重要なお知らせ

吉岡大祐のヒマラヤ活動日記 へご訪問いただきありがとうございます。 奨学生ならびに学校宛の手紙は普通郵便に限ります。受け取り手続きが必要なEMS(国際スピード郵便)や国際書留郵便、その他、DHL,OCS,FEDEXなど国際宅急便の利用はお断りしております。また物資による支援は自立を目指す学校の教育方針および関税等の問題から全てお断りしてます。どうかあしからずご了承ください。 今後ともよろしくお願いいたします。

当ブログはしばらくの間、不定期となります。 この間、メイルへの返信等、大幅に遅れる場合があります。ご了承下さい。お問い合わせ先:info@ikueikai.org

2005年06月04日

心の交流

6月4日(土)

朝、往診を2件済ませて昼前に帰宅。今週は何かと慌しくすっかり疲れたため、2時過ぎまで惰眠にふけた。その後、ブンガマティ村を訪ね、今年から支援の決まった奨学生へ支援者の方からの手紙を届けた。奨学生は恥ずかしそうな表情で手紙を受け取ると、早速、翻訳された手紙を隅々まで熱心に読んでいた。こうした心の交流は子ども達の励みとなるだけでなく、夢が大きく広がる。教育支援活動に係わっていて一番嬉しいのは、支援者の方の気持ちと、奨学生の喜びの、両方が分かることだと思う。奨学生が大事そうに手紙を抱きしめている様子がとても印象的だった。

夕方、久しぶりに大雨となった。友人と喫茶店でコーヒーを飲んだ後、調子の悪いバイクのエンジンを押し掛けしながら、奨学生宅を数件訪ねた。バイク屋さんの話では、修理に最低2日は掛るという。周囲からは買い替えを勧める声も聞こえるが、長年乗りなれたバイクだけになかなか決断できずにいる。暫く様子を見てみようと思う。



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2005年06月03日

スニール2とダンス教室

6月3日(金)

朝8時、昨日に引き続きスニールを連れカンティ子供病院へ行った。今日は手術の日。スニール以上に同行した僕達の方が緊張していたように思う。朝、9時に担当の先生に案内していただき、手術の待合室へ移動した。

スニール10時半過ぎ、スニールが手術室の中へ運ばれた。不安もあったのだろう、スニールの目からは涙が流れていた。人々の熱気ですっかり暑くなった待合室で待つこと1時間あまり、手術を終えたスニールが出てきた。まだ静脈麻酔が効いているせいか、スニールは優しい表情で眠っていた。間もなくして担当の先生が出てこられ、手術の経過について説明して頂いた。

先生によると、昨日のレントゲンで見つかった右の胸部第2、3肋間の大きな金属片は、切開してみると肺近くまで達しているため、今回の手術では摘出は出来なかったが、周囲にあった石を2つを摘出できたとの事だった。また、この先、金属片による問題は特に起きないだろうとのことだった。まずは手術が成功したことを喜び、手術を乗り越えたスニールの頑張りを称えたい。また今回の手術に全面的に協力してくださったサンタ先生のご好意に対し、心から感謝の気持ちを伝えたい。

麻酔の影響でぐっすり眠っているスニール。途中、何度も『お母さん、お母さん』と寝言を言っていた。きっと母親の夢を見ていたのだろう。事件の後、母親の元を離れ施設で暮らしているため、母親への想いが募っているのかもしれない。スニールの無邪気な寝顔を見ていると、なぜ罪の無い子供がこんな被害に遭わなければならないのか?一体、何が原因でこのような結果になってしまったのか?いろんな疑問が脳裡をよぎった。

覚醒したスニールを連れてブンガマティ村へ戻った後、寺子屋を訪ねた。今日から隻手薬師寺子屋で里親教育基金の奨学生、ジェニシャによるダンス教室が始まった。子供達はダンスが大好きだが、基礎を勉強していないため、どうしても踊りにバラつきが出てしまう。

今回、子ども達からもっとダンスを習いたいという要望を受け、ダンスの上手なジェニシャにお願いしたところ快く引き受けてくれた。ジェニシャは2000年から2003年までの間、ヒマラヤ青少年育英会が開催していた週末ダンス教室で、みっちり基礎を勉強しているので、きっと上手く教えてくれると期待している。何時もは笑い声が絶えない寺子屋の子ども達も、今日はジェニシャの熱心な指導の下、真剣な表情でダンスの練習に打ち込んでいた。こうした里親教育基金の奨学生と寺子屋の子供たちとの交流はとても有意義なことだと思う。これからもこうした交流をどんどん深めていきたい。




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2005年06月02日

スニール1

6月2日(木)

朝からスニールを連れて、カンティ子供病院を訪ねた。今日はレントゲン撮影など術前の検査が中心だった。カンティ子供病院を訪ねたのは今回が初めてだったが、朝早くから大勢の人で込み合っていた。カンティこども病院はネパールで唯一の小児科専門病院である事もあり、ネパール中から病気を患った子供達が集まってくる。医師の先生達や医療スタッフの人々の尽力には頭の下がる思いだ。

病院に向う車の中では元気一杯にはしゃいでいたスニールだったが、病院に着くと緊張してか『傍から離れないで欲しい』と、何度も繰り返し言ってきた。今日はヤッギャ校長にも同行をお願いしていたため、ヤッギャ校長が手馴れた感じでスニールをあやしてくれた。

レントゲン撮影が終わった後、今回、お世話いただいた先生に診察をして頂いた。先生によると右の胸部第2、3肋間に大きな金属片と思われる物が見つかったので、まずは金属片の摘出を優先するとの事だった。また前頚部や肩の周辺にも複数の石のような物質が見られるので、切開した後、見つけた物が順次取り除くとのことだった。ケロイドになったスニールの顔や体を見ると胸が痛むが、実際にレントゲンに写る大きな金属片の陰影を見ると、言葉に詰まってしまった。

その後、スニールを連れて施設へ戻り、明日の手術について施設長に伝えた。明日は病院へ来られない母親の変わりに施設長が病院へ同行することが決まった。明日の手術が全て上手く行くことを祈りながら、スニールに手を振った。




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2005年06月01日

ケナフ栽培

6月1日(水)

朝からクリニックで治療。昨日休んだ分、患者さんの数が多く慌しい治療となってしまった。患者さんとゆっくりお話する間もなく、あっという間に時間が過ぎていった。クリニックを閉めた後、大急ぎで中央郵便局へ行き、昨日、送ることが出来なかった郵便物を投函。今回は全部届いて欲しい。

その後、ヒマラヤ小学校へ行き、ヤッギャ校長と共にケナフの種を蒔いたブンガマティ村周辺の学校を訪ねた。先日、種を蒔いたものの、特に公立学校では雑草抜きや水遣りなどの手入れがきちんと出来ているか一抹の不安があった。

実際に学校を訪ねて見ると、なんと、どの学校でも子供達が一生懸命手入れをしていた。不安だった公立学校でも、選ばれた10名の児童が汗を流しながら手入れをしていた。僕らに気づいた子供達が汗まみれの顔を光らせながら駆け寄り『昨日、ケナフの芽が出たよ〜』と教えてくれた。子供達がケナフに関心を持っていることが実感でき、とても嬉しかった。

ケナフは学校の教材としても、とても有効な植物だ。昨年、ヒマラヤ小学校でケナフ観察を行った時も、子どもたちは、日々、大きな生長を続けるケナフに驚き、またケナフ観察を通して自然の不思議さを大いに学ぶことが出来た。ネパールでは観察授業がほとんど行われていないだけに、ぜひ教材としてケナフを活用して欲しいと考えている。

その後、障害者施設にいるスニールを訪ねた。スニールは半年前に村で遊んでいたところ、ゲリラの仕掛けた爆弾が爆発し、その影響で失明した。今も石や破片が体内に残っている。不運としか言いようの無い不条理な事件によって、スニールは心にも大きな傷を負っている。それでも施設での生活を通して、少しずつ元気を取り戻している。

施設を訪ねたとき、スニールは相変わらず大好きな歌を無邪気に歌っていた。今回、カトマンズになる子供病院の先生の協力で、破片の摘出手術をすることになった。泣き虫のスニールに、手術で泣かなかったら好物のサモサ(ジャガイモを油で揚げたもの)をあげるねと伝えると、『絶対泣かないよ』と、自慢げな表情で応えていた。無邪気なスニールを見るにつけ、少しでもスニールの力になれたらと思う。


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2005年05月31日

土起こし

5月31日(火)

朝、クリニックを休んで、溜まっていた雑用を一気に済ませた。いつも雑用を貯めては一気に片付けている。惰性はなかなか断ち切ることが出来ない。

昼からヒマラヤ小学校を訪ねた。今日はヒマラヤ小学校でケナフの種蒔きが予定されていたので、学校へ着くと直ぐに鍬を手に土を起こした。強い日差しが照りつける中、たっぷりと汗をかきながら行う土いじりはとても気持ちよかった。途中から子供達も参加、皆ではびこる雑草を刈り取った。

なんとか午後4時までに畝が出来上がり子供達全員でケナフの種を蒔いた。在校生にはすっかりお馴染みのケナフ。在校生達がケナフを知らない新入生に向って『こ〜んなに大きくなるんだよ〜』などと、ケナフのことを説明している姿が可愛らしかった。今年もケナフの生長に驚く子ども達の姿が見られると思うと、今からとても楽しみだ。

夕方、往診を済ませた後、あすなろ食堂で食事をした。久しぶりに客室での食事だったが、どの料理も美味しかった。開店当時から一定の味を保ち続けているということは、スミさん達の日々の努力の結果だと思う。スミさんに美味しかったと伝えると、恥ずかしそうに微笑んでいた。これからも頑張って欲しい。


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2005年05月30日

郵便事情

5月30日(月)

4月中旬に支援者の方へお送りした手紙が、未だ届いていないとの報せがあった。一瞬『えっ』と、耳を疑ったが、直ぐに『またか〜』と、ため息が出てしまった。以前に比べて随分改善はされたものの、依然としてネパールの郵便事情は悪い。過去、何度も郵便物の紛失が起こり、がっかりさせられた事があった。支援者の方々への感謝の気持ちや、子供達が頑張っている様子は、筆舌では決して尽くせない。駄文ではあるものの、何とか気持ちをお伝えできればと書いた手紙だけに、きちんと届けて欲しい。

昼からヒマラヤ小学校を訪問。順調に進んでいた2階校舎建設も、折からの雨不足の影響で中断気味となっている。漆喰を塗る作業には大量の水が必要だが、数日前からまったく水が出ていない状態が続いている。仕方なく給水車で水を購入して作業を進めていたが、水を買いながら作業を進めていたのでは費用が高くついてしまい、他の工事にも影響を及ぼしてしまう。今日は関係者が集まり、今後の工事について話し合った。何とか雨が降ることを願っている。



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2005年05月29日

多忙な一日

5月29日(日)

