っているところが、無邪気で面白かった。

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2005年08月07日

念願のID取得!!

8月7日(日)

rensyu朝からヒマラヤ小学校を訪問。明日の歓迎会に備え、歌や踊りの練習が行われたどの子供達も交流を心待ちにしていただけに練習にも力が入った。踊りでも歌でも、見てもらう人や聞いて貰う人がいると頑張る大きな力になる。やはり目標があるから頑張れるのだと思う。

練習を見ている僕の傍に寄ってきては、『明日、どんなお兄さんが学校へ来てくれますか?』と嬉しそうに尋ねてくる子供達。夢見心地の子供達に『君達がちゃんと勉強しているか確認に来るのだよ。怠けていたら叱られるよ』と言うと子供達は、先生の言うことをちゃんと聞いているやら、宿題をちゃんとやっている、昨日のテストも満点だったなどと無邪気に答えていた。

その後、戸籍取得の手続きで奮闘している奨学生から『貰いましたー!!』と喜びの電話が掛ってきた。手続きが難航し、半分諦めかけていただけに、奨学生からの報せには驚き、取得できたことを自分のことのように嬉しく思った。

今回の件では多くの方の理解と協力を頂いた。粘り強く政府側と交渉を続けたヒマラヤ青少年育英会のダルマさん、現状を理解し協力していただいた警察の方や地区の代表者の方。多くの方の協力を頂きながら一歩ずつ手続きを進める中で、奨学生は本当に多くのことを学んだと思う。ぜひこの経験を今後に活かして欲しいと思う。

夕方、奨学生を訪ねると、薄暗い部屋で母親と涙を浮かべながら喜んでいた。生まれる前から父親に捨てられ、肩を寄せ合い生きてきた母娘。貧しさの影響を常に受けながらも、一生懸命生きてきたことが今回の戸籍取得に繋がったのだと思う。本当に良かった。




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2005年08月06日

集中工事

8月6日(土)

朝、2件の往診に出かけた。早朝から降り続いた雨でびしょ濡れになったまま昼前に帰宅。昼食を食べた後いろいろ考え事をしていると、何時の間にか惰眠にふけてしまった。

目が覚めると午後1時を過ぎていた。木曜日から行われている2階校舎の集中工事の様子を確認するため、急いでヒマラヤ小学校へ出かけた。途中で再び強い雨に打たれて、びしょ濡れになりながらヒマラヤ小学校に着いた。

ヒマラヤ小学校では順調に工事が進んでいた。天井の部分もなんとか漆喰作業が終わり、後は階段の踊り場付近と1教室の床の漆喰作業を残すのみとなった。教室内の乾燥に10日程度かかると思うが、その間に窓や戸そして塗装工事が出来ればと思う。

雨が降っていたため、ヤッギャ校長やモンゴル先生と雑談して過ごした。各クラスの子供達の成長を先生達と話し合うことは僕の楽しみでもある。子供達の何気ない変化を先生達から聞くと、一刻も早く子供達に会って確かめて見たくなる。



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2005年08月05日

なかなか上手くいかない。

8月5日(金)

朝、中央郵便局へ行き郵便物を投函。その後、郵便局に勤める知人とチャーを飲みながら雑談に花が咲いた。

その後、先日からラリットプール郡庁で戸籍取得の手続きを行っている奨学生から、泣き出しそうな声で、今日も上手くいかなかったと連絡を受けた。戸籍取得には原則として両親の署名が必要だが、父親がいない奨学生の戸籍取得は困難を極めている。先日、ようやく地区の代表の人にレポートを作成して貰い、何とか今日は上手くいくと思っていたので、結果を聞いてため息がでた。

落ち込む奨学生と会い、今後の対策を練った。ネパール人として生まれ一生懸命生きているにもかかわらず、国からネパール人と認めてもえない現状には憤りすら感じるが、まずは感情的にならず、政府側が必要とする書類を集める事に全力を挙げることや、今後も諦めずに頑張っていくことを決めた。貧しく弱い立場の奨学生には抱えきれない大きな問題だが、戸籍取得を信じて一歩ずつ進んでいくしかない。出来る限りの協力をしたいと思う。

夕方、サダナ宅を訪ね、ケナフ会議の件で学校や役所に提出する書類に署名を貰った。その後、大急ぎで奨学生の誕生会に参加。皆、あっという間に大きくなるので、改めて奨学生の歳を聞いて驚いた。ささやかな誕生会ではあったが奨学生も喜んでくれて良かった。

その後、ヒマラヤ青少年育英会の理事宅を訪問し、来週の予定などについて打ち合わせ。来週は子供達も楽しみにしているゲストの方がいらっしゃる。短い滞在ではあるが、様々な意見交換をしたいと願っている。



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2005年08月04日

夢に向かい邁進

8月4日(木)

朝、往診を2件済ませた後、帰宅。暫く雑用に追われる。今日から土曜日を含む3日間、ヒマラヤ小学校は2階校舎集中工事のために臨時休校となった。休校についてヤッギャ校長が子供達に伝えると、子供達からは『え〜!!』という意外な返事が返ってきた。中には午前中だけでも開校して欲しいと言い出す子までいて、子供達の中でヒマラヤ小学校が居場所として定着していることを実感した。僕だったら嬉しくて、間違いなくはしゃいでいたと思う。

昼過ぎからパタン市内の学校でケナフの種まきを行った。今日で一応、種蒔きはすべて終了した。ケナフについての講義を終えた後、ケナフの種を手にした子供達の興味深そうな顔が印象的だった。土壌が悪くどれだけ生長するか心配もあるが、こういう悪条件でこそケナフの本領が発揮できると思う。