今日は慌しい一日となった。朝、簡易的に飲料水を作る活動をしている団体を訪問。簡単な作業で大きな効果がある事が分かり、ぜひブンガマティ村周辺でも普及させたいと思った。その後、環境ジャーナリスト協会を訪ね、ケナフ会議への協力を要請。今後、詳細を進めていくことで纏まった。その後、ケナフ会議の会場を訪問。会場の視察やケータリング等について打ち合わせ。

昼過ぎにヤッギャ校長とブンガマティの隣村コカナ村へ。コカナ村にある公立学校で午後2時からケナフの説明と学生による種蒔きを行った。公立学校では植物観察のような活動が行われていないため子供達は戸惑い気味だったが、ケナフにはとても興味を持ったようだった。ネパールでは公立学校の先生の批判を良く耳にするが、公立学校を訪ねるとその理由が良く分かる気がする。

4時からはブンガマティ村にある私立校での説明会と種蒔きを行った。学校側の全面的な協力もあり、とても良い形で種まきを終えることが出来た。参加した学生からケナフについて様々な質問を受け、関心の高さがうかがえた。

その後、ヒマラヤ小学校へ戻った。昼、給水車の故障で漆喰を塗る作業が中断していたが、今度は電気がショートしてしまい、水を汲み上げることが出来ない状態になっていていた。結局、修復までに長時間かかり、午後8時前にようやく水の汲み上げが始まった。度重なるネパールらしい問題に思わず呆れてしまった。

今日は慌しくも、ケナフの観察活動が2校で始まり安心した。未だ6校での活動が残っているが、一生懸命頑張りたい。


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2005年05月28日

ケナフ会議

5月28日(土)

今日は朝の内に往診治療を済ませ、昼から奨学生達を集めて名画鑑賞会を行った。今日の映画は『大脱走』(ジョン・スタージェス監督)。30年以上前の映画だが、ジェームス・コバーン、チャールズ・ブロンソン、スティーヴ・マックイーンなどの名優の演技が光っていた。やはり名画は何度見ても面白い。子供達からも楽しかったと評判が良かった。次回は同じ俳優が出演している『荒野の7人』を予定している。

午後4時から環境活動に取り組んでいるサダナ、ヤッギャ校長、そしてジャイカ研修生同窓会の知人と会い、今年予定しているケナフ会議について話し合った。有意義な意見が交わされ実り多いミーティングとなった。今回、ヒマラヤ青少年育英会として初めて国際会議を主催するため不安も多いが、サダナさんやヤッギャ校長、また周囲の方々の協力はとてもありがたい。プログラムの作成、会場の準備、子ども達によるケナフ観察など、やるべき事は山積しているが一歩ずつ着実に進めていきたい。

今日は嬉しいニュースが一つあった。サダナが10月に開催される『国連環境プログラム』の国際会議にネパール代表として参加することとなった。サダナは大変聡明な学生で、まだ17歳という若さだが、2001年には西宮市で開催された『アジア太平洋こども環境会議』にもネパール代表として参加した実力の持ち主だ。またコツコツと努力を重ねる努力家でもある。今回、サダナが大きな機会を得たこと本当に嬉しく思う。実力に奢らず直向に努力を重ねているサダナを見ていると、本当にいろんな事を教えられる。ぜひ頑張って欲しい。





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2005年05月27日

教室

5月27日(金)

朝からヒマラヤ小学校を訪問。今日から職員室が教室として子供達に開放された。2階校舎の建設は順調に進んでいるものの、建材不足による出足の遅れが響いてしまい、結局、新学期までに竣工させる事ができなかった。新学期以降、幼稚園の2クラスが一緒に一つの教室を使っているが、唯でさえ落ち着きの無い園児達を前に2つの異なる授業をする事は容易な事ではない。先週から2階校舎の漆喰作業が始まったことを受け、来週、暫定的に職員室を2階へ移動させることが決まり、今日から1階職員室の開放が始まった。今日から各クラス単独の授業が行われ、子供達も集中して授業を受けていた。

昼からは栄養摂取プログラムが始まった。開校当初からずっと実現したいと思っていたので、今日は大きな一歩となった。今後、専門家の人たちとも相談しながら意義ある活動にしたいと思う。子供達が嬉しそうに卵を食べている姿が印象的だった。

先月から空手を習っている1年生のラケシュに道着が贈られた。空手を習い始めて1ヶ月、ラケシュは随分、明るい性格になった。声も出るようになり友達も出来たようだ。空手を続ける中で多くの事を学んで欲しいと思う。

夜は知人の娘さんの誕生会に参加。ヒマラヤ小学校の子供達と同じ年齢くらいの子供達が沢山いて、こちらも賑やかだった。調子に乗って子供達と遊んでいると、くたくたに疲れてしまった。

ヒマラヤ小学校通信ケナフ通信を更新しました。ぜひご覧ください。


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2005年05月26日

ダンス三昧

5月26日(木)
朝、雑用を済ませた後、中央郵便局へ行った。今日は人が少なかったため知人の手を借りなくてもあっという間に手続きが終わった。

往診を2件済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪ね、27日(金曜日)に予定している栄養摂取プログラムについて打ち合わせを行った。第一回目は『牛乳と卵』になりそうだ。ネパールの子ども達、特に村に暮らす貧しい子ども達の栄養状態は悪い。そのため年齢に比べて体が小さい場合が多い。今回の栄養摂取プログラムを通して、村の人々に何らかの提案が出来ればと思う。

子供達を連れて近くの高台まで散歩に出かけた。高台から眺める一望千里の麦畑も収穫期を迎え、農家の人々が農作業に追われていた。ネパールはもう直ぐ田植えの時期を迎える。

夕方、昨日に引き続きブンガマティ村の寺小屋(隻手薬師教室)を訪ねた。どの子供達もつぶらな瞳を輝かせながら一生懸命勉強していた。その後、子供達がどうしても新しく覚えた(自分達で創作した)ダンスを見て欲しいと言いはじめ、急遽、子ども達のダンス大会が始まった。ただでさえ暑い部屋の中で子供達は汗びっしょりになりながら、夢中で踊りを踊っていた。子供達にとって自分達の踊りを誰かに見て貰う事が、一番嬉しいことなのだと思う。結局、子供達は15曲もの歌に合せて踊ったが、まったく疲れていない様子だった。見ている僕とシャム先生は子ども達の元気さに、ただただ唖然としていた。

夕方からは『あすなろ食堂 』で食事をして、往診に出かけた。往診先では患者さんとの楽しい会話が弾み、楽しい時間を過ごすことが出来た。



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2005年05月25日

暑い一日

5月25日(水)
朝からクリニックで治療。今日は大勢の患者さんがクリニックを訪れ大忙しだった。ネパールでの治療活動では衛生面を考慮して使い捨ての鍼を使っている。ネパールでは入手できないため、毎年1〜2度の帰国した折に大量に購入している。昨年11月に帰国した折にも大量の鍼を購入して来たが、そろそろ底をつきそうな状態になってしまった。今日のような感じで患者さんに来られたら、一ヶ月も持たないと思う。なんとか対策を講じなければ。

クリニックでの治療を終えた後、ヒマラヤ小学校を訪ねた。強い日差しが照りつける暑さの中でも子供達は元気いっぱいだ。汗で顔を光らせながらボールで遊んだり、鬼ごっこをしたりと天真爛漫だ。ただただ感心してしまう。

その後、ブンガマティ村周辺でケナフ栽培と観察をする事が決まった2校をヤッギャ校長と訪ねた。両校共に観察をする生徒も決まり、いよいよ日曜日に種を蒔く事が決まった。特にジョティ学校は校長先生のケナフへの関心も高く、積極的に取り組んでくれていてありがたい。ぜひ今年はネパールでのケナフプロジェクトを一歩前進できるよう頑張りたい。

夕方からブンガマティ村にある新しい寺子屋(小川教室)を訪問した。子供達もすっかり慣れて来たようで安心した。担当のサンギャさんもダンス教室を始めるなど、面白い企画をどんどん打ち出してくれている。今後がとても楽しみだ。サンギャさんは将来、女子学校を開いて校長として活躍したいという大きな志を持っている。寺子屋では予算の範囲内で尚且つ、子ども達のために役立つことであれば、何でも出来るような仕組みにしている。ぜひサンギャさんの若さ溢れるアイデアで、楽しい寺子屋を築いて欲しいと思う。

ヒマラヤ小学校通信を更新しました



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2005年05月24日

奨学生紹介

5月24日(火)
朝、里親教育基金の資料整理を行った。子度達の資料に目を通していると、奨学生一人ひとりの事をぜひホームページの中で紹介したいと思った。何とか子ども達の直面している現状や頑張っている姿を皆さんにご紹介できればと思う。

その後、2件の往診を済ませた後、ヒマラヤ小学校へ行った。2階校舎も竣工に向けて順調に進んでいる様子で安心した。建設委員会の責任者でもあるヤッギャ校長と一緒に工事に問題点がないか確認作業を行った。一部、何ともネパールらしい部分もあるが、どれも修正が効くようなので特に問題はなかった。

夕方、スミさんのあすなろ食堂を訪ねたが、丁度、事故で真っ黒になったキッチンの塗装作業が終わったばかりで、今日は休みとのことだった。お腹を空かせたまま、友人と久しぶりにカトマンズの蕎麦屋さんへ行った。蕎麦は僕の好物の一つなので食べた後、すっかり元気が出た。

友人を送った後、奨学生宅を訪ねた。昨日から何度も電話が掛っていたので心配して訪ねて見ると、近所のお姉さんから教わったという『麦わらアート』が完成したので僕にプレゼントしたいとの事だった。少々、形は崩れていても奨学生が一生懸命作った麦わらアート。思いがけないプレゼントをとても嬉しく思った。早速、クリニックに飾ろうと思う。



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2005年05月23日

ストリートチルドレン

5月23日(月)

今日は仏陀生誕の日、所謂『花祭り』でネパールは休みだった。日本での『花祭り』は、地域でささやかに開催される程度だと思うが、(間違っているかも知れません。)仏陀生誕の地(ルンビ二)であるネパールでは、カトマンズ市内の仏教寺院を中心に、どこも花祭りを祝う参拝客で賑わっていた。

賑わいの傍では沢山のストリートチルドレンの子供達が物乞いをしていた。こうした物乞いをする子ども達の数は以前よりも間違いなく増えたような気がする。

普段、プラスティクを集めて生活しているストリートチルドレンの子供達の寝床は、主としてゴミ置き場だ。ゴミの分別習慣のないネパールでは、割れ瓶も生ゴミと一緒に運ばれてくる。そのため足を切って破傷風になる子や、耳にゴキブリが侵入し卵を産み付けられる子など、彼らは常に危険がいっぱいの中で生活している。しかし少しでも多くのプラスティクを集めるためには、ゴミ置き場で生活する必要があるそうだ。

以前、ストリートチルドレンの子ども達を対象にした医療キャンプに参加した事が何度かあるが、どの子供達もなかなか心を開こうとしなかった。

ストリートチルドレンの子ども達の多くは、以前カトマンズ周辺の工場やレストランで児童労働者として働いていたものの、酷い労働環境に耐えられず逃げ出してきたそうだ。工場主などから酷い仕打ちを受けた事で人間不信になっているのかもしれない。

報告によるとネパールには現在、児童労働者が260万人いるそうだ。本来ならば学校へ通って勉強する時期に労働者として働いている子供達。なんとも胸の痛くなる現状だ。

華やかな祭りの傍で悲しそうな顔をしているストリートチルドレンの子供達を見ていると、いろんなことを考えさせられた。










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2005年05月22日

クラス写真

5月22日 日曜日

朝からヒマラヤ小学校へ行きクラス写真の撮影を行った。天候も良く絶好の撮影日和だったが、幼稚園クラスを中心にあっちを向いたりこっちを向いたりと落ち着かず、顔をカメラの方へ向けさせる事に終始苦労した。合計100枚近くの全校写真を撮ったものの、全員がカメラの方(正面)を向いている写真は結局一枚も無かった。

その後、一旦カトマンズへ行き雑用を済ませた後、家で資料の整理に追われた。積み上げられた資料を一枚ずつ確認していく作業は、なんとも苦手な作業だ。ようやく半分を終えた頃には4時半を過ぎていた。今日は午後5時からヤッギャ校長と共に新しく里親教育基金で支援する子供の家の訪問と、2階校舎建設の報告を受ける予定だったので、急いでブンガマティ村へ行った。

新しく支援が決まった子は13歳のアヌーという女の子だった。4人姉妹の次女で大人しい性格の子だった。支援がなければ、今年、小学校を中退することになっていたという。そんな話を聞いて、ささやかながらも就学支援ができて本当に良かったと思った。

2階校舎建設の報告を受けた後、ヤッギャ校長から資料を渡された。資料は幼稚園クラスの担任マナさんとヤムナさんのために作成された教育ガイドラインだった。ヤッギャ校長はマナさんから良く相談を受けるらしい。まだ教員経験1ヶ月余りのマナさんには分からない事だらけだろう。今回、なんとかマナさんが持っている能力を十分に発揮して欲しいと、ヤッギャ校長が何日も掛けてガイドラインを纏めたそうだ。

開校1年のヒマラヤ小学校が予想以上に大きな成果を挙げられたのも、ヤッギャ校長の尽力によるものが大きい。ヤッギャ校長は先生達がお互いに何でも相談でき、また何事にも挑戦できる風通しの良い職場を作りあげた。また何時も若い先生を励まし、正しい方向へと導いてきた。マナさんも今回のガイドラインで仕事がとても遣りやすくなると思う。それ以上にヤッギャ校長のような理解ある上司がいることで、安心して自分の授業に集中することが出来ると思う。

今日は部下のために素晴らしいガイドラインを作成したヤッギャ先生の熱意に改めて感心した。

ヒマラヤ小学校通信を更新しました。どうぞご覧ください。

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2005年05月21日

マチェンドラナート伝説

朝、往診を終えた後にカトマンズ市内の本屋さんを訪ね、マチェンドラナートの伝説に関する本を購入した。先日、ヤッギャ校長から頂いた資料を翻訳した事がきっかけで、マチェンドラナートに関する故事来歴をもう少し知りたくなった。

どの本も書かれてから30年近く経っている古い本だが、未だに売られているという事は愛読者が多い証拠なのかも知れない。内容は大筋で似ていたものの、細かい点が少し違っていた。もちろん伝説だから内容が異なって当然だと思うし、その違いがまたマチェンドラナートを面白くしているようにも思う。時間を作ってぜひ他の本も熟読玩味してみたい。伝説が分かると祭りも断然面白くなってくる。

夕方から再び往診に出かけた。どの患者さんも痛みが少し治まった様で随分喜んでくれた。患者さんに喜んで貰える事が僕にとって一番の励みだ。明日も頑張りたい。

2階校舎アーカイブスを更新しました。


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2005年05月20日

ドゥルガとラクシミ

朝、あすなろ食堂のスミトラさんから電話があり、昨夜、あすなろ食堂のキッチンで問題が起こったと怯えた声で連絡があった。往診をキャンセルし急いで『あすなろ食堂 』へ行って見ると、キッチンの天井と壁が真っ黒になっていた。

スミさんの話によれば、昨夜、直ぐに戻ってくるからと、ガスを消さないまま出来上がった料理を1階に運んだところ、1階にいた常連のお客さんとの会話が弾み、すっかりガスの事を忘れてしまったとの事だった。気がついてキッチンへ戻ると油を入れた鍋から黒煙が昇り、部屋中に充満していたらしい。閉店間際だったためキッチンの窓を閉めていた事も災いしたようだ。幸いにも濡らした布切れをガスパイプに巻いていたため引火せずに済んだが、下手をすれば大惨事にもなりかねない恐ろしい事故だ。

好事魔多し、開店から3ヶ月の気の緩みが事故の一番の原因だと思う。これまで多くの人に支えて頂き、少しずつ社会の一員としての自覚を持ち始めたスミさん達。今回の事故を猛省し、気を引き締め直して頑張って欲しいと思う。涙を流しながら何度も謝るスミさん。彼女の素直な心なら、きっと乗り越えられると確信している。

11時にヒマラヤ小学校を訪問。今日はクラス写真を撮る予定だったが、祭りの影響で欠席者がいたため、後日、日を改めて撮ることになった。その後、急いでカトマンズへ行き雑用を済ませた。何とか雑用を済ませた後、再びヒマラヤ小学校へ戻った。ヤッギャ校長とブンガマティ村周辺の学校を訪ね、ケナフの観察記録帳の配布を行った。どの学校もケナフに興味があるようで、これからの活動がとても楽しみだ。

夕方、寺子屋を訪ねた。寺子屋に通っている12歳の女の子ラクシミが、日本人の方の暖かいご支援で今年から学校へ通える事となった。ラクシミは貧困により3年生で学校を中退したが、どうしても就学の夢を諦めることが出来ず、昨年開校した寺子屋へ熱心に通っていた。

今年から4年生に復学したラクシミに学校生活について訪ねると、活き活きした表情で『とっても楽しい』との返事が返ってきた。同じクラスには、やはり今年から『里親教育基金』の支援を受けたラクシミの姉のドゥルガ(15)も学んでいる。

ネパールでは多くの女性が幼い内に幼児結婚を強いられる。ただでさえ教育を受ける機会の少ない女性が幼い内に結婚すると、教育を受ける機会を完全に失ってしまう。その結果、夫から自立出来なかったり、保健衛生の知識を得られなかったりする。ラクシミの母親も幼い内に結婚したため、教育を受けていない。夫は酒飲みで、家族の面倒を見ることが出来ず蒸発したそうだ。

ラクシミの母親は早朝から夜遅くまで絨毯工場で働いているが、5人の娘を学校へ送るだけの経済的な余裕はない。ドゥルガとラクシミの就学支援の話をした時、母親は涙を浮かべて喜んでいた。教育の大切さを理解している母親がいることはドゥルガとラクシミにとって、とても心強い。2人には母親の気持ちに沿うよう頑張って欲しいと思う。


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2005年05月19日

コーナー延長

朝、中央郵便局へ出かけた。今日も知人に手伝ってもらい、あっという間に沢山の手紙を送る事が出来た。ネパール語で知人の事を『チネコマンチェ』、もっと近い間柄だと『アフノマンチェ 』という。どちらもネパールで生活していく上ではとても大事な存在で、仕事の能率を大きく左右する。知人の協力に感謝。

昨年から某新聞にネパールでの活動について連載させて頂いているが、このたびコーナーの延長が内定したとの嬉しいお知らせを頂いた。ネパールの事を紹介できる貴重な機会を頂き、とても嬉しい。子ども達が直面する窮状や直向に生きる姿など、とても筆舌では尽くせないものがあるが、少しでも現状をお伝えできるように頑張りたいと思う。

昼過ぎから往診を2件済ませた後、スミさんに頼まれ『あすなろ食堂 』の買い物へ出かけ、料理用の日本酒などを購入した。ついでの自分の物も買い物したが、『冬虫夏草茶』という最近販売されたばかりのお茶を見つけたので思わず購入した。早速、家へ帰り飲んで見ると、少し泥臭さのあるものの飲みやすいお茶だった。どれだけ冬虫夏草が入っているか分からないが、体力向上に少しでも役立てば嬉しい。

夜、レストランを訪問。昨日から始まったタイ料理を注文。昨日の試食品よりも美味しかった。人気が出るといいなぁ。スミさんによると来週は新しいメニューが数点出るそうで今から楽しみだ。

その後、奨学生の家を訪ね、学校生活などを雑談。どの子供たちも楽しく学校へ通っているようで安心した。


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2005年05月18日

楽しい学校

朝、クリニックで治療。『マチェンドラナート祭り』の影響で患者さんの数はとても少なかった。治療を終えた後、クリニックの窓から見えるマチェンドラナートの山車をゆっくり観察した。今年は去年と違い、上手く動いている模様。

ネパールに暮らし始めた頃、ネパールの人々が何よりも祭りを優先する習慣にはなかなか馴染めなかった。時間に遅れたり、約束を平気で破っても『今日は祭りだから』と、一言で片付けられ参ってしまったことが何度もあった。

時間も経過するにしたがい、ネパール社会の事が少しずつ分かるようになると、そんな習慣も理解出来るようになってきた。今では、のんびりしたところがネパールの一番の長所だと思っている。

昼からヒマラヤ小学校を訪ねた。放課後、なかなか家へ帰ろうとしない子供たちとボールで遊んだ。遊び終えた後、汗だくになって顔を光らせていた子供たちに、学校について尋ねてみると、皆一様に『楽しい』との返事が返ってきた。友達がいること、先生が優しいこと、勉強ができることなど、理由は様々だが、子供達が学校を『楽しい』と感じていることはとても嬉しい。

子供たちを送った後、宿直のモンゴル先生とゆっくり話をしたが、モンゴル先生も学校はとても楽しいと話していた。働く側にとっても『楽しい』場所であることは、学校が上手くいっている証拠だと思う。

先生と子供たちがお互いに『楽しい』と思える学校。これが学校つくりの基本だと思う。これからも一丸となって『楽しい』学校作りを進めていきたい。




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2005年05月17日

日本語学校

朝、ネパール語の勉強。今日は別の祭りに関する資料を翻訳した。普段、決して使わないような単語を果たして覚える必要があるのか?という迷いもあったが、やはり覚えていた方が得だと思い必死になって暗記した。

昼からは、日本語を習いたいというSLCを終えた奨学生を連れ、パタンとカトマンズの日本語学校を訪ねた。

今日訪ねたのは3校だけだったが、どの学校でも学生が必死になって日本語を勉強している姿には感心した。日本語を習う学生のほとんどは、きっと生活のために日本語を勉強しているのだと思う。高い授業料を払って勉強するのだから、必死になる理由もよく分かる。

カトマンズ市内の日本語学校を訪問した後、馴染みのDVD屋さんを訪問。今日はフレデリック・フォーサイト原作の『ジャッカルの日』(フレッド・ジンネマン監督)を購入した。30年以上も前の映画。高校生の頃にNHKの衛星名画劇場で夢中になって鑑賞した記憶がある。原作者の作家フレデリック・フォーサイトさんにも10年ほど前、確か東京の丸善で行われたサイン会でお目にかかった事がある。ぜひ週末に時間を作って、じっくり鑑賞したいと思う。