その後、ヤッギャ校長と共にカトマンズにある中古車屋を訪ねた。ヤッギャ校長のバイクも僕のバイクも相当ガタが来ている。何時も老人バイクと言ってお互いに冷かすのだが、今日は一度、中古車を見てみようということで店を訪ねた。条件に合うバイクもあったが、カトマンズの悪路と灯油入り不正ガソリンに耐えるだけの物を探すのは至難の業だ。

午後5時から今年SLCを終えて新しい学校に進学した奨学生と会って、新しい学校の話などを聞いた。瞳を輝かせながら新しい学校について語る奨学生の姿を見て、とても嬉しく思った。夢に向かって邁進する姿は本当に爽やかで頼もしい。ヤッギャ校長も参加して暫く楽しい時間を過ごすことができた。

夜、往診に出かけた後、スミトラさんのあすなろ食堂で食事をした。先日からニルマラさんも復帰してキッチンが賑やかになった。今日はお客さんの入りも多く、少しずつ業績も回復傾向にある。頑張ってほしい。



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2005年08月03日

心機一転

8月3日(水)

朝からクリニックで治療。鍼不足が深刻になってきたため、鍼の使用量を制限しながらの治療となり、いまいち納得できない治療内容となってしまった。今日は先日に引き続き骨粗鬆症の患者さんの調子が良く、嬉しく思った。毎日チーズも摂っているとのこと。この患者さんのように治療に前向きで協力的な患者さんは良くなるのかもしれない。少しでも鍼治療に希望を持って貰えたなら嬉しい。今日は4年ほど前に坐骨神経痛(梨状筋症候群)の治療をした古い患者さんや、クリニックの下にある時計屋さんが治療に訪れ、終始賑やかだった。

昼過ぎから、出入国管理局へ出かけ査証の更新手続きを行った。今までと異なる少しだけ機敏な対応に驚いた。管理局の友人に話すと『何時まで続くかなぁ』との返事が返ってきた。とてもネパールらしい。

帰宅して雑用を一気に片付けた。新聞の切抜きから奨学生の領収書の整理まで、あっという間に日が暮れてしまった。

その後、往診を3件済ませ、奨学生宅を訪問。今年、残念ながらSLCし合格できなかった奨学生が1人いた。1教科のみ合格点に達していなかったため、先日、再試験を受けたそうだ。再試験について尋ねると、上手くいったとの事で安心した。これから奨学生の進学先選びが始まるが、今まで集めた情報を元に何校か推薦して見た。SLCを失敗して随分辛い思いをしただけに、新しい学校では心機一転頑張って欲しいと思う。



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2005年08月02日

ビナの願い

8月2日(火)

朝からヒマラヤ小学校へ出かけた。2階工事はその後も順調に進んでいる。今日は漆喰を塗る作業が残りの教室でも行われた。後は天井に漆喰を塗る作業と、既に教室として使っている部屋の床に漆喰を塗る作業が残っている。今週は木、金曜日を臨時休校にして、一気に工事を進める予定。

bina子供達と遊んでいると2年生のビナ(14)が傍に寄って来て、『2階の工事が終わったら、何時3階を作りますか?』と質問してきた。さぁ何時出来るかな、と答えると、続いて『将来、何階まで作りますか』と質問してきた。『どうして?』と逆に質問するとビナは『ヒマラヤ小学校で10年生まで勉強したい』とニコリと笑って答えた。

ビナからは同じような質問を何度か受けた事がある。2階校舎の建設が決まったとき、一番喜んだのはビナだった。ビナは成績も大変優秀で、開校以来ずっと1番の成績を納めている。ある日、放課後も勉強を続けているビナに、ヒマラヤ小学校を卒業した後も奨学金を出して10年生まで支援してあげるから、一生懸命頑張るよう励ますと、『他の学校へ行くより、ヒマラヤ小学校に10年生まで作って欲しい』と言われて、苦笑いしたことがあった。

ビナは貧しい被差別階級の出身だ。ヒマラヤ小学校が開校した去年、13歳になるまでまったく学校へ通ったことが無かった。ひたすら労働力として働かされ、学校へ通う近所の友達を見ては羨ましく思っていたらしい。

ビナの切実な願いは僕らの原動力にもなっている。ヒマラヤ小学校で勉強を続けたいというビナの願いを、僕達はしっかり受け止めていかなければならない。何時か高校が出来る日を、ビナたちと共に夢見たいと思う。





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2005年08月01日

問題解決

8月1日(月)

朝、ヤッギャ校長と共に昨日の奨学生の通う学校を訪ねた。校門の前では不安げな表情をした奨学生が待っていた。

早速、担当者と会い現状説明を受けた。事前に説明もなく、既に入学金を納め授業を始めた後で、このような事態になった事、また半ば強制的に奨学生へコースの変更を指導した事を強く抗議し、直ぐに入学金を返還するか、学校の全責任において他校への転校手続きを取るよう話した。学校側も全面的に非を認め、速やかに転校手続きを行うこと、奨学生にいかなる損害や被害も出ないように、学校として責任を持って問題解決に取り組むことで合意した。

こういう交渉では強気の姿勢が必要だ。気の小さい僕は虚勢を張りつつ強気で交渉に挑んだ。交渉前は困難が予想されていたものの、思いがけず敏速に解決できたのはヤッギャ校長の協力があったからだと思う。口うるさく騒ぐ僕の傍でヤッギャ校長が紳士的に話を進めてくれた事で、問題が一気に解決したように思う。奨学生も問題が解決して嬉しそうだった。新しい学校での環境に慣れるまでには時間が掛かるかと思うが、奨学生には心機一転がんばって欲しい。

その後、クリニックで治療。先日、訪れた骨粗鬆症の患者さんが随分、調子が良くなったようで嬉しかった。もちろん鍼治療だけで良くなったわけではないが、やはり患者さんの喜ぶ姿を見ると嬉しい。治療にも何時も以上に熱が入った。