夕方からは往診で忙しかった。クリニックでの治療よりも往診治療の方が時間的な余裕もがあるので好きなのだが、今日のように大雨が降ると往診はとても難しい。今日は雨合羽を着てもびしょ濡れになってしまった。


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2005年05月16日

制服

朝、2件の往診を済ませた後、ヒマラヤ小学校へ行った。支援者の方々にニュースレターやホームページを通して、新入生の制服支援をお願いしたところ、愛媛県の方から10名分のご支援を頂くこととなった。大変ありがたく感謝の気持ちでいっぱいだ。

今年は24名の子供達が就学の夢を叶えた。学校へ通える事が、子供たちにとって一番の喜びだが、制服は子供たちの憧れであり、制服を着られる事は子供たちの楽しみの一つだ。また制服は子供たちに就学の自覚を促したり、士気を高める役目があると思う。今日は早速、新入生全員のサイズを測った。制服への期待が高まったのか、子供たちはとても嬉しそうな表情をしていた。

昨年は6月の開校式典前日に子供たちへ制服を配布した。初めて制服に袖を通した子供たちが、とても照れくさそうにしていた事を今でも鮮明に覚えている。今ではすっかり継ぎ接ぎだらけとなった在校生の制服(特に男子児童)だが、これも元気さの勲章だと思う。新入生全員の制服が用意出来るまでには今しばらく時間が掛かると思うが、子供たちの喜ぶ表情が見られると思うと今からとても楽しみだ。

夕方、5年前から個人的に支援を続けている小学校を訪ねた。今年もささやかではあるが、新入生全員に制服と学用品を寄贈することが決まった。普段、硬貨を持ち歩くのが嫌で、手にした硬貨(1、2、5ルピー)は全て貯金箱の中へ入れている。ほぼ毎日のように貯めていると、毎年、子供たちの支援が出来るくらいの金額になる。小銭も馬鹿には出来ない。

夜は数名の奨学生宅を訪ねた。何時もながら、どの奨学生も厳しい現状を抱えながら生きている事を実感する。何不自由なく豊かな時代に育った僕達には、けっして真似など出来ない生活だ。そんな環境の中でも子供たちからは何時も笑顔が溢れている。子供たちから学ぶことは多い。



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2005年05月15日

サビットリさんの幸福

朝、早く起きてホームページを作成。先週はまったく更新する事が出来ず、ホームページを通して子供たちの成長を楽しみにして下さっている皆さんにご迷惑を掛けてしまった。僕自身が見る側に立った場合、ホームページが暫く更新されていないと、見る気を失ってしまうと思う。見て下さっている皆さんに、少しでも子供達の成長をお伝えできるよう頑張りたい。

午前9時からネパール語の授業を受けた。今日は特別に、先日ヤッギャ校長から頂いた『ボトジャトラ祭り』の由来に関する資料(ヤッギャ校長が纏めたもの)を翻訳した。興味深い内容だったので、楽しみながら翻訳する事が出来た。カトマンズに伝わる伝説はとても多く、どれも奥深いものがある。伝説を調べるだけでも、一生飽きないだろうなぁと思う。

昼からヒマラヤ小学校を訪問した。2階校舎の屋根に流したコンクリートも乾き、今日から作業が再開した。完成まであと少しだ。工事の担当者には、遅れを取り戻すため急いで作業を進めるのではなく、一つひとつの作業をしっかり行い綺麗に作るようお願いした。

夕方から、先日結婚したサビットリさんとご主人を呼んで、パタン市内のレストランでささやかな食事会を開催した。すっかり主婦らしくなったサビットリさんをスミさん達と一緒に冷やかし、楽しい時間を過ごすことが出来た。

サビットリさんの結婚相手は誠実そうなと好青年でとても好感が持てた。サビットリさんは結婚するまで相手の顔すら見たことがなかったそうだが、相手の家族も親切で、とても幸せだと嬉しそうに話していた。本当に良かった。末永く幸せになって欲しい。

ホームページ更新しました。ぜひご覧ください。








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2005年05月14日

ピクニック

今日は子供たち待望のピクニック。朝8時に集合して、ラリットプール南部のゴダヴァリ村へ向け出発した。今日は天気も良く、絶好のピクニック日和となった。チャーターしたバスとは別に、車酔いする子供を乗せバイクで現地へ向った。

途中の村々では収穫したばかりの麦を脱穀するため、麦を道端に敷く作業が行われていた。ネパールでは脱穀機などなく、こうして麦を道端に並べ車に轢かせて脱穀する。綺麗に並んだ麦の轍は、毎年、お馴染みの光景だ。

今年のピクニックには90名の子供たちが参加した。どうしても山の上に暮らす子供たちには参加が難しく、毎年の悩みの種となっている。それでも今年は、山の村からも大勢の子供達が参加してくれた。

ピクニックはそれぞれの自己紹介から始まった。子供たちは行きのバスの中で既に歌を歌うなど打ち解けていたようで、和気藹々とした雰囲気で進んだ。

その後はボール遊びやダンス、そして壺割りゲームなど、日常の厳しい現状を忘れ、子供たちは存分にピクニックを楽しんだ様子だった。

丁度、お腹も空いた頃、ヤッギャ先生、奥さん、モンゴル先生、そして里親教育基金の奨学生らが作った美味しい昼ごはんを食べた。新緑の木々から差す木漏れ日がとても心地よく何時もに増して食欲が沸いた。

実は僕も料理担当だったのだが、子供たちから顔見世のパンダのように引っ張られ、結局、人参の皮を何本か剥くだけで終わってしまった。その後は先生たちも加わり皆で歌を歌ったり、それぞれ特技を披露したりと、終始、笑いが耐えなかった。

あっという間に終わったピクニック。疲れをしらない子供たちは帰りのバスの中でも歌を歌い続け、最後までとても賑やかだった。

こうして年に1回、子供達が集まり、お互いの友情を深めることはとても大切な事だと思う。お互いが支えあい、励ましあう事で、きっと大きな力が生まれてくると思う。

子供たちには、どんなに辛い時でも一片の氷心を胸に抱き、未来に大きな希望を持って生きて欲しいと思う。

今日はとても楽しい一日となりました。










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2005年05月13日

ピクニック前日

朝、クリニックで治療。昼からの雑用に備え患者さんの予約を少なくしていたため、あっという間に治療が終わった。

2時半からヤッギャ校長先生達とクリニックの下にある市場で待ち合わせ、明日のピクニックの買出しと準備を行った。まずはバスの手配。なかなかバスの運転手と折り合いが合わず苦労した。限られた予算の中で纏めるのはなかなか難しい。100ルピーの違いが他に大きく響くため、バスの運転手と粘り強く交渉した。何とかバスを手配した後は、調理器具の手配。こちらはあっという間に終わった。その後は100名分の食材調達に奮闘した。肉、野菜、調味料、米、買い物を終えた頃には、すっかり日が暮れていた。

今回で5回目となる親睦ピクニックは、里親教育基金の奨学生、寺子屋の子供達を対象に毎年の恒例行事にしている。このピクニックではお互いの友情を深め、今後の頑張る力にして欲しいと願っている。何時も里親教育基金の奨学生達が小さな子供達の面倒を見たり、料理の手伝いを積極的にしてくれるため大変助かっている。

今回はヤッギャ校長と奥さん、モンゴル先生、そして僕も調理担当となっている。子供達がとても楽しみにしているだけに、ぜひ思いで深いピクニックになるよう頑張りたい。


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2005年05月12日

目標

朝、中央郵便局での雑用を済ませた後、昼前にSLCを終えた奨学生達と会った。丁度、支援者の方から手紙が届いたので渡すと、皆とても喜んでいた。お茶を飲みながら、たわいのない話をして楽しい時間を過ごした。

その後、奨学生を連れヒマラヤ小学校を訪ねた。奨学生の中には将来、教師を目指している子供達も多く、今日は体験実習という形で奨学生に授業をやらせて見た。先日から実習に参加しているジェニシャ同様、どの奨学生も上手く子供達を纏めていて感心した。まだ16歳前後の奨学生、恐れを知らない若さが一番の力なのかもしれない。積極的に挑戦する姿は見ていて清清しい。

その後、ヤッギャ校長先生と今後の方針について話し合った。話に花が咲き、結局夜中までブンガマティ村で過ごした。実現可能な事、不可能なこと色々あると思うが、夢や目標を持つことはとても大事だと思う。

明確な方向付けが出来れば、その目標に向い先生達と一丸となって突き進めば、きっと良い結果が得られると思う。今日の話し合いでは目標が沢山できた。一つずつ着実に進めていきたい。ヤッギャ校長が子供達と同じように瞳を輝かせ、ヒマラヤ小学校の将来について語る姿がとても印象的だった。



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2005年05月11日

実行力

朝からクリニックで治療。明日からマチェンドラナートが始まるせいか、患者さんの数は少なかった。患者さんの数が少ない分、一人ひとりの患者さんへゆっくり時間を掛けて治療する事が出来た。

クリニックの後、スミさん達とカトマンズ市内のスーパーへ買い物に出かけた。今日は電子レンジを買う予定で出かけたものの、スミさんが店を回っている内、欲しいものが沢山出てきたようで、日を改めて買い物へ来る事になった。こういう場所では特に、スミさんの女の子らしさが窺える。

その後、ヒマラヤ小学校へ向った。土曜日の休校日を含め、3日間学校へ行かなかっただけなのに、ずいぶん長い間、学校へ行っていないような不思議な感じがした。毎日、短い時間でもヒマラヤ小学校へ行き子供達の元気な声を聞く事が、すっかり日常生活の一部になっている。学校へ行くと心が落ち着く。

学校では何時も通り子供達が楽しそうに勉強していた。先週の金曜日に開催した教育勉強会の中で、もっと絵などを使った授業に力を入れようと話し合ったが、早速、各クラスで実証物を使った授業が実行されていた。2年生の英語の授業では『笑顔、泣き顔、怒った顔、悲しい顔』などのお面を作り、それぞれの英単語を覚える授業が行われていた。 子供達の反応もとても良く、先生達も一生懸命アイデアを出し合って頑張っている様子だった。

ヒマラヤ小学校は『実行力』では決して他校に引けをとらないと確信している。先生達が常に子供達のことを一番に考える姿勢が、ヒマラヤ小学校を良い方向へ導いていると思う。

9日(月曜日)のブログで書いた祭事は、神像を沐浴、再彩色する儀式ではなく、儀式の行われたコトゥワール・ダハという場所が、印度のアッサムから連れてきたマチェンドラナート(国王の108番目の子)を、印度へ連れ戻そうとする鬼と、印度から連れてきたバクタプールの国王、祈祷師(?)、ボッカの3名との間で押し問答を行った場所との事でした。マチェンドラナートをこの場所で喜ばせ、パタンに連れてくるという儀式とのことです。ネパールの祭りはとても複雑で、何度聞いても覚える事が出来ません。ブログ記事でご迷惑をお掛けした方がいらっしゃいましたら、この場をお借りしてお詫び申し上げます。



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2005年05月10日

休息

朝、雑用を一気に済ませた。2日も開けてしまうと何かと雑用が溜まってしまう。それでも何とか短時間で雑用を片付けることが出来て良かった。昼過ぎに帰宅。山歩きの疲れもあったので、今日は夕方まで休みを取り惰眠にふけようと決心して寝たが、1時間もしない内に患者さんから電話があり起きる事となった。

束の間の休息だったものの体調はすっかり回復、往診先では満足のいく治療が出来た。最後に訪問した患者さん宅では話が弾み、結局3時間近く過ごした。

夜お腹が空いたため、急いであすなろ食堂へ向かった。あすなろ食堂は既に閉店していたが、スミさんが快く食事を作ってくれた。こんな時あすなろ食堂はありがたい。


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2005年05月09日

村から帰宅

早朝、寝不足のまま祭りを見学した。ネパール人々は信心深く、祭事をとても大切にしている。今日開催された祭りは、今月中旬から始まる山車祭り『ラト・マチェンドラナート』を前に、神像を再彩色・沐浴するために村からパタンへ運び出すものだった。巡礼者の人達も寝不足の筈なのに、儀式の間ずっと元気だった。

午前6時過ぎに村を出発、帰りは行きと異なる古道を通り、出来るだけ多くの村々を訪ねながら帰ることにした。古道では黄金色の麦畑が昨夜の雨で更に輝きを増していた。

初めに訪ねた村は丘に出来た集落で、やはり全体的に子供達の状態は良くなかった。村には政府の小学校があるが、教育はほとんど普及していない様子だった。村の人々に尋ねると村に中学校はなく隣村まで歩いて通うしかないとの事だった。

その後に訪ねた村は、バウン、チェットリの人達が暮らしている村だった。こちらは農地の状態もよく、村自体も周辺の村に比べると少しだけ豊かに思えた。しかし村に医療施設はなく交通事情を考えると、この村も陸の孤島のような感じを受けた。

歩き続けること3時間余り、ようやくブンガマティ村のファルシドール地区に到着。1時間ほど待っていると、ようやく1本のバスが来た。超満員のバスに揺られ無事ブンガマティ村に到着した。

慌しく過ぎた1泊2日の実態調査だった。もう少し時間を掛けて村の実態を調べたかったが、まずは村々の様子を見る事が出来ただけでも大きな収穫だった。この貴重な体験を今後の活動に活かしたいと思う。



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2005年05月08日

村を訪問

午後3時半、ブンガマティ村を出発してドゥクチャップ村周辺の実態調査に出かけた。ドゥクチャップ村はカトマンズ盆地内に位置しているものの、交通の不備もあり教育が著しく遅れている村だ。特にドゥクチャップ村の山間地帯の集落は貧しく生活が大変厳しいと聞いていたため、以前から訪ねたいと思っていた。今回、祭りが開催される事もあり、ヤッギャ校長先生に無理を聞いていただき訪問が実現した。

片道3時間の道のりは穏やかで、思ったほどきついものではなかった。道端に群生する植物などを観察しながら先生達とゆっくり歩いた。途中、丘を登りきった場所から眺める黄金色に光った麦畑がとても綺麗で印象的だった。普段、街で生活していると、直面する問題にばかり眼が向いてしまい、ネパールの良いところなどすっかり忘れてしまう。風に揺れて波打つ麦畑を眺めながら、普段の生活を反省した。

予定通り3時間後には目的地の集落へ着いた。電気すらない集落では、旅行者が訪れるトレッキングルート上の村とは違い、何もかも昔のままの生活が営まれていた。今日は祭りに訪れた巡礼者で賑やかだったが、普段はとても静かな集落だという。同じ盆地にありながら、集落の人々にとってカトマンズは異国のようにすら感じるのかもしれない。

今日は民家の軒先を借りての野宿となった。ヤッギャ校長の話では、集落の軒先は巡礼者達のために普段から開放されているらしい。巡礼者を暖かくもてなすことが集落で昔から続く習慣とのことだった。突然訪れた僕達を家主は暖かく迎えてくれ、焚き火の薪から鍋まで快く貸し出してくれた。

焚き火の傍で横になり夜空を眺めていると、今後、自分自身が歩むべき道について、脳裡を一抹の期待と不安がかすめた。もともと暢気な性格なので実行など出来ないと分かっていながらも、遣りたいことが山ほど出来たのは良かったと思う。

途中、雨が降り出したため大勢の巡礼者が軒先に集まり、夜通し賑やかだった。結局、ほんとんど寝ることが出来ないまま夜が明けた。


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2005年05月07日

昼寝

明日からの実態調査を前に英気を養おうと、昼過ぎまでに仕事を済ませ3時間ほど昼寝をした。熟睡出来たこともあり、すっかり疲れが取れた。それにしても、たった数時間の昼寝でこんなにも体が軽くなるとは。睡眠が何事にも勝る良薬であることを再確認。

夕方から数件の往診治療を行い、奨学生宅を訪問した。来週、奨学生や寺子屋の子供達を集めて、年一回恒例の親睦ピクニックを予定している。昨年は開催出来なかったため、今年は一人でも多くの子供達が参加できるようにしたいと思う。今日訪ねた奨学生達もピクニックをとても楽しみにしている様子。子供達がそれぞれ親睦を深めて、お互いの頑張る力になることを願っている。




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2005年05月06日

積極的な係わり

午前中に中央郵便局へ行き郵便物を投函。知人に助けられ、80通全てを短時間で投函することが出来た。現在改装工事中の中央郵便局だが、知人の話によると改装工事を終えた後はコンピューターが導入され、手続きがスムーズになるとのことだった。本当だと嬉しい。

昼からヒマラヤ小学校で開催された『ヒマラヤ小学校・教育勉強会』に参加した。チームワークを大切にするヤッギャ校長の提案で始まった勉強会だが、先生達の間で活発な意見交換が行われ、とても有意義な勉強会となった。勉強会の後、ヤッギャ校長とお茶を飲みながら、勉強会が単なる井戸端会議で終わらないため、プラスαが必要だと話し合った。教育勉強会と併せて、先生達が個々の能力を存分に発揮できる環境の整備を進めていきたい。

夕方、今年のSLCを終えた奨学生達を集め、今後について話し合った。どの奨学生も進学を希望しているものの、どの方向に進めば良いのか途方に暮れている様子だった。ネパールでは10年生を終えれば、日本でいう大学へ進学することとなる。大学では専攻科目を選ばなければならない。奨学生にとって将来を決める大事な時期だけに迷うのも仕方ない。

今日会った奨学生達は、以前行っていた『社会見学会』などに積極的に参加していたため、他の奨学生よりも社会に対する視野が広い。その分、将来目指す職業の選択肢が多い。しかし通常のネパールでは、子供達や女性が地域社会から出る機会がとても少ない。そのため、地域社会にあるものしか見た事がなく、社会を見る視野がとても狭くなっている。

普段から奨学生と積極的に係わり彼らの性格や能力を理解していると、アドバイスをするのに大いに役立つ。今日も奨学生それぞれの大まかな希望を聞きながら、自分なりにアドバイスをしてみた。

やはり支援する子供達の数を増やすのではなく、支援する子供の数を少なくして、もっと子供達と積極的に係わっていく方が良いと思う。ただ貧しい子供達を学校へ送る支援ではなく、彼らの人生に深く係わっていくことで、支援を受けた奨学生達が将来、活動に協力してくれることが一番だと思う。支援活動も大きく変化すべき時期に差し掛かっている。


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2005年05月05日

通学路

往診と中央郵便局での雑用を済ませた後、ヒマラヤ小学校を訪問した。授業中の校舎からは子供達の元気な声が響き渡っていた。教室を覗いてみると新入生達がすっかり在校生と打ち解け、仲良く勉強していた。

新入生24名の内、11名は隣村から1時間以上の道のりを通学している。急な坂道の続く道のりを、小さな子供達がどのような思いで通学しているのか、とても気になる。勉強が苦手で学校が大嫌いだった僕なら、きっと諦めているだろう。今週の日曜日には実態調査を兼ね、子供達の暮らす村を徒歩で訪ねることとなった。バイクで訪ねるのとは違い、きっといろんな発見があると思う。今から楽しみだ。

夜は焚き火を囲んで先生達と食事をした。ヒマラヤ小学校では新学期以来、子供達の怪我が2件、そして先日の強盗事件と問題が多発している。起きた問題から何をどれだけ学び、今後にどう活かしていけるのか、今、問われていると思う。先生達と一緒に食事をして、スクラムを組み直すことが出来たように思えた。


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2005年05月04日

大雨

早朝からクリニックで治療。大雨にも拘らず大勢の患者さんが訪れてくれた。金曜日とは違い、慌しい治療となったが、患者さんとの会話も弾み楽しく治療することが出来た。重症筋無力症を患い3年以上もクリニックへ通っている女性から、近く結婚する事が決まったと報告を受けた。体調面で結婚後の生活に不安があるとの事だったが、何とか頑張って欲しいと思う。

その後、バイクで往診に出かけたが、大雨で3度もびしょ濡れになってしまった。流石に疲労困憊感もあったが、気を引き締め直し全ての往診を終えた。夜遅く、新しく購入した教科書の領収書を受け取りに奨学生宅へ出かけた。雨漏りがする部屋では、長年の苦労のせいか実際の年齢よりも随分年老いて見える母親が、体調を崩して寝込んでいた。何時もは底抜けに明るい奨学生も、心なしか不安げな表情をしていた。

貧しい子供達の就学支援をしていると、何かと考えさせられる事が多い。帰宅途中の雨は、一層冷たく感じられた。

ヒマラヤ小学校通信を更新しました。
2階校舎建設アーカイブスを更新しました。


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2005年05月03日

強盗被害

早朝、ヤッギャ校長からヒマラヤ小学校に強盗が入ったとの知らせを受けた。ネパールの人々は人懐っこく大らかな性格であるため、『小学校に強盗が入った』と言われても、暫くピンとこなかった。僕自身、ネパールに暮らし始めて7年が過ぎようとしているが、今まで身の危険を感じた事もなく、周囲に強盗が入ったとの話も聞いたことが無かった。もちろん日々のニュースの中で強盗事件が起きている事を聞いたことはあったが、あくまでも他人事のようにしか感じていなかった。

ヒマラヤ小学校を訪ね実際に荒らされた現場を見た時、その大胆な手口から匪賊の仕業であることを実感した。起きてしまったことを嘆いても仕方ないが、学校を狙った悪質な手口には憤りを感じる。
宿直のモンゴル先生に怪我がなかった事は不幸中の幸いだった。

奪われた現金1500ルピーは『こども福祉基金』として、子供達から毎月5ルピーずつを集めたお金の一部だった。『こども福祉基金』は、病気をした子供の医療費、また貧困家庭へ子ヤギの提供を行う相互扶助のために創設したものだ。ネパールの村では、日雇い労働に従事する男性が日銭を家庭に入れず、そのまま酒に使ってしまう事が多い。基金は子供の内から貯金の大切さを身に着けて欲しいとの願いも含まれている。子供達の貴重な基金が奪われたことは管理側の責任も大きい。今回の事件では僕達も猛省しなければならない。