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2005年07月31日

降りかかる問題

7月31日(日)

朝、往診に出ていると、今年SLCを合格した里親教育基金の奨学生から、落ち込んだ声で電話が掛ってきた。今朝、学校の担当者に呼ばれ、専攻したコースが定員割れで開校できないと告げられたとのことだった。また担当者から半ば強制的に他のコースへ移るよう指導されたとのことだった。今にも泣きだしそうな声だったので、奨学生と会ってゆっくり話を聞くことにした。

この奨学生はSLCで1stDIVISIONを納めた優秀な学生で、成績優秀につき今年から私立学校に入学して学ぶこととなった。先日、授業が始まった日には、学校が終わると直ぐに電話を掛けてきて、学校が楽しいことや、インド人の先生の本格的な英語に感激したことを、嬉しそうに話していた。そんな奨学生の声を聞いて、喜んでいたところだった。

奨学生と会ってゆっくり話を聞くと、やはり学校側に非があることが分った。落ち込む奨学生にアイスクリームをご馳走し、明日、学校を訪ね担当者と詳細を話し合うので心配しなくても良い、というような事を告げた。ネパールで生活していると、常にこういった問題が降りかかってくる。これも異国生活での煩いと諦め、一つずつ解決していくしかない。一番大事なことは、奨学生が楽しく勉強できるように、出来るかぎりの応援をすることだと思う。

昼過ぎからヒマラヤ小学校を訪ねた。最近、ヒマラヤ小学校では演劇に力を入れている。授業の中で子供達が物語を作り、皆で協力して演劇を作っている。

geki今日はビディヤ先生が『教育とは』という題名で、とても内容のある演劇の台本を作ってくれた。これからどんどん演劇に力を入れ、何時か村の人たちの前で披露したいと考えている。子供達の演劇を通して、村の人たちにも教育の大切さを伝えることが出来ると思う。学校という教育現場から情報を発信していきたい。


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2005年07月29日

け〜がるね〜

7月29日(金)

朝からヒマラヤ小学校を訪ねた。2階校舎の建設もようやく大詰めを向かえ、急ピッチで工事が進んでいる。何とか来月中には竣工できそうで、まずは一安心。工事契約書にサインした担当者から『セメント・チャイナ、(セメントがない)パニ・チャイナ(水がない)、バッティ・チャイナ(電気がない)、サマン・チャイナ(道具がない)、ケーガルネ(どうすればいいの?)』と毎日のように聞かされ、うんざりすることもあったが、今となっては『ネパールらしい』と少し思えるようになった。竣工の日まで気を抜かず頑張りたい。

ネパールの人々は穏やかで、とても人懐っこい性格だ。何事も慌てない、のんびりしたところが最大の長所なのだが、長所は短所でもある。ほとんどの場合、仕事が時間通り、また計画通りに進むことはない。責任の所在など何時も不明で、何があっても上記と同じように『ケ~ガルネ〜』で終わってしまう。一々、苛立っていても仕方ないと分っていながら、苛立ってしまう外国人多いのではないだろうか。『結果オーライ』の文化・習慣に慣れる事が、ネパールで暮す秘訣なのかもしれない。

kdnその後、パタン市内でサダナ、ヤッギャ校長と合流し、ケナフの打ち合わせを行った。まだまだ決まらないことも多くあるが、一つずつ着実に進んでいる。途中で里親奨学基金の奨学生もミーティングに参加し、それぞれの意見を述べた。若い人達の意見をどんどん取り入れていくことが、会議の成功に繋がると思う。今日は良い時間を過ごすことが出来た。




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2005年07月28日

ネパールでの仕事

7月28日(木)
朝、往診を終えた後、郵便局での仕事を済ませた。

2時から、ヤッギャ校長、シャムさんと合流して、パタン市内の学校でケナフの種蒔きに出かけた。

今まで何度か種蒔きをする予定で訪れた学校だったが、その度に担当者がいなかったり、学校が休校だったりと、なかなか実現できていなかった。今日こそは種まきをしようと訪れたものの、何と今日から期末試験で子供達は既に帰宅してしまったとの事だった。一昨日、校長と担当者に連絡した時は問題ないと言っていたのに。改めてネパールでの仕事の難しさを感じた。

その後、3件の往診に出かけた後、あすなろ食堂で食事。暫くスミトラさんと雑談して楽しい時間を過ごすことが出来た。





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2005年07月27日

ムヌ先生の活躍

7月27日(水)

朝からクリニックで治療。馴染みの患者さんの治療を終えた後、昼過ぎからヤッギャ校長の紹介で新しい患者さんがクリニックを訪れた。72歳の女性で3ヶ月前に椅子から転倒して以来、腰と足に激しい疼痛があるとのことだった。どのクリニックや病院へ行っても『歳だから。。』と相手にされず、痛みを我慢していたこところ、ヤッギャ校長から癌協会クリニックのことを聞いて来たそうだ。

年齢や体型また尿中のカルシウム濃度が高いこともあり、脊椎骨粗鬆症ではないかと疑った。骨粗鬆症に対して鍼治療がどの程度有効なのかはっきり言って分らない。まずは痛みを取る等の対症療法が中心になると思うが、少しでも患者さんを励ますことが出来ればと思う。患者さんには一応、毎日チーズを摂る様に勧めてみた。

治療を終えた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。何時ものようにカメラを片手に授業の様子を覗いて見た。最近、ナーサーリークラス担任のムヌさんがめきめきと実力をつけている様に思う。何と言ってもクラスの雰囲気がいい。子供達が底抜けに明るくクラスに一体感がある。

ムヌさんは幼い頃に両親と死別し孤児院で育った孤児だ。孤児院を出た後は施設で育った仲間4名と共にヒマラヤ青少年育英会の研修施設で暮しながら、様々な女性自立支援プログラムを受けてきた。ムヌさんは元々、歌や踊りが上手いことで有名だった事もあり、少しでもムヌさんの自立支援に繋がればと、昨年、ヒマラヤ小学校で歌と踊りの指導をお願いした。

その後、ムヌさんの真面目な性格と直向に努力する姿勢が周囲から大きな評価を受け、今年から教師としてヒマラヤ小学校で教鞭を取ることとなった。ムヌさんには教師としての経験がなかったため当初は不安が多かったようで、僕もムヌさんから相談を受けたことが何度かあった。

ムヌさんの授業を見ていると、今まで受けた様々なアドバイスや指導を忠実に守り実践していることがよく分かる。元々の素直で真面目な性格が良い形で教師の仕事に作用しているようだ。

down今日は園児1人がムヌさんに叱られ、教室の隅で悲しそうに座り込んでいた。いかにも構って欲しいと言いたげな表情でムヌさんを見つめる児童を、まったく相手にせず粛々と授業を進めるムヌさん。暫くの間、ムヌさんと園児の駆け引きが続いた。

放課後、悲しそうな表情で校舎の隅に立っている園児を、ムヌさんが優しい笑顔で『花を摘みにいこう』と誘った。その瞬間、園児の表情が笑顔に変わり、嬉しそうにムヌさんの手を握りながら花を摘みに出かけた。その後、園児は一生懸命集めた花をムヌさんにプレゼントした。

教育には心理的な駆け引きがとても重要だと思う。拗ねた子どもをただ可愛がるだけでは、子供達はきっと成長できない。優しさと厳しさのケジメをはっきりしているムヌさんのような態度が、とても大事だと思う。

帰り際、ムヌさんに上記の一件について尋ねると、『泣きながら訴えてくる子どもを無視するのは本当に辛かったけど、今日は何とか上手くいきました。』と笑顔で答えていた。




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2005年07月26日

子供達の成長

朝、役所での雑用を済ませ、ヒマラヤ小学校を訪問。今日はヤッギャ校長と2年生が一緒に作った軽演劇の練習が行われた。子供達の演技がなかなか上手く、見ごたえがあった。特に感情豊かなサシナの演技は光っていた。軽度の知能障害を持っているサシナだが、もしかすると一寸した演劇の才能があるのかもしれない。新しい発見だ。

悪主人を完璧に演じたナレシュも意外だった。彼は現在15歳。今年ヒマラヤ小学校に入学するまで、様々な教育支援団体から就学支援を受けて学校に通ったものの、2度も中途退学しているという。

ヒマラヤ小学校に入学が決まった時、ナレシュを知る知人から、彼には気をつけた方がいいよとアドバイスを受けた。不安になってヤッギャ校長に相談すると『彼は大丈夫です。必ず頑張りますよ』と予想外の返事が返って来た。

ヤッギャ先生の予想通り、ナレシュは入学以来一度も欠席せず学校に通い、授業にも積極的に参加して頑張っている。悪い評判があっただけにナレシュの変化は本当に嬉しい。今日はナレシュが大の歌好きであることも分った。いつか式典の中でマイクを持って歌わせようと思う。

授業を観察していると子供達のいろんな変化に気がつく。実はナレシュ以外にも心配な児童が1人いた。彼の名前はラケシュ。昨年の進級試験では残念ながら落第してしまい、ショックで落ち込んでしまうのではないかと心配していた。

rakeshそんな僕の心配とは逆に、彼は留年したことで大きく変化した。クラスに男子児童が増え、気の合う友達が出来たことも大きいのかもしれないが、授業中の表情は真剣そのもの、一生懸命勉強を頑張っている。担任のモンゴル先生もラケシュの変化には驚いているようだ。

こうして子供達の大きな成長を間近で見られるのは、本当に幸運なことだと思う。日々、成長を続ける子供達をこれからも見つめていきたいと思う。











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2005年07月25日

学びの熱気

7月25日(月)

朝、クリニックで治療。患者さんが一気に来たため慌しい治療となる。ここのところ治療に使う鍼が不足気味になってきた。鍼はネパールで入手できないため、何時も一時帰国した折に日本から運んでいる。鍼にも太さや長さなど種類があり、それぞれ治療部位や治療方針で使用する鍼の種類を変える。僕のクリニックには女性の患者さんが多いため、どうしても細めの鍼を使うことが多い。そのため自然と細い鍼の消費が多くなり、太い鍼だけが残ってしまう。今日は男性患者に断った上で太い鍼だけを使って治療した。何とか次の帰国までもたせなくては。

昼からある奨学生のIDカード(戸籍)取得のために地方行政局を訪ねた。ネパールのルールでは両親が揃っていない場合、戸籍IDの取得が出来ないらしい。結婚して配偶者に戸籍または自宅がある場合のみ取得が可能との事。僕達が支援している奨学生の多くは母子家庭の子供達であり、もちろん自宅のない子が殆どだ。IDが取得できなければ、当然のことながら旅券を作ることは出来ず、仮に一生懸命勉強を頑張って海外留学機会を得ても、海外に渡航することが出来ない。理不尽なルールに首を傾げたくもなるが、何とか奨学生のID取得のために頑張りたい。

昼からヒマラヤ小学校を訪問。今日も皆、元気だった。ヒマラヤ小学校の子供達の中には隣村から徒歩で2時間以上かけて通ってくる子達がいる。何度かバイクで村を訪ねたことがあるが、とても徒歩で通うには難しい道のりだ。そんな中でも毎日、休むことなく学校へ通っているという事は学校が楽しい証拠だと思う。隣村から通う子供達を見送りながら、いろんな事が脳裡を廻った。