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2005年05月02日

全ては人

朝から雑用に追われる。雑用に追われたまま、昼からヒマラヤ小学校を訪ねた。

今日は2階校舎の屋根にコンクリートを流す予定だったが、生憎の雨で作業は明日に延期となった。コンクリートを流す作業は工事の中で一番重要なだけに、気が抜けない。先生達と細かい点まで再点検して明日の作業に備えた。

昼休みを挟んで、マナさんによるピアニカの授業が行われた。マナさんは、先日チョラ・チョリの皆さんからご指導いただいた指導法を忠実に守りながら、熱心に子供達に教えていた。マナさんは誠実で前向きな性格が周囲から高く評価されている。今日のピアニカ授業も、マナさんの性格がそのまま反映されている素晴らしい内容だった。

ヒマラヤ小学校が開校して1年、多くの方々から善意のご協力を頂き、少しずつ学校の形が出来つつある。音楽授業も以前から、ぜひ実行したいと考えていたものの、なかなか実行に至らなかった。今回、チョラ・チョリの皆さんのご協力を頂き、マナさんがピアニカの演奏を憶え、その知識を子供達に伝えている。これはとても素晴らしい流れだと思う。

授業の後、マナさんが嬉しそうな笑顔で『私は2曲しか演奏できないので、早く他の曲も覚えたい』と話していたのが印象的だった。

知識や技術を教えてくださる方と、その知識や技術を有効に活かす人がいれば、本当に大きな力となる。やはり全ては人だと思う。

夕方、あすなろ食堂を訪ねた。今日はスミさん達の2回目の給料日。スミさんの努力が実を結び2ヶ月目も良い成績を残すことが出来た。スミさんを見ていると、コツコツ努力を積み重ねることが夢の実現に繋がることを実感する。僕も小さな努力を積み重ね、頑張りたい。

今日も良い日となりました。

ヒマラヤ小学校通信を更新しました。どうぞご覧ください。

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2005年05月01日

栄養摂取、実現に向けて

朝から頭痛に苦しむ。首の後ろがズキズキと痛み、立ち上がると痛みが増す最悪の状態だった。暫く休んでいると痛みが治まったので、一気に2階校舎増築アーカイブスを更新した。

こんな素人作りのホームページでも、楽しみにして下さる方がいることはとても嬉しく、何時も勇気付けられている。見てくださる方が何時アクセスしても常に新しい情報があり、毎日、見たくなるようなページにしたいと何時も願っている。そう思いながら、なかなか更新できていないのが実情。なんとか頑張りたい。

今日は一昨日のブログでも書いた、子供達の栄養摂取について医師の先生に相談した。先生からも実行に賛成して頂き、牛乳・果物・卵の他、2ヶ月に1度、栄養価の高い豚肉を出すと良いとのご指導を頂いた。また先生からは、虫下しのサンプル薬を集める協力まで頂いた。

子供達の栄養が不足している現状は医療キャンプ等でも良く見かける。村に暮らす子供達は保健衛生に関する知識がほとんどなく、常に危険と隣り合わせで生活している。更に栄養不足は危険に追い討ちを掛けているように感じられる。子供達の厳しい現状を見ると寒心に堪えない。実行までには未だ課題も沢山残っているが、一歩ずつ着実に進めていきたい。




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2005年04月30日

心の支援

朝から奨学生宅を訪ねた。連絡事務所が移転したため、まだ教科書を配布できていない奨学生も多い。途中、奨学生の一人、サジャナを訪ねた。丁度、水汲みから帰ってきたばかりのサジャナが、壷を抱えたまま人懐っこい笑顔で駆け寄ってきた。

サジャナは貧しい母子家庭の女の子だ。姉と年老いた祖父母の4人、薄暗い部屋で肩を寄せ合いながら生活している。母親は家政婦として働きに出かけているため、会えるのは月に2回だけだという。

サジャナから学校や生活について話を聞いていると、突然サジャナが泣き始めた。どうも暫く会っていない母親と会いたいそうだ。更に話を聞いていると、近所の人たちから家政婦として働いている母親の職業について、からかわれているとの事だった。全体が貧しいネパール社会では、更に弱い立場の人々を苛めるような事が、時々、起こる。これは仕方のない事なのかもしれないが、サジャナのような貧しい子供が社会から虐めを受けている様子は胸が痛む現状だ。

里親教育基金で子供達の就学支援を初めて数年、ただ単に就学を支援するだけでなく、子供達を勇気付け、励ますような心の支援活動が必要だと思う。まだまだ勉強する事は多い。


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2005年04月29日

栄養摂取

朝、帰国されるチョラ・チョリの皆さんへ挨拶をしに、スミさん、ヤッギャ校長と共にタメルの宿泊先を訪ねた。出発前の慌しい時間だったため、ゆっくりお話することは出来なかったが、チョラ・チョリの皆さんへ感謝の気持ちをお伝えすることが出来て皆で安心した。この1ヶ月、チョラ・チョリの皆さんから、本当に多くの事を学ばせて頂き、教育の大切さを身にしみて感じた。

お話の中で、今後、週に1回程度、子供達へ牛乳や果物などを配給出来ないか検討することとなった。また年2回必要な虫下しの投与についても検討する事となった。

ヤッギャ校長の話では、子供達が果物を口にするのは年に一度のティハ−ル祭りの時だけだという。牛乳を飲む機会もほとんどなく、完全に栄養が不足しているとのことだった。同様の事を健康診断に訪れた医師の先生達にも言われたことがあった。出来れば『牛乳・果物・卵 』という具合にローテーションで週一回程度、実行したいと思う。出来るだけお金が掛からない方法を考え出し、ぜひ実現させたい。子供達の健康を守ることも学校の大きな役割の一つだと思う。

タメルから戻り、急いでクリニックを開いた。臨時休業した水曜日の代わりに開いたため、患者さんの数は少なかった。その分、一人ひとりの患者さんへ丁寧な治療を施すことが出来、満足のいく内容だった。やはり時間に追われる治療よりも、じっくり時間を掛ける治療の方が、施術者、患者さん、お互いにとって良いと思った。

その後、ブンガマティ村を訪ねた。今年からブンガマティ村の子供達へも『里親教育基金』の支援を始めることとなり、早速、寺子屋から一人目の奨学生が決まった。貧困から3年生で中退した女の子だが、支援が決まると幼い妹を抱えたまま大喜びしていた。頑張ってほしい。

夕方から日本から来た友人と食事に出かけた。久しぶりの再会に話が弾んだ。




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2005年04月28日

楽しく夢のある教育

朝、雑用を済ませた後、昼過ぎにヒマラヤ小学校へ行った。ブンガマティ村周辺に広がる麦畑が、雨上がりの澄み渡った青空に冴えて綺麗だった。

ヒマラヤ小学校ではモンゴル先生が、先日チョラ・チョリの皆さんにご指導いただいたリンゴを使った算数の授業を繰り返し行っていた。特に勉強の不得手なビッケーやインドゥ達が積極的に授業に参加している様子には驚いたが、それだけ大きな成果が上がっているという事だと思う。子供達の反応に大きな手応えを感じてか、授業の後モンゴル先生が『もっと早くからやっていれば良かったなぁ』と嬉しそうに話していた。

ヤッギャ校長もモンゴル先生も教育現場での経験は短い。他の先生達はまったくの無経験だ。教育現場での常識に染まっていないため柔軟性がある分、技術や知識といった面では少し課題が残るかもしれない。その部分を上手く補っているのが、日本の先生達やボランティアの皆さんから頂く様々なアイデアだ。

日本の先生達やボランティアの皆さんから頂くアイデアはどれも素晴らしく、先生達にとって大きな学びの収穫となっている。また是々非々主義のヤッギャ校長は、子供達のためになる事は直ぐ実行する行動力の持ち主だ。僕の知る限り、今まで頂いたアドバイスは100%実行している。そして大きな成果を得ている。

ネパールでは10年生を終えた後に行われる全国統一卒業認定試験『SLC』のため、暗記を中心とした授業が多い。今後、工業国を目指しているネパール政府は、画一的な労働力を作り上げることに重点を置いているのかもしれない。そのため子供達の夢や創造力を育てるカリキュラムはとても少ないのが現状だ。

ヒマラヤ小学校を開校する前、日本の素晴らしい教育システムを取り入れ、楽しく夢のある教育を目指そうと皆で話し合った。もちろん日本の教育現場でも様々な問題を抱えていることを耳にするが、日本の教育は技術面から教材に至るまでどれも素晴らしく、子供達は常に楽しく学べる環境にあると思う。そんな『楽しく、夢のある教育』を取り入れ、貧しさに負けない逞しい子供達を育てたい、これが僕達の必死の願いだ。

何かを作ったり、物をあげたりすることだけが支援ではないと思う。大切なのはむしろ、技術や知識といったソフト面であり、ネパール人の多くも日本人の知識や技術、そして優しさを求めているように思う。

日本の教育の長所と短所、それぞれから多くを学び、ネパールの教育に役立てることが大事だと思う。今後、ヒマラヤ小学校で実行し、成果を得たことを情報として発信し、ネパール全体に広げていきたいと思う。それこそが学校を開校した意義だと思う。



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2005年04月27日

雄大な自然

4月も終わりに近づき、ジャカランダの花が咲き始めた。僕がネパールに暮らし始めた頃、丁度リングロードのジャカランダが満開だったこともあり、ジャカランダの花を見ると感慨を覚える。

ヒマラヤ小学校の2階校舎建設も大詰めに入り、いよいよ来週から屋根の建設工事が始まる。先生達と一緒に屋上部分の型枠の上に登ってみると、ブンガマティ村はもちろんチョバールからソヤンブナートまでが一望できた。今日は残念ながら雲に隠れてヒマラヤを見ることは出来なかったが、冬には遠くヒマラヤまで見渡すことが出来る。こんな素晴らしい環境で学校を開校出来たことは本当に幸運だったと思う。

世塵を避けるようにヒマラヤ小学校へ足繁く通う僕を見て、『よく続くね〜』と、知人から呆れ顔で言われたことがあった。学校へ通う理由は幾つかあるが、ヒマラヤ小学校周辺の自然が素晴らしいことも大きな理由の一つだと思う。クリニックでの仕事や雑用に追われ精神的に疲れている時など、雄大な自然に囲まれたヒマラヤ小学校で、元気いっぱいの子供達と遊ぶと疲れも吹っ飛んでしまう。

自然も子供達も、人を元気にさせる不思議な力があるように思う。



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2005年04月26日

心の交流

朝、数名の治療を済ませた後、ヒマラヤ小学校へ直行した。学校に着くと、丁度休み時間中だった子供たちが駆け寄って来て、『鞄を持ってあげる』やら『ヘルメットを持ってあげる』などと言われ、あっという間に手ぶらの状態になり、職員室まで引っ張られた。ヒマラヤ小学校の子供たちの良いところは、この人懐っこさだと思う。