放課後、なかなか帰ろうとしない児童がいた。幼稚園クラスのディポックだ。どうもボールを使って遊びたいらしい。ディポックは被差別民に属していることもあってか、入学当初は教室へ入ることすら出来なかったが、今ではクラスのガキ大将といってもおかしくない存在だ。この1年、ヒマラヤ小学校で一番成長したのはディポックかもしれない。

ボール遊びをしながらディポックに学校について尋ねてみると、ギョロっとした大きな目を輝かせながら『とっても楽しい』との返事が返ってきた。楽しい学校づくりを目指しているだけに、子供達のこうした声はとても嬉しい。

dharma夕方からは昨日に引き続き『寺子屋』を訪ねた。みんな真剣な表情で勉強を頑張っていた。煉瓦工場で働く子供達が数名入学してきたが、どの子も覚えが早いとシャム先生から嬉しい報告を受けた。なるほど新入生の表情からは『学びたい』という熱意と意欲が、ひしひしと伝わってきた。新入生も在校生もお互いに切磋琢磨しながら頑張って欲しい。

その後、往診を1件済ませ、歯科治療を受けた。夜は昨日に引き続き友人の送別会に参加。雨上がりの涼しい環境の中で、楽しいひと時を過ごすことが出来た。



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2005年07月24日

確かな成長

7月24日(日)

朝、弁護士事務所へ行き、あすなろ食堂の会社登録更新について打ち合わせを行った。何とか順調に行きそうで安心した。

昼は友人と食事をしながら雑談に花が咲いた。その後、ヒマラヤ小学校を訪問。2階校舎の工事も順調に進んでいる様子で一安心。新しく工事に来てくれた人達は一時期の人達よりも遥かに質が良い。工事の進み具合も着工時のように早く、これから期待が出来そう。

samuj放課後、子供達と遊んでいると突然、大雨が降り始めた。僕は大急ぎで教室へ駆け込んだが、子ども達は雨に大喜び。空に向って大きな口を開けて、雨水が入るのを喜んでいた。子供達の手に掛ると何でも遊び道具になってしまうのだから不思議だ。

今日はヒマラヤ小学校の児童(姉妹)の母親が、生活苦から子供達を残して家出をしたという情報が入った。幼稚園クラスに通う2人の幼い姉妹は何も分かっていないようで、何時もどおり元気良くしていた。父親はカトマンズの工事現場へ出稼ぎに行って以来、2週間余り帰宅していないそうだ。事情を聞いたヤッギャ校長が子供達を自宅で匿い、昨日、2人の幼い姉妹はヤッギャ校長の家で過ごしたとのことだった。

こうした問題はネパールでは良くある話だ。親の身勝手な行動が子供達にどのような影響を及ぼすのか、考えただけでも胸が痛くなる。ネパールでは隣国への少女人身売買問題も抱えている。もちろん僕達に出来る最善を尽くすつもりだが、今後、2人の幼い姉妹が人身売買に巻き込まれる可能性だって完全には否定できない。まずは父親の帰宅を待ち、今後の対応を考えたい。

kanchan夕方から隻手(カタテ)薬師寺子屋を訪問した。先日、隻手(カタテ)薬師寺子屋には新たに10名の子供達が入学してきたが、今日は忙しいシャム先生に代わって、一部の子供達が自主的に幼い新入生へ字を教えてくれた。突然のことでシャム先生も僕も驚いたが、寺子屋での教育を通して子供達に少しずつ自覚が芽生えた証拠だと思う。子供達の確かな成長を見ることが出来、本当に嬉しかった。

寺子屋を始めるきっかけになったのは、4年前、就学支援をしていた奨学生の姉妹2人が『私たちも何かしたい!!』と近所の貧しい子供達を集め、字を教え始めたことだった。今日は正に4年前と同じことが起きたのだ。言葉ではとても表現できない嬉しさで一杯だ。これこそ僕らが求めている理想の教育だと思う。

その後、子供達が連取を続けているダンスを見た。皆、よっぽどダンスが好きなようで、どの子供達も見るたびに上手になっている。

夜、知人の送別会に参加。楽しい時間を過ごすことが出来た。その後、奨学生宅を訪ね、夜遅くに帰宅。今日は忙しくも充実した一日となった。





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2005年07月23日

制服支援

7月23日(土)

昨日の疲れが残っているせいか、今朝は全身が棒のように硬くなっていた。体は本当に正直だ。

朝、昨日の打ち合わせで纏まった事柄を整理した。それにしてもサダナとヤッギャ校長がいることで本当に助かっている。若いながらも直向に環境活動に取り組んでいるサダナを少しでも引き立てたいと考えていたが、なんだか何時もサダナに引き立てて貰っているように思う。

現在、KDN(Kenaf Development Nepal)はヤッギャ校長の調整能力とサダナの若さ、利発さが上手く噛合っている。僕はどちらかといえば全体的な流れを考えるのは好きだが、細かい点をつめる作業がとても苦手だ。サダナは抜群の思考力で何時も各論を詰めてくれる。正しく適材適所。

その後、昼過ぎまで家に篭り雑用を一気に片付けた。新聞の切り抜き作業もようやく完成の目処がたった。

その後、往診へ出かける。パタン市内の3件の往診を済ませた後、奨学生宅を訪ねた。8年生で勉強している奨学生は、幼い弟を左手に抱き、右手で水汲み用の壷を抱えながら笑顔で迎えてくれた。母親が仕事のため工場に出かけているので、弟の世話から家事までの一切をやらなければならないという。それでも笑顔を絶やさず、学校のことや試験のことなどを嬉しそうに話していた。