その後、各クラスの写真を撮影した。子供たちの数が増えたため賑やかになった分、写真に収めるのが難しくなった。来年は一体どうなるのだろうか。

その後、チョラ・チョリの皆さんがヒマラヤ小学校を訪問された。丁度、昼休みになったばかりの時だったが、『うぁ〜』という騒ぎ声と共に、子供たちが一気に下まで掛け降りて、チョラ・チョリの皆さんを出迎えた。子供たちは日本のゲストの皆さんとの交流が大好きだ。

その後、チョラ・チョリの皆さんに『算数ゲーム 』に教えていただいた。初めてのゲームに子供たちは瞳を輝かせながら楽しんでいた。算数ゲームは『1+2は? 』との質問に、子供たちが答えの数でグループを作るというゲームだ。数に慣れることはもちろん、新入生との交流にも大いに役立った。

ヤッギャ校長から『像のシッポと人間のシッポ、合わせて幾つ?』との質問に、2人でグループを作っている子供たちがいたりと、終始、笑いの耐えない楽しい時間となった。

ヒマラヤ小学校では、民族、年齢など、全てが異なる子供たちが学んでいる。特にダリットと呼ばれる不可蝕民族に属している子供たちも多い中で、いかに子供たちが学校という一つの環境の中で混一できるかが、大きな課題だと思う。そのためにもゲームなどを通して楽しい時間を過ごし心の交流を深めるながら、お互いに何かを共有することがとても大事だと思う。

今日は新しく教師になったムヌさんもピアニカの指導を受け、一生懸命練習を繰り返していた。今年はぜひ、ご寄贈いただいたピアニカを使って、小さな楽隊を結成したいと思う。その他にも、チョラ・チョリの皆さんから教育指導の面でも貴重なご意見を頂き、先生たちの大きな学びの収穫となった。

こうしてチョラ・チョリの皆さんの豊かな経験と知識をご指導いただくことは、何よりも有難く心強い。小さなアイデア一つで、教育の幅がどんどん広がることを実感した。これから先生たちが、チョラ・チョリの皆さんから学んだ技術や知識をどう活かしていくのか、とても楽しみだ。

先日、入学を果たした障害を持つサシナだが、『友達が3人出来た』と嬉しそうに話していた。サシナはじめ子供たちの喜んでいる姿を見ると、学校を開校できて本当によかったなぁと思う。子供たちの笑顔一つで、今までの小さな苦労などすっかり忘れてしまう。チョラ・チョリの皆さんの『子供たちの笑顔がご褒美』という言葉を、ふと思い出した。













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2005年04月25日

複雑なネパール事情

先日から学校へ来ていなかった兄妹の内、ようやく長男のジーバンが登校した。兄妹全員でないとはいえ、ヤッギャ校長や先生たちと共に愁眉を開いた。

先日、ヤッギャ校長と共に彼らの家を訪ねた時は、母親から『お金に困っているから、暫く薪拾いを手伝わせたい』と言われ、もう駄目かもしれないと半ば諦め掛けていただけにとても嬉しかった。ヤッギャ校長の必死の説得が母親の心に届いたのかもしれない。

しかし安心してはいられない。未だ幼い妹たちが来ていないことや、同じ集落に暮らす幼稚園クラスのロケンが来ていない事も心配だった。

彼らの集落は教育が著しく遅れている。貧しいこともあるが、未だに親たちの教育への関心が極めて低い現状だ。一時的に子供たちを学校へ送っても、途中で辞めさせるケースが非常に多い。目先の生活に必死な状態で子供たちに教育を受けさせる余裕もなく、ましてや立派な労働者として通用する子供たちを、生活のために利用することは彼らの中では常識なのかもしれない。

心配している矢先、某NGO団体に関する情報が入ってきた。この国際NGOは世界中の様々な貧困国で活動しているが、何でもこのNGOが新たに奨学金を出して、貧しい子供たちを学校へ通わせるとの事だった。一見、とても素晴らしいことのように思えるが、無償教育を実施しているヒマラヤ小学校の子供たちにまで、奨学金を出してやるから他校へ通えと勧誘しているとの事だった。

僕には最初、その意図がよく分からなかった。知人の話では、何でもそのNGOのネパール支部が一人でも多くの子供たちを支援して、成績を本部に見せるためだという。奨学金だけでなく、学用品からバッグや靴、そして昼のおやつまで、何でも支援してくれるそうだ。無償教育を実施しているヒマラヤ小学校では、彼らの『成績 』に反映しないため困るのだという。

事の真意は分からないが、もし事実ならこれほどバカバカしい話はないと思った。教育支援が団体間で『競争』や『見世物』のようになっているのは、とても異常なことだと思う。

ジーバンにその団体から勧誘を受けたか尋ねると、『うん』と答えた。更に同じ集落のロケンが、その団体の支援を受けて他の学校へ転校することもジーバンから聞いた。

ヤッギャ校長の話では、貧しく教育を受けていない親たちの多くは、少しでも多くの物を提供してくれる学校や支援を好み、今回のケースでは『昼のおやつ』が効いているとの事だった。

更にヤッギャ校長は『ロケンがヒマラヤ小学校を辞めたのなら残念だが、引き続き教育を受けられるのなら。。。』と冷静に話していた。ヤッギャ校長は、これまで何度もロケンの家へ通い、ロケンを励ましてきた。ロケンの成長を一番喜んでいただけに、ヤッギャ校長の心中は察するに余りある。

今回の出来事を通して、僕自身が未だこの国のことを十分に理解できていない事を実感した。ささやかではあるが教育支援に携わっている人間として、一体この国には何が必要で、僕に出来る事は何なのか思案に暮れている。


*ヒマラヤ小学校通信を更新しました。ぜひご覧ください











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2005年04月24日

社会の厳しさ

朝、1件の往診を済ませ、前回に引き続き、奨学生が母親と一緒に作ったアクセサリーを支援者の方にご購入していただく事となり、奨学生と共にタメルへ出かけた。

奨学生は新しく作ったアクセサリーのデザイン(配色)を気に入って頂くか心配だったようで、何度も僕に見せてはデザインについて尋ねて来た。センスのない僕は的確な返事を返すことが出来ず『駄目なら作り直せば良いよ。』とだけ答えた。

結局、支援者の皆さんにデザインを気に入って頂き、用意した分を全てを購入していただくこととなった。薄暗い部屋で夜中までアクセサリーを作っている奨学生親子の努力が実を結び、とても嬉しく思った。

その後、支援者の皆さんと楽しい会話が弾んだ。お話からは沢山のことを学ぶ事が出来、とても有意義な時間となった。

夕方からブンガマティ村に開校した新しい寺子屋を訪ねた。先週末まで33名だった寺子屋は、希望者が60人を既に超えている状態となっていた。子供達の学びへの熱意が伝わってくる。

大雨の中を大急ぎでパタンへ戻り、夕食を食べた。その後、往診へ出かけた。途中、雨宿りのため奨学生宅を訪ねたが、近所の人たちから虐めを受けたようで、奨学生は泣いていた。貧しいことや、父親がいない事をからかわれたらしい。きっと悔しい思いをしたのだと思う。身につまされ、思わず言葉に詰まってしまった。









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2005年04月23日

新入生サシナ

昨日、凄まじい勢いで雹(ひょう)が降った。雹が降ったのはブンガマティ村などラリットプール南部が中心だった様子。大喜びしている子供達とは対象に、教室の窓締めなどに追われたモンゴル先生と僕は雹の直撃を受けた。

雹が降った後、サシナという13歳の女の子が母親に付き添われて学校を訪ねてきた。サシナは障害を持っている女の子。家庭は貧しく、母親が工場で働きながら生活している。母親は学校で学ぶことで、サシナの障害が回復して欲しいと願っているようだ。なんとかサシナを学校へ通わせたいと訴えていた。

入学期間はとっくに過ぎているため、通常ならば入学許可を出すことはできないが、障害を持ちながらも勉強したいというサシナの強い向学心に、ヤッギャ校長が特別に入学許可を出したいとのことだった。僕としてもヤッギャ校長の考えに大賛成し、早速、サシナの入学の手続きを行った。

手続きが終わり学校を後にするサシナに『学校で何がしたい?』との尋ねると、笑顔いっぱいの表情で『友達を沢山つくって、勉強したい』との答えが返って来た。今後が楽しみだ。

今日は休日だったので、昼まで掃除をするなどゆっくり過ごす。午後から往診へ出かけたが、途中で頭痛が起こったため帰宅する。暫く休んでいると首まで痛くなった。(ズキズキと痛む拍動性の頭痛)痛み止めを飲み、シャワーを浴びると少し痛みが軽減した。こんな病気でない病気には鍼に即効性があると思う。一応、自分で(天柱・風池に)鍼を刺してみた。腕利きの鍼灸師なら一発で治るだろうなぁと思いつつ、自分の腕の悪さを実感した。その後、往診を再開。何とか今日の分、全員の往診を終えることが出来た。


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2005年04月22日

教科書配布

朝からヒマラヤ小学校へ。今日は新しい教材を配布する日。今まで子供達は、学校に届けられた教科書を何度もこっそり見ようとしては叱られていた。それほど子供達は教科書が配られるのを楽しみにしていたのだ。

まずは在校生へ配布が始まった。古い教科書と引き換えに新しい教科書が配布された。古い教科書の痛み具合も、子供達の性格によって随分と差があることに気付いた。なかなか面白い。ヤッギャ校長が教科書を配るとき、一人ひとりの子供達に異なる励ましの言葉を掛けているのが印象的だった。

教科書を受け取るとき子供達は確認の署名をしなければならない。これは後日、『教科書を貰っていない 』と、文句が出ないようにするためとのことだった。中には子供達から教科書を取り上げ、売ってしまう親もいるそうだ。日本では考えられない話。

ヒマラヤ小学校は無償教育を実践し、制服から学用品に至るまで全てを配布している社会福祉学校だが、子供達に『何でもしてあげるよ』ではなく、そこにはある一定の規則と厳しさが必要だと思う。支援は必要だが、遣り方を間違えれば支援が『当たり前』になってしまう恐れがある。必要なのは、子供達や地域の人たちの自助努力を応援することだと思う。

ヤッギャ校長は、今までネパールに対して多くの支援を頂いているのに、大した成果が上がっていないのは、ネパール人が支援を当たり前と思っているからだ。何でも遣ってもらえて当たり前、あれもない、これもないから、作ってもらって当たり前だと、考えていることが根本的な問題だ、と話している。僕もヤッギャ校長の意見には賛成だ。

ヒマラヤ小学校では使えないくらい短くなった鉛筆と引き換えに、新しい鉛筆を配布している。先日、久しぶりに回収箱を開け子供達から回収された鉛筆を見たが、どれも僅か2センチ程度の鉛筆だった。こういう細かい活動が子供達の意識を変えていくのだろう。『優しさと厳しさ』が上手く噛み合って、初めて本当の支援になるのだと思う。