奨学生に必要な物を訪ねると、学校のシャツが欲しいとのことだった。先日、ネズミにかじられ、唯一のシャツに大きな穴が開いてしまったそうだ。

時々、奨学生への制服支援がなぜ必要なのか?との質問を受けることがある。当初、僕自身も制服支援には疑問を感じていたが、こうして各家庭を回ることで、子供達の生活環境がとても厳しく制服を買う余裕などないことが分かった。

ヒマラヤ青少年育英会では就学支援を行う子供達を大きく3つに分類する。母子家庭で母親が文盲、また母親の年収が300ドル以下の場合はAに属し、制服を含め全面的に就学を支援している。

奨学生に制服を買う約束をすると、とても嬉しそうな表情を浮かべながら『ありがとう。』と言ってきた。僕が子どもの頃、学校のシャツを買ってもらって嬉しいと思った事など一度もなかった。それだけ日本は豊かで、物を貰うことが当たり前になっているのかもしれない。

新しいシャツを着て、一生懸命がんばる奨学生の顔が目に浮かんだ。






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2005年07月22日

会議に向けて

7月22日(金)

朝、税務署で『あすなろ食堂』の税金の支払いを終えた。早速スミさんにその旨を報告。少しではあるが税金を納めることが出来たことは、スミさん達が社会的な責任を果たしている証拠。誇りに思って欲しい。

12時からヤッギャ校長と『第1回こども環境ケナフ会議』の会場を視察した。会場を視察しながら、あれこれ考えていると、期待で胸がときめいた。その後、サダナも合流し、会議に向けた打ち合わせを進めた。パネリストへの参加要請書の作成、司会者との契約など、7時間以上に渡り準備を進めた。まだまだ遣るべきことは山積しているが、一歩ずつ着実に進んでいることを実感している。こうしてサダナやヤッギャ校長と協力して、一つの目的に向って仕事が出来ることは幸運だと思う。成功に向けて頑張りたい。

夜は流石に疲れたため往診を休んで帰宅した。その後、遅れていたブログの更新などを行った。



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2005年07月21日

恩師の日

7月21日(木)

朝、税金を納めに税務署へ行ったが休みだった。『恩師の日』は学校だけが休みになると思っていたが、カレンダーによって掲載が異なるのもネパールらしさだろうか。

今日は『恩師の日』ということで奨学生たちから沢山の花やカードを貰った。別に何かを教えているわけではないが、こうして普段の感謝の気持ちを伝えられるとやはり嬉しい。その後、子供達を連れてアイスクリームを食べに行った。アイスクリームを食べながら、今までのことや新しい学校のことなど他愛のない話しをして楽しい時間を過ごすことが出来た。

雑談の中で奨学生の1人が、就学支援を受ける前、毎日、薪拾いをしている途中、学校へ通っている近所の友達を見ては羨ましくて何度も泣いたことや、一層、死んでしまいたいと思ったことなどを告白した。子供達を取り巻く環境は厳しい。この奨学生のような気持ちになるのは必然的なことだと思う。実際ネパールでは、学校へ行けない事を理由に自殺する子どもがいる。

奨学生には『死んでしまっては花実が咲かない』という様な事を話し、努力は必ず報われるから一生懸命生きるように伝えた。なんとなく恩師の日らしくなった。

夕方、奨学生の誕生会に参加した。ささやかではあったが、とても暖かい誕生会だった。母親から字の読み書きが出来ないため、以前は病院へ行くことも出来なかったが、今は娘がいるので安心して病院へ行くことが出来るといわれた。こうした嬉しい一言が、活動の原動力になる。

今日は楽しい一日になった。


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2005年07月20日

交流活動の意義

7月20日(水)

朝、クリニックで治療。早朝に急用が出来たため、はじめて遅刻してしまった。クリニックに到着したときには既に6名の患者さんが並んでいた。謝りながらクリニックの鍵を開けていると、患者さんから『私達は何時も遅れて来るのだから心配しないで下さい。ここはネパールですよ。』と言われ、思わず苦笑いしてしまった。

flower治療を終えて、ヒマラヤ小学校を訪ねた。明日『恩師の日』ということで、子供達が通学途中で摘んで来た野花を沢山くれた。中には葉っぱをくれる子までいた。子供達からこうして慕ってもらえることはとても嬉しい事だ。鼻水を垂らしながら花をくれた子供達に感謝。

今日はクラーク記念国際高校の東京キャンパスの生徒さんから、子供達に手紙が届いた。まず見て楽しむことが大事だと思い、鮮やかな絵の描かれた手紙を子供達に回覧させることにした。絵が大好きな子ども達はスヌーピーなどが描かれた手紙を見て大喜びしていた。ただ単に翻訳をして読み聞かせたのでは、せっかくの手紙も意味をなさないと思う。『クラークのお兄さん、お姉さんが僕達のために絵を描いてくれた。僕達のことを応援してくれているんだ。』と少しずつでも子供達に理解させることがとても大事だと思う。手紙の読み聞かせはヤッギャ校長が担当したが、一行ずつ丁寧に解説を加えながら実に上手く読んでくれた。子ども達は心の底から喜び夢中になっていた。

交流は出来れば肌で感じあえるものが良いと思う。子供達と手を繋ぎ、頭を撫でて『大丈夫、頑張って』と言ってあげること、楽しい時間を共有すること、こうした交流は子供達を勇気づけ、夢に向かって頑張る大きな力となる。手紙での交流は相手が見えないために、どうしても関わりが希薄になってしまうが、今回のように使い方しだいでは大きな効果があると実感した。

里親教育基金では奨学生との交流を希望制にしている。支援者の方の中には、影から子供達を応援したいという方や、途中で手紙が書けなくなると子供達に悪いから、という方もいらっしゃるからだ。奨学生全員が支援者の方と交流出来ない代わりに、ヒマラヤ青少年育英会では、ある奨学生に届いた手紙を他の奨学生も共有することにしている。

先日、今年から就学支援をはじめた奨学生に支援者の方から初めて手紙が届いた。手紙を翻訳して渡すと、奨学生はその手紙を寺子屋で勉強している友達に見せていた。寺子屋の子供達が奨学生を取り囲むようにして全員で手紙に書かれた一字一句を丁寧に読んでいた。交流を通して支援者の方の気持ちが分かると、子ども達は目を輝かせて頑張るようになる。『応援してもらっている』『期待に応えたい。』というような気持ちが芽生えるのだろう。

交流は子供達の夢を育て、夢に向かい頑張る原動力となる。これから交流がもっともっと盛んに行われるよう盛り上げていきたい。夕方、村雨に打たれて、びしょ濡れになった。



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2005年07月19日

天真爛漫

7月19日(火)

朝、往診を済ませた後、あすなろ食堂の会計をお願いしている税理士事務所を訪問。なかなか計算が合わず四苦八苦した。その後、ヒマラヤ青少年育英会の法務を担当している弁護士さんと会い、新年度の事業計画書について打ち合わせを行った。ネパールでは会計新年度が始まり、町中がなんとなく慌しい。

その後、ヒマラヤ小学校を訪問。今日は子供達の授業の様子を撮影した。ホームページを通して、出来るだけ多くの人に子供達の様子をお伝えしたいと思っている。今日は子供達の自然な様子を撮影したいと思い、子供達に気づかれない様こっそり撮影を行ったつもりだが、なかなか上手くいかなかった。子供達の撮影は本当に難しい。

minu放課後、子供達と遊んでいると、突然、もう気が一面に立ち込め、激しい雨が降り出した。突然の雨に子ども達は大喜びしていた。何時も天真爛漫だ。

夕方から往診を2件済ませた後、あすなろ食堂で食事。その後、奨学生宅を慌しく訪問した。期末試験を控え、どの子供達も夜遅くまで勉強を頑張っていた。子供達の努力には何時も感心してしまう。



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2005年07月18日

サッカー教室

18日(月)

朝、久しぶりに中央郵便局へ行った。改装工事が終わり見違えるようにすっかり綺麗になった中央郵便局。友人を訪ね、新しい環境について尋ねると、綺麗になったけど、システムが前のままなので効率はちっとも変わらないと苦笑いで返事が返ってきた。コンピューターも導入される予定だが、何時になるかは分からないとの事だった。何ともネパールらしい、のんびりした話。

footballその後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。今日は子供たち念願のサッカー教室を開催した。教師役のナレシュさんは元サッカー選手。生憎の雨模様にも係わらず、子供達へパスの仕方やリフティングの仕方など丁寧にご指導いただいた。1時間足らずの練習であっという間にリフティングが上手になる子供達を見て、いささか驚いた。その後、簡単なドリブルゲームなども行われ、子供達は泥んこになりながら夢中になってボールを追いかけていた。

以前からヒマラヤ小学校ではスポーツに力を入れたいと考えている。ただヒマラヤ小学校の敷地は狭く、なかなかスポーツの授業を開催できずにいた。現在、ヒマラヤ小学校の隣接地に公園の建設を予定しているが、完成後にはヒマラヤ小学校だけでなく村の子供達がおもいっきりスポーツを楽しめる環境を整備したいと思う。

汗と雨で顔を光らせながら、日が暮れるまでボールを追いかけた子供達。きっとスポーツを通して子供達の夢も大きく育つと確信している。

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2005年07月17日

代役

7月17日(日)
朝、往診を済ませた後、昼から、今年SLCを終えて11学年へ進学する奨学生の学校説明会に参加した。奨学生は母子家庭で母親は字の読み書きが出来ないため、今日は僕が保護者の代役で参加した。

じっとしている事が出来ない性分なので説明会の長い話にはうんざりしたが、隣で瞳を輝かせながら一生懸命説明を聞いている奨学生を見ると、とても嬉しくなった。奨学生にとって勉強を続けられる喜びは、僕にはきっと想像も出来ないくらい大きなものだろう。何とか保護者としての役目を終えて帰宅。

その後、ブンガマティ村の寺子屋を訪ねた。今日は子供達がダンスを披露する日だった。僕のような観客でも、いると嬉しいようで子供達は嬉しそうにダンスを踊っていた。寺子屋の子供達も日々、成長している。数ヶ月前と比べ、明らかに表情が豊かになった。皆、仕事を追え、汗で顔を光らせながら寺子屋へ集まってくる。寺子屋で勉強している間、子供達は何ともいえない美しい笑顔をしている。何とか子供達が学校へ通えるよう、出来る限り応援をしたいと思う。

歯科治療を終えた後、奨学生宅を訪問して領収書を受け取った。今日、訪ねた奨学生宅には電気がないため、奨学生は蝋燭の明かりの下で勉強していた。奨学生の傍では幼い弟達が可愛い顔をして眠っていた。この奨学生も今年、SLCを受験する。なんとか奨学生の蛍雪の功が実って欲しい。



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2005年07月16日

新聞切り抜き

7月16日(土)

朝、数件の往診を済ませた後、帰宅。溜まっていた新聞記事の切抜き作業を行う。ここのところ雑用に追われているため、ゆっくり新聞に目を通すだけの余裕がなかった。普段は新聞社のホームページで見出しだけを見て過ごしているため、教育や医療の細かい問題やニュースを間違いなく見逃していた。

2か月分の新聞に目を通しながら関係記事を切り抜く作業は、簡単なようでとても体力のいる作業だ。今日は何とか1か月分の作業を終えたが、終わった頃には、すっかり首筋が凝ってしまった。