ホームページ・ヒマラヤ小学校通信4月を更新しました。ぜひご覧ください


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2005年04月21日

教育勉強会

朝、中央郵便局へ行き雑用を済ませる。その後、クリニックへ行き、先日、時間の都合で治療できなかった3名の患者さんの治療を行った。

昼過ぎ、来週から先生達と始める予定の『ヒマラヤ小学校・教育勉強会』の議題を作成した。教育勉強会といっても硬いものではなく、先生達がお互いに知識や技術を共有し、子供達そして学校のために協力して頑張ろう、というもの。

昨年1年間、先生達と随分話し合いの機会を持つことで、結果的にとても良いチームワークが出来たように思う。今後、更にチームワークの強化を図っていかなければならない。そのためにも教育勉強会を立ち上げ、同じ目標に向かって一緒に勉強していくことが大事だと思う。来週の金曜日に予定している第一回の勉強会では、今後1年の課題を出し合うような会にしたいと考えている。先生たちが働きやすく、仕事に遣り甲斐を感じてもらえるような環境を作っていきたい。

夕方、あすなろ食堂へ寄ってみると、ワグレさんやパートのサリタが外出中で、スミさんがキッチンで一人慌しくしていた。こんな日に限って、お客さんが沢山来たそうで、コロッケも全て売切れだった。一人で慌しく頑張っているスミさんを見かねて、コロッケ作りを手伝った。塩加減にうるさいスミさんから細かい指導を受けながらの作業となった。なかなか面白かった。

その後、ジャイカ研修生同窓会(JAAN)・機関紙編集部の方から、先日、サダナがJAANの機関紙『ミラン』に書いた記事の原稿料が小切手で届いた。急いでサダナの暮らすバクタプールへ小切手を届けに行った。生憎、サダナはボーイ・ガールスカウトの南アジアキャンプへネパール代表として参加しているため留守だったが、サダナの家族とゆっくり話が出来た。僅かな原稿料ではあるものの、サダナが一生懸命書いた記事を評価いただき、とても嬉しい。

サダナは驚くほど聡明で活発な学生だ。時間を惜しんで様々な活動に取り組む姿には、何時も感心させられる。キャンプから帰ったサダナが、目を輝かせながらキャンプについて話をする姿が想像できる。今から楽しみだ。

今日も良い日となりました。





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2005年04月20日

理解

朝からクリニックで治療。日曜日にパパイヤを頂いた患者さんにお礼を言うと、患者さんから美味しいパパイヤの見分け方を教わった。人それぞれ見分け方の違いはあるが、ネパールの果物はとても美味しい。

今日もクリニックには大勢の患者さんが訪れ賑やかだった。患者さんとの会話も弾み、少しずつだが、目指している『楽しいクリニック』に近づいているような気もする。頑張りたい。

クリニックを終え、そのままヒマラヤ小学校へ直行した。新入生が学校に溶け込んでいるか、特に下の寺子屋から入学した子供達は9人と人数が多く、一緒に固まっているようで心配だった。その他、月曜日から顔を出していない兄妹がいることも気になった。

授業の様子を見ると、新入生が学校の環境に慣れて来ているような感じを受けた。休み時間には在校生達と遊んでいる様子も見られ、まずは一安心。今年度入学した子供達は隣村など随分遠くから通ってくる子が多い。少しずつだが地域の人々のヒマラヤ小学校への理解が深まっているのかもしれない。もしそうだとしたら、とても嬉しいこと。学校の発展に地域の人々の協力は欠かせない。ぜひ、地域の人々の協力が得られるよう、努力を重ねていきたい。

それにしても狭い運動場で子供達が駆け回ると、子供達の数が一気に増えたことを実感する。これから子供達の安全を守る監視がとても大変だと思う。子供達に体を引っ張られ、くたくたになった。

放課後、学校へ来ていない兄妹宅を訪ねた。丁度、幼い兄妹ともに薪を担いで家に帰ってきたところだった。母親に尋ねると、『生活に困っている。暫く薪拾いを手伝わせたい』との返事が返ってきた。ネパールの現状は厳しい。ヤッギャ校長と相談して、暫くの間、様子を見ることにした。

その後、往診治療へ行き、深夜帰宅。
今日は子供達と遊んだ分、疲れた。子供達の元気さには敵わないことを痛感。

先日、開催した医療キャンプの様子をホームページに掲載しました。どうぞご覧ください。




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2005年04月19日

雑用に追われる

朝、中央郵便局へ行った。ネパールは郵便事情が悪いため、手紙などを送る場合は中央郵便局から送った方が良い。(と思う)パタン市内にある郵便局や各地にある民間郵便代理店から送ると手続き自体は楽でも、そこから手紙が中央郵便局へ送られ、仕分け作業・・・・云々・・・と、倍以上の時間が掛かってしまう。郵便局へ頻繁に通っている内に窓口の人たちと仲良くなり、随分と手伝って貰っているが、それでも元々の効率が悪いため時間が掛かってしまう。

現在、中央郵便局では改装工事中が進められている。窓口の人にいつ完成するのか尋ねると、何時も『あと一ヶ月』との返事が返ってくる。何事も慌てないネパール人らしい答えで、つい笑ってしまう。ついでに設備について尋ねると、『コンピューターを導入して、作業がスムーズになる』との返事が返ってきた。本当だといいのだが。

昼から溜まっていた雑用を一気に片付ける。この1年間、雑用が溜まっては一気に片付けるような生活が続いている。なかなか厳しい現状。その後、往診治療を行う。夜、奨学生の代表宅へ行き、奨学生から集められた新年度に必要な教科書と費用のリストを受け取る。

今日は雑用に追われ、とても疲れた一日でした。


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2005年04月18日

新学期

今日からヒマラヤ小学校でジェニシャの教育研修が始まった。先日、ジェニシャが教師を目指していることを知ったヤッギャ校長から、『新学期から学校で研修を受けてみないか?』と声を掛けていただき実現した。

ジェニシャは貧しい母子家庭の子だ。13年前に父親を亡くし、母親そして妹と3人で肩を寄せ合い暮らしている。ジェニシャとジーナの支援を始めたばかりの3年前、『私達も何かしたい』と、自主的に近所の貧しい子供達を集め、家で識字教室を始めてくれた。その後、各地で寺子屋教室を始めたのもジェニシャとジーナ姉妹の活動が大きな切欠となった。

今日、ジェニシャは緊張しながらもよく頑張った。普段の識字教室とは明らかに違う本物の教壇に立ったことは、ジェニシャにとって大きな勉強になったことと思う。試行錯誤を繰り返しながら、大きな学びの収穫を得て欲しいと思う。

今日はジェニシャと一緒に妹のジーナやリタ達がヒマラヤ小学校を訪ねた。SLCを終えた奨学生達が積極的にヒマラヤ小学校の活動に参加してくれることは嬉しい。これから奨学生がどんどん学校を訪れ、子供達と交流してくれることを願っている。

さて今日から学校は始業となった。新学期からは、昨年までダンスと歌を教えていた臨時教員のマナ・マヤ・グルンさんが、正式にヒマラヤ小学校の教員として幼稚園クラスを担当することとなった。マナさんは孤児院で育ち、スミさん達と一緒に女性自立支援を受けきた。昨年から得意のダンスと歌を子供達に教えていたが、彼女の誠実な性格と一生懸命な活動が高い評価を受け、全理事の賛同を得て正教員になることが決まった。マナさんのことが大好きな子供達も喜んでいる。

放課後マナさんに感想を尋ねてみると、『大変だけど、とても遣り甲斐があります。』と嬉しそうに話していた。夏休みにはマナさんを教育研修に送りたいと思う。

学校2年目が始まった。先生達と協力して、社会に貢献できる学校を目指して頑張りたい。新年度も宜しくお願いいたします。



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2005年04月17日

パパイヤ

朝、クリニックで治療。今日は懐かしい患者さんもたくさん訪れ、楽しい時間を過ごすことが出来た。
お年寄りの患者さんから大きなパパイヤを頂いた。クリニックは無料診療だが、こうして患者さんから果物やら野菜、時にはお祭りで使う『聖なる水?』などを頂くことがある。患者さんたちの心遣いには、何時も心が温かくなる。

昼過ぎにSLCを終えた子供達が自宅に集まり、今後のことについて話し合った。今年はヒマラヤ青少年育英会から初めてSLC受験生を送り出した。原則として奨学生の支援は10年生までとなっているので、今後、進学を希望する奨学生をどういう風に支援するか、検討を続けている。

奨学生との話から、全員が進学を希望していることが分かった。皆、不安も抱えているようなので、出来る限り奨学生の希望に添えるよう頑張りたい。その後、患者さんから頂いたパパイヤを奨学生と一緒に食べた。とても美味しかった。

夕方、数件の往診治療を行い早めに帰宅した。深夜まで溜まっている写真の編集作業を行った。子供達の写真を見ていると、彼らの表情の変化を見つけることが出来て楽しかった。

今日も良い日となりました。



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2005年04月16日

新しい寺子屋

朝、バイクを修理に出した。暫く間、修理が出来ずにいたため部分的に壊れたままで走っていた。バイク屋さんが『良くこんな状態で乗れますね』と、呆れた顔で話していた。バイクを中古で購入してから既に6年半が経過している上、手入れも悪く毎日のように悪路を走っているので、駄目になっても決しておかしくない状態だと思うが、今でも奇跡的に元気良く走っている。本当にバイクには感謝している。夕方、修理を終えすっかり元気になったバイクに乗って、まだ数年は走れそうな気がした。

バイクを受け取りそのままブンガマティへ直行。今日から新しく開設した寺子屋を訪ねた。新しい寺子屋には33名の子供達が集まっていた。どの子供達も学べる喜びで目を輝かせていた。新しい寺子屋を担当するサンギャさんは、将来、教師を目指している大変聡明な若者。若さ溢れる活動で、子供達の夢を大きく育てて欲しい。

ネパールでは何か問題が起きた時、ほとんどの場合、責任の所在が不明だ。お互いに自分のせいではないと主張して譲らないため、結局『バヨ、バヨ(もういい、もういい)』で纏まってしまい、責任が分からないままになるケースが多い。ネパールの人々は穏やかで人懐っこく、とても良い性格なのだが、のんびりしているせいか無責任なところがあり、頭を痛めた経験のある日本の人も多いと思う。

昨年からヤッギャ校長の提案で、担当教員が寺子屋の責任者も兼任することになった。担当教員に自覚と責任を持って寺子屋の運営を行ってもらうため、責任の所在を細かく定めている。その分、担当教員には権限が与えられ、予算の範囲内で自分の考えたアイデアを何でも実行できるようになっている。昨年12月に開設した『隻手薬師寺子屋 』では、担当のシャムさんが音楽やダンス、絵の授業、また積極的な社会見学を取り入れている。その結果、シャムさんが担当する教室は、笑顔が絶えない楽しい寺子屋となっている。

今後、サンギャさんがどのような寺子屋を築いてくれるのか、今からとても楽しみだ。サンギャさんは将来、学校長を目指しているという。ぜひこの機会に思う存分、自分の力を試して欲しいと思う。寺子屋は単に子供達の識字や保健衛生の普及施設ではなく、将来、教員を目指す若い人たちの研修の場としても活用していきたい。


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