その後、ケナフ会議の計画書や関係団体へ提出する協力要請書、また会議前に配布するパンフレットの作成に追われた。文章の作成作業ばかりしているようだけど、メンバーの中で自宅にPCがあるのは僕だけなので、出来ることで貢献したいと思っている。

急増する仕事に対して処理能力が追いつかなくなっている。出来ればもう少し時間が欲しいなぁと思う今日この頃。




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2005年07月15日

折助根性

7月15日(金)
朝からヒマラヤ小学校へ。今日は学校の隣接地に建設を予定している公園の看板が出来る予定だったので、撮影のため朝から準備を進めた。念のためヒマラヤ小学校の用務員さんに看板の運送をお願いしていたに、肝心の看板が12時を過ぎても到着しない。何とか雨が降る前に写真撮影を終えなければならかったので、急遽、ヤッギャ校長と看板屋を訪ねることにした。

看板屋に着くと用務員さんが暢気にお茶を飲みながら看板屋の主人と話し込んでいた。僕達に気がつくと、ハリさんは、『しまったぁ〜』という顔をしながら、未だ看板を運んでいない理由を話し始めた。どうも看板が乾いていないことが理由らしい。今朝、看板の仕上がり具合を見たヤッギャ校長は、少しくらい乾いてなくても運ぶように用務員さんに指示していたそうだ。

用務員さんは今までに2度、同じような失敗をしている。一度目は夜間の警備担当者として勤務していたとき、酒を飲んで熟睡していたこと。2度目は、朝、酒を飲んで仕事に来たこと。1度目の失敗のときはヤッギャ校長の判断で直ぐに夜間勤務を解雇した。確か2度目は口頭注意の上、帰宅指示が出たと思う。

どんな人間にだって折助根性はあると思う。特に今日のようなケースはネパールでは日常茶飯事なので、僕など溜息息混じりに笑ってしまった。しかしヤッギャ校長は僕とは違い、用務員さんに始末書を提出させた上で厳しく注意し、もし同じような問題を再び起こした場合は厳しく対処する旨を伝えた。

ヤッギャ校長の話では、学校では子供達に約束を守ることの大切さを伝えているため、教職員はその事を重く受け止め、子供達に行動で示すことが何より大事であること。また雇用関係にはある種の『厳しさ』や『緊張感』が必要であると話していた。

確かに現在のネパールの公立学校や役所では緊張感が殆どなく、全て馴れ合いで済ませる雰囲気がある。その結果が、今の社会的な批判に繋がっているように思う。『優しさと厳しさ』は全てに共通する事なのかもしれない。今まで様々な職種で経験を積んできたヤッギャ校長には『馴れ合い社会』が齎す結果がよく分かっているのだと思う。ヤッギャ校長の行動を僕は心から支持したい。

2時からサダナと合流し、ケナフ会議開催に向けたミーティングを行った。今日は日本語通訳のボランティアと会場への申請書を作成し、サダナの署名で提出した。その後、会場で使う看板や表彰用の盾などの打ち合わせを行った。一つのことを成し遂げるには、本当に多くの人たちの協力が必要であることを痛感する。残された時間は短いが頑張りたい。



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2005年07月14日

寺子屋

7月14日(木)

朝、往診を3件済ませて帰宅。明日は子ども環境ケナフ会議の打ち合わせがあるため、打ち合わせの資料作りを行った。資料を作りながら、会議までに遣らなければならない作業を拾い上げていくと、気が遠くなるほど多くの仕事が残っていることに改めて気がついた。しかし慌てても解決するものではないので、一歩ずつ着実に進めていくしかない。週に1回の会議をより効果的に行うため、気を引き締めたい。

午後3時からヒマラヤ小学校へ。放課後、子供達と遊んだ。小さな子供達は抱えあげて貰うことがとても好きだ。しかし調子に乗って子供達を抱えあげていると次の日は必ず筋肉痛なってしまう。今日は『鬼ごっこ』で勘弁して貰ったが、途中、足が縺れて何度もこけてしまった。子供達の元気さにはとても敵わない。

その後、久しぶりに寺子屋を訪問した。出来れば毎日でも寺子屋に顔を出したいのだが、ここの所、雑用に追われて訪ねる機会がなかった。子供達は久しぶりに訪ねてきた僕を見て照れくさそうにはにかんでいた。『字の読み書き出来る?勉強がんばっている?』の問いには皆が一斉に『出来ま〜す』と元気良く答えていた。これから時間の許す限り寺子屋に顔を出して、子供達一人ひとりの成長を見たいと思う。

今日は子供達から沢山の元気を貰った。


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2005年07月13日

らーめん

7月13日(水)

朝からクリニックで治療。今日は患者さんの数が極端に少なかった。どうも患者さんたちは田植えで忙しい様子。時間が出来たため、患者さんの資料を整理した。5年分の資料に目を通しながら今まで治療に訪れた患者さんのことを思い出していると、感慨深いものがあった。

その後、家へ帰り、ホームページのレイアウトの修正作業を行った。少しずつは作業が進んでいるものの、やはり量が多いので先が見えない状態。それでも先日、友人から『ホームページが見やすくなったよ』とメイルがあり、とても嬉しかった。何とか頑張りたい。

今日は久しぶりにチャーシューとラーメンを作って食べた。あすなろ食堂のことで、昨年の冬は暫くラーメンつくりに凝っていた。カトマンズ市内で手に入る乾麺を全て試食したが、あまり美味しいものは見つからなかった。一昨日、新しい市内のスーパーで新しい乾麺を見つけたので、早速、試して見た。今までの乾麺に比べると美味しかったが費用の面で問題が残るため、あすなろ食堂で取り入れるのはまだ難しいと思う。来週はスミさんにも食べて貰おうと思う。



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